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夏目房之介さんについてver.2
- 117 :夏目房之介 :2000/09/13(水) 00:40
- フィルさん、Tさん、ひつじさん、ほかのみなさん、面白い話題を続けてください。
読んでます。
えっと、じゃあ宿題を考えようかな。
今思い付かないから、思い付いたら書きますね。
ボクササイズで少しミットの音がよくなって、少し胸に筋肉もついた夏目でした。
- 118 :惚れてから10年 :2000/09/13(水) 01:14
- いまだにある土曜倶楽部のビデオ。
月日を組み重ねるごとに保存版度が
私の中であがってゆく。
- 119 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 01:31
- ここでの会話に触発され、思わず夏目さんの「手塚治虫はどこにいる」を買って読んでみました。何より感心してしまったのが手塚の死に対する追悼文からはじまり、従来のマンガ批評が成し得なかった領域へマンガ批評を持っていこうとする序の部分。そこで引用された石子順造氏のマンガ批評の理念には極めて正論だと唸ってしまいました。「マンガがメディアとしても、メッセージとしてもマンガでありうるのは、マンガに独自な表現の論理と可能性がありうるからであって、何かの代用としてはではあるまい」(「マンガ表現の論理と構造」)、彼のこの宣言は全く古びてない。例えばTVゲームを批評する際でも、マンガをTVゲームに置きかえればよいだけだ。夏目さんはこの本で彼の理念を受け継ぎ、手塚マンガの「独自な表現の論理と可能性」を見事に分析している。それで以前読んだ「マンガはなぜ面白いか」をみると、その分析はさらに洗練されていると感じました。
あと、この本で石子順造にも興味を持ったんですが、ほとんどの本が絶版ですね。残念です。
- 120 :P :2000/09/13(水) 01:46
- 土曜倶楽部ビデオ。そりゃすごい。
でもあのころ夏目さんはまだ40そこそこか。
すでに年齢不詳の怪しさを漂わせておられたが。
今度は筋肉質になるのか。ちょっといやだな(笑)
それにしても「マンガの読み方」は再版してほしいな。
道標を作った本だと思うから。
これからマンガ評論の分野が発展してどんどん精密な理論が提出される
ようになったら「かつて前掲書1によってこのような分析がなされた」
というように、参考程度の引用にとどまるかもしれないけど。脚注で。
でもそうなった時代の評論はわたしは読まない気がする。
- 121 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 01:50
- 漫画を批評する人たちってどうなんだろうなー
批評の文化が発達し出すと、
そのジャンルの衰退が始まるのは気のせいだろうか。
漫画を描くよりも、人の作品を批評する方が面白くなっちゃうから?
夏目房之介さんのことはTVの漫画夜話で見て知っているし、
毎回コメントを楽しみにしているファンだけど、
他の人たちのように質問をぶつける気になれない。
漫画の楽しみって批評ではなく、ただ読んで面白いと思って買う、
それだけだと思うのだけど。
批評家がいいと言うから買うようになったら、
だんだんとダメにならない?
自分は夏目さんのやったことは過去の作品の紹介以上の意義を認めることが出来ない。
誰かが紹介しなければそのまま埋もれていたであろう作品を、
漫画が好きな人たちに再び読ませる気にしたのは意味があると思うから。
自分は世間の漫画の批評本より、2chの漫画板での無責任な感想の方が
面白いし参考になるな。
漫画が今の小説みたいに変な批評主義に毒されて欲しくない。
- 122 :121 :2000/09/13(水) 01:52
- 結局、「頭で考えるな!心で感じるのだ!」ではない?
- 123 :@雀 :2000/09/13(水) 02:08
- >>121
漫画が批評主義に毒される心配は無いと思うよ。
その応えは121さんが既に書いてる
「2chの漫画板での無責任な感想の方が面白いし参考になるな。」
って事だよ。
2chに限らずこういった場が既にあるんだから
いくら、肩肘ばった批評が出回っても影響は少ないでしょうね
- 124 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 02:22
- うんうん批評から生まれてくるものあるんだから、それでいいんだよ。
- 125 :魁!名無しさん :2000/09/13(水) 02:54
- マンガ家志望の僕にはマンガ評論家はウザイ存在です。
でも批評ってどこでもでるものだし、それを必要とする人もいるし。
とりあえず、夏目さんみたいなひとが評論家でよかったよ。
- 126 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 04:07
- 的を外したクソ批評もあれば、ど真ん中を射抜くような名批評もある。
読むに値しないクソ漫画もあれば、人生を変えちゃうような名作漫画もある。
ジャンルに貴賤無し、されどジャンル内にて淘汰は派生する。
良いか悪いか、自分で読んで自分で判断すれば問題ないでしょう。
- 127 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 04:19
- >>マンガ家志望の僕にはマンガ評論家はウザイ
そんなんじゃプロにはなれないよ。
むしろ自分で評論できるぐらいにならないとだめかも。
- 128 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 04:26
- >127
評論する能力と漫画を描く能力は全くの別物。
逆に評論ができる奴ほどいい漫画を描くのは難しくなるんじゃないの?
これを「シベリア超特急現象」と言う。
- 129 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 04:41
- >>125は要は、自分の作品が批判的に評価されるのが恐いのではないだろうか、と勝手に思ってみる。
自信があればそんな弱気な発言は出ないと思うんだけどな。ってことで自信持ちなさいな
(身勝手な思い込みに乗っかった上での発言なので間違ってたら御免)
- 130 :どわ :2000/09/13(水) 04:48
- マンガはその作品単体で完結したものではなく、その時代の出来事や風俗、
先に出版された作品の影響など、さまざまな事と繋がっているんじゃないかな。
だから批評本には、面白い作品を保存する意義もある。…と思う。
また、マンガの面白さを分析するのも重要。
既存の作品を越える、将来の名作への踏み台になるかもしれないじゃない?
