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思い出に残る食事

30 :名無しさん :2000/03/07(火) 15:11
ミルクの話、後輩が「どうでもいいことを饒舌におしゃべり」って
ことがすごく(T_T)。いい後輩だ。ってことは14さんもいい先輩なんだよね。

31 :泣けないミルクの話 :2000/03/07(火) 15:15
転勤する時、実家から母親がアパートに引越しの手伝いに来てくれた。
荷造りもほぼ終わってちょうど冷蔵庫の整理にかかってたら、
予定よりも早く引越屋が到着してドアをノック。「あ、もう来た」って
言った途端、母親が冷蔵庫に残っていた1リットルの牛乳パックを手に
持っていきなりがぶ飲みし始めた。

そんな母は今も元気だ。

32 :>31 :2000/03/07(火) 15:20
いいお母さんでないの。

33 :名無しさん :2000/03/07(火) 17:16
微笑ましいですね。(^_^)

34 :カールとさつまいも :2000/03/07(火) 18:11
小学生の頃よくやってた誕生日会。
仲良くなかったんだけど母親がどうしても呼べという子がいた。
クラスでもちょっと毛色の違う子。
その子からは算数のノートを1冊もらった。
正直どうでもよかったのを覚えている。
それから数ヶ月してその子が、廊下に私を呼び出して
自分の誕生日会をしたいから家に来てと言った。
仲良くないので行きたくなかったが
母とサンリオのグッズを選んで結局行った。

家にはその子以外だれもいなかった。
テーブルに置かれたカール。
ケーキもごちそうもそこにはなかった。
「これ全部食べていいよ」
結局2人で食べたんだけど
その後その子がさつまいもをふかし始めた。
料理するなんて驚いた。だってまだ小2。
慣れた手つきで出してくれたさつまいもは
びっくりするほど美味かった。
ずっと「ピアノがあっていいな」と言われてた気がする。
私は「今度弾きに来ていいよ」とは言わなかった。
帰り道母親がその子を呼べといった意味が
何となく分かる気がした。

カールとさつまいも。
彼女の思い出とは切り離せない。

35 :独歩さん :2000/03/08(水) 19:48
また泣けそう。

なんでそう泣かせようとすんの。うぐ。

36 :名無しさん :2000/03/08(水) 22:31
とてもいいお話ばかり。
私も・・・と思ったけど、くだらなすぎるので
他の方にお任せします。


37 :もの食うひと :2000/03/09(木) 01:08
>36 そう言わずに、書いてくれないか。別に心あたたまる話じゃな
くってもいいんだ。くだらない話や恥ずかしい話を、良かったら書いて
欲しいんだ。おれもこんな風に気持ちのいいスレッドになるとは予想も
しなかった。思いつきで1を書いた自分がなんか恥ずかしいな。
いろんな話を聞かせていただいたみんなには本当に感謝してます。
おれは今、書くことが思い付かないから、引用だ。ごめん。

(略)こころさむい時代だからなあ。
 自分の手で、自分の / 一日をふろふきにして
 熱く香ばしくして食べたいんだ。
 熱い器でゆず味噌で / ふうふういって。
        「ふろふきの食べかた」 長田弘

38 :名無しさん :2000/03/09(木) 01:27
わたしもばあちゃんちで食べた「もち」が思い出です。
(心あたたまる話じゃないんですけど)

じいちゃんとばあちゃんが両方無くなってから、もちつきを
しなくなったので、もう食べてないんです。
じいちゃんが亡くなる数日前、正月についたもちを解凍して
一緒にたべてたんだけど、何故かじいちゃんはその時に限って
「なにもつけずに」食べたんですよね。なんでだろう?って思った。

でも、それだけ美味いんですよ!!ついた餅は。都会の人は
知らない人もいるのかなぁ。
だから餅は大好きだったけど、「サトウのキリ餅」なんて餅じゃねえ、
って感じです。あーばあちゃんの餅もう一度食べたいなぁ。


39 :母ひとり子ひとり :2000/03/09(木) 02:02
私15歳・母40歳の我が家に、母の彼氏
(28歳の錦織一清似の中国人)が同居するコトに。

母は仕事でいないクリスマス。友人と3人、
我が家でパーティをしていると、彼が笑顔で
ごはんをお椀に、みそ汁をマグカップに、煮物を茶わんに
入れ、私の部屋に持ってきたのです。
当時、多感な年頃だった私は、友人に彼を見られたコト、
ちぐはぐに盛りつけられた料理、どちらにも動揺し、
「来ないでっ!!!」と猛烈に怒りモード。

