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思い出に残る食事
- 668 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 20:56
- 可愛いよ、君が好きだ。>665
だから控えめにね。
- 669 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 21:28
- 初めて付き合った彼氏がわたしの部屋に初めて遊びに来たとき。
普段のわたしは照れくさくて世間で言われてる「女の子らしい」部分は出来るだけ
見せないようにしていた。でもお腹が空いたのでご飯を作ることになった。
料理は嫌いだったが人並みには作れたわたし(小さい頃からやらせられていた)。
でも緊張で失敗するのは嫌だったので無難なカレーを作った。
「いいよなぁ。。こういうのって。。」台所に立つわたしをうしろで目を細めて
見ていた彼。。恥ずかしかったけど嬉しかった。
この彼は「お前は食ってる時と眠ってる時は女の子だよなぁ。。」とも言ってた。
当時は食が細かったので(ついでにそれなり痩せてもいた・笑)。
あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。
- 670 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 21:45
- >669
なんだか分かる・・・。
彼と交際半年位に、彼の家族が週末に泊りがけで旅行へ出掛けた。
これ幸いとばかりに、その隙を狙って彼の家で二人で過ごすことにした。
でも彼のお母さんが一枚上手で、居間のテーブルに書き置きが・・・。
「ごはんは二人分炊いておきます。おかずは冷蔵庫に入ってます。」
二人で笑いながらお母さんお手製の食事を食べた。
翌朝、さすがにその日の分のおかずがないので、台所を借りて簡単な
おかずを作った。確か野菜の味噌いためと大根の味噌汁だったと思う。
「なんだか不思議な感じだな。・・・なんだか近い将来をバーチャルリアリティ
で見せられてる気分だ。」と、彼は照れながら言った。私も恥ずかしかった。
・・・付き合い始めた当初は、私も胸一杯で食が細かった・・・。
ケンタ行っても、チキン1本でもう満腹。ファミレス行っても、セットの
サラダだけでもう満腹・・・。
- 671 :9821V16 :2000/05/30(火) 22:24
- 僕が中学校二年生の時、今から15年前。それまでアパート暮らしだった我が家は、
同じ町内に出来た新築マンションを購入した。
タイル貼りの瀟洒な作り、エアコン付きの白い壁を、
親から「オマエの部屋だぞ」って言われた時、本当にうれしかった。
引越前に、カギを借りて泊まったほどだった。
でも、それは家計を圧迫する事でもあった。それまで専業主婦をしていた母は、
知人の会社で事務を始めた。それも慣れ、楽しい生活が始まって数年、
高校から帰宅して、部屋にいると、いつもより早く、母が帰宅した。
その顔と、服を見て驚いた。服は泥だらけで、頬には無数の擦り傷があった。
ショックで、心臓がドキドキして止まりそうだった。
そして、母は、僕の顔を見るなり、目を真っ赤にして「病院に一緒に行って」と言った。
訳を聞くと、自転車から転んで落ちたという。
パート先の会社の用事で、郵便局に行くところを、仕事が忙しいために、
時間短縮を狙って、慣れない自転車に乗ったら、転んだらしい。
会社に電話して早退し、タクシーでそのままここに戻ってきたという。
とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、泥にまみれ、傷だらけになっていた。
神聖な物が汚されたようで、なんだかくやしくてくやしくてしょうがなかった。
ここまで無理して母を働かせていたのか、と、自分も情けなかった。
近くの病院にすぐ診てもらったが、幸い、骨には異常なく、擦過傷で済んだ。
一安心した帰り道、「何か買って帰る?」って母に聞いたら、「ふがし」。と一言。
近くの駄菓子屋で10本まとめ買いして、母の後を追った。それを見た母は、笑って、
「こんなに買って来なくてもいいのに〜」と言いながら、
愛用の缶の菓子入れにしまい、いつもと同じように台所に立った。
- 672 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 22:26
- >699
>あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。
なんか、胸がきゅーんってなったよ。
- 673 :名無しちゃん :2000/05/30(火) 23:54
- 小学5年生のとき、同じクラスの女の子の母親が自殺してしまった。
そのときは、みんなびっくりしたんだけど、
しばらくたったら、みんなそのことは忘れかけてた。
そして6年生の遠足の時、その子が持ってきたお弁当は
焼き鮭(切り身まるごと)だけが挟まったサンドイッチだった。
もちろんパンは普通の食パン。
私は、そのサンドイッチをみたとき、何も言葉が出なかった。
ふだん、からかったりしてふざけてたけど、
そのことは気づかない振りをしなければならないと思った。
そして、自分がいつも当たり前に母親にお弁当を作ってもらえる
ことを、本当に感謝した。
今でもあの鮭のサンドイッチの事をたまに思い出します。
- 674 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 06:44
- あげ。
- 675 :ぴた@亀主 :2000/05/31(水) 09:24
- >673
ふえぇぇぇぇん(T−T)
- 676 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 10:28
- うーん・・・
泣けるような話じゃないんだけどね。
この前、別れた彼女と飯を食いにいったんだ。
本当にいいお友達として、
で、ファミレスに行ったんだけど、
話の中でおれが食事しているときが好きって言われたんだ。
小さい頃からしつけにうるさく言われてて、
そのせいかなぁと思ったんだけど、
その彼女の前ではどう考えてもきれいに食べたことは無かったんだよね。
でさ、昨日聞いてみたのよ。
そしたら、あんまりおいしくないものでもおいしそうに食べるからだってさ。
単なる食いしん坊なだけじゃん・・・
- 677 :名無しさん :2000/05/31(水) 16:52
- 2才のころ、両親が離婚して、祖父母に育てられました。
遠足のお弁当や、よそ行きの服などが年寄りっぽくて
ずいぶん不満でした。高校生になって、父の再婚家庭に
引き取られ、(祖父は亡くなり)祖母のところへは、
ちょこちょこと泊まりに行くだけになりました。晩御飯
