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思い出に残る食事

389 :たか坊 :2000/04/16(日) 19:15
今から10年ほど前の話です。
当時、両親が離婚して経済的な理由から
父親に引き取られていた私は、中学校帰りに近所のスーパーで
パンと牛乳を買って帰り。それが夕食となっていました。
ところが、ある日。
いつもの様にパンを買って帰りTVを見ながら食事をとっていると。
隣に住んでいる、顔見知りのお婆ちゃん(当時80歳くらい)が
「たかちゃん、いつもパンなんやろ?こういうの食べへん?」
と野菜の煮物を持ってきてくれてました。
このお婆ちゃん、光江さんと言う方でして
戦時中に兄弟や、お子さんを何人も無くしたらしく
残ってる子供は全員女という事もあってか
男である私のことを、それからも非常に可愛がってくれました。
中でも思いで深いものに、おやつ代わりに作ってくれた
「さつま芋の砂糖菓子」というのがあったんですが。
当時食べる菓子は、スナック菓子のみだった私にとって
すごく美味しく感じられました。(食感は甘納豆風です。)
光江さんは、私が高校2年の時に亡くなられてしまったんですが
今でも、甘納豆を食べる度に。
お婆ちゃんの事を思い出してしまいます。
お惣菜以外にも沢山大事なものも貰ったな・・・と。(^_^)

390 :人力 :2000/04/17(月) 04:29
あげときますね

391 :名無しさん :2000/04/17(月) 14:36
3年前、父がガンの末期状態で母と弟とホスピスへ申し込みに行きました。
申し込んだ後、喫茶店であんみつを頼みました。
みんな胸が詰まって食べれなかったのですが、
父が「食え!全部食うんだぞ!」とものすごい形相で食べ始め、
母も下を向いたまま涙をボロボロ流しながら必死で食べてました。
弟は席をはずした後、真っ赤な目で戻ってきてものすごい勢いで食べました。
私は、これを全部食べたら父が良くなるような気がして一生懸命食べました。
ほどなく父はホスピスに入ることなく亡くなりました。
今でもあんみつを見るとあの日の光景が浮かんできてつらいです。


392 :あねーろ :2000/04/17(月) 15:55
いつだったか母が家を空けたときがあり、
その日の夕食は父が作りました。
確か野菜炒めか何かで、とてもまずかったことを憶えています。

あれから20年近く、一人暮ししている私の作る料理は
幸い母に似て美味しい(らしい)ものでホッとしております。
今なら私が作ってあげれるのに… お供えしようかな。

393 :明るい田中麗奈 :2000/04/17(月) 20:09
私がはじめてミスタードーナツで食べたのは小学生の頃でした。開店間もなかったその店はハロウィンにあやかって10月31日が誕生日の人にハロウィンの絵柄のハンカチをプレゼントする企画をやっていました。私の誕生日はまさに10月31日なのでやったーという思いでハンカチを貰ったのですが、一緒に来ていた祖母も「私も10月31日が誕生日なんだ」と言ってハンカチを貰ったのでした。おかげでその日以来高校の頃まで自分と祖母は誕生日が同じだと信じていたものでした。皆さんもお察しのようにそれは景品のための嘘だったのですが。そんな祖母が亡くなってもう10年が経ちます。

394 :肛門の田中麗奈 :2000/04/17(月) 20:27
おらよ〜、外で食う飯は何でもうまいと思うんだ〜

395 :名無しさん :2000/04/17(月) 22:05
うちは祖母・母・私と女が3人います。
祖母もまだシャキシャキしているので、仕事を奪っちゃ悪いよな〜との
大義名分の元、核家族だった頃はかなりやっていた食事の支度を全然
しなくなり、早3年くらい経った時のこと。
祖母・母が何の用だったかは記憶にないですがすっごく忙しく、急遽
私が夕食を作ることになりました。メニューはカレイを揚げて、あんかけ
をかけるというもの。双方アツアツをタイミング良く合わせたいところで
すが、何しろとんと料理をやってなかったので、カンが狂って右往左往
しました。
出来た辺りで祖父が外から帰ってきたので、皿に盛って食べてもらいました。
「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は
言うんです。で、ざっと流しを片づけていざ自分が食べてみると、マズイ!
「きゃ〜、じいちゃん、なんでおいしいって言ったの〜!(笑)」
即刻あんかけを回収して味を付け直しました。タイミングに気を取られて
味見しなかったのが敗因でした。
いつもは祖母や母の作った料理に何かと文句を言う祖父なんですが、
いくら孫が作ったからってあんなマズイ料理に「おいしい」と言うなんて・・・。

最近前にも増して気むずかしくなった祖父が煙たかったんですけど、
この話思い出したから、明日からちょっと接し方が変えられそうです。

396 :XR乗り :2000/04/17(月) 23:08
高校生の時は毎日母親が必ず弁当を作ってくれていた。
ほとんど欠かさず毎日毎日朝5時半くらいに起きて
揚げ物とか手巻き寿しとか色々なメニューを作ってくれた。
でもたまに母親出かけている時などは親父が作ってくれる弁当だった。
メニューは必ず海苔弁に焼いたポークソーセージを乗せただけの弁当。
でもこれがとてもうまかったぁ。おかげで高校時代は1度も購買のパンや
コンビニ弁当のお世話になる事はありませんでした。

397 :388 :2000/04/18(火) 03:59
弟からの連絡は、無い。

この前、友達と電話で花見の段取りを相談してた。
「筑前煮持ってきて。」って言われた。
それは、料理が苦手な私が、2年前に同じメンバーの花見に
持っていった物だった。
はじめて人のためにお料理して、はじめて美味しいって言ってもらった
私のお料理だった。嬉しくて必要以上にはしゃいじゃったよ。
でも、それはお世辞だったと思うんだなぁ。後で思うと。

でも、それを覚えててくれた事がうれしくてうれしくて。
少々どうであれ、私が一生懸命作ったってことを、その子は見抜いて
いたんだな。ほんとに料理をしない私だったからなぁ。

「食べた思い出じゃなくて、食べてもらった思い出。」

398 :本の虫 :2000/04/18(火) 04:55
この学歴社会のさなか、地方出身ながら進学率の高い高校を
選んでしまった私は実家を出て下宿から通学していました。

中学を出たばかりの子供には寂しい状況で、泣き暮らした日々
もありましたが、しばらくして学校にも慣れ、当時無類の本好き
だった私は学校の図書室に入り浸るように。
司書の先生や同じ趣味の友人とも仲良くなって、親元離れた寂しさ
も薄れて来たある年の夏。私の誕生日が。

いつものように図書室に行くと、なんとそこには「おたんじょうび
おめでとう」と書かれたケーキが!
先生が下宿暮しの私を気遣って購入してくれた物でした。

学校隣のケーキ屋で売っている一番小さいホールケーキでした
が、その嬉しかったこと。生涯で一番美味しかったバースデー
ケーキです。今思い出しても涙が。

下宿先の食事情が良くなくていつも顔色の悪さを心配されて
いたような状況でしたから、少しでもカロリーのあるものを…
とか考えていたのかもしれませんが、それもまた良しと言う
ことで。

