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思い出に残る食事

360 :>347 :2000/04/11(火) 02:13
うち、子供のころの写真を親が子供別に凝ったアルバムに
してたんだよね。んで、俺の奴には、
三才くらいの俺が鳩のエサを拾って食ってる写真があって…(汗
キャプションつけてありやんの。
「だめ! それはハトの分!」。。。。トホホ
自分じゃ覚えてないけどね。

覚えてるので一つ。子供のころ三つ葉狩りに連れて行って
もらったんだよね。お吸物とかに入れるあの三つ葉。
俺、ガキのくせに大好物でさ、生えてるのを、むしる端から
食ってしまった。もちろん洗ってないっす。
後で思い出したら、そこって親戚の犬の散歩コースだったん(汗
どくぜりって紛らわしい植物もあるそうだし。
でも、あのときの三つ葉ほどうまい三つ葉は後にも先にもないなぁ。
三つ葉を食べると思い出す。

361 :名無しさん :2000/04/11(火) 09:48
>357、358
生活板の、あの悪名高きスレッドからのコピペですね。あるいは、ご本人でしょうか。
あの方が来ると掲示板が荒れるので、ご遠慮ください。
ここの雰囲気がロビーや生活板と違うのが分からないですか?

362 :名無しさん :2000/04/11(火) 14:28
ずいぶん前の事、高校からのたった一人の親友がいて大学でて、就職して
からもずっと仲が良かった。
でも彼女に彼ができてから状況が変った。
素性が不明の彼で、働いている所に104で調べて電話をしたら「そうい
う者はこちらには居ません」といわれた。
彼に聞くと「ふーん、わざわざ電話したのヒマだね」と返された。
出身地もウソ、両親の事もウソ、彼のいうたくさんの友達にも会わせても
らえない。
飲みに行けば酔ってあばれる。あばれて壊した物品代も含めて店への支払
いは、私と割り勘。
彼女と同棲をしていてもお金は全然出さない、反対に彼女にお金をせびる
毎日。
彼女がお金に困っているのは良くわかっていたけれど、そんな彼と別れな
いでいる彼女に私はすごく腹を立てていて援助はしなかった。
ある日、彼女が私の職場にいきなりお弁当を持ってきてくれた。
(彼女のアパートと私の職場はすごく近い)二人で一緒に食べて、久々に
楽しくおしゃべりをした。
お弁当は野菜炒めと卵焼くらいのものだったけれど、ご飯があたたくてお
いしかった。お弁当箱を洗って返しながら
「おいしかった、ご馳走さま」といったら
彼女は「お弁当代は払ってくれないの」って。
すごくショックでお金を払いながらも、なんだか気持ちが混乱していて、
いまだったらもっと気楽に「ハイッ」って払えるだろうけれどその時はで
きなかった。
それからも彼女の彼の事が許せなくて、彼女とは音信不通になってしまっ
た。
職場で皆とお弁当をひろげてワイワイやっているとき、たまーに思い出す。
もっと心を広くもっていれば今も親友でいられたのかなって。




363 :バッカーです :2000/04/11(火) 15:17
きっついハナシだねぇ

364 :名無しさん :2000/04/11(火) 21:28
旦那が夜働いているから、私が残業すると
家には腹を減らした子供達と呆けたお姑さんだけになってしまう。
お姑さんは呆けていても、腹が減ればなんか食べるが、
当時、小学校3年生を頭に、離乳食を終わったばかりの子供までが
腹を減らしたまんま私の帰りを待つことになるので、なるべく、遅くなりそうな日は
旦那に作ってもらうか、出かける前に支度しておくようにしていた。
ある日、何の支度もしていないのにどうしても翌日の朝一番の会議の資料を
作らなければならないときがあった。
旦那はその日は早出で、子供を保育園に迎えに行き、家に連れ帰ったら即座に出勤しなければならなかった。
とにかく、ご飯は炊いてあったので、ふりかけで食べなさいと
子供に電話をかけ、なんとか仕事を終わらせ夜遅くに家に帰った。
子供達はとうに寝床に入り、気配はなかった。
夕御飯、一番下のちびもちゃんと食べられたかどうか心配しながら台所にはいると、
納豆臭いのである。子供達がみんな揃って納豆を食べた後があった。
そして、テーブルの上にはへたくそな字で長女の手紙。
「ママ、おしごとたいへんだね。ふりかけがなかったから、なっとうつくったよ。
みんなおかわりしたからママのぶんなくなったの。ごめんね。キムチでご飯たべてね。」
そんなことが書いてあった。
子供達が悪戦苦闘して納豆を作ってご飯を食べる様子を想像して、
笑えてきて、仕事の疲れは吹っ飛んだ。
もう、家のお手伝いしてもらえるぐらい、子供が大きくなったんだと思うと、
妙に幸せな気分になった。
次の日、納豆を自分で作ったことと、ちびにそれをちゃんと食べさせたことで、
普段はおこりんぼの私もむやみやたらと上機嫌で娘を褒め称えたのであった。


365 :上の続き :2000/04/11(火) 21:29
あれから2年。今では、長女と次女はあれこれ料理に興味を持っていて、
包丁仕事を手伝ってくれる。私の帰る前にご飯を炊いておいてくれるようになった。
なのになぜか、我が家の子供達は未だに母親が残業する日には納豆を食べる。

将来、納豆を見て奴らは、子供だけで囲んだ食卓を思い出すのだろうか。
それは、寂しい想い出になってしまうのだろうか、
それとも、そんなこともあったなぁと言う、子供の頃の一風景になるのだろうか。

そんなことを思いつつ、3パック100円以下で売っているおかめ納豆を見れば
必ず3パック買ってしまう私なのであった。
娘達よ、卵だけでなく、面倒がらずにネギも刻んで入れたほうがうまいぞ。

366 :名無しさん :2000/04/11(火) 23:27
いい母ちゃんだね。
寂しい思い出になっちゃう時期もあるかも知れないけど、
きっと大人になったらいい思い出になる。
俺も親の大変さとか、まだあんまりわかってなくて
(ちなみに実家暮らしの二十歳、一応職有りです。)
未だに親にムカついてみたりもして、いい子供じゃないけども
鍵っ子だった頃、一人で飯食おうとして
レンジにアルミホイル入れて壊しちゃったこととかいい思い出よ。


367 :名無しさん :2000/04/12(水) 01:26
>364・365さん。
納豆キライだけど、食べてみようかなって思っちゃいました。
自分は親になった事がないから、母親の目から見た世界って
こんな感じなんだーって思いました。
きっと子供から見たら、子供たちだけで食卓を囲んだことより、
お母さんがいっぱいほめてくれたことの方がずっと強く記憶に残ると思うから、
大きくなって思い出したらほわーんとしたいい思い出になってるんじゃないかなあ。
ずっといいお母さんでいて欲しいです。
お仕事と母親は大変だろうけど、負けないでがんばってください!

368 :PB :2000/04/12(水) 02:19
小学生のころ、市内に一軒だけあった大手ファーストフードのモスバーガー。
ある日、両親が仕事帰りに買ってきてくれることになった。
その夜は楽しみで楽しみで、兄弟3人ワクワクして待っていました。
(ワクワクしていたのは自分だけだったかもしれませんが)

帰宅した両親はニコニコ顔。
ほ〜ら!といった感じで取りだしたのは、個人経営の、100円バーガーをウリに
していた、今は無きしょぼいバーガー店のハンバーガーでした。
私は、モスバーガーのフィレオフィッシュなんかを期待していたので、正直がっ
かり。父は「こっちの方が安くて、たくさん食べられるだろ〜♪」などと上機嫌。
複雑な気分でした。
たった一個でもいいからモスのを食べたかった・・・という気分でしょうか?

