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思い出に残る食事

858 :うり :2000/06/28(水) 00:22
小学生の頃、おじいちゃんがチャーハンをよく作ってくれました。
と言うよりもいつもわたしがお願いしてたのかな?
わたしが働き始めて久々におじいちゃんに会った時、やっぱりおじいちゃんのチャーハンが食べたくってお願いしたら、にこにこして腰を上げてくれました。
でも側にいた母が”もう中華なべを持てないくらい体力無いのよ…”と言われ、慌てて違う話しに変えて座ってもらいました。
わたしはいつまで経っても子供気分が抜けなくてだめですね。

それからも時間が経ち、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。
あのチャーハンの味が忘れられなくって何度か挑戦しましたがやっぱりだめ。
大きめにざくざく切ったたまねぎ、なんであんなにあまかったのだろう?
もう一度…。

859 :名無しさん :2000/06/28(水) 01:58
>858
ええ話や。
わたしも田舎に帰るとおじいちゃんが必ずカキ氷を作ってくれました。
おじいちゃんはカキ氷のことを、いつも「こおりみず」っていってました。
んでもってカルピスの原液をかけるのです。今思うとおじいちゃんなりの
もてなしだったんだろうなあー。できるものならもう一回食べたい。


860 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:42
>858、859 なんか久々に涙ちょちょぎれたよ。
寝床からわざわざ(まさかと思ったけど)あたひにブドウをもってきてくれたじいちゃん思い出しちゃった。お盆にはお墓参りいこうねぇ。
じ〜ちゃぁ〜ん。まじでちょちょぎれてます…

861 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:48

子供の頃食事のたびに喧嘩していた両親。

その日は何かの記念日だったのでしょう。
もう覚えてません。
思い出したくもありません。
夕食はすき焼きでした。

もくもくと食べてるといつもどおり始まりました。
その日は父の方がかなり機嫌が悪かったらしく。
普段よりも大喧嘩。
味付けが濃いやら甘すぎるやら難癖つけて
せっかくのすき焼きをぐっしゃぐしゃにしました。
記念日と言う事で奮発して
母が買ってきてくれた肉も全部ぐっしゃぐしゃ。

私達兄弟はすぐに自分の部屋へ行って
もうここにはいられない。
出て行かなければならないと思いつつ
泣きながら姉と二人で荷物の整理をしてた記憶があります・・・。

今でも両親と食べる食事が大嫌いです。
夕食には楽しかった思い出がない。。。
あなた達両親のおかげで
私は食事=嫌な印象しか持ってませんよ。

すみません。
食事と言うと嫌な事しか思い出せないんです。
ここのスレのような事がこれからあればいいなあ。
と思いつつ。


862 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:51
なんだよ〜このすれ 涙ごーごー たれてます。
ううう、ほんといろいろだやねぇ。

863 :まや :2000/06/28(水) 04:01
>862さん
ウチの実家もそうだった。
だからこそ今は、楽しく食事をすることを大切にしてるわ。

864 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 05:24
両親が共働きだったので、子守りの老夫婦に預けられていた私。

土曜日の昼ご飯は、決まってカレーを作ってくれました。
とろみのついた、素朴なライスカレーでした。
(スパイスの月桂樹の葉がそのまま入ってたりして)
丸いお皿に盛り付けられていて、それを小さいスプーンで
ちびちび食べるのが大好きでした。
2杯目は、ルーだけ盛り付けてまたちびちびと。

大人になった今でも、家でカレーを食べるときは
小さいスプーンで食べるのが好きです。

もうおばさんは亡くなってしまったけれど、
おじさんを訪ねるたびに、土曜日には
庭の月桂樹の葉を取りに行ったことを思い出します。


865 :>864 :2000/06/28(水) 16:09
それ、オイラも経験ある!!
俺が小さい頃のうちのカレーには、良く葉っぱの枯れたみたいなのとか
カレールーが溶けきってなくて固まりのままだったりしたものが入ってた
だけど、そのまま食べたりしていた、これが正しいとか思ったりしてね
独立して自炊してみて、やっと間違いに気がついたよ。
単なる手抜きだったんだね

でも、自分でカレー作るたびに母親の味が思い出されて、ちょっと切なかったりもする
どうやって作るのかなぁあの味・・・聞いとけば良かった



866 :864 :2000/06/28(水) 18:44
ルーの塊入ってました。そういえば。
思い出は美化されますね…
都合の悪いことは忘却の彼方へ。

とりあえず、私の場合、カレールーは
バーモントカレーの甘口でした。

867 :日曜日の朝 :2000/06/30(金) 00:47
父は水っぽくて塩辛く、ちょっと苦い野菜いためを作って
くれていましたが、美味しくないからと、あんまり食べてませんでした。
定年後、料理でも習おうかと言っていた父は
ALSという病にかかり、今は呼吸器をつけて寝ています。
もうまともな食事もとることもできません。

....あの時の野菜いため、もっとちゃんと食べとけばよかった....