399 :名無し野郎 :2000/04/18(火) 13:47
出張先の塩釜で食った大トロと牛タン。
今までにどちらも食ったことはあったが、このときほど
「こんな美味いものを食ったことはない」と思ったこと
はなかった。

400 :俺が小さい頃 :2000/04/18(火) 14:36
母親の実家に行くと、決まって出てくるのが五目ご飯と
てんぷらとうどんだった。
いとこ連中もみんなまだ小さくて、正月とかに集まると
ゲームしたりトランプしたりして大いに盛り上がったものだ。
いまではみんな独立してバラバラになり、実家もなくなって
しまったが、あの五目ご飯の味はたぶん忘れない。一生・・・



401 :三子の魂 :2000/04/18(火) 21:45
以前のお話に、一番大好きなものを弟に取られてぶちのめして
しまうお話がありましたが、私は祖母に似たようなことをして
しまいました。

祖母が若いころ私の家に遊びに来て、近所で評判の割烹があると
いうことで、皆でその店に食事にいきました。
たしか私は小2か小3のころだったのですが、そのとき初めて
その店で「うなぎの蒲焼」を食べたのです。あんまり美味かったの
で、最後に全部食べようと思い、そのままお皿に残しておきました。
ところが、ちょっと目を離したすきに、祖母が全部一口で食べて
しまったのです。

私は、なにもない皿をみて、血の気がひき、「きーーーーー」という
掛け声とともに、そこらじゅうのお皿をひっくり返して涙をながして
怒りました。
驚いたのは、家族だけではありません。店の人も驚いて事情を知り
なんと私のために蒲焼をまた焼いてくれ、慰めてくれたのです。
悲しさと恥ずかしさが一緒になって味などわからなくなってしまい
ました。

祖母は今年で97歳になり完全にボケてしまったのですが、
ちょっと悲しいのは、私の顔を見るたびにこの話を5分に一回
することです。人間キレてはいけないということを身にしみて
思います。

402 :名無しさん :2000/04/18(火) 22:08
>401さま
身の程を知りました。ごめんなさい。
もう絶対切れてあらしたりしません。
                  厨房代表


403 :三子の魂 :2000/04/19(水) 06:58
>>401さま
>身の程を知りました。ごめんなさい。
>もう絶対切れてあらしたりしません。
>                  厨房代表

わざわざのご挨拶ありがとうございます。
でも、「キレれる」というのは遺伝的要因もあるらしいです。
私の親族の多くがキレやすく、親族が集まると修羅場です。

404 :夏の思ひ出・・・ :2000/04/19(水) 15:02
沖縄出身の夫(結婚前)と夏休みに沖縄に行って
本島からフェリーに乗って ある島へ行きキャンプをした。
夏休みだというのに キャンプ場には私たち2人のテントしか無かった。
当然 辺りに商店、露天商の類も無い。
2日目の朝、前夜の残りで朝食を済ませた私たちは 朝から泳ぎまくり、
2時ごろ空腹にはなって海からあがった。
材料はあるけれど 昼食を作るのが面倒になり
港に行けば飲食店があるだろうと車で港に向かった。
港の店はランチタイムを終え 全ての店が休憩時間で閉まっていた。
どこか観光名所に行けば何かあるだろう と、島で一番(?)の名所に向かう。
土産物屋に食べ物は無く、なぜか「にんにくラーメン」という
カップ麺が置いてあったが 私はにんにくがキライなので買わなかった。
来たついでに 島で1番高い山に登る。
次なる観光名所(某ガイドブックを参照)へ向かうも
店どころか人っ子1人いなかった。
来たついでに 観賞。
すでに 4時を回っていた。 にんにく嫌いがこんな形で仇になるとは!!
あまりの空腹に 半べそになりながら車を走らせていると
1件のパーラーを発見!!!!! (この時点ですでに5時過ぎ)
慌てて車を止め、走ってパーラーに向かった。
「俺、ハンバーガー!! 2つ食う!!」「私、チーズバーガー!!」
走りながらメニューを読み、叫びつつ店内へ。
店のおばちゃんが 「ごめんねぇ〜。今日、オードブルの予約が入ってて
食べ物無いのよ。 飲み物だけね」
「ええええええええええええーー!!!!」
おばちゃんの揚げる唐揚やポテトの山を恨めしそうに見つつ・・・・
「なに? お腹空いんの?」 「うん」 「食べたいの?」 「うん」
おばちゃんは 2人に唐揚を2つづつ、ポテトを一掴みづつくれました。
涙が出るほど美味しかった。
「美味しい?」 「おいしぃ〜〜 ありがとおぉぉ〜〜(涙)」
ありがとう、おばちゃん! あの唐揚の味は 一生忘れないよ。

でも 今考えたら 港に戻った方が
早く食べ物にありつけたかもしれないなぁ・・・・


405 :名無しさん :2000/04/20(木) 08:37
いいスレだのぉ (T_T)

406 :夏休み :2000/04/20(木) 11:33
中学生くらいになるまで夏休みは必ず両親と父方の叔母、叔父と
海にキャンプに行ってた。
がんがん泳いでお腹を空かせたあとに
ネットにいれて海水で冷やした西瓜と青リンゴや、
海風の匂いのするお握りを食べたり。
貝を採って大きな鉄板で焼いたのが一番美味しかったな。
地面が見えるほど潮が引かないので足で探って採るんだけど、
たまに蟹に挟まれたりして。
烏貝がびっしりついた岩を見つけたときはほんとうれしかった。
岩場には海苔やかんぴょうが干してあってそれを見ると
「ああ、夏だなあ」と感じた。

407 :名無しさん :2000/04/20(木) 12:03
読んでたら午前中終わっちゃいました(笑)

私は、母のつくる手作りコロッケと、祖母の味ご飯(炊き込み御飯)が好物です。
就職でひとりぐらしをはじめた私は両方ともなかなか食べられない。

たまに祖母宅に遊びに行くと、
こちらから頼む前に「あじごはん持ってかえりー」と持たせてくれます。
祖母宅までは、電車で2時間ほど。
帰って食べようと思いつつ、家に帰る頃には、
2合ちかく入る容器はすでに空(笑)

そんな祖母とも1年以上会ってません。

就職して一人暮らしをはじめて1年、
彼女ができて、たまたま作ってもらったあじごはん、
なんと祖母のつくるものと味がそっくりでした。
ごはんが醤油色に染まった、濃い味のあじごはん。
味付けは親譲り、とのこと。
おいしさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。
涙をこらえるため、難しい顔をして食べる私を見て、
「まずかった?」と心配そうに聞いた彼女(笑)
とってもおいしゅうございました(笑)

こんどのゴールデンウィークには、祖母に会いに行きます。
味ご飯食べにね(笑)

そうそう、彼女とは、来年結婚します。
わがままで嫉妬深くて泣き虫でやかましいけど、
きっと幸せにしてみせます。

TO:彼女へ
大学でつきあってた彼女がいたなんて、見栄でついた大嘘です(笑)
あなたが、初めてまじめにつきあった人です(笑)
でも、ホントのことは絶対教えません(爆)


408 :>407 :2000/04/20(木) 12:32
いいね。お幸せに。

409 :小学生 :2000/04/20(木) 13:27
>407
すごく大切な所が省略されてるよ。
確信犯なら見事としか言いようがない!