その時の彼の健気な笑顔。余計に腹立たしくて。
でも、彼のせいじゃないのは自分でも分かってて。
今は国に帰っているらしいけど、悪かったなぁ…とか、
幸せに暮らしているとイイなぁ…とか思っていますです。

40 :>1 :2000/03/09(木) 02:20
最初の話が良かったから、良い話が続いてるんだと思うよ。
「おれはただズルズルとスパゲッティ食ってたよ」っていうのが
なんか切なくて好きだな。


41 :クロレッツ :2000/03/09(木) 02:59
初キッスの味。
大好きな人との初めてのドライブ。
緊張しすぎて、噛んで噛んで噛みまくった挙げ句、
私のガムは口内でオガクズ状態に。
ガムは噛みすぎるとボソボソになる……。
そんなコトとキスの味を同時に初めて知った。


42 :明るい田中麗奈 :2000/03/09(木) 18:39
小学生の頃、仮面ライダーカードを集めていた。カードはスナックのおまけで1袋に1枚ついていて、それが欲しくてスナックを買っていた。カードを揃えるためには、ダブっているカードを他人と交換(私の土地では「ばくる」といった)しなければならないので、違う学校にまでカード仲間がいたものだ。

隣町の学校に熱心な友だちがひとりいた。そいつと二人で町中の自販機巡りをして、返却口や機械の裏や下に手を伸ばして落ちている小銭を集めて回った。1ヶ月ほどするとまとまった金になったのでそいつがスーパーに行って1箱まるごと買ってきた。50個程のスナックは壮観だった。カードを山分けしたあと、スナックを私の家の押し入れに隠し、次の日曜に基地(空き地につくっていた)でまとめて食う計画を立てた。

ところがスナックは学校に行っている間に母親にみつかって知らないうちにどこかの施設に寄付したかなにかでとにかく処分されてしまった。母は私たちがスナックにはまったく興味がないと思ったらしい。当時カード目当ての子供がスナックを食べずに捨てているという記事を書いた新聞があったのだ。そのスナックを楽しみにしていた友だちは随分怒ったものだ。私もひとつも食べることなく消えてしまった大量のスナックの味というか食感を想像したことがいまもわすれられないでいる。

子供の頃は、ひとつの袋に入ったお菓子(たとえばレギュラーなサイズのポテトチップス)をいつか自分ひとりで全部食べられるようになるなんて思っていなかった。そのときのことをいつか文句を言ってやろうと思っているうちに大人になり、母は還暦を迎えようとしている。

43 :ちっともいい話じゃなくて :2000/03/09(木) 19:36
しかも贅沢入ってる話なんですが。
高校の頃、口うるさくて苦手な女の先生がいました(担任だったんだけど)。
無視とかはしなかったですが、まあ愛言われたことには想笑いで答える毎日。
そんなこんなするうちに修学旅行に行くことになったんですが、行った先の
車中で食べた弁当がすごく美味しい。聞けば本当は普通の(安い)お弁当を
頼むはずが、くだんの先生が断固この弁当(予算よりちょっと高いご当地の
名物弁当だった)にしろ、と譲らなかったんだとか。彼女曰く
「せっかく遠くまで行くんだもん、美味いもの食べたいじゃないの。
せっかく一緒に来たんだから、あんたたちにも味あわせたいじゃないの」。
すっごい贅沢な話なんだろうけど、なんだかこの先生も同じ人間なんだな、
と思えて、そして生徒にも美味い物食わせたいと思って(無論自分も食べ
たかったとは思うが)がんばってくれた先生のことを、ちょっとだけ認め
ちゃったエピソードでした。
・・・でもやっぱ卒業まで口うるさいのは直んなかったけど。



44 :玉葱 :2000/03/10(金) 00:53
大学にはいり、なかのいい連中ができてそれなりに楽しく過してたころ
まあ、サークルで三角関係なようになり、変動がなくなってきた時期
3人で飯をつくろうっていうことになり、友達のアパートにいき
ある材料で野菜炒めと、味噌汁、餃子をつくってたべた
野菜炒めをつくるのを失敗して、しょっぱすぎる味になったが
うわ、しっぱいしたーとかいい笑いながら食べていた
そのあと2かぶりにの飯だったのと、レポートの徹夜あけだったせいで
うとうとしていたら、ロフトから声が聞こえてきた
あんのじょうやっていやがる、目を覚ますわけにもいかず
眠ったふりをしていたが。歯にはさまった玉葱のせいでさらに最悪な気分
になった、もちろんサークルにはいかなくなった
卒業になったがあの女はサークルの男を全部食ったらしい
女を見る目がなかった..


