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思い出に残る食事

1 :もの食うひと :2000/02/26(土) 17:14
いや、うまい・まずいはどうでもいいんだ。なんか状況とともに思い
出すってやつ。
おれは5年前に好きだった女の子と食ったスパゲッティだ。柄にも無く、
神戸のイタメシ屋でボンゴレなんぞを食していたのよ。相変わらず面白く
もない冗談連発してた。そしたら彼女が突然泣き出したんだ。くわしい
事情は省くが、おれにはどうすることもできない話だった。おれは
ただズルズルとスパゲッティ食ってたよ。
今日、あさりのスパゲッティを食って、突然そのときのことを思い出した。
あのときの彼女の表情や声がくっきりと蘇ってきたんだ。
それでなんか食い物ってすごいなと思ったわけだ。みんなにはこんな
経験ないだろうか? あったらぜひ教えてほしい。

800 :思い出に残す食事 :2000/06/10(土) 14:13
毎日仕事が忙しい。両親と同居だが、朝食も夕食も俺だけ別に食べてる。
土日も遊びに行っちゃったり、ごはんより睡眠を優先したりして、
あまり一緒に食べていない。
今日の昼飯は、久々に3人で食卓を囲んだ。
メニューはごくごく普通の、母親の料理。しょうが焼きとか味噌汁とか。
ちょうどテレビでは「伝説の寿司屋」みたいな番組をやっていて、
すごいマグロやイクラが次々と映って「おいしそう。でも高いわねー」
「近所の魚屋のと、ほんとにそんなに違うのか?がははは」
なんて、たわいもない会話をしながら食べた。
でも、俺は「今のこの昼飯のほうがうまいや」と思いながら、
もりもり食べた。
いつか、この平凡な風景も、思い出になっていくのかな、と思いながら。

両親はまだ「伝説の寿司屋」を見てる。たまには親孝行でもするかな。

801 :>800 :2000/06/10(土) 15:10
さっぱりとしていて、かつじーんとくる話ですな。

802 :冷凍ミカン :2000/06/10(土) 23:16
小学校一年生の時の事。
はじめての授業参観日で、親達は4限の授業、引き続き給食と帰りの会の様子を
後ろの方に並んで見た後、子供と一緒に帰るというスケジュールになっていた。

その日の給食にデザートとして出たのが冷凍みかんだった。
私は初めて見たそれを喜んで全部食べ、その後母と一緒に帰った。
が、その帰り道、まわりに同級生とその親達を見かけなくなったあたりで、
それまでいつも通りの表情だった母がいきなり般若の顔で私を見下ろした。

「なんでアンタはミカン、一人で全部食べてるのよ!」

いきなり何を怒鳴られたのか理解できず、固まった私に母が続けて言う。
「他の子は皆、ミカン食べずにお母さんに、って持って帰ってたのに!
ホントに思いやりのない!どうしてアンタはそう気がきかないの!」

私は固まったまま慌てた。
私はミカンを見た瞬間から「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」
の3つしか考えていなかったし、他の子が本当に皆食べずにお母さんの所に持っていっていたのか、
全く見てもいなかったのだ。
…今にして思えば、クラスのほんの数人がそうしていたのを、母が拡大していったのかもしれない。
しかしその頃の私は姉とは年が15も離れた末っ子の上、肥満児で、やることなすことトロく、
周りから始終みそっかす扱いされて馬鹿にされていたので、母の怒鳴る声にとにかく
又自分は失敗したのだ、とまだ不機嫌な声で怒っている母の横をしょんぼり並んで帰った。

母は私が成人する前に亡くなったが、今でもみかんを見ると時々この事を思い出す。
それが懐かしさの感情と共であるならいいのだが、どうしても怒りが先に湧いて出る。

「好意は人に強制するものじゃないだろよ。まして大人が子供によ」

私はまだ、大人になっていないようだ。

803 :名無しさん@1周年 :2000/06/11(日) 00:08
802さんの「給食」の話で今思い出したこと。
小学校に入ってばかりで、まだ給食が始まって間もない頃。
その日の献立の中に、ゆで卵があった。
すると、ある女の子がツカツカと担任のところへ行き、一言。
「先生、たまごどうやって食べるんですか?」
…なんでも、彼女はたまごの殻はいつも親OR婆ちゃんに剥いてもらっていたらしい。
当然のごとく彼女はみんなから冷やかされた。(しかも後々まで)

甘やかされると、結局恥をかくことになるんだなあって思ったもんだ。

804 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 03:16
>>795
あんたのせいで一日中このスレッド読んでいたよ・・・・
でも、ありがとう。グスッ。

805 :ケフモナキヌル :2000/06/12(月) 10:57
ぁぁぁ

806 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 11:26
こんなとこに書き込んでいる暇があったら、
親孝行せい。「しようかな」「しようと思う」
なんぞと他人に書く前に実行じゃ。
せめて電話でもしたり。離れて住んでいる人はの。

807 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 13:53
もうすぐ父の日だしね。

808 :>806 :2000/06/12(月) 17:37
確かにその通りだね。だけどここを読まなかったら
連休家にも帰らなかっただろうし、親孝行もしなかったと思う。

俺はここ読んで良かったと思ってるよ


809 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 19:01
小学生の時からの友達だった、Jちゃん。
明るくってやさしくって、本当にステキな子だった。
そんな彼女が突然、入院し、その数ヶ月後、帰らぬ人となった。
彼女が亡くなって1ヶ月後、仲の良かった友達数人と、
彼女のうちへお邪魔して、憔悴しきった彼女のご両親と
何時間も彼女の話をした。泣いたり笑ったりしながら…。
そんな時でも、人間、お腹がすくんですね…。
そんな私達の空腹を見越したように、テーブルの上に並べられた
ワンタンメンと餃子。「もう、失礼しますから…」というと、
彼女のお母さんが“あの子の好物だったんです。食べていってください…”
とおっしゃった。
みんなで黙々と食べた。
食べていたら、彼女がすぐ隣で一緒に食べているような感じがした。
暖かいラーメンと餃子を口いっぱいにほお張りながら、悲しくて、寂しくて、
でも、暖かくて、涙が止まらなくなった。
いつもは少食でラーメン一杯を全部食べられなかった私だけど、
これはどうしても残しちゃいけない気がして、がんばって全部食べた。

ずっと忘れていた思い。ここにきて思い出しました。

810 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 00:35
くすん・・・。
味覚って偉大だなあ。

811 :最後の晩餐 :2000/06/13(火) 02:30
このたび、晴れて離婚が成立しました。

欠点ばかりでもないのですが、それは寛容なひとならそう言うでしょって
トコで、まあ最低な人でした。
結婚していた殆どの期間は口論が絶えませんでした。

家に帰ってこない人でしたが、
最後に帰宅して、一緒に遅い夕食を食べました。
わたしは、例によって喧嘩しながらの夕食で、味がわからなかった。
向こうが言いました。
「こんなに喧嘩しながらでも、オマエのメシはいつでもうまい」

なにを作ったのか、覚えていません。
向こうの母親は、料理らしい料理はしないひとでした。
そのうえ、いつも不満がましくて、文句を聞かされながらの食事だったそうです。
彼が、少しかわいそうだとあとで思いました。

いま、ひとりで暮らしているわたしは、料理らしい料理はしません。
彼とは、会いたいとも思えません。
愛情もなく、冷え切った家庭でも
少しでもおいしいものをって思って作っていたのだなあと不思議な気持ちです。

好きなひとができたら、
とびきりおいしいものをご馳走したいです。
おいしいって褒めてほしいなあと思います。


812 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 07:46
大学院時代、指導教授と喧嘩別れして、私は教授の進める大学とは
別の大学の非常勤に勤務した。それ以来約10年、退官されたこともあり
その教授とは音信不通状態。今年の1月、突然連絡があり自宅に呼ばれて
食事をすることになった。私のためにとワインを4本も用意してくれていた。
自分も家族もアルコールはダメなので、兎に角揃えるだけ揃えたという。
珍しく先生もグラス一杯だけワインを飲んでいた。初めてみた。
私の助教授就任の祝いの言葉。その後、これまでの私の研究へ先生なりの
アドバイス。が、アルコールの勢いとこれまで先生の力を借りずに上り詰めた
自分自身への自尊心もあり、再び研究の方向性で口論となった。
やっぱり、お互いに合わないのだな思った。
で、先生は4月にガンで亡くなられた。
先生なりの最後の指導だったのかと思う。
あの日のワインの銘柄をどうしても思いだしたい。


813 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 10:12
高校生だったころ昼食を一緒に食べていた中の1人が、食事の後たいてい
「美味しかった。幸せー」
と言っていました。
あれからもう何年も過ぎ、最近あの言葉を思います。

食べて、美味しいと感じることって幸せ。

814 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 20:04
大学に通うため、地方から上京して2日目のこと、
近所のスーパーに買い物をしに行った。
自分は男ながら、料理には自信があったし、実家での買い物もよく行って
いたので、あれは安い、あれは高いってぶつくさ文句を言いながら、
買い物をしていた。
そして帰宅して、これ美味そうだなって買った牛か豚の「もつ」(味つけなし)を
早速、炒めはじめた。
そして夢中になって、お酒やみりん、しょうゆを使って調理したのだけど、
途中でとても臭くなってきて、耐えきれなくなくなり、捨ててしまった。
そして、何も作る気がしなくなり、そのまま寝てしまった。
その時、とても心細くなり、涙が出そうになった。
そしてその「もつ」の匂いは3〜4日、台所から消えることはなかった。
それ以来、こてっちゃんすら見るのもイヤになった。


815 :ゆゆ :2000/06/14(水) 02:09
母子家庭の我が家では、母が家族の役割を色々していた。
おやつの時間は、片手にジャムパン、片手にクリームパンと
私が、がっついていると、右手のパンを頬張っている間に、
母は私の空いた手のパンに喰らいつき、子供の頃よく
そうやっておやつを取られた。まるで兄弟のように……。好きなモノを
最後にとっておく私に「そんなコトしてると食べられちゃうんだよ」と言って、
彼女が言うには世間の厳しさを教えていたんだとか。

高校生の時、500ml紙パックのジュースを飲んでいる私に
いつものように「それ飲ませて」と言い、いつも横取りされて
ウンザリしていた私が遂にキレて「横取りされるくらいなら捨てちゃる!」と
流しにジュースを捨ててしまった。ものすごく下らないケンカ。
そのあと母にボコボコに殴られた。食べ物のコトでなんか
できればケンカしたくないのに、唯一思い出に残る食べ物の恨みを
晴らしたケンカの思い出。

816 :名無しさん@1周年 :2000/06/14(水) 18:31
ageときまぁす。

817 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:05
今週の日曜日。「父の日」に中学一年の娘が夕食を作ってくれるそうです。
いつのまにか大きくなって、父親を敬遠しはじめ、すこし寂しく思っていたので
とても感激しています(娘には言ってないけど)