410 :曾祖母との思い出1 :2000/04/20(木) 13:55
曾祖母は 男勝りで、凛としていて でも優しくて
大好きだったけれど ベタッとは甘えられないような
不思議な雰囲気をもっていました。

私がまだ小学生のとき。
なぜかは忘れてしまったけれど 曾祖母と2人だけで
お蕎麦屋さんに行った事がありました。
私は 蕎麦よりもうどんが好きで 特にたぬきうどんが
大好物で いつも食べていました。
曾祖母が 「何でも好きなのを頼め」 と言うので
「たぬきうどんが食べたい」 と言うと
「俺が鍋焼きうどん頼むのに おまえがたぬきうどんじゃ
俺がおまえを苛めてるみたいじゃないか。 鍋焼きか
天ぷらにしろ」 と言われて無理やり天ぷら蕎麦に
変えられてしまいました。
(たぬきうどんがたべたいのに・・・)と天ぷら蕎麦の
天ぷらを全部残して怒られてしまいました。

411 :曾祖母との思い出2 :2000/04/20(木) 13:56
二十歳を過ぎたある日、曾祖母が入院してしまい、
ある日 危篤状態になってしまいました。
ベッドの横にいる私の手を握って
「○○(母の名前) 大きくなったなぁ」と
何度も何度も 繰り返してました。
面会時間が終わり、「まだ しばらくは大丈夫でしょう」と
病院の方から言われたので 歩いて15分ほどの曾祖母の家に
親戚達と一緒にもどり、 叔母の作ったカレーを食べながら
従兄弟の子供達と一緒に「8時だよ 全員集合」を見ていました。
(う〜ん、歳がばれてしまうな・・・)
半分も食べないうちに病院から電話があり 曾祖母は亡くなりました。
飛び出して 病院まで走っている間
カレー食べて 「8時だよ 全員集合」見て笑ってた自分が
すっごく情けなくて あと15分病院にいれば 最後まで
付いていていられたかも と思って 大泣きしながら走ってました。

今でもたぬきうどんが大好きで良く食べるのですが
たまにお蕎麦屋さんに入ったときに「今日は鍋焼きうどんでも食べるか」
なんて思ったりします。
カレーの話はこのスレッドを読むまですっかり忘れてました。
(良いスレッドですね〜 会社で午前中泣きっぱなしでした (^_^;)

故人は「思い出してあげるのが 一番の供養」だと言うので
これからは うどん、カレーを食べるたびに (あ、天ぷらも)
曾祖母を思い出そう!!! と思いました。
(〜しました、ばっかりで読みづらい文章でごめんなさい)

412 :>409 :2000/04/20(木) 15:10
なに? わからん????

413 :>412さん :2000/04/20(木) 15:18
全レスで見るとわからないですね。

http://www.2ch.net/food/index2.html

↑ここから見るとわかりますよ。
見事に最後の数行が省略されてます。

414 :>413 :2000/04/20(木) 15:22
いや、読んだけど わからんかった・・・
が、 スレッドに直接関係無いので
謎は謎のままにしておこう・・・ >自分

さぁ! 次の話はどんなかな?

415 :名無しさん :2000/04/20(木) 16:03
うーむ、ホンと確信犯だとしたら素晴らしい。感動しました。
どうぞお幸せに。

最新レス100から読んで見ましょう。>407

416 :名無しさん :2000/04/20(木) 16:04
誤)最新レス100から読んで見ましょう。>407
正)最新レス100から読んで見ましょう。>414



417 :412=414 :2000/04/20(木) 16:38
「長いので省略・・・」ってなるのを計算して・・・
って事だったのだね >確信犯
やっとわかりました ありがとう。 >413、415
謎は謎のままに・・・ なんて言ってたくせに結局書いちまった。
おかげで元ネタの407が見えなくなっちゃうな。

最新レス100 もしくは レスを全部読む から見てね >ALL

418 :お節介さん :2000/04/20(木) 17:20
板に関係ないけど・・・
みんな確信犯の意味を間違えて使っております。
「悪いことと知りつつ、行う」
のが確信犯と思ってらっしゃる様ですが。
「本当は悪い事であるのに、
本人は世のためによいことだと固く信じて行ってしまう事」
が確信犯の本当の意味です。
でも今って前者で使う人が大半ですよね。

「遊説」「判官びいき」の読みしかり、「閑話休題」の意味も・・・
あ、どんどん話題がそれていく・・・


419 :415 :2000/04/20(木) 19:13
>お節介さん様

書かれたご本人は世(彼女)のためによいことだと固く信じて行って
しまった事だと思って「確信犯」を使ったのですが、真意が伝わらなく
て残念です。


420 :三子の魂 :2000/04/20(木) 20:41

確信犯という言葉で、思い出した料理があります。

学生のころ、貧乏なくせに、ある喫茶店に昼に夜に出入りして
いました。料理も美味しかったので、お金があれば、食事も
その店でしておりました。
その中での絶品は、ホワイトソースピラフというもので、ソース味の
ピラフの上に、ベーコン、シメジ類のホワイトソースを上から
かけたものでした。(ミックスベジタブルと合わせて、簡単に家でも
作れるのでお試しあれ)
福神漬けと一緒に食べると、それはそれは幸せな気分でした。

その店のマスターは、いろいろ試作したものをお客に食べさせて
日夜メニューを研究していましたが、と、ある日いつものホワイト
ソースピラフと同じものを私に出してきました。まずくてもタダ
にしてくれるので、ほいほいと了解して食べ始めました。
いつもと違ってベーコンではなく、寒天のようなものがいくつか
入っていましたが、どうも味がしなかったので、
「なんか味がしないし、歯ごたえ悪いよ。」と言ったところ、
「ダイエットホワイトソースピラフを考えているんだけどね。駄目?」
という答えが返ってきました。

ふと料理場のほうに目を向けると、猫の絵が描いてある空き缶が
ちらりと見えました。なぜか悪い予感がして、どかどかと料理場に
押し入り、缶を良く見ると「鶏のトサカ 水煮 ネコちゃん大喜び」
と書いてありました。

それ以降、その店のホワイトソースピラフを食べるときには、
あちこち突付いてから食べるようになりました。

このマスターこそ確信犯というものでしょうか?

