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思い出に残る食事

774 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:44
日本のどこかに(まさかに海外ではあるまい)
そういうねぇちゃんがいるって思うだけでも
なんか いーじゃん。

どこの誰かも知らないけど 妹も応援したくなる。
もちろん お母さんもね。

775 :>770 :2000/06/09(金) 11:46
>「思い出に残る食事=思い出に残る人」なんだよね。

良いこと言うなぁ ほろリ (T_T)

776 :へんみよう :2000/06/09(金) 11:50
やっぱり、やっぱり、人間ってもの喰う生き物なんだなぁ。

777 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 11:50

1つ違いの妹が小学校5年生の時に初めて料理をした時の話。
確かナポリタンスパゲティーだったけど、すっごくしょっぱかった。
俺はとてもじゃないが食えないみたいな顔をして、横で食ってた
親父を見てた。親父はうまい、うまいって言いながら食ってた。

最後に妹が自分で食べた時、思わず大泣きしてしまった。なんで
こんなにしょっぱくてまずいのに、言ってくれないのって。
俺は自分がどっちにすべきか当時は分からなかった。嘘をつくのか
気を遣うのか。

今はもう結婚して元気にしている(と思う)妹の最初の料理。
あの味と涙を知っているのは家族だけ。だんなは知らないと思うと
少し得意になってしまう。

778 :771 :2000/06/09(金) 12:12
ごごご、ごめんなさい。
なんか思い出に残る食べ物、っていうスレッドの主旨から外れてるかも?
って書き込んだあと思いました。
もうちょっと文章うまいといいんだけど〜。
ただ、なにげない毎日の食事でも、ひとつひとつが大切で、
おかわり2杯した妹の朝食が、家族にとって嬉しい思い出のひとつになってる
ってことが書きたかったのでした。
不快に思った方、ごめんなさい。
このスレッドすごく好きだから、わたしの話は飛ばして、どうか長続き
してくれるように願ってます。

779 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 12:27
だから、
妹にあてた文章にしなければいいわけよ。
エピソード自体はいい話なんだからさ。
妹にあてた文にすると、じゃあ本人に言えばいいじゃん?
ってことになるじゃん。それは極私的なことになっちゃうから
他人には文句もつけられない領域になってしまうのよ。
家族がかけがえのないのはわかるけど、それは逆に言うと
家族でない者にとっては他人でしかないんだから
それに読んでもらうためには、たかだかこういうスレッドでも
読み手の気持ちや普遍性やらを考えた方がよくって、
結果的にはみんな幸せになれるのよ。
つまり、子供の描いた絵の方が下手に描く技術を覚えた中学生あたりの
絵よりもすなおに人の心をうつようなもので。

このレスも余計ちえば余計だけど、771さんが文章うまくなりたいのなら
と思ってあえてレスつけました。くりかえしになるけど、
エピソード自体は悪いわけじゃないと思う。

780 :771 :2000/06/09(金) 13:59
>779さん
ありがとうございます。
顔が見えない、声が聞こえないからこそ、みんなにわかってもらえるように
心をくだかなくちゃっていい勉強になりましたです。m(_ _)m
これから精進していきます!(余計レスごめんなさい)

781 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 15:11
このスレッド、読みづらい。
何考えてるんだ。>779

良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
厨房でなくても、馬鹿かと思う。


782 :>781 :2000/06/09(金) 16:00
>良い話の合間に、つまらない上げが多くて邪魔。
マジネタと思ってる厨房発見!
泣かせだろ?(ワラ

>厨房でなくても、馬鹿かと思う。
オマエモナー

783 :小6の時 :2000/06/09(金) 16:11
 近所のおばさんや同年代の子たちと天理教のおぢばがえりに行った帰り、
途中の天理教支部でラムネを振舞われ、喉の渇いていた私はそれを
一気に飲んだが、急ぎすぎてかなりの量のラムネが喉に詰まった。
食道に多量の液体がつかえる圧迫感と炭酸の強い刺激が合わさって、
たった10秒ぐらいではあったが、地獄のような思いをした。それ以来、
炭酸系を飲む時は必要以上に慎重に飲むようになった。

784 :>783 :2000/06/09(金) 16:26
池田○作の呪いです。

785 :ちょっとかなしい :2000/06/09(金) 16:32
ここ、すっごくいいのに、最近、余計なことを書く人が多すぎる。
そういうの、やめませんか?
それぞれが自分の思い出を書きこんで、それを読んでそれぞれが感じれば
いいんじゃないでしょうか。こんなことを書くこと自体、気がひけたけど、
せっかくいいスレッドなので、このまま続いてほしいと思って書きました。

786 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 16:33
何年か前、尊師がやっておられた安かろううまかろう亭の
味がわすれられません。

787 :>786 :2000/06/09(金) 16:47
阿羅漢のお好み焼き・・・
尊師にももう一度食べていただきたいです。

788 :ラーメン :2000/06/09(金) 17:04
ここ 凄くいいですね。
つまらん話ですが、わしも寄稿させてください。

中学生の時のことです。
その日の晩御飯にと、母がインスタントラーメンを茹でていました。
ふと見ると、日○やきそばの袋もそこに・・・。
わし「なにこれ? まぜたの?」
母親「うん ちょっと足りなかったから。 茹でちゃえば一緒でしょ?」
当時、中学生2人と小学生1人の育ち盛りの子供をかかえた母は、いらん
気をまわして麺を増量してくれたのでした。
それだけなら「まぁ下触りとかが違うだけだろう」と我慢できたのですが。
なんと母は、袋麺に同封の“焼きそばソース”を、スープに混ぜてしまった
のです。 とたんに台所中に立ち上る、あの独特の香り・・・。
生まれて初めて、母に向かって暴言を吐きました。
「なにしとるんじゃあ! おまえアホかぁ!」 って。
母親 ビックリした顔でしばし沈黙。 そして、泣いちゃいました。
その後、気まずい雰囲気の中で食べた、あのラーメンの情けない味。
忘れられませんね。 忘れたいんだけど・・・。 (^^;)ゞ
かあちゃん あの時は怒鳴ってゴメンね。

