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思い出に残る食事
- 424 :名無しさん>417 :2000/04/21(金) 01:18
- ごめんなさい。
「最新レスを全部読む」でもわからない。
具体的に教えてください。
このスレッド、ずーっと見てきてるのに、何のことかわかりません。
- 425 :>424 :2000/04/21(金) 01:27
- 板に関係なくてゴメン。
419の書き込みがいっそう訳わからんものにしてると思うよ。
お節介さんの言いぶんであってない?>417さん
- 426 :424 :2000/04/21(金) 04:03
- あと数行書いたら、「長いので省略・・・」ってなるの?
自動的にそうなるようになってるの?
でも、なぜ数行省略されてるのがわかったの?
んんん、私馬鹿かな。ほんとにわかんない。
わかりやすく教えて。気になっちゃって・・・。
関係無い話でごめんなさい。
- 427 :名無しさん :2000/04/21(金) 06:53
- 30行過ぎると 長いので省略されます。
それを踏まえて読んで見ましょう。
- 428 :愛川欽也>424 :2000/04/21(金) 07:56
- 15
10
15
20
25
30
ハイッ 消えた!
- 429 :名無しさん :2000/04/21(金) 09:29
- せっかく良いスレだったのに
関係ないことでおかしくなってきてるな。
毎朝読むの日課にしてるのに。
- 430 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:00
- すみません。
私の不用意な書き込みで おかしなことになってしまいました。
最初、407さんのエピソードに対する 409さんの書き込みの意味が
わからなかったんです。
結局 407さんが 「長いので省略・・・」となるのを『計算の上で』
その省略される部分に TO:彼女へ の文章を入れたのだとしたら
やるなぁ。 って事だったんですよ。(あくまでも だとしたら の話です)
他の方はわかりませんが
私にはその やるなぁ って思った事が 409さんの「確信犯」という
言葉にピタリ と来たわけです。
なので あまり深くは考えず ただ引用してしまいました。
(418さんのおっしゃる通り、私は 間違った「確信犯」の使い方をしていました)
せっかくのスレッドの話題をそらすようなことになってしまって本当にすみません。
ホントは 恥ずかしいのでしらばっくれちゃおうかと思ったんですけど
このままにもできないので 恥ずかしながら出て参りました。
これで わかっていただけたでしょうか・・・
また いろんなエピソード、期待してます。
- 431 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:18
- 恥ついでに レスをもう1つだけ。
>424さん
417を 書き込むとちょうど407が見えなくなってしまったのですよ。
私の417の書き込みが 407を押し出す(?)カタチに
なってしまったわけですね。
で、407を読むには レスを全部、または 最新レス100 でなければ
読めなくなってしまった、 そうすると 「長いので省略・・・」コメントも
表示されなくなってしまうので 何のことだかわからなくしてしまったわけです。
すみませんでした。
>425さん
419は 私ではありません。
言い訳っぽくなってしまいますが 「確信犯」という言葉を最初に使ったのは
私でありません。
先ほども書いた通り あまり深く考えず 「確信犯かぁ、なるほどねぇ〜」程度で
書いたに過ぎませんでした。
以後、不用意な書き込みをしないように 気をつけます。
- 432 :お節介さん :2000/04/21(金) 11:20
- いや、こういう律儀ないい人がここにいたというのもまた
いい雰囲気になってると思いますよ。お節介はホント余計でしたね。
私も実はいろいろ食べ物に対しては思い出があります。
ほとんどが悲しい思い出ですけど・・・
そのうちの一つをば。
小学1年の頃、父親の会社が危なくなって、人の良い親父は
全部借金を自分でしょってしまってました。
その結果、持ち家は売られ、車も売り払い、借家住まいになりました。
そしてその借家すらも家賃が払えず、とうとう夫婦別居
(母親は実家に帰り、父親は会社に住み込み)
ことになり、姉一人と私が、どちらかの親の方に行く事になりました。
そこで馬鹿だった私は、ガミガミ言う母親より、口穏やかな父親の
方を選びました。(姉は母親を選んだ)
今考えると、借金でそれどころではない父親に負担が掛かるのも
考えていなかった自分が悔やまれます。
そして2人の住み込み生活が始まりました。
しかし、父親は自炊どころではないため、ずっと二人で会社の隣の
食堂に通っていました。そこで好きになって毎日のように
食べていたのが鯖の味噌煮定食。アサリのバター蒸し。
しかしそんな生活も長くは続かず、急に終わりが来ました。
ある日曜日の朝、父親が夜逃げしたのです。
父親が逃げたとは露ほども知らず、父の帰りを待つ私。
しかし、夕刻になり、あまりの空腹にたまらず私は母親の実家に
電話をかけました。すると母親が飛んできて、御飯を炊いてくれ、
近くの市場で買ってきた揚げ物をおかずに晩ご飯をたべました。
その時、父親が逃げたことを知らされたのです。
久しぶりに、しかも空腹時食べる母親の料理。
(といっても店の物ですが)
嬉しい反面、父親に捨てられたんだという何ともいえない、
挫折?落胆?感。
そんな思いが入り交じり、泣きじゃくって食べたあの御飯は一生忘れません。
とりあえずこの辺で。リクエストがあればさらに続きを
思い出して書きます。あー思い出したら波だ出てきた。
- 433 :415=419=三子の魂 :2000/04/21(金) 12:34
- ありゃりゃ、これは混乱させてしまったようですね。
失礼しました。
- 434 :412=414=417 :2000/04/21(金) 13:17
- >お節介さん さん(?)
