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思い出に残る食事
- 1 :もの食うひと :2000/02/26(土) 17:14
- いや、うまい・まずいはどうでもいいんだ。なんか状況とともに思い
出すってやつ。
おれは5年前に好きだった女の子と食ったスパゲッティだ。柄にも無く、
神戸のイタメシ屋でボンゴレなんぞを食していたのよ。相変わらず面白く
もない冗談連発してた。そしたら彼女が突然泣き出したんだ。くわしい
事情は省くが、おれにはどうすることもできない話だった。おれは
ただズルズルとスパゲッティ食ってたよ。
今日、あさりのスパゲッティを食って、突然そのときのことを思い出した。
あのときの彼女の表情や声がくっきりと蘇ってきたんだ。
それでなんか食い物ってすごいなと思ったわけだ。みんなにはこんな
経験ないだろうか? あったらぜひ教えてほしい。
- 521 :キソ肉マソ :2000/05/05(金) 14:38
- 俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。
俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。
いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。
ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。
そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」
俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。
今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。
- 522 :う〜ん :2000/05/05(金) 19:25
- みんな、いいなぁ。
- 523 :浪花のバーテン :2000/05/06(土) 11:01
- ずーっと読んでて、今思い出した。
今から8年前の8月31日。
高校生活最後の夏休みもオーラスを迎えたあの日。
俺達、和歌山N高校の美術部軍団十数人で
「最後のこの日に、思い出を作るぜ!」っつーて
海岸でバーベキューをすることになった。
網や木炭やら用意して、全員集まってさあ始めるか!
っつーたんが午後10時頃。
しかもその日は台風が近付いてて、風の強いこと強いこと。
でも、アホな俺たち。
「こんぐらい、いけるいける!」とかゆって
そこらへんにあった大きめの石積み始めて、用意始めたんだわ。
で、木炭真ん中に置いて、新聞丸めて火を付けて、
やっと木炭も赤くなってきた。
- 524 :浪花のバーテン :2000/05/06(土) 11:03
- つづき
さあ、やっとや!肉喰うでー!と肉を網にのせた時。
ザッパーン!
肉!網!木炭!全てが波に呑まれていった。
数秒の沈黙。そして、友人が一言。
「あ〜あ。」
次の瞬間大爆笑。
やっぱりこういうんが俺ららしいわ。とか
最後の最後にコレかい!とか言うて、
結局余った食材持って俺の家で焼いて喰った。
次の日学校やのに、朝まで騒いでた。
普通にバーベキューやってたら、ここまで
鮮明に憶えてなかったやろな。
ほんまに、あの時の仲間は最高やった。
だから俺は水辺でバーベキューする度に、
あのほんまにオモロかったあの高校生活と
もう疎遠になった仲間達の顔を思い出して、
なんか妙にセンチになる。
- 525 :酒飲みモナー教徒 :2000/05/06(土) 15:46
- 良いスレッドですね〜。(T_T)
私の思いでの食事は初めて彼氏に夕食を作った時のことです。
留学中に付合い始めたベジタリアンのアメリカ人の彼氏で、
はじめて私のアパートに泊まりに来たときの事。
いつもはラーメンしか作らない私ですが、
この時ばかりはと、日本食5品を作りました。
日本から送ってもらった半インスタント食品の品々。
たきこみ御飯、味噌汁、マーボ春雨、ワカメのサラダ、酢豚(肉なし)
いまでもはっきり覚えています。
味噌汁は外国人には合わないかな〜と思ったけど、
全部を御代わりしてくれて、最後に
”こんなに美味しいディーナーは、生まれて初めてだよ Thank you!”
と言ってくれました。
まぁ、アメリカ人のオーバーな誉め言葉と言うことを差し引いても
私には最高の夕食でした。
多分、初めて料理をしてよかったと思った瞬間だったと思います。
今、その彼氏は、よほど日本食が気に入ったのか(?)
九州で英語を教えに行っています。私はまだアメリカにいますが、
彼はこの夏にこちらに戻ってくる予定です。
今度は、私に日本食(九州地方ののなにか)
を作ってくれたらな〜と期待しています。
- 526 :ZX4 :2000/05/06(土) 18:21
- うちの母はとても料理がとても下手で、私を含め兄弟は全員、母の毎日
の食事よりも父の時々作る外れが無い料理になついて育ちました。
(両親ともに健在です)
ある時、女の子の友達に母の料理が家族全員のブーイングに遭ってる
話をしたら、(当然、それでも全く母はめげてない)「え〜お母さん、
かわいそう」とか言われてしまったことがあったのですが、
○ある日のみそ汁の具はピーマンだった
○別の日のみそ汁の具はレタスだった
○休日の昼飯に出たホットケーキはダマ入りwith桜エビと青ノリだった
○腐りかけの残り物のおかずがでることは珍しいことでは無い
etc.の数々の母の武勇伝や、それらを残すと容赦なく親父のゲンコツが待っていた話をすると、すぐに納得してもらえました。
家族にとって「お袋の味」=ゲテモノ料理となってます。(^^;)
そんなわけで兄弟全員にとって、ミッション「食べ物は好き嫌いなく残
さず食べる」「男でも簡単な料理ぐらいは作れるようにする」などと
いうことは造作もないことでした。母の料理が反面教師となって、
「味的にも傷み具合の上でも異常がない食い物を残すなんて罰当たり」
「料理に文句があるなら自分でどうにかする」という意識が英才教育
されてしまってたのです(恐るべし母)。
おかげで給食や、めったに行かない外食はご馳走も良いところでした。
つづく
- 527 :ZX4 :2000/05/06(土) 18:22
- つづき
やがて月日はたち、社会人になって一人での生活を過ごす今となっては
、ガキの頃の憧れだった外食や、コンビニ弁当などで済ませる食事も
増えました。そしてそれらの、味は憧れるほどのものじゃないってこと
(注:当然外食≠高いとこの料理です)、毎日食べるには栄養のバランス
が悪いこと、などが分かるようになり、今では逆に毒々しい色の漬け物
とかは意識して残す習慣になりました。
口当たりは良いけど野菜が少なく、添加物とかが入ったわびしい食事と、不味いけど家族の団らん(喧噪?)が絶えず、添加物は入ってないけど一発当たったら逆の意味でおつうじに悩まされる食事。
未だにこの究極の選択のどちらが良いのか答えが出ません。
あ、オチは「親父の手料理が恋しい」です。(^^)
長文駄文すいません。
- 528 :Z :2000/05/06(土) 18:28
- ↑すいません、改行がかなり変になってしまいました
- 529 :栗 良平@一発のかけそば :2000/05/06(土) 18:56
- このスレッドの内容を語り物にしたら、
しばらくドサ回りで喰っていけそうですね。
- 530 :名無しさん :2000/05/07(日) 03:02
- 最初にお断りしておきますが,私は世間で言うオカマちゃんです.
そんな,私にも彼が居た頃です.
私が具合が悪くて,寝ているとき彼が料理を作ってくれました.
料理と言っても,お粥とレトルトのお味噌汁.
お粥は固かったし,お味噌汁はしょっぱかったのを記憶してます.
その時,私は手術の後だったんで食欲もなかったんですけど
彼が折角作ってくれたんで,無理して食べました.
はっきり言っておいしくなかったです.
でも,彼が作ってくれたのと手術の成功からでしょうか泣いてしまいました.
すると彼は何も言わず,玄関から出て行ってしまいました.
数分後,息を切らして戻ってきて,無言で私にコンビニ袋を差し出しました.
中には私の大好きな焼きプリンひとつ.
泣き続ける私.
彼なりの愛情表現だったんでしょうね.
でも,その時の私は自分の事で精一杯で彼の気持ちには答えられませんでした.
その後,彼が事業に失敗,連絡がなくなり自然消滅です.
あの焼きプリンだったのかなぁ と今更ながら思う私です.
今だったら,良い奥さん?になれる自信あるんだけど.
#女性ホルモン打つと(初期)情緒不安定になるらしいです.
- 531 :名無しさん :2000/05/07(日) 17:26
- うえーん(><)
いいなあここ・・・。
- 532 :ftp :2000/05/07(日) 20:14
- サッカー部の先輩が難病で他界した。死ぬほどの重病だったとは知らなかった。
22歳で一人っ子だった。お通夜の弔問客は少なく、意外なほど年老いた夫婦に、
2階に案内された。友人ら3人でしばらく酒を飲むのだが、俺たち以外に2階には
誰も来ない。そのせいか、盛り上がらず、早々に退散しようとした。老夫婦はどうぞもっと
いてください。息子も喜びますからというのだが、誰も手をつけていない上寿司
ばかりがが並んでいる2階がなんとなく居づらく帰ってしまった。
一人息子を亡くした夫婦のさびしそうだったこと。なんで朝まで飲み騒いでやらな
かったのか、ずいぶん薄情なことをしたと今でも後悔している。
- 533 :名無しさん :2000/05/08(月) 06:33
- 幼稚園の頃実家でやってる仕事の取引先に
母親といっしょにいったことがある
母親はその会社の入り口のところで
じっとしてなさいってきつくいったけど
待っても待っても母親は帰ってこない
それで急に一人でいるのがこわくなってその会社のなかで母親を探しはじめた
なんでかわからないんだけど社員とはすれ違いもしなくて
灯りもついてなく薄暗い、天井が凄く凄く高くて
ガラーンとした廊下をとぼとぼ歩いてると
もしかして自分は捨てられてしまって
もうここで一人ぼっちなんじゃないかと思えてきた
もう皆とも大好きな坂本先生ともあえなくなったんだとおもったら
そうしたらなんだか鼻の置くがツーンとして涙がでてきて
でも泣くのがかっこ悪いと思ってたから必死に我慢して
そうしてずっと歩いてたら掃除のおばあちゃんに出会った
そのおばあちゃんがどうしたのって声をかけてくれたらもう我慢ができなくって
訳がわからなくなってそのおばあちゃんにしがみついて大声で泣いてしまった
そんな困った子供をそのおばあちゃんは頭を優しく撫でてくれて
泣き止むまでずっとそうしてくれた
それから紙コップに入ったコーラと食パンを手渡してくれて
そのころコーラが辛くて飲めなかったんだけどすごくおいしく感じられて
それをのんだらものすごく心が落ち着いたのを憶えてる
もうあのおばあちゃんの顔も覚えてないけど
抱きついたとき感じた作業服の匂いとあのときのコーラの味はまだ憶えています
- 534 :名無しさん :2000/05/08(月) 16:06
- 涙でキーボードが見えないのでブラインドタッチできてよかったなぁ。
- 535 :このスレッド良すぎる! :2000/05/08(月) 17:32
- このスレッド読んで、たまらずGW実家に帰って来ました。
母親がすごいよろこんでくれて私の好物ばかり作って
くれました。
美味しかったです。ありがとう>2ch
- 536 :名無しさん :2000/05/08(月) 19:21
- 家庭の事情により、バスで幼稚園に通っていたことがあります。
バスは幼稚園バスではなく市営バス、周りは朝を急ぐ大人で一杯。
当時4歳の私にはみんなが誘拐犯に見え、座ることもできず
泣き続けていました。
やっとついたバス停にはかならず祖父母がいて、祖父は大きな
逞しい胸で泣きじゃくる私を抱き締め、なだめ、3人で手をつないで
幼稚園に行っていました。幼稚園が終わると、祖父母の住むアパート
に行き、夜まで過ごしていました。
私をかわいがってくれた祖父母が、たまに『特別』といって買って
くれたお菓子があります。デパートの食品売り場にあった、何g
何円という、回るワゴンに乗ったお菓子です。
好きなのを買いなさいと祖父母が見守る中、決まって買うのは
風船に入った丸い羊羹。羊羹といっても、今思うと子供騙しの味で、
なのに大好きでした。
あの時間の事を思うと、いつも笑っていたように思います。
その後幼稚園にバスで通わなくなり、祖父母と一緒に住む
ようになったのですが、祖父母と両親の間には、お金のからんだ
大人の事情というものがあり、いつも殺伐とした空気が流れていました。
私は徐々に祖父母に甘えることはなくなり、冷たい態度さえとる
ようになっていました。
その後祖母が他界し、しばらくして私は進学の為家を出ました。
たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。大きなはずの
胸は痩せ、足は驚く程細く、強かった足腰は今では杖を使う程です。
いつも涙ながらに私の帰郷を喜び、小さな私が泣きながら抱き着いて
いた話しをします。今がどうであろうと、冷たい態度をとってしまっても
祖父にとって私はいつまでも小さな女の子です。
今度帰ったら、祖父とたくさん話をしたいです。いつまでも長生きして
いつか私が産む(かもしれない)曾孫も可愛がってください。
- 537 :にゃん :2000/05/08(月) 21:52
- おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。
その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。
帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。
帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。
家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
- 538 :>537 :2000/05/08(月) 22:30
- うぇ〜ん(ToT)
私も泣けてきました・・・。
タクシーの運転手さんも一緒に泣いてくれるなんて・・・なんていい人
なんだ!!
- 539 :僕もひとつ、半年前に別れた彼女のことを。名無しさん :2000/05/09(火) 09:12
- 彼女は、ほんとになにも料理ができない人だった。
あまりに何もできないので、「肉じゃがってのはこうやって
作るんだぞ」なんて、僕のアパートで作り方をおしえていたくらい。
3年くらい付き合っていて、僕は一足先に社会人になっていた。
彼女はまだ学生。僕はマスコミ関係の仕事に就いたこともあって、
なかなか会えないことも多かった。でも、僕は将来は結婚しよう、
と密かに考えていたんだけどね。
ある日、将来のことを話していて、自分の進路をちゃんと考えていない彼女に、
かなり厳しいことを言ってしまった。電話口で泣き崩れる彼女。
僕は、変に社会人として先輩風をふかしていたんだと思う。
その場はなんとか収めたけれど、しこりが残ってしまったような感じだった。
そして数日後の早朝、突然に彼女は急にアパートへ押しかけてきた。
そんなことは今まで無かったのでびっくりしていたけど、なぜか彼女はゴキゲンで、
「いっしょに朝ごはんを食べよう」と、
彼女はコンビニのおにぎりとカップ味噌汁を取り出した。
僕は、おいおいコンビニのおにぎりかよ、と思いつついっしょにおにぎりを食べた。
夜遅くまで帰れない僕といっしょの時間を過ごすには、これしかなかったし…。
でも、それから2か月もしないうちに、彼女から別れ話が出た。
僕の方も、うすうすと感づいていたので、驚きはしなかった。でも、
ただただ、悲しくてポロポロと泣いてしまったのを覚えている。
彼女、つらかったんだろうな…たぶん、あの日は眠れなかったんだろうな…
無理に明るく振る舞ってたんだろうな…
徹夜で仕事中、コンビニのおにぎりを食べると、あの日を思い出して泣けてきます。
そんなときは「クソッ、彼女が料理できたら、仕事中に泣かずに済むのに」と、
一人で強がって気を紛らわせています。
- 540 :だから :2000/05/09(火) 20:26
- 仕事中に泣かすなって。
- 541 :俺も泣いている :2000/05/09(火) 21:37
- 今日も残業の夜だけど、少し疲れてきたらこのスレッドを
読んで深夜まで頑張る事にしてる。
優しくも哀しくせつない気持ちになる。
別れたあの子は元気だろうか。
今、誰の声を聞いて暮らしているのだろうか、と。
お前の手料理をずっと食いたかった。
あの手料理を、もう食べる事は出来ないんだな。
お前のサラダがとても好きだった。
あのレシピを、お前から教わった通りに作っているけれど
お前のようには上手く作れない。
あのサラダを作る度に思う。
いつか俺が幸せになった時に、あの味は再現出来るのだろう。
今、俺は同じ場所で、独りで頑張っている。
あのサラダの味の再現はまだ遠い先のようだ。
- 542 :名無しさん :2000/05/10(水) 14:00
- よいしょっと。
- 543 :ANA :2000/05/10(水) 20:42
- おなじく よいしょっと!
- 544 :名無しさん :2000/05/11(木) 05:23
- ちょっと思い出したので、イイ話じゃないけど俺も。
俺がまだ小学1〜2年生ぐらいだったかの頃、母がなにかの用事とかで
夜まで帰ってこれないことがあった。
日曜日で親父が家にいて、昼時になったので飯を作ることになった。
いつも仕事ばかりで、たまの日曜でも寝てるかゴルフ見てるかしかない
親父だったので、なんだか妙に嬉しくてはしゃいでいた。
で、出てきたのは黒いさつまあげ。焦げまくっていた。
一口食べると苦くて苦くて、「いらない」って言ったら「食え」って
怒られて、泣きながら食べた。
その次の日曜も親父の料理だったので、俺は憂鬱だった。
「できたぞ」と言うので渋々台所に行くと、明かに「チャーハン」
ではない「焼き飯」が皿に盛られていた。しかもリンゴのかけらがちらほら・・。
見るからに具が怪しい(リンゴと鶏肉等)ので、暗ーい気持ちで口に入れると
なんでか判らんが不思議と美味かった。
しかも、それはあの「クジラ」の味がした。入ってないのに何故か。
恐るべしウチの親父。
今でもいっしょに酒を飲むとき、親父は妙なつまみを作ることがある。
不味い事も多いが、美味い時もある。
その時は、大抵「違う何か」の味がする。恐るべし。
- 545 :メロン :2000/05/11(木) 21:25
- あれは小さい頃、4歳ぐらいかな?
私はメロンが大好きだった。
祖父母の家に行く度に大きな美味しいメロンを食べては喜んでいた。
でもそのメロンは末期ガンだった祖父のお見舞いの品だった。
祖父はホテルマンの重役だったからいつも沢山のお見舞い品をもらっていた。
私は小さかったから意味もわからず食べていたけど
おいしそうに私が食べているのを見て嬉しそうにしている祖父の顔は
今でもなんとなく覚えている。
笑っていた時もガンの痛みと戦っていたんだろう。
祖父はそういう人だった。15年経った今でも一番尊敬している。
- 546 :ナナ :2000/05/12(金) 00:08
- 中三の時つきあってた彼女と、彼女の友達の家に遊びに行った。
で、ただダベったり漫画読んだり音楽聴いたり。
それは一見幸せそうな時間だったけど、
彼女を友達にとられたような気がしてちょっとふてくされて、
ベッドでごろんと横になってた時、その友達が、
「お腹すいた」と言い出した。すると彼女が、
「あ、クッキー焼いてきたんだよ。食べる?」
…まさに、寝耳に水。
でもそこで飛び起きるのはプライドが許さない。
些細な事なんだけど、いっそうその友達に嫉妬して、
「声をかけられるまで待とう、自分から行くものか」と意地になった。
二人がクッキーを食う音が落ち着いた頃起きあがって、
置いてあるクッキーに気づかないフリしてた。
その時もまだ、「声をかけられるまで」と思ってた。
でも結局その声がかけられる事はなくて、そのまま二人で帰った。
三枚くらい残ったクッキーは、
置いていったのか、彼女が包んで持って帰ったのかは覚えてない。
帰り道は、平静を装ってたけど、不安で不安でしょうがなかった。
ホントに俺の事が好きなのか?と(笑)。
思い出せば出すほどガキくさい思い出だけど、
先にも後にも彼女の手料理に触れられる機会はなかった。
「おいしーい」という友達の声と
「さくっ、さくっ」という音を聞きながら、
まぶたを閉じていた俺を今から叩き起こしに行きたいくらいだ。
ホントにもったいないことしたなぁ…。食いたかった…。
- 547 :>546 :2000/05/12(金) 09:02
- もう〜! 意地っ張りなんだから〜(TДT)
でも気持ちわかる。今度は素直にネ。
- 548 :名無しさん :2000/05/12(金) 09:20
- 昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。
原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。
「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。そこで女房が何を言っても
俺は切れただろう。前例もあったし。あいつもそれを良く知ってる
から何も言わなかった。それも分かってたけど、なんだか馬鹿に
されてるような気もして、八つ当たりしてしまった。
すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁
もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。
あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。ものすごく
後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま
謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。
夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。もしかしたら
女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。が、部屋の
灯りはともっている。しかもなにやらいい匂いもする。
思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの
鍋を抱えて出迎えてくれた。「これで仲直りしよう」と笑顔で。
俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来る
べきだったのに。
もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと
心に誓った。
本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。
- 549 :541 :2000/05/12(金) 09:27
- 朝から泣かせんなよぅ…
良い女を選んだなぁ、あんた。>548
心の底からそう思う。
- 550 :名無しさん :2000/05/12(金) 10:01
- 会社で泣いてるのがバレないように 目薬を買っちゃった。
「ドライアイなのかなぁ〜」なんてわざわざ周囲に言ったりして。
いつもはほとんど使わないうちに 古くなって捨てちゃうんだけど
今度のは もう半分に減ってる。
- 551 :>549 :2000/05/12(金) 13:37
- 同感。
もう奥さん泣かしちゃだめだぞーう>548
- 552 :548 :2000/05/12(金) 15:32
- 今、改めて自分の書込みをみた。改めて自分の身勝手さに
呆れた。(文章も変だった)
皆さんレスありがとね。
今日はケーキの一つや二つ、花の一本や二本でも買って
帰ろうと思った。誕生日でも何かの記念日でもないから、
きっとあいつは変な顔するかも知れないけど。
- 553 :名無しさん :2000/05/12(金) 16:23
- 初めて見て、全部読みました。久々に号泣してしまいました・・・
色々思い出して私も一つ・・・
小学生低学年のころ、両親は共働きで私は毎日学校が終わると、妹を保育園までを迎えに行っていました。
母は、パートではなく正社員で働いていたため、帰ってくるのは夜の7時とか8時・・・。
うちには作り置きの食べ物も無く、あるのはサッポロ一番だけでした。
おなかが減ったら泣き出す妹に、サッポロ一番を作ってあげて一袋を2人で分けて食べていました。
ちょっとでもゴージャスにしようと思って、とき卵を最後に落とし込んでかき混ぜると格別においしかったのを覚えています。
(麺は硬めと、子供ながらにこだわりまであった^^;;)
正直言って、子供のころに母の手料理を食べた記憶があまりなく、
トラウマか、つい最近までインスタントラーメンが食べれませんでした。
今、小規模ながらも一事業主として1からスタートし、成功している母は、
「あんたが子供のころ、妹を面倒見てくれたから、お母さんは成功したんよ。
あんたがいなかったら今の私は無いと思う」と泣きながら「ありがとう」と言ってくれました。
そして急に卵を入れたサッポロ一番が食べたくなって、久々に食べました。
母はその後、「それにしても今思うと、子供に子供を迎えに行かせて、しかも背の低い子供に
平気でガスコンロを使わせてたなんて・・・恐ろしいわ〜〜
よく無事だったもんだ」と笑っていました。
- 554 :名無しさん :2000/05/12(金) 16:30
- >548
ステキな奥様で 幸せですね。
今夜は楽しいディナーになるといいですね。
私は 共働きなのを言い訳にして 最近あんまり丁寧な料理を
作ってないなぁ・・・ (反省)
今日は がんばってビーフシチューでも作ろうかな。
(家の夫もビーフシチューが大好物)
夫 ビックリするかな・・・
- 555 :名無しさん :2000/05/12(金) 19:44
- 泣ける話じゃないんですが。
自分が小学校5・6年の頃、
クラスメートの女の子からバレンタインデーに
手作りチョコをもらいました。
翌日、あれぐらいの年齢特有の「女子vs男子」感覚から
「食べたけど、うまくねー」みたいな強がりを
学校で言う(本心はウキウキだった)と、
その女の子は泣いてしまいました。
依頼、モテたためし無し! バカたれ > 俺
- 556 :名無しさん :2000/05/12(金) 20:25
- こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。
- 557 :だるまいんこ :2000/05/12(金) 20:35
- >556
低脳でもかまわないよ〜ん。
素直な感性の方が人として大切だよ。
- 558 :名無しさん :2000/05/13(土) 00:49
- どうしてもピザが、食べたかったらしい。
家に帰ってきたとき、妹の奮闘の結果が台所一面に広がっていた。
開いたままの薄力粉の袋。溶いた小麦粉がこびりついたボウル。
まだ熱いレンジの横にケチャップのチューブとソーセージの断片(たぶんサラミの代用?)
皿の上に乗っていた一切れを囓ってみたが、
それは『塩味クッキーのソーセージ乗せ』としか表現のしようない代物だった。
レシピを見る、という観念のないまま食欲の赴く限り勘だけで(!)
料理を作り始めた弟は数多くの失敗を重ね、いまでは(私を越える)
いっぱしの料理上手になっている。
ある日の夕食に出たホイコーロー(絶品だった)の作り方を訊いたところ
彼女は『クックドゥ』だと答えた。なんだレトルトを使ったの、拍子抜けした私が笑うと
妹は違うという。
「スーパーでクックドゥの後ろにある源材料名を見るの。たぶん含有量の多い順に並んでいるから
あとは食材に火を通せば、どうにかなるでしょ」
正直言って、食事を作るというごく簡単な(筈の)ことにも天賦の才能というのが存在するんだと
思い知ったのはあのときが初めてだった。
- 559 :ギコ猫より :2000/05/13(土) 09:28
- ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< 556は逝ってよし。
UU ̄ ̄ U U \_____________
- 560 :名無しさん :2000/05/13(土) 12:42
- >558
話の途中で出てくる弟さんはどうなってしまわれたのですか?(笑)
- 561 :>560 :2000/05/13(土) 12:55
- 性転換に1票(ワラ
- 562 :ギコ猫より :2000/05/13(土) 13:58
- ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< 556も逝ってよし。
UU ̄ ̄ U U \_____________
- 563 :名無しさん :2000/05/14(日) 21:24
- よこいっしょ
- 564 :籠 :2000/05/15(月) 01:09
- 大学進学のため、一人暮らしをはじめたとき、
最初の3日間、母がついてきた。
いろいろな手続きなどを手伝ってくれ、
ご飯を作ってくれた。
何の変哲も無い肉野菜炒め、生野菜サラダ、白いご飯。
いつもの味だった。
これから一人で暮らす部屋での、母と私の一対一の食事。
奇妙な感覚だった。
さっぱりした性格の母は、「体に気をつけて」とだけ言って、
田舎に帰っていった。
急に寂しくなった。
そして、その後1週間、
同じ材料で肉野菜炒めを作ってみたのだが、
同じ味は出ない。
3年たった今でも、できない。
料理屋でバイトし、そこそこの腕を身につけたはずなのに。
盆や正月に実家に帰ると、親が喜んで、食事が寿司の出前や外食になる。
また、友達と遊んで飲み屋で食事をとったりする。
今度帰省するときは、いきなり帰ってみようかな。
そしたら、夕食がいつものおかずで、
あの「肉野菜炒め」が食べれるかもしれないから。
- 565 :名無しさん :2000/05/15(月) 06:37
- >564
良い話です。
帰国して、一番食べたいものって子供の頃から熟れ親しんだ母親の
料理だったんだと最近気が付きました。
出前の寿司よりもかあちゃんの作ったカレイの煮付けが喰いたいよ。
- 566 :名無しさん :2000/05/15(月) 10:03
- >564
俺も帰ってみたくなった。金がないのに・・・
家の味の思い出といえば、コロッケかな?
何の変哲もないコロッケだけど
むちゃくちゃうまいんだよね。
コロッケのしたくの際によく手伝わされてさ。
夕方のアニメ見ながら芋をつぶしたり丸めたり。
丸めながらつまみ食いしてた。
今一人暮らしだから、「揚げ物と言えば総菜屋」になってるんだよね。
前に実家に帰ったとき
「何食べたい?」と言われて「コロッケ!」と即答したら。
実家に住んでいる弟からブーブー言われた。
「せっかくご馳走食べられると思ったのに・・・」だってさ。
毎日コロッケでもいいな・・・
- 567 :ギコ猫より :2000/05/15(月) 10:28
- ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( T_T)< 逝逝スレッドだな。
UU ̄ ̄ U U \_____________
- 568 :名無しさん :2000/05/15(月) 23:11
- あgE!