は、必ず、私の好きなものばかり、わざわざ買いに行って
くれてたのです。そのなかに、もやしの味噌汁がありました。
そのもやしは、全部、ひげ根が取ってありました。今思うと
ずいぶん大変だったと思います。育ててもらった恩返しも
十分できないまま、亡くなってしまいました。いまだに、
もやしの味噌汁は食べられません。
- 678 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 21:14
- だから泣かすなと言っておるだろうが。
本当にいいスレッドだなチクショウ。
- 679 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 23:52
- >671
>とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、
って、何のてらいも無く言えるというのも、
素敵なことかもしれない
- 680 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 02:08
- 過去の美化が甚だしいスレッドですね。
- 681 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 09:11
- >680さん 思い出って月日とともに美しくなっていくものなのだよ。
だから良いのだよ。
- 682 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 11:21
- 私の作る美味しい料理を残したのは、ある先輩だけでした。
「夜はあまり食べないから少しでいい」と言うのに、
気合入れて大量に作った私も悪いんですが。
いや、でも、謝りもせずに「少しでいいって言ったじゃん」はないだろう。
あまりのショックにボロボロ泣きながら残った料理を全部食う私の横で、
一生懸命皿を洗う先輩。
間違っても人前で泣くことのない私と、間違っても片付けなどしない先輩の
不気味なコラボレーション。
今はもう怒っていませんが、あの世界一量の多い塩辛いサラダの味は忘れません。
- 683 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 11:26
- >682
作りすぎはいけません。
- 684 :mana :2000/06/01(木) 13:12
- いつもジーンとは来てたけど、673の「鮭のサンドイッチ」
を読んで、涙が・・・ 仕事中なのに。
創作とか言う人がいるけど、素人がこんなにうまく作れるもの?
「いっぱいのかけそば」よりずっと感動するよ。
- 685 :ここのスレ読んでると :2000/06/01(木) 13:32
- 事実は小説よりも奇なりって格言を思い出すよ。
俺も二つほど書いたけど両方とも紛れも無い事実だしね。
他の人のものも、嘘やフカシでこんな話書けないと思うよ。たぶん
「創作」って書いた人は、きっとこういう思い出すらない寂しい人なんじゃない?
- 686 :>682 :2000/06/01(木) 13:32
- 何様のつもりなんだろ
- 687 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 13:57
- 小学2年生の頃の話。
ある日、わたしはトイレに入った。用を足し、出ようかと思ったわたしはドアの鍵が
壊れてて閉じ込められた(自分自身で)のを知った。パニックに陥るわたし。
家族は留守。ひとしきり泣いて落ち着いた頃、耳を澄ましてみた。
我家の隣は父が経営していた事務所。その事務所方面から何やらジャラジャラという
音が聞こえてくる。休日だというのに父が従業員を集めて麻雀をしていたのだ。
「お父さ〜ん!お父さ〜ん!」必死で叫ぶわたし。しかし牌の音にかき消されわたし
の声は父には届かない。。父に頼れぬことを悟ったわたしはトイレの上のほうにある
小さな窓からやっとこさ脱出。(小柄で痩せてて良かった。。)
父の元に行きギャンギャン責め立てるわたしに父は「焼きそばとってやるから」。。
そう、わたしの好物が焼きそばであることを念頭に置いての懐柔作線である。
「そんなことで許さない!」と思ったのも束の間、焼きそばの出前が届いた時点で
わやしの怒りは海の藻屑となってしまった。父よ、さすが親だな。。
あの焼きそばの味は忘れられない。涙と鼻水の味がしたよ(汚くてゴメン)。
そんな酷い(笑)父はその3年後脳溢血で天に昇ってゆきました。。
- 688 :さぁてと、今日もヒト泣きすっか。 :2000/06/01(木) 14:46
- ぁぁぁ。
- 689 : :2000/06/01(木) 15:25
- 泣けない話しで悪いが、
記憶に残る食事は「鳥すき焼き」だ。
鹿児島の祖父が鶏を絞めて、お湯をかけて羽をむしりとり内蔵を取り出し、
ざっと焼いたものを使ったすき焼き。
吊るされて最初は暴れていた鶏が、ぐったりとなったところですかさず、スパッと首をはねた祖父。
逆説的に命の尊さを学んだ様な気がした。
未だにあんなに美味しい鶏肉は食べた事がない。
- 690 :名無しさん :2000/06/01(木) 16:56
- >689
幼いころの思い出とか、悔恨の残る話も胸うたれるものが
ありますが、お祖父さんの鶏の料理は十分感動的ですよ。
「いのち」と「食べ物」とのかかわりを、子供に実地で
教えることのできる大人は時代のせいで少なくなっていますし
お祖父さんは、当たり前のこととしてやったことでも、
あなたや、この話を聞いた私たちに大切なとこを伝えて
くれたのですから。
- 691 :690 :2000/06/01(木) 16:59
- 失礼、「大切なとこを」→「大切なことを」でした。
- 692 :うほほ :2000/06/01(木) 20:09
- 2chで泣いた....。
- 693 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 04:09
- ダンナはひとりっ子、私は貧乏な7人家族育ち。
結婚前、ダンナが家にご飯を食べにきたときのこと。
お刺身を出したんだけど、ダンナさん、わさびの小袋をとって全部自分の醤油に溶かしちゃった。
家族ボーゼン。だって、貧しい一家は いつも小袋のわさびを7人で分けていたので。
みんな無言で、わさびなしの醤油で刺身を食べました。
- 694 :母は :2000/06/02(金) 07:58
- 鶏肉が嫌い。どうしてなのかなー、とずっと思っていたのだが、この間父に
尋ねたら答えてくれた。
ママはね、小さい頃、農場で飼ってた鶏をとても可愛がってたんだって。
毎日餌をやる手伝いをして、全部同じ様な顔をしてるのに、一羽一羽に
名前をつけて。
でもお客さんが来るとおじいちゃん(私の曾祖父)がその鶏を何羽か
