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思い出に残る食事

484 :>483 :2000/04/26(水) 04:44
ええ話や〜。
栗良平あたりが小説化しそうだ。

485 :>480 :2000/04/26(水) 06:03
解説ありがとう。
>料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
食うほうにだけ興味があってね。

486 :名無しさん :2000/04/26(水) 14:44
よっこらしょ

487 :名無しさん :2000/04/26(水) 23:56
>483
なんて地主だ
私もその定食屋さんの料理食べたいー
いつか再開しないかな


488 :AGE :2000/04/27(木) 01:17
まだ俺が若くって自分勝手だった頃、いつも不機嫌で彼女を泣かせて
ばかりで、それでもついてくる彼女にいい気になっていた、
今思えば、あのときの俺って、本当に馬鹿だったと思う。
その頃は2人、親元に居たので、彼女の手作り料理などを食べる
きっかけって無かったんだけど、正月休みかなにかのとき、彼女の
両親が出払っていて、その日の夕飯を2人でつくることにした。
2人とも料理とか、あまり作ったことが無くて、二人でスーパーに行って
ステーキ肉とか、彼女が「作れる」というホウレンソウのホワイトソース煮
の材料とか、そういうものをざっと買ってきた。
二人で仲良く作って、いざ食べてみると、両方とも美味しくなかった。
そのとき、無神経だった俺はまず、自分の焼いたステーキからはじめに
手をつけた。
あんまりおいしくないけど、本当はおいしいって言えばよかったんだけど
まずくもない彼女の料理を、「まずい」って言っちゃった、
せっかくつくってくれたのに、俺の馬鹿。

彼女とはその後もよく喧嘩をして、泣かせてしまった。
別れる日、彼女は「もしあなたに新しい彼女が出来たら、その子の
手料理は、一番最初に箸をつけてあげてね」って言われた。
その後、新しい彼女が出来て、言うとおりに彼女の作ったものを
一番最初に箸をつけるようになって、おいしくなくても「おいしい」
っていうようになった俺。
でも、出来ることなら、あの彼女が作ったホウレンソウのホワイトソース煮を
また食べたい

489 :名無しさん :2000/04/27(木) 01:58
妻と付き合いはじめて2ヶ月ぐらいですかね、
ウチに来て作ってくれた肉じゃがの味、今でもしっかりと覚えております。
なんの変哲もないごくごく普通の肉じゃがだったのですけどね。
肉じゃが、現在まで数え切れないほどの回数食べてるハズなんですが
なぜかあの時の肉じゃがだけは忘れられませんです、はい。



490 :名無しさん :2000/04/27(木) 03:16
↑彼女より料理が上手な男の人生にこんなドラマは皆無だそうです。
俺のことですが(笑)。

491 :ANA :2000/04/27(木) 03:46
>488
似たような思い出が私にもあります。
今から3年前。脱サラしたのはいいけど、そのころは、公私共に
中々思うように行かず、いつもイライラしてました。
その頃同棲していた彼女が作ってくれたのが「メバルの煮付け」(私のとこの名物です。)
ついこの前まで学生だった彼女が作ってくれたそれは、半生状態で
生臭くて、小骨が取れなくて結局大喧嘩!彼女は怒って捨ててしまいました。
歳の離れた彼女なのに、そのころはやさしくしてあげる余裕も無かったんですね。

結局、私の気性の激しさと仕事の不安定さで1年前に別れたんですが
今になって思うのは、なぜもっと優しくしてあげれなかったのだろう?
なぜ、もっと大切にしてあげれなかったのだろう?って想いです。
今でも彼女とはたま〜〜ぁに連絡を取り合いますが
「もう、2度と煮付けは作らない!」って怒られてます。(笑)

次に付き合う子は私の年齢的にも、女房にする子だと思いますが
今度、そんなことがあったら 鮎の塩焼き みたいに頭からボリボリ
食べて、美味しかったよ!ってニッコリと笑えるようにしてやろうと思ってます。

本当に大切なものが無くなってから気づくなんて、、。
「一期一会」じゃないけど一緒にいたその一瞬を大切に出来なかった
ことに後から後悔するなんてなんて、、。

男ってホント馬鹿ですね。(笑)



492 :名無しさん :2000/04/27(木) 08:48
妻と結婚する前の話。
共に家族と同居していて、とにかく一緒に住みたくて結納だけ
した。そして二人でアパートを捜し、2週間位かけて二人だけで
少しずつ荷物を運び込んだ。電気と水道は使えたけど、ガスはまだ
使えなかった。毎日仕事が終わってから一緒に生活用品を買いに
行って、それを片づけながら近くのスーパーで買った弁当を
食べ、それぞれの自宅に帰る生活を送っていた。
ある日の晩、いつものように新居に行くとなにやらいい匂いが
充満している。日中休みを取っていた彼女が、電子レンジを購入
し、肉じゃがを作って待っていてくれたのだ。
早速スーパーで白飯を購入し、電子レンジの箱をテーブル代わりに
して、二人で食卓を囲んだ。すげえうまかった。よく味のしみてる
ジャガイモをハフハフしながら食った。食いながら本当にいい女に
巡り合った幸せを噛み締めてた。絶対に幸せにしてやろうと思った。
晴れて夫婦になって、完全に生活出来る今でも、あの電子レンジの
箱だけは捨てていない。
二人の間でなにかあったら、俺はきっとあの箱を持ち出してきて
妻に言うだろう。
「肉じゃが作ってくれよ。そしてこの上で食おうよ。」と。


493 :名無しさん :2000/04/27(木) 10:46
>488、491
ほろり (T_T)

>492
二人の間でなにか なんておこらないように祈ってます。
結婚×十周年記念なんかの時にレンジの箱でご飯 なんてできたら
ステキですね。

494 :26歳・女 :2000/04/27(木) 11:46
もう何年も前の話なのですが、好きだった人がいて、何回かうちに
行ったとき、よく料理してもらいました。
つくってる途中であーこれ足りない、ということになって彼が近所の
スーパーまで走って買いに行くとき、ひとりぼっちで待ってるのが
さびしくもありうれしくもありました。うちの中、わるいかなーと
思いつつきょろきょろみまわしたり。
それからこのあいだこの板みてたら、関西人はカレーに卵を入れると
書いてあったのであーそうだったのか、と思いました。
カレーに生卵入れてた。私は初めてだったのでちょっとびっくりしたの
ですが。
そのとき大学生だったのですが、私にはつきあってる人がいて、別れ
られなかったので結局その人とはうやむやになってしまって、今
考えるとなんで別れてつきあってくださいって言わなかったのかなーと。
で、今でもその人とは話すことはあるんだけど、このあいだ話していた
とき「自分はうちでナベをやったことはない」と言ってて、実は私
ナベやってもらったことあるんだけどなーとすごいがっかりしたのですが
もう遠い昔のことだし、言うのもなんなので黙ってました。いろいろ
覚えてるのは自分だけなんだなーと思って。
私は料理わりと得意なのですが、男の人につくってもらうこと多いです。
つきあってても友達でも。ラザニアつくってもらったとき、あまりにも
時間かかるので冷蔵庫にあったサンドイッチを食べてしまい、ラザニア
食べれなかったこととかあったなー。
これからもいろんな人といろんなもの食べていきたいなー。