- 569 :名無しさん :2000/05/16(火) 03:10
- ばーちゃんの作ったチキンライスが食いたい。
ばーちゃん曰く、それはチャーハンだったんだけど、
ガキん時によく作ってもらった。
うまかったよ。大好きだった。
2年前にばーちゃんが倒れたと連絡があったとき、自分で
チキンライスを作って願をかけた。
マジで泣きながら作ったよ。
ばーちゃんは命を取りとめはしたけど、もうオレが誰かも
わからない。
もう一度食いたいよ、ほんと。
- 570 :名無しさん :2000/05/16(火) 11:22
- あげておこっと!
- 571 :名無しさん :2000/05/16(火) 11:26
- 両親が商売を始めたので同じだけ仕事をしてるのに父に労わりがなく
家事を母にだけ求めていた事で良く喧嘩をしてました。
それを見たくない一心で10歳から家事を始めた私。
冷蔵庫にある物でちゃっちゃっと3,4品のおかずを作れてしまう。
でも20代前半はそんな事ができてしまう自分がコンプレックスでも
あり、子供の頃の悲しい気持ちも思い出してしまうので彼ができても
料理はかなり信頼するまでする気になれない事だった。
逆に言えば私にとって最高の愛情表現でもあったのかな?
今迄が料理できないとすら思われていたからもあるだろうけど料理
したらどの彼も「美味しい、美味しい」って食べてくれて私の心に
固まっていた気持ちも溶けてきました。
思えば10歳で必死に料理できたのも弟と妹が「美味しい」って
いつも喜んでいてくれたから。
「美味しい」って魔法の言葉ですね。
- 572 :名無しさん :2000/05/16(火) 12:05
- 私が帰省したときの食事は豪華だったんだけど父の好物ばかり(笑)
父が「自分が好きなものはみんなが好き」と思い込んでいるため。
最後の日はわたり蟹のお味噌汁だったので嬉しかったな。
- 573 :すぬ :2000/05/16(火) 14:10
- >569さん
うるうるしちゃいました。(T_T)
>571さん
あなたのごはん、きっととても美味しいんでしょうね。(^_^)
「美味しいものを食べさせたい」っていう優しい気持ちは、何よりも
いい調味料だと思います。
- 574 :名無しさん :2000/05/16(火) 15:45
- カツ丼。
母親が不倫していることがわかり、離婚前提で
別居して夜、父が出前で頼んだ夕飯。
たべたくないけど無理矢理詰め込んだ。
大好物なのに少しも美味しくない。
- 575 :名無しさん :2000/05/17(水) 03:07
- 7、8年前中国に旅行に行ったときの話。
あるホテルの食堂でいくつかの料理と「青竹なんたらかんたら」と
あるスープを頼んだ。中華は最後にスープがくるので、ほかの料理を
食べたあと待っていたのだが、30分近く待ってもなかなかこない。
あの国はサービスが適当で、いろいろな料理屋でずいぶんと
待たされることがあり、そのとき入ったところでも「どうせサボって
いるんだろ」と日本人的・厨房的感覚で馬鹿にしていた。
40分ほど待って、ようやくスープがきた。お盆に竹筒がのっている。
大きなどんぶりに入ってくるスープを予想していたのだが、
「あれっ」と意外な感じがした。竹筒に竹のふたがしてあり、
それをとろうと竹筒をつかむと、とても熱い。あちあち言いながら
ふたを取ると中にスープが入っている。どうやら、竹の中に材料を入れて
延々あつあつになるまで蒸したらしい。竹筒は陶器と違い熱の伝わりが
悪いだろうから、時間がかかるはずだ。瞬間、それまでの自分の考えを反省
した。さすが、食にこだわる国だ。
味は、中華風コンソメともいうような感じで、牛肉の小さな塊とねぎ、
香ばしい木の実が入っており、全部食べ終わってから「もう一度同じ
時間まつからおかわり」というくらいのおいしさだった。
たかだかそれだけのことだが、いっぱいのスープに「自分の浅はかな
考えや経験だけで世の中をつかもうとするなよ」と教えられたような
気がした。それ以来、料理を待つということに関してはたいがい
腹を立てないようになった。
- 576 :名無しさん :2000/05/17(水) 09:55
- ageついでに・・・
先日 夫の誕生日、 急いで会社から帰ってご馳走を作った。
ご馳走とはいっても とんかつ、カニ、雲丹、エビフライ、ハンバーグなど
栄養のバランスも何も無い、ただ 夫の好物だけを作って並べた。
(ほとんど野菜の無い食卓)
「あー美味かった〜」とTVを見ている夫の前に とどめにデザートのスイカ。
(スーパーのタイムサービス品)
「ぃやったぁーーーー!!!!」
目を輝かせてスイカに飛びつく夫。
「美味かった」って言ってもらえただけ まだましかな?
ちくしょー いつかスイカを越える料理をつくってやる!!!
- 577 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 14:10
- このスレッドが消えなくて良かったと思いつつあげ。
- 578 :名無しさん :2000/05/17(水) 16:59
- 不倫していた19の頃。
一人暮らしを始めたばかりで料理は上手なんかじゃないけど
まあ普通にするくらい。
その男は美味しいとも不味いとも濃いも薄いも言わずに
毎晩うちでメシを食ってはすぐに眠りに入るというとんでもないやつで、
あたしは何でもいいから一言が欲しくてイライラしてた。
ある日その男は、ササミを炒めて塩コショウしてくれとリクエスト。
つくって出したら、あたしが先に出してた大根の煮たのとか
一応手間をかけたのには手を付けず、
うまいうまいとササミばかり食べる。
「簡単だろ?つまみにもなるし」と得意そうに言いながら。
それがとても嫌だった。もっとやさしくしてほしかった。
今の彼はご飯をつくるのがとても上手で、買い物もいつも一緒に
してくれるけど、ササミは実は買いたくない。
- 579 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 17:12
- 泣けるネェ、ぐぐぐ。
- 580 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 22:19
- 昔大学に行って初めて一人暮ししたとき。
荷物や何かを一緒に運んできてくれた両親が帰った次の日の夜、
さあ一人で晩御飯を作って食べようと、台所に立った。
で、いつも家事を手伝っていた調子で、ハンバーグを作った。
3人分位作ってしまった。
焼いて、付け合せの野菜切って、綺麗に盛り付けてとしてる間に、
面白くて笑えるテレビを大音量で付けてたのに、やっぱり
寂しくてたまらなくなってきた。食卓についた時には
もうハンバーグはひどく味気ない、おいしくない代物になって
しまってた。
いつもは晩御飯を作っておいたなら、両親が「美味しい」
「綺麗に盛り付けたね」と誉めてくれて、嬉しそうに食べて
くれてたのに、このとき初めて気がついたのですね。それまで
当然のように流して聞いていたので、それがどんなに嬉しい
ことかと考えもせずに。
まだ見知らぬ土地で友達も居なかった時で、何もかもひどく
さみしかった。ほんとに一人っきりになった気がした。電話もまだ
部屋に繋がっていなかったので、数百m先の電話ボックスまで
走って行って、晩御飯にハンバーグを作ったという話を、
泣きながら話してた。電話ボックスの丸見えのガラス張りが
ひどく恥ずかしかったものです。
ハンバーグはその後、ピーマンに詰められたりミートボールに
なったりと姿形を変えたけど、なくなるころでないと泣かずに
電話出来たこと無かったなあ・・・。
- 581 :名無しさん@1周年 :2000/05/18(木) 00:54
……いやぁ、滲みる。
なんか気持ちの深いところにじわじわと滲みます。
しかも実はたいしたことない話(失礼)の方がよけいにキますね。
ついでに記憶の中の思い出したくないことまでふと浮いてきそうでちょっといやですが。
- 582 :名無しさん@1周年 :2000/05/18(木) 10:31
- よいしょっと。
あげておかないとね。
- 583 :このスレッドは2ちゃんの良心 :2000/05/18(木) 21:04
- 昔自分が通っていた中学校は、小学校とは違って給食がなく、
購買部も金銭トラブルとかで無く、生徒のほとんどがお弁当を持ってきていた。
そして僕が中学1年になりたてのころに、弁当を食べていた10人ほどの
グループの中で「今日の弁当の1番は誰?」とかいう各付けが流行っていた。
1番になるのはいつも運動部をやっている人がほとんど。
まあそういう人の母親は家事を見事にこなす専業主婦が多いわけだから、
当たり前なのだけど。自分の母親と祖母は外に働きに行っていたので、
お弁当もその人たちと較べると、貧相か手抜きに見えていた。
それでも、自分はありがたく食べていたのだったが、あるとき自分の弁当に
とても腹がたって、むかついて一口も食べずに帰ったことがあり、
母親に「お弁当をもう少しなんとかしてよ。」「OO君のはさ〜。」とか言って、
母親を泣かせてしまったことがあった。
母はその夜から料理の本を熱心に見るようになった。
そしてそれ以来、母や祖母が一生懸命にお弁当を作ってくれるようになった。
ある日の各付けで自分のお弁当が一番になったときは、母と祖母に
「ありがとう。美味しかった。」と自然に感謝の言葉を発していた。
今思えば、ムリをさせていたなあって思う。
ゴメンねお母さん。
- 584 :.>583 :2000/05/19(金) 05:49
- なんかいやな奴かもと思いました。
弁当に各付けなんかすんなよ。それ変とか思わんおまえが嫌な感じ。
変とか思わんか?つらつら偉そうに書いてるけど、感動もなにもないわ
ぼけ。せっかくいいスレッドなのに勘違いして書きこむなアホ。
- 585 :.>583 :2000/05/19(金) 05:51
- 弁当各付けで一位になったから感謝か。
おまえがガキ持たないこと祈る。
心底無神経で鈍いタイプなんだろうな。
自分でわかってない分余計に最低。
- 586 :名無しさん@1周年 :2000/05/19(金) 06:20
- >584-585
「格付け」ね。
このスレッドは荒らしたくないんで、ソフトにお願いできませんか。
それとも、わざとやってます?
- 587 :>583 :2000/05/19(金) 07:28
- 格付けで一番になったからありがとうではなくて、
どんな弁当でも愛情込めて作ってくれる心にありがとうと
言わなきゃね。出来は関係ないってこと、今は分かってる
でしょう?
お母さんを大事にね。
- 588 :名無しさん@1周年 :2000/05/19(金) 09:19
- 自分も子供の頃は いま考えるとバッカみたいで恥ずかしいような事を
平気で、しかもそれが楽しいと思ってやってましたよ。
格付け しかり。
”過去”にその人が思った気持ちに今文句言ってもしょうがないでしょう。
そういうレスこそ あまり書き込んで欲しくないと思います。
このスレ、感動もの、感涙ものが多くなってきてるので
そういったものが支持されがちだけど
もともと 「思い出」がテーマなはずなので
583さんのようなのも あり だと思います。
感動も 失敗も 後悔も 脳天気もなんでもありってことで
どんどんスレッド伸ばして欲しいですね。
- 589 :名無しさん@1周年 :2000/05/19(金) 11:41
- 定期age
- 590 :$BI=LL$N8@MU$N$_$"$2$D$i$M(B :2000/05/19(金) 14:36
- $BJ8>O$K$*$1$k??0U$rFI$_<h$l$J$$$H$$$&$N$OHa$7$$$3$H$@!#(B
$B#5#8#3$O$=$N;~0-$$;v$r$7$?$J$!!"$H;W$C$F$$$k$+$i$3$=$"$"$$$&J8>O$K$J$C$F$k$N$G$"$C$F(B
$B$J$s$N;W$$=P$b8l$i$:HpknCf=}$K$R$?$C$F$$$k?MC#$H$O0c$&!#(B
$B46F0$b!";W$$=P$b?M$=$l$>$l!#==?M$,==?MF1$846F0$d;W$$=P$N%Q%?!<%s$P$+$j;}$C$F$$$?$i$=$l$3$=5$L#$,0-$$!#(B
- 591 :小学校四年の時の運動会。 :2000/05/19(金) 17:46
- 当時僕(現在33歳)の父は
北海道の片田舎でガソリンスタンドを経営してたのだが、
経営状態は火の車だった(結局2年後倒産)。
3年程前から資金繰りが悪化し、父はいつも金策に走り回っていた。
当時の僕にはそんなことは知る由も無かったが、とにかく父は忙しいので、
遊んでもらった記憶がほとんど無い。
そんな中母親が腎臓を煩い札幌の病院に入院。
僕はカギッ子になった。
その年の6月(だったと思う)小学校の運動会があった。
父は一度も来てくれたことはなかったので、一応運動会がある事は伝えたが、
期待はしていなかった。
お昼は近所に住んでいた友達の家族と一緒に食べることになっていた。
そして運動会の昼休み。
父が現れた。父の後ろには父が昔なじみにしていた、
寿司屋のおやじが大きな風呂敷をかかえていた。
(たぶんそこに出前を頼んだのだと思う)
校庭の片隅で僕と父はとても二人では食いきれないほどの料理を広げて食べた。
僕は泣きながらそのごちそうを食べた。
父はそんな僕をただニコニコしながらみていた。
僕はそんな父を誇りに思った。
- 592 :名無しさん :2000/05/19(金) 20:09
- ふた親と生き別れ、父は亡くなったと風の便りで知ったので、
うらやましいです。許せないと思う気持ちと、愛する気持ちは
表裏一体のものなのだ、とわかりました。みなさん、親孝行
して下さいね。
- 593 :あ :2000/05/19(金) 20:09
- げ
- 594 :名無しさん@1周年 :2000/05/19(金) 21:25
-
彼女の蒲焼が美味しかったなあ。
遠い過去の話。
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7127.jpeg
- 595 :名無しさん :2000/05/19(金) 21:33
- http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7127.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7111.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg2/7083.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7130.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg2/7043.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7051.jpeg
http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/jpeg/7030.jpeg
- 596 :583です :2000/05/19(金) 22:57
- 各付けの話を書いた583です。
不快になった方がいたみたいなので、深く謝ります。
あの文章で言いたかったのは、忙しい母や祖母に迷惑をかけていたことへの
悔恨と感謝です。本当は一生懸命にお弁当を作ってくれたときから
とても感謝の気持ちで一杯だったんですけど、気恥ずかしさもあって
あの日にようやく言えたってことを伝えたかったのですが、文章が下手で
そのことが上手く表現できませんでした。本当に申し訳ないです。
>弁当に各付けなんかすんなよ。それ変とか思わんおまえが嫌な感じ。
すいません。当時はそういうことを気にしないでいられるほど、大人では
なかったものですから。
>弁当各付けで一位になったから感謝か。
前に書いたのですが、いつも感謝していました。本当です。
ちなみに、腹がたった弁当の中味はふりかけをかけたご飯と、
夕飯の残りのおかずでした。あと煮物がちょこっと入っていたかな。
ちゃんとしお弁当なのに、それに対して怒った自分をとても恥ずかしく
思います。
今子宮ガンで入院してるお母さんにほんと、謝りたいぐらいです。
「お母さん。はやくよくなってね。」
- 597 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 04:13
- >583
あなたはいい人ですね。まあ読んだ時点でみんなわかってると思うけど…
雰囲気いいスレッドなので、あらされないことをのぞみます。
私は母にごはんつくってもらったことないけど(働いてるので)この世でいちばん
好きです。今になると、たまに実家帰ったときなどつくってくれたりするけど
ぜんぜんおいしくない。でもそれがまたいいんです。
- 598 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 04:32
- >583さん
私も気持ちわかるよー
多分たくさんの人が同じだ!
気にしないで
- 599 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 08:02
- 583さんを責めなくても・・・
このスレッドの他のエピソードにも時々ありますが、自分がコドモだったこと、
残酷だったこと、うまく言葉にできなかったこと、周りの雰囲気に流されて
しまったこと・・・今大人になって、それに気付いてるってことが大事なん
じゃないかな。
583は今ではわかってるんだよね。同じクラスにいた子たちも大人になって
気付いてくれてるかな。
「んなこと、オマエがフォーローせんでもわかっとるわい!」
ってツッコミ覚悟で書いてます。いや、そういう人が多いほうが嬉しい。
583さん、お母さんを大事にしてね。
- 600 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 09:18
- ほんとうは感謝してても、中学・高校時代の男の子って
それを表面にだそうとしないからねぇ。
なんかすごく、懐かしい感じ、です。
- 601 :食べ物に関して :2000/05/20(土) 09:45
- 子供の頃に不満に思っていたことが今逆の立場になって痛感してます
もっともっと感謝すべきだったなぁ
関係ないカキコですいません
- 602 :ううう :2000/05/20(土) 13:46
- うう。暖かい涙が。
- 603 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 16:38
- 子供のころのオヤツの思い出を書かせてもらいます。
私の母と祖母(姑)は折り合いが悪く、また父も昔気質
の人間でしばしば母に暴力を振るうそんな環境でした。
殊に祖母と父の兄夫婦(わたしの伯父夫婦)がいっしょ
に母を責め立て、しばしば母を泣かせ、追いつめるのを
見るのが子供心にも苦痛で、たまらなかった。
そのなかで母の唯一の楽しみはたまにいくパチンコでした。
私の子供のころ食べたオヤツの記憶はパチンコの景品のお菓子。
かなり飽きがきていたのですが、母が泣きながらパチンコをしている
のを私も妹も知っていたので文句が言えなかった。
なにせパチンコの景品ですから、あまり気の利いたものはなかったんですよ。
森永エールチョコレートとか、都昆布とか。缶詰もありましたね。
やがて祖母が死に、数年たつと突如母の逆襲がはじまりました。母を虐めた
伯父夫婦に対し絶縁宣言をしたのです。母の変身に驚き、うろたえる父に対し
母は「自分をとるか、兄夫婦をとるか」の二者択一を迫りました。けっきょく
父は母をとり、兄夫婦と絶縁しました。パチンコで鍛えた勝負度胸の差で
しょうか。それ以降、父は母に対し暴力を振るうでもなく従順な良い夫に
変身をしました。
現在、父はすでに亡くなりましたが、母はますます元気です。月に1度
二人の孫(私の子供)に宅急便でお菓子を送ってきますが、どのお菓子に
も小さなインデックスが附いていて「38」とか「45」とか変な数字
が書いてあります。孫は大喜びでですが、私たち夫婦は顔を見合わせ苦笑い
- 604 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 16:56
- なぜ学校の先生は給食残すとあんなに怒ったのだろう...
- 605 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 17:45
- ↑そのせいで、私は今でも食事を残すことへの恐怖感があります。
だから、人との食事ってちょっと苦手。そういう意味で、給食は私にとって
「嫌な」思い出に残る食事です。
- 606 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 19:49
- 「わかめごはん」が好きだった・・・。
- 607 :>604 :2000/05/20(土) 20:19
- ゲロ吐かす迄無理に食わせた教師もいます。
暴力を使ってまで食わせた教師もいます。
私の時代は。
今そんなことやったら…、即刻懲戒処分ですよね。
- 608 :>591 :2000/05/20(土) 21:47
- 笑うとこじゃないってのは承知なんですが、ガソリンスタンド経営で火の車って
のがなんかツボに来たというか「本当にすげえ」と思ってしまいました。
素敵なお父さんでよかったですね。なんかじんときちゃいましたよ。
- 609 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 22:21
- うちの父親は鶏肉が嫌いで、絶対に食べない。
俺は牛肉よりも鶏肉の方が好きなので、子供の頃は
母親が2種類の肉を買っていた。
大人になってから、理由を聞いたら
「少年時代、凄くビンボーで
肉は(ほとんど食べられず、しかもたまに食べられても)
鶏肉しか食べられなかったから。」
とハズカしそうに言った。
父は自分の苦労話をほとんど俺には話さなかったので、
なんだかとても新鮮な感じがした。
- 610 :名無しさん@1周年 :2000/05/20(土) 22:45
- 金や銀の包装紙の、お魚系のおつまみ。小さい直方体なんですけど、知ってます?
家族の中で祖父だけが私の味方でした。
私の前ではお酒を飲みませんでしたが、そのおつまみをおやつによくくれました。
祖父は私が小学校低学年の時亡くなりました。
そのおつまみをみるといつも祖父の事を思い出します。
- 611 :>611 :2000/05/21(日) 03:20
- ツナピコのことかな?
(あえて名称を伏せてるんだったらすみません)
- 612 :名無しさん@1周年 :2000/05/21(日) 07:28
- 学校へ持っていく弁当にふりかけではなくお茶漬けをかけられた。
- 613 :538 :2000/05/21(日) 10:00
- 以前、祖父母の話を書いた538です。先日祖父と会い、色々な話しをしました。
私は愛情表現が苦手なので、気持ちが伝わったか分かりませんが、
こういう気持ちで祖父に接することができたのは、このスレッドのおかげです。
誰にお礼を言いたいのか分かりませんが、本当にありがとうございました。
祖父と会った日にふたりで食べたソフトクリームも、思い出に残るのかなー。
- 614 :名無しさん@1周年 :2000/05/21(日) 10:35
- 小五の林間学校のことです。
食事は連日、冷凍コロッケ、冷凍オムレツ、
冷凍ポテサラ、赤ウインナー、赤い寄せハムなど
子供心にも子供ををなめきった献立でした。
私の隣に座っていた女の子が、なんだか憂鬱そうです。
私「どうしたの」
彼女「よく食べられるね、こんなの」
私「どうして」
彼女「合成ちゃくしょくりょうと(ひらがなで聞き取った)
合成○○○のかたまりじゃん。オムレツだってほんとの卵じゃないよ」
私「……」どう対応して良いかわからなくなった私は、
とりあえず不機嫌そうな彼女をそっとして、食事とおしゃべりを楽しんでいました。
ふと気付くと、隣から押し殺した泣き声が。
彼女が泣いています。
ふだんクールな優等生の子なので、ちょっと驚きました。
「だ、大丈夫」と声をかけると
「もうやだ……」といって、下を向き、吐いてしまいました。
車で迎えに来たお母さんに連れられ、帰宅した彼女は
新学期以降、学校を休みがちになってしまいました。
体調不良のせいもあるけど、
彼女の家では、添加物を避ける食生活を徹底敢行していたみたいで
食べてはいけないもののオンパレードに
神経がまいってしまったみたいです
(加えて、バカなことをしてはしゃげない優等生の気苦労もあったんだろうけど。)
「買ってはいけない」を読むと、自分の子には
こういうことを小さいうちから頭に叩き込んだ方がいいか、ちょっと考えてしまいます。
とりあえず、人が食べてるものに
「よくそんなの食べられるね」と言ってはいけない、とは言うと思う……が。
- 615 :名無しさん@1周年 :2000/05/21(日) 10:42
- 614、別に省略されてないみたい。
- 616 :名無しさん@1周年 :2000/05/21(日) 18:28
- 小学校時代、食が細くて給食の食べるのも遅ければ、残すのもしょっちゅうだった。
班ごとで食べる給食では、食べるのに一番時間がかかったり、残したりする人には
罰ゲームをよく科していた。
食かんにまとめて集める残飯を一口だけ食べさせられることもあったし、班員の
食器を全部片付けさせられたり。
親もあまり給食食べていないと、友達とか先生から報告されるらしく
なんでそんなに食べないのかと、少々きつく聞いてくることもあった。
とくに、当時残したパンはきんちゃくに入れて持って帰ることになってて、
パンを持ちかえるのが恥ずかしかったり、「またなんか言われるかも・・・。」
なんて考えたりして、ちょくちょく残ったパンを机の中とかかばんのポケットに
押しこめて隠しては、見つかってやっぱり怒られてた。
1番目の子供だったし、今でも自己表現が得意じゃなかったりで、母としても
ほんとうに悩んだり、思考錯誤したりしていたことを、これを書きながら思い出す。
中学以降は通学時間がかかるところに行ったためか、人並みよりも食欲が旺盛に
なり、当時では考えられないほどの食いしん坊になってしまいました。
そして家族では現在弟がその小学校に通ってますが、毎日のようにお代わりしてるようです。
そういえば、あれほどやかましかった「パン持ち帰り運動」も、食中毒対策とかで
なくなってしまったようです。
- 617 :あげ :2000/05/22(月) 00:44
- あげ
- 618 :名無しさん@1周年 :2000/05/22(月) 02:16
- あげ
- 619 :名無しさん@1周年 :2000/05/22(月) 03:19
- 小学5年の秋だのこと。給食に柿がでた。私は家でも柿を食べたことはなくて、残した。
クラスのほとんどが残して、柿が入ってたアルミのバケツに投げ込んでた。
昼休み、女教師が放送で全員を教室に呼び戻した。
で、柿を食えという。そういわれても、食べかけやら吐き出した種やらがぐちょぐちょに混ざった
ものをどう食えというのか。教室は騒然となった。
教師は、「目をつむってバケツに手をいれ、はじめに触れたものを取れ」
不正がないように、教師がそれを見張るという。
五時間めのチャイムが鳴っても、泣き出す子がいてもキレた女教師は許さなかった。
私は誰かの歯形のついたものを涙といっしょに飲み込んだ。
吐き気を必死にこらえた。だけど、他の子が吐いちゃって、つられて吐く子がでた。
女教師はそれでも私たちを許さなかった。
あれから20年近くたっても柿は食べられません。あのときのクラスの子、
ほとんどの子がそうなってしまった。
オトナになって、えーすごくおいしいのに〜とか言われると、かなしい。
おいしいはずのものをこんなに拒絶するトラウマつける教育っていったい・・?
- 620 :すき焼き :2000/05/22(月) 10:55
- 私が子供の頃、うちの実家はすき焼きと言えば豚肉が常だった
それを友達に言ったら「なぜ牛肉じゃないのか?」って怒られた。
でもそんなの気にしてなかった。豚でもじゅうぶん美味しかったし
先日、実家に帰ったときにすき焼きが出てきた。中身は牛肉だった
母親に思いきって聞いてみたら
「あの当時は牛肉が高くてね。あんた食べ盛りだし質よりも量を食べてもら
いたかったから。あたしの家(母親の実家)は戦後すぐで食べ物が無くて本当に
苦労したから、あんたたちがお腹をすかせる事だけはしたくなかった」
って言われた。
今度、実家に行った時はぜひ豚肉のすき焼きを作ってもらおうと思っている。
- 621 :>620 :2000/05/22(月) 18:41
- ウチもね、幼少の頃のすき焼きは豚肉だったよ。豚肉以外のすき焼きは
考えられなかった。理由は多分620と同じだと思う。親には聞いてないけど。
牛肉のすき焼きを食ったのは、社会人になってからだな。
つーかネタになってなくてごめんよ。
- 622 :名無しさん@1周年 :2000/05/22(月) 22:02
- >620
我が家でも全く同じ理由で豚スキでした。思い出そうとしても牛肉の料理は
浮かびませんねえ(苦笑)
いま、私の家の周囲には肉の安売りを看板にするスーパーが林立し、牛肉の
値段の安くなったのには驚きます。
先日「たまには豚肉のスキヤキが食べたい」といったところ、家内に
「ゼイタク言わないで!」と叱られてしまいました。
すでに自宅周辺では豚肉と牛肉の価格逆転がもう数年前からの常識だそうです。
ただただ苦笑いでした。
- 623 :名無しさん@1周年 :2000/05/22(月) 23:49
- >620
うちではずーっとすき焼きは牛肉でしたが、
それ以外の肉料理では、豚・鳥・くじらばかりでしたね。
ビーフステーキは、年に2回あったかなあ?
- 624 :モトイタ :2000/05/23(火) 00:40
- 小学校の給食で、付け合せに「にんじんのグラッセ」が出て、
当時、肥満児への道を突き進み掛けていた、僕は、お替りで山盛り人参を
食べていたが途中で気持ち悪くなってしまい、
その後、にんじんが嫌いになりました。
何年か後、6年生になり、その日の給食のメニューは「おでん」、
僕は、おでんを盛っている、鈴木さん(女子、仮名)に、
「人参は、入れないでね」と言うと鈴木さん(仮名)は、
お皿に 人参ばかりを盛り始めました。
怒った僕は、「(おでん)もう要らない!」と、自分の席に戻りました。
直後、日直が、頂きますの挨拶をしましたが、僕は、自分だけ おでんが
食べれない事が悔しくて、思わずポロリと涙が...