その時の台詞のやり取りなど、詳しいことは覚えていませんが、父の「嬉しいだろ?」
調の笑顔と、テーブルの上のしょぼいハンバーガーと、両親の意に反して、がっかり
していた気持ちだけはよく覚えています。

親からしてみれば、子供らを喜ばしてやろう!ってしたことが、スコーンと外してる
パターンのいい例だったです。
でも、なぜそんなにモスのハンバーガーが食べたかったのは、よく分かりませんし、
父も随分前に他界してしまったので、今となってはいい思い出だなぁ。うん。


369 :モスバーガーのフィレオフィッシュ :2000/04/12(水) 02:41
うーん つらいなあ

370 :名無しさん :2000/04/12(水) 03:58
368と似たような話しだけど
小さかった時貧乏な我が家ではおやつ代は切り詰める対象
になっていて、安いものだけ食べてました。そんな私たち
兄弟に高嶺の花だったのがカロリーメイト!!
1回2回食べて気に入ってたんだと思うんだけど、カロリー
メイトがすっごく憧れでした。そんな私たちに父が「明日買
ってきてあげる」といって会社に行きました。その日も残業
だったけどカロリーメイト食べたさに待っていた私たち。
そんな私たちのために父が買ってきたものは、まさしくカ
ロリーメイトでした。し、しかしドリンクの方だった。。。
遅くまで待った挙句にあのまずいドリンクのカロリーメイト。
父親は信用ならん、と思った1件でした。

371 :>納豆 :2000/04/12(水) 12:18
いいお母さんだね。こういう家庭だと子供はきちんと育つんだよ。
手間暇かければいいってもんじゃない。
自立が早いとしっかりするし。
う〜ん感激。

372 :緑一色 :2000/04/12(水) 14:52
大学の頃、毎日自炊していて常備菜も少し作っていた。
初めて彼女が部屋に来た時、冷蔵庫の中のタッパーを見て、おかずを
届けている別の女がいると誤解し、喧嘩になってしまった。
確かに、タッパーの中味は茹で豚(醤油&八角風味)とか、筑前煮とか、
男の学生が自分で作って保存したりしないだろ普通、というものだった
ので、いくら俺が作ったといっても信じず、すったもんだの末に、俺が
彼女の目の前で料理を作ることになった。

その日、俺が料理するのを彼女は近くで見ていた。メニューは回鍋肉、イカ
とセロリの炒め物、コーン卵スープだった。(中華でまとめてみました)
手軽なインスタントの合わせ調味料は使わず、豆板醤や甜麺醤、酒、五香粉
などを使ってきっちり調味した。といっても特にテクがいるわけでもなく、
ただ事前に手順を頭に叩き込んでおいて、手際良く進めることを第一とした。

料理が完成した時には、彼女の誤解も解け、仲直りできたが、その後
何回も料理を作らされるようになったのはちょっと失敗だったかもしれない。
彼女とは結局別れてしまったのだが、あんなに真剣に、絶対失敗しない
ようにと気合入れて料理したのは後にも先にもあれっきりだなー。

373 :ハト :2000/04/12(水) 16:46
私の中学校の昼飯は給食ではなく弁当持参だった。

私の母の作る料理はお世辞にも美味いとは言えないもので、なおかつ見た目も悪かった。
そんな母の弁当を、とても恥ずかしく思っていて、学校にも持っていけず、
毎朝、家の玄関に母の作った弁当を忘れたフリをして置きっぱなしにしていた。

でも母は何も言わなかった。

ある朝、4時頃に、私は急にトイレへ行きたくなり目が覚めた。
両親ともまだ寝ているだろうと、そっとトイレまで向かうと、台所で物音がしている。

母だった。

一生懸命レシピを片手に弁当を作っていた。
私は兄弟が多く(5人)、母は全員分の弁当を朝早くから作っていた。

そんな事、ちょっと考えれば分かるのに、母の顔をもっとよく見れば分かってあげられたのに…。

それからは絶対に母の弁当を置いていくことはしなかったが、
私は長い間母の心を踏みにじっていた事を考えると今でも涙が出ます。



374 :号泣さん :2000/04/12(水) 17:07
え〜んえんえん。

375 :>364 :2000/04/12(水) 17:15
ええ話やぁ〜(T_T )
いつか大きくなったお子さんと食卓を囲んだときに
昔話をするのもいいかもしれないですねぇ

376 :名無しさん :2000/04/12(水) 23:26
私の家は4人兄弟の大家族。決して暮らしも豊かなものでは
無かったため、友達が小銭持って駄菓子を買うのを、
いつも横目で見ていてうらやましかったなぁ。
おやつは、皆でカールや、麦チョコを一袋とかだった。
まだ小さい私と妹は、机の上にティッシュを4枚並べて、
ひとつひとつ数えては、均等に分けていくのが楽しみだった。

そんな兄弟も中高学生ぐらいになったある日、まだ小学生にも
ならない、小さないとこが遊びにきた。
ちょうど その時に、いちごが我が家にあったので、
洗ってざるに入れられて、出された。
私たちは、バラエティ番組を見ながら、
ものも言わずに、そのいちごを口の中へと運んでいった。
ふと、いとこに目をやると、いとこは必死の形相で、両手に
いちごを手にして、一生懸命はやく食べようとしていた。
その横を、何も気にしてない兄や姉の手がいちごを
ひょいぱくひょいぱくと・・・。
思わず大笑いしちゃいました。
いとこは、ひとりっこだったんで、思わずとてもびっくり
してしまった ようです。
兄弟で育てられて、知らず知らずのうちに食い物競争しちゃって
たんですね。



377 :(T_T) :2000/04/13(木) 16:18
いいスレッドじゃ〜

378 :元板前 :2000/04/13(木) 16:52
嫌な思い出だけど...
中坊の時、友人数人と遊んでいる時に一人が「たこ焼き、食おうぜ」と
言い出して近所のたこ焼きやさん(おばちゃん経営)に、行ったが、
僕は少し前にファミコンのROMを買ってしまって、小遣いが
無かったので、「俺はいらないヤ」と言って店の前で皆が
食べ終わるのを待つことにしましたが、店のおばちゃんが、
一人食べずに友達の輪から外れている僕を見かねて、
「(お店の)中にいらっしゃい、たこ焼き、食べさせてあげるから」と
声を掛けてくれたにも関らず、僕は「要らない!」と強く拒絶をしました。
なんだか、あの時は人に同情されているのが気に食わなかったのか、
声を掛けられた瞬間、おばちゃんの優しさを同情から来るものと思い、
自分が無償に惨めに思えて心の中で悔し泣きしました。
今、思うとおばちゃんは、僕が仲間外れにされていると思って声を
掛けてくれてたんだよな〜と後悔しきり。
今もたこ焼きを自分で作ったりすると、あの当時に、悔し泣きした自分、
おばちゃんの気遣いを拒絶した自分が甘くて、青くて、
厨房だった事を思い出して、胸が少し痛くなります。

おばちゃん、ごめんなさい。

379 :名無しさん :2000/04/13(木) 21:03
なけてなけて。
本年度2ちゃんねるスレッド大賞ノミネートである。

380 :納豆かあちゃん :2000/04/13(木) 22:14
>366,367,371,375
ありがとうございます。実際あんまりいい母ちゃんでは無いのだけど、
自分の書いたの読み返して、皆さんのRES読んだら、
ちと、子供を怒るのは控えようなぁと思ったり…
親の稼いでる間、子供も働いてくれてるようなもんですから。
今、忙しいけど、RESで気力貰いました!がんばるぞう!!

>373
んでも、「おいしかった。」の一言で母は報われます。
きっと、おかーさんの心は、弁当を持っていってくれるように
なったところで癒されてると思います。
「また作ってね」と言われるから、弁当のある日の早起きも苦にならないのが母です。
(単純バカとも言うかも。あ、これも親ばかのうちかな?)

