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思い出に残る食事
- 824 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:22
- >821
うちは、ご飯、みそ卵、ご飯、鶏そぼろ、ご飯、海苔だった。
しゃけフレークバージョンもあったなあ。
お母さんに感謝ですね。(^-^)
- 825 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:24
- >821
アンナが学生時代に梅宮辰夫がお弁当を作ってあげていた
らしいのですが、たっちゃんも「のりだんだん」式だったそうです。
821さんのお母さんのように、海苔をちぎってあったそうですよ。
我が家では、「ごはん・おかか・のり」の二層式になってました。
- 826 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 21:26
- あげざるをえない
- 827 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 00:12
- ウチも[のりだんだん]って呼んでました。
その変形バージョンで‘にくだんだん’
豚ロースの生姜焼きか味噌焼きを一口大にしてゴハン→お肉→ゴハン
と重ねて行く。一番上だけ海苔。
中学生の頃、もりもり食べてました。
今でも時々、すごくハラヘリモードになると
ママ製にくだんだんが食べたいな、って思うことがある。
- 828 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 12:07
- ここも、sakiだけど、移転に伴って、
過去ログ消えてしまうんでしょうか?
- 829 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 16:24
- 弁当で思い出したんですけど家のはいつもおかずが隠されていました。
食べてるうちに出てくるのです。
ご飯の下の方から鮭とかから揚げやデザートのチェリーが・・・
- 830 :>829 :2000/06/17(土) 17:11
- ご飯の中からチェリーですか!?
茶目っ気のあるお母さんですね(^-^)
- 831 :829 :2000/06/17(土) 17:28
- >830さん
茶目っ気というか本人マジだった様子です。
小学校6年のときにピクニックがあって先生に大きいオニギリを持ってくるように
言われました。みんな15cm以内ぐらいのオニギリを持ってきていました。
私のオニギリは直径20cm厚さ10センチの具の無いオニギリでした。
担任の先生に写真をとられました。
塩ぐらいは振って欲しかったなぁ。
こんな話いっぱいあります。
- 832 :笑える食べ物 :2000/06/17(土) 18:06
- 高校生の頃、学校にも行かないでどれだけ起きていられるかという無謀なことを
試した。眠気を誘わないように腹二分目程度の食事をとりつつ三日目。もう駄目だ、
死ぬ、と思い、コンビニへ出かけた。コンビニの前でやばそうな奴等がたむろして
いて、あーからまれるとやだなーと思っていたのだが、足がふらつき、そいつらが
作っている円の中心に倒れ込んでしまった。俺はやばいなあと思ったが、そいつら
はあまり気にしていないようだった。それどころか狂ったように笑っている奴がい
た。あきらかに何かの薬物によるモノと思われたが、よく見てみると小学校の時の
クラスメート。
「ジンちゃん何してんの?!」「うひゃ、うひゃ、お前こそ」
「俺は飯買いに来た」「飯?飯?腹減ってるの?おれんちくる?」
「何か食わせてくれんの?」「すっごいもんあるよお」
「薬とかゴメンだよ」「うひゃ、うひゃ、うひゃ」
そいつのうちに行って出てきたのがみそ汁と白いご飯。あまり旨いという
ほどの、いやむしろまずかったのだが、みそ汁には訳三グラムのMMが入
っていた。
今でもキノコが入ったみそ汁を見ると、筋肉の緩みきったジンちゃんの
顔を思い出して吹き出してしまう。
- 833 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:39
- 最近ほのぼのした思い出ばなしが多くてのほほんと読めます。
- 834 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:43
- やっぱ人が死ぬ話は、ねえ。
- 835 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 02:21
- 小学校の3〜4年生のころです。
父が家を出てしまい、母の実家で暮らしていたのですが
父の作った借金の返済もあり、(子供ながらうすうす気がついていました)
極貧とまでは行かないまでも、かなり劣悪な経済状況だったと思います。
そんなある日の夕食。
いつもは、野菜の煮物や漬物などの質素な献立が並んでいるだけなのに
私と妹の席に、「お子様ランチ」様のかわいく盛り付けられた皿が置いてありました。