868 :弁当嫌い :2000/06/30(金) 13:32
ぜんぜん良い思い出じゃないんだけど、ココ読んでたら思い出したので書きます。
小学校の遠足の時、私はいつも近所の仕出し屋のお弁当を持って行ってました。
私の家は父と祖母の3人家族で祖母は足が弱っていて家事なんて出来ませんでしたので
家の事は叔母が昼間に来てやってくれていたのですが、その叔母も忙しい中で時間を
やりくりして私達の面倒をみてくれていたのでとても遠足のお弁当など頼めませんでした。
私の友達のお母さんが、私がいつも仕出し屋でお弁当を買っているのを友達に聞いて
秋の遠足の時にお弁当を作ってあげると言ってくれましたが、私はそんな事はして欲しく
はありませんでしたので「いいです、いいです」と断ったつもりだったのですが
遠足の前の日に明日の遠足について先生が話してる時突然名前を呼ばれて立たされました
「あなたは何時も買ってきたお弁当だけれど、明日は○山(友達)さんのお母さんが
お弁当を作ってくれるそうです。よかったですね。はい、○山(友達)さんのお母さんに拍手!」
パチパチと拍手が起こる中でとても情けない気持ちで泣き出しそうになりました。
次の日は遠足の用意をして学校に向かったのですが、なぜかポロポロ涙が出てきて
公園の横にある区民会館の壁の隙間で学校に行かずに泣いていました。
次の日に学校に行くとみんなが私に怒っていました。せっかく作ってもらっといて
どうゆうつもり!みたいな事を皆口々に言いました。先生が入って来て私は前に立たされ
なぜ休んだか?○山さんのお母さんに悪いとは思わないのか?問い詰められました。
そして平手で叩かれ帰りに謝りに行く事を約束させられました。
そんな事があってからは自分でお弁当作ったり前の日に仕出し屋のお弁当を買ってきて
お弁当箱に詰めなおしたりしてましたが、OLになった今でもお弁当は嫌いです。


869 :名無しさん@あめぞう :2000/06/30(金) 13:54
>868
キツイっすねー。読んでてなんとなくpapa told meを思い出した。
これからはマターリといきませう。


870 :戸碌斎 :2000/06/30(金) 14:01
ひさしぶりにこのスレッド読みました。
ぅぁぁぁぁぁ。

871 :方向音痴 :2000/07/01(土) 15:53
私が小学校1年生ぐらいのとき、4つ上の兄と一緒に川口の実家から
かかりつけだった歯医者(王子駅から徒歩15分ぐらい?)まで一緒に
行ったことがあります。行きはもちろん、バスと電車を使ったんだけ
ど、帰りが悲惨なことに。治療費が思ったよりも高くついてしまって、
母から預かったお金でやっと間に合うぐらいの金額だったのです。
当然帰りは徒歩……。王子から川口までの線路沿いを手を引かれて
延々歩きました。でも、途中で疲れてしまって、泣き出した私に、
お兄ちゃんは近くの駄菓子やさんで、なけなしのお金でジュースを
買ってくれました。2人で飲みあいっこして、それでまた、半泣き
しながら夜になってようやく家に辿り着きました。母には「先生に
理由を話して、あとでお母さんが払いますって言えば良かったのにー」
と笑われましたけど、今となっちゃ良い思い出です。

872 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 11:38
父は料理が得意でした。とはいえメニューは限られていましたが。
特にステーキが絶品で、ちょっとした高級店で御馳走してもらっても
父のステーキを上回るものには出逢った事はありません。
裕福な家庭ではなかったので、そんなにいい肉でもなかった筈なのですが。

父は1年足らずの闘病生活を経て他界しましたが、
その数カ月前に、病院を抜けてきて、一枚だけ焼いてくれました。
姉と二人で、これが多分最後だね、と云いながら(口には
出さなかったかも知れませんが2人ともそう思っていました)
食べた事を記憶しています。

ボロい木造の台所で、火を数十センチ吹き上げながら
ステーキを焼いていた父をたまに思い出します。

873 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 12:06
書くのは勝手だが騙るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。

874 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 16:25
煽るのは勝手だが煽るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。

875 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 21:33
age


876 :>874 :2000/07/03(月) 05:27
まあまあ、罵るだけだったら書き込まない方がいいよ、無駄ログが増えるだけだし。
自分の料理話も書き込んでよ、一緒にサ。

私の思い出に残る食事って、考えてみたら、弁当屋のハンバーク弁当(たぶん一番安いの)なんだよね。
妹と二人きりの食事。何故か印象に残ってる。
母親がパートに出てて、土曜日の昼はほとんどそれだったなー。
日曜日の朝昼は疲れて寝てるから、作ってくれなかったりしたし。
みそ汁の作り方を教えてって訊いたら、私は作り方なんて教えてもらったことはない、見ながら覚えるもんだって怒られた。
結局、私が11歳の時に、家を出てしまったんだけど。
このスレ読んでいて、彼女の料理の思い出が無いのって、少し寂しいなと思った。