495 :名無しさん :2000/04/27(木) 14:35
>488,>491
まずいってはっきり言ってくれたほうがいい。

昔、彼にほうれん草とベーコンのスパゲッティ(にんにくをいためて
香り付けし、塩・故障で味付け)をつくった時。
口にしたなりヤツは、「しょうゆない?」と聞き、スパゲッティに
ドバドバかけた。

「味が薄い」なり、「まずい」なりなんか言ってくれた方が良かった。
いきなり「醤油」は傷つくよー。

496 :495 :2000/04/27(木) 14:38
もちろん“胡椒”です。失礼。

497 :>495 :2000/04/27(木) 15:20
「不味い」はともかく 「塩が足りない」とか「煮すぎたかな」とか
とにかく 感想は聞きたいですよね。 作る側としては。
(「美味しい」って言われるのが一番だけど)

「美味しい」って言われれば 「やったぁ!」ってまたがんばる気になれるし
「薄い」なら 次こそは! って思うし。
でも「不味い」としか言われなかったら 「だったらもう2度と食うな」って
思っちゃうもんなぁ 私は。

498 :名無しさん :2000/04/28(金) 11:39
あげ〜

499 :>495 :2000/04/28(金) 14:20
味見しな。

500 :アーモンドチョコ :2000/04/28(金) 15:58
私は小さい時からおじいちゃん子で、祖父も初孫の私をよく可愛がって
くれました。ある日、小学校から帰ってこたつに入ってテレビを見てると
祖父がきて、「お菓子あげよ」というので、嬉しくって待ってたんですが
祖父はなかなかお菓子をくれません。「お菓子どこ?」と聞くと、
「そこにある」と言ってニコニコ笑ってるだけです。こたつ机の上には
食べ物何もなかったので、「おじいちゃんまたからかってるわ」と思って
いると、祖父が自分の薬袋を私に渡して、「開けてみ」というので
中をみてみると、そこにはアーモンドチョコレートが何個も入ってました。
「薬やと思って、分からんかったやろ」と得意そうに笑った祖父が今でも
忘れられません。その時祖父は癌で、毎日薬を飲んでいて、体も目に見えて
痩せてきていたのですが、いつも何か面白いこと言っては、私と妹を笑わせて
くれていました。祖父は7年前に他界したのですが、亡くなる前は私がちょうど
高校受験の時期と重なり、また私もそんなすぐ祖父が逝ってしまうとは思って
もいなかったので、最後もっと一緒に過ごしたかったなと悔やんでいます。
アーモンドチョコレートを見ると、祖父のことを思い出します。
ちなみに、その時の薬袋はまだとってあります。


501 :アーモンドチョコ :2000/04/28(金) 16:06
ごめんなさい、私のは食事じゃなかったですね。
皆さんのレスを読んで、祖父のことを思い出してしまって
つい書いてしまいました。

502 :食事じゃないけど・・・。 :2000/04/29(土) 01:10
私も、「食事」じゃないけどゴメンなさい。
なんて良いスレなんだろう・・・ほろほろほろり、ときて、
いろんなこと、思い出しては思い出にひたってしまいました。
そのなかのひとつ・・・。

高校1年の頃、初めてつきあった男の子に、
「あいちゃんの作ったクッキーを食べてみたいな」
って言われて、お菓子作りには多少自信のあった私は、前日の晩、
直径30cmはあろうかというほどのハート型のクッキーを焼いて、
ていねいに箱に入れてラッピングして、学校へ持っていった。
それを見た彼は、びっくりして、大喜びしてくれた。
「こんなハートのカタチしてたら、食べるのもったいないよ〜」
と言いながら、嬉しそうに手に取ろうとして・・・その瞬間、
箱から手が離れて・・・地面の上で見事にクッキーはボロボロになった。

ちょっとショックを受けて、でも、「せっかく作ったのに・・・」よりも、
とても楽しみにしてくれてたのに食べさせてあげられなかったことが
悲しくて、無理に笑って、
「ゴメンね・・・おっきく作りすぎちゃった、今度は普通のサイズで、
いっぱいハート焼いてくるからね」
って言ったら、彼が、しんみりと、でもすこし微笑んで、
「ゴメンな・・・でも、今の言葉で、もっとあいちゃんが好きになったよ」
そういって、地面に落ちたクッキーのかけらを拾って口に入れて、
「おいしい!今度は残さないで全部食べるから、また作ってくれる?」

けっこうひどい別れかたをして、もう10年になるけど、
あの時の思い出は今も大切にしまってあります。
結婚してたりするのかな。元気だったらいいな・・・。

503 :まなみ :2000/04/29(土) 23:12
私はいつもおにぎりを食べる時に、思いだすことがあります。

何もできない私が、はじめて彼の為に、おにぎりをつくろうとして
一から米を洗って、炊きました。
炊きあがったご飯は、かなり柔らかくて、これじゃおにぎりは
にぎれるの?って感じだった。

でも、彼はそれでも食べたいと言ってくれたので
頑張ってにぎろうとしたけど、なかなか形が綺麗にならなくて。
私は気が長いほうじゃないので、直に「もう〜辞めたぁー」って
あきらちゃうんです。
でも、彼は笑顔で私の手からご飯を取って無言で
作ってくれました。感動しちゃいました。

それから、今は完璧にその彼(旦那)におにぎりを
作ってます。


504 :名無しさん :2000/04/30(日) 01:59
もう17年前になるな。彼女と北海道ツーリングに行ったんだ。
2人とも学生で金なんてないからキャンプだよ。
東京〜長野〜新潟(陸路)〜小樽(フェリー)ってルートでやっとこさ北海道。
船内では買い込んであったフランスパンばっかりもそもそ食べてたな。
でも若いっていいよね。もそもそが楽しいんだ。
日本海(鉛色)は十分見たんで、今度はオホーツク海だ!って、根室に向かった。
途中、いろんなキャンプ場があったはずだけどそれはよく憶えていない。

まあ、とにかく納沙布岬に着いたんだよ。
2人とも腹がへっててね。もう夕方だし今から飯盒炊飯するのはきついかな?って感じだった。
いいにおいにつれられて単車を止めたところは大きな公園だった。
かまどが数カ所あるんだよ。あそこは何だったのだろう。
近所の人たちが親睦会を開くような所なのかな?

そこでは大宴会が開かれていたんだ。
でかい鉄板。
さんまが焼けている。
イカが醤油をかけられておどっている。
じゃがいもがアルミホイルにつつまれて熱くなっている。
ジンギスカン部隊(勝手に命名)が肉を焼く。
やきそばジュージュー。
大人も子供も大騒ぎ。

2人、なかば呆然と見ていたんだな。
いや、それほどまでに盛会だったんだ。
いったいあそこには何人いたのだろう。

そのうち、期待していたことがおこった。
「おい、にいちゃんねえちゃん。こっちに来て一緒に食え」
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。

もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。

ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...

そんな会話をしている夫婦がいます。


505 :バッカーです :2000/04/30(日) 03:14
1〜504を全部読む(ダウンロードする)シンドさを全員が味わう必要がない
と思いましたので勝手ながら別発言にします
っつーかみんなムズムズすると思うので

見えない部分(一部重複)は以下の通りです

-----------------------------------------------
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。

もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。

ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...