殺して、それをご馳走にしてしまう。それが辛くて辛くて、それ以来
鶏が嫌いなんだって。
いつもは強くてきりりとしている母なのに、何となくその話を聞いて
かわいいな、と思ったり。お客さんが来て鶏鍋とかやってる時の、食卓
での母の気持ちを考えると、やりきれなくもなったり。
うちって実は元祖「羊達の沈黙」だったのね、とも思った(笑)
- 695 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 12:17
- >666さん
625のお話、わたしは「おばあちゃんが会いに来てくれたんだ〜」
ってすごく感動して拝読しました。
きっとおばあちゃんが666さんのことを大切に思ってくださった
からあった出来事なんでしょうね。
わたしは創作だなんて思ってませんよ〜。
一言お伝えしたくて書き込んでしまいました、、、m(_ _)m
- 696 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 15:52
- 小学校の時両親が離婚しました。
気の強い母は父が仕事に行っている昼のうちにアパートの契約をし、
夜には母と兄と私とで家族の家を出て行きました。
子供ながら本能的にそんなしっかり者の母との暮らしを選んでいたのですが
正式に離婚が成立する前に一度兄と私だけが父に呼ばれて
父しかいないもとの家族の家に居行くことがありました。
みんなで生活していた部屋は私達の荷物が無くなったことと
男の一人暮しになったせいかガランと殺風景で寂しい部屋になっていました。
いつもは父が野球を見る為見ることが出来なかったアニメを見せてくれて、
もてなしのつもりだったんでしょうね、ぶどうを出してくれたんです。
お皿ではなくて新聞紙に載ったぶどうを見て胸がきゅんとなりました。
あれ以来父には会っていないし実は消息すら分かりません。
探そうかと何度も思ったけど母を裏切ることになるような気がして
なかなか踏ん切りがつかずにもう20年が経過しました。
もうすぐぶどうの季節。店頭で見かけるとふと立ち止まってしまう。
- 697 :>696 :2000/06/02(金) 15:55
- 私がその父です。
っていうネタはここでは禁忌なのね。
すまん。気にしないでくれ。
- 698 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 16:20
- 女子校時代、バレーボールの部活のあと、運動部ご用達の店で
磯部巻き、ラーメン、またはたぬきうどん、あんみつ、
ところてん、ソフトクリーム、合間にコーラ、という
フルコースを毎日のように食べてた、、、なんであんなに
食べれたのか今では信じられない。もちろんそのあと
家で夕食も食べてたの。
- 699 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 18:56
- 新婚のころ、妻が毎日お弁当を作ってくれました。
ある日、朝からつまらないことで喧嘩をしてしまい、今日は弁当無しか・・・
と思っていたらちゃんとあった。
昼休みに会社で包みをあけるとオニギリが2つとゆで卵が入ってました。
さすがに今日は手抜きかと思いながらオニギリをほおばるとおもわず「うぷっ!」
中身を出してみると白くて柔らかいものが。中から出てきたのはホワイトチョコレート
口直しにゆで卵をたべようとしたら、玉子の殻に鬼のような顔が書いてあり、「ざま〜みろ」
と書いてある。
妻からの報復攻撃でした。それから1週間、お互いに口をききませんでした。
最近、息子と娘が学校へお弁当を持っていくようになり、私のお弁当が復活しました。
オニギリの時は今でも一旦2つに割り、中身を確認するようにしてます。
- 700 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 00:04
- >699さん
かわいい奥さんですね!
- 701 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 01:32
- なんかいい話が多いので上げです。
俺は、くそ暑い土曜の夏真っ盛り、高校の帰りに買った
ペプシとホンコンやきそばの昼飯を思い出します。
勿論自分で作る。親いないから。
- 702 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 21:11
- >698さん
私が高校時代に付き合っていた彼女は、ソフトボール部に入っていて、
やはりものすごく食べていました。
彼女は、お母さんにお弁当を2つ作ってもらい、
お昼に二つともキレイに平らげていました。
(しかも部活の後は、ラーメン屋でチャーシューメンをペロリ。)
晴れ渡った青空の下で、豪快に食べていた彼女の姿を、
あなたのカキコを読んでいて思い出してしまいました。
- 703 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 21:57
- 悲しくて、おかしくて、懐かしくて、どれを読んでもやはり
泣いてしまう。
- 704 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 03:37
- 昔、ピーナッツに衣つけて揚げたお菓子がすごく好きでした。
その日もいつものようにぼりぼり食ってましたら、
私をすごく可愛がってくれてたおばあちゃん(母方・入院中)が危ないって電話が入り。
揚げピーのことなんか頭からすっとんで、慌てて病院に向かいました。
で、そのままおばあちゃんは逝っちゃったわけですが・・・
何かとばたばたした一週間が過ぎて、家に戻ってようやく一息ついて、
思い出に浸ったりなんかしてる最中、
猛烈なヤバげ感が私を襲いました。
まず吐き気。次、下痢。熱もそうとう高くなった。死ぬかと思うほど。
自分の母親に死なれたばかりの母は、
胃の中身と体力を出し尽くしてぐったりしている娘(私)の手を握りながら、
「おばあちゃんがあんたといっしょに行きたがってるのかなぁ…」
と泣いてました。
私は死にそうになりながらも、
「一週間前の揚げピー見つけて、食ったから…?」と気づいていたけれど、
回復した私を見て「よかった」とまた涙ぐむ母には、真相は言えませんでした…。
大好きな人が死んでも腹は減る、でも、
食べるものには気をつけないと、しゃれにならんね。
- 705 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 05:37
- 4年前に亡くなったお婆ちゃんのきゅうりの漬物。
故郷に帰ったときはこれが楽しみだった。
- 706 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 07:54
- >701
ホンコンやきそばってなんですか?