涙を流した後、鈴木さん(仮名)が、
「(食べたいなら食べたいって)言えば、いいじゃん!」と言って
おでんを(イヤイヤ)盛ってくれました。
多分、鈴木さん(仮名)は、あの時の事を覚えていないだろうけど、
僕は、おでんの人参を見ると、今でもあの給食で、一人だけ おでんが無い
悔しさと悲しさが鼻の奥を刺激します。
因みに、自分では おでんに人参を入れません(笑)
昨日の夕飯の人参も奥さんに隠れて、ムスメに食べさせました。
- 625 :名無しさん@1周年 :2000/05/23(火) 07:39
- いいスレッドですね。私もひとつ思い出しました。
私が高校生の頃。放送部員だった私は、その日放送室で校内放送の
制作をしてました。アナウンスをしてたら、もう3月だというのに、
両手が真っ青で冷たくなるのです。おかしいなあと思いながら、
部活を終え、寒くはなかったのに手をあっためたくて紙袋に5つも
たいやきを買って帰りました。そこのたいやきは、あんこがいっぱいで
大好きだったんです。家に着くと人だかりが。
とりあえず母親を見つけ事情を聞いたら、おばあちゃんが死んだとのこと。
つい3時間程前に、畑で抜いた大根を洗いに川へ入って溺れて死んだって。
その頃って、私の両手が真っ青になってた頃じゃん・・・。
とにかく驚きと混乱でふらふら自分の部屋へ行き、何をしていいのか分からず、
とりあえずたいやきを必死で食べた。むせながら、味とかもわからんくて、
4個めぐらいでたいやきが、塩っぽくなり、食べ終えたあとぼおっとしてたら
たいやきの入ってた紙袋がいい匂いで、あったかくって、それでやっと泣けた。
そのおばあちゃんは、小さい頃いっしょに住んでたけど、
嫁であるうちの母親に追い出されてしまった人で、気性の荒い母によく
しかられていた私をかばって、また母にいじめられてしまう人でした。
私は今でも、おばあちゃんは放送室の私に、死ぬ前に会いにきて、
手を握っててくれたんだと信じています。
そしてたいやきを見ると、いろんなことを思い出します。
特に、茶色の紙袋入りの。
- 626 :>625 :2000/05/23(火) 08:49
- ほろほろ・・・。朝一番に来そうだよ・・・。
- 627 :名無しさん@1周年 :2000/05/23(火) 15:18
- あげ、よいしょっと。
- 628 :名無しさん@1周年 :2000/05/23(火) 20:13
- 厨房時代の冬、家出をした。最初の頃はツレの家を泊まり歩いていたが、
やがて行く所もなくなり、野宿もキツくなり、空腹も限界だった。
そこで、「婆ちゃんの店」を思い出した。
通学していた小学校の前にあった、文房具屋も兼ねる駄菓子屋だが、食料品も置いていた、
俺が幾多の万引きを繰り返してきた店だった。
・・・店に行くとあの頃と同じく無人だったので、容赦なく魚肉ソーセージを万引きした。
やがて、婆ちゃんが出てきたので「ジャンプない?」と聞くと(ないのは分かっていた)、
「ないよ・・・明日だよ」と笑顔で言った。俺は無言で店を出た。
夕暮れの誰も来ない小学校の体育館の裏で、俺は魚肉ソーセージを貪り喰った。
食べながら、情けないやら寂しいやら寒いやらで、涙が止まらなくなった。
そして、俺の家出は終わった。
やがて春が来て、「婆ちゃんの店」の前を通ると「忌中」の紙が貼り出されていた。
俺はそのとき初めて婆ちゃんの名前を知った。
あんな惨めな食事はしたくないと思いながら今まで生きてきた。
もちろん、万引きをやめたのは言うまでもない。
- 629 :うーん :2000/05/23(火) 22:24
- >628さん
魚肉ソーセージ、一杯あげる。涙と一緒に。
- 630 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 00:29
- 創作活動ごくろうさん
なぜか「ムー」の「私のミステリー体験」を連想させるな
- 631 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 02:58
- 私が高校何年かの元旦、我が家では珍しく家族4人全員が食卓に
揃い、「あけましておめでとう」と挨拶を交わした直後のことでした。
お雑煮が出来るのを待つほんのわずかな間のちょっとした会話が元で
かんしゃく持ちのパパンが突然キレ、「でーい」とばかりにテーブル
をひっくり返してしまったのです。ママンが前日、面倒だ面倒だと
ぐちぐち言いながらも結局作ったおせちやらお煮しめやらは一瞬に
してぐっちゃぐちゃ。かなきり声を上げて泣き喚くママン。その声に
さらに怒りが増幅したのか、花かつお(うちの地方ではお雑煮にけずり
節をふりかけるのが習わしなので、それ用に袋入りのけずり節がテー
ブルに置いてあった)をわし掴みして散らばった料理の上にぶちまけ
るパパン・・・お前は花咲かじいさんかっつーの。
まさに阿鼻叫喚地獄絵図。自閉気味だった弟(当時小6か中1くらい)は
この吉外沙汰に黙って二階の自分の部屋へ・・・。
その後私は、ママンとともにまだイケてる料理を拾い集め、再び器に
盛って食したわけですが、そのときの、いつもよりかつおのダシが効いた
煮しめの味が忘れられません(涙)。
ちなみにうちのパパンはお酒は一滴も飲めません。にもかかわらず「正月
だから」という理由で「ママ、おちょうし付けてよ」と調子に乗った
のを「やめとき、もったいない。どーせ飲めへんくせに」と一蹴されたが
ために起こった悲劇でありました。
度しがたや度しがたや。
- 632 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 03:55
- 高校生の頃付き合っていた彼とアイスクリーム屋に入った時の話。
そこには私の苦手な女の子がバイトしてて、その日もいた。
私が注文したアイスはチョコレートアイスにナッツとか
いろいろ入っていた。
それを見て同じ物を注文した彼。
一口食べた彼は大きな声で(ラガーマンだった)
「これモチが入ってるよ!!!」
店内に響き渡った。
いえ、それは「モチ」でなく「マシュマロ」(笑)
店内にいる方、バイトの方、みんな大笑いでした。
苦手な女の子も、いつもは笑わないけどさすがに笑ってた。
笑ってなかったのは私だけ。
彼とは結局別れてしまいましたが、
アイスクリーム屋を見ると思い出します。
- 633 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 04:14
- 外食の話題はダメ
- 634 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 04:52
- ミスタードーナツのスープ。
大学入学のために上京して数日。入学手続きをしに、夕方ひとり大学へ行った
日のことでした。
手続きに合わせて入学式よりひと足はやく3月20日頃に引っ越してきたわたし
は、なんとなく心細い気持ちになっていました。地元と違う都バスのバスのカ
ラーリングに悲しい気分になったりして。
校門を出てちょっとのところに、ミスタードーナツのオレンジ系の店があって
、なんとなく入りました。
スープを飲みながら、器もスープも椅子もテーブルも、この店の中だけは仙台
と一緒だ、と思いました。ファーストフードも時にはとてもよいものです。
- 635 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 05:17
- 家はたぶん世の中的には恵まれていると思います。父は社会的地位の高い職業
で八方美人なので、まわりからも何不自由ない暮らし、そう見られています。
でも家の中ではちょっとサイコパス、しかも昭和一ケタ生れなので、食事は大
変でした。米の自給率が下がるから、輸入の小麦を使ったパンなんか食べちゃ
いかん、というわけで、パンを食べてるのを見つかると大騒動でした。そのく
せ蕎麦とうどん、カステラなんかも大好き。その材料は輸入物なのでは、と思
うも、それをつっこみでもしようものならテーブルも椅子もぶっこわされるの
で口にチャックの忍の一文字。
あるとき母(パンが好物)が米びつに隠しておいたパンが父に見つかって大騒
ぎ。危険なので家族が非難してしばらくしてキッチンに戻ると、パンにはアン
モニア臭のする黄色い液体が、、、。
あ。思い出しちゃった。書くと思い出すなあ。どちらかといえば裕福な方だと
思いますし、子供の時からうらやましがられることが多かったです。ほんとは
人にはとても言えない悲惨なことがいっぱいなんですけどね。貧乏だったけど
あったかかった、っていいですね。
- 636 :>635 :2000/05/24(水) 07:54
- 「ちょっと」ではなくてかなりいっちゃってますよそれは。
今の時代なら半日で離婚されるところ。
「貧乏だけどあたたかい」というのはたしかにいいことだけど貧乏=あたたかい
というわけでもないよね。裕福な家庭がみんな問題あるわけでもないだろうし。
貧乏でも裕福でもない私にはわからん。
- 637 :>636 :2000/05/24(水) 09:25
- 叩き上げの社長さんとかには、635さんのお父さんみたいなタイプ、
けっこういらっしゃいますよ。別に昔話ではないと思います。
私の友人にも似たような経歴の人がいます。
周りの人からはみんな「いいお父さんね」「幸せよね」って言われまくり、
実際のトコロ、経済的には確かに恵まれているので、反論できないのです。
子供の頃から家族でお父さんに服従するように刷り込まれていて
彼女は自立するのに大変苦労しました。
私の家は、小さな頃、鯛焼きひとつ買ってもらえなくて泣いたほど貧乏でしたが、
お金持ちが幸せだとは、かぎらないんだなあと、その時初めて、思いました。
- 638 :ううううう。 :2000/05/24(水) 13:21
- 泣けて泣けて。
- 639 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 13:52
- 自分がまだ小学校に入る前のこと、
ある日の夕方の食卓で、目の前に並んだ食事は野菜とか煮物、漬物ばっかり。
えーって思って「今日はこれだけー?」って言ったら叱られた。
食事に文句を言うなと。
月日は経ち、男でありながら大半の夕飯を自分が作るようになっていた。
毎回、毎回、手の込んだものや、バランスのとれた食事を作ることを
心がけていた。しっかし、ちょっとでもアラがあると、
ぶーぶー文句を垂れる。
勝手なもんだ、人間って。
- 640 :さらら :2000/05/24(水) 14:08
- 父は大酒のみで、酒を飲むと人格の変わるひとだった。
だから近所でも評判が悪く、ちいさかった私はお酒を飲んだ父にすごくつらくあたった。
父は料理が非常にうまく、本当においしかった。
働かない父は、毎日料理を作ってくれていた。
でも高校になった私は、料理を作るよりも、普通の家庭のように
父に働いてもらいたかった。恥ずかしいと思っていたから。
ある日、いつものようにお酒を飲んで朝から寝ていた父は「水をくれ」と言った。
お酒を1週間くらいぶっつづけで飲んだ後、きまってその後1週間くらい毎日吐くのだ。
それが父のお酒の飲み方だった。
学校へ行く私宅をしていた私は、ぞんざいにペットボトルに水道水を入れ、
父の横に置いた。そしてそのまま、学校へ行った。
その日の父は、唸り声がなんだか変で、でもそれを気にしていたら
遅刻してしまうと思う、気にしないようにして、家を出た。
家に帰ると父は亡くなっていた。
私の家は、働いている母と、父と私だけの家庭で、誰も看取ることもできないまま、
たたひとりで亡くなってしまっていた。
父が、ドクターストップのために、数年前から働けない体だと、亡くなったあとで知った。
働きたくても働けず、お酒に頼るようになってしまたのだと。
そういえば母は一度も父を軽蔑するようなことを言うことはなかった。
あの時気がついて、私が救急車を呼んでいれば、こんなことにはならなかったはずだ。
父が毎日作ってくれた料理の恩を、たった一杯の水ですら返すことができなくなってしまった。
あの時、口に水を含ませてあげればよかったと、今も後悔している。
- 641 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 15:36
- もう3日もこの板の奴隷の私。仕事進まなくて困ります。
・・・とか言いつつ書き込んじゃうんだけど。
しかも「食事」ってより「おやつ」話なんだけど。。。
彼の寮に遊びに行った時の出来事です。
道すがらどうしてもアイスが食べたくなった私は、
洗い終わったまま洗濯機に置き去りにされた洗濯物をさかんに気にする彼を
無理矢理誘い、スーパーでアイスを買いました。
彼はエッセル・スーパーカップのバニラ、私は雪見だいふく。
部屋に入り、早速袋を漁る私の姿に、洗濯物を横目に見つつも
「しゃあないなあ、全く」と呆れ顔で付き合ってくれる彼。
しかし、雪見だいふくに串を刺したとたん私の気が変わったのです。
「ねえ、やっぱり洗濯物先に干そうよ、しわになっちゃうし、天気もいいし・・・」
そんな私に、彼はのたまいました。
「・・・アイス固いんやろ。」
全てお見通しだったのでした。
結局、先に洗濯物を干してから食べたのですが、
すっかり溶けてしまったアイスを、それでも楽しそうに食べる彼と、
ベランダの洗濯物とを交互に眺めながら、
私はこの先、数え切れない位の平凡で平和な休日をこのヒトと過ごすんだろうな、
なんてことをぼんやり思った春の日の午後の出来事でした。
(ちなみに、私の雪見だいふくは丁度良い固さになった。彼よ、すまん)
人って案外、些細な出来事で人生の重大な決断をするものなんですかね。
でも彼に「俺の事、もらってくれへん?」と聞かれても、
「気が向いたらね、ふふん」と答えてしまうひねくれ者のワタシ。
- 642 :名無しさん@1周年 :2000/05/24(水) 17:27
- >641
時間がゆっくりと、幸せに流れているのが目に見えるようです。
- 643 :感動する話じゃないけど :2000/05/24(水) 21:48
- 小学4年の頃飲んだコーラー。
炭酸きつくて大人の飲みもんだと思ったね。
- 644 :名無しさん@1周年 :2000/05/25(木) 03:23
- 。
- 645 :名無しさん@1周年 :2000/05/25(木) 13:29
- おっと。 あげておかねば。
- 646 :名無しさん@1周年 :2000/05/25(木) 14:43
- うちは母の両親といっしょに住んでいました。私は一人娘。
祖母は活動的で黙っているときのない勝気な人で、母もそんなかんじ。
おとうさんはそんなにしゃべるほうでもなかったので、いつも女三人が
茶の間で盛りあがってるときにひとりで奥の部屋で本よんだりしてました。
おとうさんはアイスやジュースなどこどもっぽいものが好きだたのですが
食べ物は祖母に管理されてたので、普段食べることはあまりなかった。
(私も大学で上京するまで、コーラ、コーヒー、ラーメン食べたことなかったくらい)
で、私が小学生のころ町に初めてロッテリアができた。(うちはイナカなのです)
クルマでいくようなでかい店。
そういうところには絶対行かないような我が家だったんだけど、ある休日
おとうさんが私をクルマでつれてってくれた。
父親と二人ででかけるのはあまりないこと。私にとっては気まずくて、話も
はずまなかった。
ロッテリアでおとうさんはハンバーガーとコーラを二人分注文。
「これはおいしいんだよ」と言ってうれしそうに食べていたけど、私は全然
口に合わなくてほとんど食べなかった。おとうさんが私の分も食べた。
私が大学はいるとき「いいなーおまえはひとりぐらしできて」と冗談で
言ってたけどけっこう本音だったのかなーと思う。
私が大人になってから「ほんとはおばあちゃんといっしょにいるのはいや
だけど、○○(母の名)が好きだからしょうがないなー」と言ってました。
私は父にとって唯一血のつながった家族なのにうちにいるときはほとんと
しゃべらずに、味方をしたこともないなーと思うとすこしわるい気がします。
- 647 :名無しさん@1周年 :2000/05/25(木) 15:08
- >646
今からでも遅くないよ〜。
親孝行って、親と離れて暮らしてみて初めてできるという
こともあるしね。電話でも、手紙でも、メールでもいいんだよ。
- 648 :名無しさん@1周年 :2000/05/25(木) 15:26
- 夫と交際を始めて2ヶ月が経った頃、初めて彼の家に遊びに行った。
お母さんに夕食を食べていくように誘われて、無下に断るのも失礼かと思って
ご馳走になることにした。
彼に「うちの夕飯は量が多いよ」という話を聞いてはいたものの、出された
料理の量を見て正直ビックリ。というか唖然。ポトフ風スープ(としか形容
出来ない)に始まって、大皿に分けられたサラダ、肉、魚、野菜の煮びたし、
煮付け、そしてグラタン。更にご飯。
グラタンには牡蠣がたっぷり。牡蠣が大嫌いな私だったけれど、にこにこしてる
お父さんお母さん、そして妹に申し訳ない一心で食べた。実は涙が出そうだった
けど悟られないように噛まずに飲んだ。
なんとか食べ終えたところにお母さんお手製のマロンケーキとコーヒーが出て
来た。平気で食べる一家を見、「ああ、私は絶対ここには嫁げない」と思った。
でも、あれから4年経つけれど、週末には夫と二人でお邪魔して大量のディナー
を頂いている。今も時々、私が涙目で牡蠣を丸呑みしてたことや、マロンケーキ
を食べた直後にトイレの住人になったことが家族の話題に上る。恥ずかしいけど
なんだか忘れられない思い出の食卓です(笑)。
- 649 :>648 :2000/05/25(木) 17:38
- 苦手なものを無理やり食べさせられるときほど苦しいものは無いよね
俺も実家に行って大嫌いだったカボチャの煮つけが出てきたときは
めまいがしそうだったけど
相手の手前断れず、半分泣きながら飲みこんだよ
あの青臭い味が本気で嫌いだったんだ〜
- 650 :649の続き :2000/05/25(木) 18:01
- でさ、なんでこんな話をしたのかって言うと久々にカボチャの煮つけ
食べたときにその事を思い出してさ
でも、実家の母親も息子もガンで死んでしまってもう二度と行く事も無い
実家の掘りごたつ、まだあるのかなぁ・・・
- 651 :名無しさん@1周年 :2000/05/26(金) 09:16
- 私もあげておこっと♪
- 652 :名無しさん@1周年 :2000/05/26(金) 16:18
- お父さんとカップラーメンのお湯とスープの粉どっちを先に入れるかで大喧嘩した
事がありました。(というか一方的に私が怒っていましたが)
結局「いらない!」と言ってラーメンを突き返しました。
なんかかわいそうな事したなあ。私が食べたいって言って買ってきてもらったのに。
- 653 :名無しさん@1周年 :2000/05/27(土) 19:56
- 揚げねば。
- 654 :名無しさん@1周年 :2000/05/27(土) 21:11
- 中三の夏休み、受験生だった俺は塾の特訓講座で六時間近く塾にいました。
宿題が多いから夜更かし気味になり、午前中の授業はシャーペンで手の甲をつつきつつ受ける。
ちょっとうとうとすると、即刻「顔洗って来い!」と怒号が飛ぶ。
「夏休みは受験の天王山」と言われて、手を抜くことは許されない。
午前中の授業は体力的にも精神的にもかなりきつかったのを覚えています。
そして、ようやく午前の授業が終わると、友達みんなで近所のラーメン屋へ。
ジャンプやマガジン読んだり、くだらない話で盛り上がったりして、
授業中の眠気が嘘のように大騒ぎしながら食べていました。
お店で働いてるお姉さんが可愛くて、勇敢にも話し掛けたこともあったなぁ(笑)。
昼休みが終わって教室に帰り、先生を待つ。入ってくるなり顔をしかめる先生。
いつもラーメンにめいっぱいニンニクを入れて食べるもんだから、
教室はニンニクの匂いが充満してるんですよ。
食べた本人達は気にならないんだけど、先生や他の生徒には気の毒でした。
あのラーメン屋みたいな雰囲気の食事って、そう言えばあれ以来ないなぁ…。
ちょっとだけ、あの特訓講座をやり直してみたい気分です。
- 655 :名無しさん@1周年 :2000/05/28(日) 05:22
- 安芸まっショイ
- 656 :名無しさん@1周年 :2000/05/28(日) 06:17
- もう6時…朝になってしまいました。
夜中から読み始めてずーっと感動して涙流したまま読んでます。
素晴らしいカキコをありがとーー!
- 657 :子供会社員 :2000/05/28(日) 15:37
- エビフライとタルタルソースです
小学校1年くらいのころ、ばぁちゃんの家に遊びに行ったとき
ばぁちゃんはおいらがエビフライ好きって聞いて沢山つくってくれた
でも、食卓には大量のエビフライ&ソースだった
大好きなタルタルソースでなかったので少し泣いてしまった
ばぁちゃんにはすごく悪いことをしてしまった・・・
大人になった今、詫びようとは思ったものの、なんだか言い出せず
そのままばぁちゃんは他界。
ごめん ばぁちゃん。
あのころはどうしてもタルタルソースとこだわってたクソガキなのに
今はケチャップです・・・軟派になりました
- 658 :名無しさん@1周年 :2000/05/29(月) 02:12
- 毎日ここを見ています。泣けるわ。
昔、小学校2年生のころ、ある中国人の留学生と知り合いになり、家族ぐるみで
おつきあいをしていました。彼は本国には妻も子もあり、高校教師をして
いたようです。30前後の、とても頭のよい人でした。
本国で英語の教師をしていた彼は、私に英語を教えてくれるというので、私は
毎週彼のアパートを訪ねては英語を教えてもらいました。その日は毎週の
土曜日で、私は学校に行く時にお弁当を持ち、学校帰りに彼のアパートに寄っては
お弁当を食べ、勉強しました。そのうち、彼がお昼を作っていてあげるから
お弁当はいいよ、というので、お弁当を持っていかずに訪ねると、たくさんの
中華料理が用意されていました。
私は野菜が嫌いでしょうのない子なんですが、彼の作るごはんはけっこう野菜が
多いし、餃子も多いんです。だけど、すごくおいしくて、私が食べると
彼もいっしょに食べて、どれがおいしいか、なんて話していました。
私は春雨のスープと餃子、それとエビのすり身を揚げるせんべいが好きで
これだけは毎週作ってもらいました。ひとり暮らしの生活で、ごはんが
淋しかったのかなぁ、なんて今になっては思い出します。そのうち、奥さんも
留学してきたので、ふたり暮らしになったようですが、それでも毎週の
私のお昼ご飯は続きました。そのときの水餃子が忘れられません。
- 659 :名無しさん@1周年 :2000/05/29(月) 02:32
- つづき。
先日、実家の母に彼から電話がかかってきて、今日本に来たんだ、と
いうことで久しぶりに会いました。
10年以上会っていないのに、ちっとも変わっていない彼のようすを見て
安心したし、もうすぐ中国を出て海外に居住する、なんて話を聞いて
私も彼も、10年の間にかわったんだなぁ、と思いました。
その時に「あなたが作った餃子が好きでね、他のものは食べれないの」と
教えてあげたら、とってもうれしそうにしていました。
アルバイトして、お金がたまったら、中国に行こうかな。奥さんにも
久しぶりに会って、餃子を作ってもらうつもりです。
(今では、たまにメールのやりとりをします。パソコンやっててよかった、と
ホントに思いました)
- 660 :名無しさん@1周年 :2000/05/29(月) 13:17
- 小学校の時。
母が入院したときに父がお弁当を作ってくれた。
湯を沸かすことすら絶対に自分ではしない頑固な父が・・・。
俵型のおにぎりと、前夜の父のつまみの残りである
まぐろの刺身を焼いたものと、同じく前夜の残りの
おでん。
父ちゃん、なんで俵型のおにぎりにしたんだ?
おば-ちゃんの作るおにぎりが俵型だったのかな。
- 661 :稲子 :2000/05/29(月) 15:38
- 10歳以上としの離れた弟がいて、小さい頃はとんでもない癇癪持ちだった。
中学時代、夕飯の支度どきによくぐずり、そういうときは母が相手しないとだめで
夕飯作るのはわたしの役目になっていた。
といっても、味噌汁に焼き魚、青菜のゴマ和えみたいな献立だけど。
さて。弟が3つ、わたしが高校生の頃。
ひさびさに一家揃って外食しようということで、高級そうな日本料理屋に
連れていってもらった。
海老の活け造りが出てきて、さぁ食べようと手を伸ばすと、弟が泣き出した。
「まだ死んでないから、食べちゃダメ!」と。
どうなだめすかしても、ますますひどくわめくばかりで、その海老を全部
なんとか食べたのか、あるいは残したか、味はどんなだったかというもろもろが
思い出せない。
「もう活け造りも踊り食いも食べに行かない」
そのとき両親はそう痛感したと、先日話のついでに聞いた。
- 662 :名無しさん :2000/05/30(火) 11:08
- おぉっと!
常にヘッドラインに入れておかねば。 ね。
- 663 :あげあげ :2000/05/30(火) 13:34
- いいスレだなあ・・・
みんなを泣かせるようなモノでないが・・・
もし、何となく共感できる人がいてくれたらうれしいよ。
高1の夏、高校に入って初めての朝練があった。
いつもは8:00頃に家を出るのだが
その日は、朝5:00頃にチャリンコで
学校まで向かった。
普段、何気なく通って見ている
周りの景色が不思議と違って見えた。
いつもと違う車通りの少ない道、
朝の涼しげな空気、
柔らかいけど「これから暑くなるぞっ!」と
言ってるような朝の日差し。
う〜ん、とってもすがすがしかったよ。
教室について(教室には私以外、誰もいなくて
学校全体も静まりかえっている。)
一人で、家から持ってきたおにぎりを
自分の席で着替えながら、もくもくとパクついた。
(うちの部では、1年は基本的に部室使用禁止だった。)
中身はカニかまを小さく切ったやつを
みそで炒めたもの。(お袋の思いつきの具か?)