ハンバーグに付け合せの野菜、型抜きしたご飯には旗まで立っていました。
2つ下の妹は、「食堂みたいや〜〜!!」とおおはしゃぎ。
しかし、私は箸をつけることができませんでした。
「サラ金地獄で一家心中」などのニュースが毎日のようにTVで流れていた時代です。
・・・このお子様ランチを食べたら私ら、死ぬねんな・・・・
最後のご馳走を、母が用意したのだと思うと
怖くて、かなしくて、涙がぽろぽろこぼれました。
結局、その日の夕食をどうしたのかは記憶の外です。
あの、お子様ランチは単なる母の気まぐれだったのでしょう。
(母なりに、私達を喜ばそうとして作ってくれたのでしょうね。)
でも、いまだにお子様ランチを見ると胸が痛みます。
今は1児の母ですが、娘にはあんな思いをさせたくないと
心の底から思っています。
- 836 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 09:40
- age
- 837 :あ :2000/06/18(日) 10:25
- げげげ
- 838 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 19:22
- わたしが保育園児のころ。
うちは専業農家で、とても忙しい時期(田植えか、稲刈り等)は幼稚園の迎えが遅かった。
5〜9人位の子たちが、似たような事情で、よく覚えてないけど、6時7時位まで残ってた。
お腹が空くので保母さんが、みんなにお菓子をくばって食べたりした。
隣の子が『○○(私の名)ちゃんのお菓子、みんなより少ない』と指摘した。
『いいのよ○○ちゃんの家は●●だから』と保母さん。
●●の意味がなんなのか判らないけれど、親を侮辱されたのは漠然とわかって、
当時は口数の少なかった私は何と言葉にしていいのか判らず
悲しくて泣くしかないけど意地でも泣くかと黙って親を待ってた20年前の私。
●●って何だったのか覚えちゃいないけど、ティッシュに包まれたお菓子と
年上の優しそうな女性は今でもちょっと苦手。
関係ないが、「おかし」と打つと躊躇なく「犯し」って変換されてとほほな私のPC。
- 839 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 22:02
- 824さんの「みそ卵」っていうのが気になるなー。
どうやって作るの?
- 840 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 23:48
- おい!この板の寿命もあとわずかだぞ!このスレッドは各自保存したか!
- 841 :もも :2000/06/19(月) 11:20
- なんか、すごいいい話ですね、ここ。
いつも会社で朝一に読んでます。
ここで私の思い出の食事に関する話を一つ。
今からもう7年くらい前、母が入院しました。
今まで病気とは無縁の母だっただけに心配で、
毎日のようにお見舞いに行っていました。
そこで、私がお見舞いの品としてよく持っていったのが、
母の大好物の「かに道楽のお寿司」でした。
しかし、ある日、父に「お見舞いにお寿司を持っていくのは止めなさい」と言われ
「何で?」と聞くと、母は病気のため、食欲が全くなく、
病院の食事もとれないほどだったのです。
母は私の前でそんな顔ひとつせずに「おいしいね」と言いながら食べていました。
私の喜んでくれるだろうと言うエゴのために、無理して笑顔で食べていた母のことを思うと、申し訳ないやら、
有り難いやらで消え入りたいような気分になってしまったのを覚えてます。
そんな母は今はすっかり良くなり、元気にもりもりとご飯を食べています。
これからも元気でおいしく「かに道楽のお寿司」を食べようね
- 842 :名無しさん@1周年 :2000/06/20(火) 19:02
- みんなよってるね。
ま、いいけどさ。
- 843 :名無しさん@1周年 :2000/06/21(水) 13:31
- 800過ぎたので、区切りのいいとこでパート2に引越し希望!
- 844 :復活してたので :2000/06/21(水) 14:57
- あげとこう
- 845 :名無しさん@1周年 :2000/06/23(金) 03:52
- ささやかだけど、俺の場合、自分で初めて作った野菜炒めかな。
それまでインスタントラーメンくらいしか作ったことなかったけど、大学に行く
ために引っ越してきた町で初めて料理をした。
さあ、これからは自炊だーって感じで、結構張り切って作ったよ。
出来上がった野菜炒めは、見た感じは我ながらなかなか上出来だったんだけど、
食ってみたらこれがものすごく塩辛い。
家だったら「こんなもん食えるか!」って感じで、お袋に突っ返すとこだけど、
そこは自業自得。
自分の作ったもん捨てられないから、一人でぼそぼそ全部食ったよ。
まだ友達も全然いないし、これからの学生生活への不安やらなんやらで、食べな
がら心細くて胸がつまってきたね。(別に泣いたりしたわけじゃないよ)
まあ、今思えばかわいかったな、俺。
- 846 :名無しさん@1周年 :2000/06/24(土) 19:24
- あげ!