- 131 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 04:57
- 自分が面白いなと思った作品があったとして、それを人に伝えたいと思う。
ならばなぜそれが自分にとって面白いのか、どう面白いのかを考えてみるだろう。
そういうのがやっぱ、批評の原点じゃないかなと思うよ。
必要不必要なんて論じるまでもなく、人にそういう欲求があるんじゃないかと
思うのだな。
- 132 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 06:03
- ちょっと前に出てたけど、批評にも「個人の嗜好」って出ると思うんですよ。
絵柄が、ネームが、世界観が、理由はないけどなんか嫌い、って作品がある
として、それを主観抜きで批評することってやっぱできないですよね。
実は良い作品なのに、たまたまある批評家の嗜好に合わないというだけで無視
またはけなされる事もあるかもしれない。
その批評家、評論家の嗜好を知ることも、読み手には重要だと思います。
名無しさんの批評文はなるべくあてにしない、批評家が誉め/けなした作品
を読んでみて、同じ意見ならその後もその批評家を参考にする。
いまんとこ、こんな感じでやってます。
漫画の批評自体、あんまり見かけないけど。
- 133 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 06:09
- 大判になってからの別冊宝島「コミック雑誌なんかいらない!」は
ひどかった。駄文多し。 なーんも参考にならん。
ああいう大御所べた褒め御用評論誌がいっぱい出てくるのは危険だ!
すげー前にAERAからでたムック「コミック学」は良かった。
宝島は最近よくないね。「漫画の読み方」はよかったのに。
- 134 :どわ :2000/09/13(水) 06:32
- ゲーム雑誌でやっている複数人数での新作ゲームの批評みたく、
発売されたコミックスの批評って、どうかな?
あったら結構面白いと思うんだけど。
- 135 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 08:57
- >ゲーム雑誌でやっている複数人数での新作ゲームの批評みたく
>発売されたコミックスの批評って、どうかな?
月に(週に、でもいいけど)どれだけのコミックスが出ると思ってるんだ…。
- 136 :名無しさん@お腹いっぱい :2000/09/13(水) 10:40
- >97
遅レスですが、
「オタク・ジャポニカ 仮想現実人間の誕生」
エチエンヌ・バラ−ル新島進 /河出書房新社 2000/05出版
318p 20cm NDC:361.5 \2,200
書評です> http://www.asahi.com/paper/aic/Wed/d_book/20000607.html#taku
- 137 :夏目房之介 :2000/09/13(水) 10:42
- いやぁ先生はうれしいっすよっ! いいですねぇ。いいところにきてる。
>119 石子順造氏
前にもふれた瓜生吉則氏が、石子と僕の位相の違いに言及し、宮本大人氏とともに、石子の再評価をしてくれてます。本の復刻の話もないわけではない。
>121 批評家がいいと言うから買うようになったら、
>123 こういった場が既にあるんだから いくら、
>126 ジャンルに貴賤無し、自分で読んで自分で判断すれば
>128 評論する能力と漫画を描く能力は全くの別物。
>130 マンガはその作品単体で完結したものではなく
>131 必要不必要なんて論じるまでもなく、人にそういう欲求がある
あなたがたは正しいっ! 読者も作者も批評家のいうことなんか気にせんでよろしい。いい議論だ。批評が自立した表現だって僕がいうのは、そういう意味です。批評性のない作家ってとてつもない名作をつくる可能性があったりするし。
>125 マンガ評論家はウザイ
作家にとって批評家はウザイのがふつうです。
>132 批評にも「個人の嗜好」って出る
おっしゃるとおりで、レヴィ・ストロースは偏見なしにものをみると評されて「人は偏見なしにものをみることなどできまない」と答えてます。
今後も期待します。
- 138 :夏目房之介 :2000/09/13(水) 10:47
- >136さん。本の情報ありがとうございました。
注文します。
- 139 :名無しさん@お腹いっぱい :2000/09/13(水) 10:59
- 夏目先生、ROM宣言したのにもうこれですか。
2chにはまってしまったようですね(ニヤリ
- 140 :>139 :2000/09/13(水) 11:12
- 自分と一緒のレベルでしか相手を見れないのか?
- 141 :どうも :2000/09/13(水) 11:24
- 「夏目房之助の講座」を『「シティバンクの「プレミアム
デポジット」に関する広告』で見ました。
朝日新聞です。日頃から朝日新聞を買っている人は、一見
の価値アリ。買ってまで見るべきものかどうかは、何とも
言えません。
# 他の新聞に載っているかどうかは、まだ確認していません。
夏目さんが広告に関わっている商品を批判するのは、どうも
気が進まないのですが、この広告、メリットの強調はとてもお上手
だけれども、リスクのことに関して(説明しなければいけないこと
が)あまり書いてないのです。夏目さんのマンガが良くないという
より、文章できちんとフォローしていないのが、決定的に悪いです。
オプションを組み込んでいる金融商品だろう、と推測しますが、
夏目さんの名前とマンガ、いい話だということだけで買うのは、
危ないでしょう。買ってしばらくしてから「だまされた」と感じて
しまう人たちがたくさん出ないか、とても気になります。
# このタイプの商品を理解するために参考になるわかりやすい本と
#して、吉本佳生『金融工学の悪魔』(題名はイマイチだけど、内容は
#いいと思う)を挙げておきましょう。
- 142 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 11:41
- 本日届いた『本の雑誌10月号』(本の雑誌社)のP8〜9に、
嵐山光三郎氏が半藤末利子著『夏目家の糠みそ』(PHP)の書評を寄せてます。
末利子さんのお母さんは僧籍の長女筆子さん。
内容は長くなるから割愛。本の雑誌を読んで下さい。読みたくなるから。
う〜ん、才が溢れるなぁ、夏目家。
- 143 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 11:58
- >>134
昔そういう雑誌があったよ。
その月発売されたコミックスの寸評を、点数つけて掲載。
評判はよくなかった。
- 144 :142 :2000/09/13(水) 12:18
- ×僧籍→○漱石です。
- 145 :T :2000/09/13(水) 15:48
- 夕べは夜勤だったもんで、こんなに面白い事になってたなんて全然知らなかった!