あとが高くつきそうだ(わら

818 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:32
前にもかきました。でも、今度もまた
その彼のことだけど、このごろあっというまにケンカばかりで
別れちゃいそう。だから、匿名にします。

おととしのクリスマスに、私はサンタさん(彼氏じゃありません、なぜか
サンタさんからの手紙の筆跡は彼にそっくりだけど)に「お菓子が
いっぱいつま先まではいったブーツが欲しい」とお願いしました。
よく売ってるブーツって、足首あたりまでしかお菓子が入ってない
でしょう?それがハタチにもなった私は不満でして、「ブーツを
サンタさんが買って、ちょっとお菓子を追加して」って
お願いしたんです。
クリスマスに、彼が「いま、玄関にサンタさんがきてたよ」って
言ってくれたサンタさんプレゼントは、50cmくらいの
大きな布の袋(私の好きなお店で売ってる)にいっぱいに
私の好きなお菓子がつまってるものでした。ちょっと希望とは
違うけど、中に近所では売ってない私の大好物が入っていて
サンタさんは、わざわざ買いに行ってくれたんだと思ったら
うれしかったし、そんなにしなくていいのにな、って思った。
こんなにいい人なのに、どうして別れちゃうのかなぁ、なんて
思いながら、これを書いています。


819 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 02:26
中学の時、母が働いていたのでお昼はコンビニで買ってました。
小遣いを貰ってなかったのですが、昼食代として貰ってた残りが財布に
あったんです。だからそのまま学校行ったら、昼休みに校内放送で事務室
に呼び出しされて。何かと思ったらモスバーガーの袋が学校に届いてて。
母からだと聞いて、なぜ急にこんな事を…と首を傾げながら教室に戻り
ました。いつも家で食べる時より内容がゴージャスで(笑)、食べ切る
のに苦労して、また友達にも奇妙な恥ずかしさがありました。
帰って母にびっくりしたよと言ったら、お金を持っていかなかったから
一人だけ昼食を食べられないのかもしれないと思って、と言われました。
またみんなに恥ずかしくないように、中身の方も多めにしたとのこと。
その時は、お金持ってたのにー!と答えましたが、今考えると母の気遣い
に涙出そうです。お母さん、仕事で疲れてるのにつっけんどんな態度
取ってごめんなさい。土下座したい…

820 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 09:46
彼に大根の煮物を作ってあげた時、
「めんとり」に気付いてくれてうれしかった。
手間かけた甲斐があったなぁと・・・。

821 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 17:33
子どもの頃のお弁当の定番として、のり弁っていうのがありますよね。
普通ののり弁は、ご飯の上にべたーっとのりが張りついてるんですが、
うちのは違うんです。ご飯とご飯の間にだけ、のりが入っているんです。
つまり、ご飯でのりをサンドした状態。でも、みんなと違うのり弁なので、
“うえに、のりの乗っているのが食べたい!”ってわがまま言って、
作ってもらったことがあります。でも、それだと、お弁当のフタにのりがくっついて、
汚くなっちゃうんですよね。
それに、周りを見てみると、一枚ののりがご飯の上にべたっと張りついているだけなんですよ。
よくみてみたら、私のは違ってた。
ちょっとづつちぎったのりが、張り合わされているんです。だから、ご飯を食べたとき、
のりが全部、べろっとはがれたりしないで、最後までおいしいのり弁だったんですね。
お母さんのそんな細やかな心配りを少しでも見習えたら…と思っています。

822 : :2000/06/16(金) 10:28
>821
うちは、のり、ごはん、のり、ごはんと
何層かになってました。
”のりだんだん”って呼んでましたよ。


823 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:11
>821
うちでは、その変形で「カレーだんだん」を作ってました。
夕飯がカレーの日は次の日が楽しみだったなぁ。


824 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:22
>821
うちは、ご飯、みそ卵、ご飯、鶏そぼろ、ご飯、海苔だった。
しゃけフレークバージョンもあったなあ。
お母さんに感謝ですね。(^-^)

825 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:24
>821
アンナが学生時代に梅宮辰夫がお弁当を作ってあげていた
らしいのですが、たっちゃんも「のりだんだん」式だったそうです。
821さんのお母さんのように、海苔をちぎってあったそうですよ。
我が家では、「ごはん・おかか・のり」の二層式になってました。

826 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 21:26
あげざるをえない

827 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 00:12
ウチも[のりだんだん]って呼んでました。
その変形バージョンで‘にくだんだん’
豚ロースの生姜焼きか味噌焼きを一口大にしてゴハン→お肉→ゴハン
と重ねて行く。一番上だけ海苔。
中学生の頃、もりもり食べてました。
今でも時々、すごくハラヘリモードになると
ママ製にくだんだんが食べたいな、って思うことがある。



828 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 12:07
ここも、sakiだけど、移転に伴って、
過去ログ消えてしまうんでしょうか?



829 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 16:24
弁当で思い出したんですけど家のはいつもおかずが隠されていました。
食べてるうちに出てくるのです。
ご飯の下の方から鮭とかから揚げやデザートのチェリーが・・・

830 :>829 :2000/06/17(土) 17:11
ご飯の中からチェリーですか!?
茶目っ気のあるお母さんですね(^-^)

831 :829 :2000/06/17(土) 17:28
>830さん
茶目っ気というか本人マジだった様子です。

小学校6年のときにピクニックがあって先生に大きいオニギリを持ってくるように
言われました。みんな15cm以内ぐらいのオニギリを持ってきていました。
私のオニギリは直径20cm厚さ10センチの具の無いオニギリでした。
担任の先生に写真をとられました。
塩ぐらいは振って欲しかったなぁ。
こんな話いっぱいあります。

832 :笑える食べ物 :2000/06/17(土) 18:06
 高校生の頃、学校にも行かないでどれだけ起きていられるかという無謀なことを
試した。眠気を誘わないように腹二分目程度の食事をとりつつ三日目。もう駄目だ、
死ぬ、と思い、コンビニへ出かけた。コンビニの前でやばそうな奴等がたむろして
いて、あーからまれるとやだなーと思っていたのだが、足がふらつき、そいつらが
作っている円の中心に倒れ込んでしまった。俺はやばいなあと思ったが、そいつら
はあまり気にしていないようだった。それどころか狂ったように笑っている奴がい
た。あきらかに何かの薬物によるモノと思われたが、よく見てみると小学校の時の
クラスメート。
「ジンちゃん何してんの?!」「うひゃ、うひゃ、お前こそ」
「俺は飯買いに来た」「飯?飯?腹減ってるの?おれんちくる?」
「何か食わせてくれんの?」「すっごいもんあるよお」
「薬とかゴメンだよ」「うひゃ、うひゃ、うひゃ」
そいつのうちに行って出てきたのがみそ汁と白いご飯。あまり旨いという
ほどの、いやむしろまずかったのだが、みそ汁には訳三グラムのMMが入
っていた。
 今でもキノコが入ったみそ汁を見ると、筋肉の緩みきったジンちゃんの
顔を思い出して吹き出してしまう。


833 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:39
最近ほのぼのした思い出ばなしが多くてのほほんと読めます。

834 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:43
やっぱ人が死ぬ話は、ねえ。

835 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 02:21
小学校の3〜4年生のころです。
父が家を出てしまい、母の実家で暮らしていたのですが
父の作った借金の返済もあり、(子供ながらうすうす気がついていました)
極貧とまでは行かないまでも、かなり劣悪な経済状況だったと思います。

そんなある日の夕食。
いつもは、野菜の煮物や漬物などの質素な献立が並んでいるだけなのに
私と妹の席に、「お子様ランチ」様のかわいく盛り付けられた皿が置いてありました。
ハンバーグに付け合せの野菜、型抜きしたご飯には旗まで立っていました。
2つ下の妹は、「食堂みたいや〜〜!!」とおおはしゃぎ。
しかし、私は箸をつけることができませんでした。
「サラ金地獄で一家心中」などのニュースが毎日のようにTVで流れていた時代です。
・・・このお子様ランチを食べたら私ら、死ぬねんな・・・・
最後のご馳走を、母が用意したのだと思うと
怖くて、かなしくて、涙がぽろぽろこぼれました。

結局、その日の夕食をどうしたのかは記憶の外です。
あの、お子様ランチは単なる母の気まぐれだったのでしょう。
(母なりに、私達を喜ばそうとして作ってくれたのでしょうね。)
でも、いまだにお子様ランチを見ると胸が痛みます。
今は1児の母ですが、娘にはあんな思いをさせたくないと
心の底から思っています。




836 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 09:40
age



837 : :2000/06/18(日) 10:25
げげげ

838 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 19:22
わたしが保育園児のころ。
うちは専業農家で、とても忙しい時期(田植えか、稲刈り等)は幼稚園の迎えが遅かった。
5〜9人位の子たちが、似たような事情で、よく覚えてないけど、6時7時位まで残ってた。
お腹が空くので保母さんが、みんなにお菓子をくばって食べたりした。
隣の子が『○○(私の名)ちゃんのお菓子、みんなより少ない』と指摘した。
『いいのよ○○ちゃんの家は●●だから』と保母さん。
●●の意味がなんなのか判らないけれど、親を侮辱されたのは漠然とわかって、
当時は口数の少なかった私は何と言葉にしていいのか判らず
悲しくて泣くしかないけど意地でも泣くかと黙って親を待ってた20年前の私。

●●って何だったのか覚えちゃいないけど、ティッシュに包まれたお菓子と
年上の優しそうな女性は今でもちょっと苦手。

関係ないが、「おかし」と打つと躊躇なく「犯し」って変換されてとほほな私のPC。

839 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 22:02
824さんの「みそ卵」っていうのが気になるなー。
どうやって作るの?

840 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 23:48
おい!この板の寿命もあとわずかだぞ!このスレッドは各自保存したか!

841 :もも :2000/06/19(月) 11:20
なんか、すごいいい話ですね、ここ。
いつも会社で朝一に読んでます。
ここで私の思い出の食事に関する話を一つ。

今からもう7年くらい前、母が入院しました。
今まで病気とは無縁の母だっただけに心配で、
毎日のようにお見舞いに行っていました。

そこで、私がお見舞いの品としてよく持っていったのが、
母の大好物の「かに道楽のお寿司」でした。
しかし、ある日、父に「お見舞いにお寿司を持っていくのは止めなさい」と言われ
「何で?」と聞くと、母は病気のため、食欲が全くなく、
病院の食事もとれないほどだったのです。
母は私の前でそんな顔ひとつせずに「おいしいね」と言いながら食べていました。
私の喜んでくれるだろうと言うエゴのために、無理して笑顔で食べていた母のことを思うと、申し訳ないやら、
有り難いやらで消え入りたいような気分になってしまったのを覚えてます。

そんな母は今はすっかり良くなり、元気にもりもりとご飯を食べています。
これからも元気でおいしく「かに道楽のお寿司」を食べようね




842 :名無しさん@1周年 :2000/06/20(火) 19:02
みんなよってるね。
ま、いいけどさ。

843 :名無しさん@1周年 :2000/06/21(水) 13:31
800過ぎたので、区切りのいいとこでパート2に引越し希望!