律儀だなんて・・・ そんな・・・
私の父も 私が幼稚園の時に事業に失敗し
家、車等を手放しました。 幸い夜逃げするには
いたりませんでしたが 子供の頃、結構つらい食事を
したのを思い出して ちょっと涙が出てしまいました。
現在 両親は小さいですが居酒屋を経営しております。
私も何か書こうかな とは思うのですが
なかなか文章にするのは難しいですね。
恥ずかしいので 417での登場はこれで最後にします (^^;;;
次回からは 名無しさん で参加させてもらいます。
- 435 :小学生 :2000/04/21(金) 14:18
- 確信犯を最初に使ったのは私です。
「結果を確信した上に悪いと分かっていて実行」みたいに
曲解していたようですね。417さんのいう意味の使用例には運悪く
まだ出会ったことがなかったので、、、一つ賢くなりました。
- 436 :お節介さん :2000/04/21(金) 15:39
- 「確信犯」は
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=gengo&key=956221023
こちらに移動しました。
(ていうか日付見て分かると思うけど418書いた後すぐに建ててました)
こちらも2ちゃんの「良いスレッド」ランキング目指してます。
勉強になりまっせー。
- 437 :りんご :2000/04/21(金) 19:35
- 母は友達のようにふざけあえる
元気で明るい人でした。
美人薄命などといつもふざけていた
そんな母が癌におかされたのは
私が高校生の頃でした。
入退院を繰り返し
もともと痩せていた母の身体は更に痩せていき、
食事もすでに流動食しかとることはできなくなっていました。
そんな母は100%のリンゴの透明ジュースが好きで
私や父が病院にきたときにはいつも
「リンゴの透明ジュース買ってきて」と頼んでいました。
土曜日学校の帰りに寄ると
「お昼まだなんでしょ、買ってきなさい」と言われ
そのリンゴジュースとお弁当を買ってきた私は
食べたくても流動食しか食べることの出来ない母の前で
何も考えずお弁当を食べていました。
月日も経ち、もう保たないと医者から宣告され、
母の日がきました。
毎年プレゼントを買っていたのですが
入院していて死を宣告されてる母に
私は何を買ってよいのか分からず
「退院したら買うね」といったのです。
母の日当日、本当なら見舞いにいくのでしょう。
意地っ張りな私は、友達の様なノリでいたのに
病院に行ってしまうと変に優しく接してるように思われるのが嫌で
せめてカーネーションの一本でも持っていけばいいのに
後悔するとわかりながら結局行かなかったのです。
それから約1カ月後、母はやはり他界してしまいました。
優しく出来なかった自分・・・
透明のリンゴジュースをみると
今でも苦い思い出として蘇ります。
- 438 :名無しさん :2000/04/21(金) 22:22
- …残業中なのに…涙が…
- 439 :OL野郎 :2000/04/22(土) 00:12
- ここを知ったのが今週。
ずっと会社で急に涙ぐむ私。周りはなんと思っているのか・・・
私の話は以前の彼との思い出の食事。
お互い勤めていたにもかかわらずいっつも貧乏。
でも月に一回くらいは奮発して、焼肉を食べに行ってた。
実は私の実家は外食が嫌いな家で、それまでロクに焼肉を
食べたことがなかったんだけど、この彼は妙に焼肉好きで。
「レバ刺」「ユッケ」なるものを初めて知った私。
お互い別の人と結婚しちゃったけど、レバ刺食べると
ダンナに悪いなと思いつつ、元気かなと思っちゃう。
今でも最初はビールとホルモンで、最後の最後にカルビ頼んでるのかな?
向こうもレバ刺で私のこと思い出しててくれたら嬉しいな。
- 440 :名無しさん :2000/04/22(土) 00:40
- 感動超大作は結構だけど30行で区切って再度書き込んでください。
- 441 :父の話 :2000/04/22(土) 06:16
- うちの父は昭和十三年生まれ。十六年に父親を、続いて終戦の年に
母親を亡くしている。その後すぐ、母親の実家に預けられたのだが、
そこの家長(つまり父の祖父)は学校の校長先生。愛情はある人
だったが、生きるためでも法に触れたことは出来ない、ときっぱり
言う人だった。だから闇市にいけず、食事は貧しいもの。すいとん
ばかりの毎日だった。
その後、父の母親の一回忌で父のやせ衰えた姿を見た父の叔父は
自分も子供を三人抱えていたにも関わらず、このままでは父が
栄養失調で死んでしまうと確信した。そして無理矢理、父の母方
の祖父母のもとから自分の家へ父を連れ帰ったのだ。その叔父の
家は裕福ではなかったが、「生き抜くこと」が何よりも大切だと
思い、叔母が嫁入り道具の着物を全部闇市で食糧に変え、自分の
甥に当たる父にもどんどん美味しいものを食べさせた。
終戦後初めて食べた白米がどれだけ美味しいものだったか、そして
いかにその叔父に感謝しているか、言葉で言い表すことは出来ない
−−そう言った父のためにこのスレッドに書き込みさせていただき
ます。大叔父さん、父を育ててくれてありがとう。それから、美味し
いご飯を食べさせてあげてくれてありがとう。あなたがいなかったら
私は今ここにいません。心からお礼を言います。この話を聞いてから
白米の味がもっと心に染みるようになりましたよ。本当にどうも
ありがとう。
- 442 :名無しさん :2000/04/22(土) 17:13
-
親は生きてる間に大切にしないとね…ここ読んで、しみじみ思ったよ。
小さい頃、うちもここのみなさんのご他聞に漏れず貧乏で(笑)、
たまに出前のラーメン食べるのが数少ない楽しみでした。
一杯のかけそばではありませんが、ラーメン一杯頼んで、お袋と
小さかった妹と3人で分けて食べたっけ。
妹はまだ小さかったので、チャーシューはだいたい僕の小さな茶碗に
のっけてくれました。今でも、あのときに使っていた茶碗や、小さな
ちゃぶ台、部屋の風景とか、全部はっきり覚えてます。
いろいろつらいこともあったけど、なんとか道を踏み外さずにここまで
生きてこれたのは、やっぱり小さい頃にお袋が目一杯愛情を注いで
くれたからなんだろうな…「こういうことをしたらお袋はなんて思う
だろう」って思うと、悪いことはできないよ。
今はもう、ラーメンくらいいつでも食える状況になりましたが、
あの頃よりうまいと思ったことはないですね。
もうすぐ母の日なので、離れて暮らしてる人は電話とかしてみては?