877 :>876 :2000/07/03(月) 13:10
同感。つーか、煽るしか能が無い奴って基本的に可愛そうだな
人の言うことを素直に信じられず、しかも自分にはそういう思い出が無い奴
ホント、可愛そうだわ


878 :>877 :2000/07/03(月) 14:26
無理して急に口調変えないでください
つーかその喋り方、ネカマ失格!!(爆笑)

879 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 14:37
初めて相方の家に連れてかれたとき。
私16、相手19。
にもかかわらず、昼に寿司が出てきた。お吸い物付き。びびった。
その時の驚きは忘れられないです。

880 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:19
>879
んでそのお相手、今は・・・?

881 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:25
びんぼ自慢ですか?

882 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:31
>880
餓死しました。

883 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 00:08
母の帰りが遅くなって(といっても、夕方過ぎには帰ってきましたが)、
“夕飯の用意をしなきゃ!”と妹と2人で妙に、はりきっていました。
しかし、私は料理音痴で、食べるのは得意ですが、作るのはさっぱり。。という
子どもでした。そんな私の横で、妹は、インゲンのゴマ和えを作っていました。
“おねぇちゃん、味見して!”といって差し出されたゴマ和えは、
母の味そっくり!本当にびっくりしてしました。
“お母さんに、教わったの?”と聞くと、“いつもの味から、想像して作った”
と、これまた、びっくりするような答えが帰ってきました。
あれから、もう何年たったでしょうか。いまでも、ゴマ和えを食べると、
あの時のことを思い出します。

884 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 01:03
昔、山にキャンプにいったときのこと。
夜に憧れのあの子とちょっと散歩していたら
山奥に紛れ込んでしまって、遭難してしまった。
その時食料なんて何も持っているはずも無く、
二人ともとても腹を減らしていた。

余りの空腹に飢え死にしてしまうと二人とも考えていたのだが、
そのとき、彼女がある提案をしたのだが、
それはお互いのうんこを食べ合うということ。
彼女が言うにはどうしても自分のものには抵抗があるらしい。
そのときは二人とも極限状態だったから、
それで何とか凌いで、その後13時間位後に無事、救助された。

その一件で二人の間の溝もなくなり、絆も強まった、と思ったけど、
あまりにも凄いことだったので、トラウマとなってしまった。
それ以来、彼女のうんこの味をみてみないと巧く付き合えなくなってしまったんです。

885 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 02:25
>884
あらま・・・


886 :ホルン :2000/07/04(火) 04:56
母は長男大好きだったので、私は小さい頃から殆ど「お祝い」なんて
してもらった事がありませんでした。
高校入試の発表の日、父と一緒に車で行きました(遠いので)。
掲示板には私の名前がありました。帰り道、高速を途中で降りたので
「どうしたんだろう」と思っていたら、車はステーキハウスに。
父は、「おめでとう」とか「がんばったね」とかそんな言葉は全然口
に出しませんでしたが、とてもとても嬉しかったです。
後にも先にも、あんなに美味しいハンバーグを食べたことはありません。

887 :879 :2000/07/04(火) 05:03
>880・882
え!!チガウチガウ!!
彼氏は家から通学してて(私は寮)、実家に連れてかれたの!
そしたらおばさんがお寿司とってくれて、内心「いい年した
息子なのに、やっぱり彼女を招くのは一大イベントなのだろ
うか」と思いました。照れくさかった。
なんで餓死すんの(笑)寿司だから?(爆笑)安直だな〜

888 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 06:59
884はあぼーんしてもいいんじゃないか?

889 :888に同感。 :2000/07/04(火) 07:14
878も訳分からん。

890 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 07:16
>887
そのおばさんいい人じゃん。ちょっと来たよ。
882は洒落でしょ。

891 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 11:21
うんこは毒って聞いたことあるんだけど。
食っちゃいけないんじゃ・・・?

いや、それ以前の問題か?

892 :名無しさん :2000/07/05(水) 07:34
まあ、たまにはネタもいいじゃないすか。(笑<884

うちのかあちゃんはちょっぴり料理オンチなのか、
これはチキンだろ、これは豚だろ、ってとこによく牛を入れます。
オンチってわけじゃなくて、牛に執着しちゃう世代なのかもしれん。
そんなかあちゃんの作ってくれる料理でイチバンうまいのはコロッケです。
いもほくほく。市販の妙に甘いコロッケは食えん。

あと、忌野清志郎は、「生ハムメロン」という食べ物にお目にかかったことがなかったらしく、
ちょっといいレストランで初めて食べて、美味かったので思わず
「これ、オリジナルですか?」と聞いてしまったそうだ。わはは。