844 :復活してたので :2000/06/21(水) 14:57
あげとこう

845 :名無しさん@1周年 :2000/06/23(金) 03:52
ささやかだけど、俺の場合、自分で初めて作った野菜炒めかな。
それまでインスタントラーメンくらいしか作ったことなかったけど、大学に行く
ために引っ越してきた町で初めて料理をした。
さあ、これからは自炊だーって感じで、結構張り切って作ったよ。
出来上がった野菜炒めは、見た感じは我ながらなかなか上出来だったんだけど、
食ってみたらこれがものすごく塩辛い。
家だったら「こんなもん食えるか!」って感じで、お袋に突っ返すとこだけど、
そこは自業自得。
自分の作ったもん捨てられないから、一人でぼそぼそ全部食ったよ。
まだ友達も全然いないし、これからの学生生活への不安やらなんやらで、食べな
がら心細くて胸がつまってきたね。(別に泣いたりしたわけじゃないよ)
まあ、今思えばかわいかったな、俺。

846 :名無しさん@1周年 :2000/06/24(土) 19:24
あげ!

847 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 10:28
思い出って程でもないんだが。。。。
若い頃はお袋の作る飯に文句ばかり
垂れてた。まずいだの同じ物ばっかだの栄養のバランス
考えて無いだの。
でも一人暮しをしてみて始めて分かった。
一見しょーもないと思える飯でも、それを作るのがどれほど
大変で根気がいるか。毎日続けるのがいかに大変か。
最近帰郷して更に驚いた。お袋はスーパーのおぞうさいなど
一切買わず、全て手作りだったらしい。

唖然とした。。。

そんな事一言も言わないお袋の健気さに。
ああ、俺って何て愚かな事ばかり言ってたんだ。
何が愚かって、コレほど愛情こめて育ててもらったのに、
親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
お袋、本当にゴメン。貴方が愛情込めて育てた息子は、下の下の
人間になってしまいました。

848 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 13:06
しかしさー、
専業主婦って、立派な仕事だと思うのだけどね。
せんたく・そうじ・食事は
大変だよね。

849 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 16:15
いや、しかしそれは847さんが家を出るまでに
台所仕事の技術伝承をしていない847さんちの躾にもやや問題があるよ。

850 :一見良い話に見えるが :2000/06/25(日) 16:25
>847
>親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。

この箇所がひじょーに気になる。


851 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 18:55
>847
投票行ったか?

852 :名無しさん :2000/06/26(月) 01:34
あげますよ。

853 : :2000/06/26(月) 04:26


854 :名無しさん@1周年 :2000/06/26(月) 22:18
>752さん
私の父も腸ガンでした。
当時、本当の病状を知るのは私だけで、母にも親族にも黙っていました。
主治医から「何時、なにが起きてもおかしくはない。全力を尽くすが覚悟はしておくように。」
と伝えられ、自分一人の胸の中にとどめるしかなかった3ヶ月間ノイローゼ状態でした。
それでも、美食家だった父にちょっとでもおいしい物を食べさせてやりたくて、毎朝料理を作り病室に届けるのが日課でした。病状が目に見えて悪化し、食事もとれないようになりモルヒネの投与も始まりました。食べることができなくなった父の前では、かわいそうで食事をとることができませんでした。
ある日、モルヒネのためにうつらうつらしている父の隙をみて、病室のカーテンの陰でカップラーメンを食べていたら、「遠慮しないで、こっちで食べろよ。」と父の声がしました。
なんか、いたずらを見つかった子供のような気持ちになると同時に、その場で急に泣き出したくなりました。こんな事になるんだったら1回ぐらい晩酌につきあってやれば良かったなぁ.......
男同士はこんな時辛い.......

残業中にカップラーメン食べながら752さんのカキコ読んだら思い出してしまいました。
長文、乱文ですみませんでした。

855 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:08
夫と付き合う直前ぐらいにとんかつを食べに行きました。
私は、すごくお腹がすいていたし、とんかつは大好物だったので、
「お腹がすいてる時に大好物を食べると何て幸せなんろうと思う」
と連呼していました。
今までも何人かお付き合いした人がいたけど、
こんなに食べる事でおいしい!と思っても、
幸せになった事はありませんでした。

やっぱり夫の力だったのだろうと思います。

856 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:54
とんかつ私も好き(^^)/
「とらや」のとんかつ↓また食べたくなってきた。。じゅる(^^;

http://www.gmnh.pref.gunma.jp/Syuzo/030000/full/II0001586A.jpg

857 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 18:09
あげ。

858 :うり :2000/06/28(水) 00:22
小学生の頃、おじいちゃんがチャーハンをよく作ってくれました。
と言うよりもいつもわたしがお願いしてたのかな?
わたしが働き始めて久々におじいちゃんに会った時、やっぱりおじいちゃんのチャーハンが食べたくってお願いしたら、にこにこして腰を上げてくれました。
でも側にいた母が”もう中華なべを持てないくらい体力無いのよ…”と言われ、慌てて違う話しに変えて座ってもらいました。
わたしはいつまで経っても子供気分が抜けなくてだめですね。

それからも時間が経ち、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。
あのチャーハンの味が忘れられなくって何度か挑戦しましたがやっぱりだめ。
大きめにざくざく切ったたまねぎ、なんであんなにあまかったのだろう?
もう一度…。

859 :名無しさん :2000/06/28(水) 01:58
>858
ええ話や。
わたしも田舎に帰るとおじいちゃんが必ずカキ氷を作ってくれました。
おじいちゃんはカキ氷のことを、いつも「こおりみず」っていってました。
んでもってカルピスの原液をかけるのです。今思うとおじいちゃんなりの
もてなしだったんだろうなあー。できるものならもう一回食べたい。


860 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:42
>858、859 なんか久々に涙ちょちょぎれたよ。
寝床からわざわざ(まさかと思ったけど)あたひにブドウをもってきてくれたじいちゃん思い出しちゃった。お盆にはお墓参りいこうねぇ。
じ〜ちゃぁ〜ん。まじでちょちょぎれてます…

861 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:48

子供の頃食事のたびに喧嘩していた両親。

その日は何かの記念日だったのでしょう。
もう覚えてません。
思い出したくもありません。
夕食はすき焼きでした。

もくもくと食べてるといつもどおり始まりました。
その日は父の方がかなり機嫌が悪かったらしく。
普段よりも大喧嘩。
味付けが濃いやら甘すぎるやら難癖つけて
せっかくのすき焼きをぐっしゃぐしゃにしました。
記念日と言う事で奮発して
母が買ってきてくれた肉も全部ぐっしゃぐしゃ。

私達兄弟はすぐに自分の部屋へ行って
もうここにはいられない。
出て行かなければならないと思いつつ
泣きながら姉と二人で荷物の整理をしてた記憶があります・・・。

今でも両親と食べる食事が大嫌いです。
夕食には楽しかった思い出がない。。。
あなた達両親のおかげで
私は食事=嫌な印象しか持ってませんよ。

すみません。
食事と言うと嫌な事しか思い出せないんです。
ここのスレのような事がこれからあればいいなあ。
と思いつつ。


862 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:51
なんだよ〜このすれ 涙ごーごー たれてます。
ううう、ほんといろいろだやねぇ。

863 :まや :2000/06/28(水) 04:01
>862さん
ウチの実家もそうだった。
だからこそ今は、楽しく食事をすることを大切にしてるわ。

864 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 05:24
両親が共働きだったので、子守りの老夫婦に預けられていた私。

土曜日の昼ご飯は、決まってカレーを作ってくれました。
とろみのついた、素朴なライスカレーでした。
(スパイスの月桂樹の葉がそのまま入ってたりして)
丸いお皿に盛り付けられていて、それを小さいスプーンで
ちびちび食べるのが大好きでした。
2杯目は、ルーだけ盛り付けてまたちびちびと。

大人になった今でも、家でカレーを食べるときは
小さいスプーンで食べるのが好きです。

もうおばさんは亡くなってしまったけれど、
おじさんを訪ねるたびに、土曜日には
庭の月桂樹の葉を取りに行ったことを思い出します。


865 :>864 :2000/06/28(水) 16:09
それ、オイラも経験ある!!
俺が小さい頃のうちのカレーには、良く葉っぱの枯れたみたいなのとか
カレールーが溶けきってなくて固まりのままだったりしたものが入ってた
だけど、そのまま食べたりしていた、これが正しいとか思ったりしてね
独立して自炊してみて、やっと間違いに気がついたよ。
単なる手抜きだったんだね

でも、自分でカレー作るたびに母親の味が思い出されて、ちょっと切なかったりもする
どうやって作るのかなぁあの味・・・聞いとけば良かった



866 :864 :2000/06/28(水) 18:44
ルーの塊入ってました。そういえば。
思い出は美化されますね…
都合の悪いことは忘却の彼方へ。

とりあえず、私の場合、カレールーは
バーモントカレーの甘口でした。

867 :日曜日の朝 :2000/06/30(金) 00:47
父は水っぽくて塩辛く、ちょっと苦い野菜いためを作って
くれていましたが、美味しくないからと、あんまり食べてませんでした。
定年後、料理でも習おうかと言っていた父は
ALSという病にかかり、今は呼吸器をつけて寝ています。
もうまともな食事もとることもできません。

....あの時の野菜いため、もっとちゃんと食べとけばよかった....