- 443 :名無しさん :2000/04/22(土) 21:44
- 彼女と付合う前に二人で行ったサティ。
ここで初めて食べたたこ焼き屋の「銀ダコ」
開店直後で一杯行列が出来ていた。
二人でずっと並んで他愛も無い話を続けて。
ようやく順番が来て車に持ちかえって食べた。
空腹は最大の調味料。
とっても美味しかったのを覚えてる。
その彼女とその後半年付合った後に別れた。
もう何週間も前の話。
今日会社の休日出勤の為に出社した。
途中、休日出勤用の昼飯を買う為に近所のサティでお買い物。
入って入り口すぐそばに「銀ダコ」のお店。
行列は出来ていない。
何の気無しに1個買って会社で食べた。
あの日と同じ味がした。
急に記憶が、一杯の思い出が戻ってきた。
無人の会社でポロポロ泣けてきた。
全部食べられなかった。
- 444 :ちっ…… :2000/04/23(日) 04:04
- 泣かせてくれるじゃねーかよ……。
ツマラン話だが俺も書いとこう。
俺がどうしても忘れられないのは高校生時代、一人暮らししてるときに
毎週食べに行ってた定食屋の半ラーメン+半炒飯だな。
貧乏学生にとって、安いメニューの筆頭である↑(2つで250円)は
なによりも助かった。店の爺ちゃんがいい人で、よくおまけで餃子も付けて貰ってた。
ラーメンと炒飯食べる度に学生時代のこと思い出すよ。
しばらく行ってないが、GWの帰省ついでに寄ってみるかな……。
あの爺ちゃん、元気だと良いんだが。
- 445 :名無しさん :2000/04/23(日) 04:31
- 2chにこんな良いスレッドが...(T-T)
- 446 :名無しさん :2000/04/23(日) 05:17
- 私は、グレープフルーツを半分に切ってお砂糖かけて食べるのが好きです。
小学生の頃、祖母が出してくれたグレープフルーツを喜んで食べようとしたんですが
どうも味が変なんですね。
それもそのはず、上にかかってたのが、お砂糖じゃなくてお塩だったんです。
幼かった私は祖母にとっても怒りました。
そして、私が大きくなっても、そのとき居合わせた叔父がいつもその話をしてたんです。
いい加減しつこいなあと思ってたんですが、祖母が亡くなり、叔父も事故で急死してしまった今
グレープフルーツを食べるたびに、ふたりのことを思い出します。
- 447 :名無しさん :2000/04/23(日) 12:46
- 幼稚園前くらいの時、母方の祖母が私達姉妹のおもりにきた。
(同居していた父方の祖母が用事で家を空ける+母は通勤)
初日のおやつは、文明堂のカステラ
一人一切れ、といっても立方体!の一切れだった。
彼女が、たまにしか会えない孫に
めちゃめちゃ甘いことを見抜いた私達が、
切らせた分厚さだった。
ずっとあとになってから
その日帰宅した父方の祖母に、母方の祖母(ああ、ややこしい)が
すごくとがめられたことを聞いた。
(父方の祖母には、買い食いはもちろん、甘いお菓子自体
あまり許されていなかった)
翌日のおやつが、千切りキャベツソース掛けだった理由が
後年解明した。
同居して、毎日子供の面倒見ていた父方の祖母は、
どこかで悪役の役割を引き受けざるを得なかったのだろうし
母方の祖母は祖母で、わずかな孫との時間をせいいっぱい
濃密に過ごそうと、(おやつ以外にもゲームとかお絵書きとか)
さまざまなサービスをしてくれた。
いまは、どちらの立場もよくわかる。
あの2日間の、すごい差のあるおやつを思い出すと、胸がきゅんとなる。
- 448 :名無しさん :2000/04/23(日) 13:57
- 泣 泣 泣
- 449 :2ちゃんねる最高 :2000/04/23(日) 16:07
- ここ読んで、GWに実家に帰ろうと思いました。
さっき電話したら嬉しそうな母の声。
早く手料理食べたいな
- 450 :>447 :2000/04/23(日) 21:11
- ええ話やなあ〜
- 451 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:32
- 子供のころ貧乏だった、両親は駆け落ち同然で結婚したらしく
実家とは疎遠だった。
小5の僕の誕生日に祖母がカステラを持ってきた、始めて食べる
カステラはとても美味しかったが、紙のシートみたいのをはがす
なんて判らずに「噛み切れないよ〜」騒いでたら祖母が呆れ顔で
「はがしてから食べるのよ、まったくこの子はー」
今思うと娘である母に、少しは頼りなさいみたいに言ってたんだと
思う、母も照れくさそうにしてたんだけど、それ以来だんだん
実家とも行き来するようになった。
母も祖母も亡くなりましたが、カステラを食べるたびに
母の照れ笑いの顔を思い出します
- 452 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:49
- 私もGW仕事しないで帰ってみようかな。
うちの家族みんなお空の上だよ。思い出に残る食卓なんてないけど、
海外行った時においしい料理食べて「ああこれ食べさせてあげたかっ
たな」って思った瞬間が私にとっての思い出に残る食卓かもしれない。
ああちくそ、2ちゃんねるで泣かされるとは。
- 453 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:31
- 母の実家は、埼玉です。
僕が小さい頃、母は毎年のように実家に帰っていました。
僕がまだ小学校に上がってない頃だったと思います。
僕と、僕と二つ違いの妹、それから母の3人で、実家から空港に向かう道中のことでした。
母は、タクシーを拾おうとするもなかなか拾えず、途方にくれていました。
しかたなく3人で大きな道路沿いを歩いていましたが、母のつかれた顔を見て、僕ら兄妹もなんだか暗い気持ちになりました。
親のそういう気持ちは、子供にも伝わるものです。
とぼとぼ歩いているうちに、焼きそばの屋台の前を通りかかりました。
母は、そこで焼きそばを買い、歩き疲れた僕たちに食べさせてくれました。
その味の、なんと美味しかったことか。
あの味は、20年以上経った今でも忘れられません。
そして、いまだに僕は、あの時味わった焼きそばより美味しいものに出会った覚えがありません。
僕の、味に関する初めての、そして最良の思い出です。
- 454 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:58
- 思い出の弁当
高校のとき、4時間目が体育の曜日はいつも食堂で昼食をとっていた。
私はいつも母に弁当を作ってもらっていたので、弁当の包みを開き、蓋を開けた。
中身を見て、私は思わず再び蓋を閉じてしまった。
なんと弁当箱にはお菓子が詰め込まれていたのである。
内容は、おにぎり(これだけが救い)2つ、キットカット(分包)2つ、残りの隙間を
クッキーで埋めてある。まぎれもなく昨夜台所の食卓においてあったお菓子達である。
私はとっさに、これを他の友達に隠すべきか披露するべきか(隠せるわけ無いのに)
困ったが、急に蓋を閉じて黙っている私を周りが不審に思い始めたため
無理に笑い出して「これ、見てよお!!」と、皆さんに披露した。
とりあえず人目の問題は解決したので、食べ始めた。
おにぎりとキットカットの取り合わせはあんまりなので、おにぎりを食べ終わってから
お菓子類を食べた。よりによって体育の後なので、全然満腹感は得られなかった。
帰宅後、母に理由を聞いたところ、朝から体調が悪くおかずを作れなかったため、
お菓子をつめといた、とのこと。
体調が悪いのに手作り(?)弁当を作ってくれた母の気持ちはうれしかったが、
「今日はしんどいから、食堂にして」といって500円くれたほうがよかったと思った。
今なら笑えるが、その瞬間は全く笑えなかった。
- 455 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:17
- あー。454さんのエピソードを読んでたらおれも思い出したよ。
おれが中学生のとき、学校に弁当持って行くの忘れたことがあってさ。
いや、母親はちゃんと弁当作ってくれたんだけど、おれが弁当箱をカバンに
入れるのをうっかり忘たんだな。
んで、お昼に母親はわざわざ学校まで届けにきてくれてさ、母ちゃんありがと
ってお礼言って受け取り、教室に戻って弁当箱のフタを開けてみたら。
白いゴハンの上に細く刻んだ海苔で「バカ」って書かれてたんだよ。
クラスメートに大笑いされたな。うん、おれもちょっと楽しかったね。
- 456 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:38
- あんまり学校に来なかった同級生の彼が「運動会くらい出席しろ」
と言われたとかで、学校に来る事になった。
会う事も久々だったので、嬉しくってお弁当を作った。
ご飯の上に焼肉を乗っけた焼肉弁当。
簡単だけど高3の男の子にはウケルと思ったの。
2人で食べようと思って、小さ目のお重箱に詰め込んで行ったんだけど
何が気に入らないんだか、蓋を空けて中を見るなり不機嫌モード。
「食べないの?」と聞いたら、1口2口食べてポイっと返された。
見た目は悪いけど、味にはには自信があったので、かなりムカツイタ。
バカらしくなって、彼の目の前でゴミ箱に直行した。
本当は、すごく悲しかったのを思い出した。もう10年も前の話。
- 457 :>456 :2000/04/24(月) 06:30
- なんだよ〜〜、ひどいよ〜〜〜〜〜!