そんな会話をしている夫婦がいます。



506 :名無しさん :2000/04/30(日) 05:47
うちは夫が出張勝ちで、いつも四才の息子と二人殆ど母子家庭状態。
実家は車で一時間弱だけど、姉夫婦と二世帯建てて私はカヤの外って勝手に思ってたから
誰にも頼れない、がんばらなくちゃって思ってた。
ある日私40度近い熱出してどうしてもおきられなくて、もともと少食の息子は朝から
昼くらいまでひとりで遊んだりテレビみたりしてた。
はっと気がつくと夕方、私の隣には息子が布団に入り込んで一緒にねていて、
そばには食パンの空き袋とピーナッツバターとスプーンがころがってた。
なんだか息子がかわいそうで、自分もかわいそうで悲しくて泣いた。
今考えたら意地張らないで素直に誰かに頼れば良かったんだけどね。
ピーナツバターをみると思い出して、つい息子をむぎゅっとしてしまう。

507 :>506 :2000/04/30(日) 06:00
おれ、男だけどもらい泣きしちゃったよ。ほろり。(T_T)

508 :名無しさん :2000/04/30(日) 08:53
いい話ばっかりなんで、夢中で全部読んでたら、鍋こがしちゃった。やれやれ。

509 :緑一色 :2000/04/30(日) 13:34
>505
あう、気づくのが遅かった。
んでも、「レスを全部読む」じゃなくても、「最新レス100」でも504の全文見えるよ。
100でも多いならリンクURLの最後"ls=100"を"ls=30"とか好きな数にすればいいし。
でもこういう心遣いのカキコって、2chで初めて見た。やっぱ違うなー

510 :名無しさん :2000/04/30(日) 17:40
あれは私がまだ高校生の時です。
母は体が弱く肝炎にかかり入院した当日、晩飯は祖母が作り始めていま
した。私はその隣の部屋でテレビをみていたのですが窓ガラスごしに、
炎があがっているのにきずきました。
私はあわてて隣の部屋へ行くと、祖母は焼肉をしようとして電気式のホ
ットプレートをガスコンロにかけていたのです。
すぐに火を消し、父は怒り出しましたが、私はその時の
「鉄板が全然熱うならんのや」という祖母のいいわけと生のまま残って
いた肉をみて笑ってしまいました。
今では祖母なりに一生懸命だったんだなとおかしく思い出しますが祖母
は今なお健在であります。
ちょっとスレからはなれた話すみません。このスレよんでたら思いだし
ちゃいました。



511 :名無しさん :2000/05/01(月) 09:32
上げておきましょう。

512 :名無しさん :2000/05/01(月) 13:24
飲み物の思い出になるんですが。
中学2年の時、遅い初恋をしました。相手の彼は目立たないけど
優しくて努力家な人で、本当に好きでした。
何も言えないまま中学を卒業し、別の高校に進学しました。
離れてしまえば忘れるかと思ったのですが、忘れるどころか
好きで会いたくてしかたなくて、思いきり告白しました。
「つきあった下さい」という私の言葉に、笑って「いいよ」。
初めてのデートはふたりで映画を見に行き、映画を見終わってから、
私は初めてつきあうからか何も話せず、彼は無口な人だったので、
お互い無言で歩き続けました。
ようやく話せた言葉は、「お腹空いたね。」
目についたロッテリアに入り、私はハンバーガーとアイスコーヒー
を注文したのですが、何故かこの時、コーヒーをブラックで飲む
のは可愛くないと思いました。甘いコーヒーは嫌いだったのに、
彼に可愛く思われたいあまり、無理してガムシロップとミルクを入れ、
飲んでいると、彼から「ごめん、やっぱりつきあえない」。
「分かった」と言うのが精一杯で、あとは甘くてまずいアイスコーヒー
を飲んでいました。
あれから6年、今は好きな人の前でもブラックのコーヒーを平気で
がばがば飲んでます。今度のデートでは、甘いコーヒーを
飲んでみようかな〜、なんてな。


513 :名無しさん :2000/05/02(火) 15:09
ええスレッドや‥


514 :名無しさん :2000/05/02(火) 16:57
いつ見てもここは、いい。

515 :名無しさん :2000/05/02(火) 22:58
ああ。

516 :名無しさん :2000/05/03(水) 02:40
わんわん泣きながら読みきりました。
田舎に帰りたいなぁ。

ばーちゃんの鯖のぬか味噌煮とぬか漬け食べたい。
いまでも電話をかけると宅急便で送ってくれるけど、
やっぱりみんなで食卓をゆっくり囲みたいです。

なんかいまから料理作りたくなったのでマルエツに行ってきます。


517 :>516さん :2000/05/03(水) 12:37
あの・・・質問があります。
鯖のぬか味噌煮って初めて聞いたのですが、ぬか味噌って
漬物を漬けるぬか味噌ですか?


518 :S@yu :2000/05/03(水) 18:21
想い出に残る食事というより思い出に残るお店なんです
もう20年位昔なんですけど、練馬区の上石神井という所に
<カルダモン>という、小さなカレー屋さんがありました
初老のご夫婦が、2人でやってらして、当時付き合っていた彼氏と
何度か足を運びました
とにかくおいしい! 小麦粉などは使わず、野菜スープと カルダモン等・・・何十種類
のスパイスを使い、一人分ずつ丁寧に作る味わい深い最高のカレーでした
今では(かなり前から)もうなくなって、消息不明ですが
今どうしてらっしゃるのかな
どなたかが(娘さんとか)受け継いで、どこかでお店やってらっしゃるなんて事は
ないでしょうか・・・
あのカレーの味は、今だかつて巡り合えずにいます
どんなに評判のカレー屋に行っても、一口食べてガッカリという
残念なカレー人生を送っています
駄目元で
どなたかの、有力情報を期待しています
死ぬまでにもう一度食べたい  あのカレーを・・・・・


519 :ねたはないけど :2000/05/04(木) 12:46
あげるよ。

520 :戸碌斎 :2000/05/05(金) 11:17
近所の小さな神社にトタン葺きの小さな屋台。
そこで売っていたみたらし団子
まちまちの大きさのひらたい団子に、醤油味のタレ。
神社とつながってある神主さんの家の軒先に、
寄り掛かるように建っていた小さな屋台で、
一本二十円だか三十円だかで、雨の日も雪の日も売っていた。
近所の人は、何かあるとそこで団子を買っておやつにしていた。
子供もいず、どう見ても裕福とは言えない団子屋の老夫婦が
かわりばんこで屋台にたっているのを、近所の皆が支えているようだった。
いつも同じネズミ色の着物を着た無愛想な婆さんと、
これも殆ど言葉を発しないが酒ヤケの赤ら顔のにこやかな爺さん、
決まって子供には十円おまけしてくれた。
一本買っても十円引き。お使いで二十本買っても十円引き。

大学に入って町を離れ、数年してからふと気がつくと、
団子の屋台はなくなっていた。
屋台に車が突っ込んで婆さんが亡くなり、
気落ちして見る影もなく痩せ細った爺さんも
数カ月後、後を追うように病気で亡くなったそうだ。
それを聞いてちょっと泣いた。
屋台が無くなって間もなく、神主さんは家の改修をしたという。
屋台がある間は言い出せなかったんだそうだ。

あれから十数年。あの団子の味をもう一度味わいたくて、
みたらしと見れば飛びついて買って食べる。
でも、どれも甘ったるく、なんだか上品で、
あの神社の屋台の団子の味がした事はただの一度もない。