789 :すみません :2000/06/09(金) 17:05
本文8行目 「舌触り」の誤りです。

790 :名無しさん :2000/06/09(金) 18:47
>786
「はるまげ丼」が印象に残ってます。
春巻きを見るたびに思い出します。

791 :名無しさん@1周年 :2000/06/09(金) 19:36
煽りは無視

792 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 00:26
大学時代、俺も彼女も自宅通学だったので、
エッチの時はラブホテルを使っていた。
そのホテルは、昼間はデイサービスで4,500円払えば、
夕方まで居座ることが出来た。
俺と彼女は朝の8時に、ホテル近くのコンビニで食糧を買い込み、
それをホテルに持ち込んでいた。

食べて、エッチ、寝て、起きて、またエッチ、食べる。
この繰り返し。
食欲と性欲、そして睡眠欲。
人間の三大欲望を、一度に満たしていたわけだ。

裸のまま、二人でむさぼり食っていた冷めたハンバーガー。
炭酸の抜けたコーラ。

彼女は今、どうしているだろう。


793 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 07:10
ケチつける書込み見ると
書いた方はもちろん、文章に登場する方達がもっと悲しい思いされるようで
なんかすごくつらいです(亡くなった方であればなおさら)

794 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 09:31
>729さん  なんかいいです。若くって。彼女とは別れちゃったんですね。

795 :天才厨房 :2000/06/10(土) 10:32
>ここのスレ長いよー。読むの面倒だよー・・・って奴らへ

俺様がランダムに選んでおいたから読め。そんでもって泣け。
>>21 てんぷら >> 34カールとさつまいも
>>49 乾パン >>164 ご飯ですよ
>>167 スイカジュース >>176 パイナップル缶詰
>>252 ハンバーグ(前編) >>253 ハンバーグ(後編)
>>313 から揚げの絵 >>537 おにぎり
>>628 ソーセージ >>707 万引き

泣いたか?だったら笑え。
>>381 と >>388 ケンタッキーと厨子王
>>401-402 うなぎと厨房
>>454-456 と >>460 弁当ラプソディ
>>461 ごはんですよ!

どうだ?こんなにいいレスが他にもいくつもあるんだぜ?
だから四の五の言わずに全部読め。会社で読んでる奴は早引け。
一日かけて読んでオモシロカナシズムに浸れ。じゃあな。

796 :名無しさん@1周年 :2000/06/10(土) 10:40
大学に入って、可愛い女の先輩にコロッと騙されて参加した
統一協会のセミナー・・
ビデオセンターに監禁され、朝の8時から夜のの1時まで説教と
洗脳と訪問販売に明け暮れる毎日。
セミナー中、逃亡されないようにと協会が差し入れてくるのは
サンドイッチとクラッカー。
忌まわしい記憶と一緒に封印されたその味ももぅ思い出せないなぁ・・
僕は学校を中退して逃げ帰ったけどあの先輩はどうなったのかなぁ・・
そういやあの支部から人死にが出たって聞いたけど、
彼女じゃないだろうなぁ・・ もしそうだったらもったいないなぁ・・
逃げる前に置きみやげ代わりに食っちゃっておけばよかったよなぁ・・・・

797 :>788 :2000/06/10(土) 11:42
かわいいお母さんじゃないか! ソース入りラーメンはちょっと
遠慮するけど。

798 :名無しさん :2000/06/10(土) 12:14
>795
 750が泣いてるぞ。

799 :>777 :2000/06/10(土) 12:29
こんにちは。私にも同じような経験が、、、(^^;もっとも作ったのは私自身ですが、、、

二十歳の頃、何を思ったのか、私はミートソース・スパゲッティを手作りしようと思い立ちました。
煮こみ用のトマトを探し、最初から作ったのですが、当時はスパゲッティなどというのは外食で食べるもの、
パスタ自体も茹でたことがありません、で、、、塩を入れるのも知らなかった私でした。
おかげでできたスパゲッティはしょっぱくて(;;、、、母と妹は「しょっぱすぎる」と一言、、、
私もそう思ったけど、苦労して作ったものを否定されたようで、なんだかむかつき、
怒りとみじめさで。涙が出ました。

翌日、残っているミートソースをみたら、ますますむかついて、
全て、自分で食べてしまいました(^^;
あとで妹に「なんだ、食べちゃったの?今朝食べようと思っていたのに、、、」といわれ、
それまでのつっぱっていたような気持ちが、やけにふにゃふにゃとして、また泣けてきたのを思い出します。

ここを読んでいて、自分にも「食の思い出」があってよかったな、というだけのことですが、、、
駄文、ごめんなさい。

800 :思い出に残す食事 :2000/06/10(土) 14:13
毎日仕事が忙しい。両親と同居だが、朝食も夕食も俺だけ別に食べてる。
土日も遊びに行っちゃったり、ごはんより睡眠を優先したりして、
あまり一緒に食べていない。
今日の昼飯は、久々に3人で食卓を囲んだ。
メニューはごくごく普通の、母親の料理。しょうが焼きとか味噌汁とか。
ちょうどテレビでは「伝説の寿司屋」みたいな番組をやっていて、
すごいマグロやイクラが次々と映って「おいしそう。でも高いわねー」
「近所の魚屋のと、ほんとにそんなに違うのか?がははは」
なんて、たわいもない会話をしながら食べた。
でも、俺は「今のこの昼飯のほうがうまいや」と思いながら、
もりもり食べた。
いつか、この平凡な風景も、思い出になっていくのかな、と思いながら。