893 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 15:29
高校の頃、友達の家に遊びに行ったときの昼飯は、
何故か全員仲良くカップ麺だった。
なるたけ安上がりに、かつ腹一杯になりたかったから、
「スーパーカップ」とか「でかまる」なんかの大きめ
のカップ麺を2個買って、全員スープまで残さず
平らげていた。

そんな事をふと思い出して、この間カップ麺を2個
食べてみた。
2個目の途中でイヤになった。

894 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 23:53
>893
高校の頃。何であんなに食えたんだろうね。
だけど金はない、と。性欲もおんなじだけどせいしゅんってりふじん!!
す・すまそ。つい。
俺の場合がっこの部活が終わると近所の「山本ぱんや」にとんでって
やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
がオードブルだった。
思い出に残る食事...ふっ。(遠いめつき


895 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 01:09
>やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット

オマエ歳いくつだ?(藁

896 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 02:55
すみませんお願いです。このスレ下げて下さいお願いします。
もういいです。勘弁してください。
人が死んで別れて泣いてセンチになって。
もういいです飽きました。好きな人は保存してじっくり堪能し
てください。他のスレの邪魔になってます。パート2でもなん
でも新しいの作っていいですから、このスレだけは過去ログへ
葬り去ってください。お願いします。

897 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:34
俺思うけど、嫌いだとか飽きたとかって、他の読めば
いい事じゃん。 身勝手じゃないのそういうのって?
とりあえず文句つけるのは辞めて、好きじゃないんなら
読まなきゃいいんじゃない?

898 :名無しさん@1回転 :2000/07/06(木) 03:51
谷口君の一番大きな加害は、896みたいな厨房を2chに呼びこんでしまった事…
自分が一番なんだね。自分が全てなんだね。一度社会に出て働け。かあちゃん
こき使わずに自分で飯作れ。洗濯もやれ。掃除も。公判で「相手も愛してくれて
ると思った」なんて言う前にな。

スレに関係あることを1つ。
俺も中学の時ヤキソバパンあった。Aセットはヤキソバパン・ハンバーガー(偽)・
マヨネーズコーン(違うカモ)だった。そして、単品で「銀チョコ」という、パン生地
のエクレアみたいなのがあった。これが男子に大人気で、弁当の奴も頼むもんだから
予告もなく違うパンになる。ある日、卵サンドになっていた。「そんなら金返せよ!
コンビニ行くから!!」と思ってしまった。銀チョコ90円也。

899 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:57
すみません。お願いします。あげないで下さい。
自炊もしてるし洗濯も掃除も全部やってます。一人暮らしです。
このスレでもネタをいくつか披露しました。受けたみたいです。
でももういいです。勘弁してください。
鯖も重くなるんです。読んでません読んでません。
お願いします。下げていきましょう.

900 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:39
>896・899
2ちゃんねる流 催促レスだよね。
わざと煽って、ほんとはレス沢山欲しいんでしょ?
みんなの話、もっともっと読みたいんでしょ?
分かってるよ。本心ではageて欲しくてしょうがないんだね!
素直になれない2ちゃねらーの君が、ス・キ!

901 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:45
あら失礼。気付かなくてごめんなさ〜い
真性M君だったのね〜>896

902 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:48
すみません。ありがとうございます。
なんだかんだで4つも反応してくれる純粋、無垢、
初心者な方がいました。
頑張って下さい。おやすみなさい。
うふふ。

903 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 05:13
>902
うひゃひゃひゃひゃひゃ
真性Mが捨て台詞を残しちゃ逝かん逝かん
「純粋・無垢・初心者」だって(爆笑)ぶははははは

904 :>902 :2000/07/06(木) 05:15
淋しいの淋しいの、飛んでけー!
ほら、もう淋しくなくなったでしょ?
オヤスミ。いい夢見るんだよ。

905 :902 :2000/07/06(木) 05:19
>904
アリガトウデチュ〜
ボクチャント〜〜ッテモサミシカッタノォォ
ホカノイタデハスキルガタリナイカラ、ボクチャンデモアオレソウナタベモノイタニシタンデチュ〜
オヤチュミナチャ〜イ

906 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 06:05
ものすごいアホが一人いるな…

907 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 08:48
ある寒風吹きすさぶ冬の夜、俺は自転車で家路を急いでた。
あったまろうにも田舎なので開いてる店もない。
やっとこさ自販機のあるところまで来て、
あったかい飲み物を求めて自販機でウーロン茶を買ったら
冷たいのが出てきた…しかも過冷却起こしてたのか、中身が凍ってた…
もう1本買おうにも小銭はなし。
半分泣きながら飲んだよ…

908 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:02
>905
かわいい♪

909 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:33
つい先日のことですが、後輩を金属バットで殴ったあと
母親を・・・・。
その後、四国へわたり自転車で88カ所参りをしていましたが、
あまりの空腹に耐えかねていたところ、農家のおばあちゃんが
おにぎりを作ってくださいました。
あの味は忘れられません。

910 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:37
四国88カ所を逆に回ると、死んだ人が生き返るんだってね。
頑張って!!