し〜んとした早朝の教室で1人で食べたおにぎりが
妙においしかったのを憶えてる。
あの頃(高校生活)のささいな(?)日常の
1コマだったんだけど
なぜかこのおにぎりの味は、
早朝の景色(空気)と一緒に鮮明に憶えてるよ、
不思議だ・・・
あの瞬間のあのおにぎりの味、もう味わえないだろうな。
くだらない駄文ですみません。
・・・ノスタルジックな気分になってしまった。
- 664 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 16:59
- ほかの板でも賞賛されてたのできてみたけど・・・
涙腺緩みっぱなしで大変。
エプロンでふきふき読んだけど、あまりに涙の量に
半分で今日はおしまい。残りは明日。
それにしても感動するなー。
- 665 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 18:47
- こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。
こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。
こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。
- 666 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 18:55
- 私は625なんですけど、
実際、創作とかっていわれると、めちゃめちゃ悲しいものですね。
そう思われても仕方ない話なんですけどね。
- 667 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 20:07
- よしよし、淋しいんだね>665
- 668 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 20:56
- 可愛いよ、君が好きだ。>665
だから控えめにね。
- 669 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 21:28
- 初めて付き合った彼氏がわたしの部屋に初めて遊びに来たとき。
普段のわたしは照れくさくて世間で言われてる「女の子らしい」部分は出来るだけ
見せないようにしていた。でもお腹が空いたのでご飯を作ることになった。
料理は嫌いだったが人並みには作れたわたし(小さい頃からやらせられていた)。
でも緊張で失敗するのは嫌だったので無難なカレーを作った。
「いいよなぁ。。こういうのって。。」台所に立つわたしをうしろで目を細めて
見ていた彼。。恥ずかしかったけど嬉しかった。
この彼は「お前は食ってる時と眠ってる時は女の子だよなぁ。。」とも言ってた。
当時は食が細かったので(ついでにそれなり痩せてもいた・笑)。
あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。
- 670 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 21:45
- >669
なんだか分かる・・・。
彼と交際半年位に、彼の家族が週末に泊りがけで旅行へ出掛けた。
これ幸いとばかりに、その隙を狙って彼の家で二人で過ごすことにした。
でも彼のお母さんが一枚上手で、居間のテーブルに書き置きが・・・。
「ごはんは二人分炊いておきます。おかずは冷蔵庫に入ってます。」
二人で笑いながらお母さんお手製の食事を食べた。
翌朝、さすがにその日の分のおかずがないので、台所を借りて簡単な
おかずを作った。確か野菜の味噌いためと大根の味噌汁だったと思う。
「なんだか不思議な感じだな。・・・なんだか近い将来をバーチャルリアリティ
で見せられてる気分だ。」と、彼は照れながら言った。私も恥ずかしかった。
・・・付き合い始めた当初は、私も胸一杯で食が細かった・・・。
ケンタ行っても、チキン1本でもう満腹。ファミレス行っても、セットの
サラダだけでもう満腹・・・。
- 671 :9821V16 :2000/05/30(火) 22:24
- 僕が中学校二年生の時、今から15年前。それまでアパート暮らしだった我が家は、
同じ町内に出来た新築マンションを購入した。
タイル貼りの瀟洒な作り、エアコン付きの白い壁を、
親から「オマエの部屋だぞ」って言われた時、本当にうれしかった。
引越前に、カギを借りて泊まったほどだった。
でも、それは家計を圧迫する事でもあった。それまで専業主婦をしていた母は、
知人の会社で事務を始めた。それも慣れ、楽しい生活が始まって数年、
高校から帰宅して、部屋にいると、いつもより早く、母が帰宅した。
その顔と、服を見て驚いた。服は泥だらけで、頬には無数の擦り傷があった。
ショックで、心臓がドキドキして止まりそうだった。
そして、母は、僕の顔を見るなり、目を真っ赤にして「病院に一緒に行って」と言った。
訳を聞くと、自転車から転んで落ちたという。
パート先の会社の用事で、郵便局に行くところを、仕事が忙しいために、
時間短縮を狙って、慣れない自転車に乗ったら、転んだらしい。
会社に電話して早退し、タクシーでそのままここに戻ってきたという。
とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、泥にまみれ、傷だらけになっていた。
神聖な物が汚されたようで、なんだかくやしくてくやしくてしょうがなかった。
ここまで無理して母を働かせていたのか、と、自分も情けなかった。
近くの病院にすぐ診てもらったが、幸い、骨には異常なく、擦過傷で済んだ。
一安心した帰り道、「何か買って帰る?」って母に聞いたら、「ふがし」。と一言。
近くの駄菓子屋で10本まとめ買いして、母の後を追った。それを見た母は、笑って、
「こんなに買って来なくてもいいのに〜」と言いながら、
愛用の缶の菓子入れにしまい、いつもと同じように台所に立った。
- 672 :名無しさん@1周年 :2000/05/30(火) 22:26
- >699
>あのね、胸が詰まって沢山食べられなかったんだよ(笑)。
なんか、胸がきゅーんってなったよ。
- 673 :名無しちゃん :2000/05/30(火) 23:54
- 小学5年生のとき、同じクラスの女の子の母親が自殺してしまった。
そのときは、みんなびっくりしたんだけど、
しばらくたったら、みんなそのことは忘れかけてた。
そして6年生の遠足の時、その子が持ってきたお弁当は
焼き鮭(切り身まるごと)だけが挟まったサンドイッチだった。
もちろんパンは普通の食パン。
私は、そのサンドイッチをみたとき、何も言葉が出なかった。
ふだん、からかったりしてふざけてたけど、
そのことは気づかない振りをしなければならないと思った。
そして、自分がいつも当たり前に母親にお弁当を作ってもらえる
ことを、本当に感謝した。
今でもあの鮭のサンドイッチの事をたまに思い出します。
- 674 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 06:44
- あげ。
- 675 :ぴた@亀主 :2000/05/31(水) 09:24
- >673
ふえぇぇぇぇん(T−T)
- 676 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 10:28
- うーん・・・
泣けるような話じゃないんだけどね。
この前、別れた彼女と飯を食いにいったんだ。
本当にいいお友達として、
で、ファミレスに行ったんだけど、
話の中でおれが食事しているときが好きって言われたんだ。
小さい頃からしつけにうるさく言われてて、
そのせいかなぁと思ったんだけど、
その彼女の前ではどう考えてもきれいに食べたことは無かったんだよね。
でさ、昨日聞いてみたのよ。
そしたら、あんまりおいしくないものでもおいしそうに食べるからだってさ。
単なる食いしん坊なだけじゃん・・・
- 677 :名無しさん :2000/05/31(水) 16:52
- 2才のころ、両親が離婚して、祖父母に育てられました。
遠足のお弁当や、よそ行きの服などが年寄りっぽくて
ずいぶん不満でした。高校生になって、父の再婚家庭に
引き取られ、(祖父は亡くなり)祖母のところへは、
ちょこちょこと泊まりに行くだけになりました。晩御飯
は、必ず、私の好きなものばかり、わざわざ買いに行って
くれてたのです。そのなかに、もやしの味噌汁がありました。
そのもやしは、全部、ひげ根が取ってありました。今思うと
ずいぶん大変だったと思います。育ててもらった恩返しも
十分できないまま、亡くなってしまいました。いまだに、
もやしの味噌汁は食べられません。
- 678 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 21:14
- だから泣かすなと言っておるだろうが。
本当にいいスレッドだなチクショウ。
- 679 :名無しさん@1周年 :2000/05/31(水) 23:52
- >671
>とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、
って、何のてらいも無く言えるというのも、
素敵なことかもしれない
- 680 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 02:08
- 過去の美化が甚だしいスレッドですね。
- 681 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 09:11
- >680さん 思い出って月日とともに美しくなっていくものなのだよ。
だから良いのだよ。
- 682 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 11:21
- 私の作る美味しい料理を残したのは、ある先輩だけでした。
「夜はあまり食べないから少しでいい」と言うのに、
気合入れて大量に作った私も悪いんですが。
いや、でも、謝りもせずに「少しでいいって言ったじゃん」はないだろう。
あまりのショックにボロボロ泣きながら残った料理を全部食う私の横で、
一生懸命皿を洗う先輩。
間違っても人前で泣くことのない私と、間違っても片付けなどしない先輩の
不気味なコラボレーション。
今はもう怒っていませんが、あの世界一量の多い塩辛いサラダの味は忘れません。
- 683 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 11:26
- >682
作りすぎはいけません。
- 684 :mana :2000/06/01(木) 13:12
- いつもジーンとは来てたけど、673の「鮭のサンドイッチ」
を読んで、涙が・・・ 仕事中なのに。
創作とか言う人がいるけど、素人がこんなにうまく作れるもの?
「いっぱいのかけそば」よりずっと感動するよ。
- 685 :ここのスレ読んでると :2000/06/01(木) 13:32
- 事実は小説よりも奇なりって格言を思い出すよ。
俺も二つほど書いたけど両方とも紛れも無い事実だしね。
他の人のものも、嘘やフカシでこんな話書けないと思うよ。たぶん
「創作」って書いた人は、きっとこういう思い出すらない寂しい人なんじゃない?
- 686 :>682 :2000/06/01(木) 13:32
- 何様のつもりなんだろ
- 687 :名無しさん@1周年 :2000/06/01(木) 13:57
- 小学2年生の頃の話。
ある日、わたしはトイレに入った。用を足し、出ようかと思ったわたしはドアの鍵が
壊れてて閉じ込められた(自分自身で)のを知った。パニックに陥るわたし。
家族は留守。ひとしきり泣いて落ち着いた頃、耳を澄ましてみた。
我家の隣は父が経営していた事務所。その事務所方面から何やらジャラジャラという
音が聞こえてくる。休日だというのに父が従業員を集めて麻雀をしていたのだ。
「お父さ〜ん!お父さ〜ん!」必死で叫ぶわたし。しかし牌の音にかき消されわたし
の声は父には届かない。。父に頼れぬことを悟ったわたしはトイレの上のほうにある
小さな窓からやっとこさ脱出。(小柄で痩せてて良かった。。)
父の元に行きギャンギャン責め立てるわたしに父は「焼きそばとってやるから」。。
そう、わたしの好物が焼きそばであることを念頭に置いての懐柔作線である。
「そんなことで許さない!」と思ったのも束の間、焼きそばの出前が届いた時点で
わやしの怒りは海の藻屑となってしまった。父よ、さすが親だな。。
あの焼きそばの味は忘れられない。涙と鼻水の味がしたよ(汚くてゴメン)。
そんな酷い(笑)父はその3年後脳溢血で天に昇ってゆきました。。
- 688 :さぁてと、今日もヒト泣きすっか。 :2000/06/01(木) 14:46
- ぁぁぁ。
- 689 : :2000/06/01(木) 15:25
- 泣けない話しで悪いが、
記憶に残る食事は「鳥すき焼き」だ。
鹿児島の祖父が鶏を絞めて、お湯をかけて羽をむしりとり内蔵を取り出し、
ざっと焼いたものを使ったすき焼き。
吊るされて最初は暴れていた鶏が、ぐったりとなったところですかさず、スパッと首をはねた祖父。
逆説的に命の尊さを学んだ様な気がした。
未だにあんなに美味しい鶏肉は食べた事がない。
- 690 :名無しさん :2000/06/01(木) 16:56
- >689
幼いころの思い出とか、悔恨の残る話も胸うたれるものが
ありますが、お祖父さんの鶏の料理は十分感動的ですよ。
「いのち」と「食べ物」とのかかわりを、子供に実地で
教えることのできる大人は時代のせいで少なくなっていますし
お祖父さんは、当たり前のこととしてやったことでも、
あなたや、この話を聞いた私たちに大切なとこを伝えて
くれたのですから。
- 691 :690 :2000/06/01(木) 16:59
- 失礼、「大切なとこを」→「大切なことを」でした。
- 692 :うほほ :2000/06/01(木) 20:09
- 2chで泣いた....。
- 693 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 04:09
- ダンナはひとりっ子、私は貧乏な7人家族育ち。
結婚前、ダンナが家にご飯を食べにきたときのこと。
お刺身を出したんだけど、ダンナさん、わさびの小袋をとって全部自分の醤油に溶かしちゃった。
家族ボーゼン。だって、貧しい一家は いつも小袋のわさびを7人で分けていたので。
みんな無言で、わさびなしの醤油で刺身を食べました。
- 694 :母は :2000/06/02(金) 07:58
- 鶏肉が嫌い。どうしてなのかなー、とずっと思っていたのだが、この間父に
尋ねたら答えてくれた。
ママはね、小さい頃、農場で飼ってた鶏をとても可愛がってたんだって。
毎日餌をやる手伝いをして、全部同じ様な顔をしてるのに、一羽一羽に
名前をつけて。
でもお客さんが来るとおじいちゃん(私の曾祖父)がその鶏を何羽か
殺して、それをご馳走にしてしまう。それが辛くて辛くて、それ以来
鶏が嫌いなんだって。
いつもは強くてきりりとしている母なのに、何となくその話を聞いて
かわいいな、と思ったり。お客さんが来て鶏鍋とかやってる時の、食卓
での母の気持ちを考えると、やりきれなくもなったり。
うちって実は元祖「羊達の沈黙」だったのね、とも思った(笑)
- 695 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 12:17
- >666さん
625のお話、わたしは「おばあちゃんが会いに来てくれたんだ〜」
ってすごく感動して拝読しました。
きっとおばあちゃんが666さんのことを大切に思ってくださった
からあった出来事なんでしょうね。
わたしは創作だなんて思ってませんよ〜。
一言お伝えしたくて書き込んでしまいました、、、m(_ _)m
- 696 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 15:52
- 小学校の時両親が離婚しました。
気の強い母は父が仕事に行っている昼のうちにアパートの契約をし、
夜には母と兄と私とで家族の家を出て行きました。
子供ながら本能的にそんなしっかり者の母との暮らしを選んでいたのですが
正式に離婚が成立する前に一度兄と私だけが父に呼ばれて
父しかいないもとの家族の家に居行くことがありました。
みんなで生活していた部屋は私達の荷物が無くなったことと
男の一人暮しになったせいかガランと殺風景で寂しい部屋になっていました。
いつもは父が野球を見る為見ることが出来なかったアニメを見せてくれて、
もてなしのつもりだったんでしょうね、ぶどうを出してくれたんです。
お皿ではなくて新聞紙に載ったぶどうを見て胸がきゅんとなりました。
あれ以来父には会っていないし実は消息すら分かりません。
探そうかと何度も思ったけど母を裏切ることになるような気がして
なかなか踏ん切りがつかずにもう20年が経過しました。
もうすぐぶどうの季節。店頭で見かけるとふと立ち止まってしまう。
- 697 :>696 :2000/06/02(金) 15:55
- 私がその父です。
っていうネタはここでは禁忌なのね。
すまん。気にしないでくれ。
- 698 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 16:20
- 女子校時代、バレーボールの部活のあと、運動部ご用達の店で
磯部巻き、ラーメン、またはたぬきうどん、あんみつ、
ところてん、ソフトクリーム、合間にコーラ、という
フルコースを毎日のように食べてた、、、なんであんなに
食べれたのか今では信じられない。もちろんそのあと
家で夕食も食べてたの。
- 699 :名無しさん@1周年 :2000/06/02(金) 18:56
- 新婚のころ、妻が毎日お弁当を作ってくれました。
ある日、朝からつまらないことで喧嘩をしてしまい、今日は弁当無しか・・・
と思っていたらちゃんとあった。
昼休みに会社で包みをあけるとオニギリが2つとゆで卵が入ってました。
さすがに今日は手抜きかと思いながらオニギリをほおばるとおもわず「うぷっ!」
中身を出してみると白くて柔らかいものが。中から出てきたのはホワイトチョコレート
口直しにゆで卵をたべようとしたら、玉子の殻に鬼のような顔が書いてあり、「ざま〜みろ」
と書いてある。
妻からの報復攻撃でした。それから1週間、お互いに口をききませんでした。
最近、息子と娘が学校へお弁当を持っていくようになり、私のお弁当が復活しました。
オニギリの時は今でも一旦2つに割り、中身を確認するようにしてます。
- 700 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 00:04
- >699さん
かわいい奥さんですね!
- 701 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 01:32
- なんかいい話が多いので上げです。
俺は、くそ暑い土曜の夏真っ盛り、高校の帰りに買った
ペプシとホンコンやきそばの昼飯を思い出します。
勿論自分で作る。親いないから。
- 702 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 21:11
- >698さん
私が高校時代に付き合っていた彼女は、ソフトボール部に入っていて、
やはりものすごく食べていました。
彼女は、お母さんにお弁当を2つ作ってもらい、
お昼に二つともキレイに平らげていました。
(しかも部活の後は、ラーメン屋でチャーシューメンをペロリ。)
晴れ渡った青空の下で、豪快に食べていた彼女の姿を、
あなたのカキコを読んでいて思い出してしまいました。
- 703 :名無しさん@1周年 :2000/06/03(土) 21:57
- 悲しくて、おかしくて、懐かしくて、どれを読んでもやはり
泣いてしまう。
- 704 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 03:37
- 昔、ピーナッツに衣つけて揚げたお菓子がすごく好きでした。
その日もいつものようにぼりぼり食ってましたら、
私をすごく可愛がってくれてたおばあちゃん(母方・入院中)が危ないって電話が入り。
揚げピーのことなんか頭からすっとんで、慌てて病院に向かいました。
で、そのままおばあちゃんは逝っちゃったわけですが・・・
何かとばたばたした一週間が過ぎて、家に戻ってようやく一息ついて、
思い出に浸ったりなんかしてる最中、
猛烈なヤバげ感が私を襲いました。
まず吐き気。次、下痢。熱もそうとう高くなった。死ぬかと思うほど。
自分の母親に死なれたばかりの母は、
胃の中身と体力を出し尽くしてぐったりしている娘(私)の手を握りながら、
「おばあちゃんがあんたといっしょに行きたがってるのかなぁ…」
と泣いてました。
私は死にそうになりながらも、
「一週間前の揚げピー見つけて、食ったから…?」と気づいていたけれど、
回復した私を見て「よかった」とまた涙ぐむ母には、真相は言えませんでした…。
大好きな人が死んでも腹は減る、でも、
食べるものには気をつけないと、しゃれにならんね。
- 705 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 05:37
- 4年前に亡くなったお婆ちゃんのきゅうりの漬物。
故郷に帰ったときはこれが楽しみだった。
- 706 :名無しさん@1周年 :2000/06/04(日) 07:54
- >701
ホンコンやきそばってなんですか?
高校のころといえば、私は帰宅部で、学校おわると即栄周辺(名古屋出身なので)
に出てファーストフードの店で友達と何時間もしゃべってた。
ケンタに8時間いたことある。土曜の昼から…夕ごはんもケンタッキー。
店員におこられないように、死角の席で。よくあんなにしゃべることあったなー
授業中もしゃべって、放課後しゃべって、夜には手紙書きあってた。
まさに「箸が転がっても?たのしい年頃」だったのでしょう。
- 707 :。☆。 :2000/06/04(日) 07:59
- 去年の話。
俺がまだ高校生だったころ。
母親の金をちょこちょこ盗んでは遊びまくってた。
ある時どうしても金がなくなり、欲しくなり、
バイト先で金を盗ってしまった。
結局バレて、母が店に呼ばれた。母はすまなさそうに下を向いていた。
当然俺はバイト先を首になった。
帰り道、母は俺が母の財布からお金を抜いていた事を知っていた。
それで母は俺に、
「何か欲しい物でもあるの?ウチは母子家庭だけど
あなたにはお金のことは不自由させたくないの。引け目を感じさせたく無いから」
と言った。
俺は何も言えなくなった。
それまで「何で気付かないんだろう」「気付いた時に怒られればいいや」
と思ってた自分が恥かしくて小さくて、泣いた。
そして最後に、「人様の物に手出ししちゃダメよ」とだけ言って
それからお金のことに触れなくなった。
その晩、いつものように変わらず出てきた夕食が暖かかった。
- 708 :701 :2000/06/04(日) 13:56
- >706
ホンコンやきそばを知らないと??
ホンコンやきそばとは、15年以上前からS&Bから発売されている
歴史のある即席食品です。
調理法はフライパンでお湯を沸かし、その中に麺をいれて水分が無くなるまで
ほぐせばできあがりという、即席麺としては多少時間と手間のかかる物です。
添付品として、ごまと青ノリのパケがついてきます。味は麺に付いてます。
価格は60円くらいが相場でしょうか?ペプシと一緒に(あとタバコと)
買っても、500円でお釣りがきます。
今でもこれ食べると、何故か優しい気持ちになれるんです。
何故か時々泣けちゃうんですけどね。(笑)
これって北海道限定販売なんでしょうか?
- 709 :名無しさん :2000/06/04(日) 16:45
- 私の話は誰も死なない。
1993〜4年頃、私は仕事でドイツのデュッセルドルフという所に住んでいた。
当時社会人になったばかりの私は、会社の人(全て日本人です)と上手く行かなくて
プライベート時間は殆どひとりで過ごしていた。
県内屈指の進学校にもかかわらず、進学をけって
(正直言うと頭悪かったし、いちばん競争率が激しかった頃だから逃げただけ)
友達に「行ってくる」と出て来た反面、すぐには帰れないという気持ちがあったから
仕事は仕事と割り切って、それ以外の時間は本当にひとりだった。
休日にアルトシュタッド(旧市街地)というこの街が出来た頃からある繁華街で
コーラとスパイスの利いたソーセージとフライドポテトを路上のテーブルで立ちながら
小さなプラスチックのフォーク(爪楊枝みたいな大きさ)で食べるのが習慣になっていた。
今から考えると、新社会人と親からの自立と
海外での生活(日本人の会社だったが)のすべてがある日から突然始まったわけで
今思い出すと気が狂いそうなくらい辛い日々でもあったと思う。
唯一のコミュニケーションの取り場所である会社の人間に村八分にされて
よく孤独に耐えられたものだと思った。
その会社も退職する頃には何とか認めて貰えるようにもなり、
仲良く話も出来る関係を作ることが出来た。
空を見上げては「日本と同じ景色が見られるのはここだけだなぁ」と
本気で思っていた頃と同じ位置にある、キャリーブルストとポムスが食べたいと思う。
- 710 :>708 :2000/06/04(日) 16:50
- 鹿児島にもありました。
今は福岡に住んでいるんですが、探したけどこっちにはありません(-_-;
食べたいよ〜〜〜!!ホンコン焼きそば(TоT)
- 711 :名無しさん@1周年 :2000/06/05(月) 03:11
-
- 712 :707 :2000/06/05(月) 10:44
- 707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!
- 713 :707さんへ :2000/06/05(月) 10:49
- 707さん。なんか暖かい文で、久しぶりに暖かくなれました。ありがとう!お母さんの料理って
まじうまいよね!私も暖かい料理作れるようがんばるぞ!!
- 714 :名無しさん :2000/06/05(月) 15:18
- あげよう
- 715 :名無しさん@1周年 :2000/06/05(月) 18:06
- 風邪ひいて39度の熱を出した時、
彼氏が一人暮らしの私のマンションを訪ねて
きてくれて、鍋いっぱいのカレーライスを作って
くれた。料理なんて全然できないのに、一生懸命
作ってくれた。それなのに私は「病人にカレー・・・」
と文句を言ってしまった・・・。
ごめんなさぃ〜〜〜〜〜〜。
- 716 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 02:04
- ホンコンやきそばは、北海道と東北限定だそうです
関東以西には売っていません
- 717 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 09:18
- ホンコンやきそばって昭和40年ころもう発売してたぞ。
たしか立川談志がCMで
「SBホンコンやきそば。ホンコンにうまいよ」
ってコピー使ってたなぁ
- 718 :701 :2000/06/06(火) 09:25
- >716.717
レスありがとね
- 719 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 11:29
- 念願かなって子供が授かった。
あまり泣きもしないけどどこか焦点がずれていたうちの子。
6ヶ月検診で障害があることが判明した。
ショックで毎日泣き暮らす日々。
夫もつらかったと思うが
次の日から「この子をしっかり育てるためには自分がしっかりしなきゃ」と
夜勤も進んでいくようになった。
夫には悪いが1日中そんな我が子と暮らす私の精神状態はめちゃめちゃだった。
この子を殺して自分も死んでしまおう。
どうせこの子は大人になるまで生きていくことができないのだから。。
今から考えると恥ずかしいが、これが夫のためだという思いしか浮かばなかった。
新婚当時から一生懸命ためた貯金通帳と保険の証書などをテーブルに揃えた。
ふと気づくと子供が居間で何かしている。
近づいたらだんなが私のために朝作っておいてくれたおにぎり(料理する気にもなれなかった)
のラップをはがしてかぶりついている..!
この子は障害があるけどまぎれもなく人間の本能があるんだ。
もうとうに離乳食を始めなければいけなかったのに。。
お腹すいたね。今日から離乳食始めようね。。
ご飯粒だらけの子供を見てわんわん泣いたのが昨日のことのよう。
しょっぱかったおにぎり。
あの日から頑張って毎日手作りして子供のごはん作ってます。
- 720 :472>715 :2000/06/06(火) 11:37
- おんなじだぁ〜 と思って思わずカキコしてしまいました (^o^)
「普段料理しない彼」の料理=カレー って結構パターンなのかな?
お互い 今度は「病気じゃ無い時」に美味しいカレーを作ってもらって
食べたいですね。
- 721 :>719 :2000/06/06(火) 12:10
- 泣。生きよう。
- 722 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 12:32
- >719さん
282です。私も同じ気持ちの時がありました。
お互いがんばろうね。
- 723 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:02
- >719
会社で泣いてしまった。
世の中には、ひどい親もたくさんいるけど、あなたにはそうなって欲しくない。
がんばれ。
- 724 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 14:17
- ひっくひっく(泣)
涙で画面がにじむぅ(TへT)
- 725 :715 :2000/06/06(火) 14:30
- >472(720)
似たようなレスつけてごめんなさい(^^;)
私達の口に微妙に(?)合わなかったという点も
似てますね(苦笑)
その後472さんは結婚されたんですね。
おめでとうございます。(^-^)/
あいにく私達は別れてしまいました。。。
その時のカレ−が原因ではないですよ(^^;)
今付き合ってる彼とは来春結婚するんですが
彼も料理下手なので・・・一度カレーライスでも
作ってもらおうかな。
風邪じゃないときに(笑)
それにしても会社だというのに涙ぼろぼろです。。。
- 726 :472=720>715=725 :2000/06/06(火) 15:55
- >似たようなレスつけて・・・
うひゃ〜 (^_^;) あやまらないでください〜。
私としては「同じような体験した人がいるんだぁ〜」って思って
嬉しくてレスしてしまったのですから。
715=725さんも ご結婚されるのですね。
おめでとうございます。
彼にカレーを作ってもらったらぜひぜひ感想を
このスレッドに書き込んでくださいね。
- 727 :472=720=726さま :2000/06/06(火) 16:45
- 715=725です。
どもども(^-^)
それにしてもこのスレは和みますね。。。
ちなみに660のレスも私なんですよ・・・。
お恥ずかしい話ながら、日曜日に書道塾に行く私の為に
父が俵おにぎりを作ってくれた事を書かせていただきました。
え〜、他の皆さん、私達二人で盛り上がってしまって
すみません。。。皆さんのレスにも泣きながら、そして笑いながら、
うなずきながら楽しく拝見させていただいてます。
ってことで、472=720=726さんにレスしつつも
ちゃっかりageさせていただきました。
- 728 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 17:35
- 2chで思いがけなくいい話を読んだよ。
ちゃかすのはやめて、すなおに応援したい。
明日のことは人間は予見することはできん。
誰にもだ。しかし今を精一杯生きることはできる。
お互いにがんばろう。
- 729 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:26
- うわぁん(涙)
みんなの励ましを読んで、また涙。
- 730 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 18:37
- >729(=719?)
辛い事もあるだろうけど 新しい発見もまたたくさんあるはず。
みんなのレスを思い出して(がんばり過ぎない程度に)がんばれ!
- 731 :名無しさん :2000/06/06(火) 19:40
- 子供が幼稚園の時、インフルエンザウィルスによる「急性脳症」にかかった。
担当医から「脳圧が高くて脳波はほとんど反応してない。植物状態か死亡のケース
も多い。助かったとしても重度の脳障害が残る場合もある。」と宣告され、
すぐに親族を呼ぶように言われて動転した。
意識のない長男は、ベッドに横になったまま身動きひとつとれなかった。
入院中付き添いをしていた私に夫が差し入れをしてくれたけれど何も食べる気になれなかった。
でも私まで倒れたらだめだと思って無理やり押し込んだ。
好物を食べても全く味がしなかった。私の感覚も麻痺したみたいだった。
やっと意識不明の状態を脱して、少しずつ流動食を与えられるようになった。
表情や反応のない長男にほんの少しのオモユを口にいれる。反射で飲みこんでいる
ので「食事」というよりは機械的な作業のような感覚に似ていた。
元気だった頃大好きだった「コーンポタージュ」を少し入れてもいいかと担当医に
相談してオモユに入れてあげてみる。
1口目、、、2口目、、、、3口目をあげた時、長男の口元がちょっぴり動いた。
かすかだったけれど、笑ってくれた。脳症になってから初めての反応だった。
「おいしかったんだ。良かったね。」涙がとまらなかった。
私も残りのコーンポタージュを飲んでみた。おいしかった。
1か月ぶりで味覚が戻ってきた。
- 732 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 19:54
- ぅぅぅぅ。
- 733 :>730さん :2000/06/06(火) 22:07
- 729です。ごめんなさい、719さんではないの。
でもお話を読んではウルウルし、それに対しての皆さんの
優しいコメントを読んではまたもや涙ぽろぽろなのです。
ここにくるとほんとに励まされるようです。
食事・食べる、ということを大切にしようとますます思う
今日この頃です。
- 734 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:10
- 大好きな映画、「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフを
借りるなら…
「ここは、天国か?」
「いや、ただのBBSさ。」
ってな感じでしょうか。
私も2つ書きこみましたが、みなさんのを読んでいると
口の中になにか懐かしくて、でもずっと忘れていた味覚が
蘇るような感じがします。
- 735 :9年前 :2000/06/06(火) 23:27
- 沖縄に家族で行った時、タクシー運転手の運天という方が
戦後まもなくの話をしてくれたのですが、兄弟みんなお腹を空かせて
どうしようもなくて米軍のキャンプ地に盗みに入った時、アメリカ兵は
自分達を見つけても罰するどころかリュック一杯の缶詰やらなにやらをくれた、
だけどヤマトンチュ(本土の人間)は自分達が出てくるのを待ち伏せて、
渡さなかったら殴る蹴るして取り上げたという内容でした。
アメリカ兵の方には勝者の余裕があっただろうし、本土の人は負けて
余裕もなにも無かっただろうけど、それを聞いた時無性に恥ずかしかったのを
覚えています。
分かれ際に運天さんはグアバの実をくれました。みんなで食べて後に残った
種をまいたけど、やっぱり成長しませんでした。今でもグアバジュースとかを
見るたびにその時の事を思い出します。
- 736 :名無しさん@1周年 :2000/06/06(火) 23:48
- 735さんの話で思い出しました。
祖父の話です。
ビルマで鉄道作ってたらしいんですけど(ビルマの竪琴の元ネタ部隊?)、
米軍の捕虜になって、終戦まで収容所暮らししてたそうです。
祖父の仕事は、米軍の食事作り。
良く大きな鍋で大量のココアを作らされたそうです。
初めて嗅ぐココアの香りにそそられて、ついつい盗み飲みしちゃった
そうなんですが、監視のアメリカ兵は、3回に2回は見逃してくれたとか。
それを許してくれない厳しい監視役は、シラを切る祖父達に、「口を開けろ」
と命令。当然口の中はココアで茶色。それでも正直に謝らない祖父達は、
「ジャップ、いけない!」と良く怒られたそうです。
他にも、大量の牛肉を焼かされたりもしたそうですが、勿論盗み食いは
ちょこちょこやってたようです。
・・・それでも、例えそれを口で咎めることはあっても、決して暴力を振るわれ
ることはなかったそうです。
戦時中であっても、そういう精神的な余裕も持っていて、尚且つ豊富な食生活
を送る米軍の実状を見、祖父は敗戦を悟ったそうで・・・。
実家で食卓に牛肉が出る度、チョコレートの類を見る度に、何度も何度も
この話を繰り返し聞かされました。
流石に身体は弱ってきてますが、祖父78歳。まだまだ元気です。
少し話がそれました。ごめんなさい。
- 737 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 02:13
- 小学校の頃田舎に住んでいたので
何か買うときは3駅先の街まで行かなければいけなかった。
始めて家庭科でエプロンを作るときも然り。
親友と2人で行くはずが、普段私が嫌いで意地悪していた子も
何故か一緒に行くことになった。
小学生の頃ってちょっと知ってる街から離れただけでも
外国に来てしまったかのような錯覚があって
帰り道しっかり迷ってしまった。
このまま自分たちは駅にもたどり着けないんじゃないかと
思って不安で不安で。。
泣きたかったけど嫌いな子の前で涙を見せるわけにはいかない。
ぼろぼろになりながら公園についたのでとりあえず
ベンチに座って休むことに。
そういえばもう夕ご飯の時間。
そう思ったらお腹がすいてすいて。
嫌いな子がおもむろにかばんからチョコレートを取り出した。
普通の板チョコなんだけどその時は本当にご馳走にみえた。
だけどふと思った。
その子は私にそのチョコをくれないのではないか?
