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思い出に残る食事
- 714 :名無しさん :2000/06/05(月) 15:18
- あげよう
- 715 :名無しさん@1周年 :2000/06/05(月) 18:06
- 風邪ひいて39度の熱を出した時、
彼氏が一人暮らしの私のマンションを訪ねて
きてくれて、鍋いっぱいのカレーライスを作って
くれた。料理なんて全然できないのに、一生懸命
作ってくれた。それなのに私は「病人にカレー・・・」
と文句を言ってしまった・・・。
ごめんなさぃ〜〜〜〜〜〜。
- 716 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 02:04
- ホンコンやきそばは、北海道と東北限定だそうです
関東以西には売っていません
- 717 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 09:18
- ホンコンやきそばって昭和40年ころもう発売してたぞ。
たしか立川談志がCMで
「SBホンコンやきそば。ホンコンにうまいよ」
ってコピー使ってたなぁ
- 718 :701 :2000/06/06(火) 09:25
- >716.717
レスありがとね
- 719 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 11:29
- 念願かなって子供が授かった。
あまり泣きもしないけどどこか焦点がずれていたうちの子。
6ヶ月検診で障害があることが判明した。
ショックで毎日泣き暮らす日々。
夫もつらかったと思うが
次の日から「この子をしっかり育てるためには自分がしっかりしなきゃ」と
夜勤も進んでいくようになった。
夫には悪いが1日中そんな我が子と暮らす私の精神状態はめちゃめちゃだった。
この子を殺して自分も死んでしまおう。
どうせこの子は大人になるまで生きていくことができないのだから。。
今から考えると恥ずかしいが、これが夫のためだという思いしか浮かばなかった。
新婚当時から一生懸命ためた貯金通帳と保険の証書などをテーブルに揃えた。
ふと気づくと子供が居間で何かしている。
近づいたらだんなが私のために朝作っておいてくれたおにぎり(料理する気にもなれなかった)
のラップをはがしてかぶりついている..!
この子は障害があるけどまぎれもなく人間の本能があるんだ。
もうとうに離乳食を始めなければいけなかったのに。。
お腹すいたね。今日から離乳食始めようね。。
ご飯粒だらけの子供を見てわんわん泣いたのが昨日のことのよう。
しょっぱかったおにぎり。
あの日から頑張って毎日手作りして子供のごはん作ってます。
- 720 :472>715 :2000/06/06(火) 11:37
- おんなじだぁ〜 と思って思わずカキコしてしまいました (^o^)
「普段料理しない彼」の料理=カレー って結構パターンなのかな?
お互い 今度は「病気じゃ無い時」に美味しいカレーを作ってもらって
食べたいですね。
- 721 :>719 :2000/06/06(火) 12:10
- 泣。生きよう。
- 722 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 12:32
- >719さん
282です。私も同じ気持ちの時がありました。
お互いがんばろうね。
- 723 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:02
- >719
会社で泣いてしまった。
世の中には、ひどい親もたくさんいるけど、あなたにはそうなって欲しくない。
がんばれ。
- 724 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:17
- ひっくひっく(泣)
涙で画面がにじむぅ(TへT)
- 725 :715 :2000/06/06(火) 14:30
- >472(720)
似たようなレスつけてごめんなさい(^^;)
私達の口に微妙に(?)合わなかったという点も
似てますね(苦笑)
その後472さんは結婚されたんですね。
おめでとうございます。(^-^)/
あいにく私達は別れてしまいました。。。
その時のカレ−が原因ではないですよ(^^;)
今付き合ってる彼とは来春結婚するんですが
彼も料理下手なので・・・一度カレーライスでも
作ってもらおうかな。
風邪じゃないときに(笑)
それにしても会社だというのに涙ぼろぼろです。。。
- 726 :472=720>715=725 :2000/06/06(火) 15:55
- >似たようなレスつけて・・・
うひゃ〜 (^_^;) あやまらないでください〜。
私としては「同じような体験した人がいるんだぁ〜」って思って
嬉しくてレスしてしまったのですから。
715=725さんも ご結婚されるのですね。
おめでとうございます。
彼にカレーを作ってもらったらぜひぜひ感想を
このスレッドに書き込んでくださいね。
- 727 :472=720=726さま :2000/06/06(火) 16:45
- 715=725です。
どもども(^-^)
それにしてもこのスレは和みますね。。。
ちなみに660のレスも私なんですよ・・・。
お恥ずかしい話ながら、日曜日に書道塾に行く私の為に
父が俵おにぎりを作ってくれた事を書かせていただきました。
え〜、他の皆さん、私達二人で盛り上がってしまって
すみません。。。皆さんのレスにも泣きながら、そして笑いながら、
うなずきながら楽しく拝見させていただいてます。
ってことで、472=720=726さんにレスしつつも
ちゃっかりageさせていただきました。
- 728 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 17:35
- 2chで思いがけなくいい話を読んだよ。
ちゃかすのはやめて、すなおに応援したい。
明日のことは人間は予見することはできん。
誰にもだ。しかし今を精一杯生きることはできる。
お互いにがんばろう。
- 729 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:26
- うわぁん(涙)
みんなの励ましを読んで、また涙。
- 730 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:37
- >729(=719?)
辛い事もあるだろうけど 新しい発見もまたたくさんあるはず。
みんなのレスを思い出して(がんばり過ぎない程度に)がんばれ!