521 :キソ肉マソ :2000/05/05(金) 14:38
俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。

俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。

いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。

ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。

そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」

俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。

今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。

522 :う〜ん :2000/05/05(金) 19:25
みんな、いいなぁ。

523 :浪花のバーテン :2000/05/06(土) 11:01
ずーっと読んでて、今思い出した。
今から8年前の8月31日。
高校生活最後の夏休みもオーラスを迎えたあの日。
俺達、和歌山N高校の美術部軍団十数人で
「最後のこの日に、思い出を作るぜ!」っつーて
海岸でバーベキューをすることになった。
網や木炭やら用意して、全員集まってさあ始めるか!
っつーたんが午後10時頃。
しかもその日は台風が近付いてて、風の強いこと強いこと。
でも、アホな俺たち。
「こんぐらい、いけるいける!」とかゆって
そこらへんにあった大きめの石積み始めて、用意始めたんだわ。
で、木炭真ん中に置いて、新聞丸めて火を付けて、
やっと木炭も赤くなってきた。


524 :浪花のバーテン :2000/05/06(土) 11:03
 つづき
さあ、やっとや!肉喰うでー!と肉を網にのせた時。
ザッパーン!
肉!網!木炭!全てが波に呑まれていった。
数秒の沈黙。そして、友人が一言。
「あ〜あ。」
次の瞬間大爆笑。
やっぱりこういうんが俺ららしいわ。とか
最後の最後にコレかい!とか言うて、
結局余った食材持って俺の家で焼いて喰った。
次の日学校やのに、朝まで騒いでた。
普通にバーベキューやってたら、ここまで
鮮明に憶えてなかったやろな。
ほんまに、あの時の仲間は最高やった。
だから俺は水辺でバーベキューする度に、
あのほんまにオモロかったあの高校生活と
もう疎遠になった仲間達の顔を思い出して、
なんか妙にセンチになる。

525 :酒飲みモナー教徒 :2000/05/06(土) 15:46
良いスレッドですね〜。(T_T)

私の思いでの食事は初めて彼氏に夕食を作った時のことです。
留学中に付合い始めたベジタリアンのアメリカ人の彼氏で、
はじめて私のアパートに泊まりに来たときの事。

いつもはラーメンしか作らない私ですが、
この時ばかりはと、日本食5品を作りました。
日本から送ってもらった半インスタント食品の品々。
たきこみ御飯、味噌汁、マーボ春雨、ワカメのサラダ、酢豚(肉なし)
いまでもはっきり覚えています。

味噌汁は外国人には合わないかな〜と思ったけど、
全部を御代わりしてくれて、最後に
”こんなに美味しいディーナーは、生まれて初めてだよ Thank you!”
と言ってくれました。
まぁ、アメリカ人のオーバーな誉め言葉と言うことを差し引いても
私には最高の夕食でした。
多分、初めて料理をしてよかったと思った瞬間だったと思います。

今、その彼氏は、よほど日本食が気に入ったのか(?)
九州で英語を教えに行っています。私はまだアメリカにいますが、
彼はこの夏にこちらに戻ってくる予定です。

今度は、私に日本食(九州地方ののなにか)
を作ってくれたらな〜と期待しています。



526 :ZX4 :2000/05/06(土) 18:21
うちの母はとても料理がとても下手で、私を含め兄弟は全員、母の毎日
の食事よりも父の時々作る外れが無い料理になついて育ちました。
(両親ともに健在です)

ある時、女の子の友達に母の料理が家族全員のブーイングに遭ってる
話をしたら、(当然、それでも全く母はめげてない)「え〜お母さん、
かわいそう」とか言われてしまったことがあったのですが、
○ある日のみそ汁の具はピーマンだった
○別の日のみそ汁の具はレタスだった
○休日の昼飯に出たホットケーキはダマ入りwith桜エビと青ノリだった
○腐りかけの残り物のおかずがでることは珍しいことでは無い
etc.の数々の母の武勇伝や、それらを残すと容赦なく親父のゲンコツが待っていた話をすると、すぐに納得してもらえました。
家族にとって「お袋の味」=ゲテモノ料理となってます。(^^;)

そんなわけで兄弟全員にとって、ミッション「食べ物は好き嫌いなく残
さず食べる」「男でも簡単な料理ぐらいは作れるようにする」などと
いうことは造作もないことでした。母の料理が反面教師となって、
「味的にも傷み具合の上でも異常がない食い物を残すなんて罰当たり」
「料理に文句があるなら自分でどうにかする」という意識が英才教育
されてしまってたのです(恐るべし母)。
おかげで給食や、めったに行かない外食はご馳走も良いところでした。

つづく

527 :ZX4 :2000/05/06(土) 18:22
つづき

やがて月日はたち、社会人になって一人での生活を過ごす今となっては
、ガキの頃の憧れだった外食や、コンビニ弁当などで済ませる食事も
増えました。そしてそれらの、味は憧れるほどのものじゃないってこと
(注:当然外食≠高いとこの料理です)、毎日食べるには栄養のバランス
が悪いこと、などが分かるようになり、今では逆に毒々しい色の漬け物
とかは意識して残す習慣になりました。

口当たりは良いけど野菜が少なく、添加物とかが入ったわびしい食事と、不味いけど家族の団らん(喧噪?)が絶えず、添加物は入ってないけど一発当たったら逆の意味でおつうじに悩まされる食事。
未だにこの究極の選択のどちらが良いのか答えが出ません。

あ、オチは「親父の手料理が恋しい」です。(^^)
長文駄文すいません。

528 : :2000/05/06(土) 18:28
↑すいません、改行がかなり変になってしまいました

529 :栗 良平@一発のかけそば :2000/05/06(土) 18:56
このスレッドの内容を語り物にしたら、
しばらくドサ回りで喰っていけそうですね。

530 :名無しさん :2000/05/07(日) 03:02
最初にお断りしておきますが,私は世間で言うオカマちゃんです.

そんな,私にも彼が居た頃です.

私が具合が悪くて,寝ているとき彼が料理を作ってくれました.
料理と言っても,お粥とレトルトのお味噌汁.
お粥は固かったし,お味噌汁はしょっぱかったのを記憶してます.
その時,私は手術の後だったんで食欲もなかったんですけど
彼が折角作ってくれたんで,無理して食べました.
はっきり言っておいしくなかったです.
でも,彼が作ってくれたのと手術の成功からでしょうか泣いてしまいました.
すると彼は何も言わず,玄関から出て行ってしまいました.
数分後,息を切らして戻ってきて,無言で私にコンビニ袋を差し出しました.
中には私の大好きな焼きプリンひとつ.
泣き続ける私.
彼なりの愛情表現だったんでしょうね.
でも,その時の私は自分の事で精一杯で彼の気持ちには答えられませんでした.
その後,彼が事業に失敗,連絡がなくなり自然消滅です.

あの焼きプリンだったのかなぁ と今更ながら思う私です.
今だったら,良い奥さん?になれる自信あるんだけど.

#女性ホルモン打つと(初期)情緒不安定になるらしいです.