868 :弁当嫌い :2000/06/30(金) 13:32
ぜんぜん良い思い出じゃないんだけど、ココ読んでたら思い出したので書きます。
小学校の遠足の時、私はいつも近所の仕出し屋のお弁当を持って行ってました。
私の家は父と祖母の3人家族で祖母は足が弱っていて家事なんて出来ませんでしたので
家の事は叔母が昼間に来てやってくれていたのですが、その叔母も忙しい中で時間を
やりくりして私達の面倒をみてくれていたのでとても遠足のお弁当など頼めませんでした。
私の友達のお母さんが、私がいつも仕出し屋でお弁当を買っているのを友達に聞いて
秋の遠足の時にお弁当を作ってあげると言ってくれましたが、私はそんな事はして欲しく
はありませんでしたので「いいです、いいです」と断ったつもりだったのですが
遠足の前の日に明日の遠足について先生が話してる時突然名前を呼ばれて立たされました
「あなたは何時も買ってきたお弁当だけれど、明日は○山(友達)さんのお母さんが
お弁当を作ってくれるそうです。よかったですね。はい、○山(友達)さんのお母さんに拍手!」
パチパチと拍手が起こる中でとても情けない気持ちで泣き出しそうになりました。
次の日は遠足の用意をして学校に向かったのですが、なぜかポロポロ涙が出てきて
公園の横にある区民会館の壁の隙間で学校に行かずに泣いていました。
次の日に学校に行くとみんなが私に怒っていました。せっかく作ってもらっといて
どうゆうつもり!みたいな事を皆口々に言いました。先生が入って来て私は前に立たされ
なぜ休んだか?○山さんのお母さんに悪いとは思わないのか?問い詰められました。
そして平手で叩かれ帰りに謝りに行く事を約束させられました。
そんな事があってからは自分でお弁当作ったり前の日に仕出し屋のお弁当を買ってきて
お弁当箱に詰めなおしたりしてましたが、OLになった今でもお弁当は嫌いです。


869 :名無しさん@あめぞう :2000/06/30(金) 13:54
>868
キツイっすねー。読んでてなんとなくpapa told meを思い出した。
これからはマターリといきませう。


870 :戸碌斎 :2000/06/30(金) 14:01
ひさしぶりにこのスレッド読みました。
ぅぁぁぁぁぁ。

871 :方向音痴 :2000/07/01(土) 15:53
私が小学校1年生ぐらいのとき、4つ上の兄と一緒に川口の実家から
かかりつけだった歯医者(王子駅から徒歩15分ぐらい?)まで一緒に
行ったことがあります。行きはもちろん、バスと電車を使ったんだけ
ど、帰りが悲惨なことに。治療費が思ったよりも高くついてしまって、
母から預かったお金でやっと間に合うぐらいの金額だったのです。
当然帰りは徒歩……。王子から川口までの線路沿いを手を引かれて
延々歩きました。でも、途中で疲れてしまって、泣き出した私に、
お兄ちゃんは近くの駄菓子やさんで、なけなしのお金でジュースを
買ってくれました。2人で飲みあいっこして、それでまた、半泣き
しながら夜になってようやく家に辿り着きました。母には「先生に
理由を話して、あとでお母さんが払いますって言えば良かったのにー」
と笑われましたけど、今となっちゃ良い思い出です。

872 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 11:38
父は料理が得意でした。とはいえメニューは限られていましたが。
特にステーキが絶品で、ちょっとした高級店で御馳走してもらっても
父のステーキを上回るものには出逢った事はありません。
裕福な家庭ではなかったので、そんなにいい肉でもなかった筈なのですが。

父は1年足らずの闘病生活を経て他界しましたが、
その数カ月前に、病院を抜けてきて、一枚だけ焼いてくれました。
姉と二人で、これが多分最後だね、と云いながら(口には
出さなかったかも知れませんが2人ともそう思っていました)
食べた事を記憶しています。

ボロい木造の台所で、火を数十センチ吹き上げながら
ステーキを焼いていた父をたまに思い出します。

873 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 12:06
書くのは勝手だが騙るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。

874 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 16:25
煽るのは勝手だが煽るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。

875 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 21:33
age


876 :>874 :2000/07/03(月) 05:27
まあまあ、罵るだけだったら書き込まない方がいいよ、無駄ログが増えるだけだし。
自分の料理話も書き込んでよ、一緒にサ。

私の思い出に残る食事って、考えてみたら、弁当屋のハンバーク弁当(たぶん一番安いの)なんだよね。
妹と二人きりの食事。何故か印象に残ってる。
母親がパートに出てて、土曜日の昼はほとんどそれだったなー。
日曜日の朝昼は疲れて寝てるから、作ってくれなかったりしたし。
みそ汁の作り方を教えてって訊いたら、私は作り方なんて教えてもらったことはない、見ながら覚えるもんだって怒られた。
結局、私が11歳の時に、家を出てしまったんだけど。
このスレ読んでいて、彼女の料理の思い出が無いのって、少し寂しいなと思った。

877 :>876 :2000/07/03(月) 13:10
同感。つーか、煽るしか能が無い奴って基本的に可愛そうだな
人の言うことを素直に信じられず、しかも自分にはそういう思い出が無い奴
ホント、可愛そうだわ


878 :>877 :2000/07/03(月) 14:26
無理して急に口調変えないでください
つーかその喋り方、ネカマ失格!!(爆笑)

879 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 14:37
初めて相方の家に連れてかれたとき。
私16、相手19。
にもかかわらず、昼に寿司が出てきた。お吸い物付き。びびった。
その時の驚きは忘れられないです。

880 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:19
>879
んでそのお相手、今は・・・?

881 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:25
びんぼ自慢ですか?

882 :名無しさん@1周年 :2000/07/03(月) 16:31
>880
餓死しました。

883 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 00:08
母の帰りが遅くなって(といっても、夕方過ぎには帰ってきましたが)、
“夕飯の用意をしなきゃ!”と妹と2人で妙に、はりきっていました。
しかし、私は料理音痴で、食べるのは得意ですが、作るのはさっぱり。。という
子どもでした。そんな私の横で、妹は、インゲンのゴマ和えを作っていました。
“おねぇちゃん、味見して!”といって差し出されたゴマ和えは、
母の味そっくり!本当にびっくりしてしました。
“お母さんに、教わったの?”と聞くと、“いつもの味から、想像して作った”
と、これまた、びっくりするような答えが帰ってきました。
あれから、もう何年たったでしょうか。いまでも、ゴマ和えを食べると、
あの時のことを思い出します。

884 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 01:03
昔、山にキャンプにいったときのこと。
夜に憧れのあの子とちょっと散歩していたら
山奥に紛れ込んでしまって、遭難してしまった。
その時食料なんて何も持っているはずも無く、
二人ともとても腹を減らしていた。

余りの空腹に飢え死にしてしまうと二人とも考えていたのだが、
そのとき、彼女がある提案をしたのだが、
それはお互いのうんこを食べ合うということ。
彼女が言うにはどうしても自分のものには抵抗があるらしい。
そのときは二人とも極限状態だったから、
それで何とか凌いで、その後13時間位後に無事、救助された。

その一件で二人の間の溝もなくなり、絆も強まった、と思ったけど、
あまりにも凄いことだったので、トラウマとなってしまった。
それ以来、彼女のうんこの味をみてみないと巧く付き合えなくなってしまったんです。

885 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 02:25
>884
あらま・・・


886 :ホルン :2000/07/04(火) 04:56
母は長男大好きだったので、私は小さい頃から殆ど「お祝い」なんて
してもらった事がありませんでした。
高校入試の発表の日、父と一緒に車で行きました(遠いので)。
掲示板には私の名前がありました。帰り道、高速を途中で降りたので
「どうしたんだろう」と思っていたら、車はステーキハウスに。
父は、「おめでとう」とか「がんばったね」とかそんな言葉は全然口
に出しませんでしたが、とてもとても嬉しかったです。
後にも先にも、あんなに美味しいハンバーグを食べたことはありません。

887 :879 :2000/07/04(火) 05:03
>880・882
え!!チガウチガウ!!
彼氏は家から通学してて(私は寮)、実家に連れてかれたの!
そしたらおばさんがお寿司とってくれて、内心「いい年した
息子なのに、やっぱり彼女を招くのは一大イベントなのだろ
うか」と思いました。照れくさかった。
なんで餓死すんの(笑)寿司だから?(爆笑)安直だな〜

888 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 06:59
884はあぼーんしてもいいんじゃないか?

889 :888に同感。 :2000/07/04(火) 07:14
878も訳分からん。

890 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 07:16
>887
そのおばさんいい人じゃん。ちょっと来たよ。
882は洒落でしょ。

891 :名無しさん@1周年 :2000/07/04(火) 11:21
うんこは毒って聞いたことあるんだけど。
食っちゃいけないんじゃ・・・?

いや、それ以前の問題か?

892 :名無しさん :2000/07/05(水) 07:34
まあ、たまにはネタもいいじゃないすか。(笑<884

うちのかあちゃんはちょっぴり料理オンチなのか、
これはチキンだろ、これは豚だろ、ってとこによく牛を入れます。
オンチってわけじゃなくて、牛に執着しちゃう世代なのかもしれん。
そんなかあちゃんの作ってくれる料理でイチバンうまいのはコロッケです。
いもほくほく。市販の妙に甘いコロッケは食えん。

あと、忌野清志郎は、「生ハムメロン」という食べ物にお目にかかったことがなかったらしく、
ちょっといいレストランで初めて食べて、美味かったので思わず
「これ、オリジナルですか?」と聞いてしまったそうだ。わはは。

893 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 15:29
高校の頃、友達の家に遊びに行ったときの昼飯は、
何故か全員仲良くカップ麺だった。
なるたけ安上がりに、かつ腹一杯になりたかったから、
「スーパーカップ」とか「でかまる」なんかの大きめ
のカップ麺を2個買って、全員スープまで残さず
平らげていた。

そんな事をふと思い出して、この間カップ麺を2個
食べてみた。
2個目の途中でイヤになった。

894 :名無しさん@1周年 :2000/07/05(水) 23:53
>893
高校の頃。何であんなに食えたんだろうね。
だけど金はない、と。性欲もおんなじだけどせいしゅんってりふじん!!
す・すまそ。つい。
俺の場合がっこの部活が終わると近所の「山本ぱんや」にとんでって
やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット
がオードブルだった。
思い出に残る食事...ふっ。(遠いめつき


895 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 01:09
>やきそばパン・ミートソースパン・チェリオオレンジ¥150也のセット

オマエ歳いくつだ?(藁

896 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 02:55
すみませんお願いです。このスレ下げて下さいお願いします。
もういいです。勘弁してください。
人が死んで別れて泣いてセンチになって。
もういいです飽きました。好きな人は保存してじっくり堪能し
てください。他のスレの邪魔になってます。パート2でもなん
でも新しいの作っていいですから、このスレだけは過去ログへ
葬り去ってください。お願いします。

897 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:34
俺思うけど、嫌いだとか飽きたとかって、他の読めば
いい事じゃん。 身勝手じゃないのそういうのって?
とりあえず文句つけるのは辞めて、好きじゃないんなら
読まなきゃいいんじゃない?

898 :名無しさん@1回転 :2000/07/06(木) 03:51
谷口君の一番大きな加害は、896みたいな厨房を2chに呼びこんでしまった事…
自分が一番なんだね。自分が全てなんだね。一度社会に出て働け。かあちゃん
こき使わずに自分で飯作れ。洗濯もやれ。掃除も。公判で「相手も愛してくれて
ると思った」なんて言う前にな。

スレに関係あることを1つ。
俺も中学の時ヤキソバパンあった。Aセットはヤキソバパン・ハンバーガー(偽)・
マヨネーズコーン(違うカモ)だった。そして、単品で「銀チョコ」という、パン生地
のエクレアみたいなのがあった。これが男子に大人気で、弁当の奴も頼むもんだから
予告もなく違うパンになる。ある日、卵サンドになっていた。「そんなら金返せよ!
コンビニ行くから!!」と思ってしまった。銀チョコ90円也。

899 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 03:57
すみません。お願いします。あげないで下さい。
自炊もしてるし洗濯も掃除も全部やってます。一人暮らしです。
このスレでもネタをいくつか披露しました。受けたみたいです。
でももういいです。勘弁してください。
鯖も重くなるんです。読んでません読んでません。
お願いします。下げていきましょう.