456のモト彼はこのスレッドを読んで反省しろ!
- 458 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:54
- 彼はきっとかわいいお弁当を期待していたのかもね。
色合いも。。。
- 459 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:57
- 男は味の善し悪しよりも、
手の込んだものに憧れるのかも。
- 460 :名無しさん :2000/04/24(月) 07:20
- ヒッキーが、久々に学校に来て運動会なんかに参加したら、
日が眩しくて普通気持ち悪くなると思うけどなぁ。(経験者は語る)
たぶん、脂っこさが、うっときたんだと思う。
あまり気にするな >456
- 461 :名無しさん :2000/04/24(月) 12:40
- 高校時代、父がいない夜、母と喧嘩して部屋にこもっていたら、「ごはんだよ。」と母。
部屋を出てテーブルを見ると、白飯だけがのっている。
「おかずは?」と聞いたら、「私、『ごはんだよ』とは言ったけど、『おかずだよ』
とは言ってないわ!」と怒られた。思わず納得してしまった私。
しょうがないので、母と向き合って、無言で白飯を食べた。
今思うと笑い話だけど、ふりかけぐらい欲しかったな。
- 462 :名無しさん :2000/04/24(月) 16:15
- 「食事」ということではないんですが…
私が10歳の頃の話です。
母方の祖母が呆けてしまっていて、その祖母の家に向かう
車中でのこと。
祖母の家では畑を持っていて、大量にジャガイモを収穫したのですが、
そのジャガイモに芽が生えてきてしまった。
母と、叔父が「あんなに芽が生えちゃって、どうしよう」と困っているのを
聞いた私は、「じゃあ婆ちゃんに食べさせればいいじゃん!
ボケてるんだし、『うまい、うまい』って食べちゃうかもよ」
そのときは、母と叔父は笑ってたんですが、
自分も30手前になり、親も着実に年を重ねている今思うと、
なんだかとてもひどいことを言ってしまったようで胸が痛みます。
祖母にも、母に対しても。
- 463 :オムライス :2000/04/24(月) 21:19
- うち母親が食堂やってて、中学校の頃お弁当にオムライス
詰めてくれてた。すげー旨かったんだけど、マジにおかず
なしでオムライスが弁当箱いっぱい。そんででかいスプーン
持って食ってたから同級生にからかわれた。
でも忙しい母ががんばって作ってくれてた弁当だから、
隠すのが悔しくってかえって「わりーか!」っていばって
たなあ。そのうち誰もからかわなくなったけど。
天むすとかも作ってくれた。ちょっとだけあの頃に
戻りたいなあ。
- 464 :456っす :2000/04/25(火) 01:34
- 私の適当な思い出話にレスが・・・ちょっとビックリしました。
今思うとね、確かに色合いは悪いわな〜。
でも、お重はもう1段あったわけで。(色目の良いもの系おかず)
その彼は結局その後も学校に来なくて、一緒に卒業できませんでした。
今でもたまに夢に出て来るけど、別れた頃の18歳の顔。
- 465 :名無しさん :2000/04/25(火) 01:39
- ひとり暮らしをしたことがなく、食事もまともに作った事の無い
私も、結婚して母親になると毎日否応無しに3度の食事づくりを
余儀なくされています。ふと気づくと私の卵焼きは、母とおんなじ
味。そしてそれは、おばあちゃんの卵焼きの味。そーいえば煮物も
だいぶ母の味に近づいてきたかな。おばあちゃんは年のわりにハイカラ
な料理が好きで色々作ってくれたから、今、私の子供に作っても
喜んで食べてくれます。
いろんな料理と一緒にいろんな思い出が受け継がれていくんですね。
- 466 :名無しさん :2000/04/25(火) 02:42
- >464
へえ、女性でも昔の男のこと、思い出したりするんですね。
彼氏は幸せ者だよなぁ。
俺のことなんか、きっと思い出すのも嫌なんだろうなぁ。>昔の彼女。
- 467 :まい :2000/04/25(火) 04:06
- >466さん
女でも、しょっちゅう昔の彼のこと思い出しますよ。
私のことを、覚えてくれていますか?>昔の彼。
- 468 :昔の彼 :2000/04/25(火) 04:50
- もちろん覚えていますよ。
男性は、たいてい昔の彼女を「良い」思い出として、
記憶してますよ。けっこう、ひどい別れ方をしても。
僕も女性の方が「記憶から消しさりたい」って人が多いと思う。
風邪をひいて寝込んだ時に作ってあげたおかゆを
「まずい」といって残された、なんてことでも、
何もかもが懐かしい。
- 469 :昔の彼 :2000/04/25(火) 05:09
- まい、もちろん君のことおぼえているよ。
今、幸せかい?
僕はいつでも、君よりちょっとだけ不幸せでいることにするよ。
- 470 :昔の彼 :2000/04/25(火) 06:58
- 君はブランドものが好きだったけど、おかゆまで
デパートブランドのレトルトが好きだったね、まい。
- 471 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:28
- >463さん
高校のとき、お正月開けて最初のお弁当のとき
大きなお弁当箱に伊達巻がぎっしり というお弁当の男子がいた。
ご飯と伊達巻だけのお弁当。
ご飯の上に輪切りにした伊達巻が隙間無く並んでいて
鳴門の渦潮のようだった。
「俺、伊達巻嫌いなんだよなぁ〜」と恥ずかしそうに言いつつ
全部平らげていたのを思い出しました (^-^)
- 472 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:46
- 風邪をひいて少し熱っぽかった時に 1人暮らしの彼の家へ
遊びに行って そこで熱が上がって倒れてしまった。
食欲も無くて 朝からほとんど何も食べていなかった。
普段、料理なんかしない彼が 何か作ってくれるというので
「何でも良いよ。 でもあんまりたくさんは食べられないかも」と答えた。
買い物から帰った彼は なんと! カレーを作り始めた。
どうやら ジャワカレーの中辛らしかった。
(当時私は辛いのが苦手で バーモントカレーの甘口しか食べられなかった)
12皿分のカレーとご飯を作ってくれた。
そのカレーは 辛い上になんだか変に苦くって
「玉ねぎの茶色い皮も入れたの?」と聞いたら(ホントに玉ねぎの皮の味がした)
「ビールを1缶入れたんだ。 美味いだろ」
「・・・ 苦くてあんまり食べられない・・・ ごめんね」
「うそっ!!! こんなに美味いのに???」
結局 コンビニでレトルトのおかゆを買ってきてもらって食べました。
今は夫となった彼は あれ以来二度とカレーを作ってくれません。
- 473 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:54
- >472
す、すごい味覚かも
- 474 :名無しさん :2000/04/25(火) 12:23
- >472
それでも夫にしたあなたの博愛に拍手
- 475 :472 :2000/04/25(火) 13:12
- >473さん、474さん
「うわっ! なんでこんなにマズくなっちゃったの??」 というような
失敗料理でも食べてもらえるので 助かっております。
- 476 :名無しさん :2000/04/25(火) 17:40
- すてきなだんなさまですね(笑)>472様
小学校のとき、駄菓子屋で少ないこづかいで買っていた
30円のソースカツのお菓子を思い出し、
先日たまたまスーパーで売っていたのを買ってきました。
20年ちかくたった今でも、やっぱりおいしいです。
懐かしい味でした。
若返った気分・・・(ほんとか?(笑
・・・でも、買いすぎた(笑