531 :名無しさん :2000/05/07(日) 17:26
うえーん(><)
いいなあここ・・・。


532 :ftp :2000/05/07(日) 20:14
サッカー部の先輩が難病で他界した。死ぬほどの重病だったとは知らなかった。
22歳で一人っ子だった。お通夜の弔問客は少なく、意外なほど年老いた夫婦に、
2階に案内された。友人ら3人でしばらく酒を飲むのだが、俺たち以外に2階には
誰も来ない。そのせいか、盛り上がらず、早々に退散しようとした。老夫婦はどうぞもっと
いてください。息子も喜びますからというのだが、誰も手をつけていない上寿司
ばかりがが並んでいる2階がなんとなく居づらく帰ってしまった。
一人息子を亡くした夫婦のさびしそうだったこと。なんで朝まで飲み騒いでやらな
かったのか、ずいぶん薄情なことをしたと今でも後悔している。


533 :名無しさん :2000/05/08(月) 06:33
幼稚園の頃実家でやってる仕事の取引先に
母親といっしょにいったことがある

母親はその会社の入り口のところで
じっとしてなさいってきつくいったけど
待っても待っても母親は帰ってこない
それで急に一人でいるのがこわくなってその会社のなかで母親を探しはじめた
なんでかわからないんだけど社員とはすれ違いもしなくて
灯りもついてなく薄暗い、天井が凄く凄く高くて
ガラーンとした廊下をとぼとぼ歩いてると
もしかして自分は捨てられてしまって
もうここで一人ぼっちなんじゃないかと思えてきた
もう皆とも大好きな坂本先生ともあえなくなったんだとおもったら
そうしたらなんだか鼻の置くがツーンとして涙がでてきて
でも泣くのがかっこ悪いと思ってたから必死に我慢して

そうしてずっと歩いてたら掃除のおばあちゃんに出会った
そのおばあちゃんがどうしたのって声をかけてくれたらもう我慢ができなくって
訳がわからなくなってそのおばあちゃんにしがみついて大声で泣いてしまった
そんな困った子供をそのおばあちゃんは頭を優しく撫でてくれて
泣き止むまでずっとそうしてくれた
それから紙コップに入ったコーラと食パンを手渡してくれて
そのころコーラが辛くて飲めなかったんだけどすごくおいしく感じられて
それをのんだらものすごく心が落ち着いたのを憶えてる

もうあのおばあちゃんの顔も覚えてないけど
抱きついたとき感じた作業服の匂いとあのときのコーラの味はまだ憶えています

534 :名無しさん :2000/05/08(月) 16:06
涙でキーボードが見えないのでブラインドタッチできてよかったなぁ。

535 :このスレッド良すぎる! :2000/05/08(月) 17:32
このスレッド読んで、たまらずGW実家に帰って来ました。
母親がすごいよろこんでくれて私の好物ばかり作って
くれました。

美味しかったです。ありがとう>2ch


536 :名無しさん :2000/05/08(月) 19:21
家庭の事情により、バスで幼稚園に通っていたことがあります。
バスは幼稚園バスではなく市営バス、周りは朝を急ぐ大人で一杯。
当時4歳の私にはみんなが誘拐犯に見え、座ることもできず
泣き続けていました。
やっとついたバス停にはかならず祖父母がいて、祖父は大きな
逞しい胸で泣きじゃくる私を抱き締め、なだめ、3人で手をつないで
幼稚園に行っていました。幼稚園が終わると、祖父母の住むアパート
に行き、夜まで過ごしていました。
私をかわいがってくれた祖父母が、たまに『特別』といって買って
くれたお菓子があります。デパートの食品売り場にあった、何g
何円という、回るワゴンに乗ったお菓子です。
好きなのを買いなさいと祖父母が見守る中、決まって買うのは
風船に入った丸い羊羹。羊羹といっても、今思うと子供騙しの味で、
なのに大好きでした。
あの時間の事を思うと、いつも笑っていたように思います。

その後幼稚園にバスで通わなくなり、祖父母と一緒に住む
ようになったのですが、祖父母と両親の間には、お金のからんだ
大人の事情というものがあり、いつも殺伐とした空気が流れていました。
私は徐々に祖父母に甘えることはなくなり、冷たい態度さえとる
ようになっていました。
その後祖母が他界し、しばらくして私は進学の為家を出ました。

たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。大きなはずの
胸は痩せ、足は驚く程細く、強かった足腰は今では杖を使う程です。
いつも涙ながらに私の帰郷を喜び、小さな私が泣きながら抱き着いて
いた話しをします。今がどうであろうと、冷たい態度をとってしまっても
祖父にとって私はいつまでも小さな女の子です。
今度帰ったら、祖父とたくさん話をしたいです。いつまでも長生きして
いつか私が産む(かもしれない)曾孫も可愛がってください。

537 :にゃん :2000/05/08(月) 21:52
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。

538 :>537 :2000/05/08(月) 22:30
うぇ〜ん(ToT)
私も泣けてきました・・・。
タクシーの運転手さんも一緒に泣いてくれるなんて・・・なんていい人
なんだ!!


539 :僕もひとつ、半年前に別れた彼女のことを。名無しさん :2000/05/09(火) 09:12
彼女は、ほんとになにも料理ができない人だった。
あまりに何もできないので、「肉じゃがってのはこうやって
作るんだぞ」なんて、僕のアパートで作り方をおしえていたくらい。
3年くらい付き合っていて、僕は一足先に社会人になっていた。
彼女はまだ学生。僕はマスコミ関係の仕事に就いたこともあって、
なかなか会えないことも多かった。でも、僕は将来は結婚しよう、
と密かに考えていたんだけどね。

ある日、将来のことを話していて、自分の進路をちゃんと考えていない彼女に、
かなり厳しいことを言ってしまった。電話口で泣き崩れる彼女。
僕は、変に社会人として先輩風をふかしていたんだと思う。
その場はなんとか収めたけれど、しこりが残ってしまったような感じだった。

そして数日後の早朝、突然に彼女は急にアパートへ押しかけてきた。
そんなことは今まで無かったのでびっくりしていたけど、なぜか彼女はゴキゲンで、
「いっしょに朝ごはんを食べよう」と、
彼女はコンビニのおにぎりとカップ味噌汁を取り出した。
僕は、おいおいコンビニのおにぎりかよ、と思いつついっしょにおにぎりを食べた。
夜遅くまで帰れない僕といっしょの時間を過ごすには、これしかなかったし…。

でも、それから2か月もしないうちに、彼女から別れ話が出た。
僕の方も、うすうすと感づいていたので、驚きはしなかった。でも、
ただただ、悲しくてポロポロと泣いてしまったのを覚えている。

彼女、つらかったんだろうな…たぶん、あの日は眠れなかったんだろうな…
無理に明るく振る舞ってたんだろうな…
徹夜で仕事中、コンビニのおにぎりを食べると、あの日を思い出して泣けてきます。
そんなときは「クソッ、彼女が料理できたら、仕事中に泣かずに済むのに」と、
一人で強がって気を紛らわせています。


540 :だから :2000/05/09(火) 20:26
仕事中に泣かすなって。

541 :俺も泣いている :2000/05/09(火) 21:37
今日も残業の夜だけど、少し疲れてきたらこのスレッドを
読んで深夜まで頑張る事にしてる。
優しくも哀しくせつない気持ちになる。
別れたあの子は元気だろうか。
今、誰の声を聞いて暮らしているのだろうか、と。

お前の手料理をずっと食いたかった。
あの手料理を、もう食べる事は出来ないんだな。

お前のサラダがとても好きだった。
あのレシピを、お前から教わった通りに作っているけれど
お前のようには上手く作れない。

あのサラダを作る度に思う。
いつか俺が幸せになった時に、あの味は再現出来るのだろう。
今、俺は同じ場所で、独りで頑張っている。
あのサラダの味の再現はまだ遠い先のようだ。

542 :名無しさん :2000/05/10(水) 14:00
よいしょっと。

543 :ANA :2000/05/10(水) 20:42
おなじく よいしょっと!