900 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:39
>896・899
2ちゃんねる流 催促レスだよね。
わざと煽って、ほんとはレス沢山欲しいんでしょ?
みんなの話、もっともっと読みたいんでしょ?
分かってるよ。本心ではageて欲しくてしょうがないんだね!
素直になれない2ちゃねらーの君が、ス・キ!

901 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:45
あら失礼。気付かなくてごめんなさ〜い
真性M君だったのね〜>896

902 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 04:48
すみません。ありがとうございます。
なんだかんだで4つも反応してくれる純粋、無垢、
初心者な方がいました。
頑張って下さい。おやすみなさい。
うふふ。

903 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 05:13
>902
うひゃひゃひゃひゃひゃ
真性Mが捨て台詞を残しちゃ逝かん逝かん
「純粋・無垢・初心者」だって(爆笑)ぶははははは

904 :>902 :2000/07/06(木) 05:15
淋しいの淋しいの、飛んでけー!
ほら、もう淋しくなくなったでしょ?
オヤスミ。いい夢見るんだよ。

905 :902 :2000/07/06(木) 05:19
>904
アリガトウデチュ〜
ボクチャント〜〜ッテモサミシカッタノォォ
ホカノイタデハスキルガタリナイカラ、ボクチャンデモアオレソウナタベモノイタニシタンデチュ〜
オヤチュミナチャ〜イ

906 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 06:05
ものすごいアホが一人いるな…

907 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 08:48
ある寒風吹きすさぶ冬の夜、俺は自転車で家路を急いでた。
あったまろうにも田舎なので開いてる店もない。
やっとこさ自販機のあるところまで来て、
あったかい飲み物を求めて自販機でウーロン茶を買ったら
冷たいのが出てきた…しかも過冷却起こしてたのか、中身が凍ってた…
もう1本買おうにも小銭はなし。
半分泣きながら飲んだよ…

908 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:02
>905
かわいい♪

909 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:33
つい先日のことですが、後輩を金属バットで殴ったあと
母親を・・・・。
その後、四国へわたり自転車で88カ所参りをしていましたが、
あまりの空腹に耐えかねていたところ、農家のおばあちゃんが
おにぎりを作ってくださいました。
あの味は忘れられません。

910 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:37
四国88カ所を逆に回ると、死んだ人が生き返るんだってね。
頑張って!!



911 :>909 岡くんへ :2000/07/06(木) 11:43
88箇所回り終わったら警察へGo!



912 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 11:51
終わったなこの板.....

913 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 19:15
おいおい、煽りなんかで終わんないでよ。


914 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 20:36
あれ?道を間違えて・・。

此処はみちのく?

915 :名無しさん@1周年 :2000/07/06(木) 21:03
884はいいネタだね。

916 :名無しさん :2000/07/07(金) 02:23
909もいいネタだね。

917 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:22
秋田で捕まったよ、金属バッターは。
誰だ、四国って言った奴は?

918 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:24
同棲してた彼と別れる日。
私の部屋から彼の荷物を全部運び出して、
最後に食事でもしようかって、近所のロイヤルホストに行った。
エスニックフェアかなんかやってて、二人で同じセットメニューを
頼んだ。嫌いになって別れるわけじゃなかったから、顔を見てると
どんどん切なくなる。2人で赤い目をして鼻をすすりながら
「がんばろうね」「たまには遊ぼうね」って・・・。
そして料理が運ばれてきた。一口食べた瞬間に、2人声をそろえて
「まっずーーーーー!!!」
気分ぶちこわしで、笑っちゃいました。
ロイホを見ると思い出す(笑)

919 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 03:39
>918さん
 せつないやらおかしいやら(笑)
 味覚っていうものは感情を一瞬にして濁らせるのですねえ〜

920 :名無しさん@1周年 :2000/07/07(金) 10:09
>918 あいや〜。嫌いじゃないのに別れなくちゃいけなかったの?
そりゃ切ないなぁ。

921 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 00:19
あげとく


922 :gak :2000/07/08(土) 04:23
 5年程前、妻と結婚する2年程前のことです。当時、ボクは東京の大学に通っていて、
妻とは遠距離恋愛中でした。同時に、ボクには東京にとっても仲の良い女性がいました。
彼女はボクより3歳年上で、某ファッション雑誌でモデルの仕事をしていました。そして、
彼女にも遠距離恋愛中の彼がいました(彼は岡山在住)。ボクも、その彼女も、お互い
の相手に対して結婚の意志を持っていて、特に彼女は1年後ぐらいを目処に結婚すること
になっていました。

 彼女とはホントに気が合って、よくランチやディナーを共にしました。元々、ボクと、
ボクの妻と、その彼女は、3人ともが共通の友人であったために、妻が上京して来た時に
は、よく一緒に遊んだりもしました。お互い遠距離だったので、電話ゲンカの後とかは、
二人で飲みに行って愚痴を言い合ったりしたこともしばしばでした。

 そうこうしている間に、いつしかボクは彼女に惹かれるようになっていきました。想い
は日に日に募り、ある日、ボクは彼女に自分の気持ちを打ち明けました。すると彼女も、
ボクに対して友人以上の感情があることを告白してくれました。ボクは嬉しさと同時に、
複雑な悲しさのようなものを感じました。

 なぜなら、ボク達はお互いに大事な人がいて、しかもその人のことを嫌いになったわけ
ではないのです。結婚するつもりもちゃんと持っていました。ボク達は自分の気持ちをな
だめるように、今までのように気軽に会うことは止めにしようと言う結論を出したのです。

 しかし、やはりお互いに好きな気持ちを押さえることは出来ず、ボク達は友達として、
不器用に交際を続けました。プラトニックな関係ではありましたが、その分余計に頻繁に
会っていたのだと思います。

 ある晩、彼女はボクの下宿先に電話をかけてきました。懸賞のプレゼントで神戸牛の詰
め合わせみたいなのが当たったので、すき焼きをボクの家でやろうとのことでした。ボク
は快くOKしました。彼女がやってきて、二人ですき焼きをあーでもないこーでもないと
言いながら味付けし、楽しく食べ終わりました。さすがに神戸牛、とっても美味しかった
のを覚えています。

 食べ終わってボクがお茶を入れていると、彼女はちょっと照れくさそうに「式の日取り
が決まったの」と言いました。ボクは振り向いて「おめでとう」と言いました。すると彼
女は「私が岡山に行ったら、アナタは一人ぼっちでサミシイ日々を送らなきゃいけないわ
ね」と冗談っぽく言って笑いました。ボクも笑い返そうと思いましたが、もうこうやって
二人で遊ぶことも無いんだなぁ、と思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまっ
て、黙り込んでしまいました。彼女も黙ってうつむいたままです。ボクは彼女の横に座り、
彼女の髪の毛をなでながら、もう一度「おめでとう」と言いました。すると彼女はボク
を見上げるようにして目を閉じました。ボクは彼女の頬にキスをしました。彼女は泣いて
いました。ボクは、初めて彼女と手をつないで、彼女を駅まで送りました。

 結局ボクはその後、実際的な用事で彼女に2〜3回会ったきりで、結婚披露宴にも出席
しませんでした(妻は出席しましたが)。でも、手紙は書きました。その手紙には「あな
たのおかげで、とても大切な思い出が出来ました。ありがとう」とだけ書きました。

 今でもすき焼きを食べると、胸が切なくなります。ボクにとっては宝石のような思い出
です。そして、ボクは妻を愛しています。


923 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/08(土) 09:42
もてる奴ァいいなあ〜〜。

924 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:16
うちの実家は小汚い寿司屋を両親が経営しているのですが、そこにちょっと風変わりな・・・というか
かなりサイコパスなパートのおばはん(仮に”A子”)が勤務しておりました。
このA子、20年前に職安からの紹介でうちに勤め出したのですが。うちに決めた理由というのがなんと「あみだくじ」・・・。
このまみだくじ あながち外れておらず、うちに勤め出してから「A子、この世の春」が始まったのです。
A子はうちが寿司屋ということをいい事に、先ず大量に買い込んである米を無心することからはじめ
味噌、醤油、魚、など気づかれないように少量を盗んでは自分の車に積んでいました。
そのうちに店にある延長コード、食器、電球、などの備品が無くなりさすがに両親もこりゃ変だと勘付いたのですがいかんせんそこはサイコパス
職安から紹介された手前、二人共恐くてA子に「やめてくれ」などと言えません。
そうこうするうち、半分遊び呆けて就職活動などまともにしたかった小生が店の一員として加わりました。
小生の目から見てもこのA子、まったく汚らしく知性というか親切心の一片も無い人間に見えました。
ただこのA子、母性だけは人一倍存在していたようで。都会で働きにでている自分の子供が帰郷するときだけ嬉々としていました。
しかしここで普通と違っていたのは、息子が帰ってくる日は予め分かっていたはずなのに。昼休みの時、突然「息子が帰ってくるので帰ります」といって
そそくさと退社してしまうありさまでした。もちろんうちで作った惣菜を大量にパクって。

とある日思い悩んだ母から、上記の事を聞かされました。
「なめとんか」とA子に腹が立つやら、気の弱い両親に腹が立つやら

そしてある日A子の息子の職場に、ワープロ書きで差出人不明の手紙が届きました。
「こいつの母親は万引きの常習者で、勤め先の寿司屋から惣菜を盗んでいます。こいつはそこの残飯を食って育ちました。」
やがてA子は寿司屋を辞めました。

今までこのスレッドに書かれた皆さんは、食事に関する、楽しい思い出、辛い思い出、笑ってしまう出来事について書かれてきましたが
A子の息子は、1通の怪文書によって。いままでの家庭に関する食事の記憶は呪われたものになってしまいました。
食事をする度A子の話が出てきて「よくもまぁあんな非道い者が居たもんだ」といって笑い話になるのですが、何故彼女が辞めたのかは謎のままです。
最近ではもうA子の話は出てきません。

またこのスレッドに書き込めるような食事に関する思い出(笑い話?)も2〜3ありますが。あえてこのエピソードを投稿いたしました。

(夕食の残りの自家製”イカノ麹漬け”を缶ビール片手に食べながら)

925 :名無しさん@1周年 :2000/07/08(土) 23:47
恋愛の思い出かーいいなぁ。
もてる人がうらやまし・・・・はっ。ここ食べ物板だった・・・。

926 :名無しさん :2000/07/09(日) 20:26
>924さん
おいおい!何という思い出だ!
俺の心にちょっとした葛藤が生まれた!
別スレッドで、自家製「イカの麹漬け」レシピを公開すれば、
許さんでもないぞ!

927 :名無しさん@1周年 :2000/07/09(日) 21:00
中学生の時、鎌倉に釣りに行った。なぜか仲良くなった地元の少年
に「ウニの密漁に行こう」と誘われ、獲って釣り竿の尻で割って食
べたあのウニ。
 あれ以上美味いものを俺はもう20年も食べてない。


928 :名無しさん@1周年 :2000/07/11(火) 13:31
上げといていい?