高校のころといえば、私は帰宅部で、学校おわると即栄周辺(名古屋出身なので)
に出てファーストフードの店で友達と何時間もしゃべってた。
ケンタに8時間いたことある。土曜の昼から…夕ごはんもケンタッキー。
店員におこられないように、死角の席で。よくあんなにしゃべることあったなー
授業中もしゃべって、放課後しゃべって、夜には手紙書きあってた。
まさに「箸が転がっても?たのしい年頃」だったのでしょう。
- 707 :。☆。 :2000/06/04(日) 07:59
- 去年の話。
俺がまだ高校生だったころ。
母親の金をちょこちょこ盗んでは遊びまくってた。
ある時どうしても金がなくなり、欲しくなり、
バイト先で金を盗ってしまった。
結局バレて、母が店に呼ばれた。母はすまなさそうに下を向いていた。
当然俺はバイト先を首になった。
帰り道、母は俺が母の財布からお金を抜いていた事を知っていた。
それで母は俺に、
「何か欲しい物でもあるの?ウチは母子家庭だけど
あなたにはお金のことは不自由させたくないの。引け目を感じさせたく無いから」
と言った。
俺は何も言えなくなった。
それまで「何で気付かないんだろう」「気付いた時に怒られればいいや」
と思ってた自分が恥かしくて小さくて、泣いた。
そして最後に、「人様の物に手出ししちゃダメよ」とだけ言って
それからお金のことに触れなくなった。
その晩、いつものように変わらず出てきた夕食が暖かかった。
- 708 :701 :2000/06/04(日) 13:56
- >706
ホンコンやきそばを知らないと??
ホンコンやきそばとは、15年以上前からS&Bから発売されている
歴史のある即席食品です。
調理法はフライパンでお湯を沸かし、その中に麺をいれて水分が無くなるまで
ほぐせばできあがりという、即席麺としては多少時間と手間のかかる物です。
添付品として、ごまと青ノリのパケがついてきます。味は麺に付いてます。
価格は60円くらいが相場でしょうか?ペプシと一緒に(あとタバコと)
買っても、500円でお釣りがきます。
今でもこれ食べると、何故か優しい気持ちになれるんです。
何故か時々泣けちゃうんですけどね。(笑)
これって北海道限定販売なんでしょうか?
- 709 :名無しさん :2000/06/04(日) 16:45
- 私の話は誰も死なない。
1993〜4年頃、私は仕事でドイツのデュッセルドルフという所に住んでいた。
当時社会人になったばかりの私は、会社の人(全て日本人です)と上手く行かなくて
プライベート時間は殆どひとりで過ごしていた。
県内屈指の進学校にもかかわらず、進学をけって
(正直言うと頭悪かったし、いちばん競争率が激しかった頃だから逃げただけ)
友達に「行ってくる」と出て来た反面、すぐには帰れないという気持ちがあったから
仕事は仕事と割り切って、それ以外の時間は本当にひとりだった。
休日にアルトシュタッド(旧市街地)というこの街が出来た頃からある繁華街で
コーラとスパイスの利いたソーセージとフライドポテトを路上のテーブルで立ちながら
小さなプラスチックのフォーク(爪楊枝みたいな大きさ)で食べるのが習慣になっていた。
今から考えると、新社会人と親からの自立と
海外での生活(日本人の会社だったが)のすべてがある日から突然始まったわけで
今思い出すと気が狂いそうなくらい辛い日々でもあったと思う。
唯一のコミュニケーションの取り場所である会社の人間に村八分にされて
よく孤独に耐えられたものだと思った。
その会社も退職する頃には何とか認めて貰えるようにもなり、
仲良く話も出来る関係を作ることが出来た。
空を見上げては「日本と同じ景色が見られるのはここだけだなぁ」と
本気で思っていた頃と同じ位置にある、キャリーブルストとポムスが食べたいと思う。
- 710 :>708 :2000/06/04(日) 16:50
- 鹿児島にもありました。
今は福岡に住んでいるんですが、探したけどこっちにはありません(-_-;
食べたいよ〜〜〜!!ホンコン焼きそば(TоT)
- 711 :名無しさん@1周年 :2000/06/05(月) 03:11
-
- 712 :707 :2000/06/05(月) 10:44
- 707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!
- 713 :707さんへ :2000/06/05(月) 10:49
- 707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!