私が夏目さんのマンガ批評本を読むのは、第一に「面白い」からなんですね。
例えば「お尻当てクイズ」とか‥‥‥。(笑)
その上で、本を選ぶ時の参考にもしています。
フィルさん
>私はこの情報をここの別スレッドで発見したのです。
情報ありがとうございます。これから覗いてみます。
>札幌ではどんな話が繰り広げられたのでしょうか?よかったら、ぜひ、話しを聞かせてください。
かえすがえすも残念なのは、このイベントを不法録音しなかった事です。(笑)
予定の時間を大幅にオーバーし、放送では使えない濃い話しばかりだったので
なんだかすぐには思い出せません。
とにかく腹を抱えて大笑いした事だけは憶えているんですが‥‥。
ちなみに夏目さんは例によって体調を崩して風邪をひき、
舞台の上で出演者の目を盗んで寝てました。
- 146 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/13(水) 20:35
- スレッドとかんけーないけど、なんで札幌でやったんだろうね?
- 147 :フィル :2000/09/13(水) 23:04
- Tさんに。
札幌ではずいぶん面白い話が聞けたようですね。うらやましいかぎりです。
TVの方では、大友さんの作品は「童夢」をすでにやってしまっているので、私たちが話を聞ける機会はまずなさそうです。なにか思い出されたら、ぜひ、書き込んでみて下さい。文章にするのは面倒そうなので、箇条書きにするといいのかもしれません。
たぶん、ここを見ているみなさんも話を楽しみにしていると思いますよ。お願いします。
- 148 :T :2000/09/13(水) 23:53
- >146さん
イベント当日、誰の発言だったか忘れましたが
「BS加入率の悪い北海道を狙った」らしいです。
- 149 :夏目房之介 :2000/09/13(水) 23:54
- >141 『「シティバンクの「プレミアム デポジット」に関する広告』
前にも書いた「そっくりの完成原稿のラフを送ってきた仕事」とは、これです。
広告の仕事はあまり受けないのですが、描くことはすべて代理店と発注者でつくっちゃってますね、この場合。
僕はほんとに絵を描いたのと、部分的に直しただけでした。お金ほしさの仕事です。
リスクの問題は当然あるでしょうから、あれを読んで「それならやってみようか」なんて考えないほうがいいでしょう。
金融商品は自己責任で勉強してから買うのが原則でしょう。
無責任なようですが、私も高潔な孤高のマンガ家ってわけじゃないので。
>145 札幌で寝てたってのは比喩でしょうな。僕は寝てないです。調子は悪かったけど。
たぶんナルコレプシーじゃないと思うぞ。
- 150 :P :2000/09/14(木) 00:23
- >143
点数とかつけ始めるからおかしくなるんだよなあ。
ちょっと前、文芸評論家福田和也が現代の日本小説について
レベル分けした本を出してたけど、最たるものです。
なら評価の低いものから順に読んでやろうと思った私は天邪鬼。
- 151 :>149 :2000/09/14(木) 00:26
- おじいさんの肖像画を集める為には、
致し方無いコトだっだのでございましょう。
- 152 :T :2000/09/14(木) 01:04
- 夏目さん
>札幌で寝てたってのは比喩でしょうな。僕は寝てないです。調子は悪かったけど。
ホントに調子悪そうでした。太極拳を始めて、少しは抵抗力が増したでしょうか?
フィルさん
>札幌ではずいぶん面白い話が聞けたようですね。うらやましいかぎりです。
なにしろこのイベントの為に、有休を三日も取った大バカ野郎ですので‥‥。(笑)
でも、それだけの値打ちはありました。
>なにか思い出されたら、ぜひ、書き込んでみて下さい。
まず、なぜ再び大友作品なのかという事では、「BSマンガ夜話」第一回目の放送の「童夢」では、
ペース配分が分からずに語り残した事があったからだそうです。
岡田さん曰く「手塚作品でもよかったけど、それは本編で‥‥」という事でした。
それはいったい、いつの事やら‥‥‥。
それと出演者の一致した意見として、大友作品は後期の長編よりも、
初期の短編の方が面白い(好き)という事です。
・初期の作品は「とんでもない天才アマチュアが現れた」
・後期の作品は「完成された(形の出来上がった)プロの仕事」
というような表現がされていたと思います。
それだけに、後期の作品(特に長編)は面白みに欠ける‥‥という事だったと思います。
いしかわじゅんさんと大友さんはご近所だそうで、大友夫人と時々町内で出くわすそうで、
ちょっと面白いエピソードが聞けました。
大友夫人「この間旦那が『俺、漫画は止めようかと思っているんだ』って言ったんです」
いしかわ「えっ、まだ止めてなかったの‥‥」
ツッコミが入ると色々と思い出すかもしれません。
なにしろこのイベントは今年の1月でしたから、記憶も曖昧です。
誰か他にこのイベントに行った人いないかなぁ〜。
あっ、一人いた!それは夏目さん。(笑)
- 153 :夏目房之介 :2000/09/14(木) 01:33
- >152
だけど、その僕は寝てた、と(笑)。
たしかに面白かったけど、あれはテレビに流せないどころか、本にすら危なくてできないようなきがする。
最後のほうなんか、ディレクターが放送もしてないのに、ダメだしてたもんなぁ。
前半が「気分」論で、後半が夜話についての楽屋話だった気が。
僕は、その頃から薬がきいてきて(前夜熱をだして、一晩中タオルや下着をかえてた)妙にハイになっていた。
「夏目の目」では、70年代初期大友から80年代後期大友への表現上の変化をやった。
それと、その変化に矢作の原作がどう作用したかという話をしたはずです。
- 154 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/14(木) 01:33
- 大友って最後に漫画描いたのいつなんだ?