929 :名無しさん@1周年 :2000/07/12(水) 16:28
 京都に住んでた学生時代、Ωが話題になっていた当時、京都にあるM24へ
友人数人と食事に行った。
 一人暮らしのおれはほんとに何でも喰ってた。バイト先のコンビニの
弁当の残りとか、賞味期限を3日くらい過ぎてカチカチになっても
平気で喰ってた。
 けど、地獄ラーメンはまじで喰えなかったよ。
 最初にスープを啜った時、まずい、とは思わなかった。ただ、やばかった。

 麺類って誰がどう作っても無難に喰えるもんだと思ってたんだけどなあ。
 Ωパワーにただただ震撼した21歳のある日。


930 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 03:19
某隔離板からの転載。個人的体験じゃないけど良い話だったので。

わたしが子供のころ、学校の勉強はきらいではなかったが、
わたしは体が小さく、また家も貧乏だったので、あまり満足に
ごはんを食べることもできず、学校の友達と相撲をとると
いつも負けて悔しい思いをしていた。

そんな私をいつも影から見ていてくれたのは、日本から、この学校に
教えに来た、若い女の先生だった。

ある日、学校が終わって家に帰ろうとすると、私の机の中に、
おむすびがいくつかはいっていた。
誰がそのおむすびをいれたかは、私にはすぐわかった。

家にそれを持ち帰ると、弟たちに半分食べさせて、残りを、自分で
食べた。

それは毎日のようにつづいた。時には当時貴重品だった卵がはいっていた。
そのおむすびを食べる時、いつも涙が止まらなかった。

ある日、急に、その若い女の先生が日本に帰ることになった。
先生はおむすびのことなんか一言も言わずに帰っていった。
先生が帰るのを私は列の一番前で、涙をこらえながら、見送った。

今の私の人格を作ってくれたのは、あの若い女の先生だったと、
今でも感謝している。(町田貢著:ソウルの日本大使館から:文芸春秋より)


931 :名無しさん@1周年 :2000/07/13(木) 09:26
上のお話って、ちょっとアレに似てるね。「やせたねずみと太ったねずみの
すもう」の昔話。でも、あげ。

932 :>931 :2000/07/13(木) 18:51
元が週刊誌の三流ライターだぜ、
ネタに決まってるじゃん。

933 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 03:26
ふむ

934 :スキピオ :2000/07/14(金) 15:35
おかんが作った「ナツメグまぶしたパスタ」
兄貴が作った「ゴマの代わりにピーナツを使用したほうれん草の和え物」
このある種、独創的な料理のおかげで
オレのミートソースには刻みクルミとココナッツミルクが入っている。結構旨い。
だけど「ナツメグまぶしたパスタ」は、ちょっと埃っぽかった。

935 :名無しさん@そうだ思い出を食べよう :2000/07/14(金) 17:59
あげ

936 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 18:21
>934
ビーナツ和えはウチでもやるよん
母が誰かから教えてもらったらしい
確かピーナツ砕いたのがお店で売ってるんじゃないかなぁ

937 :名無しさん :2000/07/14(金) 18:40

小学1年の時、ウチではご馳走は週末しか出ませんでした。
ある日、家に帰ると平日なのにトンカツが用意されていました
トンカツにはしゃぐ自分、そして会話を交わさない両親
複雑な心境で美味しいトンカツを食べた。
食事が終わり、洗物を終えた母は僕の手を取り二人で母の実家に・・・
車の中で母は僕に父と離婚した事を話した
「離婚」という言葉は当時、わからなかったけど、もう家族がそろう事は
ないという事だけは何となく分かった

今でも母がトンカツを作ってくれるけど、食卓に並ぶと何か悪い事が
起こりそうで怖い。トンカツは好きなんだけどね・・・
駄文でスマン。次!




938 :名無しさん@1周年 :2000/07/14(金) 22:12
勤務中なのにこのスレッド読み始めてこんな時間になってしまった。
いま頭の中では死んじゃったおじいちゃんのことで一杯で、目もうるうるです。

初孫の私が帰省すると必ず船を出して魚をとってきてくれました。でも、おじいちゃん
は食べずに、自分の横で日本酒をずーと飲んでました。
「おじいちゃんも食べやー」と言っても「うん」とか「ああ」しか言わない。
でもずーと横にいてくれる。自分が大学生になるころにはもう船にのることも
無くなったけど、自分が一緒にお酒に飲むことができた。そんなベラベラしゃべること
なんてないけどずーと一緒に飲んでた。
おじいちゃんの通夜のとき、朝までおじいちゃんの横で一人で飲んでました。
おじいちゃんの獲ってきてくれた魚の名前なんて覚えてないけど、ただただ
おいしかったことしか覚えてない。
あー、あかん会社で泣きそう。



939 :名無しさん :2000/07/15(土) 10:11
1へ>コレさ、いいスレッドだから・・・たまには何か書いて欲しい
   話じゃなくてもいいから。頼む
  
  


940 :名無しさん@1周年 :2000/07/16(日) 06:41
age

941 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 06:04
age

942 :名無しさん :2000/07/17(月) 09:35
記憶があいまいなほど幼少の頃の話なのですが、
ろくに仕事もせず遊び好きの父が作った借金を、母がノイローゼになりながらも
返済していました。
そんなある日、姉が高熱に見舞われ倒れました。
母は仕事に追われて姉の面倒をみることができず、父に看病を頼んで私を連れ
仕事に出かけてしまいました。
帰ってきたら、ほとんど意識のなくなりかけた姉の枕元に、バナナ1本と300円
が置いてありました。
それだけははっきり覚えています。
その後、両親は離婚して私たちは母と生活しています。
でも、今でもバナナが大嫌いです。

943 :じんせいくそだ :2000/07/17(月) 11:13
おんながおんでてく前の晩に作ってもらったばんごはんだよ、くそども。
んでな、豚肉の味噌漬けが残ったんで、僕はこれを一生冷凍保存すべし、と誓ったんだよ。
ところがだ、三ヶ月もしねえうちに食っちまったよ、ばかやろう。
人生はくそだと悟った気がしたよ。

944 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
>944
深刻な心の傷の話みたいだね。

945 :すまん :2000/07/17(月) 11:16
>942


946 :名無しさん@1周年 :2000/07/17(月) 11:52
どんどん悲惨な家庭自慢スレになってくな。

947 :942 :2000/07/17(月) 13:01
25年くらい昔の話なんでそれほど気にしてないですけどね。
その件のあと、バナナは保育園で食べきれなくて先生に怒られた
思い出もでき、益々嫌いになりましたけど(^_^;
今は恵まれているといっても過言ではない家庭です。


948 :幸せ家族ですが教育機関には恵まれなかった :2000/07/17(月) 18:41
幼稚園のころの話です。

私の通っていた幼稚園では,ちょうど私が年長組に
入った年から給食を園で作るようになりました
(それまでは業者のお弁当。かなり不味い)
お弁当と違い暖かい料理が食べられるので,最初はみんな喜んでいたのです。

ある日スープが出たのですが,それがもう筆舌に尽くせぬ酷い味で,
クラスの全員が「こんな不味いスープは飲めない!」と言いました。
でも先生は,せっかく職員さんが作ってくれたのだからちゃんと食べなさいと
耳を貸してくれませんでした。そこで,かっこうつけたがりの男の子が
「ぼく食べれるもんね〜」といって,一思いにそのスープを流し込んだのです。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

その後,スープを吐き出しながら白目をむいてその男の子は倒れました。

そのスープがどんなものだったのかはよく覚えていないのですが,とにかく不味かったのです。


そういえば,幼稚園で出たおやつのドーナツがあまりにも
脂っぽくて,気分が悪くなってそのまま熱を出したこともありました。

食中毒大流行の昨今では大問題になりますね。この幼稚園。

949 :んまい。 :2000/07/18(火) 07:49
子供の頃に食べた、あれ。

950 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:30
感動でもなんでもなくていまだに「?」なもの。
高校の時、仲良しの友達が出来て週末家に遊びに行った時のこと。
出てきたお昼ご飯がおいなりさんだったんだけど、
油揚げもごはんも味がついていなかったのです。
ただ油揚げを切って開いて、ふつうのごはんをつめただけ。
友達は普通に「美味しい」と食べていたのでびっくりしました。
あれは何だったんだ!?

951 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 10:37
950>その友達は可哀相だね・

油揚げを「肉」と育てられ、恥をかいたという知人もいます。
親を恨むしかないですね。いあや、感謝すべきか?

952 :彼女の手料理 :2000/07/18(火) 11:09
僕は以前、遠距離恋愛をしていました。
会えるのは良くて1ヶ月に1回。だいたいは2ヶ月に1度ぐらいでした。
そのため、会った時はほとんど外食をしていました。外食のほうが美味しい物を
食べられるし、リッチな気分も味わえるからです。
僕の家で食べることもあったのですが、僕は料理が得意だし、彼女がわざわざ
はるばる来てくれたので、作るときはいつも僕でした。
彼女は僕の作った料理を、いつも「おいしいよ」って言いながら食べていました。
しかし彼女は、僕の手料理を食べるたびに自分自身は料理が作れないのを
気にしているようでした。僕はそんなことにも気づかずに、「女の子だし料理ぐらい
作れなくちゃね」とか言ってしまいました。彼女は笑いながら「これから
一生懸命勉強するよ」とか言っていましたが、僕は言葉だけだなと思って
期待は全然していませんでした。
ある時僕が彼女の家に行くときがあって、そのとき彼女が料理を作ると
自分で言いだしたのです。びっくりしたものの、待つことにしました。
しかしいつになっても料理は出てきません。心配になって台所を見ると
僕の10倍以上の遅さでタマネギをみじん切りしていました。
「見ないで」と言われたので更に1時間以上待っていました。
何が出てくるのか楽しみにしていたら、出てきたのは白いご飯にみそ汁、
それにケチャップのかかった卵焼きだけでした。見た目も・・・って感じの。
味も予想通りでした。みそ汁は薄いしご飯は堅い。卵焼きは中身のタマネギとかが
生っぽい。でも、「おいしいよ」って言って食べました。いつも彼女がしていて
くれたように・・・。それを聞いた彼女の満足そうな笑顔と、自分では
「おいしくないよー」って言っていたのが今でも忘れられません。
結局彼女とは色々とあって振られてしまいましたが、あの時の彼女の手料理が
最初で最後でした。今こうして振り返ってみると、上手じゃなかった料理
だということと、もう1つだけはっきりと分かることがあります。
彼女が僕のことを心から想って、一生懸命に作ってくれたことです。


953 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:31
>952
 あなたは本当にステキな人ですね。

954 :名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 13:03
嘘つきともいいます。

955 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 02:20
パパの肉棒

956 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:12
嘘、かな
同じ物でも食べる場所で味が違うこともあるし、
彼女が一生懸命作ってくれたら、美味しいよ

957 :名無しさん@1周年 :2000/07/19(水) 15:42
合宿(真夏)で食った納豆が何故だか
アンモニア臭を発していた。
あれは明らかに納豆の匂いとは違っていた



958 :ひさびさに :2000/07/20(木) 18:05
age

959 :名無しさん@1周年 :2000/07/20(木) 18:32
その2に移ったんじゃないの?

