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夏目房之介さんについてver.2
- 249 :夏目房之介 :2000/09/19(火) 03:53
- >247 好き嫌い、いい悪い、真と偽の間にはその判断を下す個人がいるってことかな? そうすね。きちんとやると、どうしても難しい問題なんで、めんどうなヒントを出してしまいました。
誰でも、好き嫌い、いい悪い、真偽の基準はもってる、というか、使わざるを得ないもんなんです。
好き嫌いは本来は幼児期の快不快原則からきてて、親や社会から「いい悪い」を教わり、物を考えるようになって真偽の問題を考えるようになります。
でも、どれかがなくなるわけではなく、重なって人のなかにも社会にもあります。
食べ物には好き嫌いが出るし、人を殴るのはとりあえず悪いことだし、ここで論じられるようなことには真偽が語られるんですね。
でも、批評が何であるか、そこにこれらの原則や基準がどうかかわるかは、それを考える必然にない場合には、たぶん考えないほうが間違えないんですよ。
自分のなかに必要があってはじめて言葉っていうのは、そういうレベルでの整理を要求するので。
よけい、混乱するかもしれませんが。
- 250 :夏目房之介 :2000/09/19(火) 04:01
- あと、用語は助かりました。
なるほどねぇ。
「厨房ですよ」は、じつは毎週みてる。
大竹まことは面白かった。デビはやめてほしい。
これが好き嫌いですね。
大竹が面白かったのは、芸のレベルがマチャアキと合っていたからで、デビは芸にならない無意識が気持ち悪い。
これは好き嫌いを少し批評に近づけたいいかた。
しかし「厨房」はタレビ番組として多様性が必要なのだから、あれも必然であろう。
これが批評の中性的(好き嫌いではない)レベル。
あんな番組は役にたたんでの、やめろ、という判断は「いい悪い」。逆も可。
テレビはほんとうに多様性を必要とするのか?という問いが「真偽」の問題。
- 251 :夏目房之介 :2000/09/19(火) 04:08
- こういうことを考えるのは、現にあらわれていることがら、やりとりされている意味などの裏側、あるいはそれを俯瞰する別の面からみる行為です。
ややこしい言葉を使うと「メタ・レベル」といいます。
抽象化された、背後の、というようなことですが、このレベルのことは、同じレベルでますは議論しないと混乱します。
僕は、わかりやすくいえば「たとえ」で語ることに似てると思ってますが。
言葉を扱ったり、議論したり、批評したり、やりとりするさいには、こうしたややこしいルールがじつはあるんです。
でも、はっきりいって、プロでも学者でも、このへんのことがわかっている人は少ないので、あまり気にしないように。
では、本日の無責任講義はこれまで。
おやすみなさぁ〜い。
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0ch BBS 2004-10-30