- 731 :名無しさん :2000/06/06(火) 19:40
- 子供が幼稚園の時、インフルエンザウィルスによる「急性脳症」にかかった。
担当医から「脳圧が高くて脳波はほとんど反応してない。植物状態か死亡のケース
も多い。助かったとしても重度の脳障害が残る場合もある。」と宣告され、
すぐに親族を呼ぶように言われて動転した。
意識のない長男は、ベッドに横になったまま身動きひとつとれなかった。
入院中付き添いをしていた私に夫が差し入れをしてくれたけれど何も食べる気になれなかった。
でも私まで倒れたらだめだと思って無理やり押し込んだ。
好物を食べても全く味がしなかった。私の感覚も麻痺したみたいだった。
やっと意識不明の状態を脱して、少しずつ流動食を与えられるようになった。
表情や反応のない長男にほんの少しのオモユを口にいれる。反射で飲みこんでいる
ので「食事」というよりは機械的な作業のような感覚に似ていた。
元気だった頃大好きだった「コーンポタージュ」を少し入れてもいいかと担当医に
相談してオモユに入れてあげてみる。
1口目、、、2口目、、、、3口目をあげた時、長男の口元がちょっぴり動いた。
かすかだったけれど、笑ってくれた。脳症になってから初めての反応だった。
「おいしかったんだ。良かったね。」涙がとまらなかった。
私も残りのコーンポタージュを飲んでみた。おいしかった。
1か月ぶりで味覚が戻ってきた。
- 732 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 19:54
- ぅぅぅぅ。
- 733 :>730さん :2000/06/06(火) 22:07
- 729です。ごめんなさい、719さんではないの。
でもお話を読んではウルウルし、それに対しての皆さんの
優しいコメントを読んではまたもや涙ぽろぽろなのです。
ここにくるとほんとに励まされるようです。
食事・食べる、ということを大切にしようとますます思う
今日この頃です。
- 734 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:10
- 大好きな映画、「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフを
借りるなら…
「ここは、天国か?」
「いや、ただのBBSさ。」
ってな感じでしょうか。
私も2つ書きこみましたが、みなさんのを読んでいると
口の中になにか懐かしくて、でもずっと忘れていた味覚が
蘇るような感じがします。
- 735 :9年前 :2000/06/06(火) 23:27
- 沖縄に家族で行った時、タクシー運転手の運天という方が
戦後まもなくの話をしてくれたのですが、兄弟みんなお腹を空かせて
どうしようもなくて米軍のキャンプ地に盗みに入った時、アメリカ兵は
自分達を見つけても罰するどころかリュック一杯の缶詰やらなにやらをくれた、
だけどヤマトンチュ(本土の人間)は自分達が出てくるのを待ち伏せて、
渡さなかったら殴る蹴るして取り上げたという内容でした。
アメリカ兵の方には勝者の余裕があっただろうし、本土の人は負けて
余裕もなにも無かっただろうけど、それを聞いた時無性に恥ずかしかったのを
覚えています。
分かれ際に運天さんはグアバの実をくれました。みんなで食べて後に残った
種をまいたけど、やっぱり成長しませんでした。今でもグアバジュースとかを
見るたびにその時の事を思い出します。
- 736 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:48
- 735さんの話で思い出しました。
祖父の話です。
ビルマで鉄道作ってたらしいんですけど(ビルマの竪琴の元ネタ部隊?)、
米軍の捕虜になって、終戦まで収容所暮らししてたそうです。
祖父の仕事は、米軍の食事作り。
良く大きな鍋で大量のココアを作らされたそうです。
初めて嗅ぐココアの香りにそそられて、ついつい盗み飲みしちゃった
そうなんですが、監視のアメリカ兵は、3回に2回は見逃してくれたとか。
それを許してくれない厳しい監視役は、シラを切る祖父達に、「口を開けろ」
と命令。当然口の中はココアで茶色。それでも正直に謝らない祖父達は、
「ジャップ、いけない!」と良く怒られたそうです。
他にも、大量の牛肉を焼かされたりもしたそうですが、勿論盗み食いは
ちょこちょこやってたようです。
・・・それでも、例えそれを口で咎めることはあっても、決して暴力を振るわれ
ることはなかったそうです。
戦時中であっても、そういう精神的な余裕も持っていて、尚且つ豊富な食生活
を送る米軍の実状を見、祖父は敗戦を悟ったそうで・・・。
実家で食卓に牛肉が出る度、チョコレートの類を見る度に、何度も何度も
この話を繰り返し聞かされました。
流石に身体は弱ってきてますが、祖父78歳。まだまだ元気です。
少し話がそれました。ごめんなさい。
- 737 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 02:13
- 小学校の頃田舎に住んでいたので
何か買うときは3駅先の街まで行かなければいけなかった。
始めて家庭科でエプロンを作るときも然り。
親友と2人で行くはずが、普段私が嫌いで意地悪していた子も
何故か一緒に行くことになった。
小学生の頃ってちょっと知ってる街から離れただけでも
外国に来てしまったかのような錯覚があって
帰り道しっかり迷ってしまった。
このまま自分たちは駅にもたどり着けないんじゃないかと
思って不安で不安で。。
泣きたかったけど嫌いな子の前で涙を見せるわけにはいかない。
ぼろぼろになりながら公園についたのでとりあえず
ベンチに座って休むことに。
そういえばもう夕ご飯の時間。
そう思ったらお腹がすいてすいて。
嫌いな子がおもむろにかばんからチョコレートを取り出した。
普通の板チョコなんだけどその時は本当にご馳走にみえた。
だけどふと思った。
その子は私にそのチョコをくれないのではないか?