544 :名無しさん :2000/05/11(木) 05:23
ちょっと思い出したので、イイ話じゃないけど俺も。

俺がまだ小学1〜2年生ぐらいだったかの頃、母がなにかの用事とかで
夜まで帰ってこれないことがあった。
日曜日で親父が家にいて、昼時になったので飯を作ることになった。
いつも仕事ばかりで、たまの日曜でも寝てるかゴルフ見てるかしかない
親父だったので、なんだか妙に嬉しくてはしゃいでいた。
で、出てきたのは黒いさつまあげ。焦げまくっていた。
一口食べると苦くて苦くて、「いらない」って言ったら「食え」って
怒られて、泣きながら食べた。
その次の日曜も親父の料理だったので、俺は憂鬱だった。
「できたぞ」と言うので渋々台所に行くと、明かに「チャーハン」
ではない「焼き飯」が皿に盛られていた。しかもリンゴのかけらがちらほら・・。
見るからに具が怪しい(リンゴと鶏肉等)ので、暗ーい気持ちで口に入れると
なんでか判らんが不思議と美味かった。
しかも、それはあの「クジラ」の味がした。入ってないのに何故か。
恐るべしウチの親父。

今でもいっしょに酒を飲むとき、親父は妙なつまみを作ることがある。
不味い事も多いが、美味い時もある。
その時は、大抵「違う何か」の味がする。恐るべし。

545 :メロン :2000/05/11(木) 21:25
あれは小さい頃、4歳ぐらいかな?
私はメロンが大好きだった。
祖父母の家に行く度に大きな美味しいメロンを食べては喜んでいた。
でもそのメロンは末期ガンだった祖父のお見舞いの品だった。
祖父はホテルマンの重役だったからいつも沢山のお見舞い品をもらっていた。
私は小さかったから意味もわからず食べていたけど
おいしそうに私が食べているのを見て嬉しそうにしている祖父の顔は
今でもなんとなく覚えている。
笑っていた時もガンの痛みと戦っていたんだろう。
祖父はそういう人だった。15年経った今でも一番尊敬している。

546 :ナナ :2000/05/12(金) 00:08
中三の時つきあってた彼女と、彼女の友達の家に遊びに行った。
で、ただダベったり漫画読んだり音楽聴いたり。
それは一見幸せそうな時間だったけど、
彼女を友達にとられたような気がしてちょっとふてくされて、
ベッドでごろんと横になってた時、その友達が、
「お腹すいた」と言い出した。すると彼女が、
「あ、クッキー焼いてきたんだよ。食べる?」
…まさに、寝耳に水。
でもそこで飛び起きるのはプライドが許さない。
些細な事なんだけど、いっそうその友達に嫉妬して、
「声をかけられるまで待とう、自分から行くものか」と意地になった。

二人がクッキーを食う音が落ち着いた頃起きあがって、
置いてあるクッキーに気づかないフリしてた。
その時もまだ、「声をかけられるまで」と思ってた。
でも結局その声がかけられる事はなくて、そのまま二人で帰った。
三枚くらい残ったクッキーは、
置いていったのか、彼女が包んで持って帰ったのかは覚えてない。
帰り道は、平静を装ってたけど、不安で不安でしょうがなかった。
ホントに俺の事が好きなのか?と(笑)。

思い出せば出すほどガキくさい思い出だけど、
先にも後にも彼女の手料理に触れられる機会はなかった。
「おいしーい」という友達の声と
「さくっ、さくっ」という音を聞きながら、
まぶたを閉じていた俺を今から叩き起こしに行きたいくらいだ。
ホントにもったいないことしたなぁ…。食いたかった…。

547 :>546 :2000/05/12(金) 09:02
もう〜! 意地っ張りなんだから〜(TДT)
でも気持ちわかる。今度は素直にネ。

548 :名無しさん :2000/05/12(金) 09:20
昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。
原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。
「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。そこで女房が何を言っても
俺は切れただろう。前例もあったし。あいつもそれを良く知ってる
から何も言わなかった。それも分かってたけど、なんだか馬鹿に
されてるような気もして、八つ当たりしてしまった。
すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁
もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。
あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。ものすごく
後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま
謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。
夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。もしかしたら
女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。が、部屋の
灯りはともっている。しかもなにやらいい匂いもする。
思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの
鍋を抱えて出迎えてくれた。「これで仲直りしよう」と笑顔で。
俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来る
べきだったのに。
もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと
心に誓った。
本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。

549 :541 :2000/05/12(金) 09:27
朝から泣かせんなよぅ…
良い女を選んだなぁ、あんた。>548
心の底からそう思う。

550 :名無しさん :2000/05/12(金) 10:01
会社で泣いてるのがバレないように 目薬を買っちゃった。
「ドライアイなのかなぁ〜」なんてわざわざ周囲に言ったりして。
いつもはほとんど使わないうちに 古くなって捨てちゃうんだけど
今度のは もう半分に減ってる。

551 :>549 :2000/05/12(金) 13:37
同感。
もう奥さん泣かしちゃだめだぞーう>548



552 :548 :2000/05/12(金) 15:32
今、改めて自分の書込みをみた。改めて自分の身勝手さに
呆れた。(文章も変だった)
皆さんレスありがとね。
今日はケーキの一つや二つ、花の一本や二本でも買って
帰ろうと思った。誕生日でも何かの記念日でもないから、
きっとあいつは変な顔するかも知れないけど。

553 :名無しさん :2000/05/12(金) 16:23
初めて見て、全部読みました。久々に号泣してしまいました・・・
色々思い出して私も一つ・・・

小学生低学年のころ、両親は共働きで私は毎日学校が終わると、妹を保育園までを迎えに行っていました。
母は、パートではなく正社員で働いていたため、帰ってくるのは夜の7時とか8時・・・。
うちには作り置きの食べ物も無く、あるのはサッポロ一番だけでした。
おなかが減ったら泣き出す妹に、サッポロ一番を作ってあげて一袋を2人で分けて食べていました。
ちょっとでもゴージャスにしようと思って、とき卵を最後に落とし込んでかき混ぜると格別においしかったのを覚えています。
(麺は硬めと、子供ながらにこだわりまであった^^;;)
正直言って、子供のころに母の手料理を食べた記憶があまりなく、
トラウマか、つい最近までインスタントラーメンが食べれませんでした。
今、小規模ながらも一事業主として1からスタートし、成功している母は、
「あんたが子供のころ、妹を面倒見てくれたから、お母さんは成功したんよ。
あんたがいなかったら今の私は無いと思う」と泣きながら「ありがとう」と言ってくれました。
そして急に卵を入れたサッポロ一番が食べたくなって、久々に食べました。