そういえばいしかわが、夜話の宮谷の回で
「大友も漫画界の中心にはいられなくなったという自覚があるから
最近は描かないんだろう」
みたいなこといってたな。
- 155 :夏目房之介 :2000/09/14(木) 01:59
- >154 いしかわが、夜話の宮谷の回で 「大友も漫画界の中心にはいられなくなったという自覚があるから 最近は描かないんだろう」
みたいなこと
うるさいこというようですが、たしかにそれに似たニュアンスのことはいっていた記憶はありますけど、こうした発言内容は正確でないとつまらない余波を生みかねないので、もし、ビデオにとっておられたら、確認されてからのほうがいいと思います。
こうした対話もネット会議室の面白さという見方もあります。でも、喫茶店での私的な会話ではなく、やはり半公開的な意味合いをもつと僕は思うので。
ちなみに、僕は「噂の真相」みたいなスタンスが甘えに思えて、資質的にも好きじゃないので。
大友さんは、すでに70年代の物語の解体という主題から80年代の再構築に転換し、そのあと主題を喪失し、モチベーションをもちえなくなってると僕は思っています。
いしかわさんの意見も、それに近かったと記憶します。
ま、あの人のもののいいようは、誤解を生みやすいですけどね。
そこが面白いとこでもあるが。
さて、うるさいジジイをやったところで、今日は寝よう。
明日は水泳だ。
- 156 :154 :2000/09/14(木) 02:06
- そうですね、すみません。夏目さんが上の方で
同じ事を注意されてましたね。一応謝っとくand誰か訂正して。
- 157 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/14(木) 03:09
- >154 今、ビデオ見見てみました。
いしかわ
「ただ、宮谷がだんだん時代とずれていった、
大友が、まあここの所何年か書いていないという事は、
本人も真中にはいられないと思ったいう事だと思うんだけど、
そういう風にずれていってはいても、やっぱり普遍的な
部分て、やっぱ共通する何処かに一本あると思うんだよね。」
と言っていました。多分これであっていると思います。
気になる人は自分でも確認してみて。
- 158 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/14(木) 10:27
- >154
「Batman:Black & White」に妙な短編一本描いて、
ちょっと話題になっって・・・それから?
- 159 :名無しさん@お腹おっぱい。 :2000/09/14(木) 12:19
- 大友氏が手塚治虫の「メトロポリス」の映画版で脚本を書いてますが、劇場公開されたら見に行かれますか?
- 160 :名無しさん@お腹おっぱい。 :2000/09/14(木) 12:21
- 大友氏が手塚治虫の「メトロポリス」の映画版で脚本を書いてますが、劇場公開されたら見に行かれますか?
- 161 :名無しさん :2000/09/14(木) 14:27
- e-sekaiでの書評は何処に掲載されているのでしょうか?
HP上には見あたらなかったもので。
教えていただけると有り難いです。
- 162 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/14(木) 16:54
- >159・161
夏目さんはもう質問応答は凍結されたよ。
- 163 :どわ :2000/09/14(木) 22:22
- プロでもない限り、マンガを批評する上で自分の嗜好を気にする必要はないと
思うんだけど、出来るだけ一般性のある批評って、どうすれば出来るんだろう。
漫画家の背景や技術的な解説を聞くのも十分に面白いのだけれど、それってマンガ
の面白さなのかな?
考えてみれば漫画家って、賞の選考委員や編集員など、読者の目に触れるまでに
さんざん批評にさらされるよね。
「人は偏見なしにものをみることなどできまい」では、すまされない問題だと思う。
うーん、気になる。
夏目さん、批評する時にどのような事に気を配ってるのか、お暇な時にでも教えて
ください。
- 164 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:05
- このスレッドの影響で、図書館の房之介さんの本をありったけ借りてきました。
恐らく今全国各地の図書館では房之介さんの本は品薄でしょう。(笑)
ところで「古典教養そこつ講座」のシェークスピアの回で、
「シェークスピアの時代の英語も今の欧米人がいきなり読んで解るものなのだろうか」
と書いていらっしゃいましたが、これ、「解らない」らしいです。
「日本人はシェークスピアを意味が分かる言葉で読めて良いなぁ……」とはさる欧米人の弁。
……って、7年前に書かれた記述にフォロー入れても遅いんでしょうけど、一応。
- 165 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 00:10
- 質問は凍結中なので、何となく独り言。
e-sekaiってHPで今年7月まで7回くらい書評を書いた。
永井均「マンガは哲学する」村上龍「失われた10年をめぐって」などで、多分8月まではみられたと思うけど、もうないのかな。
書評ってすきなんだけど、本にすると売れないのがつらいなぁ。
僕の場合、書評とはいっても、まずはエッセイ的な部分から入り、自分の生活感とつなげる感じで書くのが好きなので、エッッセイ性もあるんだけど。
生活実感から感覚的に膨らませるのをエッセイとよんでるけど、これは日本式外国語なんだろうか。
英和辞書には「随筆、小論、仮説」などとあるから、向こうじゃちょっとした論文もエッセイとよぶみたい。
フランス語だとエセーかな?