- 714 :名無しさん :2000/06/05(月) 15:18
- あげよう
- 715 :名無しさん@1周年 :2000/06/05(月) 18:06
- 風邪ひいて39度の熱を出した時、
彼氏が一人暮らしの私のマンションを訪ねて
きてくれて、鍋いっぱいのカレーライスを作って
くれた。料理なんて全然できないのに、一生懸命
作ってくれた。それなのに私は「病人にカレー・・・」
と文句を言ってしまった・・・。
ごめんなさぃ〜〜〜〜〜〜。
- 716 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 02:04
- ホンコンやきそばは、北海道と東北限定だそうです
関東以西には売っていません
- 717 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 09:18
- ホンコンやきそばって昭和40年ころもう発売してたぞ。
たしか立川談志がCMで
「SBホンコンやきそば。ホンコンにうまいよ」
ってコピー使ってたなぁ
- 718 :701 :2000/06/06(火) 09:25
- >716.717
レスありがとね
- 719 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 11:29
- 念願かなって子供が授かった。
あまり泣きもしないけどどこか焦点がずれていたうちの子。
6ヶ月検診で障害があることが判明した。
ショックで毎日泣き暮らす日々。
夫もつらかったと思うが
次の日から「この子をしっかり育てるためには自分がしっかりしなきゃ」と
夜勤も進んでいくようになった。
夫には悪いが1日中そんな我が子と暮らす私の精神状態はめちゃめちゃだった。
この子を殺して自分も死んでしまおう。
どうせこの子は大人になるまで生きていくことができないのだから。。
今から考えると恥ずかしいが、これが夫のためだという思いしか浮かばなかった。
新婚当時から一生懸命ためた貯金通帳と保険の証書などをテーブルに揃えた。
ふと気づくと子供が居間で何かしている。
近づいたらだんなが私のために朝作っておいてくれたおにぎり(料理する気にもなれなかった)
のラップをはがしてかぶりついている..!
この子は障害があるけどまぎれもなく人間の本能があるんだ。
もうとうに離乳食を始めなければいけなかったのに。。
お腹すいたね。今日から離乳食始めようね。。
ご飯粒だらけの子供を見てわんわん泣いたのが昨日のことのよう。
しょっぱかったおにぎり。
あの日から頑張って毎日手作りして子供のごはん作ってます。
- 720 :472>715 :2000/06/06(火) 11:37
- おんなじだぁ〜 と思って思わずカキコしてしまいました (^o^)
「普段料理しない彼」の料理=カレー って結構パターンなのかな?
お互い 今度は「病気じゃ無い時」に美味しいカレーを作ってもらって
食べたいですね。
- 721 :>719 :2000/06/06(火) 12:10
- 泣。生きよう。
- 722 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 12:32
- >719さん
282です。私も同じ気持ちの時がありました。
お互いがんばろうね。
- 723 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:02
- >719
会社で泣いてしまった。
世の中には、ひどい親もたくさんいるけど、あなたにはそうなって欲しくない。
がんばれ。
- 724 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:17
- ひっくひっく(泣)
涙で画面がにじむぅ(TへT)
- 725 :715 :2000/06/06(火) 14:30
- >472(720)
似たようなレスつけてごめんなさい(^^;)
私達の口に微妙に(?)合わなかったという点も
似てますね(苦笑)
その後472さんは結婚されたんですね。
おめでとうございます。(^-^)/
あいにく私達は別れてしまいました。。。
その時のカレ−が原因ではないですよ(^^;)
今付き合ってる彼とは来春結婚するんですが
彼も料理下手なので・・・一度カレーライスでも
作ってもらおうかな。
風邪じゃないときに(笑)
それにしても会社だというのに涙ぼろぼろです。。。
- 726 :472=720>715=725 :2000/06/06(火) 15:55
- >似たようなレスつけて・・・
うひゃ〜 (^_^;) あやまらないでください〜。
私としては「同じような体験した人がいるんだぁ〜」って思って
嬉しくてレスしてしまったのですから。
715=725さんも ご結婚されるのですね。
おめでとうございます。
彼にカレーを作ってもらったらぜひぜひ感想を
このスレッドに書き込んでくださいね。
- 727 :472=720=726さま :2000/06/06(火) 16:45
- 715=725です。
どもども(^-^)
それにしてもこのスレは和みますね。。。
ちなみに660のレスも私なんですよ・・・。
お恥ずかしい話ながら、日曜日に書道塾に行く私の為に
父が俵おにぎりを作ってくれた事を書かせていただきました。
え〜、他の皆さん、私達二人で盛り上がってしまって
すみません。。。皆さんのレスにも泣きながら、そして笑いながら、
うなずきながら楽しく拝見させていただいてます。
ってことで、472=720=726さんにレスしつつも
ちゃっかりageさせていただきました。
- 728 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 17:35
- 2chで思いがけなくいい話を読んだよ。
ちゃかすのはやめて、すなおに応援したい。
明日のことは人間は予見することはできん。
誰にもだ。しかし今を精一杯生きることはできる。
お互いにがんばろう。
- 729 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:26
- うわぁん(涙)
みんなの励ましを読んで、また涙。
- 730 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:37
- >729(=719?)
辛い事もあるだろうけど 新しい発見もまたたくさんあるはず。
みんなのレスを思い出して(がんばり過ぎない程度に)がんばれ!