- 847 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 10:28
- 思い出って程でもないんだが。。。。
若い頃はお袋の作る飯に文句ばかり
垂れてた。まずいだの同じ物ばっかだの栄養のバランス
考えて無いだの。
でも一人暮しをしてみて始めて分かった。
一見しょーもないと思える飯でも、それを作るのがどれほど
大変で根気がいるか。毎日続けるのがいかに大変か。
最近帰郷して更に驚いた。お袋はスーパーのおぞうさいなど
一切買わず、全て手作りだったらしい。
唖然とした。。。
そんな事一言も言わないお袋の健気さに。
ああ、俺って何て愚かな事ばかり言ってたんだ。
何が愚かって、コレほど愛情こめて育ててもらったのに、
親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
お袋、本当にゴメン。貴方が愛情込めて育てた息子は、下の下の
人間になってしまいました。
- 848 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 13:06
- しかしさー、
専業主婦って、立派な仕事だと思うのだけどね。
せんたく・そうじ・食事は
大変だよね。
- 849 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 16:15
- いや、しかしそれは847さんが家を出るまでに
台所仕事の技術伝承をしていない847さんちの躾にもやや問題があるよ。
- 850 :一見良い話に見えるが :2000/06/25(日) 16:25
- >847
>親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
この箇所がひじょーに気になる。
- 851 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 18:55
- >847
投票行ったか?
- 852 :名無しさん :2000/06/26(月) 01:34
- あげますよ。
- 853 : :2000/06/26(月) 04:26
-
- 854 :名無しさん@1周年 :2000/06/26(月) 22:18
- >752さん
私の父も腸ガンでした。
当時、本当の病状を知るのは私だけで、母にも親族にも黙っていました。
主治医から「何時、なにが起きてもおかしくはない。全力を尽くすが覚悟はしておくように。」
と伝えられ、自分一人の胸の中にとどめるしかなかった3ヶ月間ノイローゼ状態でした。
それでも、美食家だった父にちょっとでもおいしい物を食べさせてやりたくて、毎朝料理を作り病室に届けるのが日課でした。病状が目に見えて悪化し、食事もとれないようになりモルヒネの投与も始まりました。食べることができなくなった父の前では、かわいそうで食事をとることができませんでした。
ある日、モルヒネのためにうつらうつらしている父の隙をみて、病室のカーテンの陰でカップラーメンを食べていたら、「遠慮しないで、こっちで食べろよ。」と父の声がしました。
なんか、いたずらを見つかった子供のような気持ちになると同時に、その場で急に泣き出したくなりました。こんな事になるんだったら1回ぐらい晩酌につきあってやれば良かったなぁ.......
男同士はこんな時辛い.......
残業中にカップラーメン食べながら752さんのカキコ読んだら思い出してしまいました。
長文、乱文ですみませんでした。
- 855 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:08
- 夫と付き合う直前ぐらいにとんかつを食べに行きました。
私は、すごくお腹がすいていたし、とんかつは大好物だったので、
「お腹がすいてる時に大好物を食べると何て幸せなんろうと思う」
と連呼していました。
今までも何人かお付き合いした人がいたけど、
こんなに食べる事でおいしい!と思っても、
幸せになった事はありませんでした。
やっぱり夫の力だったのだろうと思います。
- 856 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:54
- とんかつ私も好き(^^)/
「とらや」のとんかつ↓また食べたくなってきた。。じゅる(^^;
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/Syuzo/030000/full/II0001586A.jpg
- 857 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 18:09
- あげ。
- 858 :うり :2000/06/28(水) 00:22
- 小学生の頃、おじいちゃんがチャーハンをよく作ってくれました。
と言うよりもいつもわたしがお願いしてたのかな?
わたしが働き始めて久々におじいちゃんに会った時、やっぱりおじいちゃんのチャーハンが食べたくってお願いしたら、にこにこして腰を上げてくれました。
でも側にいた母が”もう中華なべを持てないくらい体力無いのよ…”と言われ、慌てて違う話しに変えて座ってもらいました。
わたしはいつまで経っても子供気分が抜けなくてだめですね。
それからも時間が経ち、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。
あのチャーハンの味が忘れられなくって何度か挑戦しましたがやっぱりだめ。
大きめにざくざく切ったたまねぎ、なんであんなにあまかったのだろう?