両親はまだ「伝説の寿司屋」を見てる。たまには親孝行でもするかな。

801 :>800 :2000/06/10(土) 15:10
さっぱりとしていて、かつじーんとくる話ですな。

802 :冷凍ミカン :2000/06/10(土) 23:16
小学校一年生の時の事。
はじめての授業参観日で、親達は4限の授業、引き続き給食と帰りの会の様子を
後ろの方に並んで見た後、子供と一緒に帰るというスケジュールになっていた。

その日の給食にデザートとして出たのが冷凍みかんだった。
私は初めて見たそれを喜んで全部食べ、その後母と一緒に帰った。
が、その帰り道、まわりに同級生とその親達を見かけなくなったあたりで、
それまでいつも通りの表情だった母がいきなり般若の顔で私を見下ろした。

「なんでアンタはミカン、一人で全部食べてるのよ!」

いきなり何を怒鳴られたのか理解できず、固まった私に母が続けて言う。
「他の子は皆、ミカン食べずにお母さんに、って持って帰ってたのに!
ホントに思いやりのない!どうしてアンタはそう気がきかないの!」

私は固まったまま慌てた。
私はミカンを見た瞬間から「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」
の3つしか考えていなかったし、他の子が本当に皆食べずにお母さんの所に持っていっていたのか、
全く見てもいなかったのだ。
…今にして思えば、クラスのほんの数人がそうしていたのを、母が拡大していったのかもしれない。
しかしその頃の私は姉とは年が15も離れた末っ子の上、肥満児で、やることなすことトロく、
周りから始終みそっかす扱いされて馬鹿にされていたので、母の怒鳴る声にとにかく
又自分は失敗したのだ、とまだ不機嫌な声で怒っている母の横をしょんぼり並んで帰った。

母は私が成人する前に亡くなったが、今でもみかんを見ると時々この事を思い出す。
それが懐かしさの感情と共であるならいいのだが、どうしても怒りが先に湧いて出る。

「好意は人に強制するものじゃないだろよ。まして大人が子供によ」

私はまだ、大人になっていないようだ。

803 :名無しさん@1周年 :2000/06/11(日) 00:08
802さんの「給食」の話で今思い出したこと。
小学校に入ってばかりで、まだ給食が始まって間もない頃。
その日の献立の中に、ゆで卵があった。
すると、ある女の子がツカツカと担任のところへ行き、一言。
「先生、たまごどうやって食べるんですか?」
…なんでも、彼女はたまごの殻はいつも親OR婆ちゃんに剥いてもらっていたらしい。
当然のごとく彼女はみんなから冷やかされた。(しかも後々まで)

甘やかされると、結局恥をかくことになるんだなあって思ったもんだ。

804 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 03:16
>>795
あんたのせいで一日中このスレッド読んでいたよ・・・・
でも、ありがとう。グスッ。

805 :ケフモナキヌル :2000/06/12(月) 10:57
ぁぁぁ

806 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 11:26
こんなとこに書き込んでいる暇があったら、
親孝行せい。「しようかな」「しようと思う」
なんぞと他人に書く前に実行じゃ。
せめて電話でもしたり。離れて住んでいる人はの。

807 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 13:53
もうすぐ父の日だしね。

808 :>806 :2000/06/12(月) 17:37
確かにその通りだね。だけどここを読まなかったら
連休家にも帰らなかっただろうし、親孝行もしなかったと思う。

俺はここ読んで良かったと思ってるよ


809 :名無しさん@1周年 :2000/06/12(月) 19:01
小学生の時からの友達だった、Jちゃん。
明るくってやさしくって、本当にステキな子だった。
そんな彼女が突然、入院し、その数ヶ月後、帰らぬ人となった。
彼女が亡くなって1ヶ月後、仲の良かった友達数人と、
彼女のうちへお邪魔して、憔悴しきった彼女のご両親と
何時間も彼女の話をした。泣いたり笑ったりしながら…。
そんな時でも、人間、お腹がすくんですね…。
そんな私達の空腹を見越したように、テーブルの上に並べられた
ワンタンメンと餃子。「もう、失礼しますから…」というと、
彼女のお母さんが“あの子の好物だったんです。食べていってください…”
とおっしゃった。
みんなで黙々と食べた。
食べていたら、彼女がすぐ隣で一緒に食べているような感じがした。
暖かいラーメンと餃子を口いっぱいにほお張りながら、悲しくて、寂しくて、
でも、暖かくて、涙が止まらなくなった。
いつもは少食でラーメン一杯を全部食べられなかった私だけど、
これはどうしても残しちゃいけない気がして、がんばって全部食べた。

ずっと忘れていた思い。ここにきて思い出しました。

810 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 00:35
くすん・・・。
味覚って偉大だなあ。

811 :最後の晩餐 :2000/06/13(火) 02:30
このたび、晴れて離婚が成立しました。

欠点ばかりでもないのですが、それは寛容なひとならそう言うでしょって
トコで、まあ最低な人でした。
結婚していた殆どの期間は口論が絶えませんでした。

家に帰ってこない人でしたが、
最後に帰宅して、一緒に遅い夕食を食べました。
わたしは、例によって喧嘩しながらの夕食で、味がわからなかった。
向こうが言いました。
「こんなに喧嘩しながらでも、オマエのメシはいつでもうまい」

なにを作ったのか、覚えていません。
向こうの母親は、料理らしい料理はしないひとでした。
そのうえ、いつも不満がましくて、文句を聞かされながらの食事だったそうです。
彼が、少しかわいそうだとあとで思いました。

いま、ひとりで暮らしているわたしは、料理らしい料理はしません。
彼とは、会いたいとも思えません。
愛情もなく、冷え切った家庭でも
少しでもおいしいものをって思って作っていたのだなあと不思議な気持ちです。