421 :名無しさん :2000/04/20(木) 22:59
外食の話は
外食板に行かないと怒られるよ(笑)

422 :三子の魂 :2000/04/21(金) 00:31
421様:
食事には、外食も家庭もないのですけど、世知辛い世の中ですね。
では、さようなら。

423 :名無しさん :2000/04/21(金) 00:52
あげとくよ


424 :名無しさん>417 :2000/04/21(金) 01:18
ごめんなさい。
「最新レスを全部読む」でもわからない。
具体的に教えてください。
このスレッド、ずーっと見てきてるのに、何のことかわかりません。

425 :>424 :2000/04/21(金) 01:27
板に関係なくてゴメン。
419の書き込みがいっそう訳わからんものにしてると思うよ。
お節介さんの言いぶんであってない?>417さん


426 :424 :2000/04/21(金) 04:03
あと数行書いたら、「長いので省略・・・」ってなるの?
自動的にそうなるようになってるの?
でも、なぜ数行省略されてるのがわかったの?
んんん、私馬鹿かな。ほんとにわかんない。
わかりやすく教えて。気になっちゃって・・・。
関係無い話でごめんなさい。

427 :名無しさん :2000/04/21(金) 06:53
30行過ぎると 長いので省略されます。

それを踏まえて読んで見ましょう。 

428 :愛川欽也>424 :2000/04/21(金) 07:56
15
10
15
20
25
30
        ハイッ 消えた!

429 :名無しさん :2000/04/21(金) 09:29
せっかく良いスレだったのに
関係ないことでおかしくなってきてるな。
毎朝読むの日課にしてるのに。

430 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:00
すみません。
私の不用意な書き込みで おかしなことになってしまいました。

最初、407さんのエピソードに対する 409さんの書き込みの意味が
わからなかったんです。
結局 407さんが 「長いので省略・・・」となるのを『計算の上で』
その省略される部分に TO:彼女へ の文章を入れたのだとしたら
やるなぁ。 って事だったんですよ。(あくまでも だとしたら の話です)

他の方はわかりませんが
私にはその やるなぁ って思った事が 409さんの「確信犯」という
言葉にピタリ と来たわけです。
なので あまり深くは考えず ただ引用してしまいました。
(418さんのおっしゃる通り、私は 間違った「確信犯」の使い方をしていました)

せっかくのスレッドの話題をそらすようなことになってしまって本当にすみません。
ホントは 恥ずかしいのでしらばっくれちゃおうかと思ったんですけど
このままにもできないので 恥ずかしながら出て参りました。
これで わかっていただけたでしょうか・・・

また いろんなエピソード、期待してます。



431 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:18
恥ついでに レスをもう1つだけ。

>424さん
417を 書き込むとちょうど407が見えなくなってしまったのですよ。
私の417の書き込みが 407を押し出す(?)カタチに
なってしまったわけですね。
で、407を読むには レスを全部、または 最新レス100 でなければ
読めなくなってしまった、 そうすると 「長いので省略・・・」コメントも
表示されなくなってしまうので 何のことだかわからなくしてしまったわけです。
すみませんでした。

>425さん
419は 私ではありません。
言い訳っぽくなってしまいますが 「確信犯」という言葉を最初に使ったのは
私でありません。
先ほども書いた通り あまり深く考えず 「確信犯かぁ、なるほどねぇ〜」程度で
書いたに過ぎませんでした。

以後、不用意な書き込みをしないように 気をつけます。


432 :お節介さん :2000/04/21(金) 11:20
いや、こういう律儀ないい人がここにいたというのもまた
いい雰囲気になってると思いますよ。お節介はホント余計でしたね。

私も実はいろいろ食べ物に対しては思い出があります。
ほとんどが悲しい思い出ですけど・・・
そのうちの一つをば。

小学1年の頃、父親の会社が危なくなって、人の良い親父は
全部借金を自分でしょってしまってました。
その結果、持ち家は売られ、車も売り払い、借家住まいになりました。
そしてその借家すらも家賃が払えず、とうとう夫婦別居
(母親は実家に帰り、父親は会社に住み込み)
ことになり、姉一人と私が、どちらかの親の方に行く事になりました。
そこで馬鹿だった私は、ガミガミ言う母親より、口穏やかな父親の
方を選びました。(姉は母親を選んだ)
今考えると、借金でそれどころではない父親に負担が掛かるのも
考えていなかった自分が悔やまれます。

そして2人の住み込み生活が始まりました。
しかし、父親は自炊どころではないため、ずっと二人で会社の隣の
食堂に通っていました。そこで好きになって毎日のように
食べていたのが鯖の味噌煮定食。アサリのバター蒸し。

しかしそんな生活も長くは続かず、急に終わりが来ました。
ある日曜日の朝、父親が夜逃げしたのです。
父親が逃げたとは露ほども知らず、父の帰りを待つ私。
しかし、夕刻になり、あまりの空腹にたまらず私は母親の実家に
電話をかけました。すると母親が飛んできて、御飯を炊いてくれ、
近くの市場で買ってきた揚げ物をおかずに晩ご飯をたべました。
その時、父親が逃げたことを知らされたのです。
久しぶりに、しかも空腹時食べる母親の料理。
(といっても店の物ですが)
嬉しい反面、父親に捨てられたんだという何ともいえない、
挫折?落胆?感。
そんな思いが入り交じり、泣きじゃくって食べたあの御飯は一生忘れません。

とりあえずこの辺で。リクエストがあればさらに続きを
思い出して書きます。あー思い出したら波だ出てきた。


433 :415=419=三子の魂 :2000/04/21(金) 12:34
ありゃりゃ、これは混乱させてしまったようですね。
失礼しました。

434 :412=414=417 :2000/04/21(金) 13:17
>お節介さん さん(?)
律儀だなんて・・・ そんな・・・

私の父も 私が幼稚園の時に事業に失敗し
家、車等を手放しました。 幸い夜逃げするには
いたりませんでしたが 子供の頃、結構つらい食事を
したのを思い出して ちょっと涙が出てしまいました。
現在 両親は小さいですが居酒屋を経営しております。

私も何か書こうかな とは思うのですが
なかなか文章にするのは難しいですね。
恥ずかしいので 417での登場はこれで最後にします (^^;;;
次回からは 名無しさん で参加させてもらいます。


435 :小学生 :2000/04/21(金) 14:18
確信犯を最初に使ったのは私です。
「結果を確信した上に悪いと分かっていて実行」みたいに
曲解していたようですね。417さんのいう意味の使用例には運悪く
まだ出会ったことがなかったので、、、一つ賢くなりました。

436 :お節介さん :2000/04/21(金) 15:39
「確信犯」は
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=gengo&key=956221023
こちらに移動しました。
(ていうか日付見て分かると思うけど418書いた後すぐに建ててました)