960 :名無しさん@1周年 :2000/07/21(金) 13:54
学生の頃の話。
つまらない交通事故で2ヶ月ほど入院することになった。
その頃付き合ってた彼女とは3年目に入り、何となくすれ違いが
多くなっていたのだが、心細い入院生活で彼女のありがたみを感じ、
退院したらまた新鮮な気分でやり直せるんじゃないかという気になった。

退院後始めて彼女が家にやってきた。 モエのボトルを抱えて。
手料理で退院祝いをしてくれたのだ。
僕たちはささやかな贅沢として、何かあった時はシャンパンを買って
飲んでいたので、僕にとっては素敵な退院祝いの贈り物。
食事を終え、シャンパンに舌鼓をうち、僕はご機嫌だった。
彼女にこころから感謝し、これからも仲良くやっていこうと思ったその時、、
彼女は突然泣き出し、別れ話を切り出した。
やっぱりもう駄目なのかな、、とぼんやり彼女を眺め、
その時は割合冷静だったのだけど。
しかし、彼女が去り、松葉杖の自分だけが取り残され、
とてつもない孤独と喪失感が襲ってきたのだった。
シャンペンのボトル、しばらく捨てる事ができなかったよ。
今でも、ワイン売り場に行くと、たまにあの時の事を思い出す。




961 :遠山景完 :2000/07/21(金) 21:08
>960
アナルやねえ、、、、、、、、、

962 :960 :2000/07/21(金) 22:35
>遠山景完

もっへーーん

963 :名無しさん@1周年 :2000/07/21(金) 23:57
おじいちゃんが毎朝作ってくれた味噌汁。
もう2度と食べられない・・・。

964 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:18
久々に全部読んだ。1を書いたのが2月の末だから、5か月かかって
ここまで来たんだな。あらためて1つ1つ読んでいると、やっぱり
涙が出てきた。悲しい話や、やるせない話もそうだけど、幸せそう
な話や楽しい思い出でも少し涙が出た。おかしいかな。

少し裏話など。1はもちろん本当の話だ。っていうか土曜日の昼に
スパゲッティ作って食べたら、昔のこと思い出して、泣けてきそう
になったんだ(おれは泣き虫かっ)。それをその日に書いてみた。
清水義範っていうおかしな小説を書く作家がいるんだが、その人
の小説『時代食堂の特別料理』(短編集「国語入試問題必勝法」)
を少し思い出したりした。あんな話が聞けたらいいなってね。


965 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:21
あと、1を書く少し前に、別のスレッドで、自分のお母さんの話を
書き込んだ人がいたんだ。もう消えてしまったから全文引用するぞ。

29 名前: こらっ 27はわたしじゃないぞ 投稿日: 2000/02/23(水) 23:53

 1です。う〜。ちょっと目をはなしたすきにえらいことになってるな〜。
 業界の舞台裏を教えてくれたみなさま、ありがとうございます。
 それでね。そりゃあ、どーせわたしは味音痴だわよ。でもね、クノール
 スープって今まで食ったことが無かったんだ。なんかキョンキョンが
 宣伝してた(古い?)のは知ってたけど。
 わたしのかーさんはね、ジャガイモやカボチャを裏ごしゴシゴシして、
 スープを作ってくれるんだ。母さんインスタントでも美味しいらしいよ
 なんて言ったら、今でもパンチだよ。わたしもひとり暮らしはじめて
 長いから、インスタントで間に合わせること多いよ。「あさげ」なんて
 定番だわ。でもかーさんには言わないんだ。カツブシでだしをとるなんて
 あっという間じゃないの、なんて説教くらうの目に見えているから。
 だからインスタントが不味かったからじゃないんだ。どーせ味音痴の不肖の
 娘なんだから。ただなんとなく悲しかったんだ。子供のころ一家で洋食屋
 さんに行くと、かーさんはいつも「美味しいねえ。どんなだしの取り方
 してるんだろうねえ」って言うんだ。コックさんはそれを聞いて「私ら
 これが仕事やから」って笑ってたんだ。そーいう思い出があるから、なんか
 裏切られた気がしたのかもしれないだね。
 う〜ん。支離滅裂ですね。書いててなんかせつなくなってきたから、
 とりあえず今度の休みには、久々に実家に帰ることにしよう。
 修行するぞ(ってどこかで聞いたセリフだ)。

前の部分がないので、ちょっと分かりにくいかもしれないが、おれは
読んでいて、いいなと思った。こういう話って、あまりここでは書く
人がいなかったんだよ。だからこんなレスが読みたかった。


966 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:22
そんなこんなで、ちょっと期待して1を書いて、スレッドを立ててみた。
信じられないかもしれないが、最初はあまりレスがつかなくて、すぐに
沈んでいったんだ。おれも「まあ、こんなもんかな」と思ってた。
それをひっぱり上げてくれたのは、>>14 のホットミルクの話を書いて
くれた人だ。そして、このスレッドの流れを決定づけたのが >>17 さん
のおばあちゃんのおにぎりの話だった。お二人が、本当の意味で、この
スレッドを始めたことになるのかもしれないな。

人が亡くなる話は数多くあったし、中には悲惨といってよいぐらい悲しい
話もあって、食べ物板にふさわしくないと思った人もいたかもしれない。
おれ自身は、ただもう圧倒されたというのが正直なところで、内容について
はどうこう言う資格もないんだが、それでも、ここで、こういう数多くの
体験を聴かせてもらったことは、とてもよかったと思っている。
書き込んだ人が、過去の自分の経験を冷静に語ることのできるその強さが
おれにはとてもまぶしかった。

このスレッドの中で、おれの特別に好きなエピソードというのも当然ある
んだが、それを言っても仕方がない気がするので、そのかわりに、ここに
出てきた食べ物を全部書き出してみた(暇なやつだと笑え)。
こうして見ると、たいした食い物じゃない、ありふれた食べ物がほとんど
だ。思い出に残るのは、ささいなもの。


967 :もの食うひと :2000/07/25(火) 05:25
少しだけおれ自身の近況など。
2年間付き合ってた彼女と別れたんだ。去年の春、彼女と京都で食った
「苺のブランマージュ」(うまかったんだ、これが)っていうデザートが
思い出リストに加わってしまった。そして、今はもうお祭りの季節だ。
家にいても遠くから祭りばやしが聞こえて来る。ゆかたの彼女とタコ焼き
食ったのも去年の話だ。…いかん。こんなこと書いてると、また「情けない
やつ(>>749)」と言われてしまう。
今を生きてる人は、思い出話なんかしないのかもしれない。
おれも今を頑張ろうと思う。でも時々はこういうふうに思い出に浸るのも
悪くないんじゃないかな。
そういえば、何を血迷ったか、お袋が見合い写真を送りつけてきたんだ。
「料理が好きな娘さんだって。お前にぴったりだよ」と電話で言ってた。
まったく、お袋には油断もすきも見せられない。それはこのスレッドに
書かれてある数多くの実例が示すとおりなんだが。

それじゃ、第一部の終わりということで、おれもさよならだ。
途中、何人かの人に、1はちゃんと読んでるか? 1もなんか書けって
言われたけど、何も書けなくてごめん。でも名無しで1行レスは時々
書いてたんだ。2chのシステムは1の文章が、常に全文表示されている
じゃないか。その下の素敵な文章と、いつも対比されてるようで、
なんか恥ずかしかったんだ。そのかわり、最後になってだらだらと書いて
しまった。

書き込んでくれた方、ずっと読んでくれた方、本当にありがとう。
よかったらpart2もよろしく。

968 :ここに登場した食べ物1 :2000/07/25(火) 05:32
スパゲッティ、ビックマックとスプライト、学食のカレー、給食のハム
サンド、シュークリーム、マック、メンチカツ定食、ばくだん、ホット
ミルク、おにぎり、ずんだもち、魚のてんぷら、味噌炒め、カール・さ
つまいも、餅、ごはん・みそ汁・煮物、ガム、スナック、弁当、野菜炒
め・味噌汁・餃子、ポテトサラダ、餅をうすーく切ってある程度の期間
干して油で揚げたお菓子、乾パン、ギョーザ、サシバ、あけがらす?、
ウニ、小鳥、袋菓子、赤犬、卵焼き、お雑煮、たらの芽、卵焼き、サン
マ、バターケーキ、レディーボーデン、クレープ、ミロ、おにぎり、ス
イカ、カルボナーラ、卵かけご飯、お弁当、初給食、オムライス、給食、
豚肉のしょうが煮、クリームシチュー、芋のオレンジ煮、ハンバーガー
とポテトフライ、つぶ貝の醤油たれの串焼き、カレーライス、イチジク
の甘露煮、ロールケーキ、バニラアイス、コロッケ、蕎麦がき、唐あげ、
チャーハン、白いご飯、雑炊、シュウマイ弁当、マシュマロ、チョココ
ロネ、梅しそ巻、おぼろ豆腐、キャベツ、お好み焼き、黄金飴、卵焼き、
おせんべい・チャーハンの素・レトルトカレー・豚肉こま切れ・りんご、
インスタントラーメン、マヨネーズ、ごはんですよ、イチジクのジャム、
生麩、スイカジュース、お好み焼き、サイコロステーキ、ケーキ、ホッ
トドック、カップラーメン、パイナップルの缶詰、オムライス、ご馳走、
おつまみ、UFO焼きそば、にゅうめん、クリームソーダ、つぶつぶオレン
ジ、納豆、羊羹、カルピス、お母さんの料理、ステーキ、ビール、夕飯、
みそ田楽のおにぎり、サンポーの焼豚ラーメン、バナナ、カレーライス
・親子丼・ビーフシチュー、ビール、エビピラフ、梅干し、おそうめん、
サンドイッチ、卵かけご飯、ポテトチップ、ハンバーグ、ラムネ、メロ
ン、チキンカツ、カキ鍋、ひまわり種、ほうれん草のたまごとじ、イン
スタントラーメン、天津甘栗、すいとん、アイスケーキ、唐揚げ・ミー
トスパ・カレー・ハンバーグ、ポテトチップス、弁当、特上のすしとビー
ル、ロシアケーキ、牛乳、デコレーションケーキ、ラーメン、みたらし
団子、毛がに、そばつゆと間違えたアイスコーヒー、から揚げ、チーズ、
親子丼、日清焼きそばUFO、納豆、カレーライス、コーラ、カレー、


