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ネットだから書ける貴方の人生物語

831 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/18(月) 01:55
78年大阪生まれ 男 自分は頭が良いと勘違いしている両親の次男に生まれる。
兄(4つ上)一人。今大学生4年。

>保育所時代

 親が共働きだったため、迎えに来るのはいつも最後だった。今でもあの淋しさは
 忘れられない。しかし母親の愛情は過保護に近かったため、性格は歪まなかった。
 アトピーで苦しむ。アトピーのせいで好きな女の子から嫌われる。

>小学校時代

 勉強も運動もそこそこできた。低学年まで放課後は、学校内の親が共働きの子が
 預けられるところへ行く。卒業まで昼休みは必ずドッチボールをしていた。
 運動は得意だと思っていたが、通知表は体育5段階でいつも3だった。
 父親は転勤ばかりでほとんど一緒に暮らした記憶がない。父親は酒乱でニコ中
 だった。酔っていないとおとなしいが、飲むとからんできてた。母親といつも
 喧嘩。このことがトラウマとなり、タバコと酒というモノ自体に嫌悪感を持つ。

 4年生くらいの時、夜目が覚めると両親の会話が聞こえた。どうやら父親が
 また借金をしたらしい。また借金して!と母親があきれていた。この時点で
 父親のことが完全に嫌いになる。その借金は計算ずくで、母親の親の遺産を
 計算に入れての借金だと後に判明する。最低な奴だ。
 兄が高校に合格するが、馬鹿な父親からレベルの低い学校だと勘違いされ、
 虐待されていた。昔はドキュン高校だったらしい。
 今は偏差値60くらいだと思う。この時点で家族から父親は相手にされなく
 なった。小学生だったので逆らえなかったのが悔しかった。アトピー治らず。

>中学校時代

 バスケ部に入り、3年夏の引退までがんばった。勉強はあんまりしなかったし
 成績も中の上というところ。相変わらず父親は酒乱で手がつけられなかった。
 しかし兄が理不尽な言いがかりにマジギレし、父親と喧嘩。もともと筋肉質
 だった兄に父親はボコボコにされる。ざまぁみろ!と思った。兄は父親と離れた
 かったために東京の大学へ進学する。地元の高校は嫌だったので、家庭教師を
 付けてもらった。しかしこれが父親の逆鱗に触れたらしく、殴られる。
 この時は抵抗できず。他にも理不尽な言いがかりで殴られたり土下座させられ
 たりした。それにもめげず、第一志望の高校に合格した。アトピーはバスケ部に
 入ると治った。不思議。卒業前くらいにギターを友達の影響で始めた。

>高校時代

 同じくバスケ部に入るが、練習がハンパじゃなく辛かったので夏でやめる。
 そこで知り合った友達とバンドを組んだ。ベースに転向し、練習した。
 高校2年の時、いつものように父親が酔ってからんできた。初めて抵抗し、
 殴り返した。と言うよりも殴られる前に殴った。2発で気絶した。なんや、
 今までビビってた父親はこんな弱かったんや、とアホらしくなった。生まれて
 初めて人を殴ったので後から罪悪感に悩まされた。この時父親は軽い記憶喪失
 になった。数日で記憶が戻ったから、よかったと思う。
 高校3年になるくらいからまた家庭教師を付けてもらった。お陰で普通の私立
 大学に現役で合格できた。大学までいくつか父親とイザコザがあったが、全て
 ボコボコにしてやった。所詮は泥酔状態、負けるはずもなかった。でも精神は
 やられ気味で、十円ハゲが二つできたりした。

>大学時代

 2年まで自宅から通っていたが、父親といるとストレスが溜まるだけだったので
 母親に頼み込んで一人暮らしを3年生のころから始める。ここで、今まで自分に
 とって、父親がどれほどの重圧になっていたかを実感する。正に生まれ変わった
 かのような感覚だった。バンドやバスケサークルに精を出す。友人にも恵まれ
 こんなしょうもない俺を親友と呼んでくれる友人もできた。ほんま嬉しい。

 今年の夏、海に行っているときに父親が肝臓を悪くして死んだ。あれだけ酒を
 飲んでいたら当たり前だが。正直な話、死んで嬉しかった。むしろ死んでほしい
 と本気で思っていたので喜んだ。葬式でも涙は出なかった。最後の出棺のときに
 雰囲気で(親族や兄弟が泣くので)涙が出たが、悲しくはなかった。

 今思えば、妻や子供とコミュニケーションをとれず、酒の力を借りてなんとか
 関わりを持とうとしていたのかもしれない。これを最後まで読んでくれた人
 ありがとう。こんな父親にだけはならないようにしましょうね。


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