好きなひとができたら、
とびきりおいしいものをご馳走したいです。
おいしいって褒めてほしいなあと思います。


812 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 07:46
大学院時代、指導教授と喧嘩別れして、私は教授の進める大学とは
別の大学の非常勤に勤務した。それ以来約10年、退官されたこともあり
その教授とは音信不通状態。今年の1月、突然連絡があり自宅に呼ばれて
食事をすることになった。私のためにとワインを4本も用意してくれていた。
自分も家族もアルコールはダメなので、兎に角揃えるだけ揃えたという。
珍しく先生もグラス一杯だけワインを飲んでいた。初めてみた。
私の助教授就任の祝いの言葉。その後、これまでの私の研究へ先生なりの
アドバイス。が、アルコールの勢いとこれまで先生の力を借りずに上り詰めた
自分自身への自尊心もあり、再び研究の方向性で口論となった。
やっぱり、お互いに合わないのだな思った。
で、先生は4月にガンで亡くなられた。
先生なりの最後の指導だったのかと思う。
あの日のワインの銘柄をどうしても思いだしたい。


813 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 10:12
高校生だったころ昼食を一緒に食べていた中の1人が、食事の後たいてい
「美味しかった。幸せー」
と言っていました。
あれからもう何年も過ぎ、最近あの言葉を思います。

食べて、美味しいと感じることって幸せ。

814 :名無しさん@1周年 :2000/06/13(火) 20:04
大学に通うため、地方から上京して2日目のこと、
近所のスーパーに買い物をしに行った。
自分は男ながら、料理には自信があったし、実家での買い物もよく行って
いたので、あれは安い、あれは高いってぶつくさ文句を言いながら、
買い物をしていた。
そして帰宅して、これ美味そうだなって買った牛か豚の「もつ」(味つけなし)を
早速、炒めはじめた。
そして夢中になって、お酒やみりん、しょうゆを使って調理したのだけど、
途中でとても臭くなってきて、耐えきれなくなくなり、捨ててしまった。
そして、何も作る気がしなくなり、そのまま寝てしまった。
その時、とても心細くなり、涙が出そうになった。
そしてその「もつ」の匂いは3〜4日、台所から消えることはなかった。
それ以来、こてっちゃんすら見るのもイヤになった。


815 :ゆゆ :2000/06/14(水) 02:09
母子家庭の我が家では、母が家族の役割を色々していた。
おやつの時間は、片手にジャムパン、片手にクリームパンと
私が、がっついていると、右手のパンを頬張っている間に、
母は私の空いた手のパンに喰らいつき、子供の頃よく
そうやっておやつを取られた。まるで兄弟のように……。好きなモノを
最後にとっておく私に「そんなコトしてると食べられちゃうんだよ」と言って、
彼女が言うには世間の厳しさを教えていたんだとか。

高校生の時、500ml紙パックのジュースを飲んでいる私に
いつものように「それ飲ませて」と言い、いつも横取りされて
ウンザリしていた私が遂にキレて「横取りされるくらいなら捨てちゃる!」と
流しにジュースを捨ててしまった。ものすごく下らないケンカ。
そのあと母にボコボコに殴られた。食べ物のコトでなんか
できればケンカしたくないのに、唯一思い出に残る食べ物の恨みを
晴らしたケンカの思い出。

816 :名無しさん@1周年 :2000/06/14(水) 18:31
ageときまぁす。

817 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:05
今週の日曜日。「父の日」に中学一年の娘が夕食を作ってくれるそうです。
いつのまにか大きくなって、父親を敬遠しはじめ、すこし寂しく思っていたので
とても感激しています(娘には言ってないけど)

あとが高くつきそうだ(わら

818 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 00:32
前にもかきました。でも、今度もまた
その彼のことだけど、このごろあっというまにケンカばかりで
別れちゃいそう。だから、匿名にします。

おととしのクリスマスに、私はサンタさん(彼氏じゃありません、なぜか
サンタさんからの手紙の筆跡は彼にそっくりだけど)に「お菓子が
いっぱいつま先まではいったブーツが欲しい」とお願いしました。
よく売ってるブーツって、足首あたりまでしかお菓子が入ってない
でしょう?それがハタチにもなった私は不満でして、「ブーツを
サンタさんが買って、ちょっとお菓子を追加して」って
お願いしたんです。
クリスマスに、彼が「いま、玄関にサンタさんがきてたよ」って
言ってくれたサンタさんプレゼントは、50cmくらいの
大きな布の袋(私の好きなお店で売ってる)にいっぱいに
私の好きなお菓子がつまってるものでした。ちょっと希望とは
違うけど、中に近所では売ってない私の大好物が入っていて
サンタさんは、わざわざ買いに行ってくれたんだと思ったら
うれしかったし、そんなにしなくていいのにな、って思った。
こんなにいい人なのに、どうして別れちゃうのかなぁ、なんて
思いながら、これを書いています。


819 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 02:26
中学の時、母が働いていたのでお昼はコンビニで買ってました。
小遣いを貰ってなかったのですが、昼食代として貰ってた残りが財布に
あったんです。だからそのまま学校行ったら、昼休みに校内放送で事務室
に呼び出しされて。何かと思ったらモスバーガーの袋が学校に届いてて。
母からだと聞いて、なぜ急にこんな事を…と首を傾げながら教室に戻り
ました。いつも家で食べる時より内容がゴージャスで(笑)、食べ切る
のに苦労して、また友達にも奇妙な恥ずかしさがありました。
帰って母にびっくりしたよと言ったら、お金を持っていかなかったから
一人だけ昼食を食べられないのかもしれないと思って、と言われました。
またみんなに恥ずかしくないように、中身の方も多めにしたとのこと。
その時は、お金持ってたのにー!と答えましたが、今考えると母の気遣い
に涙出そうです。お母さん、仕事で疲れてるのにつっけんどんな態度
取ってごめんなさい。土下座したい…