>378
私の子供(3才〜10才の5人)と、弟の子供(ひとりっこ4才)に、
大皿にあられをのっけておやつとして出したとき、
同じ様な事が起きました。あられを出した後、母親同士はのんびりとお茶を飲んでいると、
突然、弟の子供が大きな声で「わーーーーーん!」と、泣き出したのです。
「だれか、虐めたの!?」ときくと、他の5人はきょとんとして首を横に振るばかり。
泣きじゃくりながら必死に訴えるのを聞いたら、
「まだ、ちょっとしか食べてないのに、からっぽになっちゃったー!!」
ということだったのでした。
普段は人に取られることがないから、一人っ子ちゃんはのんびり優しいんですよねー。
自分自身も4人兄弟だから、ちょっと一人っ子はうらやましかったり。

381 :?1/4?3?μ?3 :2000/04/13(木) 23:16
私が小学1年の時、母と姉と3人であこがれのマクドナルドに
初めてはいりました。
3人とも初のファーストフードにどうして良いか分からなかった
ようで、なぜかチキンナゲット16コ入りを
飲み物も飲まず黙々と食べていた。
今でもマクドナルドのチキンナゲットの
匂いを嗅ぐと、その時の間抜けな光景が思い浮かびます。


382 :三子の魂 :2000/04/14(金) 01:18
332「あぁさん」へ

>まだ幼稚園の頃、母親は妹の出産の為入院していた。
>当然父親と私だけだったのですが、いつも食事など作ったこと

私も、同じような思い出があります。
母が病気のため入院した日、母と別れるのがいやで泣きわめいて
いた当時3歳の私は、無理やり父に背負われて帰りました。

帰宅してから、父がズボンの腹の部分にタオルを挟み、エプロン
代わりにして夕飯を作り始めました。
始めてみる父の料理支度の姿を不思議に思い、私は父の背中を
食卓からぼーっと見ていました。

できた料理はベーコンとサヤエンドウのバター炒めでした。
そんな料理は母も作ったことがなかったので、食べるのにとても
躊躇したのですが、泣き疲れてとてもお腹がすいていたので、
一気に食べてしまいまいました。ちょっとベーコンが塩辛かった
のですが、とても美味かったので驚きました。

父は、潔癖なうえ厳格でしたので、当時どうしようもなく我がまま
だった私は、始終殴られておりました。おかげで父には恐怖を感じ
ていましたが、この時の父の料理をする姿には、なにか別なものを
感じました。

もう母はこの世になく、父だけが残っておりますが、たぶん父が
母のもとに逝っても、この料理姿と背負われて帰った日の記憶は
一生忘れないと思います。


383 :名無しさん :2000/04/14(金) 18:29
滅多にない父の料理って記憶に残るものなんですね。
うちは釣った魚は必ず父がさばいて刺身にしてました。
あじは(これは買ったのかな?)いつも大皿皿山盛りのたたきでした。
「店で頼むとこーんな少なくて500円も600円も取られるんだぞ。」
が口癖でした。居酒屋に行く歳になってそれが真実と知りました。
あー皿一杯あじのたたきが食いたい。三杯くらい。


384 :名無しさん :2000/04/15(土) 00:58
普段から少食でそれがコンプレックス気味の私。
彼とご飯を食べに行っても、何よりも食べきれるのか心配。
彼もそれを知っていて、だんだん辛そうになる私を見て
「大丈夫。無理すんなよ。残り、食べてあげるから」って食べてもらってました。
いつも最後まで食べきれない私が
初めて食べきれた時、彼は「よし、イイコだなー」って
頭を撫でてくれて、とっても嬉しかった。
でも、ぼそっと「おれ、カルボナーラ大好きだったのに」って。
私が残すのをちょっと期待してたのかなー。

カルボナーラを頼むたびに彼のあの嬉しいような
哀しいような、複雑な顔を思い出します。




385 :名無しさん :2000/04/15(土) 20:39
しかし、最近名作スレが増えたな〜。
他の所は沈静化しそうだけど、ここはずっとアゲ続けてほしい。

386 :三子の魂 :2000/04/16(日) 00:40
>383
>滅多にない父の料理って記憶に残るものなんですね。

そうなんですよね。もう30年以上も前のことなのですが、
いまだに鮮明に覚えています。
ところで、私もあじのたたきを腹いっぱい食べたいです。

387 :三子の魂 :2000/04/16(日) 00:44

小学4年の時に家族で飛騨高山に行った。
串団子を食べた。
急いで食べたので、串ごと食べた。
喉に串が刺さって、痛くて泣いた。

彼女の実家に結婚の挨拶へ行った。
飛騨高山だった。
義母が串団子を買ってくれた。
今度はゆっくり食べた。

うまかった。


388 :名無しさん :2000/04/16(日) 00:54
381さんは、私の弟じゃないでしょうか。
誕生日は、2月20日ですか?


389 :たか坊 :2000/04/16(日) 19:15
今から10年ほど前の話です。
当時、両親が離婚して経済的な理由から
父親に引き取られていた私は、中学校帰りに近所のスーパーで
パンと牛乳を買って帰り。それが夕食となっていました。
ところが、ある日。
いつもの様にパンを買って帰りTVを見ながら食事をとっていると。
隣に住んでいる、顔見知りのお婆ちゃん(当時80歳くらい)が
「たかちゃん、いつもパンなんやろ?こういうの食べへん?」
と野菜の煮物を持ってきてくれてました。
このお婆ちゃん、光江さんと言う方でして
戦時中に兄弟や、お子さんを何人も無くしたらしく
残ってる子供は全員女という事もあってか
男である私のことを、それからも非常に可愛がってくれました。
中でも思いで深いものに、おやつ代わりに作ってくれた
「さつま芋の砂糖菓子」というのがあったんですが。
当時食べる菓子は、スナック菓子のみだった私にとって
すごく美味しく感じられました。(食感は甘納豆風です。)
光江さんは、私が高校2年の時に亡くなられてしまったんですが
今でも、甘納豆を食べる度に。
お婆ちゃんの事を思い出してしまいます。
お惣菜以外にも沢山大事なものも貰ったな・・・と。(^_^)

390 :人力 :2000/04/17(月) 04:29
あげときますね

391 :名無しさん :2000/04/17(月) 14:36
3年前、父がガンの末期状態で母と弟とホスピスへ申し込みに行きました。
申し込んだ後、喫茶店であんみつを頼みました。
みんな胸が詰まって食べれなかったのですが、
父が「食え!全部食うんだぞ!」とものすごい形相で食べ始め、
母も下を向いたまま涙をボロボロ流しながら必死で食べてました。
弟は席をはずした後、真っ赤な目で戻ってきてものすごい勢いで食べました。
私は、これを全部食べたら父が良くなるような気がして一生懸命食べました。
ほどなく父はホスピスに入ることなく亡くなりました。
今でもあんみつを見るとあの日の光景が浮かんできてつらいです。


392 :あねーろ :2000/04/17(月) 15:55
いつだったか母が家を空けたときがあり、
その日の夕食は父が作りました。
確か野菜炒めか何かで、とてもまずかったことを憶えています。

あれから20年近く、一人暮ししている私の作る料理は
幸い母に似て美味しい(らしい)ものでホッとしております。
今なら私が作ってあげれるのに… お供えしようかな。

393 :明るい田中麗奈 :2000/04/17(月) 20:09
私がはじめてミスタードーナツで食べたのは小学生の頃でした。開店間もなかったその店はハロウィンにあやかって10月31日が誕生日の人にハロウィンの絵柄のハンカチをプレゼントする企画をやっていました。私の誕生日はまさに10月31日なのでやったーという思いでハンカチを貰ったのですが、一緒に来ていた祖母も「私も10月31日が誕生日なんだ」と言ってハンカチを貰ったのでした。おかげでその日以来高校の頃まで自分と祖母は誕生日が同じだと信じていたものでした。皆さんもお察しのようにそれは景品のための嘘だったのですが。そんな祖母が亡くなってもう10年が経ちます。