こちらも2ちゃんの「良いスレッド」ランキング目指してます。
勉強になりまっせー。


437 :りんご :2000/04/21(金) 19:35
母は友達のようにふざけあえる
元気で明るい人でした。
美人薄命などといつもふざけていた
そんな母が癌におかされたのは
私が高校生の頃でした。
入退院を繰り返し
もともと痩せていた母の身体は更に痩せていき、
食事もすでに流動食しかとることはできなくなっていました。
そんな母は100%のリンゴの透明ジュースが好きで
私や父が病院にきたときにはいつも
「リンゴの透明ジュース買ってきて」と頼んでいました。
土曜日学校の帰りに寄ると
「お昼まだなんでしょ、買ってきなさい」と言われ
そのリンゴジュースとお弁当を買ってきた私は
食べたくても流動食しか食べることの出来ない母の前で
何も考えずお弁当を食べていました。
月日も経ち、もう保たないと医者から宣告され、
母の日がきました。
毎年プレゼントを買っていたのですが
入院していて死を宣告されてる母に
私は何を買ってよいのか分からず
「退院したら買うね」といったのです。
母の日当日、本当なら見舞いにいくのでしょう。
意地っ張りな私は、友達の様なノリでいたのに
病院に行ってしまうと変に優しく接してるように思われるのが嫌で
せめてカーネーションの一本でも持っていけばいいのに
後悔するとわかりながら結局行かなかったのです。
それから約1カ月後、母はやはり他界してしまいました。
優しく出来なかった自分・・・
透明のリンゴジュースをみると
今でも苦い思い出として蘇ります。


438 :名無しさん :2000/04/21(金) 22:22
…残業中なのに…涙が…

439 :OL野郎 :2000/04/22(土) 00:12
ここを知ったのが今週。
ずっと会社で急に涙ぐむ私。周りはなんと思っているのか・・・

私の話は以前の彼との思い出の食事。
お互い勤めていたにもかかわらずいっつも貧乏。
でも月に一回くらいは奮発して、焼肉を食べに行ってた。
実は私の実家は外食が嫌いな家で、それまでロクに焼肉を
食べたことがなかったんだけど、この彼は妙に焼肉好きで。
「レバ刺」「ユッケ」なるものを初めて知った私。
お互い別の人と結婚しちゃったけど、レバ刺食べると
ダンナに悪いなと思いつつ、元気かなと思っちゃう。
今でも最初はビールとホルモンで、最後の最後にカルビ頼んでるのかな?
向こうもレバ刺で私のこと思い出しててくれたら嬉しいな。




440 :名無しさん :2000/04/22(土) 00:40
感動超大作は結構だけど30行で区切って再度書き込んでください。

441 :父の話 :2000/04/22(土) 06:16
うちの父は昭和十三年生まれ。十六年に父親を、続いて終戦の年に
母親を亡くしている。その後すぐ、母親の実家に預けられたのだが、
そこの家長(つまり父の祖父)は学校の校長先生。愛情はある人
だったが、生きるためでも法に触れたことは出来ない、ときっぱり
言う人だった。だから闇市にいけず、食事は貧しいもの。すいとん
ばかりの毎日だった。
その後、父の母親の一回忌で父のやせ衰えた姿を見た父の叔父は
自分も子供を三人抱えていたにも関わらず、このままでは父が
栄養失調で死んでしまうと確信した。そして無理矢理、父の母方
の祖父母のもとから自分の家へ父を連れ帰ったのだ。その叔父の
家は裕福ではなかったが、「生き抜くこと」が何よりも大切だと
思い、叔母が嫁入り道具の着物を全部闇市で食糧に変え、自分の
甥に当たる父にもどんどん美味しいものを食べさせた。
終戦後初めて食べた白米がどれだけ美味しいものだったか、そして
いかにその叔父に感謝しているか、言葉で言い表すことは出来ない
−−そう言った父のためにこのスレッドに書き込みさせていただき
ます。大叔父さん、父を育ててくれてありがとう。それから、美味し
いご飯を食べさせてあげてくれてありがとう。あなたがいなかったら
私は今ここにいません。心からお礼を言います。この話を聞いてから
白米の味がもっと心に染みるようになりましたよ。本当にどうも
ありがとう。

442 :名無しさん :2000/04/22(土) 17:13

親は生きてる間に大切にしないとね…ここ読んで、しみじみ思ったよ。

小さい頃、うちもここのみなさんのご他聞に漏れず貧乏で(笑)、
たまに出前のラーメン食べるのが数少ない楽しみでした。
一杯のかけそばではありませんが、ラーメン一杯頼んで、お袋と
小さかった妹と3人で分けて食べたっけ。
妹はまだ小さかったので、チャーシューはだいたい僕の小さな茶碗に
のっけてくれました。今でも、あのときに使っていた茶碗や、小さな
ちゃぶ台、部屋の風景とか、全部はっきり覚えてます。

いろいろつらいこともあったけど、なんとか道を踏み外さずにここまで
生きてこれたのは、やっぱり小さい頃にお袋が目一杯愛情を注いで
くれたからなんだろうな…「こういうことをしたらお袋はなんて思う
だろう」って思うと、悪いことはできないよ。

今はもう、ラーメンくらいいつでも食える状況になりましたが、
あの頃よりうまいと思ったことはないですね。

もうすぐ母の日なので、離れて暮らしてる人は電話とかしてみては?


443 :名無しさん :2000/04/22(土) 21:44
彼女と付合う前に二人で行ったサティ。
ここで初めて食べたたこ焼き屋の「銀ダコ」
開店直後で一杯行列が出来ていた。
二人でずっと並んで他愛も無い話を続けて。
ようやく順番が来て車に持ちかえって食べた。

空腹は最大の調味料。
とっても美味しかったのを覚えてる。
その彼女とその後半年付合った後に別れた。
もう何週間も前の話。

今日会社の休日出勤の為に出社した。
途中、休日出勤用の昼飯を買う為に近所のサティでお買い物。
入って入り口すぐそばに「銀ダコ」のお店。
行列は出来ていない。
何の気無しに1個買って会社で食べた。

あの日と同じ味がした。
急に記憶が、一杯の思い出が戻ってきた。
無人の会社でポロポロ泣けてきた。
全部食べられなかった。

444 :ちっ…… :2000/04/23(日) 04:04
泣かせてくれるじゃねーかよ……。

ツマラン話だが俺も書いとこう。
俺がどうしても忘れられないのは高校生時代、一人暮らししてるときに
毎週食べに行ってた定食屋の半ラーメン+半炒飯だな。
貧乏学生にとって、安いメニューの筆頭である↑(2つで250円)は
なによりも助かった。店の爺ちゃんがいい人で、よくおまけで餃子も付けて貰ってた。
ラーメンと炒飯食べる度に学生時代のこと思い出すよ。

しばらく行ってないが、GWの帰省ついでに寄ってみるかな……。
あの爺ちゃん、元気だと良いんだが。

445 :名無しさん :2000/04/23(日) 04:31
2chにこんな良いスレッドが...(T-T)