820 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 09:46
彼に大根の煮物を作ってあげた時、
「めんとり」に気付いてくれてうれしかった。
手間かけた甲斐があったなぁと・・・。

821 :名無しさん@1周年 :2000/06/15(木) 17:33
子どもの頃のお弁当の定番として、のり弁っていうのがありますよね。
普通ののり弁は、ご飯の上にべたーっとのりが張りついてるんですが、
うちのは違うんです。ご飯とご飯の間にだけ、のりが入っているんです。
つまり、ご飯でのりをサンドした状態。でも、みんなと違うのり弁なので、
“うえに、のりの乗っているのが食べたい!”ってわがまま言って、
作ってもらったことがあります。でも、それだと、お弁当のフタにのりがくっついて、
汚くなっちゃうんですよね。
それに、周りを見てみると、一枚ののりがご飯の上にべたっと張りついているだけなんですよ。
よくみてみたら、私のは違ってた。
ちょっとづつちぎったのりが、張り合わされているんです。だから、ご飯を食べたとき、
のりが全部、べろっとはがれたりしないで、最後までおいしいのり弁だったんですね。
お母さんのそんな細やかな心配りを少しでも見習えたら…と思っています。

822 : :2000/06/16(金) 10:28
>821
うちは、のり、ごはん、のり、ごはんと
何層かになってました。
”のりだんだん”って呼んでましたよ。


823 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:11
>821
うちでは、その変形で「カレーだんだん」を作ってました。
夕飯がカレーの日は次の日が楽しみだったなぁ。


824 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:22
>821
うちは、ご飯、みそ卵、ご飯、鶏そぼろ、ご飯、海苔だった。
しゃけフレークバージョンもあったなあ。
お母さんに感謝ですね。(^-^)

825 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 11:24
>821
アンナが学生時代に梅宮辰夫がお弁当を作ってあげていた
らしいのですが、たっちゃんも「のりだんだん」式だったそうです。
821さんのお母さんのように、海苔をちぎってあったそうですよ。
我が家では、「ごはん・おかか・のり」の二層式になってました。

826 :名無しさん@1周年 :2000/06/16(金) 21:26
あげざるをえない

827 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 00:12
ウチも[のりだんだん]って呼んでました。
その変形バージョンで‘にくだんだん’
豚ロースの生姜焼きか味噌焼きを一口大にしてゴハン→お肉→ゴハン
と重ねて行く。一番上だけ海苔。
中学生の頃、もりもり食べてました。
今でも時々、すごくハラヘリモードになると
ママ製にくだんだんが食べたいな、って思うことがある。



828 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 12:07
ここも、sakiだけど、移転に伴って、
過去ログ消えてしまうんでしょうか?



829 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 16:24
弁当で思い出したんですけど家のはいつもおかずが隠されていました。
食べてるうちに出てくるのです。
ご飯の下の方から鮭とかから揚げやデザートのチェリーが・・・

830 :>829 :2000/06/17(土) 17:11
ご飯の中からチェリーですか!?
茶目っ気のあるお母さんですね(^-^)

831 :829 :2000/06/17(土) 17:28
>830さん
茶目っ気というか本人マジだった様子です。

小学校6年のときにピクニックがあって先生に大きいオニギリを持ってくるように
言われました。みんな15cm以内ぐらいのオニギリを持ってきていました。
私のオニギリは直径20cm厚さ10センチの具の無いオニギリでした。
担任の先生に写真をとられました。
塩ぐらいは振って欲しかったなぁ。
こんな話いっぱいあります。

832 :笑える食べ物 :2000/06/17(土) 18:06
 高校生の頃、学校にも行かないでどれだけ起きていられるかという無謀なことを
試した。眠気を誘わないように腹二分目程度の食事をとりつつ三日目。もう駄目だ、
死ぬ、と思い、コンビニへ出かけた。コンビニの前でやばそうな奴等がたむろして
いて、あーからまれるとやだなーと思っていたのだが、足がふらつき、そいつらが
作っている円の中心に倒れ込んでしまった。俺はやばいなあと思ったが、そいつら
はあまり気にしていないようだった。それどころか狂ったように笑っている奴がい
た。あきらかに何かの薬物によるモノと思われたが、よく見てみると小学校の時の
クラスメート。
「ジンちゃん何してんの?!」「うひゃ、うひゃ、お前こそ」
「俺は飯買いに来た」「飯?飯?腹減ってるの?おれんちくる?」
「何か食わせてくれんの?」「すっごいもんあるよお」
「薬とかゴメンだよ」「うひゃ、うひゃ、うひゃ」
そいつのうちに行って出てきたのがみそ汁と白いご飯。あまり旨いという
ほどの、いやむしろまずかったのだが、みそ汁には訳三グラムのMMが入
っていた。
 今でもキノコが入ったみそ汁を見ると、筋肉の緩みきったジンちゃんの
顔を思い出して吹き出してしまう。


833 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:39
最近ほのぼのした思い出ばなしが多くてのほほんと読めます。

834 :名無しさん@1周年 :2000/06/17(土) 18:43
やっぱ人が死ぬ話は、ねえ。

835 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 02:21
小学校の3〜4年生のころです。
父が家を出てしまい、母の実家で暮らしていたのですが
父の作った借金の返済もあり、(子供ながらうすうす気がついていました)
極貧とまでは行かないまでも、かなり劣悪な経済状況だったと思います。