394 :肛門の田中麗奈 :2000/04/17(月) 20:27
おらよ〜、外で食う飯は何でもうまいと思うんだ〜

395 :名無しさん :2000/04/17(月) 22:05
うちは祖母・母・私と女が3人います。
祖母もまだシャキシャキしているので、仕事を奪っちゃ悪いよな〜との
大義名分の元、核家族だった頃はかなりやっていた食事の支度を全然
しなくなり、早3年くらい経った時のこと。
祖母・母が何の用だったかは記憶にないですがすっごく忙しく、急遽
私が夕食を作ることになりました。メニューはカレイを揚げて、あんかけ
をかけるというもの。双方アツアツをタイミング良く合わせたいところで
すが、何しろとんと料理をやってなかったので、カンが狂って右往左往
しました。
出来た辺りで祖父が外から帰ってきたので、皿に盛って食べてもらいました。
「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は
言うんです。で、ざっと流しを片づけていざ自分が食べてみると、マズイ!
「きゃ〜、じいちゃん、なんでおいしいって言ったの〜!(笑)」
即刻あんかけを回収して味を付け直しました。タイミングに気を取られて
味見しなかったのが敗因でした。
いつもは祖母や母の作った料理に何かと文句を言う祖父なんですが、
いくら孫が作ったからってあんなマズイ料理に「おいしい」と言うなんて・・・。

最近前にも増して気むずかしくなった祖父が煙たかったんですけど、
この話思い出したから、明日からちょっと接し方が変えられそうです。

396 :XR乗り :2000/04/17(月) 23:08
高校生の時は毎日母親が必ず弁当を作ってくれていた。
ほとんど欠かさず毎日毎日朝5時半くらいに起きて
揚げ物とか手巻き寿しとか色々なメニューを作ってくれた。
でもたまに母親出かけている時などは親父が作ってくれる弁当だった。
メニューは必ず海苔弁に焼いたポークソーセージを乗せただけの弁当。
でもこれがとてもうまかったぁ。おかげで高校時代は1度も購買のパンや
コンビニ弁当のお世話になる事はありませんでした。

397 :388 :2000/04/18(火) 03:59
弟からの連絡は、無い。

この前、友達と電話で花見の段取りを相談してた。
「筑前煮持ってきて。」って言われた。
それは、料理が苦手な私が、2年前に同じメンバーの花見に
持っていった物だった。
はじめて人のためにお料理して、はじめて美味しいって言ってもらった
私のお料理だった。嬉しくて必要以上にはしゃいじゃったよ。
でも、それはお世辞だったと思うんだなぁ。後で思うと。

でも、それを覚えててくれた事がうれしくてうれしくて。
少々どうであれ、私が一生懸命作ったってことを、その子は見抜いて
いたんだな。ほんとに料理をしない私だったからなぁ。

「食べた思い出じゃなくて、食べてもらった思い出。」

398 :本の虫 :2000/04/18(火) 04:55
この学歴社会のさなか、地方出身ながら進学率の高い高校を
選んでしまった私は実家を出て下宿から通学していました。

中学を出たばかりの子供には寂しい状況で、泣き暮らした日々
もありましたが、しばらくして学校にも慣れ、当時無類の本好き
だった私は学校の図書室に入り浸るように。
司書の先生や同じ趣味の友人とも仲良くなって、親元離れた寂しさ
も薄れて来たある年の夏。私の誕生日が。

いつものように図書室に行くと、なんとそこには「おたんじょうび
おめでとう」と書かれたケーキが!
先生が下宿暮しの私を気遣って購入してくれた物でした。

学校隣のケーキ屋で売っている一番小さいホールケーキでした
が、その嬉しかったこと。生涯で一番美味しかったバースデー
ケーキです。今思い出しても涙が。

下宿先の食事情が良くなくていつも顔色の悪さを心配されて
いたような状況でしたから、少しでもカロリーのあるものを…
とか考えていたのかもしれませんが、それもまた良しと言う
ことで。

399 :名無し野郎 :2000/04/18(火) 13:47
出張先の塩釜で食った大トロと牛タン。
今までにどちらも食ったことはあったが、このときほど
「こんな美味いものを食ったことはない」と思ったこと
はなかった。

400 :俺が小さい頃 :2000/04/18(火) 14:36
母親の実家に行くと、決まって出てくるのが五目ご飯と
てんぷらとうどんだった。
いとこ連中もみんなまだ小さくて、正月とかに集まると
ゲームしたりトランプしたりして大いに盛り上がったものだ。
いまではみんな独立してバラバラになり、実家もなくなって
しまったが、あの五目ご飯の味はたぶん忘れない。一生・・・



401 :三子の魂 :2000/04/18(火) 21:45
以前のお話に、一番大好きなものを弟に取られてぶちのめして
しまうお話がありましたが、私は祖母に似たようなことをして
しまいました。

祖母が若いころ私の家に遊びに来て、近所で評判の割烹があると
いうことで、皆でその店に食事にいきました。
たしか私は小2か小3のころだったのですが、そのとき初めて
その店で「うなぎの蒲焼」を食べたのです。あんまり美味かったの
で、最後に全部食べようと思い、そのままお皿に残しておきました。
ところが、ちょっと目を離したすきに、祖母が全部一口で食べて
しまったのです。

私は、なにもない皿をみて、血の気がひき、「きーーーーー」という
掛け声とともに、そこらじゅうのお皿をひっくり返して涙をながして
怒りました。
驚いたのは、家族だけではありません。店の人も驚いて事情を知り
なんと私のために蒲焼をまた焼いてくれ、慰めてくれたのです。
悲しさと恥ずかしさが一緒になって味などわからなくなってしまい
ました。

祖母は今年で97歳になり完全にボケてしまったのですが、
ちょっと悲しいのは、私の顔を見るたびにこの話を5分に一回
することです。人間キレてはいけないということを身にしみて
思います。

402 :名無しさん :2000/04/18(火) 22:08
>401さま
身の程を知りました。ごめんなさい。
もう絶対切れてあらしたりしません。
                  厨房代表


403 :三子の魂 :2000/04/19(水) 06:58
>>401さま
>身の程を知りました。ごめんなさい。
>もう絶対切れてあらしたりしません。
>                  厨房代表

わざわざのご挨拶ありがとうございます。
でも、「キレれる」というのは遺伝的要因もあるらしいです。
私の親族の多くがキレやすく、親族が集まると修羅場です。

404 :夏の思ひ出・・・ :2000/04/19(水) 15:02
沖縄出身の夫(結婚前)と夏休みに沖縄に行って
本島からフェリーに乗って ある島へ行きキャンプをした。
夏休みだというのに キャンプ場には私たち2人のテントしか無かった。
当然 辺りに商店、露天商の類も無い。
2日目の朝、前夜の残りで朝食を済ませた私たちは 朝から泳ぎまくり、
2時ごろ空腹にはなって海からあがった。
材料はあるけれど 昼食を作るのが面倒になり
港に行けば飲食店があるだろうと車で港に向かった。
港の店はランチタイムを終え 全ての店が休憩時間で閉まっていた。
どこか観光名所に行けば何かあるだろう と、島で一番(?)の名所に向かう。
土産物屋に食べ物は無く、なぜか「にんにくラーメン」という
カップ麺が置いてあったが 私はにんにくがキライなので買わなかった。
来たついでに 島で1番高い山に登る。
次なる観光名所(某ガイドブックを参照)へ向かうも
店どころか人っ子1人いなかった。
来たついでに 観賞。
すでに 4時を回っていた。 にんにく嫌いがこんな形で仇になるとは!!
あまりの空腹に 半べそになりながら車を走らせていると
1件のパーラーを発見!!!!! (この時点ですでに5時過ぎ)
慌てて車を止め、走ってパーラーに向かった。
「俺、ハンバーガー!! 2つ食う!!」「私、チーズバーガー!!」
走りながらメニューを読み、叫びつつ店内へ。
店のおばちゃんが 「ごめんねぇ〜。今日、オードブルの予約が入ってて
食べ物無いのよ。 飲み物だけね」
「ええええええええええええーー!!!!」
おばちゃんの揚げる唐揚やポテトの山を恨めしそうに見つつ・・・・
「なに? お腹空いんの?」 「うん」 「食べたいの?」 「うん」
おばちゃんは 2人に唐揚を2つづつ、ポテトを一掴みづつくれました。
涙が出るほど美味しかった。
「美味しい?」 「おいしぃ〜〜 ありがとおぉぉ〜〜(涙)」
ありがとう、おばちゃん! あの唐揚の味は 一生忘れないよ。