- 731 :名無しさん :2000/06/06(火) 19:40
- 子供が幼稚園の時、インフルエンザウィルスによる「急性脳症」にかかった。
担当医から「脳圧が高くて脳波はほとんど反応してない。植物状態か死亡のケース
も多い。助かったとしても重度の脳障害が残る場合もある。」と宣告され、
すぐに親族を呼ぶように言われて動転した。
意識のない長男は、ベッドに横になったまま身動きひとつとれなかった。
入院中付き添いをしていた私に夫が差し入れをしてくれたけれど何も食べる気になれなかった。
でも私まで倒れたらだめだと思って無理やり押し込んだ。
好物を食べても全く味がしなかった。私の感覚も麻痺したみたいだった。
やっと意識不明の状態を脱して、少しずつ流動食を与えられるようになった。
表情や反応のない長男にほんの少しのオモユを口にいれる。反射で飲みこんでいる
ので「食事」というよりは機械的な作業のような感覚に似ていた。
元気だった頃大好きだった「コーンポタージュ」を少し入れてもいいかと担当医に
相談してオモユに入れてあげてみる。
1口目、、、2口目、、、、3口目をあげた時、長男の口元がちょっぴり動いた。
かすかだったけれど、笑ってくれた。脳症になってから初めての反応だった。
「おいしかったんだ。良かったね。」涙がとまらなかった。
私も残りのコーンポタージュを飲んでみた。おいしかった。
1か月ぶりで味覚が戻ってきた。
- 732 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 19:54
- ぅぅぅぅ。
- 733 :>730さん :2000/06/06(火) 22:07
- 729です。ごめんなさい、719さんではないの。
でもお話を読んではウルウルし、それに対しての皆さんの
優しいコメントを読んではまたもや涙ぽろぽろなのです。
ここにくるとほんとに励まされるようです。
食事・食べる、ということを大切にしようとますます思う
今日この頃です。
- 734 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:10
- 大好きな映画、「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフを
借りるなら…
「ここは、天国か?」
「いや、ただのBBSさ。」
ってな感じでしょうか。
私も2つ書きこみましたが、みなさんのを読んでいると
口の中になにか懐かしくて、でもずっと忘れていた味覚が
蘇るような感じがします。
- 735 :9年前 :2000/06/06(火) 23:27
- 沖縄に家族で行った時、タクシー運転手の運天という方が
戦後まもなくの話をしてくれたのですが、兄弟みんなお腹を空かせて
どうしようもなくて米軍のキャンプ地に盗みに入った時、アメリカ兵は
自分達を見つけても罰するどころかリュック一杯の缶詰やらなにやらをくれた、
だけどヤマトンチュ(本土の人間)は自分達が出てくるのを待ち伏せて、
渡さなかったら殴る蹴るして取り上げたという内容でした。
アメリカ兵の方には勝者の余裕があっただろうし、本土の人は負けて
余裕もなにも無かっただろうけど、それを聞いた時無性に恥ずかしかったのを
覚えています。
分かれ際に運天さんはグアバの実をくれました。みんなで食べて後に残った
種をまいたけど、やっぱり成長しませんでした。今でもグアバジュースとかを
見るたびにその時の事を思い出します。
- 736 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:48
- 735さんの話で思い出しました。
祖父の話です。
ビルマで鉄道作ってたらしいんですけど(ビルマの竪琴の元ネタ部隊?)、
米軍の捕虜になって、終戦まで収容所暮らししてたそうです。
祖父の仕事は、米軍の食事作り。
良く大きな鍋で大量のココアを作らされたそうです。
初めて嗅ぐココアの香りにそそられて、ついつい盗み飲みしちゃった
そうなんですが、監視のアメリカ兵は、3回に2回は見逃してくれたとか。
それを許してくれない厳しい監視役は、シラを切る祖父達に、「口を開けろ」
と命令。当然口の中はココアで茶色。それでも正直に謝らない祖父達は、
「ジャップ、いけない!」と良く怒られたそうです。
他にも、大量の牛肉を焼かされたりもしたそうですが、勿論盗み食いは
ちょこちょこやってたようです。
・・・それでも、例えそれを口で咎めることはあっても、決して暴力を振るわれ
ることはなかったそうです。
戦時中であっても、そういう精神的な余裕も持っていて、尚且つ豊富な食生活
を送る米軍の実状を見、祖父は敗戦を悟ったそうで・・・。
実家で食卓に牛肉が出る度、チョコレートの類を見る度に、何度も何度も
この話を繰り返し聞かされました。
流石に身体は弱ってきてますが、祖父78歳。まだまだ元気です。
少し話がそれました。ごめんなさい。
- 737 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 02:13
- 小学校の頃田舎に住んでいたので
何か買うときは3駅先の街まで行かなければいけなかった。
始めて家庭科でエプロンを作るときも然り。
親友と2人で行くはずが、普段私が嫌いで意地悪していた子も
何故か一緒に行くことになった。
小学生の頃ってちょっと知ってる街から離れただけでも
外国に来てしまったかのような錯覚があって
帰り道しっかり迷ってしまった。
このまま自分たちは駅にもたどり着けないんじゃないかと
思って不安で不安で。。
泣きたかったけど嫌いな子の前で涙を見せるわけにはいかない。
ぼろぼろになりながら公園についたのでとりあえず
ベンチに座って休むことに。
そういえばもう夕ご飯の時間。
そう思ったらお腹がすいてすいて。
嫌いな子がおもむろにかばんからチョコレートを取り出した。
普通の板チョコなんだけどその時は本当にご馳走にみえた。
だけどふと思った。
その子は私にそのチョコをくれないのではないか?