母はその後、「それにしても今思うと、子供に子供を迎えに行かせて、しかも背の低い子供に
平気でガスコンロを使わせてたなんて・・・恐ろしいわ〜〜
よく無事だったもんだ」と笑っていました。




554 :名無しさん :2000/05/12(金) 16:30
>548
ステキな奥様で 幸せですね。
今夜は楽しいディナーになるといいですね。

私は 共働きなのを言い訳にして 最近あんまり丁寧な料理を
作ってないなぁ・・・ (反省)
今日は がんばってビーフシチューでも作ろうかな。
(家の夫もビーフシチューが大好物)
夫 ビックリするかな・・・



555 :名無しさん :2000/05/12(金) 19:44
泣ける話じゃないんですが。

自分が小学校5・6年の頃、
クラスメートの女の子からバレンタインデーに
手作りチョコをもらいました。
翌日、あれぐらいの年齢特有の「女子vs男子」感覚から
「食べたけど、うまくねー」みたいな強がりを
学校で言う(本心はウキウキだった)と、
その女の子は泣いてしまいました。
依頼、モテたためし無し! バカたれ > 俺

556 :名無しさん :2000/05/12(金) 20:25
こんなスレッド読んで泣くやつは低脳。

557 :だるまいんこ :2000/05/12(金) 20:35
>556
低脳でもかまわないよ〜ん。
素直な感性の方が人として大切だよ。

558 :名無しさん :2000/05/13(土) 00:49
どうしてもピザが、食べたかったらしい。

家に帰ってきたとき、妹の奮闘の結果が台所一面に広がっていた。
開いたままの薄力粉の袋。溶いた小麦粉がこびりついたボウル。
まだ熱いレンジの横にケチャップのチューブとソーセージの断片(たぶんサラミの代用?)
皿の上に乗っていた一切れを囓ってみたが、
それは『塩味クッキーのソーセージ乗せ』としか表現のしようない代物だった。
レシピを見る、という観念のないまま食欲の赴く限り勘だけで(!)
料理を作り始めた弟は数多くの失敗を重ね、いまでは(私を越える)
いっぱしの料理上手になっている。
ある日の夕食に出たホイコーロー(絶品だった)の作り方を訊いたところ
彼女は『クックドゥ』だと答えた。なんだレトルトを使ったの、拍子抜けした私が笑うと
妹は違うという。
「スーパーでクックドゥの後ろにある源材料名を見るの。たぶん含有量の多い順に並んでいるから
あとは食材に火を通せば、どうにかなるでしょ」

正直言って、食事を作るというごく簡単な(筈の)ことにも天賦の才能というのが存在するんだと
思い知ったのはあのときが初めてだった。



559 :ギコ猫より :2000/05/13(土) 09:28
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  556は逝ってよし。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________

560 :名無しさん :2000/05/13(土) 12:42
>558
話の途中で出てくる弟さんはどうなってしまわれたのですか?(笑)

561 :>560 :2000/05/13(土) 12:55
性転換に1票(ワラ

562 :ギコ猫より :2000/05/13(土) 13:58
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  556も逝ってよし。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________

563 :名無しさん :2000/05/14(日) 21:24
よこいっしょ

564 : :2000/05/15(月) 01:09
大学進学のため、一人暮らしをはじめたとき、
最初の3日間、母がついてきた。
いろいろな手続きなどを手伝ってくれ、
ご飯を作ってくれた。
何の変哲も無い肉野菜炒め、生野菜サラダ、白いご飯。
いつもの味だった。
これから一人で暮らす部屋での、母と私の一対一の食事。
奇妙な感覚だった。

さっぱりした性格の母は、「体に気をつけて」とだけ言って、
田舎に帰っていった。
急に寂しくなった。
そして、その後1週間、
同じ材料で肉野菜炒めを作ってみたのだが、
同じ味は出ない。
3年たった今でも、できない。
料理屋でバイトし、そこそこの腕を身につけたはずなのに。

盆や正月に実家に帰ると、親が喜んで、食事が寿司の出前や外食になる。
また、友達と遊んで飲み屋で食事をとったりする。
今度帰省するときは、いきなり帰ってみようかな。
そしたら、夕食がいつものおかずで、
あの「肉野菜炒め」が食べれるかもしれないから。

565 :名無しさん :2000/05/15(月) 06:37
>564
良い話です。
帰国して、一番食べたいものって子供の頃から熟れ親しんだ母親の
料理だったんだと最近気が付きました。
出前の寿司よりもかあちゃんの作ったカレイの煮付けが喰いたいよ。


566 :名無しさん :2000/05/15(月) 10:03
>564
俺も帰ってみたくなった。金がないのに・・・

家の味の思い出といえば、コロッケかな?
何の変哲もないコロッケだけど
むちゃくちゃうまいんだよね。
コロッケのしたくの際によく手伝わされてさ。
夕方のアニメ見ながら芋をつぶしたり丸めたり。
丸めながらつまみ食いしてた。

今一人暮らしだから、「揚げ物と言えば総菜屋」になってるんだよね。

前に実家に帰ったとき
「何食べたい?」と言われて「コロッケ!」と即答したら。
実家に住んでいる弟からブーブー言われた。
「せっかくご馳走食べられると思ったのに・・・」だってさ。

毎日コロッケでもいいな・・・

567 :ギコ猫より :2000/05/15(月) 10:28
     ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( T_T)<  逝逝スレッドだな。
 UU ̄ ̄ U U  \_____________

568 :名無しさん :2000/05/15(月) 23:11
あgE!

569 :名無しさん :2000/05/16(火) 03:10
ばーちゃんの作ったチキンライスが食いたい。
ばーちゃん曰く、それはチャーハンだったんだけど、
ガキん時によく作ってもらった。
うまかったよ。大好きだった。
2年前にばーちゃんが倒れたと連絡があったとき、自分で
チキンライスを作って願をかけた。
マジで泣きながら作ったよ。
ばーちゃんは命を取りとめはしたけど、もうオレが誰かも
わからない。
もう一度食いたいよ、ほんと。

570 :名無しさん :2000/05/16(火) 11:22
あげておこっと!

571 :名無しさん :2000/05/16(火) 11:26
両親が商売を始めたので同じだけ仕事をしてるのに父に労わりがなく
家事を母にだけ求めていた事で良く喧嘩をしてました。
それを見たくない一心で10歳から家事を始めた私。
冷蔵庫にある物でちゃっちゃっと3,4品のおかずを作れてしまう。
でも20代前半はそんな事ができてしまう自分がコンプレックスでも
あり、子供の頃の悲しい気持ちも思い出してしまうので彼ができても
料理はかなり信頼するまでする気になれない事だった。
逆に言えば私にとって最高の愛情表現でもあったのかな?
今迄が料理できないとすら思われていたからもあるだろうけど料理
したらどの彼も「美味しい、美味しい」って食べてくれて私の心に
固まっていた気持ちも溶けてきました。
思えば10歳で必死に料理できたのも弟と妹が「美味しい」って
いつも喜んでいてくれたから。
「美味しい」って魔法の言葉ですね。


572 :名無しさん :2000/05/16(火) 12:05
私が帰省したときの食事は豪華だったんだけど父の好物ばかり(笑)
父が「自分が好きなものはみんなが好き」と思い込んでいるため。
最後の日はわたり蟹のお味噌汁だったので嬉しかったな。