もう一度…。
- 859 :名無しさん :2000/06/28(水) 01:58
- >858
ええ話や。
わたしも田舎に帰るとおじいちゃんが必ずカキ氷を作ってくれました。
おじいちゃんはカキ氷のことを、いつも「こおりみず」っていってました。
んでもってカルピスの原液をかけるのです。今思うとおじいちゃんなりの
もてなしだったんだろうなあー。できるものならもう一回食べたい。
- 860 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:42
- >858、859 なんか久々に涙ちょちょぎれたよ。
寝床からわざわざ(まさかと思ったけど)あたひにブドウをもってきてくれたじいちゃん思い出しちゃった。お盆にはお墓参りいこうねぇ。
じ〜ちゃぁ〜ん。まじでちょちょぎれてます…
- 861 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:48
-
子供の頃食事のたびに喧嘩していた両親。
その日は何かの記念日だったのでしょう。
もう覚えてません。
思い出したくもありません。
夕食はすき焼きでした。
もくもくと食べてるといつもどおり始まりました。
その日は父の方がかなり機嫌が悪かったらしく。
普段よりも大喧嘩。
味付けが濃いやら甘すぎるやら難癖つけて
せっかくのすき焼きをぐっしゃぐしゃにしました。
記念日と言う事で奮発して
母が買ってきてくれた肉も全部ぐっしゃぐしゃ。
私達兄弟はすぐに自分の部屋へ行って
もうここにはいられない。
出て行かなければならないと思いつつ
泣きながら姉と二人で荷物の整理をしてた記憶があります・・・。
今でも両親と食べる食事が大嫌いです。
夕食には楽しかった思い出がない。。。
あなた達両親のおかげで
私は食事=嫌な印象しか持ってませんよ。
すみません。
食事と言うと嫌な事しか思い出せないんです。
ここのスレのような事がこれからあればいいなあ。
と思いつつ。
- 862 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:51
- なんだよ〜このすれ 涙ごーごー たれてます。
ううう、ほんといろいろだやねぇ。
- 863 :まや :2000/06/28(水) 04:01
- >862さん
ウチの実家もそうだった。
だからこそ今は、楽しく食事をすることを大切にしてるわ。
- 864 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 05:24
- 両親が共働きだったので、子守りの老夫婦に預けられていた私。
土曜日の昼ご飯は、決まってカレーを作ってくれました。
とろみのついた、素朴なライスカレーでした。
(スパイスの月桂樹の葉がそのまま入ってたりして)
丸いお皿に盛り付けられていて、それを小さいスプーンで
ちびちび食べるのが大好きでした。
2杯目は、ルーだけ盛り付けてまたちびちびと。
大人になった今でも、家でカレーを食べるときは
小さいスプーンで食べるのが好きです。
もうおばさんは亡くなってしまったけれど、
おじさんを訪ねるたびに、土曜日には
庭の月桂樹の葉を取りに行ったことを思い出します。
- 865 :>864 :2000/06/28(水) 16:09
- それ、オイラも経験ある!!
俺が小さい頃のうちのカレーには、良く葉っぱの枯れたみたいなのとか
カレールーが溶けきってなくて固まりのままだったりしたものが入ってた
だけど、そのまま食べたりしていた、これが正しいとか思ったりしてね
独立して自炊してみて、やっと間違いに気がついたよ。
単なる手抜きだったんだね
でも、自分でカレー作るたびに母親の味が思い出されて、ちょっと切なかったりもする
どうやって作るのかなぁあの味・・・聞いとけば良かった
- 866 :864 :2000/06/28(水) 18:44
- ルーの塊入ってました。そういえば。
思い出は美化されますね…
都合の悪いことは忘却の彼方へ。
とりあえず、私の場合、カレールーは
バーモントカレーの甘口でした。
- 867 :日曜日の朝 :2000/06/30(金) 00:47
- 父は水っぽくて塩辛く、ちょっと苦い野菜いためを作って
くれていましたが、美味しくないからと、あんまり食べてませんでした。
定年後、料理でも習おうかと言っていた父は
ALSという病にかかり、今は呼吸器をつけて寝ています。
もうまともな食事もとることもできません。
....あの時の野菜いため、もっとちゃんと食べとけばよかった....
- 868 :弁当嫌い :2000/06/30(金) 13:32
- ぜんぜん良い思い出じゃないんだけど、ココ読んでたら思い出したので書きます。
小学校の遠足の時、私はいつも近所の仕出し屋のお弁当を持って行ってました。
私の家は父と祖母の3人家族で祖母は足が弱っていて家事なんて出来ませんでしたので
家の事は叔母が昼間に来てやってくれていたのですが、その叔母も忙しい中で時間を
やりくりして私達の面倒をみてくれていたのでとても遠足のお弁当など頼めませんでした。
私の友達のお母さんが、私がいつも仕出し屋でお弁当を買っているのを友達に聞いて
秋の遠足の時にお弁当を作ってあげると言ってくれましたが、私はそんな事はして欲しく
はありませんでしたので「いいです、いいです」と断ったつもりだったのですが
遠足の前の日に明日の遠足について先生が話してる時突然名前を呼ばれて立たされました
「あなたは何時も買ってきたお弁当だけれど、明日は○山(友達)さんのお母さんが
お弁当を作ってくれるそうです。よかったですね。はい、○山(友達)さんのお母さんに拍手!」