そういう感じって、生活の場から思索、理論的探求につながる気がして、いいですね。
- 166 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 00:20
- 続き。マンガを読んでて何かいいたくなって、高校の頃から感想を書いてたけど、わりと最初から自分のなかのマンガ体験を書くとかってスタイルだったな。
だから、随筆っぽさにちょっと俯瞰的な観点をまぜたようなもんだったように思う。
大学の頃、自分の嗜好と客観性をどうわけるのかわかんなくて、いつもそこでぼちゃごちゃになってた。
だから「漫画学」は、まだその延長。村上知彦さんの「私」性を批評にかえる方向は斬新だったな。
でも、僕は彼が迷いなく「我々」とか「ぼくら」って書く共有感がなく、それやっちゃ駄目って思ってた。
手塚論なんて、もっとも書けないと思ってた。だって父親のように愛憎があるんだもんね。
手塚の死で、ふっきれたというより、させられたって感じですね(続く)。
- 167 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 00:27
- そんときわかったのは、僕ができるだけ客観性をもたせようとして表現のしくみってところから考えても、その枠組みが手塚論ってとこにあるってこと。
たとえば、手塚の描線がTVアニメ以前と以後で違うっていう評価が、僕や同世代だと以前が本物で、ポジティブってことになる。
でも、若い人は逆だったりした。ここでは、評価の客観性は描線という具体性で証明できるけど、嗜好が評価の感性的内容を変えるってことだった。
要するに、書かれた言説の内容にはいくえにも嗜好と客観性が重なってでてくるんですね。
でも、それをより客観的で中性的な枠組みに読み替えることは、時代がさがればできるのね。
- 168 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:31
- 長いひとりごとですなあ・・・いいひとだ。
じつはただおしゃべりなだけだったりして、なんて言ってみる
- 169 :メダ絵師α :2000/09/15(金) 00:33
- タダでエッセイが読めて、お得な感じですね。
- 170 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 00:35
- 結局、それを繰り返す過程が僕の批評で、手塚の枠組みを相対化するために梶原、水木など、日本マンガを相対化するために海外の取材ってね。
で、いつも戻るのは「面白さ」。ひとつは、なんでマンガって面白いのかってこと。
もうひとつは、自分も読者も面白いものを書きたい、ってこと。
これは、つまりマンガそのものに面白さとは原理的にちがう。批評は自立した表現だからさ。
似たような要素は、編集者の意見にも、読者の感想にも、ある。
編集者はより商業的効果に傾くし、読者は嗜好に偏る。でも、誰のなかにも大なり小なり批評家、編集、読者、描き手がいると思っている。
(続く)
- 171 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 00:46
- 嗜好といい客観性っていっても、言説の過程のなかに混ざってあるもんなのね。
その展開過程の志向するところが普遍性。でも、これは実体的に存在しない。
だから、過程の層が僕にも、ここの書き込みにもあるんですよ。
ここでの応酬にも、僕は興味深い読者性や批評性や多くのものをみてとることができる。
おまけに対話が好きなおしゃべりだから、ハマっちゃったんだけどさ。
ちゃんと自分のフィードバックになってる。
僕のなかの読者から批評への層は、ちょうど随筆と論文の言葉の位相変化に対応でしてるんじゃないか、と。
言葉って個人のなかでも、時代のなかでも生きて展開変化する生き物だから。
ちなみに、英語はたしか15,6世紀頃に、大きく変化した。
それまではKnighのKを発音してたとか、聞いたな。(おわり)
- 172 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:49
- 議論がとりあえずクールダウンしたとこで口をはさませて。
これだけ批評について議論されてるとこになんだけど、
僕は「批評」とか「評論」とか呼ばれているものと、そうでない文(感想文とか? あとは夏目先生のおっしゃるエッセイ)の
はっきりとした違いがよくわからない。
でも、このスレのみんなはわかって批評とか評論ってことばを使ってるんだと思う。
いきなり厨房なこと書いて悪りいけど、その違いを理解するっていうか、批評とはこういうものだ、というのを理解するために何読んだらいいか誰かアドバイスくれないかな。
(もし暇があるなら、もちろん説明してくれてもいい)
あ、夏目先生の著書は注文済みなので、とりあえず除外(特にこれ、というならいいけど)。
むかし、批評とは読むものの価値観を根底から揺さぶるもの、とか聞いたような気がするけど、それって定義とは違うよね。
- 173 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:52
- >172
夏目氏がいま書いてることじゃねえのか
- 174 :どわ :2000/09/15(金) 00:53
- はぁ〜夏目さん、なんていい人なんだ。お忙しいだろうに。
こりゃ、著作を買って還元しないといかんな。
- 175 :這い寄る混沌 :2000/09/15(金) 01:50
- 【ゲームの行く先を議論する】
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=famicom&key=967836422&ls=50
ゲームを語るという次元を超えています。
マンガ論にも還元できるかと。
夏目先生、また覗きに来てくださいね。
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 01:56
- たしかにゲームを語るという次元を超えている・・・ついていけん。
・・・じつをいうと俺が立てたスレなんだが・・・<ゲームの行く先を議論する
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 02:17
- >165〜171
誤解している様でしたらごめんなさい。
夏目先生が仰ってるのは、批評のなかに嗜好と客観性を両立しているようで、
なにか不毛な気がするのですが。
漫画の批評が、漫画の優劣を決めるものであるのに、その価値を置く規準に、
一方で個人的な嗜好、一方で客観的な、と、言ったのでは評論にならないと。
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 02:19
- >177
漫画の批評は漫画の優劣を決めるものなの?
- 179 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 02:55
- あの、面白いことにゲームのほうでも言葉の問題がでてますね。
言葉が、言葉の選択や差別化のためのレベルに入ると、必然的にトリッキーで難解で複雑になります。
「わかりやすく語れなければ、その言葉は自分のものになってない」って言い方がありますが、これは一半の真理です。
そこで終わらないのが言葉の問題で、言葉を生かしていくためには、いつもこれを往還しないといけない。
だから人は言葉にふりまわされるんだけど、こういう「言葉」だけが匿名で飛び交う場所では、かなりそれが急速に、あるときは拙速に展開するように思えます。
このへん、ちょっと今書いてる単行本にも書いたので、参考まで。
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 02:55
- >177
批評というのは、作品を掘り下げるものかなーと思います。
もちろん、基準を規定して優劣を批評することもできるでしょうが、作品の掘り下げにはつながらないでしょう。
- 181 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 02:58
- あ、今、夜話のキネマ旬報本の再校やってるんだけど、「編集王」はおかしい。
自分で笑ってしまった。
大槻ケンヂさん、やっぱいいわぁ。
では、本日はこれにて、お休み。
- 182 :どわ :2000/09/15(金) 02:59
- >172
手近な辞書を引いてみると
批評=物事の長短・優劣などを論じて価値を定めること
評論=物事の価値などを批評して意見を述べること
感想=あることに対して心に感じたおもい。所感
とあったよ。
でも、実際には混同して使われることもあるだろうね。
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 03:03
- 夏目先生、何気に溶け込んでるなー(笑)。
- 184 :P :2000/09/15(金) 03:15
- >178
明らかに、違います。それが夏目さんが繰り返し言ってる
「マンガと批評は独立した表現だ」ということで。
しかし、ある作品についての批評が、まだその作品を知らない読者候補者
たちに対して、なんらかの情報検索基準を与えることもまた事実です。
(要するに読んでみよう、とか読むものか、という気にさせる、ということですね)
夏目さんの論で一番印象に残ったのは、さりげない
>マンガを読んでて何かいいたくなって
というとこです。
ここにいる人は皆そうでしょうが、世の中にはそうでない人もいます。
(この断言に関して夏目さん他から反論がありそうですが)
別に自分が「何か言いたくなる」ことを不幸だとは思いませんが、
ただ「おもしろい」「つまんね」だけで済ますのも「いいなあ」と思う
ことがあります。
「おもしろい。なぜなら」なんて言わなくても、マンガは楽しめればそれで
十分OKだし、またある意味それが正しい姿だとも思うのです。
- 185 :どわ :2000/09/15(金) 03:32
- >177
個人の嗜好に依存しないでマンガの面白さを語る事ができないならば、
その事を前提に、面白い批評の為に自分の嗜好を盛り込んでいくのも
手なのかなと思う。
発言番号131で書かれている方もいたし、僕もまったく同感なのだけれど、
面白い作品は人に伝えたいですから。
- 186 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 03:34
- サッカー観てましたか?