私にはいい印象はないはず。
3人並んで座ってたけど一番端の私は固まっていた。
真中の親友からチョコが回ってきたとき
受け取ったけど口に入れることができなかった。
普段意地悪していた罰だ。
その時嫌いな子が「全部食べていいよ」って言った。
半分は残ってたんじゃないかな。
結局近所のおばさんに聞いたら道をちょっと外れただけだったんだけど
噛み締めるように食べたチョコレートは
小学生の私に何となく人生?みたいなものを感じさせてくれたような気がする。
- 738 :かます知ってる? :2000/06/07(水) 02:55
- 小さい頃から甘いものが嫌いで祖母の家に行っても姉はもてなしの菓子を沢山食べたが私は只牛乳だけ飲んでいた。
しかし祖母の作るかます(蓮根の酢の物)が大好きでことある度に山の様に作っておかずにおやつに出してくれた。
成人して何年も祖母に会いに行かなくなったある日、祖母がパーキンソン病になった。薬の副作用は痴呆。見舞いに行き「またかます作ってくれなきゃ嫌だよ」と言うと微かに笑ってくれたいたけれどどんどん孫の事は忘れてしまい今は自分は少女だと思っているらしい。
けれど去年の敬老の日にふと思い立ってそれはみごとな藍色の桔梗の鉢植えを買って見舞いに行った。どうせわからないだろうけど。
その藍色を見た祖母は一瞬だけ正気になった。「ああ、●●ちゃん。こんなに綺麗な鉢ありがとうねえ。かます作らなきゃねえ。」
ほんの一瞬だったけど嬉しかった。かますは叔母が作ってくれたけど味が違う。祖母は子供の味覚とズレている私に色々作ってくれた。パスタにわかめふりかけ振ったり(ミートソースも嫌いだった)、トーストにごはんですよを塗ってくれたり(ジャムも嫌いだった)。今まわりに言うと「うげえええ」とか言われるけどおいしいんだってば。
祖母の食事。もう味わえないけれど今でも一人で作ってるよ。
- 739 :私がリンゴが嫌いな理由 :2000/06/07(水) 04:43
- 大学病院でちょっとした手術をしたら、麻酔がなかなか醒めなくて、
先生達がパニックしてたな。2〜3日は頭がクラクラしてた。
父が心配して、すったリンゴを食べさしてくれて、点滴つけたままの私の
手を引いて、病院の中を連れ歩いてくれた。
一緒に暮らしてない父で、そのウップンで母は私を虐待した。
母のことは、ずっと殺してやりたいくらいだったけど、
父は会う時はやさしかった。
でも、母の虐待を知ってて、それでも女と別れないズルい人だと知っていた。
その半年後に急に父は死んだけど、他人事にしか感じられなかった。
感情を殺すクセがついてるからなのかな…
父のことは今は存在したことさえ忘れた感じ。命日も覚えてない。
母とはずっと縁を切ったままです。
- 740 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 12:49
- 挙げときます
- 741 :名無しさん@1周年 :2000/06/07(水) 13:35
- >>731
泣けました…。
- 742 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・
- 743 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 00:57
- いいスレだけど全部読むを押すのが恐い・・・のであげ
- 744 :だいじょうぶ>742 :2000/06/08(木) 01:24
- まだ416Kbです。高画質アイドル画像2枚分ぐらいだよ(変な例えでごめん)。
- 745 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:23
- あのー関係無い話で悪いのですが741のように番号をリンクすることは出来るの?
どうやってやるのですか?
- 746 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 03:43
- http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=pcqa&key=959547706
関係ないですね。
- 747 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 04:07
- >>746
たしかに2ch、特に食べ物板の書き込みの質は低下している。
去年から何回か2chオフに出て気が付いたのは、出るたびに平均年齢が
下がって行っているということだ。 2ch開始当時はネットワークに精
通しているというか、他から流れてきた人間が多かったのだが、メジャー
化してマスコミに露出するたびに、何も知らずにいきなり2chからとい
う人間が増えていった。 いつのまにか社会に適応できない若者が溜まる
場所になっていった。 ネガティブな思考しかできない彼らは次々と古く
からの固定を煽り、罵り、嫌気がさして去っていく者が後を絶たない。
結果、残っているのが今の有様で、既にまともなスレッドを立てても大し
た反応もなく、ただ、うざい、しねとかの類ばかりになった。
去年のオフはまともな社会人が大勢を占めていた。 煽りやくだらないス
レッドも知的なゲームとして楽しんでいた。 最近のオフは学生や無職、
フリーターが多い。 ネットの常識も社会の常識も知らずに、ただ自分の
欲求を口走っているか、日常以外の場所で自分を顕示しているかのどちら
かだ。 それでも往時のような話題が全くなくなったわけではないから、
つい来てしまうけれども。
匿名掲示板で自由を満喫して、普段言えない本音でもって議論できた場所
が不適応者の巣窟になっていくのは悲しいけれども、関わったからには行
く末まで見ていようとは思う。
- 748 :>745 :2000/06/08(木) 04:10
- >>番号
全部半角英数字でね。今のところ
saki.2ch.netにある掲示板だけ有効です
- 749 :泣かすスレッドになってるけど :2000/06/08(木) 05:16
- オレが好きなのは1とか85、352なんかだ。
ちょっと情けない男のエピソードに共感してしまうのは
きっとオレも情けない男だからなんだろう。
今度このスレッド内の人気投票しないか?
- 750 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 09:23
- >749
人気投票、いいアイデアなのかも知れないけど
みんなのそれぞれの思い出に
他人がランクをつけても意味無いかな って。
以前私も思い出書き込みました。
もし それが人気無かったら・・・・
(人気があったら うれしー!! ってわけでもないけど)
ちょっと さみしーかも。
ちっとも共感してもらえなかった って思っちゃいそうで。
- 751 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:33
- >749
750に賛成。
それに今のこのスレの雰囲気や流れを変えたくないってのはあるね。
人気投票をするなら別スレで頼む。
- 752 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 11:46
- 何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。
父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。
何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。
あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。
- 753 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:02
- 悪い、ちょっと作りすぎている。
時間がたっているせいか、
ゴメン、これには感動しないわ。
すまん。
- 754 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 12:15
- いちいちそんなこと書きこまなくってもいいよぉ。>753さん
そう思うなら、心の中でそっとしまっておいて。
感動させるために書いてるわけじゃないしね。
私は食べることが大好きな父を思って、なんとも言えない気持ちになりました。
- 755 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:12
- いや、感動させるために書いている姿勢が見えて
嫌になったんじゃないかな?
このスレも確かに後ろに行くと、作り込みと
自己陶酔がクサくて、鼻につくように思います。
このあたりが、ここがレベル低下してるのと
リンクしてるんじゃないかな?
甘えすぎ。
- 756 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 13:47
- >755
はじめのほうは、短い文でもなんかジーンと来るものがあったよね。
- 757 :752です :2000/06/08(木) 14:22
- お昼から戻って覗いてみたら、私のカキコで一論争起きそうな気配。。。
一言言わせて下さい。
私のそれに限らず、このスレのカキコの寄せられる意見は多種多様であって当然で、
それに関して何ら反論するつもりはありません。
ただ、一家の大黒柱を失うということは、とても大変な事なのです。
敢えてここに書く必要もないですが、私達もそれは大変でした。
こうやって父のことを振り返ることができるようになったのも、ごく最近のことです。
私自身、この10年、ただただ必死でした。
頑張らなきゃ、と思ってやってきました。甘えてる暇などありませんでした。
ちょうど10年が経過して、私は、今まで3人で頑張ってきたよ、これからもよろしく、
と父に伝えたくてここに書きこみしました。
でも、こういう公の場でそれを公開してしまったことに、少なからず嫌悪感を
覚えてしまう人もいるんですよね。
そんな事、直接父の墓前に報告すればいい訳ですから。
気分を害された方々、ごめんなさい。
このスレの雰囲気を壊すつもりはなかったのですが。。。
>754さん、ありがとう。ご両親を大切になさって下さいね。
ここの方々は心優しい人ばかりで救われます。
そのご好意にあずかる私はやっぱり甘えすぎですかね?
- 758 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:24
- 文章が妙に下手で、カンにさわるんだなあ。
- 759 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 15:49
- >758
良いではないですか。
その人なりの文章のスタイルで。
これだけたくさんのレスがあれば
相性が良くないのもあって当然。
- 760 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 17:05
- 752、757さん、
私も4月に父を亡くしました。
親を亡くすということが、これほどまでに
悲しいものとは思いませんでした。
雰囲気をこわすなんてこと、ぜんぜんありませんよ。
ひとりひとりの心にある、親や肉親への思い、そして
いのちと食べることへの思いは、それぞれに私たちの
心に伝わってきています。
- 761 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 20:11
- あげる。
人の飯に、人の家族に、ケチつける様な真似すんな。
- 762 :バッカーです :2000/06/08(木) 20:51
- まぁまぁまぁ
みんなで一緒に楽しみましょうよ
はい次の方どうぞ↓
- 763 :名無しさん@1周年 :2000/06/08(木) 23:50
- 昨年の元旦。普段たべものの好き嫌いを言わない父が珍しく
「天丼が食べたいなぁ」言い出した。「今日は元旦だから、
今度の日曜日に食べに行こうね」といってその場は終わりましたが
次の土曜日に父は倒れ、2週間後に帰らぬ人となりました。
49日を済ませ、母に「何で正月にあんな事言い出したんだろう」
と聞くと「本当は昔から天ぷらが大好きな人だった。子供に好き嫌い
をするなという手前、あなたたちの前ではそういう事を一切いわない
人だったの」
私は40年近く生きていて初めてオヤジの好物が天ぷらだと知りました。
いまも天ぷらを食べるとオヤジのことを思い出します。
- 764 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 01:49
- 人の死が絡むとお涙頂戴になるのはしょうがないのでは?
投稿者が意図するしないに関わらず。
それにつけても、1氏のエピソードは誰からも「いいね」と
言ってもらえるエピソードですなあ。
- 765 :嫌な思い出だってある :2000/06/09(金) 03:15
- 社会人になってすぐの夏、いつもは食欲旺盛な私が急に食欲を失った。残業が
続いていたりしたから、夏バテかな、と思っていた。あるいは胃潰瘍の始まり
かしら、と。でも何故かスイカだけは食べられた。あとは何を食べてももどして
しまうので、ひたすらスイカばっかり食べていた。
暫く経っても快くならないので胃の検査のために医者に行ったら、妊娠して
いたことがわかった。当時私は妻子ある男性と関係をもっていて、勿論、気を
つけてはいたのに、妊娠だなんて、本当に青天の霹靂だった。勿論、彼は妻子
を捨てて私を選んでくれる筈もなく、中絶の資金だけ出してくれて、私は一人
で処分した。彼ともそれきりになってしまった。
あれから何年も経つが未だに夏になると罪悪感に苛まれ、嫌な気分になる。
勿論あの夏以来、スイカは一度も口にしていない。
しようと思ったこともない。
- 766 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 04:59
- >感動させるために書いてるわけじゃないしね。
ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
初期の書き込みの方がよかった。もう限界。
- 767 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:06
- >766
>ほとんどの書き込みが感動させるために書いてるとしか思えない。
そうとしか思えないのは貴方の勝手だけど
わざわざそんな事書き込むなんて
本当に「感動させるために書いてるわけじゃない」人たちに失礼だよ。
誰も貴方1人を感動させようとして書いてるわけじゃないんだから。
感動話”ばっかり”読みたいんだったら それはムリってもの。l
- 768 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:12
- なんとなく末期症状かな。
このスレッドも1000に到達せずに
終ってしまうのか?
- 769 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 09:25
- >765
明日は我が身。かも。
- 770 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:14
- おれもそうなんだけど、
「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。
そうすると必然的に、今この世にいない人になると思う。
もしくは大切な人、もうあえない人。
みんなの心の中にある大切な思い出を聞けたって言うだけでうれしいのよ。
だから、泣けない話じゃなくたっていいんだしね。
荒れてほしくはないスレッドだよね。ここ。
以下は今ちょっと思い出した話。
読み飛ばしていいよん。
おれは肉が好きなんだけど。
小さいころ焼肉屋にいって
祖父が焼かないで肉を食っていたのをみてビックリした。
牛肉のジンギスカンとか言うメニューだったかな?
小学校に入る前のおれはじいちゃん子だったから
いっしょになってうまいうまい言って食っていた。
あれから必ず焼肉屋に行ったら生肉食っているんだよね。
最近貧乏なんで焼肉屋にも行ってねぇ・・・
- 771 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:18
- 一年前大学を卒業した妹が、ようやく先日社会人となりました。
卒業してから今まで、就職活動以外で外に出ることがあまりなくなり、
昼夜逆転の生活を送るようになっていた妹は、本来の食のほそさに輪
をかけてごはんを食べなくなり、とても母を心配させていました。
「おかあさんは、あの子が就職できるかできないかより、ごはんを食
べずにどんどん痩せていくのを見る方がつらい」
そう言いながら泣く母を見て、いつもとてもやるせない気分になった
ものです。
いろいろうるさい親戚の目や世間体よりなにより、とにかくあんたの
ことを、あんたの身体を一番の大事に考えてくれてる人がいるのよっ!
その心に応えて、ここはひとつがんばんなさいっ!
、、、乱暴ねえちゃん(わたし(^_^;;)にかつ入れされた妹は、人が変
わったように就職活動をはじめ、あっというまに就職を決めてきました。
今では朝ごはん2杯おかわりして毎日元気にでかけていくそうです。
「よく食べるのよ〜」と嬉しそうに報告してくれる母の笑顔、ほんとに
家族の太陽だなとしみじみ思う今日このごろ。
妹がんばれ。
ねえちゃんは応援してるぞ〜。
- 772 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 10:40
- >771
だからそういうのは直接妹に言え。
- 773 :戸碌斎 :2000/06/09(金) 11:38
- >772ちゃん
まぁそういうなって。
- 774 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:44
- 日本のどこかに(まさかに海外ではあるまい)
そういうねぇちゃんがいるって思うだけでも
なんか いーじゃん。
どこの誰かも知らないけど 妹も応援したくなる。
もちろん お母さんもね。
- 775 :>770 :2000/06/09(金) 11:46
- >「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。
良いこと言うなぁ ほろリ (T_T)
- 776 :へんみよう :2000/06/09(金) 11:50
- やっぱり、やっぱり、人間ってもの喰う生き物なんだなぁ。
- 777 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:50
-
1つ違いの妹が小学校5年生の時に初めて料理をした時の話。
確かナポリタンスパゲティーだったけど、すっごくしょっぱかった。
俺はとてもじゃないが食えないみたいな顔をして、横で食ってた
親父を見てた。親父はうまい、うまいって言いながら食ってた。
最後に妹が自分で食べた時、思わず大泣きしてしまった。なんで
こんなにしょっぱくてまずいのに、言ってくれないのって。
俺は自分がどっちにすべきか当時は分からなかった。嘘をつくのか
気を遣うのか。
今はもう結婚して元気にしている(と思う)妹の最初の料理。
あの味と涙を知っているのは家族だけ。だんなは知らないと思うと
少し得意になってしまう。
- 778 :771 :2000/06/09(金) 12:12
- ごごご、ごめんなさい。
なんか思い出に残る食べ物、っていうスレッドの主旨から外れてるかも?
って書き込んだあと思いました。
もうちょっと文章うまいといいんだけど〜。
ただ、なにげない毎日の食事でも、ひとつひとつが大切で、
おかわり2杯した妹の朝食が、家族にとって嬉しい思い出のひとつになってる
ってことが書きたかったのでした。
不快に思った方、ごめんなさい。
このスレッドすごく好きだから、わたしの話は飛ばして、どうか長続き
してくれるように願ってます。
- 779 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 12:27
- だから、
妹にあてた文章にしなければいいわけよ。
エピソード自体はいい話なんだからさ。
妹にあてた文にすると、じゃあ本人に言えばいいじゃん?
ってことになるじゃん。それは極私的なことになっちゃうから
他人には文句もつけられない領域になってしまうのよ。
家族がかけがえのないのはわかるけど、それは逆に言うと
家族でない者にとっては他人でしかないんだから
それに読んでもらうためには、たかだかこういうスレッドでも
読み手の気持ちや普遍性やらを考えた方がよくって、
結果的にはみんな幸せになれるのよ。
つまり、子供の描いた絵の方が下手に描く技術を覚えた中学生あたりの
絵よりもすなおに人の心をうつようなもので。
このレスも余計ちえば余計だけど、771さんが文章うまくなりたいのなら
と思ってあえてレスつけました。くりかえしになるけど、
エピソード自体は悪いわけじゃないと思う。
- 780 :771 :2000/06/09(金) 13:59
- >779さん
ありがとうございます。
顔が見えない、声が聞こえないからこそ、みんなにわかってもらえるように
心をくだかなくちゃっていい勉強になりましたです。m(_ _)m
これから精進していきます!(余計レスごめんなさい)
- 781 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 15:11
- このスレッド、読みづらい。
何考えてるんだ。>779
良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
厨房でなくても、馬鹿かと思う。
- 782 :>781 :2000/06/09(金) 16:00
- >良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
マジネタと思ってる厨房発見!
泣かせだろ?(ワラ
>厨房でなくても、馬鹿かと思う。
オマエモナー
- 783 :小6の時 :2000/06/09(金) 16:11
- 近所のおばさんや同年代の子たちと天理教のおぢばがえりに行った帰り、
途中の天理教支部でラムネを振舞われ、喉の渇いていた私はそれを
一気に飲んだが、急ぎすぎてかなりの量のラムネが喉に詰まった。
食道に多量の液体がつかえる圧迫感と炭酸の強い刺激が合わさって、
たった10秒ぐらいではあったが、地獄のような思いをした。それ以来、
炭酸系を飲む時は必要以上に慎重に飲むようになった。
- 784 :>783 :2000/06/09(金) 16:26
- 池田○作の呪いです。
- 785 :ちょっとかなしい :2000/06/09(金) 16:32
- ここ、すっごくいいのに、最近、余計なことを書く人が多すぎる。
そういうの、やめませんか?
それぞれが自分の思い出を書きこんで、それを読んでそれぞれが感じれば
いいんじゃないでしょうか。こんなことを書くこと自体、気がひけたけど、
せっかくいいスレッドなので、このまま続いてほしいと思って書きました。
- 786 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 16:33
- 何年か前、尊師がやっておられた安かろううまかろう亭の
味がわすれられません。
- 787 :>786 :2000/06/09(金) 16:47
- 阿羅漢のお好み焼き・・・
尊師にももう一度食べていただきたいです。
- 788 :ラーメン :2000/06/09(金) 17:04
- ここ 凄くいいですね。
つまらん話ですが、わしも寄稿させてください。
中学生の時のことです。
その日の晩御飯にと、母がインスタントラーメンを茹でていました。
ふと見ると、日○やきそばの袋もそこに・・・。
わし「なにこれ? まぜたの?」
母親「うん ちょっと足りなかったから。 茹でちゃえば一緒でしょ?」
当時、中学生2人と小学生1人の育ち盛りの子供をかかえた母は、いらん
気をまわして麺を増量してくれたのでした。
それだけなら「まぁ下触りとかが違うだけだろう」と我慢できたのですが。
なんと母は、袋麺に同封の“焼きそばソース”を、スープに混ぜてしまった
のです。 とたんに台所中に立ち上る、あの独特の香り・・・。
生まれて初めて、母に向かって暴言を吐きました。
「なにしとるんじゃあ! おまえアホかぁ!」 って。
母親 ビックリした顔でしばし沈黙。 そして、泣いちゃいました。
その後、気まずい雰囲気の中で食べた、あのラーメンの情けない味。
忘れられませんね。 忘れたいんだけど・・・。 (^^;)ゞ
かあちゃん あの時は怒鳴ってゴメンね。
- 789 :すみません :2000/06/09(金) 17:05
- 本文8行目 「舌触り」の誤りです。
- 790 :名無しさん :2000/06/09(金) 18:47
- >786
「はるまげ丼」が印象に残ってます。
春巻きを見るたびに思い出します。
- 791 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 19:36
- 煽りは無視
- 792 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 00:26
- 大学時代、俺も彼女も自宅通学だったので、
エッチの時はラブホテルを使っていた。
そのホテルは、昼間はデイサービスで4,500円払えば、
夕方まで居座ることが出来た。
俺と彼女は朝の8時に、ホテル近くのコンビニで食糧を買い込み、
それをホテルに持ち込んでいた。
食べて、エッチ、寝て、起きて、またエッチ、食べる。
この繰り返し。
食欲と性欲、そして睡眠欲。
人間の三大欲望を、一度に満たしていたわけだ。
裸のまま、二人でむさぼり食っていた冷めたハンバーガー。
炭酸の抜けたコーラ。
彼女は今、どうしているだろう。
- 793 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 07:10
- ケチつける書込み見ると
書いた方はもちろん、文章に登場する方達がもっと悲しい思いされるようで
なんかすごくつらいです(亡くなった方であればなおさら)
- 794 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 09:31
- >729さん なんかいいです。若くって。彼女とは別れちゃったんですね。
- 795 :天才厨房 :2000/06/10(土) 10:32
- >ここのスレ長いよー。読むの面倒だよー・・・って奴らへ
俺様がランダムに選んでおいたから読め。そんでもって泣け。
>>21 てんぷら >> 34カールとさつまいも
>>49 乾パン >>164 ご飯ですよ
>>167 スイカジュース >>176 パイナップル缶詰
>>252 ハンバーグ(前編) >>253 ハンバーグ(後編)
>>313 から揚げの絵 >>537 おにぎり
>>628 ソーセージ >>707 万引き
泣いたか?だったら笑え。
>>381 と >>388 ケンタッキーと厨子王
>>401-402 うなぎと厨房
>>454-456 と >>460 弁当ラプソディ
>>461 ごはんですよ!
どうだ?こんなにいいレスが他にもいくつもあるんだぜ?
だから四の五の言わずに全部読め。会社で読んでる奴は早引け。
一日かけて読んでオモシロカナシズムに浸れ。じゃあな。
- 796 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 10:40
- 大学に入って、可愛い女の先輩にコロッと騙されて参加した
統一協会のセミナー・・
ビデオセンターに監禁され、朝の8時から夜のの1時まで説教と
洗脳と訪問販売に明け暮れる毎日。
セミナー中、逃亡されないようにと協会が差し入れてくるのは
サンドイッチとクラッカー。
忌まわしい記憶と一緒に封印されたその味ももぅ思い出せないなぁ・・
僕は学校を中退して逃げ帰ったけどあの先輩はどうなったのかなぁ・・
そういやあの支部から人死にが出たって聞いたけど、
彼女じゃないだろうなぁ・・ もしそうだったらもったいないなぁ・・
逃げる前に置きみやげ代わりに食っちゃっておけばよかったよなぁ・・・・
- 797 :>788 :2000/06/10(土) 11:42
- かわいいお母さんじゃないか! ソース入りラーメンはちょっと
遠慮するけど。
- 798 :名無しさん :2000/06/10(土) 12:14
- >795
750が泣いてるぞ。
- 799 :>777 :2000/06/10(土) 12:29
- こんにちは。私にも同じような経験が、、、(^^;もっとも作ったのは私自身ですが、、、
二十歳の頃、何を思ったのか、私はミートソース・スパゲッティを手作りしようと思い立ちました。
煮こみ用のトマトを探し、最初から作ったのですが、当時はスパゲッティなどというのは外食で食べるもの、
パスタ自体も茹でたことがありません、で、、、塩を入れるのも知らなかった私でした。
おかげでできたスパゲッティはしょっぱくて(;;、、、母と妹は「しょっぱすぎる」と一言、、、
私もそう思ったけど、苦労して作ったものを否定されたようで、なんだかむかつき、
怒りとみじめさで。涙が出ました。
翌日、残っているミートソースをみたら、ますますむかついて、
全て、自分で食べてしまいました(^^;
あとで妹に「なんだ、食べちゃったの?今朝食べようと思っていたのに、、、」といわれ、
それまでのつっぱっていたような気持ちが、やけにふにゃふにゃとして、また泣けてきたのを思い出します。
ここを読んでいて、自分にも「食の思い出」があってよかったな、というだけのことですが、、、
駄文、ごめんなさい。
- 800 :思い出に残す食事 :2000/06/10(土) 14:13
- 毎日仕事が忙しい。両親と同居だが、朝食も夕食も俺だけ別に食べてる。
土日も遊びに行っちゃったり、ごはんより睡眠を優先したりして、
あまり一緒に食べていない。
今日の昼飯は、久々に3人で食卓を囲んだ。
メニューはごくごく普通の、母親の料理。しょうが焼きとか味噌汁とか。
ちょうどテレビでは「伝説の寿司屋」みたいな番組をやっていて、
すごいマグロやイクラが次々と映って「おいしそう。でも高いわねー」
「近所の魚屋のと、ほんとにそんなに違うのか?がははは」
なんて、たわいもない会話をしながら食べた。
でも、俺は「今のこの昼飯のほうがうまいや」と思いながら、
もりもり食べた。
いつか、この平凡な風景も、思い出になっていくのかな、と思いながら。
両親はまだ「伝説の寿司屋」を見てる。たまには親孝行でもするかな。
- 801 :>800 :2000/06/10(土) 15:10
- さっぱりとしていて、かつじーんとくる話ですな。
- 802 :冷凍ミカン :2000/06/10(土) 23:16
- 小学校一年生の時の事。
はじめての授業参観日で、親達は4限の授業、引き続き給食と帰りの会の様子を
後ろの方に並んで見た後、子供と一緒に帰るというスケジュールになっていた。
その日の給食にデザートとして出たのが冷凍みかんだった。
私は初めて見たそれを喜んで全部食べ、その後母と一緒に帰った。
が、その帰り道、まわりに同級生とその親達を見かけなくなったあたりで、
それまでいつも通りの表情だった母がいきなり般若の顔で私を見下ろした。
「なんでアンタはミカン、一人で全部食べてるのよ!」
いきなり何を怒鳴られたのか理解できず、固まった私に母が続けて言う。
「他の子は皆、ミカン食べずにお母さんに、って持って帰ってたのに!