パチパチと拍手が起こる中でとても情けない気持ちで泣き出しそうになりました。
次の日は遠足の用意をして学校に向かったのですが、なぜかポロポロ涙が出てきて
公園の横にある区民会館の壁の隙間で学校に行かずに泣いていました。
次の日に学校に行くとみんなが私に怒っていました。せっかく作ってもらっといて
どうゆうつもり!みたいな事を皆口々に言いました。先生が入って来て私は前に立たされ
なぜ休んだか?○山さんのお母さんに悪いとは思わないのか?問い詰められました。
そして平手で叩かれ帰りに謝りに行く事を約束させられました。
そんな事があってからは自分でお弁当作ったり前の日に仕出し屋のお弁当を買ってきて
お弁当箱に詰めなおしたりしてましたが、OLになった今でもお弁当は嫌いです。
- 869 :名無しさん@あめぞう :2000/06/30(金) 13:54
- >868
キツイっすねー。読んでてなんとなくpapa told meを思い出した。
これからはマターリといきませう。
- 870 :戸碌斎 :2000/06/30(金) 14:01
- ひさしぶりにこのスレッド読みました。
ぅぁぁぁぁぁ。
- 871 :方向音痴 :2000/07/01(土) 15:53
- 私が小学校1年生ぐらいのとき、4つ上の兄と一緒に川口の実家から
かかりつけだった歯医者(王子駅から徒歩15分ぐらい?)まで一緒に
行ったことがあります。行きはもちろん、バスと電車を使ったんだけ
ど、帰りが悲惨なことに。治療費が思ったよりも高くついてしまって、
母から預かったお金でやっと間に合うぐらいの金額だったのです。
当然帰りは徒歩……。王子から川口までの線路沿いを手を引かれて
延々歩きました。でも、途中で疲れてしまって、泣き出した私に、
お兄ちゃんは近くの駄菓子やさんで、なけなしのお金でジュースを
買ってくれました。2人で飲みあいっこして、それでまた、半泣き
しながら夜になってようやく家に辿り着きました。母には「先生に
理由を話して、あとでお母さんが払いますって言えば良かったのにー」
と笑われましたけど、今となっちゃ良い思い出です。
- 872 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 11:38
- 父は料理が得意でした。とはいえメニューは限られていましたが。
特にステーキが絶品で、ちょっとした高級店で御馳走してもらっても
父のステーキを上回るものには出逢った事はありません。
裕福な家庭ではなかったので、そんなにいい肉でもなかった筈なのですが。
父は1年足らずの闘病生活を経て他界しましたが、
その数カ月前に、病院を抜けてきて、一枚だけ焼いてくれました。
姉と二人で、これが多分最後だね、と云いながら(口には
出さなかったかも知れませんが2人ともそう思っていました)
食べた事を記憶しています。
ボロい木造の台所で、火を数十センチ吹き上げながら
ステーキを焼いていた父をたまに思い出します。
- 873 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 12:06
- 書くのは勝手だが騙るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。
- 874 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 16:25
- 煽るのは勝手だが煽るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。
- 875 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 21:33
- age
- 876 :>874 :2000/07/03(月) 05:27
- まあまあ、罵るだけだったら書き込まない方がいいよ、無駄ログが増えるだけだし。
自分の料理話も書き込んでよ、一緒にサ。
私の思い出に残る食事って、考えてみたら、弁当屋のハンバーク弁当(たぶん一番安いの)なんだよね。
妹と二人きりの食事。何故か印象に残ってる。
母親がパートに出てて、土曜日の昼はほとんどそれだったなー。
日曜日の朝昼は疲れて寝てるから、作ってくれなかったりしたし。
みそ汁の作り方を教えてって訊いたら、私は作り方なんて教えてもらったことはない、見ながら覚えるもんだって怒られた。
結局、私が11歳の時に、家を出てしまったんだけど。
このスレ読んでいて、彼女の料理の思い出が無いのって、少し寂しいなと思った。
- 877 :>876 :2000/07/03(月) 13:10
- 同感。つーか、煽るしか能が無い奴って基本的に可愛そうだな
人の言うことを素直に信じられず、しかも自分にはそういう思い出が無い奴
ホント、可愛そうだわ
- 878 :>877 :2000/07/03(月) 14:26
- 無理して急に口調変えないでください
つーかその喋り方、ネカマ失格!!(爆笑)
- 879 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 14:37
- 初めて相方の家に連れてかれたとき。
私16、相手19。
にもかかわらず、昼に寿司が出てきた。お吸い物付き。びびった。
その時の驚きは忘れられないです。
- 880 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:19
- >879
んでそのお相手、今は・・・?
- 881 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:25
- びんぼ自慢ですか?
