■スレッドリストへ戻る■ 全部 1- 101- 201- 301- 401- 501- 601- 701- 最新50

紅殻って知ってますか?

457 : :2000/08/25(金) 11:23
 続きです。
 昨夜家に帰ると、畑山医師から手紙がきていました。手紙の内容はさることながら、一葉の写真が同封されていたのです。畑山医博の写真でした(なにか畑山さんと言う人が、だんだん実在の人物ではないような気がしてきてしまい。写真をリクエストしたのです)。その写真を見て・・・そのことは最後に書きます。
 畑山医師の話、Fとの対話と言う形式で書いている時間もないので、結論から書きます。
 終戦直前、ドイツの医学技術と中国武術の秘伝を組み合わせることによる不死身の兵士造りは、脳障害という副作用で頓挫しかけた。そこで招聘されたのが、東京帝国大学脳神経科教室の畑山医学博士だった。いかなる手法を用いたか、詳細は不明だが、畑山医学博士は、その問題を解決し、ついには自らが実験台となって、赤蛙となることを志願した。それは美しい犠牲精神を発揮したのでは決してなく、畑山博士は、完全に自己が不老不死の鉄人になるという確信を持って、のぞんだのだ。
 従兄は、永遠の時間と鋼鉄の肉体を手に入れたのだと、畑山医師は確信しているようです。
 畑山博士は実験の成功とともに、行方不明となり、すぐに終戦が訪れました。ふらりと帰ってくる事もなく、以来行方はようとして分からない。また肝心な資料は全て畑山博士が持ち去り、残りはU(内田ではありません)中将が全て処分した。関係者の中の何人かが、不老不死にあこがれ、酸化鉄による肉体改造を試みたが、成功するものはなかった。畑山医師が大学時代出会ったのは、こういった人々の流れをひく人たちなのだろう。しかし、数年後、思わぬ展開があった。石井部隊(831部隊)の問題だった。戦時中の非人道的行為が糾弾され、その手が諏訪にまで伸びてきたのだ。ナチスドイツから持ち帰った旧陸軍の研究と言うのは、余りにも危険な存在だった。そこでこの実行者たちは、迷彩をはったのである。曰く「赤蛙の神事」これは太古より諏訪神社に伝えられた神事であり、古代は丹を用いて生贄を捧げたものだが、近代になって紅殻を用いその形を真似るだけになった。生贄ではなく人形を人柱のように埋めているのだ。
 わたしが見た「紅殻」というのは、この架空の風習の形骸化した名残だったのでしょう。遮光土偶のような顔と書きましたが、あれは下手糞な蛙の顔だったのです。父も叔父も気楽な気分で紅殻を製作したのでしょう。今年は出来がいいというのは、余所者である父と叔父に対する地元の人間のお世辞とも考えられます。叔母は太古の生贄云々の話を信じていたのでしょう。「昔は・・・酷いこと・・・」というのは、20数年前のことではなく。大昔という意味だったのだと思います。先輩からのメイルにもこのことが書かれていました。先輩の一族では、ごまかしで紅殻人形を作ったりした行為を恥じて「なかったこと」にしたそうです。しかしボケていた(先輩の言葉です)祖父さんは、物置に残っていた紅殻を見つけ、昔に戻ってベンガラを作り出してしまったのです。恍惚の人となっていた祖父さんは、しかし、ベンガラを思い出せず、紅殻から連想したのは(海老の)鬼殻だったのです。隣人などから、昔の行為を話題にされたときは、神社のお飾りを作っていたとごまかしたそうです。
 拍子抜けでしょうか?
 これが、わたしのたどり着いた真実です。
 写真の話をします。写真に写っていた畑山博士は、紛うかたなく、Dさんの別れたご主人でした。
 他人の空似? あるいはそうかも知れません。わたしは元ご主人には2,3回しか会った事はないし、出自に関してもまったく知りません。迷惑な言いがかりかも知れません。しかし、他人の空似では片付けられないくらいよく似ているのです。ドイツとの因縁を考えると、なにかの思惑があって、Dさんに近づいたと思えてならないのです。90歳を超えているはずの畑山博士は、当時とまったく同じ容貌で、永遠の時間を生きている・・・
 これで、話は全て終わりです。信じていあただけますか? でしたら、この件に関しては、これ以上、詮索、追及しないようにお願いします。
 ネタだと思いの方、もうわたしは、このスレを手放します。ご自由に続きのストーリーをお書きください。
 長い間おつきあいいただいて、お疲れ様AND有り難うございました。
 ちゃんと、結末まで書きました。これでも、まだ、まうとかまー言われるのでしょうかね。
 では、またいつか。

167KB
新着レスの表示

スレッドリストへ戻る 全部 前100 次100 最新50

0ch BBS 2004-10-30