私にはいい印象はないはず。
3人並んで座ってたけど一番端の私は固まっていた。
真中の親友からチョコが回ってきたとき
受け取ったけど口に入れることができなかった。
普段意地悪していた罰だ。
その時嫌いな子が「全部食べていいよ」って言った。
半分は残ってたんじゃないかな。
結局近所のおばさんに聞いたら道をちょっと外れただけだったんだけど
噛み締めるように食べたチョコレートは
小学生の私に何となく人生?みたいなものを感じさせてくれたような気がする。
- 738 :かます知ってる? :2000/06/07(水) 02:55
- 小さい頃から甘いものが嫌いで祖母の家に行っても姉はもてなしの菓子を沢山食べたが私は只牛乳だけ飲んでいた。
しかし祖母の作るかます(蓮根の酢の物)が大好きでことある度に山の様に作っておかずにおやつに出してくれた。
成人して何年も祖母に会いに行かなくなったある日、祖母がパーキンソン病になった。薬の副作用は痴呆。見舞いに行き「またかます作ってくれなきゃ嫌だよ」と言うと微かに笑ってくれたいたけれどどんどん孫の事は忘れてしまい今は自分は少女だと思っているらしい。
けれど去年の敬老の日にふと思い立ってそれはみごとな藍色の桔梗の鉢植えを買って見舞いに行った。どうせわからないだろうけど。
その藍色を見た祖母は一瞬だけ正気になった。「ああ、●●ちゃん。こんなに綺麗な鉢ありがとうねえ。かます作らなきゃねえ。」
ほんの一瞬だったけど嬉しかった。かますは叔母が作ってくれたけど味が違う。祖母は子供の味覚とズレている私に色々作ってくれた。パスタにわかめふりかけ振ったり(ミートソースも嫌いだった)、トーストにごはんですよを塗ってくれたり(ジャムも嫌いだった)。今まわりに言うと「うげえええ」とか言われるけどおいしいんだってば。
祖母の食事。もう味わえないけれど今でも一人で作ってるよ。
- 739 :私がリンゴが嫌いな理由 :2000/06/07(水) 04:43
- 大学病院でちょっとした手術をしたら、麻酔がなかなか醒めなくて、
先生達がパニックしてたな。2〜3日は頭がクラクラしてた。
父が心配して、すったリンゴを食べさしてくれて、点滴つけたままの私の
手を引いて、病院の中を連れ歩いてくれた。
一緒に暮らしてない父で、そのウップンで母は私を虐待した。
母のことは、ずっと殺してやりたいくらいだったけど、
父は会う時はやさしかった。
でも、母の虐待を知ってて、それでも女と別れないズルい人だと知っていた。
その半年後に急に父は死んだけど、他人事にしか感じられなかった。
感情を殺すクセがついてるからなのかな…
父のことは今は存在したことさえ忘れた感じ。命日も覚えてない。
母とはずっと縁を切ったままです。
- 740 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 12:49
- 挙げときます
- 741 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 13:35
- >>731
泣けました…。
- 742 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・
- 743 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・のであげ
- 744 :だいじょうぶ>742 :2000/06/08(木) 01:24
- まだ416Kbです。高画質アイドル画像2枚分ぐらいだよ(変な例えでごめん)。
- 745 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:23
- あのー関係無い話で悪いのですが741のように番号をリンクすることは出来るの?
どうやってやるのですか?
- 746 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:43
- http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=pcqa&key=959547706
関係ないですね。
- 747 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 04:07
- >>746
たしかに2ch、特に食べ物板の書き込みの質は低下している。
去年から何回か2chオフに出て気が付いたのは、出るたびに平均年齢が
下がって行っているということだ。 2ch開始当時はネットワークに精
通しているというか、他から流れてきた人間が多かったのだが、メジャー
化してマスコミに露出するたびに、何も知らずにいきなり2chからとい
う人間が増えていった。 いつのまにか社会に適応できない若者が溜まる
場所になっていった。 ネガティブな思考しかできない彼らは次々と古く
からの固定を煽り、罵り、嫌気がさして去っていく者が後を絶たない。
結果、残っているのが今の有様で、既にまともなスレッドを立てても大し
た反応もなく、ただ、うざい、しねとかの類ばかりになった。
去年のオフはまともな社会人が大勢を占めていた。 煽りやくだらないス
レッドも知的なゲームとして楽しんでいた。 最近のオフは学生や無職、
フリーターが多い。 ネットの常識も社会の常識も知らずに、ただ自分の
欲求を口走っているか、日常以外の場所で自分を顕示しているかのどちら
かだ。 それでも往時のような話題が全くなくなったわけではないから、
つい来てしまうけれども。
匿名掲示板で自由を満喫して、普段言えない本音でもって議論できた場所
が不適応者の巣窟になっていくのは悲しいけれども、関わったからには行
く末まで見ていようとは思う。
- 748 :>745 :2000/06/08(木) 04:10
- >>番号
全部半角英数字でね。今のところ
saki.2ch.netにある掲示板だけ有効です
- 749 :泣かすスレッドになってるけど :2000/06/08(木) 05:16
- オレが好きなのは1とか85、352なんかだ。
ちょっと情けない男のエピソードに共感してしまうのは
きっとオレも情けない男だからなんだろう。
今度このスレッド内の人気投票しないか?