でも 今考えたら 港に戻った方が
早く食べ物にありつけたかもしれないなぁ・・・・


405 :名無しさん :2000/04/20(木) 08:37
いいスレだのぉ (T_T)

406 :夏休み :2000/04/20(木) 11:33
中学生くらいになるまで夏休みは必ず両親と父方の叔母、叔父と
海にキャンプに行ってた。
がんがん泳いでお腹を空かせたあとに
ネットにいれて海水で冷やした西瓜と青リンゴや、
海風の匂いのするお握りを食べたり。
貝を採って大きな鉄板で焼いたのが一番美味しかったな。
地面が見えるほど潮が引かないので足で探って採るんだけど、
たまに蟹に挟まれたりして。
烏貝がびっしりついた岩を見つけたときはほんとうれしかった。
岩場には海苔やかんぴょうが干してあってそれを見ると
「ああ、夏だなあ」と感じた。

407 :名無しさん :2000/04/20(木) 12:03
読んでたら午前中終わっちゃいました(笑)

私は、母のつくる手作りコロッケと、祖母の味ご飯(炊き込み御飯)が好物です。
就職でひとりぐらしをはじめた私は両方ともなかなか食べられない。

たまに祖母宅に遊びに行くと、
こちらから頼む前に「あじごはん持ってかえりー」と持たせてくれます。
祖母宅までは、電車で2時間ほど。
帰って食べようと思いつつ、家に帰る頃には、
2合ちかく入る容器はすでに空(笑)

そんな祖母とも1年以上会ってません。

就職して一人暮らしをはじめて1年、
彼女ができて、たまたま作ってもらったあじごはん、
なんと祖母のつくるものと味がそっくりでした。
ごはんが醤油色に染まった、濃い味のあじごはん。
味付けは親譲り、とのこと。
おいしさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。
涙をこらえるため、難しい顔をして食べる私を見て、
「まずかった?」と心配そうに聞いた彼女(笑)
とってもおいしゅうございました(笑)

こんどのゴールデンウィークには、祖母に会いに行きます。
味ご飯食べにね(笑)

そうそう、彼女とは、来年結婚します。
わがままで嫉妬深くて泣き虫でやかましいけど、
きっと幸せにしてみせます。

TO:彼女へ
大学でつきあってた彼女がいたなんて、見栄でついた大嘘です(笑)
あなたが、初めてまじめにつきあった人です(笑)
でも、ホントのことは絶対教えません(爆)


408 :>407 :2000/04/20(木) 12:32
いいね。お幸せに。

409 :小学生 :2000/04/20(木) 13:27
>407
すごく大切な所が省略されてるよ。
確信犯なら見事としか言いようがない!

410 :曾祖母との思い出1 :2000/04/20(木) 13:55
曾祖母は 男勝りで、凛としていて でも優しくて
大好きだったけれど ベタッとは甘えられないような
不思議な雰囲気をもっていました。

私がまだ小学生のとき。
なぜかは忘れてしまったけれど 曾祖母と2人だけで
お蕎麦屋さんに行った事がありました。
私は 蕎麦よりもうどんが好きで 特にたぬきうどんが
大好物で いつも食べていました。
曾祖母が 「何でも好きなのを頼め」 と言うので
「たぬきうどんが食べたい」 と言うと
「俺が鍋焼きうどん頼むのに おまえがたぬきうどんじゃ
俺がおまえを苛めてるみたいじゃないか。 鍋焼きか
天ぷらにしろ」 と言われて無理やり天ぷら蕎麦に
変えられてしまいました。
(たぬきうどんがたべたいのに・・・)と天ぷら蕎麦の
天ぷらを全部残して怒られてしまいました。

411 :曾祖母との思い出2 :2000/04/20(木) 13:56
二十歳を過ぎたある日、曾祖母が入院してしまい、
ある日 危篤状態になってしまいました。
ベッドの横にいる私の手を握って
「○○(母の名前) 大きくなったなぁ」と
何度も何度も 繰り返してました。
面会時間が終わり、「まだ しばらくは大丈夫でしょう」と
病院の方から言われたので 歩いて15分ほどの曾祖母の家に
親戚達と一緒にもどり、 叔母の作ったカレーを食べながら
従兄弟の子供達と一緒に「8時だよ 全員集合」を見ていました。
(う〜ん、歳がばれてしまうな・・・)
半分も食べないうちに病院から電話があり 曾祖母は亡くなりました。
飛び出して 病院まで走っている間
カレー食べて 「8時だよ 全員集合」見て笑ってた自分が
すっごく情けなくて あと15分病院にいれば 最後まで
付いていていられたかも と思って 大泣きしながら走ってました。

今でもたぬきうどんが大好きで良く食べるのですが
たまにお蕎麦屋さんに入ったときに「今日は鍋焼きうどんでも食べるか」
なんて思ったりします。
カレーの話はこのスレッドを読むまですっかり忘れてました。
(良いスレッドですね〜 会社で午前中泣きっぱなしでした (^_^;)

故人は「思い出してあげるのが 一番の供養」だと言うので
これからは うどん、カレーを食べるたびに (あ、天ぷらも)
曾祖母を思い出そう!!! と思いました。
(〜しました、ばっかりで読みづらい文章でごめんなさい)

412 :>409 :2000/04/20(木) 15:10
なに? わからん????

413 :>412さん :2000/04/20(木) 15:18
全レスで見るとわからないですね。

http://www.2ch.net/food/index2.html

↑ここから見るとわかりますよ。
見事に最後の数行が省略されてます。

414 :>413 :2000/04/20(木) 15:22
いや、読んだけど わからんかった・・・
が、 スレッドに直接関係無いので
謎は謎のままにしておこう・・・ >自分

さぁ! 次の話はどんなかな?

415 :名無しさん :2000/04/20(木) 16:03
うーむ、ホンと確信犯だとしたら素晴らしい。感動しました。
どうぞお幸せに。

最新レス100から読んで見ましょう。>407

416 :名無しさん :2000/04/20(木) 16:04
誤)最新レス100から読んで見ましょう。>407
正)最新レス100から読んで見ましょう。>414



417 :412=414 :2000/04/20(木) 16:38
「長いので省略・・・」ってなるのを計算して・・・
って事だったのだね >確信犯
やっとわかりました ありがとう。 >413、415
謎は謎のままに・・・ なんて言ってたくせに結局書いちまった。
おかげで元ネタの407が見えなくなっちゃうな。

最新レス100 もしくは レスを全部読む から見てね >ALL

418 :お節介さん :2000/04/20(木) 17:20
板に関係ないけど・・・
みんな確信犯の意味を間違えて使っております。
「悪いことと知りつつ、行う」
のが確信犯と思ってらっしゃる様ですが。
「本当は悪い事であるのに、
本人は世のためによいことだと固く信じて行ってしまう事」
が確信犯の本当の意味です。
でも今って前者で使う人が大半ですよね。