- 187 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 03:38
- 名前変わったね。
- 188 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 04:02
- 会話してて、共通の話題がある、しかもそれが双方が好きなものだったら会話は楽しくなる。そうでなくとも、少なくとも円滑になる。
こういう掲示板でもそうだけど、そういうもんだよね。
でも、「俺はこれ好き」「俺も俺も」って言うだけならレベルが低いとされてる。馴れ合いとかね。
特に日本人は他人と同じだと安心するって言うし。
夏目サンの言う、
>マンガを読んでて何かいいたくなって
っていうのは、もちろん「このマンガ面白いよね」「俺も俺も」程度のことじゃないんだろう。
182で批評とは価値を定めることっていうのがあったけど、「これは面白い」というのは価値を定めていることにはなる。
だけど、それこそ「なぜ面白いか」というところまで踏み込まないと、批評とはいえないだろう。
やべ、結論ねーや(藁
- 189 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 04:06
- 岡田なかが言うオタクって、知識の量を競いあって、他人より深くその作品を理解しようと張り合ってるもんだと思う。
で、その作品に対してはウンチクもすごいし、見方も深読みしてる。
というと、オタクは批評的なのか?
だが、「ラムちゃん最高ーー」とか言ってるのはなぜだ。
- 190 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 04:30
- 夏目さん、これから「名無しさん」は「ああっ名無しさまっ」になるみたいです。
ううーん、マニアック。一人のHNではないのでご注意を。
で、
>189
岡田斗司夫はオタクの定義についてこう言ってます。
「・・・つまりファンやマニアとオタクとの差は対象と自分との関係を振り返れるか
どうかなんです。(中略)銀河旋風ブライガーが好きなら、ただブライガーがいい!
と叫んだりアイテムをコレクションしたりするだけでなく、なぜ銀河旋風ブライガー
という作品が自分にとって素晴らしいのか、特殊なのかを自分の言葉で語らねばなら
ないのです。当然、これには好きなだけ、集めるだけとは一線を画した、高度な知性
が要求されるでしょう」
(『東大オタク学講座』p5〜6)
たしかに、ここで語られているオタクというのは批評的といえるでしょうね。
実際はそんなオタクって滅多にいないと思うだがなあ。
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 04:31
- >>189
>だが、「ラムちゃん最高ーー」とか言ってるのはなぜだ。
その辺の要素はありますね。
まじめに話せば(又聞きだろうが聞きかじりだろうが、あまり理解される事が無いかもしれない薀蓄だろうが)面白そうな事を言っているのに
場の緊張感に絶えられなくなったのかいきなりアニソンや「○●萌ぇ」などと言ってまとめにしてしまうのはちょっとと思うことがあります。
自分の発言に対して批判される可能性を回避しながらも、目的の作品に対して批判的であろうとする為の技なんでしょうかね?
- 192 :花と名無しさん :2000/09/15(金) 04:41
- >>189
それについては宮台真司の興味深い分析があるんで引用。
<岡田斗司夫みたいな原オタク世代は、私は「オタクの階級闘争」と呼びますが、
ウンチクを競っていました。どちらが知ってるか、どちらが正しいのかと真理値闘争をする。
だからこそ《オタクもいよいよ国際的だ》などと上昇したがるわけですね。
これは世間で上昇できない人たちの「もう一つのマッチョ主義」だったので、
世間から差別されましたが、最近のオタクからはこういうマッチョ主義的な真理値闘争は
消滅し、”ときメモ”なら”ときメモ”の話題一つで延々と戯れる幸せだけを
追求するようになってます。>
(宮台真司「自由な新世紀・不自由なあなた」P.46より)
- 193 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 04:53
- 前にも何度か出てるけど、批評や評論ってのは対象の解体と再構成なわけで、それが個人の行為である以上その嗜好が(指向、思考と言ってもいい)反映されるのは当然のことでしょう。例えば、ひとかたまりのブロックをバラす時のバラし方に個人差があるように、評者がその作品を受け入れる時点で既に「完全な客観性」は存在しえないんだから。
そんでそもそも「ものをみる」行為ってのもまたすべて行為者による「対象の解体と再構成(つまり、対象の様々な要素が無意識的に抽出されて=解体、自分の記憶や感情と反応して新たな感情を形作る=再構成、ってこと)」なんであって、それは私達が何かの作品について書かれた文章を「みる」ときにもあてはまる。完全な客観的評価を手に入れてそれを自分の判断基準にすることができるんじゃないか、ってのは幻想にすぎないんじゃないかな。また184さんのいう「何か言いたくなる」ってのは「ものをみる」先にある別個の行為なので、漫画を読む上での正しい姿云々とは関係ないでしょう。多分。
で、ついでにいうなら感想ってのは最初の「ものをみる」行為そのものの「解体と再構成」の過程を言語化したもので、批評・評論はその「再構成」の際に自分の記憶や感情以外の情報を反応させる事…なのではないでしょうか。そしてその二つの違いは、批評は評者個人の世界観を「再構成」の軸に据え、逆に評論は普遍的(と評者が捉えている)価値観を軸に据える、といったカンジだと思います、ハイ。
- 194 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 04:54
- うあ、改行わすれてた。
- 195 :夏目房之介 :2000/09/15(金) 04:57
- 再び登場。笑うな。でも、これ書いたら寝る。
>184 「おもしろい。なぜなら」なんて言わなくても、マンガは楽しめればそれで 十分OKだし、またある意味それが正しい姿
その通りでしょ。だから、僕のなかにもいしかわさん、岡田さん、それに、ここにる人にも、「あれ好き」「これ嫌い」「ラムちゃん、最高」はあるでしょ。
それがはじめになきゃ、ここまでこないし、それ忘れたら、どんなに厳密で客観的な分析でも、面白くないですよ。
「これ、いい」「なぜなんだ」の繰り返しで、ここまできちゃうんだから。
でも、そんなのいらない人は、逆に業が深くないんで、いいんですよ、ほんとは。