- 750 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 09:23
- >749
人気投票、いいアイデアなのかも知れないけど
みんなのそれぞれの思い出に
他人がランクをつけても意味無いかな って。
以前私も思い出書き込みました。
もし それが人気無かったら・・・・
(人気があったら うれしー!! ってわけでもないけど)
ちょっと さみしーかも。
ちっとも共感してもらえなかった って思っちゃいそうで。
- 751 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:33
- >749
750に賛成。
それに今のこのスレの雰囲気や流れを変えたくないってのはあるね。
人気投票をするなら別スレで頼む。
- 752 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:46
- 何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。
父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。
何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。
あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。
- 753 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:02
- 悪い、ちょっと作りすぎている。
時間がたっているせいか、
ゴメン、これには感動しないわ。
すまん。
- 754 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:15
- いちいちそんなこと書きこまなくってもいいよぉ。>753さん
そう思うなら、心の中でそっとしまっておいて。
感動させるために書いてるわけじゃないしね。
私は食べることが大好きな父を思って、なんとも言えない気持ちになりました。
- 755 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:12
- いや、感動させるために書いている姿勢が見えて
嫌になったんじゃないかな?
このスレも確かに後ろに行くと、作り込みと
自己陶酔がクサくて、鼻につくように思います。
このあたりが、ここがレベル低下してるのと
リンクしてるんじゃないかな?
甘えすぎ。
- 756 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:47
- >755
はじめのほうは、短い文でもなんかジーンと来るものがあったよね。
- 757 :752です :2000/06/08(木) 14:22
- お昼から戻って覗いてみたら、私のカキコで一論争起きそうな気配。。。
一言言わせて下さい。
私のそれに限らず、このスレのカキコの寄せられる意見は多種多様であって当然で、
それに関して何ら反論するつもりはありません。
ただ、一家の大黒柱を失うということは、とても大変な事なのです。
敢えてここに書く必要もないですが、私達もそれは大変でした。
こうやって父のことを振り返ることができるようになったのも、ごく最近のことです。
私自身、この10年、ただただ必死でした。
頑張らなきゃ、と思ってやってきました。甘えてる暇などありませんでした。
ちょうど10年が経過して、私は、今まで3人で頑張ってきたよ、これからもよろしく、
と父に伝えたくてここに書きこみしました。
でも、こういう公の場でそれを公開してしまったことに、少なからず嫌悪感を
覚えてしまう人もいるんですよね。
そんな事、直接父の墓前に報告すればいい訳ですから。
気分を害された方々、ごめんなさい。
このスレの雰囲気を壊すつもりはなかったのですが。。。
>754さん、ありがとう。ご両親を大切になさって下さいね。
ここの方々は心優しい人ばかりで救われます。
そのご好意にあずかる私はやっぱり甘えすぎですかね?
- 758 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:24
- 文章が妙に下手で、カンにさわるんだなあ。
- 759 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:49
- >758
良いではないですか。
その人なりの文章のスタイルで。
これだけたくさんのレスがあれば
相性が良くないのもあって当然。
- 760 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 17:05
- 752、757さん、
私も4月に父を亡くしました。
親を亡くすということが、これほどまでに
悲しいものとは思いませんでした。
雰囲気をこわすなんてこと、ぜんぜんありませんよ。
ひとりひとりの心にある、親や肉親への思い、そして
いのちと食べることへの思いは、それぞれに私たちの
心に伝わってきています。
- 761 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 20:11
- あげる。
人の飯に、人の家族に、ケチつける様な真似すんな。
- 762 :バッカーです :2000/06/08(木) 20:51
- まぁまぁまぁ
みんなで一緒に楽しみましょうよ
はい次の方どうぞ↓
- 763 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 23:50
- 昨年の元旦。普段たべものの好き嫌いを言わない父が珍しく
「天丼が食べたいなぁ」言い出した。「今日は元旦だから、
今度の日曜日に食べに行こうね」といってその場は終わりましたが
次の土曜日に父は倒れ、2週間後に帰らぬ人となりました。
49日を済ませ、母に「何で正月にあんな事言い出したんだろう」
と聞くと「本当は昔から天ぷらが大好きな人だった。子供に好き嫌い
をするなという手前、あなたたちの前ではそういう事を一切いわない
人だったの」
私は40年近く生きていて初めてオヤジの好物が天ぷらだと知りました。
いまも天ぷらを食べるとオヤジのことを思い出します。
- 764 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 01:49
- 人の死が絡むとお涙頂戴になるのはしょうがないのでは?
投稿者が意図するしないに関わらず。
それにつけても、1氏のエピソードは誰からも「いいね」と
言ってもらえるエピソードですなあ。
- 765 :嫌な思い出だってある :2000/06/09(金) 03:15
- 社会人になってすぐの夏、いつもは食欲旺盛な私が急に食欲を失った。残業が
続いていたりしたから、夏バテかな、と思っていた。あるいは胃潰瘍の始まり
かしら、と。でも何故かスイカだけは食べられた。あとは何を食べてももどして
しまうので、ひたすらスイカばっかり食べていた。
暫く経っても快くならないので胃の検査のために医者に行ったら、妊娠して
いたことがわかった。当時私は妻子ある男性と関係をもっていて、勿論、気を
つけてはいたのに、妊娠だなんて、本当に青天の霹靂だった。勿論、彼は妻子
を捨てて私を選んでくれる筈もなく、中絶の資金だけ出してくれて、私は一人
で処分した。彼ともそれきりになってしまった。
あれから何年も経つが未だに夏になると罪悪感に苛まれ、嫌な気分になる。
勿論あの夏以来、スイカは一度も口にしていない。
しようと思ったこともない。
- 766 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 04:59
- >感動させるために書いてるわけじゃないしね。
ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
初期の書き込みの方がよかった。もう限界。
- 767 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:06
- >766
>ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
そうとしか思えないのは貴方の勝手だけど
わざわざそんな事書き込むなんて
本当に「感動させるために書いてるわけじゃない」人たちに失礼だよ。
誰も貴方1人を感動させようとして書いてるわけじゃないんだから。
感動話”ばっかり”読みたいんだったら それはムリってもの。l
- 768 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:12
- なんとなく末期症状かな。
このスレッドも1000に到達せずに
終ってしまうのか?