ホントに思いやりのない!どうしてアンタはそう気がきかないの!」
私は固まったまま慌てた。
私はミカンを見た瞬間から「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」
の3つしか考えていなかったし、他の子が本当に皆食べずにお母さんの所に持っていっていたのか、
全く見てもいなかったのだ。
…今にして思えば、クラスのほんの数人がそうしていたのを、母が拡大していったのかもしれない。
しかしその頃の私は姉とは年が15も離れた末っ子の上、肥満児で、やることなすことトロく、
周りから始終みそっかす扱いされて馬鹿にされていたので、母の怒鳴る声にとにかく
又自分は失敗したのだ、とまだ不機嫌な声で怒っている母の横をしょんぼり並んで帰った。
母は私が成人する前に亡くなったが、今でもみかんを見ると時々この事を思い出す。
それが懐かしさの感情と共であるならいいのだが、どうしても怒りが先に湧いて出る。
「好意は人に強制するものじゃないだろよ。まして大人が子供によ」
私はまだ、大人になっていないようだ。
- 803 :名無しさん@1周年 :2000/06/11(日) 00:08
- 802さんの「給食」の話で今思い出したこと。
小学校に入ってばかりで、まだ給食が始まって間もない頃。
その日の献立の中に、ゆで卵があった。
すると、ある女の子がツカツカと担任のところへ行き、一言。
「先生、たまごどうやって食べるんですか?」
…なんでも、彼女はたまごの殻はいつも親OR婆ちゃんに剥いてもらっていたらしい。
当然のごとく彼女はみんなから冷やかされた。(しかも後々まで)
甘やかされると、結局恥をかくことになるんだなあって思ったもんだ。
- 804 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 03:16
- >>795
あんたのせいで一日中このスレッド読んでいたよ・・・・
でも、ありがとう。グスッ。
- 805 :ケフモナキヌル :2000/06/12(月) 10:57
- ぁぁぁ
- 806 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 11:26
- こんなとこに書き込んでいる暇があったら、
親孝行せい。「しようかな」「しようと思う」
なんぞと他人に書く前に実行じゃ。
せめて電話でもしたり。離れて住んでいる人はの。
- 807 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 13:53
- もうすぐ父の日だしね。
- 808 :>806 :2000/06/12(月) 17:37
- 確かにその通りだね。だけどここを読まなかったら
連休家にも帰らなかっただろうし、親孝行もしなかったと思う。
俺はここ読んで良かったと思ってるよ
- 809 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 19:01
- 小学生の時からの友達だった、Jちゃん。
明るくってやさしくって、本当にステキな子だった。
そんな彼女が突然、入院し、その数ヶ月後、帰らぬ人となった。
彼女が亡くなって1ヶ月後、仲の良かった友達数人と、
彼女のうちへお邪魔して、憔悴しきった彼女のご両親と
何時間も彼女の話をした。泣いたり笑ったりしながら…。
そんな時でも、人間、お腹がすくんですね…。
そんな私達の空腹を見越したように、テーブルの上に並べられた
ワンタンメンと餃子。「もう、失礼しますから…」というと、
彼女のお母さんが“あの子の好物だったんです。食べていってください…”
とおっしゃった。
みんなで黙々と食べた。
食べていたら、彼女がすぐ隣で一緒に食べているような感じがした。
暖かいラーメンと餃子を口いっぱいにほお張りながら、悲しくて、寂しくて、
でも、暖かくて、涙が止まらなくなった。
いつもは少食でラーメン一杯を全部食べられなかった私だけど、
これはどうしても残しちゃいけない気がして、がんばって全部食べた。
ずっと忘れていた思い。ここにきて思い出しました。
- 810 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 00:35
- くすん・・・。
味覚って偉大だなあ。
- 811 :最後の晩餐 :2000/06/13(火) 02:30
- このたび、晴れて離婚が成立しました。
欠点ばかりでもないのですが、それは寛容なひとならそう言うでしょって
トコで、まあ最低な人でした。
結婚していた殆どの期間は口論が絶えませんでした。
家に帰ってこない人でしたが、
最後に帰宅して、一緒に遅い夕食を食べました。
わたしは、例によって喧嘩しながらの夕食で、味がわからなかった。
向こうが言いました。
「こんなに喧嘩しながらでも、オマエのメシはいつでもうまい」
なにを作ったのか、覚えていません。
向こうの母親は、料理らしい料理はしないひとでした。
そのうえ、いつも不満がましくて、文句を聞かされながらの食事だったそうです。
彼が、少しかわいそうだとあとで思いました。
いま、ひとりで暮らしているわたしは、料理らしい料理はしません。
彼とは、会いたいとも思えません。
愛情もなく、冷え切った家庭でも
少しでもおいしいものをって思って作っていたのだなあと不思議な気持ちです。
好きなひとができたら、
とびきりおいしいものをご馳走したいです。
おいしいって褒めてほしいなあと思います。
- 812 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 07:46
- 大学院時代、指導教授と喧嘩別れして、私は教授の進める大学とは
別の大学の非常勤に勤務した。それ以来約10年、退官されたこともあり
その教授とは音信不通状態。今年の1月、突然連絡があり自宅に呼ばれて
食事をすることになった。私のためにとワインを4本も用意してくれていた。
自分も家族もアルコールはダメなので、兎に角揃えるだけ揃えたという。
珍しく先生もグラス一杯だけワインを飲んでいた。初めてみた。
私の助教授就任の祝いの言葉。その後、これまでの私の研究へ先生なりの
アドバイス。が、アルコールの勢いとこれまで先生の力を借りずに上り詰めた
自分自身への自尊心もあり、再び研究の方向性で口論となった。
やっぱり、お互いに合わないのだな思った。
で、先生は4月にガンで亡くなられた。
先生なりの最後の指導だったのかと思う。
あの日のワインの銘柄をどうしても思いだしたい。
- 813 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 10:12
- 高校生だったころ昼食を一緒に食べていた中の1人が、食事の後たいてい
「美味しかった。幸せー」
と言っていました。
あれからもう何年も過ぎ、最近あの言葉を思います。
食べて、美味しいと感じることって幸せ。
- 814 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 20:04
- 大学に通うため、地方から上京して2日目のこと、
近所のスーパーに買い物をしに行った。
自分は男ながら、料理には自信があったし、実家での買い物もよく行って
いたので、あれは安い、あれは高いってぶつくさ文句を言いながら、
買い物をしていた。
そして帰宅して、これ美味そうだなって買った牛か豚の「もつ」(味つけなし)を
早速、炒めはじめた。
そして夢中になって、お酒やみりん、しょうゆを使って調理したのだけど、
途中でとても臭くなってきて、耐えきれなくなくなり、捨ててしまった。
そして、何も作る気がしなくなり、そのまま寝てしまった。
その時、とても心細くなり、涙が出そうになった。
そしてその「もつ」の匂いは3〜4日、台所から消えることはなかった。
それ以来、こてっちゃんすら見るのもイヤになった。
- 815 :ゆゆ :2000/06/14(水) 02:09
- 母子家庭の我が家では、母が家族の役割を色々していた。
おやつの時間は、片手にジャムパン、片手にクリームパンと
私が、がっついていると、右手のパンを頬張っている間に、
母は私の空いた手のパンに喰らいつき、子供の頃よく
そうやっておやつを取られた。まるで兄弟のように……。好きなモノを
最後にとっておく私に「そんなコトしてると食べられちゃうんだよ」と言って、
彼女が言うには世間の厳しさを教えていたんだとか。
高校生の時、500ml紙パックのジュースを飲んでいる私に
いつものように「それ飲ませて」と言い、いつも横取りされて
ウンザリしていた私が遂にキレて「横取りされるくらいなら捨てちゃる!」と
流しにジュースを捨ててしまった。ものすごく下らないケンカ。
そのあと母にボコボコに殴られた。食べ物のコトでなんか
できればケンカしたくないのに、唯一思い出に残る食べ物の恨みを
晴らしたケンカの思い出。
- 816 :名無しさん@1周年 :2000/06/14(水) 18:31
- ageときまぁす。
- 817 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:05
- 今週の日曜日。「父の日」に中学一年の娘が夕食を作ってくれるそうです。
いつのまにか大きくなって、父親を敬遠しはじめ、すこし寂しく思っていたので
とても感激しています(娘には言ってないけど)
あとが高くつきそうだ(わら
- 818 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:32
- 前にもかきました。でも、今度もまた
その彼のことだけど、このごろあっというまにケンカばかりで
別れちゃいそう。だから、匿名にします。
おととしのクリスマスに、私はサンタさん(彼氏じゃありません、なぜか
サンタさんからの手紙の筆跡は彼にそっくりだけど)に「お菓子が
いっぱいつま先まではいったブーツが欲しい」とお願いしました。
よく売ってるブーツって、足首あたりまでしかお菓子が入ってない
でしょう?それがハタチにもなった私は不満でして、「ブーツを
サンタさんが買って、ちょっとお菓子を追加して」って
お願いしたんです。
クリスマスに、彼が「いま、玄関にサンタさんがきてたよ」って
言ってくれたサンタさんプレゼントは、50cmくらいの
大きな布の袋(私の好きなお店で売ってる)にいっぱいに
私の好きなお菓子がつまってるものでした。ちょっと希望とは
違うけど、中に近所では売ってない私の大好物が入っていて
サンタさんは、わざわざ買いに行ってくれたんだと思ったら
うれしかったし、そんなにしなくていいのにな、って思った。
こんなにいい人なのに、どうして別れちゃうのかなぁ、なんて
思いながら、これを書いています。
- 819 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 02:26
- 中学の時、母が働いていたのでお昼はコンビニで買ってました。
小遣いを貰ってなかったのですが、昼食代として貰ってた残りが財布に
あったんです。だからそのまま学校行ったら、昼休みに校内放送で事務室
に呼び出しされて。何かと思ったらモスバーガーの袋が学校に届いてて。
母からだと聞いて、なぜ急にこんな事を…と首を傾げながら教室に戻り
ました。いつも家で食べる時より内容がゴージャスで(笑)、食べ切る
のに苦労して、また友達にも奇妙な恥ずかしさがありました。
帰って母にびっくりしたよと言ったら、お金を持っていかなかったから
一人だけ昼食を食べられないのかもしれないと思って、と言われました。
またみんなに恥ずかしくないように、中身の方も多めにしたとのこと。
その時は、お金持ってたのにー!と答えましたが、今考えると母の気遣い
に涙出そうです。お母さん、仕事で疲れてるのにつっけんどんな態度
取ってごめんなさい。土下座したい…
- 820 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 09:46
- 彼に大根の煮物を作ってあげた時、
「めんとり」に気付いてくれてうれしかった。
手間かけた甲斐があったなぁと・・・。
- 821 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 17:33
- 子どもの頃のお弁当の定番として、のり弁っていうのがありますよね。
普通ののり弁は、ご飯の上にべたーっとのりが張りついてるんですが、
うちのは違うんです。ご飯とご飯の間にだけ、のりが入っているんです。
つまり、ご飯でのりをサンドした状態。でも、みんなと違うのり弁なので、
“うえに、のりの乗っているのが食べたい!”ってわがまま言って、
作ってもらったことがあります。でも、それだと、お弁当のフタにのりがくっついて、
汚くなっちゃうんですよね。
それに、周りを見てみると、一枚ののりがご飯の上にべたっと張りついているだけなんですよ。
よくみてみたら、私のは違ってた。
ちょっとづつちぎったのりが、張り合わされているんです。だから、ご飯を食べたとき、
のりが全部、べろっとはがれたりしないで、最後までおいしいのり弁だったんですね。
お母さんのそんな細やかな心配りを少しでも見習えたら…と思っています。
- 822 :1 :2000/06/16(金) 10:28
- >821
うちは、のり、ごはん、のり、ごはんと
何層かになってました。
”のりだんだん”って呼んでましたよ。
- 823 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:11
- >821
うちでは、その変形で「カレーだんだん」を作ってました。
夕飯がカレーの日は次の日が楽しみだったなぁ。
- 824 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:22
- >821
うちは、ご飯、みそ卵、ご飯、鶏そぼろ、ご飯、海苔だった。
しゃけフレークバージョンもあったなあ。
お母さんに感謝ですね。(^-^)
- 825 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:24
- >821
アンナが学生時代に梅宮辰夫がお弁当を作ってあげていた
らしいのですが、たっちゃんも「のりだんだん」式だったそうです。
821さんのお母さんのように、海苔をちぎってあったそうですよ。
我が家では、「ごはん・おかか・のり」の二層式になってました。
- 826 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 21:26
- あげざるをえない
- 827 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 00:12
- ウチも[のりだんだん]って呼んでました。
その変形バージョンで‘にくだんだん’
豚ロースの生姜焼きか味噌焼きを一口大にしてゴハン→お肉→ゴハン
と重ねて行く。一番上だけ海苔。
中学生の頃、もりもり食べてました。
今でも時々、すごくハラヘリモードになると
ママ製にくだんだんが食べたいな、って思うことがある。
- 828 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 12:07
- ここも、sakiだけど、移転に伴って、
過去ログ消えてしまうんでしょうか?
- 829 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 16:24
- 弁当で思い出したんですけど家のはいつもおかずが隠されていました。
食べてるうちに出てくるのです。
ご飯の下の方から鮭とかから揚げやデザートのチェリーが・・・
- 830 :>829 :2000/06/17(土) 17:11
- ご飯の中からチェリーですか!?
茶目っ気のあるお母さんですね(^-^)
- 831 :829 :2000/06/17(土) 17:28
- >830さん
茶目っ気というか本人マジだった様子です。
小学校6年のときにピクニックがあって先生に大きいオニギリを持ってくるように
言われました。みんな15cm以内ぐらいのオニギリを持ってきていました。
私のオニギリは直径20cm厚さ10センチの具の無いオニギリでした。
担任の先生に写真をとられました。
塩ぐらいは振って欲しかったなぁ。
こんな話いっぱいあります。
- 832 :笑える食べ物 :2000/06/17(土) 18:06
- 高校生の頃、学校にも行かないでどれだけ起きていられるかという無謀なことを
試した。眠気を誘わないように腹二分目程度の食事をとりつつ三日目。もう駄目だ、
死ぬ、と思い、コンビニへ出かけた。コンビニの前でやばそうな奴等がたむろして
いて、あーからまれるとやだなーと思っていたのだが、足がふらつき、そいつらが
作っている円の中心に倒れ込んでしまった。俺はやばいなあと思ったが、そいつら
はあまり気にしていないようだった。それどころか狂ったように笑っている奴がい
た。あきらかに何かの薬物によるモノと思われたが、よく見てみると小学校の時の
クラスメート。
「ジンちゃん何してんの?!」「うひゃ、うひゃ、お前こそ」
「俺は飯買いに来た」「飯?飯?腹減ってるの?おれんちくる?」
「何か食わせてくれんの?」「すっごいもんあるよお」
「薬とかゴメンだよ」「うひゃ、うひゃ、うひゃ」
そいつのうちに行って出てきたのがみそ汁と白いご飯。あまり旨いという
ほどの、いやむしろまずかったのだが、みそ汁には訳三グラムのMMが入
っていた。
今でもキノコが入ったみそ汁を見ると、筋肉の緩みきったジンちゃんの
顔を思い出して吹き出してしまう。
- 833 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:39
- 最近ほのぼのした思い出ばなしが多くてのほほんと読めます。
- 834 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:43
- やっぱ人が死ぬ話は、ねえ。
- 835 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 02:21
- 小学校の3〜4年生のころです。
父が家を出てしまい、母の実家で暮らしていたのですが
父の作った借金の返済もあり、(子供ながらうすうす気がついていました)
極貧とまでは行かないまでも、かなり劣悪な経済状況だったと思います。
そんなある日の夕食。
いつもは、野菜の煮物や漬物などの質素な献立が並んでいるだけなのに
私と妹の席に、「お子様ランチ」様のかわいく盛り付けられた皿が置いてありました。
ハンバーグに付け合せの野菜、型抜きしたご飯には旗まで立っていました。
2つ下の妹は、「食堂みたいや〜〜!!」とおおはしゃぎ。
しかし、私は箸をつけることができませんでした。
「サラ金地獄で一家心中」などのニュースが毎日のようにTVで流れていた時代です。
・・・このお子様ランチを食べたら私ら、死ぬねんな・・・・
最後のご馳走を、母が用意したのだと思うと
怖くて、かなしくて、涙がぽろぽろこぼれました。
結局、その日の夕食をどうしたのかは記憶の外です。
あの、お子様ランチは単なる母の気まぐれだったのでしょう。
(母なりに、私達を喜ばそうとして作ってくれたのでしょうね。)
でも、いまだにお子様ランチを見ると胸が痛みます。
今は1児の母ですが、娘にはあんな思いをさせたくないと
心の底から思っています。
- 836 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 09:40
- age
- 837 :あ :2000/06/18(日) 10:25
- げげげ
- 838 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 19:22
- わたしが保育園児のころ。
うちは専業農家で、とても忙しい時期(田植えか、稲刈り等)は幼稚園の迎えが遅かった。
5〜9人位の子たちが、似たような事情で、よく覚えてないけど、6時7時位まで残ってた。
お腹が空くので保母さんが、みんなにお菓子をくばって食べたりした。
隣の子が『○○(私の名)ちゃんのお菓子、みんなより少ない』と指摘した。
『いいのよ○○ちゃんの家は●●だから』と保母さん。
●●の意味がなんなのか判らないけれど、親を侮辱されたのは漠然とわかって、
当時は口数の少なかった私は何と言葉にしていいのか判らず
悲しくて泣くしかないけど意地でも泣くかと黙って親を待ってた20年前の私。
●●って何だったのか覚えちゃいないけど、ティッシュに包まれたお菓子と
年上の優しそうな女性は今でもちょっと苦手。
関係ないが、「おかし」と打つと躊躇なく「犯し」って変換されてとほほな私のPC。
- 839 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 22:02
- 824さんの「みそ卵」っていうのが気になるなー。
どうやって作るの?
- 840 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 23:48
- おい!この板の寿命もあとわずかだぞ!このスレッドは各自保存したか!
- 841 :もも :2000/06/19(月) 11:20
- なんか、すごいいい話ですね、ここ。
いつも会社で朝一に読んでます。
ここで私の思い出の食事に関する話を一つ。
今からもう7年くらい前、母が入院しました。
今まで病気とは無縁の母だっただけに心配で、
毎日のようにお見舞いに行っていました。
そこで、私がお見舞いの品としてよく持っていったのが、
母の大好物の「かに道楽のお寿司」でした。
しかし、ある日、父に「お見舞いにお寿司を持っていくのは止めなさい」と言われ
「何で?」と聞くと、母は病気のため、食欲が全くなく、
病院の食事もとれないほどだったのです。
母は私の前でそんな顔ひとつせずに「おいしいね」と言いながら食べていました。
私の喜んでくれるだろうと言うエゴのために、無理して笑顔で食べていた母のことを思うと、申し訳ないやら、
有り難いやらで消え入りたいような気分になってしまったのを覚えてます。
そんな母は今はすっかり良くなり、元気にもりもりとご飯を食べています。
これからも元気でおいしく「かに道楽のお寿司」を食べようね
- 842 :名無しさん@1周年 :2000/06/20(火) 19:02
- みんなよってるね。
ま、いいけどさ。
- 843 :名無しさん@1周年 :2000/06/21(水) 13:31
- 800過ぎたので、区切りのいいとこでパート2に引越し希望!
- 844 :復活してたので :2000/06/21(水) 14:57
- あげとこう
- 845 :名無しさん@1周年 :2000/06/23(金) 03:52
- ささやかだけど、俺の場合、自分で初めて作った野菜炒めかな。
それまでインスタントラーメンくらいしか作ったことなかったけど、大学に行く
ために引っ越してきた町で初めて料理をした。
さあ、これからは自炊だーって感じで、結構張り切って作ったよ。
出来上がった野菜炒めは、見た感じは我ながらなかなか上出来だったんだけど、
食ってみたらこれがものすごく塩辛い。
家だったら「こんなもん食えるか!」って感じで、お袋に突っ返すとこだけど、
そこは自業自得。
自分の作ったもん捨てられないから、一人でぼそぼそ全部食ったよ。
まだ友達も全然いないし、これからの学生生活への不安やらなんやらで、食べな
がら心細くて胸がつまってきたね。(別に泣いたりしたわけじゃないよ)
まあ、今思えばかわいかったな、俺。
- 846 :名無しさん@1周年 :2000/06/24(土) 19:24
- あげ!
- 847 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 10:28
- 思い出って程でもないんだが。。。。
若い頃はお袋の作る飯に文句ばかり
垂れてた。まずいだの同じ物ばっかだの栄養のバランス
考えて無いだの。
でも一人暮しをしてみて始めて分かった。
一見しょーもないと思える飯でも、それを作るのがどれほど
大変で根気がいるか。毎日続けるのがいかに大変か。
最近帰郷して更に驚いた。お袋はスーパーのおぞうさいなど
一切買わず、全て手作りだったらしい。
唖然とした。。。
そんな事一言も言わないお袋の健気さに。
ああ、俺って何て愚かな事ばかり言ってたんだ。
何が愚かって、コレほど愛情こめて育ててもらったのに、
親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
お袋、本当にゴメン。貴方が愛情込めて育てた息子は、下の下の
人間になってしまいました。
- 848 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 13:06
- しかしさー、
専業主婦って、立派な仕事だと思うのだけどね。
せんたく・そうじ・食事は
大変だよね。
- 849 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 16:15
- いや、しかしそれは847さんが家を出るまでに
台所仕事の技術伝承をしていない847さんちの躾にもやや問題があるよ。
- 850 :一見良い話に見えるが :2000/06/25(日) 16:25
- >847
>親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
この箇所がひじょーに気になる。
- 851 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 18:55
- >847
投票行ったか?
- 852 :名無しさん :2000/06/26(月) 01:34
- あげますよ。
- 853 : :2000/06/26(月) 04:26
-
- 854 :名無しさん@1周年 :2000/06/26(月) 22:18
- >752さん
私の父も腸ガンでした。
当時、本当の病状を知るのは私だけで、母にも親族にも黙っていました。
主治医から「何時、なにが起きてもおかしくはない。全力を尽くすが覚悟はしておくように。」
と伝えられ、自分一人の胸の中にとどめるしかなかった3ヶ月間ノイローゼ状態でした。
それでも、美食家だった父にちょっとでもおいしい物を食べさせてやりたくて、毎朝料理を作り病室に届けるのが日課でした。病状が目に見えて悪化し、食事もとれないようになりモルヒネの投与も始まりました。食べることができなくなった父の前では、かわいそうで食事をとることができませんでした。
ある日、モルヒネのためにうつらうつらしている父の隙をみて、病室のカーテンの陰でカップラーメンを食べていたら、「遠慮しないで、こっちで食べろよ。」と父の声がしました。
なんか、いたずらを見つかった子供のような気持ちになると同時に、その場で急に泣き出したくなりました。こんな事になるんだったら1回ぐらい晩酌につきあってやれば良かったなぁ.......
男同士はこんな時辛い.......
残業中にカップラーメン食べながら752さんのカキコ読んだら思い出してしまいました。
長文、乱文ですみませんでした。
- 855 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:08
- 夫と付き合う直前ぐらいにとんかつを食べに行きました。
私は、すごくお腹がすいていたし、とんかつは大好物だったので、
「お腹がすいてる時に大好物を食べると何て幸せなんろうと思う」
と連呼していました。
今までも何人かお付き合いした人がいたけど、
こんなに食べる事でおいしい!と思っても、
幸せになった事はありませんでした。
やっぱり夫の力だったのだろうと思います。
- 856 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:54
- とんかつ私も好き(^^)/
「とらや」のとんかつ↓また食べたくなってきた。。じゅる(^^;
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/Syuzo/030000/full/II0001586A.jpg
- 857 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 18:09
- あげ。
- 858 :うり :2000/06/28(水) 00:22
- 小学生の頃、おじいちゃんがチャーハンをよく作ってくれました。
と言うよりもいつもわたしがお願いしてたのかな?
わたしが働き始めて久々におじいちゃんに会った時、やっぱりおじいちゃんのチャーハンが食べたくってお願いしたら、にこにこして腰を上げてくれました。
でも側にいた母が”もう中華なべを持てないくらい体力無いのよ…”と言われ、慌てて違う話しに変えて座ってもらいました。
わたしはいつまで経っても子供気分が抜けなくてだめですね。
それからも時間が経ち、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。
あのチャーハンの味が忘れられなくって何度か挑戦しましたがやっぱりだめ。
大きめにざくざく切ったたまねぎ、なんであんなにあまかったのだろう?
もう一度…。
- 859 :名無しさん :2000/06/28(水) 01:58
- >858
ええ話や。
わたしも田舎に帰るとおじいちゃんが必ずカキ氷を作ってくれました。
おじいちゃんはカキ氷のことを、いつも「こおりみず」っていってました。
んでもってカルピスの原液をかけるのです。今思うとおじいちゃんなりの
もてなしだったんだろうなあー。できるものならもう一回食べたい。
- 860 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:42
- >858、859 なんか久々に涙ちょちょぎれたよ。
寝床からわざわざ(まさかと思ったけど)あたひにブドウをもってきてくれたじいちゃん思い出しちゃった。お盆にはお墓参りいこうねぇ。
じ〜ちゃぁ〜ん。まじでちょちょぎれてます…
- 861 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:48
-
子供の頃食事のたびに喧嘩していた両親。
その日は何かの記念日だったのでしょう。
もう覚えてません。
思い出したくもありません。
夕食はすき焼きでした。
もくもくと食べてるといつもどおり始まりました。
その日は父の方がかなり機嫌が悪かったらしく。
普段よりも大喧嘩。
味付けが濃いやら甘すぎるやら難癖つけて
せっかくのすき焼きをぐっしゃぐしゃにしました。
記念日と言う事で奮発して
母が買ってきてくれた肉も全部ぐっしゃぐしゃ。
私達兄弟はすぐに自分の部屋へ行って
もうここにはいられない。
出て行かなければならないと思いつつ
泣きながら姉と二人で荷物の整理をしてた記憶があります・・・。
今でも両親と食べる食事が大嫌いです。
夕食には楽しかった思い出がない。。。
あなた達両親のおかげで
私は食事=嫌な印象しか持ってませんよ。
すみません。
食事と言うと嫌な事しか思い出せないんです。
ここのスレのような事がこれからあればいいなあ。
と思いつつ。
- 862 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:51
- なんだよ〜このすれ 涙ごーごー たれてます。
ううう、ほんといろいろだやねぇ。
- 863 :まや :2000/06/28(水) 04:01
- >862さん
ウチの実家もそうだった。
だからこそ今は、楽しく食事をすることを大切にしてるわ。
- 864 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 05:24
- 両親が共働きだったので、子守りの老夫婦に預けられていた私。
土曜日の昼ご飯は、決まってカレーを作ってくれました。
とろみのついた、素朴なライスカレーでした。
(スパイスの月桂樹の葉がそのまま入ってたりして)
丸いお皿に盛り付けられていて、それを小さいスプーンで
ちびちび食べるのが大好きでした。
2杯目は、ルーだけ盛り付けてまたちびちびと。
大人になった今でも、家でカレーを食べるときは
小さいスプーンで食べるのが好きです。
もうおばさんは亡くなってしまったけれど、
おじさんを訪ねるたびに、土曜日には
庭の月桂樹の葉を取りに行ったことを思い出します。
- 865 :>864 :2000/06/28(水) 16:09
- それ、オイラも経験ある!!