573 :すぬ :2000/05/16(火) 14:10
>569さん
うるうるしちゃいました。(T_T)

>571さん
あなたのごはん、きっととても美味しいんでしょうね。(^_^)
「美味しいものを食べさせたい」っていう優しい気持ちは、何よりも
いい調味料だと思います。

574 :名無しさん :2000/05/16(火) 15:45
カツ丼。

母親が不倫していることがわかり、離婚前提で
別居して夜、父が出前で頼んだ夕飯。

たべたくないけど無理矢理詰め込んだ。
大好物なのに少しも美味しくない。


575 :名無しさん :2000/05/17(水) 03:07
7、8年前中国に旅行に行ったときの話。

あるホテルの食堂でいくつかの料理と「青竹なんたらかんたら」と
あるスープを頼んだ。中華は最後にスープがくるので、ほかの料理を
食べたあと待っていたのだが、30分近く待ってもなかなかこない。

あの国はサービスが適当で、いろいろな料理屋でずいぶんと
待たされることがあり、そのとき入ったところでも「どうせサボって
いるんだろ」と日本人的・厨房的感覚で馬鹿にしていた。

40分ほど待って、ようやくスープがきた。お盆に竹筒がのっている。
大きなどんぶりに入ってくるスープを予想していたのだが、
「あれっ」と意外な感じがした。竹筒に竹のふたがしてあり、
それをとろうと竹筒をつかむと、とても熱い。あちあち言いながら
ふたを取ると中にスープが入っている。どうやら、竹の中に材料を入れて
延々あつあつになるまで蒸したらしい。竹筒は陶器と違い熱の伝わりが
悪いだろうから、時間がかかるはずだ。瞬間、それまでの自分の考えを反省
した。さすが、食にこだわる国だ。

味は、中華風コンソメともいうような感じで、牛肉の小さな塊とねぎ、
香ばしい木の実が入っており、全部食べ終わってから「もう一度同じ
時間まつからおかわり」というくらいのおいしさだった。

たかだかそれだけのことだが、いっぱいのスープに「自分の浅はかな
考えや経験だけで世の中をつかもうとするなよ」と教えられたような
気がした。それ以来、料理を待つということに関してはたいがい
腹を立てないようになった。

576 :名無しさん :2000/05/17(水) 09:55
ageついでに・・・

先日 夫の誕生日、 急いで会社から帰ってご馳走を作った。
ご馳走とはいっても とんかつ、カニ、雲丹、エビフライ、ハンバーグなど
栄養のバランスも何も無い、ただ 夫の好物だけを作って並べた。
(ほとんど野菜の無い食卓)
「あー美味かった〜」とTVを見ている夫の前に とどめにデザートのスイカ。
(スーパーのタイムサービス品)
「ぃやったぁーーーー!!!!」
目を輝かせてスイカに飛びつく夫。

「美味かった」って言ってもらえただけ まだましかな?
ちくしょー いつかスイカを越える料理をつくってやる!!!

577 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 14:10
このスレッドが消えなくて良かったと思いつつあげ。

578 :名無しさん :2000/05/17(水) 16:59
不倫していた19の頃。
一人暮らしを始めたばかりで料理は上手なんかじゃないけど
まあ普通にするくらい。
その男は美味しいとも不味いとも濃いも薄いも言わずに
毎晩うちでメシを食ってはすぐに眠りに入るというとんでもないやつで、
あたしは何でもいいから一言が欲しくてイライラしてた。

ある日その男は、ササミを炒めて塩コショウしてくれとリクエスト。
つくって出したら、あたしが先に出してた大根の煮たのとか
一応手間をかけたのには手を付けず、
うまいうまいとササミばかり食べる。
「簡単だろ?つまみにもなるし」と得意そうに言いながら。
それがとても嫌だった。もっとやさしくしてほしかった。

今の彼はご飯をつくるのがとても上手で、買い物もいつも一緒に
してくれるけど、ササミは実は買いたくない。

579 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 17:12
泣けるネェ、ぐぐぐ。

580 :名無しさん@1周年 :2000/05/17(水) 22:19
昔大学に行って初めて一人暮ししたとき。
荷物や何かを一緒に運んできてくれた両親が帰った次の日の夜、
さあ一人で晩御飯を作って食べようと、台所に立った。
で、いつも家事を手伝っていた調子で、ハンバーグを作った。
3人分位作ってしまった。
焼いて、付け合せの野菜切って、綺麗に盛り付けてとしてる間に、
面白くて笑えるテレビを大音量で付けてたのに、やっぱり
寂しくてたまらなくなってきた。食卓についた時には
もうハンバーグはひどく味気ない、おいしくない代物になって
しまってた。

いつもは晩御飯を作っておいたなら、両親が「美味しい」
「綺麗に盛り付けたね」と誉めてくれて、嬉しそうに食べて
くれてたのに、このとき初めて気がついたのですね。それまで
当然のように流して聞いていたので、それがどんなに嬉しい
ことかと考えもせずに。

 まだ見知らぬ土地で友達も居なかった時で、何もかもひどく
さみしかった。ほんとに一人っきりになった気がした。電話もまだ
部屋に繋がっていなかったので、数百m先の電話ボックスまで
走って行って、晩御飯にハンバーグを作ったという話を、
泣きながら話してた。電話ボックスの丸見えのガラス張りが
ひどく恥ずかしかったものです。

 ハンバーグはその後、ピーマンに詰められたりミートボールに
なったりと姿形を変えたけど、なくなるころでないと泣かずに
電話出来たこと無かったなあ・・・。

581 :名無しさん@1周年 :2000/05/18(木) 00:54

……いやぁ、滲みる。
なんか気持ちの深いところにじわじわと滲みます。
しかも実はたいしたことない話(失礼)の方がよけいにキますね。

ついでに記憶の中の思い出したくないことまでふと浮いてきそうでちょっといやですが。

582 :名無しさん@1周年 :2000/05/18(木) 10:31
よいしょっと。
あげておかないとね。

583 :このスレッドは2ちゃんの良心 :2000/05/18(木) 21:04
昔自分が通っていた中学校は、小学校とは違って給食がなく、
購買部も金銭トラブルとかで無く、生徒のほとんどがお弁当を持ってきていた。
そして僕が中学1年になりたてのころに、弁当を食べていた10人ほどの
グループの中で「今日の弁当の1番は誰?」とかいう各付けが流行っていた。
1番になるのはいつも運動部をやっている人がほとんど。
まあそういう人の母親は家事を見事にこなす専業主婦が多いわけだから、
当たり前なのだけど。自分の母親と祖母は外に働きに行っていたので、
お弁当もその人たちと較べると、貧相か手抜きに見えていた。
それでも、自分はありがたく食べていたのだったが、あるとき自分の弁当に
とても腹がたって、むかついて一口も食べずに帰ったことがあり、
母親に「お弁当をもう少しなんとかしてよ。」「OO君のはさ〜。」とか言って、
母親を泣かせてしまったことがあった。
母はその夜から料理の本を熱心に見るようになった。
そしてそれ以来、母や祖母が一生懸命にお弁当を作ってくれるようになった。
ある日の各付けで自分のお弁当が一番になったときは、母と祖母に
「ありがとう。美味しかった。」と自然に感謝の言葉を発していた。
今思えば、ムリをさせていたなあって思う。
ゴメンねお母さん。

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