- 769 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:25
- >765
明日は我が身。かも。
- 770 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:14
- おれもそうなんだけど、
「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。
そうすると必然的に、今この世にいない人になると思う。
もしくは大切な人、もうあえない人。
みんなの心の中にある大切な思い出を聞けたって言うだけでうれしいのよ。
だから、泣けない話じゃなくたっていいんだしね。
荒れてほしくはないスレッドだよね。ここ。
以下は今ちょっと思い出した話。
読み飛ばしていいよん。
おれは肉が好きなんだけど。
小さいころ焼肉屋にいって
祖父が焼かないで肉を食っていたのをみてビックリした。
牛肉のジンギスカンとか言うメニューだったかな?
小学校に入る前のおれはじいちゃん子だったから
いっしょになってうまいうまい言って食っていた。
あれから必ず焼肉屋に行ったら生肉食っているんだよね。
最近貧乏なんで焼肉屋にも行ってねぇ・・・
- 771 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:18
- 一年前大学を卒業した妹が、ようやく先日社会人となりました。
卒業してから今まで、就職活動以外で外に出ることがあまりなくなり、
昼夜逆転の生活を送るようになっていた妹は、本来の食のほそさに輪
をかけてごはんを食べなくなり、とても母を心配させていました。
「おかあさんは、あの子が就職できるかできないかより、ごはんを食
べずにどんどん痩せていくのを見る方がつらい」
そう言いながら泣く母を見て、いつもとてもやるせない気分になった
ものです。
いろいろうるさい親戚の目や世間体よりなにより、とにかくあんたの
ことを、あんたの身体を一番の大事に考えてくれてる人がいるのよっ!
その心に応えて、ここはひとつがんばんなさいっ!
、、、乱暴ねえちゃん(わたし(^_^;;)にかつ入れされた妹は、人が変
わったように就職活動をはじめ、あっというまに就職を決めてきました。
今では朝ごはん2杯おかわりして毎日元気にでかけていくそうです。
「よく食べるのよ〜」と嬉しそうに報告してくれる母の笑顔、ほんとに
家族の太陽だなとしみじみ思う今日このごろ。
妹がんばれ。
ねえちゃんは応援してるぞ〜。
- 772 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:40
- >771
だからそういうのは直接妹に言え。
- 773 :戸碌斎 :2000/06/09(金) 11:38
- >772ちゃん
まぁそういうなって。
- 774 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:44
- 日本のどこかに(まさかに海外ではあるまい)
そういうねぇちゃんがいるって思うだけでも
なんか いーじゃん。
どこの誰かも知らないけど 妹も応援したくなる。
もちろん お母さんもね。
- 775 :>770 :2000/06/09(金) 11:46
- >「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。
良いこと言うなぁ ほろリ (T_T)
- 776 :へんみよう :2000/06/09(金) 11:50
- やっぱり、やっぱり、人間ってもの喰う生き物なんだなぁ。
- 777 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:50
-
1つ違いの妹が小学校5年生の時に初めて料理をした時の話。
確かナポリタンスパゲティーだったけど、すっごくしょっぱかった。
俺はとてもじゃないが食えないみたいな顔をして、横で食ってた
親父を見てた。親父はうまい、うまいって言いながら食ってた。
最後に妹が自分で食べた時、思わず大泣きしてしまった。なんで
こんなにしょっぱくてまずいのに、言ってくれないのって。
俺は自分がどっちにすべきか当時は分からなかった。嘘をつくのか
気を遣うのか。
今はもう結婚して元気にしている(と思う)妹の最初の料理。
あの味と涙を知っているのは家族だけ。だんなは知らないと思うと
少し得意になってしまう。
- 778 :771 :2000/06/09(金) 12:12
- ごごご、ごめんなさい。
なんか思い出に残る食べ物、っていうスレッドの主旨から外れてるかも?
って書き込んだあと思いました。
もうちょっと文章うまいといいんだけど〜。
ただ、なにげない毎日の食事でも、ひとつひとつが大切で、
おかわり2杯した妹の朝食が、家族にとって嬉しい思い出のひとつになってる
ってことが書きたかったのでした。
不快に思った方、ごめんなさい。
このスレッドすごく好きだから、わたしの話は飛ばして、どうか長続き
してくれるように願ってます。
- 779 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 12:27
- だから、
妹にあてた文章にしなければいいわけよ。
エピソード自体はいい話なんだからさ。
妹にあてた文にすると、じゃあ本人に言えばいいじゃん?