- 882 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:31
- >880
餓死しました。
- 883 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 00:08
- 母の帰りが遅くなって(といっても、夕方過ぎには帰ってきましたが)、
“夕飯の用意をしなきゃ!”と妹と2人で妙に、はりきっていました。
しかし、私は料理音痴で、食べるのは得意ですが、作るのはさっぱり。。という
子どもでした。そんな私の横で、妹は、インゲンのゴマ和えを作っていました。
“おねぇちゃん、味見して!”といって差し出されたゴマ和えは、
母の味そっくり!本当にびっくりしてしました。
“お母さんに、教わったの?”と聞くと、“いつもの味から、想像して作った”
と、これまた、びっくりするような答えが帰ってきました。
あれから、もう何年たったでしょうか。いまでも、ゴマ和えを食べると、
あの時のことを思い出します。
- 884 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 01:03
- 昔、山にキャンプにいったときのこと。
夜に憧れのあの子とちょっと散歩していたら
山奥に紛れ込んでしまって、遭難してしまった。
その時食料なんて何も持っているはずも無く、
二人ともとても腹を減らしていた。
余りの空腹に飢え死にしてしまうと二人とも考えていたのだが、
そのとき、彼女がある提案をしたのだが、
それはお互いのうんこを食べ合うということ。
彼女が言うにはどうしても自分のものには抵抗があるらしい。
そのときは二人とも極限状態だったから、
それで何とか凌いで、その後13時間位後に無事、救助された。
その一件で二人の間の溝もなくなり、絆も強まった、と思ったけど、
あまりにも凄いことだったので、トラウマとなってしまった。
それ以来、彼女のうんこの味をみてみないと巧く付き合えなくなってしまったんです。
- 885 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 02:25
- >884
あらま・・・
- 886 :ホルン :2000/07/04(火) 04:56
- 母は長男大好きだったので、私は小さい頃から殆ど「お祝い」なんて
してもらった事がありませんでした。
高校入試の発表の日、父と一緒に車で行きました(遠いので)。
掲示板には私の名前がありました。帰り道、高速を途中で降りたので
「どうしたんだろう」と思っていたら、車はステーキハウスに。
父は、「おめでとう」とか「がんばったね」とかそんな言葉は全然口
に出しませんでしたが、とてもとても嬉しかったです。
後にも先にも、あんなに美味しいハンバーグを食べたことはありません。
- 887 :879 :2000/07/04(火) 05:03
- >880・882
え!!チガウチガウ!!
彼氏は家から通学してて(私は寮)、実家に連れてかれたの!
そしたらおばさんがお寿司とってくれて、内心「いい年した
息子なのに、やっぱり彼女を招くのは一大イベントなのだろ
うか」と思いました。照れくさかった。
なんで餓死すんの(笑)寿司だから?(爆笑)安直だな〜
- 888 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 06:59
- 884はあぼーんしてもいいんじゃないか?
- 889 :888に同感。 :2000/07/04(火) 07:14
- 878も訳分からん。
- 890 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 07:16
- >887
そのおばさんいい人じゃん。ちょっと来たよ。
882は洒落でしょ。
- 891 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 11:21
- うんこは毒って聞いたことあるんだけど。
食っちゃいけないんじゃ・・・?
いや、それ以前の問題か?
- 892 :名無しさん :2000/07/05(水) 07:34
- まあ、たまにはネタもいいじゃないすか。(笑<884
うちのかあちゃんはちょっぴり料理オンチなのか、
これはチキンだろ、これは豚だろ、ってとこによく牛を入れます。
オンチってわけじゃなくて、牛に執着しちゃう世代なのかもしれん。
そんなかあちゃんの作ってくれる料理でイチバンうまいのはコロッケです。
いもほくほく。市販の妙に甘いコロッケは食えん。
あと、忌野清志郎は、「生ハムメロン」という食べ物にお目にかかったことがなかったらしく、
ちょっといいレストランで初めて食べて、美味かったので思わず
「これ、オリジナルですか?」と聞いてしまったそうだ。わはは。
- 893 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 15:29
- 高校の頃、友達の家に遊びに行ったときの昼飯は、
何故か全員仲良くカップ麺だった。
なるたけ安上がりに、かつ腹一杯になりたかったから、
「スーパーカップ」とか「でかまる」なんかの大きめ
のカップ麺を2個買って、全員スープまで残さず
平らげていた。
そんな事をふと思い出して、この間カップ麺を2個
食べてみた。
2個目の途中でイヤになった。
- 894 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 23:53
- >893
高校の頃。何であんなに食えたんだろうね。
だけど金はない、と。性欲もおんなじだけどせいしゅんってりふじん!!
す・すまそ。つい。
俺の場合がっこの部活が終わると近所の「山本ぱんや」にとんでって
やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
がオードブルだった。
思い出に残る食事...ふっ。(遠いめつき
- 895 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 01:09
- >やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
オマエ歳いくつだ?(藁
- 896 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 02:55
- すみませんお願いです。このスレ下げて下さいお願いします。
もういいです。勘弁してください。
人が死んで別れて泣いてセンチになって。
もういいです飽きました。好きな人は保存してじっくり堪能し
てください。他のスレの邪魔になってます。パート2でもなん
でも新しいの作っていいですから、このスレだけは過去ログへ
葬り去ってください。お願いします。
- 897 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:34
- 俺思うけど、嫌いだとか飽きたとかって、他の読めば
いい事じゃん。 身勝手じゃないのそういうのって?