僕は、さよならさよならのおじいさんが昔「映画が好きだから、どんな映画でも一生懸命いいところをさがして紹介したい」って趣旨のこといってた記憶があって、ああこの人はすごい。プロだって思いました。
だから、自分ではマンガのジャッジはしたくない。
結果的に影響を与えるのはしかたないし、それは基本的に受け取るほうの問題だから。
そのことをフィードバックするためにも、ここにきてます。
じゃあね。
- 196 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 05:13
- >さよならさよならのおじいさんが昔「映画が好きだから、どんな映画でも一生懸命いいところをさがして紹介したい」って趣旨のこといってた
私も聞いたことがあります。
その媒体が好きで、ちゃんとした批評もできるんだけど、
それで終わらずにその媒体のスポークスマンとして社会的役割を担おうとしてるっていうか。
というか、あまり批評家とかに詳しくない私からすると、
映画 故・淀川さん
漫画 夏目さん
広告 天野さん
って感じで、この三人は同じポジションにいるような人のような印象を持ってます。
あくまでイメージですけど。どの分野も詳しくないし、
それぞれの人の著書も全部読んだわけじゃないのですが。
特に夏目さんと天野さんって雰囲気とかテレビでの語り口なんかも似てると思うし。
あっ、夏目さんの方がずっと男前ですがね。(笑)
- 197 :名無しさん :2000/09/15(金) 05:14
- 192がらみで、既に此処は周知のサイトかもしれ
ないけれど、オタクの在り方を各論者がセクシャリ
ティとも関連づけつつ分析しています。
http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/project/ml-reviews/sentoindex.html
- 198 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 11:13
- 私のまわりの自称「オタク」は、仲間うちだけで知識やウンチクを語り、
それを分からないという人、または、反対意見を持つ人を、
「アイツはバカだ、分かっていない」とひとくくりにしてしまう人ばかりでした。
でも上に書かれている内容を読んで、そうじゃない「オタク」もいるのか!
と、世界が狭かった自分を恥じつつ驚きました。
作品やジャンルについて、「分からない」という人にまで良さを語れるオタクなら素敵ですね。
- 199 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/15(金) 18:10
- 「オタク」の人って、この作品の良さを分かってもらいたい、とか一緒に語りたい
って気持ちがかなりあるから、自分の持ってるマンガを好きなだけ貸してくれる。
意外とジャンルにこだわらず、いろいろ持ってる人もいるので、友達になるといろ
んなマンガをタダで読めてお得。
- 200 :Y :2000/09/15(金) 19:10
- またまた面白くなってますな。
批評行為ってのは、自分としては「解体」」とか「再構築」とかいう言葉を持ち出すと
分かりにくくなると思います。
要は「オレ、このことのこんな側面にこんな関心をいだいているんだけど、
なんでオレがこんな関心を抱いたか、つうとこういうワケよ」
だと思ってます。
だから、ジャッジメントなんて、批評行為とは程遠い。
自分がなぜ何かを面白いと思ったか、その面白さとはどういうものか、
そしてその面白さは他のものごとではどのような形でたちあらわれるのか、
ということはいえるにしても。
- 201 :Y :2000/09/15(金) 19:20
- ところが、「オタク」に関していえば、
この「オレの関心の訳」を、「オレの関心の努力量」に変換するという、
非常に不思議なあり方をしているわけですね。
岡田氏が一見、批評のように見える文章を書いたとしても、
それは「オレの関心の訳」を掘り下げるのではなく、
「オレは自分の関心のためにこんなに頑張ってる」ことをアピールしている。
それは、批評ではなく、むしろ百科事典派的立場だと解釈すべきでしょう。
別にそれが悪いわけではなく、荒俣博さんなんかも似たようなもんだと思います。
ところが問題はもう一つあって、これらの「オレの頑張りアピール」が、
夏目氏のいう「マンガと批評は独立した表現だ」と、
一見似たような立場を獲得してしまっていることです。
それが、今のマンガ批評の足をひっぱる原因ではないか、
と私は見ていますが。
(そしてBSマンガ夜話が面白くなる原因でもありますが)
- 202 :どわ :2000/09/16(土) 00:28
- >201
なんだか面白い着眼点ですね。気づきませんでした。
オタクも好きな作品の批評はするけれど、他の批評する人たちより、
他人に認めて貰おうとする気持ちが強いということなのかな?
批評より、知識量や収集品のほうが容易に評価を得られるという理由で。
批評する人は、自分の好きな作品について、他者と楽しみを共有したい。
他者に認められたいオタクは、自分の考えや努力を競い合うけれど、
自分の評価を守るために、異論や批判を嫌う。
そういう事ですか?
うーん、勘違いだったら恥ずかしいな。
- 203 :旧1 :2000/09/16(土) 08:00
- オタクって普通は仲間内にしか好きな作品薦めたりしないよねぇ。
(差別されるようになってからは特に)
…あたしゃ厨房(中学生)ん時、担任の先生にまでガンダム薦めた
大馬鹿野郎でしたが。(本当に厨房…あの頃はアニメの地位向上に燃えていた)
オタク自慢も通常仲間内で完結するのが一般的。
一般人相手に薀蓄語っても通常引かれる事ぐらいわかってる。
(まんが等を貸す、という行為は無言で出来るので多用)
オタクの薀蓄も好きな作品にのめり込んだ「結果」であって、
冷静な批評とは全く別物では。
エヴァ好きが、エヴァが世間で評価された時に、自分がいかにエヴァに詳しいか、
ハマってるか自慢するのはエヴァの評価に気付いた自分もしくは自分含めたオタクを
自慢しているのであってエヴァを評論している訳ではないと。
- 204 :177 :2000/09/16(土) 15:52
- 言語の定義上、よほどの理由が無い限り、慣習には従うもの。
『独立した表現』と夏目先生が言うのは、
既存の批評の意味では間に合わなくなった先生独自の考え、
と、理解しているのですが間違いでしょうか。
結果的に、夏目先生が批評として世に出したものなら、
批評の性質上、それはジャッジに使われるわけですし、
だからこそ批評は普遍性を求めるのでは?