どうしよう、40個も(-____-;
- 477 :デカビタ :2000/04/25(火) 17:45
- 母の死から2年後、後を追うように父は自ら逝ってしまったとき
ひとり残されてわけがからなくなり
自暴自棄になってしまった時がありました。
私はまだ、専門学生で進級制作があったのですが
とてもそんなことをする気が起きず唯一頼りだった当時の彼氏に
弱音ばかり吐いていました。
でも、何がきっかけだったのか、もともと気が強くて楽天家なほうな
私は自分が逆境でも何も変わらない世の中、父に死を選ばせて
しまった社会が憎らしくもあり負けたくないと思う様になりました。
課題の提出まで後わずかとなり、
彼氏の手伝いをかりつつ仕上げていました。
提出のその日朝方、ほとんど寝ていない身体に栄養を補給しなければ
と思い栄養ドリンクのデカビタCを初めて買って飲んだのでした。
しかし、その1時間後、耐えられない腹痛に悩まされ
とうとう起きることが出来なくなってしまいました。
病院に行くとインフルエンザにかかっていて、
それから寝込む日々が続きました。
やっぱり、栄養ドリンクなんかじゃ体力の衰えはごまかされないのね・・・
と痛感しデカビタCをみると具合の悪さを思い出すため
以後飲めなくなってしまいました。
課題のスケジュールは無理せず徐々に・・・とつくづく思ったのでした。
- 478 :下がっているので :2000/04/25(火) 21:32
- ageておきます。
ちょっとだけ。
仕事の都合で、今は大阪に住んでいますが、
生まれは、北海道の北のほうでした。
社宅にいたのですが、近所のおばさんが可愛がってくれてました。
おばさんは、水羊羹が得意で、よくつくってくれました。
売っているものに比べて、もっと水気が多いというか、
プルルンとしていて、私はそれが大好きでした。
小学校のとき、父親の仕事の関係で、遠く離れたところに
引っ越してしまってからも、自分の母親に、
「水羊羹は、おばさんのが一番」と言っておりました。
その後、10年ぶりにおばさんのところに遊びに行きました。
おばさんは、バット一杯に水羊羹を作って、もてなしてくれました。
昔と同じく、美味しかった。
それから、15年は経っています。
このスレッドを見て、また、遊びに行きたくなったなあ。
- 479 :>478 :2000/04/25(火) 22:20
- すみません、バットってなんですか?
プラスチックバットの中に水羊羹かなとネタ的に
考えてしまったのですが、まさかね。
- 480 :名無しさん :2000/04/25(火) 23:19
- 長方形のステンレス製容器。で、丸いのがボウル。
わかったかい?
料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
やっぱ世の中、いろいんな人がいるんですねえ。ふむふむ。
- 481 :名無しさん :2000/04/25(火) 23:45
- 琺瑯引きのものもある。というか昔はステンレスがなかった。
- 482 :っつうか :2000/04/26(水) 00:24
- ナゲぇ
- 483 :名無しさん :2000/04/26(水) 04:03
- 昔、よく通っていた定食屋さん。
中華も洋食も和食も美味い。家族四人で行ってしこたま食って
5000円程度。そしてそこでいつも頼むのが、餃子。
タレも絶品で、あれほど美味い餃子は食ったことがなかった。
ほかにも、ラーメンもうまいし、オムライス、カツ丼、野菜炒め、
洋風カツレツ、などなど、なかでも一番美味かったのが特大エビフライ。
毎週行くのが楽しみだった。
しかし、そのお店が借地だったために地主から立ち退きを要求されて
お店は閉店。10年近く通ったお店がなくなってしまい、とても
悲しかった。後にはどうでもいいような外車の展示場になってしまった。
その後何年かして、お店をやっていた奥さんがとあるところの事務をやっている
と聞き、尋ねていって挨拶がてら、お菓子を渡して帰った。
すると、ご主人がわざわざ餃子の具と皮とタレをたくさん持ってきて
くれた。家族でその具を使って餃子を焼いた。
不恰好だったけれど、あのときの美味しい餃子の味がした。
とっても美味しかったです。
- 484 :>483 :2000/04/26(水) 04:44
- ええ話や〜。
栗良平あたりが小説化しそうだ。
- 485 :>480 :2000/04/26(水) 06:03
- 解説ありがとう。
>料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
食うほうにだけ興味があってね。
- 486 :名無しさん :2000/04/26(水) 14:44
- よっこらしょ
- 487 :名無しさん :2000/04/26(水) 23:56
- >483
なんて地主だ
私もその定食屋さんの料理食べたいー
いつか再開しないかな
- 488 :AGE :2000/04/27(木) 01:17
- まだ俺が若くって自分勝手だった頃、いつも不機嫌で彼女を泣かせて
ばかりで、それでもついてくる彼女にいい気になっていた、
今思えば、あのときの俺って、本当に馬鹿だったと思う。
その頃は2人、親元に居たので、彼女の手作り料理などを食べる
きっかけって無かったんだけど、正月休みかなにかのとき、彼女の
両親が出払っていて、その日の夕飯を2人でつくることにした。
2人とも料理とか、あまり作ったことが無くて、二人でスーパーに行って
ステーキ肉とか、彼女が「作れる」というホウレンソウのホワイトソース煮
の材料とか、そういうものをざっと買ってきた。
二人で仲良く作って、いざ食べてみると、両方とも美味しくなかった。
そのとき、無神経だった俺はまず、自分の焼いたステーキからはじめに
手をつけた。
あんまりおいしくないけど、本当はおいしいって言えばよかったんだけど
まずくもない彼女の料理を、「まずい」って言っちゃった、
せっかくつくってくれたのに、俺の馬鹿。
彼女とはその後もよく喧嘩をして、泣かせてしまった。
別れる日、彼女は「もしあなたに新しい彼女が出来たら、その子の
手料理は、一番最初に箸をつけてあげてね」って言われた。
その後、新しい彼女が出来て、言うとおりに彼女の作ったものを
一番最初に箸をつけるようになって、おいしくなくても「おいしい」
っていうようになった俺。
でも、出来ることなら、あの彼女が作ったホウレンソウのホワイトソース煮を
また食べたい
- 489 :名無しさん :2000/04/27(木) 01:58
- 妻と付き合いはじめて2ヶ月ぐらいですかね、
ウチに来て作ってくれた肉じゃがの味、今でもしっかりと覚えております。
なんの変哲もないごくごく普通の肉じゃがだったのですけどね。
肉じゃが、現在まで数え切れないほどの回数食べてるハズなんですが
なぜかあの時の肉じゃがだけは忘れられませんです、はい。
- 490 :名無しさん :2000/04/27(木) 03:16
- ↑彼女より料理が上手な男の人生にこんなドラマは皆無だそうです。
俺のことですが(笑)。
- 491 :ANA :2000/04/27(木) 03:46
- >488
似たような思い出が私にもあります。
今から3年前。脱サラしたのはいいけど、そのころは、公私共に
中々思うように行かず、いつもイライラしてました。
その頃同棲していた彼女が作ってくれたのが「メバルの煮付け」(私のとこの名物です。)
ついこの前まで学生だった彼女が作ってくれたそれは、半生状態で
生臭くて、小骨が取れなくて結局大喧嘩!彼女は怒って捨ててしまいました。
歳の離れた彼女なのに、そのころはやさしくしてあげる余裕も無かったんですね。
結局、私の気性の激しさと仕事の不安定さで1年前に別れたんですが
今になって思うのは、なぜもっと優しくしてあげれなかったのだろう?