911 :>909 岡くんへ :2000/07/06(木) 11:43
88箇所回り終わったら警察へGo!



912 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:51
終わったなこの板.....

913 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 19:15
おいおい、煽りなんかで終わんないでよ。


914 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 20:36
あれ?道を間違えて・・。

此処はみちのく?

915 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 21:03
884はいいネタだね。

916 :名無しさん :2000/07/07(金) 02:23
909もいいネタだね。

917 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:22
秋田で捕まったよ、金属バッターは。
誰だ、四国って言った奴は?

918 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:24
同棲してた彼と別れる日。
私の部屋から彼の荷物を全部運び出して、
最後に食事でもしようかって、近所のロイヤルホストに行った。
エスニックフェアかなんかやってて、二人で同じセットメニューを
頼んだ。嫌いになって別れるわけじゃなかったから、顔を見てると
どんどん切なくなる。2人で赤い目をして鼻をすすりながら
「がんばろうね」「たまには遊ぼうね」って・・・。
そして料理が運ばれてきた。一口食べた瞬間に、2人声をそろえて
「まっずーーーーー!!!」
気分ぶちこわしで、笑っちゃいました。
ロイホを見ると思い出す(笑)

919 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:39
>918さん
 せつないやらおかしいやら(笑)
 味覚っていうものは感情を一瞬にして濁らせるのですねえ〜

920 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 10:09
>918 あいや〜。嫌いじゃないのに別れなくちゃいけなかったの?
そりゃ切ないなぁ。

921 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 00:19
あげとく


922 :gak :2000/07/08(土) 04:23
 5年程前、妻と結婚する2年程前のことです。当時、ボクは東京の大学に通っていて、
妻とは遠距離恋愛中でした。同時に、ボクには東京にとっても仲の良い女性がいました。
彼女はボクより3歳年上で、某ファッション雑誌でモデルの仕事をしていました。そして、
彼女にも遠距離恋愛中の彼がいました(彼は岡山在住)。ボクも、その彼女も、お互い
の相手に対して結婚の意志を持っていて、特に彼女は1年後ぐらいを目処に結婚すること
になっていました。

 彼女とはホントに気が合って、よくランチやディナーを共にしました。元々、ボクと、
ボクの妻と、その彼女は、3人ともが共通の友人であったために、妻が上京して来た時に
は、よく一緒に遊んだりもしました。お互い遠距離だったので、電話ゲンカの後とかは、
二人で飲みに行って愚痴を言い合ったりしたこともしばしばでした。

 そうこうしている間に、いつしかボクは彼女に惹かれるようになっていきました。想い
は日に日に募り、ある日、ボクは彼女に自分の気持ちを打ち明けました。すると彼女も、
ボクに対して友人以上の感情があることを告白してくれました。ボクは嬉しさと同時に、
複雑な悲しさのようなものを感じました。

 なぜなら、ボク達はお互いに大事な人がいて、しかもその人のことを嫌いになったわけ
ではないのです。結婚するつもりもちゃんと持っていました。ボク達は自分の気持ちをな
だめるように、今までのように気軽に会うことは止めにしようと言う結論を出したのです。

 しかし、やはりお互いに好きな気持ちを押さえることは出来ず、ボク達は友達として、
不器用に交際を続けました。プラトニックな関係ではありましたが、その分余計に頻繁に
会っていたのだと思います。

 ある晩、彼女はボクの下宿先に電話をかけてきました。懸賞のプレゼントで神戸牛の詰
め合わせみたいなのが当たったので、すき焼きをボクの家でやろうとのことでした。ボク
は快くOKしました。彼女がやってきて、二人ですき焼きをあーでもないこーでもないと
言いながら味付けし、楽しく食べ終わりました。さすがに神戸牛、とっても美味しかった
のを覚えています。

 食べ終わってボクがお茶を入れていると、彼女はちょっと照れくさそうに「式の日取り
が決まったの」と言いました。ボクは振り向いて「おめでとう」と言いました。すると彼
女は「私が岡山に行ったら、アナタは一人ぼっちでサミシイ日々を送らなきゃいけないわ
ね」と冗談っぽく言って笑いました。ボクも笑い返そうと思いましたが、もうこうやって
二人で遊ぶことも無いんだなぁ、と思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまっ
て、黙り込んでしまいました。彼女も黙ってうつむいたままです。ボクは彼女の横に座り、
彼女の髪の毛をなでながら、もう一度「おめでとう」と言いました。すると彼女はボク
を見上げるようにして目を閉じました。ボクは彼女の頬にキスをしました。彼女は泣いて
いました。ボクは、初めて彼女と手をつないで、彼女を駅まで送りました。

 結局ボクはその後、実際的な用事で彼女に2〜3回会ったきりで、結婚披露宴にも出席
しませんでした(妻は出席しましたが)。でも、手紙は書きました。その手紙には「あな
たのおかげで、とても大切な思い出が出来ました。ありがとう」とだけ書きました。