「遊説」「判官びいき」の読みしかり、「閑話休題」の意味も・・・
あ、どんどん話題がそれていく・・・


419 :415 :2000/04/20(木) 19:13
>お節介さん様

書かれたご本人は世(彼女)のためによいことだと固く信じて行って
しまった事だと思って「確信犯」を使ったのですが、真意が伝わらなく
て残念です。


420 :三子の魂 :2000/04/20(木) 20:41

確信犯という言葉で、思い出した料理があります。

学生のころ、貧乏なくせに、ある喫茶店に昼に夜に出入りして
いました。料理も美味しかったので、お金があれば、食事も
その店でしておりました。
その中での絶品は、ホワイトソースピラフというもので、ソース味の
ピラフの上に、ベーコン、シメジ類のホワイトソースを上から
かけたものでした。(ミックスベジタブルと合わせて、簡単に家でも
作れるのでお試しあれ)
福神漬けと一緒に食べると、それはそれは幸せな気分でした。

その店のマスターは、いろいろ試作したものをお客に食べさせて
日夜メニューを研究していましたが、と、ある日いつものホワイト
ソースピラフと同じものを私に出してきました。まずくてもタダ
にしてくれるので、ほいほいと了解して食べ始めました。
いつもと違ってベーコンではなく、寒天のようなものがいくつか
入っていましたが、どうも味がしなかったので、
「なんか味がしないし、歯ごたえ悪いよ。」と言ったところ、
「ダイエットホワイトソースピラフを考えているんだけどね。駄目?」
という答えが返ってきました。

ふと料理場のほうに目を向けると、猫の絵が描いてある空き缶が
ちらりと見えました。なぜか悪い予感がして、どかどかと料理場に
押し入り、缶を良く見ると「鶏のトサカ 水煮 ネコちゃん大喜び」
と書いてありました。

それ以降、その店のホワイトソースピラフを食べるときには、
あちこち突付いてから食べるようになりました。

このマスターこそ確信犯というものでしょうか?

421 :名無しさん :2000/04/20(木) 22:59
外食の話は
外食板に行かないと怒られるよ(笑)

422 :三子の魂 :2000/04/21(金) 00:31
421様:
食事には、外食も家庭もないのですけど、世知辛い世の中ですね。
では、さようなら。

423 :名無しさん :2000/04/21(金) 00:52
あげとくよ


424 :名無しさん>417 :2000/04/21(金) 01:18
ごめんなさい。
「最新レスを全部読む」でもわからない。
具体的に教えてください。
このスレッド、ずーっと見てきてるのに、何のことかわかりません。

425 :>424 :2000/04/21(金) 01:27
板に関係なくてゴメン。
419の書き込みがいっそう訳わからんものにしてると思うよ。
お節介さんの言いぶんであってない?>417さん


426 :424 :2000/04/21(金) 04:03
あと数行書いたら、「長いので省略・・・」ってなるの?
自動的にそうなるようになってるの?
でも、なぜ数行省略されてるのがわかったの?
んんん、私馬鹿かな。ほんとにわかんない。
わかりやすく教えて。気になっちゃって・・・。
関係無い話でごめんなさい。

427 :名無しさん :2000/04/21(金) 06:53
30行過ぎると 長いので省略されます。

それを踏まえて読んで見ましょう。 

428 :愛川欽也>424 :2000/04/21(金) 07:56
15
10
15
20
25
30
        ハイッ 消えた!

429 :名無しさん :2000/04/21(金) 09:29
せっかく良いスレだったのに
関係ないことでおかしくなってきてるな。
毎朝読むの日課にしてるのに。

430 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:00
すみません。
私の不用意な書き込みで おかしなことになってしまいました。

最初、407さんのエピソードに対する 409さんの書き込みの意味が
わからなかったんです。
結局 407さんが 「長いので省略・・・」となるのを『計算の上で』
その省略される部分に TO:彼女へ の文章を入れたのだとしたら
やるなぁ。 って事だったんですよ。(あくまでも だとしたら の話です)

他の方はわかりませんが
私にはその やるなぁ って思った事が 409さんの「確信犯」という
言葉にピタリ と来たわけです。
なので あまり深くは考えず ただ引用してしまいました。
(418さんのおっしゃる通り、私は 間違った「確信犯」の使い方をしていました)

せっかくのスレッドの話題をそらすようなことになってしまって本当にすみません。
ホントは 恥ずかしいのでしらばっくれちゃおうかと思ったんですけど
このままにもできないので 恥ずかしながら出て参りました。
これで わかっていただけたでしょうか・・・

また いろんなエピソード、期待してます。



431 :412=414=417 :2000/04/21(金) 10:18
恥ついでに レスをもう1つだけ。

>424さん
417を 書き込むとちょうど407が見えなくなってしまったのですよ。
私の417の書き込みが 407を押し出す(?)カタチに
なってしまったわけですね。
で、407を読むには レスを全部、または 最新レス100 でなければ
読めなくなってしまった、 そうすると 「長いので省略・・・」コメントも
表示されなくなってしまうので 何のことだかわからなくしてしまったわけです。
すみませんでした。

>425さん
419は 私ではありません。
言い訳っぽくなってしまいますが 「確信犯」という言葉を最初に使ったのは
私でありません。
先ほども書いた通り あまり深く考えず 「確信犯かぁ、なるほどねぇ〜」程度で
書いたに過ぎませんでした。

以後、不用意な書き込みをしないように 気をつけます。


432 :お節介さん :2000/04/21(金) 11:20
いや、こういう律儀ないい人がここにいたというのもまた
いい雰囲気になってると思いますよ。お節介はホント余計でしたね。

私も実はいろいろ食べ物に対しては思い出があります。
ほとんどが悲しい思い出ですけど・・・
そのうちの一つをば。

小学1年の頃、父親の会社が危なくなって、人の良い親父は
全部借金を自分でしょってしまってました。
その結果、持ち家は売られ、車も売り払い、借家住まいになりました。
そしてその借家すらも家賃が払えず、とうとう夫婦別居
(母親は実家に帰り、父親は会社に住み込み)
ことになり、姉一人と私が、どちらかの親の方に行く事になりました。
そこで馬鹿だった私は、ガミガミ言う母親より、口穏やかな父親の
方を選びました。(姉は母親を選んだ)
今考えると、借金でそれどころではない父親に負担が掛かるのも
考えていなかった自分が悔やまれます。

そして2人の住み込み生活が始まりました。
しかし、父親は自炊どころではないため、ずっと二人で会社の隣の
食堂に通っていました。そこで好きになって毎日のように
食べていたのが鯖の味噌煮定食。アサリのバター蒸し。

しかしそんな生活も長くは続かず、急に終わりが来ました。
ある日曜日の朝、父親が夜逃げしたのです。
父親が逃げたとは露ほども知らず、父の帰りを待つ私。
しかし、夕刻になり、あまりの空腹にたまらず私は母親の実家に
電話をかけました。すると母親が飛んできて、御飯を炊いてくれ、
近くの市場で買ってきた揚げ物をおかずに晩ご飯をたべました。
その時、父親が逃げたことを知らされたのです。
久しぶりに、しかも空腹時食べる母親の料理。
(といっても店の物ですが)
嬉しい反面、父親に捨てられたんだという何ともいえない、
挫折?落胆?感。
そんな思いが入り交じり、泣きじゃくって食べたあの御飯は一生忘れません。

とりあえずこの辺で。リクエストがあればさらに続きを
思い出して書きます。あー思い出したら波だ出てきた。


433 :415=419=三子の魂 :2000/04/21(金) 12:34
ありゃりゃ、これは混乱させてしまったようですね。
失礼しました。

434 :412=414=417 :2000/04/21(金) 13:17
>お節介さん さん(?)
律儀だなんて・・・ そんな・・・

私の父も 私が幼稚園の時に事業に失敗し
家、車等を手放しました。 幸い夜逃げするには
いたりませんでしたが 子供の頃、結構つらい食事を
したのを思い出して ちょっと涙が出てしまいました。
現在 両親は小さいですが居酒屋を経営しております。