俺が小さい頃のうちのカレーには、良く葉っぱの枯れたみたいなのとか
カレールーが溶けきってなくて固まりのままだったりしたものが入ってた
だけど、そのまま食べたりしていた、これが正しいとか思ったりしてね
独立して自炊してみて、やっと間違いに気がついたよ。
単なる手抜きだったんだね
でも、自分でカレー作るたびに母親の味が思い出されて、ちょっと切なかったりもする
どうやって作るのかなぁあの味・・・聞いとけば良かった
- 866 :864 :2000/06/28(水) 18:44
- ルーの塊入ってました。そういえば。
思い出は美化されますね…
都合の悪いことは忘却の彼方へ。
とりあえず、私の場合、カレールーは
バーモントカレーの甘口でした。
- 867 :日曜日の朝 :2000/06/30(金) 00:47
- 父は水っぽくて塩辛く、ちょっと苦い野菜いためを作って
くれていましたが、美味しくないからと、あんまり食べてませんでした。
定年後、料理でも習おうかと言っていた父は
ALSという病にかかり、今は呼吸器をつけて寝ています。
もうまともな食事もとることもできません。
....あの時の野菜いため、もっとちゃんと食べとけばよかった....
- 868 :弁当嫌い :2000/06/30(金) 13:32
- ぜんぜん良い思い出じゃないんだけど、ココ読んでたら思い出したので書きます。
小学校の遠足の時、私はいつも近所の仕出し屋のお弁当を持って行ってました。
私の家は父と祖母の3人家族で祖母は足が弱っていて家事なんて出来ませんでしたので
家の事は叔母が昼間に来てやってくれていたのですが、その叔母も忙しい中で時間を
やりくりして私達の面倒をみてくれていたのでとても遠足のお弁当など頼めませんでした。
私の友達のお母さんが、私がいつも仕出し屋でお弁当を買っているのを友達に聞いて
秋の遠足の時にお弁当を作ってあげると言ってくれましたが、私はそんな事はして欲しく
はありませんでしたので「いいです、いいです」と断ったつもりだったのですが
遠足の前の日に明日の遠足について先生が話してる時突然名前を呼ばれて立たされました
「あなたは何時も買ってきたお弁当だけれど、明日は○山(友達)さんのお母さんが
お弁当を作ってくれるそうです。よかったですね。はい、○山(友達)さんのお母さんに拍手!」
パチパチと拍手が起こる中でとても情けない気持ちで泣き出しそうになりました。
次の日は遠足の用意をして学校に向かったのですが、なぜかポロポロ涙が出てきて
公園の横にある区民会館の壁の隙間で学校に行かずに泣いていました。
次の日に学校に行くとみんなが私に怒っていました。せっかく作ってもらっといて
どうゆうつもり!みたいな事を皆口々に言いました。先生が入って来て私は前に立たされ
なぜ休んだか?○山さんのお母さんに悪いとは思わないのか?問い詰められました。
そして平手で叩かれ帰りに謝りに行く事を約束させられました。
そんな事があってからは自分でお弁当作ったり前の日に仕出し屋のお弁当を買ってきて
お弁当箱に詰めなおしたりしてましたが、OLになった今でもお弁当は嫌いです。
- 869 :名無しさん@あめぞう :2000/06/30(金) 13:54
- >868
キツイっすねー。読んでてなんとなくpapa told meを思い出した。
これからはマターリといきませう。
- 870 :戸碌斎 :2000/06/30(金) 14:01
- ひさしぶりにこのスレッド読みました。
ぅぁぁぁぁぁ。
- 871 :方向音痴 :2000/07/01(土) 15:53
- 私が小学校1年生ぐらいのとき、4つ上の兄と一緒に川口の実家から
かかりつけだった歯医者(王子駅から徒歩15分ぐらい?)まで一緒に
行ったことがあります。行きはもちろん、バスと電車を使ったんだけ
ど、帰りが悲惨なことに。治療費が思ったよりも高くついてしまって、
母から預かったお金でやっと間に合うぐらいの金額だったのです。
当然帰りは徒歩……。王子から川口までの線路沿いを手を引かれて
延々歩きました。でも、途中で疲れてしまって、泣き出した私に、
お兄ちゃんは近くの駄菓子やさんで、なけなしのお金でジュースを
買ってくれました。2人で飲みあいっこして、それでまた、半泣き
しながら夜になってようやく家に辿り着きました。母には「先生に
理由を話して、あとでお母さんが払いますって言えば良かったのにー」
と笑われましたけど、今となっちゃ良い思い出です。
- 872 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 11:38
- 父は料理が得意でした。とはいえメニューは限られていましたが。
特にステーキが絶品で、ちょっとした高級店で御馳走してもらっても
父のステーキを上回るものには出逢った事はありません。
裕福な家庭ではなかったので、そんなにいい肉でもなかった筈なのですが。
父は1年足らずの闘病生活を経て他界しましたが、
その数カ月前に、病院を抜けてきて、一枚だけ焼いてくれました。
姉と二人で、これが多分最後だね、と云いながら(口には
出さなかったかも知れませんが2人ともそう思っていました)
食べた事を記憶しています。
ボロい木造の台所で、火を数十センチ吹き上げながら
ステーキを焼いていた父をたまに思い出します。
- 873 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 12:06
- 書くのは勝手だが騙るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。
- 874 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 16:25
- 煽るのは勝手だが煽るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。
- 875 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 21:33
- age
- 876 :>874 :2000/07/03(月) 05:27
- まあまあ、罵るだけだったら書き込まない方がいいよ、無駄ログが増えるだけだし。
自分の料理話も書き込んでよ、一緒にサ。
私の思い出に残る食事って、考えてみたら、弁当屋のハンバーク弁当(たぶん一番安いの)なんだよね。
妹と二人きりの食事。何故か印象に残ってる。
母親がパートに出てて、土曜日の昼はほとんどそれだったなー。
日曜日の朝昼は疲れて寝てるから、作ってくれなかったりしたし。
みそ汁の作り方を教えてって訊いたら、私は作り方なんて教えてもらったことはない、見ながら覚えるもんだって怒られた。
結局、私が11歳の時に、家を出てしまったんだけど。
このスレ読んでいて、彼女の料理の思い出が無いのって、少し寂しいなと思った。
- 877 :>876 :2000/07/03(月) 13:10
- 同感。つーか、煽るしか能が無い奴って基本的に可愛そうだな
人の言うことを素直に信じられず、しかも自分にはそういう思い出が無い奴
ホント、可愛そうだわ
- 878 :>877 :2000/07/03(月) 14:26
- 無理して急に口調変えないでください
つーかその喋り方、ネカマ失格!!(爆笑)
- 879 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 14:37
- 初めて相方の家に連れてかれたとき。
私16、相手19。
にもかかわらず、昼に寿司が出てきた。お吸い物付き。びびった。
その時の驚きは忘れられないです。
- 880 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:19
- >879
んでそのお相手、今は・・・?
- 881 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:25
- びんぼ自慢ですか?
- 882 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:31
- >880
餓死しました。
- 883 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 00:08
- 母の帰りが遅くなって(といっても、夕方過ぎには帰ってきましたが)、
“夕飯の用意をしなきゃ!”と妹と2人で妙に、はりきっていました。
しかし、私は料理音痴で、食べるのは得意ですが、作るのはさっぱり。。という
子どもでした。そんな私の横で、妹は、インゲンのゴマ和えを作っていました。
“おねぇちゃん、味見して!”といって差し出されたゴマ和えは、
母の味そっくり!本当にびっくりしてしました。
“お母さんに、教わったの?”と聞くと、“いつもの味から、想像して作った”
と、これまた、びっくりするような答えが帰ってきました。
あれから、もう何年たったでしょうか。いまでも、ゴマ和えを食べると、
あの時のことを思い出します。
- 884 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 01:03
- 昔、山にキャンプにいったときのこと。
夜に憧れのあの子とちょっと散歩していたら
山奥に紛れ込んでしまって、遭難してしまった。
その時食料なんて何も持っているはずも無く、
二人ともとても腹を減らしていた。
余りの空腹に飢え死にしてしまうと二人とも考えていたのだが、
そのとき、彼女がある提案をしたのだが、
それはお互いのうんこを食べ合うということ。
彼女が言うにはどうしても自分のものには抵抗があるらしい。
そのときは二人とも極限状態だったから、
それで何とか凌いで、その後13時間位後に無事、救助された。
その一件で二人の間の溝もなくなり、絆も強まった、と思ったけど、
あまりにも凄いことだったので、トラウマとなってしまった。
それ以来、彼女のうんこの味をみてみないと巧く付き合えなくなってしまったんです。
- 885 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 02:25
- >884
あらま・・・
- 886 :ホルン :2000/07/04(火) 04:56
- 母は長男大好きだったので、私は小さい頃から殆ど「お祝い」なんて
してもらった事がありませんでした。
高校入試の発表の日、父と一緒に車で行きました(遠いので)。
掲示板には私の名前がありました。帰り道、高速を途中で降りたので
「どうしたんだろう」と思っていたら、車はステーキハウスに。
父は、「おめでとう」とか「がんばったね」とかそんな言葉は全然口
に出しませんでしたが、とてもとても嬉しかったです。
後にも先にも、あんなに美味しいハンバーグを食べたことはありません。
- 887 :879 :2000/07/04(火) 05:03
- >880・882
え!!チガウチガウ!!
彼氏は家から通学してて(私は寮)、実家に連れてかれたの!
そしたらおばさんがお寿司とってくれて、内心「いい年した
息子なのに、やっぱり彼女を招くのは一大イベントなのだろ
うか」と思いました。照れくさかった。
なんで餓死すんの(笑)寿司だから?(爆笑)安直だな〜
- 888 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 06:59
- 884はあぼーんしてもいいんじゃないか?
- 889 :888に同感。 :2000/07/04(火) 07:14
- 878も訳分からん。
- 890 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 07:16
- >887
そのおばさんいい人じゃん。ちょっと来たよ。
882は洒落でしょ。
- 891 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 11:21
- うんこは毒って聞いたことあるんだけど。
食っちゃいけないんじゃ・・・?
いや、それ以前の問題か?
- 892 :名無しさん :2000/07/05(水) 07:34
- まあ、たまにはネタもいいじゃないすか。(笑<884
うちのかあちゃんはちょっぴり料理オンチなのか、
これはチキンだろ、これは豚だろ、ってとこによく牛を入れます。
オンチってわけじゃなくて、牛に執着しちゃう世代なのかもしれん。
そんなかあちゃんの作ってくれる料理でイチバンうまいのはコロッケです。
いもほくほく。市販の妙に甘いコロッケは食えん。
あと、忌野清志郎は、「生ハムメロン」という食べ物にお目にかかったことがなかったらしく、
ちょっといいレストランで初めて食べて、美味かったので思わず
「これ、オリジナルですか?」と聞いてしまったそうだ。わはは。
- 893 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 15:29
- 高校の頃、友達の家に遊びに行ったときの昼飯は、
何故か全員仲良くカップ麺だった。
なるたけ安上がりに、かつ腹一杯になりたかったから、
「スーパーカップ」とか「でかまる」なんかの大きめ
のカップ麺を2個買って、全員スープまで残さず
平らげていた。
そんな事をふと思い出して、この間カップ麺を2個
食べてみた。
2個目の途中でイヤになった。
- 894 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 23:53
- >893
高校の頃。何であんなに食えたんだろうね。
だけど金はない、と。性欲もおんなじだけどせいしゅんってりふじん!!
す・すまそ。つい。
俺の場合がっこの部活が終わると近所の「山本ぱんや」にとんでって
やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
がオードブルだった。
思い出に残る食事...ふっ。(遠いめつき
- 895 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 01:09
- >やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
オマエ歳いくつだ?(藁
- 896 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 02:55
- すみませんお願いです。このスレ下げて下さいお願いします。
もういいです。勘弁してください。
人が死んで別れて泣いてセンチになって。
もういいです飽きました。好きな人は保存してじっくり堪能し
てください。他のスレの邪魔になってます。パート2でもなん
でも新しいの作っていいですから、このスレだけは過去ログへ
葬り去ってください。お願いします。
- 897 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:34
- 俺思うけど、嫌いだとか飽きたとかって、他の読めば
いい事じゃん。 身勝手じゃないのそういうのって?
とりあえず文句つけるのは辞めて、好きじゃないんなら
読まなきゃいいんじゃない?
- 898 :名無しさん@1回転 :2000/07/06(木) 03:51
- 谷口君の一番大きな加害は、896みたいな厨房を2chに呼びこんでしまった事…
自分が一番なんだね。自分が全てなんだね。一度社会に出て働け。かあちゃん
こき使わずに自分で飯作れ。洗濯もやれ。掃除も。公判で「相手も愛してくれて
ると思った」なんて言う前にな。
スレに関係あることを1つ。
俺も中学の時ヤキソバパンあった。Aセットはヤキソバパン・ハンバーガー(偽)・
マヨネーズコーン(違うカモ)だった。そして、単品で「銀チョコ」という、パン生地
のエクレアみたいなのがあった。これが男子に大人気で、弁当の奴も頼むもんだから
予告もなく違うパンになる。ある日、卵サンドになっていた。「そんなら金返せよ!
コンビニ行くから!!」と思ってしまった。銀チョコ90円也。
- 899 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:57
- すみません。お願いします。あげないで下さい。
自炊もしてるし洗濯も掃除も全部やってます。一人暮らしです。
このスレでもネタをいくつか披露しました。受けたみたいです。
でももういいです。勘弁してください。
鯖も重くなるんです。読んでません読んでません。
お願いします。下げていきましょう.
- 900 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:39
- >896・899
2ちゃんねる流 催促レスだよね。
わざと煽って、ほんとはレス沢山欲しいんでしょ?
みんなの話、もっともっと読みたいんでしょ?
分かってるよ。本心ではageて欲しくてしょうがないんだね!
素直になれない2ちゃねらーの君が、ス・キ!
- 901 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:45
- あら失礼。気付かなくてごめんなさ〜い
真性M君だったのね〜>896
- 902 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:48
- すみません。ありがとうございます。
なんだかんだで4つも反応してくれる純粋、無垢、
初心者な方がいました。
頑張って下さい。おやすみなさい。
うふふ。
- 903 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 05:13
- >902
うひゃひゃひゃひゃひゃ
真性Mが捨て台詞を残しちゃ逝かん逝かん
「純粋・無垢・初心者」だって(爆笑)ぶははははは
- 904 :>902 :2000/07/06(木) 05:15
- 淋しいの淋しいの、飛んでけー!
ほら、もう淋しくなくなったでしょ?
オヤスミ。いい夢見るんだよ。
- 905 :902 :2000/07/06(木) 05:19
- >904
アリガトウデチュ〜
ボクチャント〜〜ッテモサミシカッタノォォ
ホカノイタデハスキルガタリナイカラ、ボクチャンデモアオレソウナタベモノイタニシタンデチュ〜
オヤチュミナチャ〜イ
- 906 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 06:05
- ものすごいアホが一人いるな…
- 907 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 08:48
- ある寒風吹きすさぶ冬の夜、俺は自転車で家路を急いでた。
あったまろうにも田舎なので開いてる店もない。
やっとこさ自販機のあるところまで来て、
あったかい飲み物を求めて自販機でウーロン茶を買ったら
冷たいのが出てきた…しかも過冷却起こしてたのか、中身が凍ってた…
もう1本買おうにも小銭はなし。
半分泣きながら飲んだよ…
- 908 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:02
- >905
かわいい♪
- 909 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:33
- つい先日のことですが、後輩を金属バットで殴ったあと
母親を・・・・。
その後、四国へわたり自転車で88カ所参りをしていましたが、
あまりの空腹に耐えかねていたところ、農家のおばあちゃんが
おにぎりを作ってくださいました。
あの味は忘れられません。
- 910 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:37
- 四国88カ所を逆に回ると、死んだ人が生き返るんだってね。
頑張って!!
- 911 :>909 岡くんへ :2000/07/06(木) 11:43
- 88箇所回り終わったら警察へGo!
- 912 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:51
- 終わったなこの板.....
- 913 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 19:15
- おいおい、煽りなんかで終わんないでよ。
- 914 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 20:36
- あれ?道を間違えて・・。
此処はみちのく?
- 915 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 21:03
- 884はいいネタだね。
- 916 :名無しさん :2000/07/07(金) 02:23
- 909もいいネタだね。
- 917 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:22
- 秋田で捕まったよ、金属バッターは。
誰だ、四国って言った奴は?
- 918 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:24
- 同棲してた彼と別れる日。
私の部屋から彼の荷物を全部運び出して、
最後に食事でもしようかって、近所のロイヤルホストに行った。
エスニックフェアかなんかやってて、二人で同じセットメニューを
頼んだ。嫌いになって別れるわけじゃなかったから、顔を見てると
どんどん切なくなる。2人で赤い目をして鼻をすすりながら
「がんばろうね」「たまには遊ぼうね」って・・・。
そして料理が運ばれてきた。一口食べた瞬間に、2人声をそろえて
「まっずーーーーー!!!」
気分ぶちこわしで、笑っちゃいました。
ロイホを見ると思い出す(笑)
- 919 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:39
- >918さん
せつないやらおかしいやら(笑)
味覚っていうものは感情を一瞬にして濁らせるのですねえ〜
- 920 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 10:09
- >918 あいや〜。嫌いじゃないのに別れなくちゃいけなかったの?
そりゃ切ないなぁ。
- 921 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 00:19
- あげとく
- 922 :gak :2000/07/08(土) 04:23
- 5年程前、妻と結婚する2年程前のことです。当時、ボクは東京の大学に通っていて、
妻とは遠距離恋愛中でした。同時に、ボクには東京にとっても仲の良い女性がいました。
彼女はボクより3歳年上で、某ファッション雑誌でモデルの仕事をしていました。そして、
彼女にも遠距離恋愛中の彼がいました(彼は岡山在住)。ボクも、その彼女も、お互い
の相手に対して結婚の意志を持っていて、特に彼女は1年後ぐらいを目処に結婚すること
になっていました。
彼女とはホントに気が合って、よくランチやディナーを共にしました。元々、ボクと、
ボクの妻と、その彼女は、3人ともが共通の友人であったために、妻が上京して来た時に
は、よく一緒に遊んだりもしました。お互い遠距離だったので、電話ゲンカの後とかは、
二人で飲みに行って愚痴を言い合ったりしたこともしばしばでした。
そうこうしている間に、いつしかボクは彼女に惹かれるようになっていきました。想い
は日に日に募り、ある日、ボクは彼女に自分の気持ちを打ち明けました。すると彼女も、
ボクに対して友人以上の感情があることを告白してくれました。ボクは嬉しさと同時に、
複雑な悲しさのようなものを感じました。
なぜなら、ボク達はお互いに大事な人がいて、しかもその人のことを嫌いになったわけ
ではないのです。結婚するつもりもちゃんと持っていました。ボク達は自分の気持ちをな
だめるように、今までのように気軽に会うことは止めにしようと言う結論を出したのです。
しかし、やはりお互いに好きな気持ちを押さえることは出来ず、ボク達は友達として、
不器用に交際を続けました。プラトニックな関係ではありましたが、その分余計に頻繁に
会っていたのだと思います。
ある晩、彼女はボクの下宿先に電話をかけてきました。懸賞のプレゼントで神戸牛の詰
め合わせみたいなのが当たったので、すき焼きをボクの家でやろうとのことでした。ボク
は快くOKしました。彼女がやってきて、二人ですき焼きをあーでもないこーでもないと
言いながら味付けし、楽しく食べ終わりました。さすがに神戸牛、とっても美味しかった
のを覚えています。
食べ終わってボクがお茶を入れていると、彼女はちょっと照れくさそうに「式の日取り
が決まったの」と言いました。ボクは振り向いて「おめでとう」と言いました。すると彼
女は「私が岡山に行ったら、アナタは一人ぼっちでサミシイ日々を送らなきゃいけないわ
ね」と冗談っぽく言って笑いました。ボクも笑い返そうと思いましたが、もうこうやって
二人で遊ぶことも無いんだなぁ、と思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまっ
て、黙り込んでしまいました。彼女も黙ってうつむいたままです。ボクは彼女の横に座り、
彼女の髪の毛をなでながら、もう一度「おめでとう」と言いました。すると彼女はボク
を見上げるようにして目を閉じました。ボクは彼女の頬にキスをしました。彼女は泣いて
いました。ボクは、初めて彼女と手をつないで、彼女を駅まで送りました。
結局ボクはその後、実際的な用事で彼女に2〜3回会ったきりで、結婚披露宴にも出席
しませんでした(妻は出席しましたが)。でも、手紙は書きました。その手紙には「あな
たのおかげで、とても大切な思い出が出来ました。ありがとう」とだけ書きました。
今でもすき焼きを食べると、胸が切なくなります。ボクにとっては宝石のような思い出
です。そして、ボクは妻を愛しています。
- 923 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/08(土) 09:42
- もてる奴ァいいなあ〜〜。
- 924 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:16
- うちの実家は小汚い寿司屋を両親が経営しているのですが、そこにちょっと風変わりな・・・というか
かなりサイコパスなパートのおばはん(仮に”A子”)が勤務しておりました。
このA子、20年前に職安からの紹介でうちに勤め出したのですが。うちに決めた理由というのがなんと「あみだくじ」・・・。
このまみだくじ あながち外れておらず、うちに勤め出してから「A子、この世の春」が始まったのです。
A子はうちが寿司屋ということをいい事に、先ず大量に買い込んである米を無心することからはじめ
味噌、醤油、魚、など気づかれないように少量を盗んでは自分の車に積んでいました。
そのうちに店にある延長コード、食器、電球、などの備品が無くなりさすがに両親もこりゃ変だと勘付いたのですがいかんせんそこはサイコパス
職安から紹介された手前、二人共恐くてA子に「やめてくれ」などと言えません。
そうこうするうち、半分遊び呆けて就職活動などまともにしたかった小生が店の一員として加わりました。
小生の目から見てもこのA子、まったく汚らしく知性というか親切心の一片も無い人間に見えました。
ただこのA子、母性だけは人一倍存在していたようで。都会で働きにでている自分の子供が帰郷するときだけ嬉々としていました。
しかしここで普通と違っていたのは、息子が帰ってくる日は予め分かっていたはずなのに。昼休みの時、突然「息子が帰ってくるので帰ります」といって
そそくさと退社してしまうありさまでした。もちろんうちで作った惣菜を大量にパクって。
とある日思い悩んだ母から、上記の事を聞かされました。
「なめとんか」とA子に腹が立つやら、気の弱い両親に腹が立つやら
そしてある日A子の息子の職場に、ワープロ書きで差出人不明の手紙が届きました。
「こいつの母親は万引きの常習者で、勤め先の寿司屋から惣菜を盗んでいます。こいつはそこの残飯を食って育ちました。」
やがてA子は寿司屋を辞めました。
今までこのスレッドに書かれた皆さんは、食事に関する、楽しい思い出、辛い思い出、笑ってしまう出来事について書かれてきましたが
A子の息子は、1通の怪文書によって。いままでの家庭に関する食事の記憶は呪われたものになってしまいました。
食事をする度A子の話が出てきて「よくもまぁあんな非道い者が居たもんだ」といって笑い話になるのですが、何故彼女が辞めたのかは謎のままです。
最近ではもうA子の話は出てきません。
またこのスレッドに書き込めるような食事に関する思い出(笑い話?)も2〜3ありますが。あえてこのエピソードを投稿いたしました。
(夕食の残りの自家製”イカノ麹漬け”を缶ビール片手に食べながら)
- 925 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:47
- 恋愛の思い出かーいいなぁ。
もてる人がうらやまし・・・・はっ。ここ食べ物板だった・・・。
- 926 :名無しさん :2000/07/09(日) 20:26
- >924さん
おいおい!何という思い出だ!
俺の心にちょっとした葛藤が生まれた!
別スレッドで、自家製「イカの麹漬け」レシピを公開すれば、
許さんでもないぞ!
- 927 :名無しさん@1周年 :2000/07/09(日) 21:00
- 中学生の時、鎌倉に釣りに行った。なぜか仲良くなった地元の少年
に「ウニの密漁に行こう」と誘われ、獲って釣り竿の尻で割って食
べたあのウニ。
あれ以上美味いものを俺はもう20年も食べてない。
- 928 :名無しさん@1周年 :2000/07/11(火) 13:31
- 上げといていい?
- 929 :名無しさん@1周年 :2000/07/12(水) 16:28
- 京都に住んでた学生時代、Ωが話題になっていた当時、京都にあるM24へ
友人数人と食事に行った。
一人暮らしのおれはほんとに何でも喰ってた。バイト先のコンビニの
弁当の残りとか、賞味期限を3日くらい過ぎてカチカチになっても
平気で喰ってた。
けど、地獄ラーメンはまじで喰えなかったよ。
最初にスープを啜った時、まずい、とは思わなかった。ただ、やばかった。
麺類って誰がどう作っても無難に喰えるもんだと思ってたんだけどなあ。
Ωパワーにただただ震撼した21歳のある日。
- 930 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 03:19
- 某隔離板からの転載。個人的体験じゃないけど良い話だったので。
わたしが子供のころ、学校の勉強はきらいではなかったが、
わたしは体が小さく、また家も貧乏だったので、あまり満足に
ごはんを食べることもできず、学校の友達と相撲をとると
いつも負けて悔しい思いをしていた。
そんな私をいつも影から見ていてくれたのは、日本から、この学校に
教えに来た、若い女の先生だった。
ある日、学校が終わって家に帰ろうとすると、私の机の中に、
おむすびがいくつかはいっていた。
誰がそのおむすびをいれたかは、私にはすぐわかった。
家にそれを持ち帰ると、弟たちに半分食べさせて、残りを、自分で
食べた。
それは毎日のようにつづいた。時には当時貴重品だった卵がはいっていた。
そのおむすびを食べる時、いつも涙が止まらなかった。
ある日、急に、その若い女の先生が日本に帰ることになった。
先生はおむすびのことなんか一言も言わずに帰っていった。
先生が帰るのを私は列の一番前で、涙をこらえながら、見送った。
今の私の人格を作ってくれたのは、あの若い女の先生だったと、
今でも感謝している。(町田貢著:ソウルの日本大使館から:文芸春秋より)
- 931 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 09:26
- 上のお話って、ちょっとアレに似てるね。「やせたねずみと太ったねずみの
すもう」の昔話。でも、あげ。
- 932 :>931 :2000/07/13(木) 18:51
- 元が週刊誌の三流ライターだぜ、
ネタに決まってるじゃん。
- 933 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 03:26
- ふむ
- 934 :スキピオ :2000/07/14(金) 15:35
- おかんが作った「ナツメグまぶしたパスタ」
兄貴が作った「ゴマの代わりにピーナツを使用したほうれん草の和え物」
このある種、独創的な料理のおかげで
オレのミートソースには刻みクルミとココナッツミルクが入っている。結構旨い。
だけど「ナツメグまぶしたパスタ」は、ちょっと埃っぽかった。
- 935 :名無しさん@そうだ思い出を食べよう :2000/07/14(金) 17:59
- あげ
- 936 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 18:21
- >934
ビーナツ和えはウチでもやるよん
母が誰かから教えてもらったらしい
確かピーナツ砕いたのがお店で売ってるんじゃないかなぁ
- 937 :名無しさん :2000/07/14(金) 18:40
-
小学1年の時、ウチではご馳走は週末しか出ませんでした。
ある日、家に帰ると平日なのにトンカツが用意されていました
トンカツにはしゃぐ自分、そして会話を交わさない両親
複雑な心境で美味しいトンカツを食べた。
食事が終わり、洗物を終えた母は僕の手を取り二人で母の実家に・・・
車の中で母は僕に父と離婚した事を話した
「離婚」という言葉は当時、わからなかったけど、もう家族がそろう事は
ないという事だけは何となく分かった
今でも母がトンカツを作ってくれるけど、食卓に並ぶと何か悪い事が
起こりそうで怖い。トンカツは好きなんだけどね・・・
駄文でスマン。次!