 今でもすき焼きを食べると、胸が切なくなります。ボクにとっては宝石のような思い出
です。そして、ボクは妻を愛しています。


923 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/08(土) 09:42
もてる奴ァいいなあ〜〜。

924 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:16
うちの実家は小汚い寿司屋を両親が経営しているのですが、そこにちょっと風変わりな・・・というか
かなりサイコパスなパートのおばはん(仮に”A子”)が勤務しておりました。
このA子、20年前に職安からの紹介でうちに勤め出したのですが。うちに決めた理由というのがなんと「あみだくじ」・・・。
このまみだくじ あながち外れておらず、うちに勤め出してから「A子、この世の春」が始まったのです。
A子はうちが寿司屋ということをいい事に、先ず大量に買い込んである米を無心することからはじめ
味噌、醤油、魚、など気づかれないように少量を盗んでは自分の車に積んでいました。
そのうちに店にある延長コード、食器、電球、などの備品が無くなりさすがに両親もこりゃ変だと勘付いたのですがいかんせんそこはサイコパス
職安から紹介された手前、二人共恐くてA子に「やめてくれ」などと言えません。
そうこうするうち、半分遊び呆けて就職活動などまともにしたかった小生が店の一員として加わりました。
小生の目から見てもこのA子、まったく汚らしく知性というか親切心の一片も無い人間に見えました。
ただこのA子、母性だけは人一倍存在していたようで。都会で働きにでている自分の子供が帰郷するときだけ嬉々としていました。
しかしここで普通と違っていたのは、息子が帰ってくる日は予め分かっていたはずなのに。昼休みの時、突然「息子が帰ってくるので帰ります」といって
そそくさと退社してしまうありさまでした。もちろんうちで作った惣菜を大量にパクって。

とある日思い悩んだ母から、上記の事を聞かされました。
「なめとんか」とA子に腹が立つやら、気の弱い両親に腹が立つやら

そしてある日A子の息子の職場に、ワープロ書きで差出人不明の手紙が届きました。
「こいつの母親は万引きの常習者で、勤め先の寿司屋から惣菜を盗んでいます。こいつはそこの残飯を食って育ちました。」
やがてA子は寿司屋を辞めました。

今までこのスレッドに書かれた皆さんは、食事に関する、楽しい思い出、辛い思い出、笑ってしまう出来事について書かれてきましたが
A子の息子は、1通の怪文書によって。いままでの家庭に関する食事の記憶は呪われたものになってしまいました。
食事をする度A子の話が出てきて「よくもまぁあんな非道い者が居たもんだ」といって笑い話になるのですが、何故彼女が辞めたのかは謎のままです。
最近ではもうA子の話は出てきません。

またこのスレッドに書き込めるような食事に関する思い出(笑い話?)も2〜3ありますが。あえてこのエピソードを投稿いたしました。

(夕食の残りの自家製”イカノ麹漬け”を缶ビール片手に食べながら)

925 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:47
恋愛の思い出かーいいなぁ。
もてる人がうらやまし・・・・はっ。ここ食べ物板だった・・・。

926 :名無しさん :2000/07/09(日) 20:26
>924さん
おいおい!何という思い出だ!
俺の心にちょっとした葛藤が生まれた!
別スレッドで、自家製「イカの麹漬け」レシピを公開すれば、
許さんでもないぞ!

927 :名無しさん@1周年 :2000/07/09(日) 21:00
中学生の時、鎌倉に釣りに行った。なぜか仲良くなった地元の少年
に「ウニの密漁に行こう」と誘われ、獲って釣り竿の尻で割って食
べたあのウニ。
 あれ以上美味いものを俺はもう20年も食べてない。


928 :名無しさん@1周年 :2000/07/11(火) 13:31
上げといていい?

929 :名無しさん@1周年 :2000/07/12(水) 16:28
 京都に住んでた学生時代、Ωが話題になっていた当時、京都にあるM24へ
友人数人と食事に行った。
 一人暮らしのおれはほんとに何でも喰ってた。バイト先のコンビニの
弁当の残りとか、賞味期限を3日くらい過ぎてカチカチになっても
平気で喰ってた。
 けど、地獄ラーメンはまじで喰えなかったよ。
 最初にスープを啜った時、まずい、とは思わなかった。ただ、やばかった。

 麺類って誰がどう作っても無難に喰えるもんだと思ってたんだけどなあ。
 Ωパワーにただただ震撼した21歳のある日。


930 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 03:19
某隔離板からの転載。個人的体験じゃないけど良い話だったので。

わたしが子供のころ、学校の勉強はきらいではなかったが、
わたしは体が小さく、また家も貧乏だったので、あまり満足に
ごはんを食べることもできず、学校の友達と相撲をとると
いつも負けて悔しい思いをしていた。