私も何か書こうかな とは思うのですが
なかなか文章にするのは難しいですね。
恥ずかしいので 417での登場はこれで最後にします (^^;;;
次回からは 名無しさん で参加させてもらいます。


435 :小学生 :2000/04/21(金) 14:18
確信犯を最初に使ったのは私です。
「結果を確信した上に悪いと分かっていて実行」みたいに
曲解していたようですね。417さんのいう意味の使用例には運悪く
まだ出会ったことがなかったので、、、一つ賢くなりました。

436 :お節介さん :2000/04/21(金) 15:39
「確信犯」は
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=gengo&key=956221023
こちらに移動しました。
(ていうか日付見て分かると思うけど418書いた後すぐに建ててました)

こちらも2ちゃんの「良いスレッド」ランキング目指してます。
勉強になりまっせー。


437 :りんご :2000/04/21(金) 19:35
母は友達のようにふざけあえる
元気で明るい人でした。
美人薄命などといつもふざけていた
そんな母が癌におかされたのは
私が高校生の頃でした。
入退院を繰り返し
もともと痩せていた母の身体は更に痩せていき、
食事もすでに流動食しかとることはできなくなっていました。
そんな母は100%のリンゴの透明ジュースが好きで
私や父が病院にきたときにはいつも
「リンゴの透明ジュース買ってきて」と頼んでいました。
土曜日学校の帰りに寄ると
「お昼まだなんでしょ、買ってきなさい」と言われ
そのリンゴジュースとお弁当を買ってきた私は
食べたくても流動食しか食べることの出来ない母の前で
何も考えずお弁当を食べていました。
月日も経ち、もう保たないと医者から宣告され、
母の日がきました。
毎年プレゼントを買っていたのですが
入院していて死を宣告されてる母に
私は何を買ってよいのか分からず
「退院したら買うね」といったのです。
母の日当日、本当なら見舞いにいくのでしょう。
意地っ張りな私は、友達の様なノリでいたのに
病院に行ってしまうと変に優しく接してるように思われるのが嫌で
せめてカーネーションの一本でも持っていけばいいのに
後悔するとわかりながら結局行かなかったのです。
それから約1カ月後、母はやはり他界してしまいました。
優しく出来なかった自分・・・
透明のリンゴジュースをみると
今でも苦い思い出として蘇ります。


438 :名無しさん :2000/04/21(金) 22:22
…残業中なのに…涙が…

439 :OL野郎 :2000/04/22(土) 00:12
ここを知ったのが今週。
ずっと会社で急に涙ぐむ私。周りはなんと思っているのか・・・

私の話は以前の彼との思い出の食事。
お互い勤めていたにもかかわらずいっつも貧乏。
でも月に一回くらいは奮発して、焼肉を食べに行ってた。
実は私の実家は外食が嫌いな家で、それまでロクに焼肉を
食べたことがなかったんだけど、この彼は妙に焼肉好きで。
「レバ刺」「ユッケ」なるものを初めて知った私。
お互い別の人と結婚しちゃったけど、レバ刺食べると
ダンナに悪いなと思いつつ、元気かなと思っちゃう。
今でも最初はビールとホルモンで、最後の最後にカルビ頼んでるのかな?
向こうもレバ刺で私のこと思い出しててくれたら嬉しいな。




440 :名無しさん :2000/04/22(土) 00:40
感動超大作は結構だけど30行で区切って再度書き込んでください。

441 :父の話 :2000/04/22(土) 06:16
うちの父は昭和十三年生まれ。十六年に父親を、続いて終戦の年に
母親を亡くしている。その後すぐ、母親の実家に預けられたのだが、
そこの家長(つまり父の祖父)は学校の校長先生。愛情はある人
だったが、生きるためでも法に触れたことは出来ない、ときっぱり
言う人だった。だから闇市にいけず、食事は貧しいもの。すいとん
ばかりの毎日だった。
その後、父の母親の一回忌で父のやせ衰えた姿を見た父の叔父は
自分も子供を三人抱えていたにも関わらず、このままでは父が
栄養失調で死んでしまうと確信した。そして無理矢理、父の母方
の祖父母のもとから自分の家へ父を連れ帰ったのだ。その叔父の
家は裕福ではなかったが、「生き抜くこと」が何よりも大切だと
思い、叔母が嫁入り道具の着物を全部闇市で食糧に変え、自分の
甥に当たる父にもどんどん美味しいものを食べさせた。
終戦後初めて食べた白米がどれだけ美味しいものだったか、そして
いかにその叔父に感謝しているか、言葉で言い表すことは出来ない
−−そう言った父のためにこのスレッドに書き込みさせていただき
ます。大叔父さん、父を育ててくれてありがとう。それから、美味し
いご飯を食べさせてあげてくれてありがとう。あなたがいなかったら
私は今ここにいません。心からお礼を言います。この話を聞いてから
白米の味がもっと心に染みるようになりましたよ。本当にどうも
ありがとう。

442 :名無しさん :2000/04/22(土) 17:13

親は生きてる間に大切にしないとね…ここ読んで、しみじみ思ったよ。

小さい頃、うちもここのみなさんのご他聞に漏れず貧乏で(笑)、
たまに出前のラーメン食べるのが数少ない楽しみでした。
一杯のかけそばではありませんが、ラーメン一杯頼んで、お袋と
小さかった妹と3人で分けて食べたっけ。
妹はまだ小さかったので、チャーシューはだいたい僕の小さな茶碗に
のっけてくれました。今でも、あのときに使っていた茶碗や、小さな
ちゃぶ台、部屋の風景とか、全部はっきり覚えてます。

いろいろつらいこともあったけど、なんとか道を踏み外さずにここまで
生きてこれたのは、やっぱり小さい頃にお袋が目一杯愛情を注いで
くれたからなんだろうな…「こういうことをしたらお袋はなんて思う
だろう」って思うと、悪いことはできないよ。

今はもう、ラーメンくらいいつでも食える状況になりましたが、
あの頃よりうまいと思ったことはないですね。

もうすぐ母の日なので、離れて暮らしてる人は電話とかしてみては?


443 :名無しさん :2000/04/22(土) 21:44
彼女と付合う前に二人で行ったサティ。
ここで初めて食べたたこ焼き屋の「銀ダコ」
開店直後で一杯行列が出来ていた。
二人でずっと並んで他愛も無い話を続けて。
ようやく順番が来て車に持ちかえって食べた。

空腹は最大の調味料。
とっても美味しかったのを覚えてる。
その彼女とその後半年付合った後に別れた。
もう何週間も前の話。

今日会社の休日出勤の為に出社した。
途中、休日出勤用の昼飯を買う為に近所のサティでお買い物。
入って入り口すぐそばに「銀ダコ」のお店。
行列は出来ていない。
何の気無しに1個買って会社で食べた。

あの日と同じ味がした。
急に記憶が、一杯の思い出が戻ってきた。
無人の会社でポロポロ泣けてきた。
全部食べられなかった。

444 :ちっ…… :2000/04/23(日) 04:04
泣かせてくれるじゃねーかよ……。

ツマラン話だが俺も書いとこう。
俺がどうしても忘れられないのは高校生時代、一人暮らししてるときに
毎週食べに行ってた定食屋の半ラーメン+半炒飯だな。
貧乏学生にとって、安いメニューの筆頭である↑(2つで250円)は
なによりも助かった。店の爺ちゃんがいい人で、よくおまけで餃子も付けて貰ってた。
ラーメンと炒飯食べる度に学生時代のこと思い出すよ。

しばらく行ってないが、GWの帰省ついでに寄ってみるかな……。
あの爺ちゃん、元気だと良いんだが。

445 :名無しさん :2000/04/23(日) 04:31
2chにこんな良いスレッドが...(T-T)