そんなある日の夕食。
いつもは、野菜の煮物や漬物などの質素な献立が並んでいるだけなのに
私と妹の席に、「お子様ランチ」様のかわいく盛り付けられた皿が置いてありました。
ハンバーグに付け合せの野菜、型抜きしたご飯には旗まで立っていました。
2つ下の妹は、「食堂みたいや〜〜!!」とおおはしゃぎ。
しかし、私は箸をつけることができませんでした。
「サラ金地獄で一家心中」などのニュースが毎日のようにTVで流れていた時代です。
・・・このお子様ランチを食べたら私ら、死ぬねんな・・・・
最後のご馳走を、母が用意したのだと思うと
怖くて、かなしくて、涙がぽろぽろこぼれました。

結局、その日の夕食をどうしたのかは記憶の外です。
あの、お子様ランチは単なる母の気まぐれだったのでしょう。
(母なりに、私達を喜ばそうとして作ってくれたのでしょうね。)
でも、いまだにお子様ランチを見ると胸が痛みます。
今は1児の母ですが、娘にはあんな思いをさせたくないと
心の底から思っています。




836 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 09:40
age



837 : :2000/06/18(日) 10:25
げげげ

838 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 19:22
わたしが保育園児のころ。
うちは専業農家で、とても忙しい時期(田植えか、稲刈り等)は幼稚園の迎えが遅かった。
5〜9人位の子たちが、似たような事情で、よく覚えてないけど、6時7時位まで残ってた。
お腹が空くので保母さんが、みんなにお菓子をくばって食べたりした。
隣の子が『○○(私の名)ちゃんのお菓子、みんなより少ない』と指摘した。
『いいのよ○○ちゃんの家は●●だから』と保母さん。
●●の意味がなんなのか判らないけれど、親を侮辱されたのは漠然とわかって、
当時は口数の少なかった私は何と言葉にしていいのか判らず
悲しくて泣くしかないけど意地でも泣くかと黙って親を待ってた20年前の私。

●●って何だったのか覚えちゃいないけど、ティッシュに包まれたお菓子と
年上の優しそうな女性は今でもちょっと苦手。

関係ないが、「おかし」と打つと躊躇なく「犯し」って変換されてとほほな私のPC。

839 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 22:02
824さんの「みそ卵」っていうのが気になるなー。
どうやって作るの?

840 :名無しさん@1周年 :2000/06/18(日) 23:48
おい!この板の寿命もあとわずかだぞ!このスレッドは各自保存したか!

841 :もも :2000/06/19(月) 11:20
なんか、すごいいい話ですね、ここ。
いつも会社で朝一に読んでます。
ここで私の思い出の食事に関する話を一つ。

今からもう7年くらい前、母が入院しました。
今まで病気とは無縁の母だっただけに心配で、
毎日のようにお見舞いに行っていました。

そこで、私がお見舞いの品としてよく持っていったのが、
母の大好物の「かに道楽のお寿司」でした。
しかし、ある日、父に「お見舞いにお寿司を持っていくのは止めなさい」と言われ
「何で?」と聞くと、母は病気のため、食欲が全くなく、
病院の食事もとれないほどだったのです。
母は私の前でそんな顔ひとつせずに「おいしいね」と言いながら食べていました。
私の喜んでくれるだろうと言うエゴのために、無理して笑顔で食べていた母のことを思うと、申し訳ないやら、
有り難いやらで消え入りたいような気分になってしまったのを覚えてます。

そんな母は今はすっかり良くなり、元気にもりもりとご飯を食べています。
これからも元気でおいしく「かに道楽のお寿司」を食べようね




842 :名無しさん@1周年 :2000/06/20(火) 19:02
みんなよってるね。
ま、いいけどさ。

843 :名無しさん@1周年 :2000/06/21(水) 13:31
800過ぎたので、区切りのいいとこでパート2に引越し希望!

844 :復活してたので :2000/06/21(水) 14:57
あげとこう

845 :名無しさん@1周年 :2000/06/23(金) 03:52
ささやかだけど、俺の場合、自分で初めて作った野菜炒めかな。
それまでインスタントラーメンくらいしか作ったことなかったけど、大学に行く
ために引っ越してきた町で初めて料理をした。
さあ、これからは自炊だーって感じで、結構張り切って作ったよ。
出来上がった野菜炒めは、見た感じは我ながらなかなか上出来だったんだけど、
食ってみたらこれがものすごく塩辛い。
家だったら「こんなもん食えるか!」って感じで、お袋に突っ返すとこだけど、
そこは自業自得。
自分の作ったもん捨てられないから、一人でぼそぼそ全部食ったよ。
まだ友達も全然いないし、これからの学生生活への不安やらなんやらで、食べな
がら心細くて胸がつまってきたね。(別に泣いたりしたわけじゃないよ)
まあ、今思えばかわいかったな、俺。

846 :名無しさん@1周年 :2000/06/24(土) 19:24
あげ!

847 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 10:28
思い出って程でもないんだが。。。。
若い頃はお袋の作る飯に文句ばかり
垂れてた。まずいだの同じ物ばっかだの栄養のバランス
考えて無いだの。
でも一人暮しをしてみて始めて分かった。
一見しょーもないと思える飯でも、それを作るのがどれほど
大変で根気がいるか。毎日続けるのがいかに大変か。
最近帰郷して更に驚いた。お袋はスーパーのおぞうさいなど
一切買わず、全て手作りだったらしい。

唖然とした。。。

そんな事一言も言わないお袋の健気さに。
ああ、俺って何て愚かな事ばかり言ってたんだ。
何が愚かって、コレほど愛情こめて育ててもらったのに、
親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。
お袋、本当にゴメン。貴方が愛情込めて育てた息子は、下の下の
人間になってしまいました。

848 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 13:06
しかしさー、
専業主婦って、立派な仕事だと思うのだけどね。
せんたく・そうじ・食事は
大変だよね。

849 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 16:15
いや、しかしそれは847さんが家を出るまでに
台所仕事の技術伝承をしていない847さんちの躾にもやや問題があるよ。

850 :一見良い話に見えるが :2000/06/25(日) 16:25
>847
>親孝行するどころか、今は完全な社会的落伍者の引きこもり。。

この箇所がひじょーに気になる。


851 :名無しさん@1周年 :2000/06/25(日) 18:55
>847
投票行ったか?