そんな私をいつも影から見ていてくれたのは、日本から、この学校に
教えに来た、若い女の先生だった。

ある日、学校が終わって家に帰ろうとすると、私の机の中に、
おむすびがいくつかはいっていた。
誰がそのおむすびをいれたかは、私にはすぐわかった。

家にそれを持ち帰ると、弟たちに半分食べさせて、残りを、自分で
食べた。

それは毎日のようにつづいた。時には当時貴重品だった卵がはいっていた。
そのおむすびを食べる時、いつも涙が止まらなかった。

ある日、急に、その若い女の先生が日本に帰ることになった。
先生はおむすびのことなんか一言も言わずに帰っていった。
先生が帰るのを私は列の一番前で、涙をこらえながら、見送った。

今の私の人格を作ってくれたのは、あの若い女の先生だったと、
今でも感謝している。(町田貢著:ソウルの日本大使館から:文芸春秋より)


931 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 09:26
上のお話って、ちょっとアレに似てるね。「やせたねずみと太ったねずみの
すもう」の昔話。でも、あげ。

932 :>931 :2000/07/13(木) 18:51
元が週刊誌の三流ライターだぜ、
ネタに決まってるじゃん。

933 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 03:26
ふむ

934 :スキピオ :2000/07/14(金) 15:35
おかんが作った「ナツメグまぶしたパスタ」
兄貴が作った「ゴマの代わりにピーナツを使用したほうれん草の和え物」
このある種、独創的な料理のおかげで
オレのミートソースには刻みクルミとココナッツミルクが入っている。結構旨い。
だけど「ナツメグまぶしたパスタ」は、ちょっと埃っぽかった。

935 :名無しさん@そうだ思い出を食べよう :2000/07/14(金) 17:59
あげ

936 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 18:21
>934
ビーナツ和えはウチでもやるよん
母が誰かから教えてもらったらしい
確かピーナツ砕いたのがお店で売ってるんじゃないかなぁ

937 :名無しさん :2000/07/14(金) 18:40

小学1年の時、ウチではご馳走は週末しか出ませんでした。
ある日、家に帰ると平日なのにトンカツが用意されていました
トンカツにはしゃぐ自分、そして会話を交わさない両親
複雑な心境で美味しいトンカツを食べた。
食事が終わり、洗物を終えた母は僕の手を取り二人で母の実家に・・・
車の中で母は僕に父と離婚した事を話した
「離婚」という言葉は当時、わからなかったけど、もう家族がそろう事は
ないという事だけは何となく分かった

今でも母がトンカツを作ってくれるけど、食卓に並ぶと何か悪い事が
起こりそうで怖い。トンカツは好きなんだけどね・・・
駄文でスマン。次!




938 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 22:12
勤務中なのにこのスレッド読み始めてこんな時間になってしまった。
いま頭の中では死んじゃったおじいちゃんのことで一杯で、目もうるうるです。

初孫の私が帰省すると必ず船を出して魚をとってきてくれました。でも、おじいちゃん
は食べずに、自分の横で日本酒をずーと飲んでました。
「おじいちゃんも食べやー」と言っても「うん」とか「ああ」しか言わない。
でもずーと横にいてくれる。自分が大学生になるころにはもう船にのることも
無くなったけど、自分が一緒にお酒に飲むことができた。そんなベラベラしゃべること
なんてないけどずーと一緒に飲んでた。
おじいちゃんの通夜のとき、朝までおじいちゃんの横で一人で飲んでました。
おじいちゃんの獲ってきてくれた魚の名前なんて覚えてないけど、ただただ
おいしかったことしか覚えてない。
あー、あかん会社で泣きそう。



939 :名無しさん :2000/07/15(土) 10:11
1へ>コレさ、いいスレッドだから・・・たまには何か書いて欲しい
   話じゃなくてもいいから。頼む
  
  


940 :名無しさん@1周年 :2000/07/16(日) 06:41
age

941 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 06:04
age

942 :名無しさん :2000/07/17(月) 09:35
記憶があいまいなほど幼少の頃の話なのですが、
ろくに仕事もせず遊び好きの父が作った借金を、母がノイローゼになりながらも
返済していました。
そんなある日、姉が高熱に見舞われ倒れました。
母は仕事に追われて姉の面倒をみることができず、父に看病を頼んで私を連れ
仕事に出かけてしまいました。
帰ってきたら、ほとんど意識のなくなりかけた姉の枕元に、バナナ1本と300円
が置いてありました。
それだけははっきり覚えています。
その後、両親は離婚して私たちは母と生活しています。
でも、今でもバナナが大嫌いです。

943 :じんせいくそだ :2000/07/17(月) 11:13
おんながおんでてく前の晩に作ってもらったばんごはんだよ、くそども。
んでな、豚肉の味噌漬けが残ったんで、僕はこれを一生冷凍保存すべし、と誓ったんだよ。
ところがだ、三ヶ月もしねえうちに食っちまったよ、ばかやろう。
人生はくそだと悟った気がしたよ。