446 :名無しさん :2000/04/23(日) 05:17
私は、グレープフルーツを半分に切ってお砂糖かけて食べるのが好きです。
小学生の頃、祖母が出してくれたグレープフルーツを喜んで食べようとしたんですが
どうも味が変なんですね。
それもそのはず、上にかかってたのが、お砂糖じゃなくてお塩だったんです。
幼かった私は祖母にとっても怒りました。
そして、私が大きくなっても、そのとき居合わせた叔父がいつもその話をしてたんです。
いい加減しつこいなあと思ってたんですが、祖母が亡くなり、叔父も事故で急死してしまった今
グレープフルーツを食べるたびに、ふたりのことを思い出します。

447 :名無しさん :2000/04/23(日) 12:46
幼稚園前くらいの時、母方の祖母が私達姉妹のおもりにきた。
(同居していた父方の祖母が用事で家を空ける+母は通勤)
初日のおやつは、文明堂のカステラ
一人一切れ、といっても立方体!の一切れだった。
彼女が、たまにしか会えない孫に
めちゃめちゃ甘いことを見抜いた私達が、
切らせた分厚さだった。

ずっとあとになってから
その日帰宅した父方の祖母に、母方の祖母(ああ、ややこしい)が
すごくとがめられたことを聞いた。
(父方の祖母には、買い食いはもちろん、甘いお菓子自体
あまり許されていなかった)
翌日のおやつが、千切りキャベツソース掛けだった理由が
後年解明した。

同居して、毎日子供の面倒見ていた父方の祖母は、
どこかで悪役の役割を引き受けざるを得なかったのだろうし
母方の祖母は祖母で、わずかな孫との時間をせいいっぱい
濃密に過ごそうと、(おやつ以外にもゲームとかお絵書きとか)
さまざまなサービスをしてくれた。
いまは、どちらの立場もよくわかる。

あの2日間の、すごい差のあるおやつを思い出すと、胸がきゅんとなる。

448 :名無しさん :2000/04/23(日) 13:57
泣 泣 泣

449 :2ちゃんねる最高 :2000/04/23(日) 16:07
ここ読んで、GWに実家に帰ろうと思いました。
さっき電話したら嬉しそうな母の声。
早く手料理食べたいな

450 :>447 :2000/04/23(日) 21:11
ええ話やなあ〜

451 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:32
子供のころ貧乏だった、両親は駆け落ち同然で結婚したらしく
実家とは疎遠だった。
小5の僕の誕生日に祖母がカステラを持ってきた、始めて食べる
カステラはとても美味しかったが、紙のシートみたいのをはがす
なんて判らずに「噛み切れないよ〜」騒いでたら祖母が呆れ顔で
「はがしてから食べるのよ、まったくこの子はー」
今思うと娘である母に、少しは頼りなさいみたいに言ってたんだと
思う、母も照れくさそうにしてたんだけど、それ以来だんだん
実家とも行き来するようになった。
母も祖母も亡くなりましたが、カステラを食べるたびに
母の照れ笑いの顔を思い出します

452 :名無しさん :2000/04/24(月) 00:49
私もGW仕事しないで帰ってみようかな。
うちの家族みんなお空の上だよ。思い出に残る食卓なんてないけど、
海外行った時においしい料理食べて「ああこれ食べさせてあげたかっ
たな」って思った瞬間が私にとっての思い出に残る食卓かもしれない。

ああちくそ、2ちゃんねるで泣かされるとは。

453 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:31
母の実家は、埼玉です。
僕が小さい頃、母は毎年のように実家に帰っていました。
僕がまだ小学校に上がってない頃だったと思います。
僕と、僕と二つ違いの妹、それから母の3人で、実家から空港に向かう道中のことでした。
母は、タクシーを拾おうとするもなかなか拾えず、途方にくれていました。
しかたなく3人で大きな道路沿いを歩いていましたが、母のつかれた顔を見て、僕ら兄妹もなんだか暗い気持ちになりました。
親のそういう気持ちは、子供にも伝わるものです。

とぼとぼ歩いているうちに、焼きそばの屋台の前を通りかかりました。
母は、そこで焼きそばを買い、歩き疲れた僕たちに食べさせてくれました。
その味の、なんと美味しかったことか。
あの味は、20年以上経った今でも忘れられません。
そして、いまだに僕は、あの時味わった焼きそばより美味しいものに出会った覚えがありません。
僕の、味に関する初めての、そして最良の思い出です。

454 :名無しさん :2000/04/24(月) 03:58
思い出の弁当
高校のとき、4時間目が体育の曜日はいつも食堂で昼食をとっていた。
私はいつも母に弁当を作ってもらっていたので、弁当の包みを開き、蓋を開けた。
中身を見て、私は思わず再び蓋を閉じてしまった。
なんと弁当箱にはお菓子が詰め込まれていたのである。
内容は、おにぎり(これだけが救い)2つ、キットカット(分包)2つ、残りの隙間を
クッキーで埋めてある。まぎれもなく昨夜台所の食卓においてあったお菓子達である。
私はとっさに、これを他の友達に隠すべきか披露するべきか(隠せるわけ無いのに)
困ったが、急に蓋を閉じて黙っている私を周りが不審に思い始めたため
無理に笑い出して「これ、見てよお!!」と、皆さんに披露した。
とりあえず人目の問題は解決したので、食べ始めた。
おにぎりとキットカットの取り合わせはあんまりなので、おにぎりを食べ終わってから
お菓子類を食べた。よりによって体育の後なので、全然満腹感は得られなかった。
帰宅後、母に理由を聞いたところ、朝から体調が悪くおかずを作れなかったため、
お菓子をつめといた、とのこと。
体調が悪いのに手作り(?)弁当を作ってくれた母の気持ちはうれしかったが、
「今日はしんどいから、食堂にして」といって500円くれたほうがよかったと思った。
今なら笑えるが、その瞬間は全く笑えなかった。

455 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:17
あー。454さんのエピソードを読んでたらおれも思い出したよ。
おれが中学生のとき、学校に弁当持って行くの忘れたことがあってさ。
いや、母親はちゃんと弁当作ってくれたんだけど、おれが弁当箱をカバンに
入れるのをうっかり忘たんだな。
んで、お昼に母親はわざわざ学校まで届けにきてくれてさ、母ちゃんありがと
ってお礼言って受け取り、教室に戻って弁当箱のフタを開けてみたら。
白いゴハンの上に細く刻んだ海苔で「バカ」って書かれてたんだよ。
クラスメートに大笑いされたな。うん、おれもちょっと楽しかったね。

456 :名無しさん :2000/04/24(月) 04:38
あんまり学校に来なかった同級生の彼が「運動会くらい出席しろ」
と言われたとかで、学校に来る事になった。
会う事も久々だったので、嬉しくってお弁当を作った。
ご飯の上に焼肉を乗っけた焼肉弁当。
簡単だけど高3の男の子にはウケルと思ったの。
2人で食べようと思って、小さ目のお重箱に詰め込んで行ったんだけど
何が気に入らないんだか、蓋を空けて中を見るなり不機嫌モード。
「食べないの?」と聞いたら、1口2口食べてポイっと返された。
見た目は悪いけど、味にはには自信があったので、かなりムカツイタ。
バカらしくなって、彼の目の前でゴミ箱に直行した。
本当は、すごく悲しかったのを思い出した。もう10年も前の話。

457 :>456 :2000/04/24(月) 06:30
なんだよ〜〜、ひどいよ〜〜〜〜〜!
456のモト彼はこのスレッドを読んで反省しろ!

458 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:54
彼はきっとかわいいお弁当を期待していたのかもね。
色合いも。。。

459 :名無しさん :2000/04/24(月) 06:57
男は味の善し悪しよりも、
手の込んだものに憧れるのかも。


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