私にはいい印象はないはず。
3人並んで座ってたけど一番端の私は固まっていた。
真中の親友からチョコが回ってきたとき
受け取ったけど口に入れることができなかった。
普段意地悪していた罰だ。
その時嫌いな子が「全部食べていいよ」って言った。
半分は残ってたんじゃないかな。
結局近所のおばさんに聞いたら道をちょっと外れただけだったんだけど
噛み締めるように食べたチョコレートは
小学生の私に何となく人生?みたいなものを感じさせてくれたような気がする。
- 738 :かます知ってる? :2000/06/07(水) 02:55
- 小さい頃から甘いものが嫌いで祖母の家に行っても姉はもてなしの菓子を沢山食べたが私は只牛乳だけ飲んでいた。
しかし祖母の作るかます(蓮根の酢の物)が大好きでことある度に山の様に作っておかずにおやつに出してくれた。
成人して何年も祖母に会いに行かなくなったある日、祖母がパーキンソン病になった。薬の副作用は痴呆。見舞いに行き「またかます作ってくれなきゃ嫌だよ」と言うと微かに笑ってくれたいたけれどどんどん孫の事は忘れてしまい今は自分は少女だと思っているらしい。
けれど去年の敬老の日にふと思い立ってそれはみごとな藍色の桔梗の鉢植えを買って見舞いに行った。どうせわからないだろうけど。
その藍色を見た祖母は一瞬だけ正気になった。「ああ、●●ちゃん。こんなに綺麗な鉢ありがとうねえ。かます作らなきゃねえ。」
ほんの一瞬だったけど嬉しかった。かますは叔母が作ってくれたけど味が違う。祖母は子供の味覚とズレている私に色々作ってくれた。パスタにわかめふりかけ振ったり(ミートソースも嫌いだった)、トーストにごはんですよを塗ってくれたり(ジャムも嫌いだった)。今まわりに言うと「うげえええ」とか言われるけどおいしいんだってば。
祖母の食事。もう味わえないけれど今でも一人で作ってるよ。
- 739 :私がリンゴが嫌いな理由 :2000/06/07(水) 04:43
- 大学病院でちょっとした手術をしたら、麻酔がなかなか醒めなくて、
先生達がパニックしてたな。2〜3日は頭がクラクラしてた。
父が心配して、すったリンゴを食べさしてくれて、点滴つけたままの私の
手を引いて、病院の中を連れ歩いてくれた。
一緒に暮らしてない父で、そのウップンで母は私を虐待した。
母のことは、ずっと殺してやりたいくらいだったけど、
父は会う時はやさしかった。
でも、母の虐待を知ってて、それでも女と別れないズルい人だと知っていた。
その半年後に急に父は死んだけど、他人事にしか感じられなかった。
感情を殺すクセがついてるからなのかな…
父のことは今は存在したことさえ忘れた感じ。命日も覚えてない。
母とはずっと縁を切ったままです。
- 740 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 12:49
- 挙げときます
- 741 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 13:35
- >>731
泣けました…。
- 742 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・
- 743 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・のであげ
- 744 :だいじょうぶ>742 :2000/06/08(木) 01:24
- まだ416Kbです。高画質アイドル画像2枚分ぐらいだよ(変な例えでごめん)。
- 745 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:23
- あのー関係無い話で悪いのですが741のように番号をリンクすることは出来るの?
どうやってやるのですか?
- 746 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:43
- http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=pcqa&key=959547706
関係ないですね。
- 747 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 04:07
- >>746
たしかに2ch、特に食べ物板の書き込みの質は低下している。
去年から何回か2chオフに出て気が付いたのは、出るたびに平均年齢が
下がって行っているということだ。 2ch開始当時はネットワークに精
通しているというか、他から流れてきた人間が多かったのだが、メジャー
化してマスコミに露出するたびに、何も知らずにいきなり2chからとい
う人間が増えていった。 いつのまにか社会に適応できない若者が溜まる
場所になっていった。 ネガティブな思考しかできない彼らは次々と古く
からの固定を煽り、罵り、嫌気がさして去っていく者が後を絶たない。
結果、残っているのが今の有様で、既にまともなスレッドを立てても大し
た反応もなく、ただ、うざい、しねとかの類ばかりになった。
去年のオフはまともな社会人が大勢を占めていた。 煽りやくだらないス
レッドも知的なゲームとして楽しんでいた。 最近のオフは学生や無職、
フリーターが多い。 ネットの常識も社会の常識も知らずに、ただ自分の
欲求を口走っているか、日常以外の場所で自分を顕示しているかのどちら
かだ。 それでも往時のような話題が全くなくなったわけではないから、
つい来てしまうけれども。
匿名掲示板で自由を満喫して、普段言えない本音でもって議論できた場所
が不適応者の巣窟になっていくのは悲しいけれども、関わったからには行
く末まで見ていようとは思う。
- 748 :>745 :2000/06/08(木) 04:10
- >>番号
全部半角英数字でね。今のところ
saki.2ch.netにある掲示板だけ有効です
- 749 :泣かすスレッドになってるけど :2000/06/08(木) 05:16
- オレが好きなのは1とか85、352なんかだ。
ちょっと情けない男のエピソードに共感してしまうのは
きっとオレも情けない男だからなんだろう。
今度このスレッド内の人気投票しないか?
- 750 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 09:23
- >749
人気投票、いいアイデアなのかも知れないけど
みんなのそれぞれの思い出に
他人がランクをつけても意味無いかな って。
以前私も思い出書き込みました。
もし それが人気無かったら・・・・
(人気があったら うれしー!! ってわけでもないけど)
ちょっと さみしーかも。
ちっとも共感してもらえなかった って思っちゃいそうで。
- 751 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:33
- >749
750に賛成。
それに今のこのスレの雰囲気や流れを変えたくないってのはあるね。
人気投票をするなら別スレで頼む。
- 752 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:46
- 何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。
父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。
何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。
あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。
- 753 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:02
- 悪い、ちょっと作りすぎている。
時間がたっているせいか、
ゴメン、これには感動しないわ。
すまん。
- 754 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:15
- いちいちそんなこと書きこまなくってもいいよぉ。>753さん
そう思うなら、心の中でそっとしまっておいて。
感動させるために書いてるわけじゃないしね。
私は食べることが大好きな父を思って、なんとも言えない気持ちになりました。
- 755 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:12
- いや、感動させるために書いている姿勢が見えて
嫌になったんじゃないかな?