852 :名無しさん :2000/06/26(月) 01:34
あげますよ。

853 : :2000/06/26(月) 04:26


854 :名無しさん@1周年 :2000/06/26(月) 22:18
>752さん
私の父も腸ガンでした。
当時、本当の病状を知るのは私だけで、母にも親族にも黙っていました。
主治医から「何時、なにが起きてもおかしくはない。全力を尽くすが覚悟はしておくように。」
と伝えられ、自分一人の胸の中にとどめるしかなかった3ヶ月間ノイローゼ状態でした。
それでも、美食家だった父にちょっとでもおいしい物を食べさせてやりたくて、毎朝料理を作り病室に届けるのが日課でした。病状が目に見えて悪化し、食事もとれないようになりモルヒネの投与も始まりました。食べることができなくなった父の前では、かわいそうで食事をとることができませんでした。
ある日、モルヒネのためにうつらうつらしている父の隙をみて、病室のカーテンの陰でカップラーメンを食べていたら、「遠慮しないで、こっちで食べろよ。」と父の声がしました。
なんか、いたずらを見つかった子供のような気持ちになると同時に、その場で急に泣き出したくなりました。こんな事になるんだったら1回ぐらい晩酌につきあってやれば良かったなぁ.......
男同士はこんな時辛い.......

残業中にカップラーメン食べながら752さんのカキコ読んだら思い出してしまいました。
長文、乱文ですみませんでした。

855 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:08
夫と付き合う直前ぐらいにとんかつを食べに行きました。
私は、すごくお腹がすいていたし、とんかつは大好物だったので、
「お腹がすいてる時に大好物を食べると何て幸せなんろうと思う」
と連呼していました。
今までも何人かお付き合いした人がいたけど、
こんなに食べる事でおいしい!と思っても、
幸せになった事はありませんでした。

やっぱり夫の力だったのだろうと思います。

856 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 17:54
とんかつ私も好き(^^)/
「とらや」のとんかつ↓また食べたくなってきた。。じゅる(^^;

http://www.gmnh.pref.gunma.jp/Syuzo/030000/full/II0001586A.jpg

857 :名無しさん@1周年 :2000/06/27(火) 18:09
あげ。

858 :うり :2000/06/28(水) 00:22
小学生の頃、おじいちゃんがチャーハンをよく作ってくれました。
と言うよりもいつもわたしがお願いしてたのかな?
わたしが働き始めて久々におじいちゃんに会った時、やっぱりおじいちゃんのチャーハンが食べたくってお願いしたら、にこにこして腰を上げてくれました。
でも側にいた母が”もう中華なべを持てないくらい体力無いのよ…”と言われ、慌てて違う話しに変えて座ってもらいました。
わたしはいつまで経っても子供気分が抜けなくてだめですね。

それからも時間が経ち、おじいちゃんは去年亡くなってしまいました。
あのチャーハンの味が忘れられなくって何度か挑戦しましたがやっぱりだめ。
大きめにざくざく切ったたまねぎ、なんであんなにあまかったのだろう?
もう一度…。

859 :名無しさん :2000/06/28(水) 01:58
>858
ええ話や。
わたしも田舎に帰るとおじいちゃんが必ずカキ氷を作ってくれました。
おじいちゃんはカキ氷のことを、いつも「こおりみず」っていってました。
んでもってカルピスの原液をかけるのです。今思うとおじいちゃんなりの
もてなしだったんだろうなあー。できるものならもう一回食べたい。


860 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:42
>858、859 なんか久々に涙ちょちょぎれたよ。
寝床からわざわざ(まさかと思ったけど)あたひにブドウをもってきてくれたじいちゃん思い出しちゃった。お盆にはお墓参りいこうねぇ。
じ〜ちゃぁ〜ん。まじでちょちょぎれてます…

861 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:48

子供の頃食事のたびに喧嘩していた両親。

その日は何かの記念日だったのでしょう。
もう覚えてません。
思い出したくもありません。
夕食はすき焼きでした。

もくもくと食べてるといつもどおり始まりました。
その日は父の方がかなり機嫌が悪かったらしく。
普段よりも大喧嘩。
味付けが濃いやら甘すぎるやら難癖つけて
せっかくのすき焼きをぐっしゃぐしゃにしました。
記念日と言う事で奮発して
母が買ってきてくれた肉も全部ぐっしゃぐしゃ。

私達兄弟はすぐに自分の部屋へ行って
もうここにはいられない。
出て行かなければならないと思いつつ
泣きながら姉と二人で荷物の整理をしてた記憶があります・・・。

今でも両親と食べる食事が大嫌いです。
夕食には楽しかった思い出がない。。。
あなた達両親のおかげで
私は食事=嫌な印象しか持ってませんよ。

すみません。
食事と言うと嫌な事しか思い出せないんです。
ここのスレのような事がこれからあればいいなあ。
と思いつつ。


862 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 02:51
なんだよ〜このすれ 涙ごーごー たれてます。
ううう、ほんといろいろだやねぇ。

863 :まや :2000/06/28(水) 04:01
>862さん
ウチの実家もそうだった。
だからこそ今は、楽しく食事をすることを大切にしてるわ。

864 :名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 05:24
両親が共働きだったので、子守りの老夫婦に預けられていた私。

土曜日の昼ご飯は、決まってカレーを作ってくれました。
とろみのついた、素朴なライスカレーでした。
(スパイスの月桂樹の葉がそのまま入ってたりして)
丸いお皿に盛り付けられていて、それを小さいスプーンで
ちびちび食べるのが大好きでした。
2杯目は、ルーだけ盛り付けてまたちびちびと。