とりあえず文句つけるのは辞めて、好きじゃないんなら
読まなきゃいいんじゃない?
- 898 :名無しさん@1回転 :2000/07/06(木) 03:51
- 谷口君の一番大きな加害は、896みたいな厨房を2chに呼びこんでしまった事…
自分が一番なんだね。自分が全てなんだね。一度社会に出て働け。かあちゃん
こき使わずに自分で飯作れ。洗濯もやれ。掃除も。公判で「相手も愛してくれて
ると思った」なんて言う前にな。
スレに関係あることを1つ。
俺も中学の時ヤキソバパンあった。Aセットはヤキソバパン・ハンバーガー(偽)・
マヨネーズコーン(違うカモ)だった。そして、単品で「銀チョコ」という、パン生地
のエクレアみたいなのがあった。これが男子に大人気で、弁当の奴も頼むもんだから
予告もなく違うパンになる。ある日、卵サンドになっていた。「そんなら金返せよ!
コンビニ行くから!!」と思ってしまった。銀チョコ90円也。
- 899 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:57
- すみません。お願いします。あげないで下さい。
自炊もしてるし洗濯も掃除も全部やってます。一人暮らしです。
このスレでもネタをいくつか披露しました。受けたみたいです。
でももういいです。勘弁してください。
鯖も重くなるんです。読んでません読んでません。
お願いします。下げていきましょう.
- 900 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:39
- >896・899
2ちゃんねる流 催促レスだよね。
わざと煽って、ほんとはレス沢山欲しいんでしょ?
みんなの話、もっともっと読みたいんでしょ?
分かってるよ。本心ではageて欲しくてしょうがないんだね!
素直になれない2ちゃねらーの君が、ス・キ!
- 901 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:45
- あら失礼。気付かなくてごめんなさ〜い
真性M君だったのね〜>896
- 902 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:48
- すみません。ありがとうございます。
なんだかんだで4つも反応してくれる純粋、無垢、
初心者な方がいました。
頑張って下さい。おやすみなさい。
うふふ。
- 903 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 05:13
- >902
うひゃひゃひゃひゃひゃ
真性Mが捨て台詞を残しちゃ逝かん逝かん
「純粋・無垢・初心者」だって(爆笑)ぶははははは
- 904 :>902 :2000/07/06(木) 05:15
- 淋しいの淋しいの、飛んでけー!
ほら、もう淋しくなくなったでしょ?
オヤスミ。いい夢見るんだよ。
- 905 :902 :2000/07/06(木) 05:19
- >904
アリガトウデチュ〜
ボクチャント〜〜ッテモサミシカッタノォォ
ホカノイタデハスキルガタリナイカラ、ボクチャンデモアオレソウナタベモノイタニシタンデチュ〜
オヤチュミナチャ〜イ
- 906 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 06:05
- ものすごいアホが一人いるな…
- 907 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 08:48
- ある寒風吹きすさぶ冬の夜、俺は自転車で家路を急いでた。
あったまろうにも田舎なので開いてる店もない。
やっとこさ自販機のあるところまで来て、
あったかい飲み物を求めて自販機でウーロン茶を買ったら
冷たいのが出てきた…しかも過冷却起こしてたのか、中身が凍ってた…
もう1本買おうにも小銭はなし。
半分泣きながら飲んだよ…
- 908 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:02
- >905
かわいい♪
- 909 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:33
- つい先日のことですが、後輩を金属バットで殴ったあと
母親を・・・・。
その後、四国へわたり自転車で88カ所参りをしていましたが、
あまりの空腹に耐えかねていたところ、農家のおばあちゃんが
おにぎりを作ってくださいました。
あの味は忘れられません。
- 910 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:37
- 四国88カ所を逆に回ると、死んだ人が生き返るんだってね。
頑張って!!
- 911 :>909 岡くんへ :2000/07/06(木) 11:43
- 88箇所回り終わったら警察へGo!
- 912 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:51
- 終わったなこの板.....
- 913 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 19:15
- おいおい、煽りなんかで終わんないでよ。
- 914 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 20:36
- あれ?道を間違えて・・。
此処はみちのく?
- 915 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 21:03
- 884はいいネタだね。
- 916 :名無しさん :2000/07/07(金) 02:23
- 909もいいネタだね。
- 917 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:22
- 秋田で捕まったよ、金属バッターは。
誰だ、四国って言った奴は?