969 :ここに登場した食べ物2 :2000/07/25(火) 05:36
やきそば、ヨーグルト、インスタントラーメン、続いてインスタント
ラーメン、鶏、クリームシチュー、そうめん、給食、バニラエッセンス
の入ったチャーハン、バーベキュー、キムチ鍋、ハトのエサ、鹿せんべい、
手打ちうどん、冷凍うどん、スキヤキ、八宝菜、お弁当、納豆、ハンバー
ガー、カロリーメイト、回鍋肉・イカとセロリの炒め物・コーン卵
スープ、弁当、いちご、たこ焼き、ベーコンとサヤエンドウのバター炒め、
あじのたたき、カルボナーラ、串団子、野菜の煮物・さつま芋の砂糖菓子、
あんみつ、野菜炒め、カレイのあんかけ、海苔弁に焼いたポークソーセー
ジを乗せただけの弁当、筑前煮、ケーキ、大トロと牛タン、五目ご飯、
うなぎの蒲焼、唐揚、鉄板で焼いた貝、味ご飯、天ぷら蕎麦、ホワイト
ソースピラフ、御飯、透明のリンゴジュース、焼肉、白米、ラーメン、
たこ焼き、ラーメンと炒飯、グレープフルーツ、カステラ・千切りキャ
ベツソース掛け、カステラ、海外行った時のおいしい料理、焼きそば、
おにぎりとキットカット、弁当、焼肉弁当、ごはん、ジャガイモ、
オムライス、卵焼き、ご飯と伊達巻だけのお弁当、カレー、ソースカツ、
デカビタC、水羊羹、餃子、ホウレンソウのホワイトソース煮、肉じゃ
が、メバルの煮付け、肉じゃが、ほうれん草とベーコンのスパゲッティ、
アーモンドチョコレート、クッキー、おにぎり、根室の大宴会、ピーナッ
ツバター、焼肉、アイスコーヒー、鯖のぬか味噌煮とぬか漬け、カレー、
みたらし団子、鍋、バーベキュー、たきこみ御飯・味噌汁・マーボ春雨
・ワカメのサラダ・酢豚、お袋のゲテモノ料理、焼きプリン、寿司、コー
ラ、羊羹、おにぎり、コンビニのおにぎり、サラダ、さつまあげ・焼き
飯、メロン、クッキー、味噌汁、サッポロ一番、手作りチョコ、ピザ、
肉野菜炒め、コロッケ、チキンライス、10歳で作った料理、カツ丼、竹
筒に入ったスープ、ササミ、ハンバーグ、お弁当、運動会のごちそう、
パチンコの景品のお菓子、おつまみ、林間学校の食事、給食、柿、豚肉
のすき焼き、おでん、たいやき、魚肉ソーセージ、おせち、アイスクリー
ム、ミスタードーナツのスープ、パン、煮物、漬物ばっかりの夕食、水、
雪見だいふく、コーラ、ハンバーガーとコーラ、大量のディナー、カボ
チャの煮つけ、カップラーメン、ラーメン、エビフライとタルタルソース、

970 :ここに登場した食べ物3 :2000/07/25(火) 05:39
中華料理、お弁当、海老の活け造り、おにぎり、カレー、お母さんお手
製の食事、ふがし、サンドイッチ、もやしの味噌汁、塩辛いサラダ、
焼きそば、鳥すき焼き、お刺身、鶏肉、ぶどう、磯部巻き・ラーメンま
たはたぬきうどん・あんみつ・ところてん・ソフトクリーム・コーラ、
オニギリとゆで卵、ペプシとホンコンやきそば、揚げピー、きゅうりの
漬物、ケンタッキー、夕食、キャリーブルストとポムス、カレーライス、
おにぎり、コーンポタージュ、グアバ、ココア、チョコレート、かます、
すったリンゴ、カニ、天ぷら、スイカ、生肉、ごはん、ナポリタンスパ
ゲティー、ラムネ、ラーメン、ハンバーガー、サンドイッチとクラッ
カー、ミートソース・スパゲッティ、しょうが焼きと味噌汁、冷凍みか
ん、ゆで卵、ワンタンメンと餃子、オマエのメシ、ワイン、もつ、紙パッ
クのジュース、お菓子がはいったブーツ、モスバーガー、大根の煮物、
のり弁、のりだんだん、カレーだんだん、ご飯・みそ卵・ご飯・鶏そぼ
ろ・ご飯・海苔だんだん、ごはん・おかか・のりだんだん、にくだんだ
ん、オニギリ、キノコが入ったみそ汁、お子様ランチ、お菓子、かに道
楽のお寿司、野菜炒め、お袋の作る飯、カップラーメン、とんかつ、
チャーハン、こおりみず、ブドウ、すき焼き、ライスカレー、野菜いた
め、お弁当、ジュース、ステーキ、ハンバーク弁当、寿司、インゲンの
ゴマ和え、ハンバーグ、コロッケ、カップ麺、やきそばパン・ミートソー
スパン・チェリオオレンジ、銀チョコ、ウーロン茶、ロイヤルホストの
食事、すき焼き、ウニ、地獄ラーメン、おむすび、ナツメグをまぶした
パスタ、トンカツ、魚、バナナ、豚肉の味噌漬け、スープ、おいなりさん、
彼女の手料理、シャンパン、味噌汁。


   大切な思い出を語っていただいた方々に、心から感謝します。

      ・・・ごちそうさまでした。とても美味しかったよ。


971 :名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 07:39
北九州戸畑区大谷近くにある、「焼き鳥屋ポパイ」ってまだあるのだろうか?
開店時僕は小学生だったんだけど、豚バラが大好きでいつも20本近く注文してたっけ。
その後、父の転勤で東京に行くこととなり、疎遠になってしまったけど
それから10年近く時が過ぎて久し振りに訪れたとき
おじさん僕のことを憶えていてくれてた。
あの時はとても嬉しかったよ。
まだお店はあるのかな?
近所に住んでる人が居たら教えて下さい。
「開店時によく来ていた、豚バラばかり注文する子供(あ、あとイカとか)」
と言えばまだ憶えていてくれるかも(^^)
 
このスレ読んでて「今年は帰郷しよう。帰郷した時は必ず寄ってみよう」
そう心に決めました。
みなさんありがとう。




972 :ぞまほん :2000/09/25(月) 14:56
トウモロコシの粉を熱いお湯で溶いて砂糖を入れたスープがココです。

973 :名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 14:25
過激な恋愛っていう板にも「忘れられないセックス」(だったかな)
ここと似た様なのがあるよ。

974 :名無しさん@1周年 :2000/09/29(金) 04:56
名前を付けて保存



975 :いやぁ :2000/09/29(金) 10:10
3日かけて全部読んだっす。
パート2ってないの?

976 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 11:18
みなさん泣かせの創作活動に疲れきってネタ切れです。

977 :もび :2000/09/29(金) 11:57
ウチの母は料理全くダメで子供の頃から外食ばっかりだったし、
たまに作る料理もえらい評判が悪かった。
だから中学にあがって給食がなくなると、毎日500円玉を渡されて
自分で適当に学食いったり、パン買って食ったりしてました。
結局遠足以外でお弁当持たされたのは10日もなかった。

しかし俺が大学入試でセンター試験を受ける朝、
そんな母が早起きして弁当作ってた。別に頼んでもなかったのに。
それを見て親父が妙に感心してたなぁ。

おかげで無事に大学合格できました。おかんに感謝。


978 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 14:09
>>975
自分で探すくらいの努力はしてね
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=961373743&ls=50

979 :いやぁ :2000/09/29(金) 14:26
975だけど、いやぁ、仕事しながらだから
なかなか、どーして。(意味不明)
>978、サンキュー。

980 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 07:04
あげ

981 :Miss名無しさん :2000/10/05(木) 08:27
マン汁

982 :ハッカーじゃないほうの山田 :2000/10/06(金) 10:09
かちゃんのオムレツうまいぜ!
また食いたいぜ!
明日帰るぜよ。


983 :赤い扉 :2000/10/25(水) 12:34
幼稚園のころ、自宅の隣にひいじいちゃんとひいばあちゃんの家があったんですけど、
自宅では飲ませてもらえなかったコーヒーをひいばあちゃんが作ってくれるので、
よく飲みに行ったものでした。

で、そのコーヒーってのがお中元か何かのセットのヤツだったんですが、ある時、
一緒に入っていたクリープの使い方がわからなくて、クリープのみをそのまま
お湯に溶いたヤツがでてきたのを覚えています。

今となってはいい思い出です。

984 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/25(水) 23:40
書き込む人はこちらに書いて下さい。このスレは終了しました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=961373743&ls=50

985 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/27(金) 13:17
そうだね

986 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/27(金) 19:43
>977
その弁当にあたらんでよかったな。試験の日やのにな。
俺やったら途中の駅かどっかで捨ててしまうなあ、そんなお母んやったら。

987 :彼だったんだけど :2000/11/01(水) 00:52
もうずいぶんと前になるんだけど、
付き合っていた彼女とクリスマスパーティをやろうってことになって、
ゴールドクレストって、小さなもみの木みたいな木があるでしょ?
あれとやっぱり小さなミルクパンと白ワイン、チーズ、パンを買って、
チーズフォンデュを作ったことがあった。
高校生の時から6年間も付き合っていて、当然結婚するものだと思っていて、
でも社会人になるとお互いに将来を真剣に考えるようになって、
考え方の大きな違いに気付いて別れた。

でね、その時のゴールドクレストはうちの庭で、
自分の背丈の3倍近い大きさになったんだけど、
見るたびに、その時に食べたフォンデュの味が思い出されて...
フォンデュって甘酸っぱくないはずなのに、そんな味だった気がするんだよ。

988 :もぐもぐ名無しさん :2000/11/01(水) 01:29
>987
叩かれないようにね。

989 :まじ学生 :2000/11/01(水) 02:10
6年前くらい、僕が中学生のときです。僕は週に一回アコースティック
ギターの教室に通っていました。家からは遠いので、いつも親に送迎して
もらっていました。いつもは母の担当なのですが、たまに父が送迎してくれる
こともあります。父は、僕の練習が終わる頃になるとファーストフードで
ハンバーガーとポテト、ジュースやアップルパイなどをたくさん買って車の中で
待っていてくれました。車の中はハンバーガーの匂いが充満していて、練習が
終わるのは夜でお腹ぺこぺこでしたので、父が送迎してくれるときはそれがすごく
楽しみでした。

そんな父も数年前、ガンで亡くなりました。薬の副作用で周りの人間に
暴力を振るうようになったときも、一人息子の僕にだけは決して手を
あげませんでした。

今では65円のハンバーガーが一人暮らしに大きな存在の毎日ですが、あの頃の
ハンバーガーは本当においしかったです。


990 :ぱくぱく名無しさん :2000/11/01(水) 03:18
パート2に書けっての。

991 :もぐもぐ名無しさん :2000/11/01(水) 03:50
>>989
気のせいです

992 :nanasino gonbei :2000/11/05(日) 13:46
>1
aa,onnaji oremo itamesi.......betsuni aiteno koha
naitehainakattakedo(atarimaeka) nanka mise kurakute funikiha
yokattane, tada oremitaina otokoniha niawanai basyodattanaa...
chinamini ryouri ha umakattayo.

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