ってことになるじゃん。それは極私的なことになっちゃうから
他人には文句もつけられない領域になってしまうのよ。
家族がかけがえのないのはわかるけど、それは逆に言うと
家族でない者にとっては他人でしかないんだから
それに読んでもらうためには、たかだかこういうスレッドでも
読み手の気持ちや普遍性やらを考えた方がよくって、
結果的にはみんな幸せになれるのよ。
つまり、子供の描いた絵の方が下手に描く技術を覚えた中学生あたりの
絵よりもすなおに人の心をうつようなもので。
このレスも余計ちえば余計だけど、771さんが文章うまくなりたいのなら
と思ってあえてレスつけました。くりかえしになるけど、
エピソード自体は悪いわけじゃないと思う。
- 780 :771 :2000/06/09(金) 13:59
- >779さん
ありがとうございます。
顔が見えない、声が聞こえないからこそ、みんなにわかってもらえるように
心をくだかなくちゃっていい勉強になりましたです。m(_ _)m
これから精進していきます!(余計レスごめんなさい)
- 781 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 15:11
- このスレッド、読みづらい。
何考えてるんだ。>779
良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
厨房でなくても、馬鹿かと思う。
- 782 :>781 :2000/06/09(金) 16:00
- >良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
マジネタと思ってる厨房発見!
泣かせだろ?(ワラ
>厨房でなくても、馬鹿かと思う。
オマエモナー
- 783 :小6の時 :2000/06/09(金) 16:11
- 近所のおばさんや同年代の子たちと天理教のおぢばがえりに行った帰り、
途中の天理教支部でラムネを振舞われ、喉の渇いていた私はそれを
一気に飲んだが、急ぎすぎてかなりの量のラムネが喉に詰まった。
食道に多量の液体がつかえる圧迫感と炭酸の強い刺激が合わさって、
たった10秒ぐらいではあったが、地獄のような思いをした。それ以来、
炭酸系を飲む時は必要以上に慎重に飲むようになった。
- 784 :>783 :2000/06/09(金) 16:26
- 池田○作の呪いです。
- 785 :ちょっとかなしい :2000/06/09(金) 16:32
- ここ、すっごくいいのに、最近、余計なことを書く人が多すぎる。
そういうの、やめませんか?
それぞれが自分の思い出を書きこんで、それを読んでそれぞれが感じれば
いいんじゃないでしょうか。こんなことを書くこと自体、気がひけたけど、
せっかくいいスレッドなので、このまま続いてほしいと思って書きました。
- 786 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 16:33
- 何年か前、尊師がやっておられた安かろううまかろう亭の
味がわすれられません。
- 787 :>786 :2000/06/09(金) 16:47
- 阿羅漢のお好み焼き・・・
尊師にももう一度食べていただきたいです。
- 788 :ラーメン :2000/06/09(金) 17:04
- ここ 凄くいいですね。
つまらん話ですが、わしも寄稿させてください。
中学生の時のことです。
その日の晩御飯にと、母がインスタントラーメンを茹でていました。
ふと見ると、日○やきそばの袋もそこに・・・。
わし「なにこれ? まぜたの?」
母親「うん ちょっと足りなかったから。 茹でちゃえば一緒でしょ?」
当時、中学生2人と小学生1人の育ち盛りの子供をかかえた母は、いらん
気をまわして麺を増量してくれたのでした。
それだけなら「まぁ下触りとかが違うだけだろう」と我慢できたのですが。
なんと母は、袋麺に同封の“焼きそばソース”を、スープに混ぜてしまった
のです。 とたんに台所中に立ち上る、あの独特の香り・・・。
生まれて初めて、母に向かって暴言を吐きました。
「なにしとるんじゃあ! おまえアホかぁ!」 って。
母親 ビックリした顔でしばし沈黙。 そして、泣いちゃいました。
その後、気まずい雰囲気の中で食べた、あのラーメンの情けない味。
忘れられませんね。 忘れたいんだけど・・・。 (^^;)ゞ
かあちゃん あの時は怒鳴ってゴメンね。
- 789 :すみません :2000/06/09(金) 17:05
- 本文8行目 「舌触り」の誤りです。
- 790 :名無しさん :2000/06/09(金) 18:47
- >786
「はるまげ丼」が印象に残ってます。
春巻きを見るたびに思い出します。
- 791 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 19:36
- 煽りは無視
- 792 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 00:26
- 大学時代、俺も彼女も自宅通学だったので、
エッチの時はラブホテルを使っていた。
そのホテルは、昼間はデイサービスで4,500円払えば、
夕方まで居座ることが出来た。
俺と彼女は朝の8時に、ホテル近くのコンビニで食糧を買い込み、
それをホテルに持ち込んでいた。
食べて、エッチ、寝て、起きて、またエッチ、食べる。
この繰り返し。
食欲と性欲、そして睡眠欲。
人間の三大欲望を、一度に満たしていたわけだ。
裸のまま、二人でむさぼり食っていた冷めたハンバーガー。
炭酸の抜けたコーラ。
彼女は今、どうしているだろう。
- 793 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 07:10
- ケチつける書込み見ると
書いた方はもちろん、文章に登場する方達がもっと悲しい思いされるようで
なんかすごくつらいです(亡くなった方であればなおさら)
- 794 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 09:31
- >729さん なんかいいです。若くって。彼女とは別れちゃったんですね。
- 795 :天才厨房 :2000/06/10(土) 10:32
- >ここのスレ長いよー。読むの面倒だよー・・・って奴らへ
俺様がランダムに選んでおいたから読め。そんでもって泣け。
>>21 てんぷら >> 34カールとさつまいも
>>49 乾パン >>164 ご飯ですよ
>>167 スイカジュース >>176 パイナップル缶詰
>>252 ハンバーグ(前編) >>253 ハンバーグ(後編)
>>313 から揚げの絵 >>537 おにぎり
>>628 ソーセージ >>707 万引き
泣いたか?だったら笑え。
>>381 と >>388 ケンタッキーと厨子王
>>401-402 うなぎと厨房
>>454-456 と >>460 弁当ラプソディ
>>461 ごはんですよ!