このスレも確かに後ろに行くと、作り込みと
自己陶酔がクサくて、鼻につくように思います。
このあたりが、ここがレベル低下してるのと
リンクしてるんじゃないかな?
甘えすぎ。
- 756 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:47
- >755
はじめのほうは、短い文でもなんかジーンと来るものがあったよね。
- 757 :752です :2000/06/08(木) 14:22
- お昼から戻って覗いてみたら、私のカキコで一論争起きそうな気配。。。
一言言わせて下さい。
私のそれに限らず、このスレのカキコの寄せられる意見は多種多様であって当然で、
それに関して何ら反論するつもりはありません。
ただ、一家の大黒柱を失うということは、とても大変な事なのです。
敢えてここに書く必要もないですが、私達もそれは大変でした。
こうやって父のことを振り返ることができるようになったのも、ごく最近のことです。
私自身、この10年、ただただ必死でした。
頑張らなきゃ、と思ってやってきました。甘えてる暇などありませんでした。
ちょうど10年が経過して、私は、今まで3人で頑張ってきたよ、これからもよろしく、
と父に伝えたくてここに書きこみしました。
でも、こういう公の場でそれを公開してしまったことに、少なからず嫌悪感を
覚えてしまう人もいるんですよね。
そんな事、直接父の墓前に報告すればいい訳ですから。
気分を害された方々、ごめんなさい。
このスレの雰囲気を壊すつもりはなかったのですが。。。
>754さん、ありがとう。ご両親を大切になさって下さいね。
ここの方々は心優しい人ばかりで救われます。
そのご好意にあずかる私はやっぱり甘えすぎですかね?
- 758 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:24
- 文章が妙に下手で、カンにさわるんだなあ。
- 759 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:49
- >758
良いではないですか。
その人なりの文章のスタイルで。
これだけたくさんのレスがあれば
相性が良くないのもあって当然。
- 760 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 17:05
- 752、757さん、
私も4月に父を亡くしました。
親を亡くすということが、これほどまでに
悲しいものとは思いませんでした。
雰囲気をこわすなんてこと、ぜんぜんありませんよ。
ひとりひとりの心にある、親や肉親への思い、そして
いのちと食べることへの思いは、それぞれに私たちの
心に伝わってきています。
- 761 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 20:11
- あげる。
人の飯に、人の家族に、ケチつける様な真似すんな。
- 762 :バッカーです :2000/06/08(木) 20:51
- まぁまぁまぁ
みんなで一緒に楽しみましょうよ
はい次の方どうぞ↓
- 763 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 23:50
- 昨年の元旦。普段たべものの好き嫌いを言わない父が珍しく
「天丼が食べたいなぁ」言い出した。「今日は元旦だから、
今度の日曜日に食べに行こうね」といってその場は終わりましたが
次の土曜日に父は倒れ、2週間後に帰らぬ人となりました。
49日を済ませ、母に「何で正月にあんな事言い出したんだろう」
と聞くと「本当は昔から天ぷらが大好きな人だった。子供に好き嫌い
をするなという手前、あなたたちの前ではそういう事を一切いわない
人だったの」
私は40年近く生きていて初めてオヤジの好物が天ぷらだと知りました。
いまも天ぷらを食べるとオヤジのことを思い出します。
- 764 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 01:49
- 人の死が絡むとお涙頂戴になるのはしょうがないのでは?
投稿者が意図するしないに関わらず。
それにつけても、1氏のエピソードは誰からも「いいね」と
言ってもらえるエピソードですなあ。
- 765 :嫌な思い出だってある :2000/06/09(金) 03:15
- 社会人になってすぐの夏、いつもは食欲旺盛な私が急に食欲を失った。残業が
続いていたりしたから、夏バテかな、と思っていた。あるいは胃潰瘍の始まり
かしら、と。でも何故かスイカだけは食べられた。あとは何を食べてももどして
しまうので、ひたすらスイカばっかり食べていた。
暫く経っても快くならないので胃の検査のために医者に行ったら、妊娠して
いたことがわかった。当時私は妻子ある男性と関係をもっていて、勿論、気を
つけてはいたのに、妊娠だなんて、本当に青天の霹靂だった。勿論、彼は妻子
を捨てて私を選んでくれる筈もなく、中絶の資金だけ出してくれて、私は一人
で処分した。彼ともそれきりになってしまった。
あれから何年も経つが未だに夏になると罪悪感に苛まれ、嫌な気分になる。
勿論あの夏以来、スイカは一度も口にしていない。
しようと思ったこともない。
- 766 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 04:59
- >感動させるために書いてるわけじゃないしね。
ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
初期の書き込みの方がよかった。もう限界。
- 767 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:06
- >766
>ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
そうとしか思えないのは貴方の勝手だけど
わざわざそんな事書き込むなんて
本当に「感動させるために書いてるわけじゃない」人たちに失礼だよ。
誰も貴方1人を感動させようとして書いてるわけじゃないんだから。
感動話”ばっかり”読みたいんだったら それはムリってもの。l
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0ch BBS 2004-10-30