なぜ、もっと大切にしてあげれなかったのだろう?って想いです。
今でも彼女とはたま〜〜ぁに連絡を取り合いますが
「もう、2度と煮付けは作らない!」って怒られてます。(笑)
次に付き合う子は私の年齢的にも、女房にする子だと思いますが
今度、そんなことがあったら 鮎の塩焼き みたいに頭からボリボリ
食べて、美味しかったよ!ってニッコリと笑えるようにしてやろうと思ってます。
本当に大切なものが無くなってから気づくなんて、、。
「一期一会」じゃないけど一緒にいたその一瞬を大切に出来なかった
ことに後から後悔するなんてなんて、、。
男ってホント馬鹿ですね。(笑)
- 492 :名無しさん :2000/04/27(木) 08:48
- 妻と結婚する前の話。
共に家族と同居していて、とにかく一緒に住みたくて結納だけ
した。そして二人でアパートを捜し、2週間位かけて二人だけで
少しずつ荷物を運び込んだ。電気と水道は使えたけど、ガスはまだ
使えなかった。毎日仕事が終わってから一緒に生活用品を買いに
行って、それを片づけながら近くのスーパーで買った弁当を
食べ、それぞれの自宅に帰る生活を送っていた。
ある日の晩、いつものように新居に行くとなにやらいい匂いが
充満している。日中休みを取っていた彼女が、電子レンジを購入
し、肉じゃがを作って待っていてくれたのだ。
早速スーパーで白飯を購入し、電子レンジの箱をテーブル代わりに
して、二人で食卓を囲んだ。すげえうまかった。よく味のしみてる
ジャガイモをハフハフしながら食った。食いながら本当にいい女に
巡り合った幸せを噛み締めてた。絶対に幸せにしてやろうと思った。
晴れて夫婦になって、完全に生活出来る今でも、あの電子レンジの
箱だけは捨てていない。
二人の間でなにかあったら、俺はきっとあの箱を持ち出してきて
妻に言うだろう。
「肉じゃが作ってくれよ。そしてこの上で食おうよ。」と。
- 493 :名無しさん :2000/04/27(木) 10:46
- >488、491
ほろり (T_T)
>492
二人の間でなにか なんておこらないように祈ってます。
結婚×十周年記念なんかの時にレンジの箱でご飯 なんてできたら
ステキですね。
- 494 :26歳・女 :2000/04/27(木) 11:46
- もう何年も前の話なのですが、好きだった人がいて、何回かうちに
行ったとき、よく料理してもらいました。
つくってる途中であーこれ足りない、ということになって彼が近所の
スーパーまで走って買いに行くとき、ひとりぼっちで待ってるのが
さびしくもありうれしくもありました。うちの中、わるいかなーと
思いつつきょろきょろみまわしたり。
それからこのあいだこの板みてたら、関西人はカレーに卵を入れると
書いてあったのであーそうだったのか、と思いました。
カレーに生卵入れてた。私は初めてだったのでちょっとびっくりしたの
ですが。
そのとき大学生だったのですが、私にはつきあってる人がいて、別れ
られなかったので結局その人とはうやむやになってしまって、今
考えるとなんで別れてつきあってくださいって言わなかったのかなーと。
で、今でもその人とは話すことはあるんだけど、このあいだ話していた
とき「自分はうちでナベをやったことはない」と言ってて、実は私
ナベやってもらったことあるんだけどなーとすごいがっかりしたのですが
もう遠い昔のことだし、言うのもなんなので黙ってました。いろいろ
覚えてるのは自分だけなんだなーと思って。
私は料理わりと得意なのですが、男の人につくってもらうこと多いです。
つきあってても友達でも。ラザニアつくってもらったとき、あまりにも
時間かかるので冷蔵庫にあったサンドイッチを食べてしまい、ラザニア
食べれなかったこととかあったなー。
これからもいろんな人といろんなもの食べていきたいなー。
- 495 :名無しさん :2000/04/27(木) 14:35
- >488,>491
まずいってはっきり言ってくれたほうがいい。
昔、彼にほうれん草とベーコンのスパゲッティ(にんにくをいためて
香り付けし、塩・故障で味付け)をつくった時。
口にしたなりヤツは、「しょうゆない?」と聞き、スパゲッティに
ドバドバかけた。
「味が薄い」なり、「まずい」なりなんか言ってくれた方が良かった。
いきなり「醤油」は傷つくよー。
- 496 :495 :2000/04/27(木) 14:38
- もちろん“胡椒”です。失礼。
- 497 :>495 :2000/04/27(木) 15:20
- 「不味い」はともかく 「塩が足りない」とか「煮すぎたかな」とか
とにかく 感想は聞きたいですよね。 作る側としては。
(「美味しい」って言われるのが一番だけど)
「美味しい」って言われれば 「やったぁ!」ってまたがんばる気になれるし
「薄い」なら 次こそは! って思うし。
でも「不味い」としか言われなかったら 「だったらもう2度と食うな」って
思っちゃうもんなぁ 私は。
- 498 :名無しさん :2000/04/28(金) 11:39
- あげ〜
- 499 :>495 :2000/04/28(金) 14:20
- 味見しな。
- 500 :アーモンドチョコ :2000/04/28(金) 15:58
- 私は小さい時からおじいちゃん子で、祖父も初孫の私をよく可愛がって
くれました。ある日、小学校から帰ってこたつに入ってテレビを見てると
祖父がきて、「お菓子あげよ」というので、嬉しくって待ってたんですが
祖父はなかなかお菓子をくれません。「お菓子どこ?」と聞くと、
「そこにある」と言ってニコニコ笑ってるだけです。こたつ机の上には
食べ物何もなかったので、「おじいちゃんまたからかってるわ」と思って
いると、祖父が自分の薬袋を私に渡して、「開けてみ」というので
中をみてみると、そこにはアーモンドチョコレートが何個も入ってました。