944 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
>944
深刻な心の傷の話みたいだね。

945 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
>942


946 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 11:52
どんどん悲惨な家庭自慢スレになってくな。

947 :942 :2000/07/17(月) 13:01
25年くらい昔の話なんでそれほど気にしてないですけどね。
その件のあと、バナナは保育園で食べきれなくて先生に怒られた
思い出もでき、益々嫌いになりましたけど(^_^;
今は恵まれているといっても過言ではない家庭です。


948 :幸せ家族ですが教育機関には恵まれなかった :2000/07/17(月) 18:41
幼稚園のころの話です。

私の通っていた幼稚園では,ちょうど私が年長組に
入った年から給食を園で作るようになりました
(それまでは業者のお弁当。かなり不味い)
お弁当と違い暖かい料理が食べられるので,最初はみんな喜んでいたのです。

ある日スープが出たのですが,それがもう筆舌に尽くせぬ酷い味で,
クラスの全員が「こんな不味いスープは飲めない!」と言いました。
でも先生は,せっかく職員さんが作ってくれたのだからちゃんと食べなさいと
耳を貸してくれませんでした。そこで,かっこうつけたがりの男の子が
「ぼく食べれるもんね〜」といって,一思いにそのスープを流し込んだのです。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

その後,スープを吐き出しながら白目をむいてその男の子は倒れました。

そのスープがどんなものだったのかはよく覚えていないのですが,とにかく不味かったのです。


そういえば,幼稚園で出たおやつのドーナツがあまりにも
脂っぽくて,気分が悪くなってそのまま熱を出したこともありました。

食中毒大流行の昨今では大問題になりますね。この幼稚園。

949 :んまい。 :2000/07/18(火) 07:49
子供の頃に食べた、あれ。

950 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:30
感動でもなんでもなくていまだに「?」なもの。
高校の時、仲良しの友達が出来て週末家に遊びに行った時のこと。
出てきたお昼ご飯がおいなりさんだったんだけど、
油揚げもごはんも味がついていなかったのです。
ただ油揚げを切って開いて、ふつうのごはんをつめただけ。
友達は普通に「美味しい」と食べていたのでびっくりしました。
あれは何だったんだ!?

951 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:37
950>その友達は可哀相だね・

油揚げを「肉」と育てられ、恥をかいたという知人もいます。
親を恨むしかないですね。いあや、感謝すべきか?

952 :彼女の手料理 :2000/07/18(火) 11:09
僕は以前、遠距離恋愛をしていました。
会えるのは良くて1ヶ月に1回。だいたいは2ヶ月に1度ぐらいでした。
そのため、会った時はほとんど外食をしていました。外食のほうが美味しい物を
食べられるし、リッチな気分も味わえるからです。
僕の家で食べることもあったのですが、僕は料理が得意だし、彼女がわざわざ
はるばる来てくれたので、作るときはいつも僕でした。
彼女は僕の作った料理を、いつも「おいしいよ」って言いながら食べていました。
しかし彼女は、僕の手料理を食べるたびに自分自身は料理が作れないのを
気にしているようでした。僕はそんなことにも気づかずに、「女の子だし料理ぐらい
作れなくちゃね」とか言ってしまいました。彼女は笑いながら「これから
一生懸命勉強するよ」とか言っていましたが、僕は言葉だけだなと思って
期待は全然していませんでした。
ある時僕が彼女の家に行くときがあって、そのとき彼女が料理を作ると
自分で言いだしたのです。びっくりしたものの、待つことにしました。
しかしいつになっても料理は出てきません。心配になって台所を見ると
僕の10倍以上の遅さでタマネギをみじん切りしていました。
「見ないで」と言われたので更に1時間以上待っていました。
何が出てくるのか楽しみにしていたら、出てきたのは白いご飯にみそ汁、
それにケチャップのかかった卵焼きだけでした。見た目も・・・って感じの。
味も予想通りでした。みそ汁は薄いしご飯は堅い。卵焼きは中身のタマネギとかが
生っぽい。でも、「おいしいよ」って言って食べました。いつも彼女がしていて
くれたように・・・。それを聞いた彼女の満足そうな笑顔と、自分では
「おいしくないよー」って言っていたのが今でも忘れられません。
結局彼女とは色々とあって振られてしまいましたが、あの時の彼女の手料理が
最初で最後でした。今こうして振り返ってみると、上手じゃなかった料理
だということと、もう1つだけはっきりと分かることがあります。
彼女が僕のことを心から想って、一生懸命に作ってくれたことです。


953 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:31
>952
 あなたは本当にステキな人ですね。

954 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 13:03
嘘つきともいいます。

955 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 02:20
パパの肉棒

956 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:12
嘘、かな
同じ物でも食べる場所で味が違うこともあるし、
彼女が一生懸命作ってくれたら、美味しいよ

957 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:42
合宿(真夏)で食った納豆が何故だか
アンモニア臭を発していた。
あれは明らかに納豆の匂いとは違っていた



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