446 :名無しさん :2000/04/23(日) 05:17
私は、グレープフルーツを半分に切ってお砂糖かけて食べるのが好きです。
小学生の頃、祖母が出してくれたグレープフルーツを喜んで食べようとしたんですが
どうも味が変なんですね。
それもそのはず、上にかかってたのが、お砂糖じゃなくてお塩だったんです。
幼かった私は祖母にとっても怒りました。
そして、私が大きくなっても、そのとき居合わせた叔父がいつもその話をしてたんです。
いい加減しつこいなあと思ってたんですが、祖母が亡くなり、叔父も事故で急死してしまった今
グレープフルーツを食べるたびに、ふたりのことを思い出します。

447 :名無しさん :2000/04/23(日) 12:46
幼稚園前くらいの時、母方の祖母が私達姉妹のおもりにきた。
(同居していた父方の祖母が用事で家を空ける+母は通勤)
初日のおやつは、文明堂のカステラ
一人一切れ、といっても立方体!の一切れだった。
彼女が、たまにしか会えない孫に
めちゃめちゃ甘いことを見抜いた私達が、
切らせた分厚さだった。

ずっとあとになってから
その日帰宅した父方の祖母に、母方の祖母(ああ、ややこしい)が
すごくとがめられたことを聞いた。
(父方の祖母には、買い食いはもちろん、甘いお菓子自体
あまり許されていなかった)
翌日のおやつが、千切りキャベツソース掛けだった理由が
後年解明した。

同居して、毎日子供の面倒見ていた父方の祖母は、
どこかで悪役の役割を引き受けざるを得なかったのだろうし
母方の祖母は祖母で、わずかな孫との時間をせいいっぱい
濃密に過ごそうと、(おやつ以外にもゲームとかお絵書きとか)
さまざまなサービスをしてくれた。
いまは、どちらの立場もよくわかる。

あの2日間の、すごい差のあるおやつを思い出すと、胸がきゅんとなる。

448 :名無しさん :2000/04/23(日) 13:57
泣 泣 泣

449 :2ちゃんねる最高 :2000/04/23(日) 16:07
ここ読んで、GWに実家に帰ろうと思いました。
さっき電話したら嬉しそうな母の声。
早く手料理食べたいな

450 :>447 :2000/04/23(日) 21:11
ええ話やなあ〜

451 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:32
子供のころ貧乏だった、両親は駆け落ち同然で結婚したらしく
実家とは疎遠だった。
小5の僕の誕生日に祖母がカステラを持ってきた、始めて食べる
カステラはとても美味しかったが、紙のシートみたいのをはがす
なんて判らずに「噛み切れないよ〜」騒いでたら祖母が呆れ顔で
「はがしてから食べるのよ、まったくこの子はー」
今思うと娘である母に、少しは頼りなさいみたいに言ってたんだと
思う、母も照れくさそうにしてたんだけど、それ以来だんだん
実家とも行き来するようになった。
母も祖母も亡くなりましたが、カステラを食べるたびに
母の照れ笑いの顔を思い出します

452 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:49
私もGW仕事しないで帰ってみようかな。
うちの家族みんなお空の上だよ。思い出に残る食卓なんてないけど、
海外行った時においしい料理食べて「ああこれ食べさせてあげたかっ
たな」って思った瞬間が私にとっての思い出に残る食卓かもしれない。

ああちくそ、2ちゃんねるで泣かされるとは。

453 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:31
母の実家は、埼玉です。
僕が小さい頃、母は毎年のように実家に帰っていました。
僕がまだ小学校に上がってない頃だったと思います。
僕と、僕と二つ違いの妹、それから母の3人で、実家から空港に向かう道中のことでした。
母は、タクシーを拾おうとするもなかなか拾えず、途方にくれていました。
しかたなく3人で大きな道路沿いを歩いていましたが、母のつかれた顔を見て、僕ら兄妹もなんだか暗い気持ちになりました。
親のそういう気持ちは、子供にも伝わるものです。

とぼとぼ歩いているうちに、焼きそばの屋台の前を通りかかりました。
母は、そこで焼きそばを買い、歩き疲れた僕たちに食べさせてくれました。
その味の、なんと美味しかったことか。
あの味は、20年以上経った今でも忘れられません。
そして、いまだに僕は、あの時味わった焼きそばより美味しいものに出会った覚えがありません。
僕の、味に関する初めての、そして最良の思い出です。

454 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:58
思い出の弁当
高校のとき、4時間目が体育の曜日はいつも食堂で昼食をとっていた。
私はいつも母に弁当を作ってもらっていたので、弁当の包みを開き、蓋を開けた。
中身を見て、私は思わず再び蓋を閉じてしまった。
なんと弁当箱にはお菓子が詰め込まれていたのである。
内容は、おにぎり(これだけが救い)2つ、キットカット(分包)2つ、残りの隙間を
クッキーで埋めてある。まぎれもなく昨夜台所の食卓においてあったお菓子達である。
私はとっさに、これを他の友達に隠すべきか披露するべきか(隠せるわけ無いのに)
困ったが、急に蓋を閉じて黙っている私を周りが不審に思い始めたため
無理に笑い出して「これ、見てよお!!」と、皆さんに披露した。
とりあえず人目の問題は解決したので、食べ始めた。
おにぎりとキットカットの取り合わせはあんまりなので、おにぎりを食べ終わってから
お菓子類を食べた。よりによって体育の後なので、全然満腹感は得られなかった。
帰宅後、母に理由を聞いたところ、朝から体調が悪くおかずを作れなかったため、
お菓子をつめといた、とのこと。
体調が悪いのに手作り(?)弁当を作ってくれた母の気持ちはうれしかったが、
「今日はしんどいから、食堂にして」といって500円くれたほうがよかったと思った。
今なら笑えるが、その瞬間は全く笑えなかった。

455 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:17
あー。454さんのエピソードを読んでたらおれも思い出したよ。
おれが中学生のとき、学校に弁当持って行くの忘れたことがあってさ。
いや、母親はちゃんと弁当作ってくれたんだけど、おれが弁当箱をカバンに
入れるのをうっかり忘たんだな。
んで、お昼に母親はわざわざ学校まで届けにきてくれてさ、母ちゃんありがと
ってお礼言って受け取り、教室に戻って弁当箱のフタを開けてみたら。
白いゴハンの上に細く刻んだ海苔で「バカ」って書かれてたんだよ。
クラスメートに大笑いされたな。うん、おれもちょっと楽しかったね。

456 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:38
あんまり学校に来なかった同級生の彼が「運動会くらい出席しろ」
と言われたとかで、学校に来る事になった。
会う事も久々だったので、嬉しくってお弁当を作った。
ご飯の上に焼肉を乗っけた焼肉弁当。
簡単だけど高3の男の子にはウケルと思ったの。
2人で食べようと思って、小さ目のお重箱に詰め込んで行ったんだけど
何が気に入らないんだか、蓋を空けて中を見るなり不機嫌モード。
「食べないの?」と聞いたら、1口2口食べてポイっと返された。
見た目は悪いけど、味にはには自信があったので、かなりムカツイタ。
バカらしくなって、彼の目の前でゴミ箱に直行した。
本当は、すごく悲しかったのを思い出した。もう10年も前の話。

457 :>456 :2000/04/24(月) 06:30
なんだよ〜〜、ひどいよ〜〜〜〜〜!
456のモト彼はこのスレッドを読んで反省しろ!