「薬やと思って、分からんかったやろ」と得意そうに笑った祖父が今でも
忘れられません。その時祖父は癌で、毎日薬を飲んでいて、体も目に見えて
痩せてきていたのですが、いつも何か面白いこと言っては、私と妹を笑わせて
くれていました。祖父は7年前に他界したのですが、亡くなる前は私がちょうど
高校受験の時期と重なり、また私もそんなすぐ祖父が逝ってしまうとは思って
もいなかったので、最後もっと一緒に過ごしたかったなと悔やんでいます。
アーモンドチョコレートを見ると、祖父のことを思い出します。
ちなみに、その時の薬袋はまだとってあります。
- 501 :アーモンドチョコ :2000/04/28(金) 16:06
- ごめんなさい、私のは食事じゃなかったですね。
皆さんのレスを読んで、祖父のことを思い出してしまって
つい書いてしまいました。
- 502 :食事じゃないけど・・・。 :2000/04/29(土) 01:10
- 私も、「食事」じゃないけどゴメンなさい。
なんて良いスレなんだろう・・・ほろほろほろり、ときて、
いろんなこと、思い出しては思い出にひたってしまいました。
そのなかのひとつ・・・。
高校1年の頃、初めてつきあった男の子に、
「あいちゃんの作ったクッキーを食べてみたいな」
って言われて、お菓子作りには多少自信のあった私は、前日の晩、
直径30cmはあろうかというほどのハート型のクッキーを焼いて、
ていねいに箱に入れてラッピングして、学校へ持っていった。
それを見た彼は、びっくりして、大喜びしてくれた。
「こんなハートのカタチしてたら、食べるのもったいないよ〜」
と言いながら、嬉しそうに手に取ろうとして・・・その瞬間、
箱から手が離れて・・・地面の上で見事にクッキーはボロボロになった。
ちょっとショックを受けて、でも、「せっかく作ったのに・・・」よりも、
とても楽しみにしてくれてたのに食べさせてあげられなかったことが
悲しくて、無理に笑って、
「ゴメンね・・・おっきく作りすぎちゃった、今度は普通のサイズで、
いっぱいハート焼いてくるからね」
って言ったら、彼が、しんみりと、でもすこし微笑んで、
「ゴメンな・・・でも、今の言葉で、もっとあいちゃんが好きになったよ」
そういって、地面に落ちたクッキーのかけらを拾って口に入れて、
「おいしい!今度は残さないで全部食べるから、また作ってくれる?」
けっこうひどい別れかたをして、もう10年になるけど、
あの時の思い出は今も大切にしまってあります。
結婚してたりするのかな。元気だったらいいな・・・。
- 503 :まなみ :2000/04/29(土) 23:12
- 私はいつもおにぎりを食べる時に、思いだすことがあります。
何もできない私が、はじめて彼の為に、おにぎりをつくろうとして
一から米を洗って、炊きました。
炊きあがったご飯は、かなり柔らかくて、これじゃおにぎりは
にぎれるの?って感じだった。
でも、彼はそれでも食べたいと言ってくれたので
頑張ってにぎろうとしたけど、なかなか形が綺麗にならなくて。
私は気が長いほうじゃないので、直に「もう〜辞めたぁー」って
あきらちゃうんです。
でも、彼は笑顔で私の手からご飯を取って無言で
作ってくれました。感動しちゃいました。
それから、今は完璧にその彼(旦那)におにぎりを
作ってます。
- 504 :名無しさん :2000/04/30(日) 01:59
- もう17年前になるな。彼女と北海道ツーリングに行ったんだ。
2人とも学生で金なんてないからキャンプだよ。
東京〜長野〜新潟(陸路)〜小樽(フェリー)ってルートでやっとこさ北海道。
船内では買い込んであったフランスパンばっかりもそもそ食べてたな。
でも若いっていいよね。もそもそが楽しいんだ。
日本海(鉛色)は十分見たんで、今度はオホーツク海だ!って、根室に向かった。
途中、いろんなキャンプ場があったはずだけどそれはよく憶えていない。
まあ、とにかく納沙布岬に着いたんだよ。
2人とも腹がへっててね。もう夕方だし今から飯盒炊飯するのはきついかな?って感じだった。
いいにおいにつれられて単車を止めたところは大きな公園だった。
かまどが数カ所あるんだよ。あそこは何だったのだろう。
近所の人たちが親睦会を開くような所なのかな?
そこでは大宴会が開かれていたんだ。
でかい鉄板。
さんまが焼けている。
イカが醤油をかけられておどっている。
じゃがいもがアルミホイルにつつまれて熱くなっている。
ジンギスカン部隊(勝手に命名)が肉を焼く。
やきそばジュージュー。
大人も子供も大騒ぎ。
2人、なかば呆然と見ていたんだな。
いや、それほどまでに盛会だったんだ。
いったいあそこには何人いたのだろう。
そのうち、期待していたことがおこった。
「おい、にいちゃんねえちゃん。こっちに来て一緒に食え」
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。
もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...
そんな会話をしている夫婦がいます。
- 505 :バッカーです :2000/04/30(日) 03:14
- 1〜504を全部読む(ダウンロードする)シンドさを全員が味わう必要がない
と思いましたので勝手ながら別発言にします
っつーかみんなムズムズすると思うので
見えない部分(一部重複)は以下の通りです
-----------------------------------------------
我ながらあさましいがこのお誘いを待っていたんだ。
2人、生きててよかった〜 モードに突入。
食った食った。
もしもあの時の根室の人がこれを読んでいたら。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
今でも「根室」というと気前のいい人がいっぱいいるところだ...