- 938 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 22:12
- 勤務中なのにこのスレッド読み始めてこんな時間になってしまった。
いま頭の中では死んじゃったおじいちゃんのことで一杯で、目もうるうるです。
初孫の私が帰省すると必ず船を出して魚をとってきてくれました。でも、おじいちゃん
は食べずに、自分の横で日本酒をずーと飲んでました。
「おじいちゃんも食べやー」と言っても「うん」とか「ああ」しか言わない。
でもずーと横にいてくれる。自分が大学生になるころにはもう船にのることも
無くなったけど、自分が一緒にお酒に飲むことができた。そんなベラベラしゃべること
なんてないけどずーと一緒に飲んでた。
おじいちゃんの通夜のとき、朝までおじいちゃんの横で一人で飲んでました。
おじいちゃんの獲ってきてくれた魚の名前なんて覚えてないけど、ただただ
おいしかったことしか覚えてない。
あー、あかん会社で泣きそう。
- 939 :名無しさん :2000/07/15(土) 10:11
- 1へ>コレさ、いいスレッドだから・・・たまには何か書いて欲しい
話じゃなくてもいいから。頼む
- 940 :名無しさん@1周年 :2000/07/16(日) 06:41
- age
- 941 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 06:04
- age
- 942 :名無しさん :2000/07/17(月) 09:35
- 記憶があいまいなほど幼少の頃の話なのですが、
ろくに仕事もせず遊び好きの父が作った借金を、母がノイローゼになりながらも
返済していました。
そんなある日、姉が高熱に見舞われ倒れました。
母は仕事に追われて姉の面倒をみることができず、父に看病を頼んで私を連れ
仕事に出かけてしまいました。
帰ってきたら、ほとんど意識のなくなりかけた姉の枕元に、バナナ1本と300円
が置いてありました。
それだけははっきり覚えています。
その後、両親は離婚して私たちは母と生活しています。
でも、今でもバナナが大嫌いです。
- 943 :じんせいくそだ :2000/07/17(月) 11:13
- おんながおんでてく前の晩に作ってもらったばんごはんだよ、くそども。
んでな、豚肉の味噌漬けが残ったんで、僕はこれを一生冷凍保存すべし、と誓ったんだよ。
ところがだ、三ヶ月もしねえうちに食っちまったよ、ばかやろう。
人生はくそだと悟った気がしたよ。
- 944 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
- >944
深刻な心の傷の話みたいだね。
- 945 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
- >942
- 946 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 11:52
- どんどん悲惨な家庭自慢スレになってくな。
- 947 :942 :2000/07/17(月) 13:01
- 25年くらい昔の話なんでそれほど気にしてないですけどね。
その件のあと、バナナは保育園で食べきれなくて先生に怒られた
思い出もでき、益々嫌いになりましたけど(^_^;
今は恵まれているといっても過言ではない家庭です。
- 948 :幸せ家族ですが教育機関には恵まれなかった :2000/07/17(月) 18:41
- 幼稚園のころの話です。
私の通っていた幼稚園では,ちょうど私が年長組に
入った年から給食を園で作るようになりました
(それまでは業者のお弁当。かなり不味い)
お弁当と違い暖かい料理が食べられるので,最初はみんな喜んでいたのです。
ある日スープが出たのですが,それがもう筆舌に尽くせぬ酷い味で,
クラスの全員が「こんな不味いスープは飲めない!」と言いました。
でも先生は,せっかく職員さんが作ってくれたのだからちゃんと食べなさいと
耳を貸してくれませんでした。そこで,かっこうつけたがりの男の子が
「ぼく食べれるもんね〜」といって,一思いにそのスープを流し込んだのです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
その後,スープを吐き出しながら白目をむいてその男の子は倒れました。
そのスープがどんなものだったのかはよく覚えていないのですが,とにかく不味かったのです。
そういえば,幼稚園で出たおやつのドーナツがあまりにも
脂っぽくて,気分が悪くなってそのまま熱を出したこともありました。
食中毒大流行の昨今では大問題になりますね。この幼稚園。
- 949 :んまい。 :2000/07/18(火) 07:49
- 子供の頃に食べた、あれ。
- 950 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:30
- 感動でもなんでもなくていまだに「?」なもの。
高校の時、仲良しの友達が出来て週末家に遊びに行った時のこと。
出てきたお昼ご飯がおいなりさんだったんだけど、
油揚げもごはんも味がついていなかったのです。
ただ油揚げを切って開いて、ふつうのごはんをつめただけ。
友達は普通に「美味しい」と食べていたのでびっくりしました。
あれは何だったんだ!?
- 951 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:37
- 950>その友達は可哀相だね・
油揚げを「肉」と育てられ、恥をかいたという知人もいます。
親を恨むしかないですね。いあや、感謝すべきか?
- 952 :彼女の手料理 :2000/07/18(火) 11:09
- 僕は以前、遠距離恋愛をしていました。
会えるのは良くて1ヶ月に1回。だいたいは2ヶ月に1度ぐらいでした。
そのため、会った時はほとんど外食をしていました。外食のほうが美味しい物を
食べられるし、リッチな気分も味わえるからです。
僕の家で食べることもあったのですが、僕は料理が得意だし、彼女がわざわざ
はるばる来てくれたので、作るときはいつも僕でした。
彼女は僕の作った料理を、いつも「おいしいよ」って言いながら食べていました。
しかし彼女は、僕の手料理を食べるたびに自分自身は料理が作れないのを
気にしているようでした。僕はそんなことにも気づかずに、「女の子だし料理ぐらい
作れなくちゃね」とか言ってしまいました。彼女は笑いながら「これから
一生懸命勉強するよ」とか言っていましたが、僕は言葉だけだなと思って
期待は全然していませんでした。
ある時僕が彼女の家に行くときがあって、そのとき彼女が料理を作ると
自分で言いだしたのです。びっくりしたものの、待つことにしました。
しかしいつになっても料理は出てきません。心配になって台所を見ると
僕の10倍以上の遅さでタマネギをみじん切りしていました。
「見ないで」と言われたので更に1時間以上待っていました。
何が出てくるのか楽しみにしていたら、出てきたのは白いご飯にみそ汁、
それにケチャップのかかった卵焼きだけでした。見た目も・・・って感じの。
味も予想通りでした。みそ汁は薄いしご飯は堅い。卵焼きは中身のタマネギとかが
生っぽい。でも、「おいしいよ」って言って食べました。いつも彼女がしていて
くれたように・・・。それを聞いた彼女の満足そうな笑顔と、自分では
「おいしくないよー」って言っていたのが今でも忘れられません。
結局彼女とは色々とあって振られてしまいましたが、あの時の彼女の手料理が
最初で最後でした。今こうして振り返ってみると、上手じゃなかった料理
だということと、もう1つだけはっきりと分かることがあります。
彼女が僕のことを心から想って、一生懸命に作ってくれたことです。
- 953 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:31
- >952
あなたは本当にステキな人ですね。
- 954 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 13:03
- 嘘つきともいいます。
- 955 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 02:20
- パパの肉棒
- 956 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:12
- 嘘、かな
同じ物でも食べる場所で味が違うこともあるし、
彼女が一生懸命作ってくれたら、美味しいよ
- 957 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:42
- 合宿(真夏)で食った納豆が何故だか
アンモニア臭を発していた。
あれは明らかに納豆の匂いとは違っていた
- 958 :ひさびさに :2000/07/20(木) 18:05
- age
- 959 :名無しさん@1周年 :2000/07/20(木) 18:32
- その2に移ったんじゃないの?
- 960 :名無しさん@1周年 :2000/07/21(金) 13:54
- 学生の頃の話。
つまらない交通事故で2ヶ月ほど入院することになった。
その頃付き合ってた彼女とは3年目に入り、何となくすれ違いが
多くなっていたのだが、心細い入院生活で彼女のありがたみを感じ、
退院したらまた新鮮な気分でやり直せるんじゃないかという気になった。
退院後始めて彼女が家にやってきた。 モエのボトルを抱えて。
手料理で退院祝いをしてくれたのだ。
僕たちはささやかな贅沢として、何かあった時はシャンパンを買って
飲んでいたので、僕にとっては素敵な退院祝いの贈り物。
食事を終え、シャンパンに舌鼓をうち、僕はご機嫌だった。
彼女にこころから感謝し、これからも仲良くやっていこうと思ったその時、、
彼女は突然泣き出し、別れ話を切り出した。
やっぱりもう駄目なのかな、、とぼんやり彼女を眺め、
その時は割合冷静だったのだけど。
しかし、彼女が去り、松葉杖の自分だけが取り残され、
とてつもない孤独と喪失感が襲ってきたのだった。
シャンペンのボトル、しばらく捨てる事ができなかったよ。
今でも、ワイン売り場に行くと、たまにあの時の事を思い出す。
- 961 :遠山景完 :2000/07/21(金) 21:08
- >960
アナルやねえ、、、、、、、、、
- 962 :960 :2000/07/21(金) 22:35
- >遠山景完
もっへーーん
- 963 :名無しさん@1周年 :2000/07/21(金) 23:57
- おじいちゃんが毎朝作ってくれた味噌汁。
もう2度と食べられない・・・。
- 964 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:18
- 久々に全部読んだ。1を書いたのが2月の末だから、5か月かかって
ここまで来たんだな。あらためて1つ1つ読んでいると、やっぱり
涙が出てきた。悲しい話や、やるせない話もそうだけど、幸せそう
な話や楽しい思い出でも少し涙が出た。おかしいかな。
少し裏話など。1はもちろん本当の話だ。っていうか土曜日の昼に
スパゲッティ作って食べたら、昔のこと思い出して、泣けてきそう
になったんだ(おれは泣き虫かっ)。それをその日に書いてみた。
清水義範っていうおかしな小説を書く作家がいるんだが、その人
の小説『時代食堂の特別料理』(短編集「国語入試問題必勝法」)
を少し思い出したりした。あんな話が聞けたらいいなってね。
- 965 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:21
- あと、1を書く少し前に、別のスレッドで、自分のお母さんの話を
書き込んだ人がいたんだ。もう消えてしまったから全文引用するぞ。
29 名前: こらっ 27はわたしじゃないぞ 投稿日: 2000/02/23(水) 23:53
1です。う〜。ちょっと目をはなしたすきにえらいことになってるな〜。
業界の舞台裏を教えてくれたみなさま、ありがとうございます。
それでね。そりゃあ、どーせわたしは味音痴だわよ。でもね、クノール
スープって今まで食ったことが無かったんだ。なんかキョンキョンが
宣伝してた(古い?)のは知ってたけど。
わたしのかーさんはね、ジャガイモやカボチャを裏ごしゴシゴシして、
スープを作ってくれるんだ。母さんインスタントでも美味しいらしいよ
なんて言ったら、今でもパンチだよ。わたしもひとり暮らしはじめて
長いから、インスタントで間に合わせること多いよ。「あさげ」なんて
定番だわ。でもかーさんには言わないんだ。カツブシでだしをとるなんて
あっという間じゃないの、なんて説教くらうの目に見えているから。
だからインスタントが不味かったからじゃないんだ。どーせ味音痴の不肖の
娘なんだから。ただなんとなく悲しかったんだ。子供のころ一家で洋食屋
さんに行くと、かーさんはいつも「美味しいねえ。どんなだしの取り方
してるんだろうねえ」って言うんだ。コックさんはそれを聞いて「私ら
これが仕事やから」って笑ってたんだ。そーいう思い出があるから、なんか
裏切られた気がしたのかもしれないだね。
う〜ん。支離滅裂ですね。書いててなんかせつなくなってきたから、
とりあえず今度の休みには、久々に実家に帰ることにしよう。
修行するぞ(ってどこかで聞いたセリフだ)。
前の部分がないので、ちょっと分かりにくいかもしれないが、おれは
読んでいて、いいなと思った。こういう話って、あまりここでは書く
人がいなかったんだよ。だからこんなレスが読みたかった。
- 966 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:22
- そんなこんなで、ちょっと期待して1を書いて、スレッドを立ててみた。
信じられないかもしれないが、最初はあまりレスがつかなくて、すぐに
沈んでいったんだ。おれも「まあ、こんなもんかな」と思ってた。
それをひっぱり上げてくれたのは、>>14 のホットミルクの話を書いて
くれた人だ。そして、このスレッドの流れを決定づけたのが >>17 さん
のおばあちゃんのおにぎりの話だった。お二人が、本当の意味で、この
スレッドを始めたことになるのかもしれないな。
人が亡くなる話は数多くあったし、中には悲惨といってよいぐらい悲しい
話もあって、食べ物板にふさわしくないと思った人もいたかもしれない。
おれ自身は、ただもう圧倒されたというのが正直なところで、内容について
はどうこう言う資格もないんだが、それでも、ここで、こういう数多くの
体験を聴かせてもらったことは、とてもよかったと思っている。
書き込んだ人が、過去の自分の経験を冷静に語ることのできるその強さが
おれにはとてもまぶしかった。
このスレッドの中で、おれの特別に好きなエピソードというのも当然ある
んだが、それを言っても仕方がない気がするので、そのかわりに、ここに
出てきた食べ物を全部書き出してみた(暇なやつだと笑え)。
こうして見ると、たいした食い物じゃない、ありふれた食べ物がほとんど
だ。思い出に残るのは、ささいなもの。
- 967 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:25
- 少しだけおれ自身の近況など。
2年間付き合ってた彼女と別れたんだ。去年の春、彼女と京都で食った
「苺のブランマージュ」(うまかったんだ、これが)っていうデザートが
思い出リストに加わってしまった。そして、今はもうお祭りの季節だ。
家にいても遠くから祭りばやしが聞こえて来る。ゆかたの彼女とタコ焼き
食ったのも去年の話だ。…いかん。こんなこと書いてると、また「情けない
やつ(>>749)」と言われてしまう。
今を生きてる人は、思い出話なんかしないのかもしれない。
おれも今を頑張ろうと思う。でも時々はこういうふうに思い出に浸るのも
悪くないんじゃないかな。
そういえば、何を血迷ったか、お袋が見合い写真を送りつけてきたんだ。
「料理が好きな娘さんだって。お前にぴったりだよ」と電話で言ってた。
まったく、お袋には油断もすきも見せられない。それはこのスレッドに
書かれてある数多くの実例が示すとおりなんだが。
それじゃ、第一部の終わりということで、おれもさよならだ。
途中、何人かの人に、1はちゃんと読んでるか? 1もなんか書けって
言われたけど、何も書けなくてごめん。でも名無しで1行レスは時々
書いてたんだ。2chのシステムは1の文章が、常に全文表示されている
じゃないか。その下の素敵な文章と、いつも対比されてるようで、
なんか恥ずかしかったんだ。そのかわり、最後になってだらだらと書いて
しまった。
書き込んでくれた方、ずっと読んでくれた方、本当にありがとう。
よかったらpart2もよろしく。
- 968 :ここに登場した食べ物1 :2000/07/25(火) 05:32
- スパゲッティ、ビックマックとスプライト、学食のカレー、給食のハム
サンド、シュークリーム、マック、メンチカツ定食、ばくだん、ホット
ミルク、おにぎり、ずんだもち、魚のてんぷら、味噌炒め、カール・さ
つまいも、餅、ごはん・みそ汁・煮物、ガム、スナック、弁当、野菜炒
め・味噌汁・餃子、ポテトサラダ、餅をうすーく切ってある程度の期間
干して油で揚げたお菓子、乾パン、ギョーザ、サシバ、あけがらす?、
ウニ、小鳥、袋菓子、赤犬、卵焼き、お雑煮、たらの芽、卵焼き、サン
マ、バターケーキ、レディーボーデン、クレープ、ミロ、おにぎり、ス
イカ、カルボナーラ、卵かけご飯、お弁当、初給食、オムライス、給食、
豚肉のしょうが煮、クリームシチュー、芋のオレンジ煮、ハンバーガー
とポテトフライ、つぶ貝の醤油たれの串焼き、カレーライス、イチジク
の甘露煮、ロールケーキ、バニラアイス、コロッケ、蕎麦がき、唐あげ、
チャーハン、白いご飯、雑炊、シュウマイ弁当、マシュマロ、チョココ
ロネ、梅しそ巻、おぼろ豆腐、キャベツ、お好み焼き、黄金飴、卵焼き、
おせんべい・チャーハンの素・レトルトカレー・豚肉こま切れ・りんご、
インスタントラーメン、マヨネーズ、ごはんですよ、イチジクのジャム、
生麩、スイカジュース、お好み焼き、サイコロステーキ、ケーキ、ホッ
トドック、カップラーメン、パイナップルの缶詰、オムライス、ご馳走、
おつまみ、UFO焼きそば、にゅうめん、クリームソーダ、つぶつぶオレン
ジ、納豆、羊羹、カルピス、お母さんの料理、ステーキ、ビール、夕飯、
みそ田楽のおにぎり、サンポーの焼豚ラーメン、バナナ、カレーライス
・親子丼・ビーフシチュー、ビール、エビピラフ、梅干し、おそうめん、
サンドイッチ、卵かけご飯、ポテトチップ、ハンバーグ、ラムネ、メロ
ン、チキンカツ、カキ鍋、ひまわり種、ほうれん草のたまごとじ、イン
スタントラーメン、天津甘栗、すいとん、アイスケーキ、唐揚げ・ミー
トスパ・カレー・ハンバーグ、ポテトチップス、弁当、特上のすしとビー
ル、ロシアケーキ、牛乳、デコレーションケーキ、ラーメン、みたらし
団子、毛がに、そばつゆと間違えたアイスコーヒー、から揚げ、チーズ、
親子丼、日清焼きそばUFO、納豆、カレーライス、コーラ、カレー、
- 969 :ここに登場した食べ物2 :2000/07/25(火) 05:36
- やきそば、ヨーグルト、インスタントラーメン、続いてインスタント
ラーメン、鶏、クリームシチュー、そうめん、給食、バニラエッセンス
の入ったチャーハン、バーベキュー、キムチ鍋、ハトのエサ、鹿せんべい、
手打ちうどん、冷凍うどん、スキヤキ、八宝菜、お弁当、納豆、ハンバー
ガー、カロリーメイト、回鍋肉・イカとセロリの炒め物・コーン卵
スープ、弁当、いちご、たこ焼き、ベーコンとサヤエンドウのバター炒め、
あじのたたき、カルボナーラ、串団子、野菜の煮物・さつま芋の砂糖菓子、
あんみつ、野菜炒め、カレイのあんかけ、海苔弁に焼いたポークソーセー
ジを乗せただけの弁当、筑前煮、ケーキ、大トロと牛タン、五目ご飯、
うなぎの蒲焼、唐揚、鉄板で焼いた貝、味ご飯、天ぷら蕎麦、ホワイト
ソースピラフ、御飯、透明のリンゴジュース、焼肉、白米、ラーメン、
たこ焼き、ラーメンと炒飯、グレープフルーツ、カステラ・千切りキャ
ベツソース掛け、カステラ、海外行った時のおいしい料理、焼きそば、
おにぎりとキットカット、弁当、焼肉弁当、ごはん、ジャガイモ、
オムライス、卵焼き、ご飯と伊達巻だけのお弁当、カレー、ソースカツ、
デカビタC、水羊羹、餃子、ホウレンソウのホワイトソース煮、肉じゃ
が、メバルの煮付け、肉じゃが、ほうれん草とベーコンのスパゲッティ、
アーモンドチョコレート、クッキー、おにぎり、根室の大宴会、ピーナッ
ツバター、焼肉、アイスコーヒー、鯖のぬか味噌煮とぬか漬け、カレー、
みたらし団子、鍋、バーベキュー、たきこみ御飯・味噌汁・マーボ春雨
・ワカメのサラダ・酢豚、お袋のゲテモノ料理、焼きプリン、寿司、コー
ラ、羊羹、おにぎり、コンビニのおにぎり、サラダ、さつまあげ・焼き
飯、メロン、クッキー、味噌汁、サッポロ一番、手作りチョコ、ピザ、
肉野菜炒め、コロッケ、チキンライス、10歳で作った料理、カツ丼、竹
筒に入ったスープ、ササミ、ハンバーグ、お弁当、運動会のごちそう、
パチンコの景品のお菓子、おつまみ、林間学校の食事、給食、柿、豚肉
のすき焼き、おでん、たいやき、魚肉ソーセージ、おせち、アイスクリー
ム、ミスタードーナツのスープ、パン、煮物、漬物ばっかりの夕食、水、
雪見だいふく、コーラ、ハンバーガーとコーラ、大量のディナー、カボ
チャの煮つけ、カップラーメン、ラーメン、エビフライとタルタルソース、
- 970 :ここに登場した食べ物3 :2000/07/25(火) 05:39
- 中華料理、お弁当、海老の活け造り、おにぎり、カレー、お母さんお手
製の食事、ふがし、サンドイッチ、もやしの味噌汁、塩辛いサラダ、
焼きそば、鳥すき焼き、お刺身、鶏肉、ぶどう、磯部巻き・ラーメンま
たはたぬきうどん・あんみつ・ところてん・ソフトクリーム・コーラ、
オニギリとゆで卵、ペプシとホンコンやきそば、揚げピー、きゅうりの
漬物、ケンタッキー、夕食、キャリーブルストとポムス、カレーライス、
おにぎり、コーンポタージュ、グアバ、ココア、チョコレート、かます、
すったリンゴ、カニ、天ぷら、スイカ、生肉、ごはん、ナポリタンスパ
ゲティー、ラムネ、ラーメン、ハンバーガー、サンドイッチとクラッ
カー、ミートソース・スパゲッティ、しょうが焼きと味噌汁、冷凍みか
ん、ゆで卵、ワンタンメンと餃子、オマエのメシ、ワイン、もつ、紙パッ
クのジュース、お菓子がはいったブーツ、モスバーガー、大根の煮物、
のり弁、のりだんだん、カレーだんだん、ご飯・みそ卵・ご飯・鶏そぼ
ろ・ご飯・海苔だんだん、ごはん・おかか・のりだんだん、にくだんだ
ん、オニギリ、キノコが入ったみそ汁、お子様ランチ、お菓子、かに道
楽のお寿司、野菜炒め、お袋の作る飯、カップラーメン、とんかつ、
チャーハン、こおりみず、ブドウ、すき焼き、ライスカレー、野菜いた
め、お弁当、ジュース、ステーキ、ハンバーク弁当、寿司、インゲンの
ゴマ和え、ハンバーグ、コロッケ、カップ麺、やきそばパン・ミートソー
スパン・チェリオオレンジ、銀チョコ、ウーロン茶、ロイヤルホストの
食事、すき焼き、ウニ、地獄ラーメン、おむすび、ナツメグをまぶした
パスタ、トンカツ、魚、バナナ、豚肉の味噌漬け、スープ、おいなりさん、
彼女の手料理、シャンパン、味噌汁。
大切な思い出を語っていただいた方々に、心から感謝します。
・・・ごちそうさまでした。とても美味しかったよ。
- 971 :名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 07:39
- 北九州戸畑区大谷近くにある、「焼き鳥屋ポパイ」ってまだあるのだろうか?
開店時僕は小学生だったんだけど、豚バラが大好きでいつも20本近く注文してたっけ。
その後、父の転勤で東京に行くこととなり、疎遠になってしまったけど
それから10年近く時が過ぎて久し振りに訪れたとき
おじさん僕のことを憶えていてくれてた。
あの時はとても嬉しかったよ。
まだお店はあるのかな?
近所に住んでる人が居たら教えて下さい。
「開店時によく来ていた、豚バラばかり注文する子供(あ、あとイカとか)」
と言えばまだ憶えていてくれるかも(^^)
このスレ読んでて「今年は帰郷しよう。帰郷した時は必ず寄ってみよう」
そう心に決めました。
みなさんありがとう。
- 972 :ぞまほん :2000/09/25(月) 14:56
- トウモロコシの粉を熱いお湯で溶いて砂糖を入れたスープがココです。
- 973 :名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 14:25
- 過激な恋愛っていう板にも「忘れられないセックス」(だったかな)
ここと似た様なのがあるよ。
- 974 :名無しさん@1周年 :2000/09/29(金) 04:56
- 名前を付けて保存
- 975 :いやぁ :2000/09/29(金) 10:10
- 3日かけて全部読んだっす。
パート2ってないの?
- 976 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 11:18
- みなさん泣かせの創作活動に疲れきってネタ切れです。
- 977 :もび :2000/09/29(金) 11:57
- ウチの母は料理全くダメで子供の頃から外食ばっかりだったし、
たまに作る料理もえらい評判が悪かった。
だから中学にあがって給食がなくなると、毎日500円玉を渡されて
自分で適当に学食いったり、パン買って食ったりしてました。
結局遠足以外でお弁当持たされたのは10日もなかった。
しかし俺が大学入試でセンター試験を受ける朝、
そんな母が早起きして弁当作ってた。別に頼んでもなかったのに。
それを見て親父が妙に感心してたなぁ。
おかげで無事に大学合格できました。おかんに感謝。
- 978 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 14:09
- >>975
自分で探すくらいの努力はしてね
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=961373743&ls=50
- 979 :いやぁ :2000/09/29(金) 14:26
- 975だけど、いやぁ、仕事しながらだから
なかなか、どーして。(意味不明)
>978、サンキュー。
- 980 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 07:04
- あげ
- 981 :Miss名無しさん :2000/10/05(木) 08:27
- マン汁
- 982 :ハッカーじゃないほうの山田 :2000/10/06(金) 10:09
- かちゃんのオムレツうまいぜ!
また食いたいぜ!
明日帰るぜよ。
- 983 :赤い扉 :2000/10/25(水) 12:34
- 幼稚園のころ、自宅の隣にひいじいちゃんとひいばあちゃんの家があったんですけど、
自宅では飲ませてもらえなかったコーヒーをひいばあちゃんが作ってくれるので、
よく飲みに行ったものでした。
で、そのコーヒーってのがお中元か何かのセットのヤツだったんですが、ある時、
一緒に入っていたクリープの使い方がわからなくて、クリープのみをそのまま
お湯に溶いたヤツがでてきたのを覚えています。
今となってはいい思い出です。
- 984 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/25(水) 23:40
- 書き込む人はこちらに書いて下さい。このスレは終了しました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=961373743&ls=50
- 985 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/27(金) 13:17
- そうだね
- 986 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/27(金) 19:43
- >977
その弁当にあたらんでよかったな。試験の日やのにな。
俺やったら途中の駅かどっかで捨ててしまうなあ、そんなお母んやったら。
- 987 :彼だったんだけど :2000/11/01(水) 00:52
- もうずいぶんと前になるんだけど、
付き合っていた彼女とクリスマスパーティをやろうってことになって、
ゴールドクレストって、小さなもみの木みたいな木があるでしょ?
あれとやっぱり小さなミルクパンと白ワイン、チーズ、パンを買って、
チーズフォンデュを作ったことがあった。
高校生の時から6年間も付き合っていて、当然結婚するものだと思っていて、
でも社会人になるとお互いに将来を真剣に考えるようになって、
考え方の大きな違いに気付いて別れた。
でね、その時のゴールドクレストはうちの庭で、
自分の背丈の3倍近い大きさになったんだけど、
見るたびに、その時に食べたフォンデュの味が思い出されて...
フォンデュって甘酸っぱくないはずなのに、そんな味だった気がするんだよ。
- 988 :もぐもぐ名無しさん :2000/11/01(水) 01:29
- >987
叩かれないようにね。
- 989 :まじ学生 :2000/11/01(水) 02:10
- 6年前くらい、僕が中学生のときです。僕は週に一回アコースティック
ギターの教室に通っていました。家からは遠いので、いつも親に送迎して
もらっていました。いつもは母の担当なのですが、たまに父が送迎してくれる
こともあります。父は、僕の練習が終わる頃になるとファーストフードで
ハンバーガーとポテト、ジュースやアップルパイなどをたくさん買って車の中で
待っていてくれました。車の中はハンバーガーの匂いが充満していて、練習が
終わるのは夜でお腹ぺこぺこでしたので、父が送迎してくれるときはそれがすごく
楽しみでした。
そんな父も数年前、ガンで亡くなりました。薬の副作用で周りの人間に
暴力を振るうようになったときも、一人息子の僕にだけは決して手を
あげませんでした。
今では65円のハンバーガーが一人暮らしに大きな存在の毎日ですが、あの頃の
ハンバーガーは本当においしかったです。
- 990 :ぱくぱく名無しさん :2000/11/01(水) 03:18
- パート2に書けっての。
- 991 :もぐもぐ名無しさん :2000/11/01(水) 03:50
- >>989
気のせいです
- 992 :nanasino gonbei :2000/11/05(日) 13:46
- >1
aa,onnaji oremo itamesi.......betsuni aiteno koha
naitehainakattakedo(atarimaeka) nanka mise kurakute funikiha
yokattane, tada oremitaina otokoniha niawanai basyodattanaa...
chinamini ryouri ha umakattayo.
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0ch BBS 2004-10-30