458 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:54
彼はきっとかわいいお弁当を期待していたのかもね。
色合いも。。。

459 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:57
男は味の善し悪しよりも、
手の込んだものに憧れるのかも。


460 :名無しさん :2000/04/24(月) 07:20
ヒッキーが、久々に学校に来て運動会なんかに参加したら、
日が眩しくて普通気持ち悪くなると思うけどなぁ。(経験者は語る)
たぶん、脂っこさが、うっときたんだと思う。
あまり気にするな >456

461 :名無しさん :2000/04/24(月) 12:40
高校時代、父がいない夜、母と喧嘩して部屋にこもっていたら、「ごはんだよ。」と母。
部屋を出てテーブルを見ると、白飯だけがのっている。
「おかずは?」と聞いたら、「私、『ごはんだよ』とは言ったけど、『おかずだよ』
とは言ってないわ!」と怒られた。思わず納得してしまった私。
しょうがないので、母と向き合って、無言で白飯を食べた。
今思うと笑い話だけど、ふりかけぐらい欲しかったな。

462 :名無しさん :2000/04/24(月) 16:15
「食事」ということではないんですが…

私が10歳の頃の話です。
母方の祖母が呆けてしまっていて、その祖母の家に向かう
車中でのこと。

祖母の家では畑を持っていて、大量にジャガイモを収穫したのですが、
そのジャガイモに芽が生えてきてしまった。
母と、叔父が「あんなに芽が生えちゃって、どうしよう」と困っているのを
聞いた私は、「じゃあ婆ちゃんに食べさせればいいじゃん!
ボケてるんだし、『うまい、うまい』って食べちゃうかもよ」

そのときは、母と叔父は笑ってたんですが、
自分も30手前になり、親も着実に年を重ねている今思うと、
なんだかとてもひどいことを言ってしまったようで胸が痛みます。
祖母にも、母に対しても。

463 :オムライス :2000/04/24(月) 21:19
うち母親が食堂やってて、中学校の頃お弁当にオムライス
詰めてくれてた。すげー旨かったんだけど、マジにおかず
なしでオムライスが弁当箱いっぱい。そんででかいスプーン
持って食ってたから同級生にからかわれた。
でも忙しい母ががんばって作ってくれてた弁当だから、
隠すのが悔しくってかえって「わりーか!」っていばって
たなあ。そのうち誰もからかわなくなったけど。
天むすとかも作ってくれた。ちょっとだけあの頃に
戻りたいなあ。

464 :456っす :2000/04/25(火) 01:34
私の適当な思い出話にレスが・・・ちょっとビックリしました。
今思うとね、確かに色合いは悪いわな〜。
でも、お重はもう1段あったわけで。(色目の良いもの系おかず)

その彼は結局その後も学校に来なくて、一緒に卒業できませんでした。
今でもたまに夢に出て来るけど、別れた頃の18歳の顔。

465 :名無しさん :2000/04/25(火) 01:39
ひとり暮らしをしたことがなく、食事もまともに作った事の無い
私も、結婚して母親になると毎日否応無しに3度の食事づくりを
余儀なくされています。ふと気づくと私の卵焼きは、母とおんなじ
味。そしてそれは、おばあちゃんの卵焼きの味。そーいえば煮物も
だいぶ母の味に近づいてきたかな。おばあちゃんは年のわりにハイカラ
な料理が好きで色々作ってくれたから、今、私の子供に作っても
喜んで食べてくれます。
いろんな料理と一緒にいろんな思い出が受け継がれていくんですね。

466 :名無しさん :2000/04/25(火) 02:42
>464
へえ、女性でも昔の男のこと、思い出したりするんですね。
彼氏は幸せ者だよなぁ。

俺のことなんか、きっと思い出すのも嫌なんだろうなぁ。>昔の彼女。

467 :まい :2000/04/25(火) 04:06
>466さん
女でも、しょっちゅう昔の彼のこと思い出しますよ。

私のことを、覚えてくれていますか?>昔の彼。

468 :昔の彼 :2000/04/25(火) 04:50
もちろん覚えていますよ。

男性は、たいてい昔の彼女を「良い」思い出として、
記憶してますよ。けっこう、ひどい別れ方をしても。
僕も女性の方が「記憶から消しさりたい」って人が多いと思う。

風邪をひいて寝込んだ時に作ってあげたおかゆを
「まずい」といって残された、なんてことでも、
何もかもが懐かしい。

469 :昔の彼 :2000/04/25(火) 05:09
まい、もちろん君のことおぼえているよ。
今、幸せかい?
僕はいつでも、君よりちょっとだけ不幸せでいることにするよ。

470 :昔の彼 :2000/04/25(火) 06:58
君はブランドものが好きだったけど、おかゆまで
デパートブランドのレトルトが好きだったね、まい。

471 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:28
>463さん
高校のとき、お正月開けて最初のお弁当のとき
大きなお弁当箱に伊達巻がぎっしり というお弁当の男子がいた。
ご飯と伊達巻だけのお弁当。
ご飯の上に輪切りにした伊達巻が隙間無く並んでいて
鳴門の渦潮のようだった。
「俺、伊達巻嫌いなんだよなぁ〜」と恥ずかしそうに言いつつ
全部平らげていたのを思い出しました (^-^)



472 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:46
風邪をひいて少し熱っぽかった時に 1人暮らしの彼の家へ
遊びに行って そこで熱が上がって倒れてしまった。
食欲も無くて 朝からほとんど何も食べていなかった。
普段、料理なんかしない彼が 何か作ってくれるというので
「何でも良いよ。 でもあんまりたくさんは食べられないかも」と答えた。
買い物から帰った彼は なんと! カレーを作り始めた。
どうやら ジャワカレーの中辛らしかった。
(当時私は辛いのが苦手で バーモントカレーの甘口しか食べられなかった)
12皿分のカレーとご飯を作ってくれた。
そのカレーは 辛い上になんだか変に苦くって
「玉ねぎの茶色い皮も入れたの?」と聞いたら(ホントに玉ねぎの皮の味がした)
「ビールを1缶入れたんだ。 美味いだろ」
「・・・ 苦くてあんまり食べられない・・・ ごめんね」
「うそっ!!! こんなに美味いのに???」