大人になった今でも、家でカレーを食べるときは
小さいスプーンで食べるのが好きです。

もうおばさんは亡くなってしまったけれど、
おじさんを訪ねるたびに、土曜日には
庭の月桂樹の葉を取りに行ったことを思い出します。


865 :>864 :2000/06/28(水) 16:09
それ、オイラも経験ある!!
俺が小さい頃のうちのカレーには、良く葉っぱの枯れたみたいなのとか
カレールーが溶けきってなくて固まりのままだったりしたものが入ってた
だけど、そのまま食べたりしていた、これが正しいとか思ったりしてね
独立して自炊してみて、やっと間違いに気がついたよ。
単なる手抜きだったんだね

でも、自分でカレー作るたびに母親の味が思い出されて、ちょっと切なかったりもする
どうやって作るのかなぁあの味・・・聞いとけば良かった



866 :864 :2000/06/28(水) 18:44
ルーの塊入ってました。そういえば。
思い出は美化されますね…
都合の悪いことは忘却の彼方へ。

とりあえず、私の場合、カレールーは
バーモントカレーの甘口でした。

867 :日曜日の朝 :2000/06/30(金) 00:47
父は水っぽくて塩辛く、ちょっと苦い野菜いためを作って
くれていましたが、美味しくないからと、あんまり食べてませんでした。
定年後、料理でも習おうかと言っていた父は
ALSという病にかかり、今は呼吸器をつけて寝ています。
もうまともな食事もとることもできません。

....あの時の野菜いため、もっとちゃんと食べとけばよかった....



868 :弁当嫌い :2000/06/30(金) 13:32
ぜんぜん良い思い出じゃないんだけど、ココ読んでたら思い出したので書きます。
小学校の遠足の時、私はいつも近所の仕出し屋のお弁当を持って行ってました。
私の家は父と祖母の3人家族で祖母は足が弱っていて家事なんて出来ませんでしたので
家の事は叔母が昼間に来てやってくれていたのですが、その叔母も忙しい中で時間を
やりくりして私達の面倒をみてくれていたのでとても遠足のお弁当など頼めませんでした。
私の友達のお母さんが、私がいつも仕出し屋でお弁当を買っているのを友達に聞いて
秋の遠足の時にお弁当を作ってあげると言ってくれましたが、私はそんな事はして欲しく
はありませんでしたので「いいです、いいです」と断ったつもりだったのですが
遠足の前の日に明日の遠足について先生が話してる時突然名前を呼ばれて立たされました
「あなたは何時も買ってきたお弁当だけれど、明日は○山(友達)さんのお母さんが
お弁当を作ってくれるそうです。よかったですね。はい、○山(友達)さんのお母さんに拍手!」
パチパチと拍手が起こる中でとても情けない気持ちで泣き出しそうになりました。
次の日は遠足の用意をして学校に向かったのですが、なぜかポロポロ涙が出てきて
公園の横にある区民会館の壁の隙間で学校に行かずに泣いていました。
次の日に学校に行くとみんなが私に怒っていました。せっかく作ってもらっといて
どうゆうつもり!みたいな事を皆口々に言いました。先生が入って来て私は前に立たされ
なぜ休んだか?○山さんのお母さんに悪いとは思わないのか?問い詰められました。
そして平手で叩かれ帰りに謝りに行く事を約束させられました。
そんな事があってからは自分でお弁当作ったり前の日に仕出し屋のお弁当を買ってきて
お弁当箱に詰めなおしたりしてましたが、OLになった今でもお弁当は嫌いです。


869 :名無しさん@あめぞう :2000/06/30(金) 13:54
>868
キツイっすねー。読んでてなんとなくpapa told meを思い出した。
これからはマターリといきませう。


870 :戸碌斎 :2000/06/30(金) 14:01
ひさしぶりにこのスレッド読みました。
ぅぁぁぁぁぁ。

871 :方向音痴 :2000/07/01(土) 15:53
私が小学校1年生ぐらいのとき、4つ上の兄と一緒に川口の実家から
かかりつけだった歯医者(王子駅から徒歩15分ぐらい?)まで一緒に
行ったことがあります。行きはもちろん、バスと電車を使ったんだけ
ど、帰りが悲惨なことに。治療費が思ったよりも高くついてしまって、
母から預かったお金でやっと間に合うぐらいの金額だったのです。
当然帰りは徒歩……。王子から川口までの線路沿いを手を引かれて
延々歩きました。でも、途中で疲れてしまって、泣き出した私に、
お兄ちゃんは近くの駄菓子やさんで、なけなしのお金でジュースを
買ってくれました。2人で飲みあいっこして、それでまた、半泣き
しながら夜になってようやく家に辿り着きました。母には「先生に
理由を話して、あとでお母さんが払いますって言えば良かったのにー」
と笑われましたけど、今となっちゃ良い思い出です。

872 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 11:38
父は料理が得意でした。とはいえメニューは限られていましたが。
特にステーキが絶品で、ちょっとした高級店で御馳走してもらっても
父のステーキを上回るものには出逢った事はありません。
裕福な家庭ではなかったので、そんなにいい肉でもなかった筈なのですが。

父は1年足らずの闘病生活を経て他界しましたが、
その数カ月前に、病院を抜けてきて、一枚だけ焼いてくれました。
姉と二人で、これが多分最後だね、と云いながら(口には
出さなかったかも知れませんが2人ともそう思っていました)
食べた事を記憶しています。

ボロい木造の台所で、火を数十センチ吹き上げながら
ステーキを焼いていた父をたまに思い出します。

873 :名無しさん@1周年 :2000/07/02(日) 12:06
書くのは勝手だが騙るならいい加減テクニックも覚えろ。
文体が全部一緒だぞ。

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0ch BBS 2004-10-30