どうだ?こんなにいいレスが他にもいくつもあるんだぜ?
だから四の五の言わずに全部読め。会社で読んでる奴は早引け。
一日かけて読んでオモシロカナシズムに浸れ。じゃあな。
- 796 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 10:40
- 大学に入って、可愛い女の先輩にコロッと騙されて参加した
統一協会のセミナー・・
ビデオセンターに監禁され、朝の8時から夜のの1時まで説教と
洗脳と訪問販売に明け暮れる毎日。
セミナー中、逃亡されないようにと協会が差し入れてくるのは
サンドイッチとクラッカー。
忌まわしい記憶と一緒に封印されたその味ももぅ思い出せないなぁ・・
僕は学校を中退して逃げ帰ったけどあの先輩はどうなったのかなぁ・・
そういやあの支部から人死にが出たって聞いたけど、
彼女じゃないだろうなぁ・・ もしそうだったらもったいないなぁ・・
逃げる前に置きみやげ代わりに食っちゃっておけばよかったよなぁ・・・・
- 797 :>788 :2000/06/10(土) 11:42
- かわいいお母さんじゃないか! ソース入りラーメンはちょっと
遠慮するけど。
- 798 :名無しさん :2000/06/10(土) 12:14
- >795
750が泣いてるぞ。
- 799 :>777 :2000/06/10(土) 12:29
- こんにちは。私にも同じような経験が、、、(^^;もっとも作ったのは私自身ですが、、、
二十歳の頃、何を思ったのか、私はミートソース・スパゲッティを手作りしようと思い立ちました。
煮こみ用のトマトを探し、最初から作ったのですが、当時はスパゲッティなどというのは外食で食べるもの、
パスタ自体も茹でたことがありません、で、、、塩を入れるのも知らなかった私でした。
おかげでできたスパゲッティはしょっぱくて(;;、、、母と妹は「しょっぱすぎる」と一言、、、
私もそう思ったけど、苦労して作ったものを否定されたようで、なんだかむかつき、
怒りとみじめさで。涙が出ました。
翌日、残っているミートソースをみたら、ますますむかついて、
全て、自分で食べてしまいました(^^;
あとで妹に「なんだ、食べちゃったの?今朝食べようと思っていたのに、、、」といわれ、
それまでのつっぱっていたような気持ちが、やけにふにゃふにゃとして、また泣けてきたのを思い出します。
ここを読んでいて、自分にも「食の思い出」があってよかったな、というだけのことですが、、、
駄文、ごめんなさい。
- 800 :思い出に残す食事 :2000/06/10(土) 14:13
- 毎日仕事が忙しい。両親と同居だが、朝食も夕食も俺だけ別に食べてる。
土日も遊びに行っちゃったり、ごはんより睡眠を優先したりして、
あまり一緒に食べていない。
今日の昼飯は、久々に3人で食卓を囲んだ。
メニューはごくごく普通の、母親の料理。しょうが焼きとか味噌汁とか。
ちょうどテレビでは「伝説の寿司屋」みたいな番組をやっていて、
すごいマグロやイクラが次々と映って「おいしそう。でも高いわねー」
「近所の魚屋のと、ほんとにそんなに違うのか?がははは」
なんて、たわいもない会話をしながら食べた。
でも、俺は「今のこの昼飯のほうがうまいや」と思いながら、
もりもり食べた。
いつか、この平凡な風景も、思い出になっていくのかな、と思いながら。
両親はまだ「伝説の寿司屋」を見てる。たまには親孝行でもするかな。
- 801 :>800 :2000/06/10(土) 15:10
- さっぱりとしていて、かつじーんとくる話ですな。
- 802 :冷凍ミカン :2000/06/10(土) 23:16
- 小学校一年生の時の事。
はじめての授業参観日で、親達は4限の授業、引き続き給食と帰りの会の様子を
後ろの方に並んで見た後、子供と一緒に帰るというスケジュールになっていた。
その日の給食にデザートとして出たのが冷凍みかんだった。
私は初めて見たそれを喜んで全部食べ、その後母と一緒に帰った。
が、その帰り道、まわりに同級生とその親達を見かけなくなったあたりで、
それまでいつも通りの表情だった母がいきなり般若の顔で私を見下ろした。
「なんでアンタはミカン、一人で全部食べてるのよ!」
いきなり何を怒鳴られたのか理解できず、固まった私に母が続けて言う。
「他の子は皆、ミカン食べずにお母さんに、って持って帰ってたのに!