- 918 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:24
- 同棲してた彼と別れる日。
私の部屋から彼の荷物を全部運び出して、
最後に食事でもしようかって、近所のロイヤルホストに行った。
エスニックフェアかなんかやってて、二人で同じセットメニューを
頼んだ。嫌いになって別れるわけじゃなかったから、顔を見てると
どんどん切なくなる。2人で赤い目をして鼻をすすりながら
「がんばろうね」「たまには遊ぼうね」って・・・。
そして料理が運ばれてきた。一口食べた瞬間に、2人声をそろえて
「まっずーーーーー!!!」
気分ぶちこわしで、笑っちゃいました。
ロイホを見ると思い出す(笑)
- 919 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:39
- >918さん
せつないやらおかしいやら(笑)
味覚っていうものは感情を一瞬にして濁らせるのですねえ〜
- 920 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 10:09
- >918 あいや〜。嫌いじゃないのに別れなくちゃいけなかったの?
そりゃ切ないなぁ。
- 921 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 00:19
- あげとく
- 922 :gak :2000/07/08(土) 04:23
- 5年程前、妻と結婚する2年程前のことです。当時、ボクは東京の大学に通っていて、
妻とは遠距離恋愛中でした。同時に、ボクには東京にとっても仲の良い女性がいました。
彼女はボクより3歳年上で、某ファッション雑誌でモデルの仕事をしていました。そして、
彼女にも遠距離恋愛中の彼がいました(彼は岡山在住)。ボクも、その彼女も、お互い
の相手に対して結婚の意志を持っていて、特に彼女は1年後ぐらいを目処に結婚すること
になっていました。
彼女とはホントに気が合って、よくランチやディナーを共にしました。元々、ボクと、
ボクの妻と、その彼女は、3人ともが共通の友人であったために、妻が上京して来た時に
は、よく一緒に遊んだりもしました。お互い遠距離だったので、電話ゲンカの後とかは、
二人で飲みに行って愚痴を言い合ったりしたこともしばしばでした。
そうこうしている間に、いつしかボクは彼女に惹かれるようになっていきました。想い
は日に日に募り、ある日、ボクは彼女に自分の気持ちを打ち明けました。すると彼女も、
ボクに対して友人以上の感情があることを告白してくれました。ボクは嬉しさと同時に、
複雑な悲しさのようなものを感じました。
なぜなら、ボク達はお互いに大事な人がいて、しかもその人のことを嫌いになったわけ
ではないのです。結婚するつもりもちゃんと持っていました。ボク達は自分の気持ちをな
だめるように、今までのように気軽に会うことは止めにしようと言う結論を出したのです。
しかし、やはりお互いに好きな気持ちを押さえることは出来ず、ボク達は友達として、
不器用に交際を続けました。プラトニックな関係ではありましたが、その分余計に頻繁に
会っていたのだと思います。
ある晩、彼女はボクの下宿先に電話をかけてきました。懸賞のプレゼントで神戸牛の詰
め合わせみたいなのが当たったので、すき焼きをボクの家でやろうとのことでした。ボク
は快くOKしました。彼女がやってきて、二人ですき焼きをあーでもないこーでもないと
言いながら味付けし、楽しく食べ終わりました。さすがに神戸牛、とっても美味しかった
のを覚えています。
食べ終わってボクがお茶を入れていると、彼女はちょっと照れくさそうに「式の日取り
が決まったの」と言いました。ボクは振り向いて「おめでとう」と言いました。すると彼
女は「私が岡山に行ったら、アナタは一人ぼっちでサミシイ日々を送らなきゃいけないわ
ね」と冗談っぽく言って笑いました。ボクも笑い返そうと思いましたが、もうこうやって
二人で遊ぶことも無いんだなぁ、と思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまっ
て、黙り込んでしまいました。彼女も黙ってうつむいたままです。ボクは彼女の横に座り、
彼女の髪の毛をなでながら、もう一度「おめでとう」と言いました。すると彼女はボク
を見上げるようにして目を閉じました。ボクは彼女の頬にキスをしました。彼女は泣いて
いました。ボクは、初めて彼女と手をつないで、彼女を駅まで送りました。
結局ボクはその後、実際的な用事で彼女に2〜3回会ったきりで、結婚披露宴にも出席
しませんでした(妻は出席しましたが)。でも、手紙は書きました。その手紙には「あな
たのおかげで、とても大切な思い出が出来ました。ありがとう」とだけ書きました。
今でもすき焼きを食べると、胸が切なくなります。ボクにとっては宝石のような思い出
です。そして、ボクは妻を愛しています。
- 923 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/08(土) 09:42
- もてる奴ァいいなあ〜〜。
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