結局 コンビニでレトルトのおかゆを買ってきてもらって食べました。

今は夫となった彼は あれ以来二度とカレーを作ってくれません。


473 :名無しさん :2000/04/25(火) 11:54
>472
す、すごい味覚かも

474 :名無しさん :2000/04/25(火) 12:23
>472
それでも夫にしたあなたの博愛に拍手

475 :472 :2000/04/25(火) 13:12
>473さん、474さん
「うわっ! なんでこんなにマズくなっちゃったの??」 というような
失敗料理でも食べてもらえるので 助かっております。

476 :名無しさん :2000/04/25(火) 17:40
すてきなだんなさまですね(笑)>472様

小学校のとき、駄菓子屋で少ないこづかいで買っていた
30円のソースカツのお菓子を思い出し、
先日たまたまスーパーで売っていたのを買ってきました。

20年ちかくたった今でも、やっぱりおいしいです。
懐かしい味でした。
若返った気分・・・(ほんとか?(笑

・・・でも、買いすぎた(笑
どうしよう、40個も(-____-;

477 :デカビタ :2000/04/25(火) 17:45
母の死から2年後、後を追うように父は自ら逝ってしまったとき
ひとり残されてわけがからなくなり
自暴自棄になってしまった時がありました。
私はまだ、専門学生で進級制作があったのですが
とてもそんなことをする気が起きず唯一頼りだった当時の彼氏に
弱音ばかり吐いていました。
でも、何がきっかけだったのか、もともと気が強くて楽天家なほうな
私は自分が逆境でも何も変わらない世の中、父に死を選ばせて
しまった社会が憎らしくもあり負けたくないと思う様になりました。
課題の提出まで後わずかとなり、
彼氏の手伝いをかりつつ仕上げていました。
提出のその日朝方、ほとんど寝ていない身体に栄養を補給しなければ
と思い栄養ドリンクのデカビタCを初めて買って飲んだのでした。
しかし、その1時間後、耐えられない腹痛に悩まされ
とうとう起きることが出来なくなってしまいました。
病院に行くとインフルエンザにかかっていて、
それから寝込む日々が続きました。
やっぱり、栄養ドリンクなんかじゃ体力の衰えはごまかされないのね・・・
と痛感しデカビタCをみると具合の悪さを思い出すため
以後飲めなくなってしまいました。
課題のスケジュールは無理せず徐々に・・・とつくづく思ったのでした。

478 :下がっているので :2000/04/25(火) 21:32
ageておきます。
ちょっとだけ。

仕事の都合で、今は大阪に住んでいますが、
生まれは、北海道の北のほうでした。
社宅にいたのですが、近所のおばさんが可愛がってくれてました。
おばさんは、水羊羹が得意で、よくつくってくれました。
売っているものに比べて、もっと水気が多いというか、
プルルンとしていて、私はそれが大好きでした。
小学校のとき、父親の仕事の関係で、遠く離れたところに
引っ越してしまってからも、自分の母親に、
「水羊羹は、おばさんのが一番」と言っておりました。
その後、10年ぶりにおばさんのところに遊びに行きました。
おばさんは、バット一杯に水羊羹を作って、もてなしてくれました。
昔と同じく、美味しかった。
それから、15年は経っています。
このスレッドを見て、また、遊びに行きたくなったなあ。

479 :>478 :2000/04/25(火) 22:20
すみません、バットってなんですか?
プラスチックバットの中に水羊羹かなとネタ的に
考えてしまったのですが、まさかね。

480 :名無しさん :2000/04/25(火) 23:19
長方形のステンレス製容器。で、丸いのがボウル。
わかったかい?
料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
やっぱ世の中、いろいんな人がいるんですねえ。ふむふむ。


481 :名無しさん :2000/04/25(火) 23:45
琺瑯引きのものもある。というか昔はステンレスがなかった。

482 :っつうか :2000/04/26(水) 00:24
ナゲぇ

483 :名無しさん :2000/04/26(水) 04:03
昔、よく通っていた定食屋さん。
中華も洋食も和食も美味い。家族四人で行ってしこたま食って
5000円程度。そしてそこでいつも頼むのが、餃子。
タレも絶品で、あれほど美味い餃子は食ったことがなかった。
ほかにも、ラーメンもうまいし、オムライス、カツ丼、野菜炒め、
洋風カツレツ、などなど、なかでも一番美味かったのが特大エビフライ。
毎週行くのが楽しみだった。
しかし、そのお店が借地だったために地主から立ち退きを要求されて
お店は閉店。10年近く通ったお店がなくなってしまい、とても
悲しかった。後にはどうでもいいような外車の展示場になってしまった。
その後何年かして、お店をやっていた奥さんがとあるところの事務をやっている
と聞き、尋ねていって挨拶がてら、お菓子を渡して帰った。
すると、ご主人がわざわざ餃子の具と皮とタレをたくさん持ってきて
くれた。家族でその具を使って餃子を焼いた。
不恰好だったけれど、あのときの美味しい餃子の味がした。
とっても美味しかったです。

484 :>483 :2000/04/26(水) 04:44
ええ話や〜。
栗良平あたりが小説化しそうだ。

485 :>480 :2000/04/26(水) 06:03
解説ありがとう。
>料理に興味ある人なら、小学くらいから知っている単語なのですが。
食うほうにだけ興味があってね。

486 :名無しさん :2000/04/26(水) 14:44
よっこらしょ

487 :名無しさん :2000/04/26(水) 23:56
>483
なんて地主だ
私もその定食屋さんの料理食べたいー
いつか再開しないかな


488 :AGE :2000/04/27(木) 01:17
まだ俺が若くって自分勝手だった頃、いつも不機嫌で彼女を泣かせて
ばかりで、それでもついてくる彼女にいい気になっていた、
今思えば、あのときの俺って、本当に馬鹿だったと思う。
その頃は2人、親元に居たので、彼女の手作り料理などを食べる
きっかけって無かったんだけど、正月休みかなにかのとき、彼女の
両親が出払っていて、その日の夕飯を2人でつくることにした。
2人とも料理とか、あまり作ったことが無くて、二人でスーパーに行って
ステーキ肉とか、彼女が「作れる」というホウレンソウのホワイトソース煮
の材料とか、そういうものをざっと買ってきた。
二人で仲良く作って、いざ食べてみると、両方とも美味しくなかった。
そのとき、無神経だった俺はまず、自分の焼いたステーキからはじめに
手をつけた。
あんまりおいしくないけど、本当はおいしいって言えばよかったんだけど
まずくもない彼女の料理を、「まずい」って言っちゃった、
せっかくつくってくれたのに、俺の馬鹿。

彼女とはその後もよく喧嘩をして、泣かせてしまった。
別れる日、彼女は「もしあなたに新しい彼女が出来たら、その子の
手料理は、一番最初に箸をつけてあげてね」って言われた。
その後、新しい彼女が出来て、言うとおりに彼女の作ったものを
一番最初に箸をつけるようになって、おいしくなくても「おいしい」
っていうようになった俺。
でも、出来ることなら、あの彼女が作ったホウレンソウのホワイトソース煮を
また食べたい

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