ルールは公平なものにすべきでしょう?
- 205 :@雀 :2000/09/16(土) 22:08
- >>177>>204
ん〜と、批評対象に向き合う時まず自分が何所に立つのかと云うのが
有るじゃないですか。
そこの所を「俺が面白いと思うか思わないか」で設定した場合
他者いかなる批評もジャッジメントには成り得ないし
また、批評者も読み手のその部分にに関しては聖域として
踏み込む事は出来ないし、しない事を前提にして初めて批評は
成り立つものじゃないでしょうか?
マンガ夜話でいしかわ番付と言われてる作家の絵画的表現力の評価は
客観的でジャッジし得るものだけれど、放送内で繰り返し
絵の評価と作品の評価はイコールじゃない、マンガは絵を含めて
トータルで作品なんだと繰り返されるのはそういう事だと思います。
「ナニワ金融道」を感動の名作として評価するかギャグ漫画として評価するか
ハウトゥー物として評価するか、それは評者に委ねられているし
その選択は個人の嗜好の範疇に入るけれど、具体的な批評内容については
客観的である必要がる、そういうことなんじゃないですかね。
「トンデモ本」って評価軸に出会ったときは、ひっくり帰りましたけどね
でも、おかげで切り捨ててきた作品を拾い上げれるようになって
すっごく、得した気分でした(^^;
- 206 :どわ :2000/09/17(日) 00:56
- 夏目さんは「マンガ・コラムニスト」で批評家じゃないよ。
…って言っても、しょうもないか。
でも、批評やコラム等の言葉を掘り下げていっくのはともかく、
夏目さんの文が批評として、どうだこうだと話してもそれこそ
しょうもない。
夏目さんは自身のやりかたでマンガと向き合っている訳だし、
読者としては、面白ければ買うんだよ。
- 207 :P :2000/09/17(日) 04:40
- ふいー、やっと入れた。
>201
>「オレの関心の訳」を、「オレの関心の努力量」に変換する
これは面白いですね。
また、努力も、その対象が好きでやっているのと、
なんらかの別の動機(サークル内で大きな顔をしたいからとか、
また対象によっては試験に受かるためとか)でやっているのとでは
また質が違ってくると思いました。
でも後者の動機で血道をあげる人をあまり笑うべきでも
ないんでしょう。そういうことをするのは
多かれすくなかれ誰でもあることでしょうから。
- 208 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/17(日) 04:46
- DNSがお亡くなりになってる時用
http://216.218.139.83/test/read.cgi?bbs=comic&key=968418423&ls=50
- 209 :P :2000/09/17(日) 04:49
- >204
204さんは「批評の性質上、ジャッジに使われる」と言うし、
夏目さんは「ジャッジはしたくない」
「読者も作者も批評家のいうことなんか気にせんでよろしい」と言う。
作品の絶対的価値が計測できるものでないことは当たり前のことである以上、
夏目さんの行き方が正当であるとは思いますが、
他方204さんの言うこともまたわたしには説得力を持ちます。
批評家にも「自分の批評はジャッジだ」と考えている人もいるでしょうし。
批評家(あるいは批評を読む者)の拠って立つ場所が違う
ということではないでしょうか。
もっと取りつくしまもなく言えば定義の違いか。
でも「批評はジャッジをするものだ」という定義が絶対、
あるいは慣習であるとはすくなくともわたしには思えませんが。
DNSが直るまでは夏目さんは来ないだろうなあ・・・・
- 210 :旧1 :2000/09/17(日) 05:49
- 夏目先生は、まんがの面白さや可能性を世にひろく紹介する仕事をしていると考える。
その中で、客観性と嗜好性が織り交ざっても問題ないのでは。
既に御本人も語られてみえますが、面白さを語るのに嗜好性を完全無視はできないでしょう。
映画評論家の淀川さんが、映画が大好きで、映画の楽しさをみんなに知って欲しくて、
その映画の欠点より良さをなるべく紹介している。(不正確な引用ですが(汗))
御本人も言ってみえるように同じスタンスなのでは。
夏目先生の批評がジャッジに使われたとして、そのスタンスから、
概ね肯定的な方向になりますわな。
肯定的(面白い)、というジャッジにいくらかの嗜好性が含まれても
そんなに問題ないのでは?もともと面白さを紹介するのが目的なんだから。
オタクは嗜好を徹底追及する人達だと思うけど、そういったファンを生むのも
その作品の魅力ゆえであろうから。
- 211 :@雀 :2000/09/17(日) 09:11
- あ、そうだ。
評論対象にマンガを選んだ事だって充分に恣意的だよな。
- 212 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/17(日) 17:49
- >204
それは宮台言うところの「第一世代マッチョオタク」の場合ではないか。
- 213 :メダ絵師α :2000/09/17(日) 23:24
- どうでもいいけど、
旧1さんは、このまま掲示板が続くと初代1さんになるのだろうか(^^)。
- 214 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/17(日) 23:38
- 真1さんと呼びましょう
- 215 :旧1 :2000/09/18(月) 00:06
- ver.3のスレッド立てて、「1」の称号を
取り戻すつもりでいます。
(何かレベルの低い事目指してるなぁ)
- 216 :あぁっ名無しさまっ :2000/09/18(月) 00:14
- ううむ、プライドだねえ<旧1
俺はこのスレッドの1だったりするがぬしに気をつかって名無しで書きこんでいたりする。
こんどは新スレ立てられるように頑張ってくれたまえ。
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