そんな会話をしている夫婦がいます。
- 506 :名無しさん :2000/04/30(日) 05:47
- うちは夫が出張勝ちで、いつも四才の息子と二人殆ど母子家庭状態。
実家は車で一時間弱だけど、姉夫婦と二世帯建てて私はカヤの外って勝手に思ってたから
誰にも頼れない、がんばらなくちゃって思ってた。
ある日私40度近い熱出してどうしてもおきられなくて、もともと少食の息子は朝から
昼くらいまでひとりで遊んだりテレビみたりしてた。
はっと気がつくと夕方、私の隣には息子が布団に入り込んで一緒にねていて、
そばには食パンの空き袋とピーナッツバターとスプーンがころがってた。
なんだか息子がかわいそうで、自分もかわいそうで悲しくて泣いた。
今考えたら意地張らないで素直に誰かに頼れば良かったんだけどね。
ピーナツバターをみると思い出して、つい息子をむぎゅっとしてしまう。
- 507 :>506 :2000/04/30(日) 06:00
- おれ、男だけどもらい泣きしちゃったよ。ほろり。(T_T)
- 508 :名無しさん :2000/04/30(日) 08:53
- いい話ばっかりなんで、夢中で全部読んでたら、鍋こがしちゃった。やれやれ。
- 509 :緑一色 :2000/04/30(日) 13:34
- >505
あう、気づくのが遅かった。
んでも、「レスを全部読む」じゃなくても、「最新レス100」でも504の全文見えるよ。
100でも多いならリンクURLの最後"ls=100"を"ls=30"とか好きな数にすればいいし。
でもこういう心遣いのカキコって、2chで初めて見た。やっぱ違うなー
- 510 :名無しさん :2000/04/30(日) 17:40
- あれは私がまだ高校生の時です。
母は体が弱く肝炎にかかり入院した当日、晩飯は祖母が作り始めていま
した。私はその隣の部屋でテレビをみていたのですが窓ガラスごしに、
炎があがっているのにきずきました。
私はあわてて隣の部屋へ行くと、祖母は焼肉をしようとして電気式のホ
ットプレートをガスコンロにかけていたのです。
すぐに火を消し、父は怒り出しましたが、私はその時の
「鉄板が全然熱うならんのや」という祖母のいいわけと生のまま残って
いた肉をみて笑ってしまいました。
今では祖母なりに一生懸命だったんだなとおかしく思い出しますが祖母
は今なお健在であります。
ちょっとスレからはなれた話すみません。このスレよんでたら思いだし
ちゃいました。
- 511 :名無しさん :2000/05/01(月) 09:32
- 上げておきましょう。
- 512 :名無しさん :2000/05/01(月) 13:24
- 飲み物の思い出になるんですが。
中学2年の時、遅い初恋をしました。相手の彼は目立たないけど
優しくて努力家な人で、本当に好きでした。
何も言えないまま中学を卒業し、別の高校に進学しました。
離れてしまえば忘れるかと思ったのですが、忘れるどころか
好きで会いたくてしかたなくて、思いきり告白しました。
「つきあった下さい」という私の言葉に、笑って「いいよ」。
初めてのデートはふたりで映画を見に行き、映画を見終わってから、
私は初めてつきあうからか何も話せず、彼は無口な人だったので、
お互い無言で歩き続けました。
ようやく話せた言葉は、「お腹空いたね。」
目についたロッテリアに入り、私はハンバーガーとアイスコーヒー
を注文したのですが、何故かこの時、コーヒーをブラックで飲む
のは可愛くないと思いました。甘いコーヒーは嫌いだったのに、
彼に可愛く思われたいあまり、無理してガムシロップとミルクを入れ、
飲んでいると、彼から「ごめん、やっぱりつきあえない」。
「分かった」と言うのが精一杯で、あとは甘くてまずいアイスコーヒー
を飲んでいました。
あれから6年、今は好きな人の前でもブラックのコーヒーを平気で
がばがば飲んでます。今度のデートでは、甘いコーヒーを
飲んでみようかな〜、なんてな。
- 513 :名無しさん :2000/05/02(火) 15:09
- ええスレッドや‥
- 514 :名無しさん :2000/05/02(火) 16:57
- いつ見てもここは、いい。
- 515 :名無しさん :2000/05/02(火) 22:58
- ああ。
- 516 :名無しさん :2000/05/03(水) 02:40
- わんわん泣きながら読みきりました。
田舎に帰りたいなぁ。
ばーちゃんの鯖のぬか味噌煮とぬか漬け食べたい。
いまでも電話をかけると宅急便で送ってくれるけど、
やっぱりみんなで食卓をゆっくり囲みたいです。
なんかいまから料理作りたくなったのでマルエツに行ってきます。
- 517 :>516さん :2000/05/03(水) 12:37
- あの・・・質問があります。
鯖のぬか味噌煮って初めて聞いたのですが、ぬか味噌って
漬物を漬けるぬか味噌ですか?
- 518 :S@yu :2000/05/03(水) 18:21
- 想い出に残る食事というより思い出に残るお店なんです
もう20年位昔なんですけど、練馬区の上石神井という所に
<カルダモン>という、小さなカレー屋さんがありました
初老のご夫婦が、2人でやってらして、当時付き合っていた彼氏と
何度か足を運びました
とにかくおいしい! 小麦粉などは使わず、野菜スープと カルダモン等・・・何十種類
のスパイスを使い、一人分ずつ丁寧に作る味わい深い最高のカレーでした
今では(かなり前から)もうなくなって、消息不明ですが
今どうしてらっしゃるのかな
どなたかが(娘さんとか)受け継いで、どこかでお店やってらっしゃるなんて事は
ないでしょうか・・・
あのカレーの味は、今だかつて巡り合えずにいます
どんなに評判のカレー屋に行っても、一口食べてガッカリという
残念なカレー人生を送っています
駄目元で
どなたかの、有力情報を期待しています
死ぬまでにもう一度食べたい あのカレーを・・・・・
- 519 :ねたはないけど :2000/05/04(木) 12:46
- あげるよ。
- 520 :戸碌斎 :2000/05/05(金) 11:17
- 近所の小さな神社にトタン葺きの小さな屋台。
そこで売っていたみたらし団子
まちまちの大きさのひらたい団子に、醤油味のタレ。
神社とつながってある神主さんの家の軒先に、
寄り掛かるように建っていた小さな屋台で、
一本二十円だか三十円だかで、雨の日も雪の日も売っていた。
近所の人は、何かあるとそこで団子を買っておやつにしていた。
子供もいず、どう見ても裕福とは言えない団子屋の老夫婦が
かわりばんこで屋台にたっているのを、近所の皆が支えているようだった。
いつも同じネズミ色の着物を着た無愛想な婆さんと、
これも殆ど言葉を発しないが酒ヤケの赤ら顔のにこやかな爺さん、
決まって子供には十円おまけしてくれた。
一本買っても十円引き。お使いで二十本買っても十円引き。
大学に入って町を離れ、数年してからふと気がつくと、
団子の屋台はなくなっていた。
屋台に車が突っ込んで婆さんが亡くなり、
気落ちして見る影もなく痩せ細った爺さんも
数カ月後、後を追うように病気で亡くなったそうだ。
それを聞いてちょっと泣いた。
屋台が無くなって間もなく、神主さんは家の改修をしたという。
屋台がある間は言い出せなかったんだそうだ。
あれから十数年。あの団子の味をもう一度味わいたくて、
みたらしと見れば飛びついて買って食べる。
でも、どれも甘ったるく、なんだか上品で、
あの神社の屋台の団子の味がした事はただの一度もない。
- 521 :キソ肉マソ :2000/05/05(金) 14:38
- 俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。
俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。
いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。
ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。
そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」
俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。
今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。
- 522 :う〜ん :2000/05/05(金) 19:25
- みんな、いいなぁ。
- 523 :浪花のバーテン :2000/05/06(土) 11:01
- ずーっと読んでて、今思い出した。
今から8年前の8月31日。
高校生活最後の夏休みもオーラスを迎えたあの日。
俺達、和歌山N高校の美術部軍団十数人で
「最後のこの日に、思い出を作るぜ!」っつーて
海岸でバーベキューをすることになった。
網や木炭やら用意して、全員集まってさあ始めるか!
っつーたんが午後10時頃。
しかもその日は台風が近付いてて、風の強いこと強いこと。
でも、アホな俺たち。
「こんぐらい、いけるいける!」とかゆって
そこらへんにあった大きめの石積み始めて、用意始めたんだわ。
で、木炭真ん中に置いて、新聞丸めて火を付けて、
やっと木炭も赤くなってきた。
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0ch BBS 2004-10-30