ホントに思いやりのない!どうしてアンタはそう気がきかないの!」
私は固まったまま慌てた。
私はミカンを見た瞬間から「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」
の3つしか考えていなかったし、他の子が本当に皆食べずにお母さんの所に持っていっていたのか、
全く見てもいなかったのだ。
…今にして思えば、クラスのほんの数人がそうしていたのを、母が拡大していったのかもしれない。
しかしその頃の私は姉とは年が15も離れた末っ子の上、肥満児で、やることなすことトロく、
周りから始終みそっかす扱いされて馬鹿にされていたので、母の怒鳴る声にとにかく
又自分は失敗したのだ、とまだ不機嫌な声で怒っている母の横をしょんぼり並んで帰った。
母は私が成人する前に亡くなったが、今でもみかんを見ると時々この事を思い出す。
それが懐かしさの感情と共であるならいいのだが、どうしても怒りが先に湧いて出る。
「好意は人に強制するものじゃないだろよ。まして大人が子供によ」
私はまだ、大人になっていないようだ。
- 803 :名無しさん@1周年 :2000/06/11(日) 00:08
- 802さんの「給食」の話で今思い出したこと。
小学校に入ってばかりで、まだ給食が始まって間もない頃。
その日の献立の中に、ゆで卵があった。
すると、ある女の子がツカツカと担任のところへ行き、一言。
「先生、たまごどうやって食べるんですか?」
…なんでも、彼女はたまごの殻はいつも親OR婆ちゃんに剥いてもらっていたらしい。
当然のごとく彼女はみんなから冷やかされた。(しかも後々まで)
甘やかされると、結局恥をかくことになるんだなあって思ったもんだ。
- 804 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 03:16
- >>795
あんたのせいで一日中このスレッド読んでいたよ・・・・
でも、ありがとう。グスッ。
- 805 :ケフモナキヌル :2000/06/12(月) 10:57
- ぁぁぁ
- 806 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 11:26
- こんなとこに書き込んでいる暇があったら、
親孝行せい。「しようかな」「しようと思う」
なんぞと他人に書く前に実行じゃ。
せめて電話でもしたり。離れて住んでいる人はの。
- 807 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 13:53
- もうすぐ父の日だしね。
- 808 :>806 :2000/06/12(月) 17:37
- 確かにその通りだね。だけどここを読まなかったら
連休家にも帰らなかっただろうし、親孝行もしなかったと思う。
俺はここ読んで良かったと思ってるよ
- 809 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 19:01
- 小学生の時からの友達だった、Jちゃん。
明るくってやさしくって、本当にステキな子だった。
そんな彼女が突然、入院し、その数ヶ月後、帰らぬ人となった。
彼女が亡くなって1ヶ月後、仲の良かった友達数人と、
彼女のうちへお邪魔して、憔悴しきった彼女のご両親と
何時間も彼女の話をした。泣いたり笑ったりしながら…。
そんな時でも、人間、お腹がすくんですね…。
そんな私達の空腹を見越したように、テーブルの上に並べられた
ワンタンメンと餃子。「もう、失礼しますから…」というと、
彼女のお母さんが“あの子の好物だったんです。食べていってください…”
とおっしゃった。
みんなで黙々と食べた。
食べていたら、彼女がすぐ隣で一緒に食べているような感じがした。
暖かいラーメンと餃子を口いっぱいにほお張りながら、悲しくて、寂しくて、
でも、暖かくて、涙が止まらなくなった。
いつもは少食でラーメン一杯を全部食べられなかった私だけど、
これはどうしても残しちゃいけない気がして、がんばって全部食べた。
ずっと忘れていた思い。ここにきて思い出しました。
- 810 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 00:35
- くすん・・・。
味覚って偉大だなあ。
- 811 :最後の晩餐 :2000/06/13(火) 02:30
- このたび、晴れて離婚が成立しました。
欠点ばかりでもないのですが、それは寛容なひとならそう言うでしょって
トコで、まあ最低な人でした。
結婚していた殆どの期間は口論が絶えませんでした。
家に帰ってこない人でしたが、
最後に帰宅して、一緒に遅い夕食を食べました。
わたしは、例によって喧嘩しながらの夕食で、味がわからなかった。
向こうが言いました。
「こんなに喧嘩しながらでも、オマエのメシはいつでもうまい」
なにを作ったのか、覚えていません。
向こうの母親は、料理らしい料理はしないひとでした。
そのうえ、いつも不満がましくて、文句を聞かされながらの食事だったそうです。
彼が、少しかわいそうだとあとで思いました。
いま、ひとりで暮らしているわたしは、料理らしい料理はしません。
彼とは、会いたいとも思えません。
愛情もなく、冷え切った家庭でも
少しでもおいしいものをって思って作っていたのだなあと不思議な気持ちです。
好きなひとができたら、
とびきりおいしいものをご馳走したいです。
おいしいって褒めてほしいなあと思います。
- 812 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 07:46
- 大学院時代、指導教授と喧嘩別れして、私は教授の進める大学とは
別の大学の非常勤に勤務した。それ以来約10年、退官されたこともあり
その教授とは音信不通状態。今年の1月、突然連絡があり自宅に呼ばれて
食事をすることになった。私のためにとワインを4本も用意してくれていた。
自分も家族もアルコールはダメなので、兎に角揃えるだけ揃えたという。
珍しく先生もグラス一杯だけワインを飲んでいた。初めてみた。
私の助教授就任の祝いの言葉。その後、これまでの私の研究へ先生なりの
アドバイス。が、アルコールの勢いとこれまで先生の力を借りずに上り詰めた
自分自身への自尊心もあり、再び研究の方向性で口論となった。
やっぱり、お互いに合わないのだな思った。
で、先生は4月にガンで亡くなられた。
先生なりの最後の指導だったのかと思う。
あの日のワインの銘柄をどうしても思いだしたい。
- 813 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 10:12
- 高校生だったころ昼食を一緒に食べていた中の1人が、食事の後たいてい
「美味しかった。幸せー」
と言っていました。
あれからもう何年も過ぎ、最近あの言葉を思います。
食べて、美味しいと感じることって幸せ。
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0ch BBS 2004-10-30