45 :暗い田中麗奈 :2000/03/10(金) 01:01
>明るい田中麗奈

あんた幾つやねん!
ぜんぜん田中麗奈とちゃうやんけ!

俺も似たような経験ある。。。
同世代やね。

46 :おばあちゃんの味で :2000/03/10(金) 04:46
思い出すのがポテトサラダ。なぜか味付けが妙に酸っぱくて・・
子供の頃の私はこれが苦手で、その印象かポテトサラダは酸っぱいものと
信じてました(笑)。そんなおばあちゃんとも理由あって離れることになり
この酸っぱいポテトサラダも食べる機会はなくなりました。
先日しばらくぶりに、おばあちゃん家に遊びに行ったときのこと
帰り際 このポテトサラダをお土産に持たせてくれたのです。ありがとうと
云いながらも私は困惑していました。だっておいしくないんだもん。。
ところが 懐かしさに負けて一口食べてみたら…意外にもおいしい!!
ほとんど一気に食べてしまった。味は相変わらず酸っぱいのだけれども
初めておいしいと感じました。ほかでは食べられないおばあちゃんの味。。
大人になってから食べるとこんなに印象が変わるなんて、、
ごめんね、子供だった私はこのおいしさに気づかなかったよ。
今度レシピ教えてね、おばあちゃん。


47 :王様のレストラン :2000/03/10(金) 04:46
美味かった不味かったばかりで
何のエピソードも浮かばない・・
これぞホントに貧粗な食生活
みなさんがうらやましい



48 :オタク :2000/03/10(金) 06:28
餅をうすーく切って、ある程度の期間干して、油で揚げたお菓子。
本来の餅の倍ぐらいの面積にまで膨らむ。味付けは何もなかったように思う。
でもうまかった。
うちのばーちゃんが時々造ってた。
もう一つばーちゃんの料理で印象の深いのはしそ巻き。
しその葉にみそを砂糖やら何やらで味付けしたのを巻いて3本くらいづつ楊枝にさしてあげる。
よく造ってくれてたけどここ何年かはあまり食べてなかった。
どっちも二度と食えない。
何でもう少し食べておかなかったんだろう。あんなに皿に山盛り造ってくれてたのになあ・・・。

49 :悲しい思い出 :2000/03/10(金) 08:55
小さい頃、小学校1年か2年の頃かな。家は両親上手くいってなくて
母親は何度目かの家出中だった。父親もろくに帰ってこない。しょうがなくて
おばあちゃんがたまに面倒見に来てくれてた。そんな或日、夕方7時過ぎた夕飯の時間も
誰もいなくて、私と妹はお腹が空いてたまらなかった。冷蔵庫には何も入ってない。
お金も無い。妹が可哀相だし私も我慢できなくなって、たいして付き合いも無いのに
近所で一番お金持ちの人の所に行って、事情を話した。多分、子供心にお金持ちなら
食べ物が余っているだろうと考えたんだと思う。そしたら英字型の乾パンくれた。
ぱらぱら塩がまぶしてあるやつ。なんだか自分のした事が恥ずかしかった。
その乾パンは明日の事も考えて大事に食べた。20年以上前だけど今でも覚えている。

食べ物にまつわる話なら、ここの誰もがエッセイストになれるね。

50 :明るい田中麗奈 :2000/03/10(金) 10:12
泣ける。

51 :名無しさん :2000/03/10(金) 10:35
勤務中だっていうのに涙が・・・
「花粉症だ」ってゴマかしました。

52 :独歩さん :2000/03/10(金) 10:41
しくしく。

53 :名無しさん :2000/03/10(金) 11:55
うううう、、、。(;_;)
49さんは妹さん思いの優しいお姉さんですね。
なんか情景が浮かび上がってきて、ちょっとうるうるしちゃいました。

54 :名無しさん :2000/03/10(金) 12:23
韓国にいった時、明洞にある(日本でいうとさしずめ
原宿のような感じなのかなあ?)
明洞ギョーザという名前のお店。
メニューは一律450円(当時のレートで)で安い。
もちろん美味い・量も多い・ご飯キムチは
お代わりし放題!(キムチもめっちゃ美味い、
日本のスーパーで売ってる奴は殆ど試したが
あれに勝るものはないって感じ)
日本に支店できないかなあ〜。

55 :名無しさん :2000/03/10(金) 16:27
私の故郷は沖縄の離島です。
島には10月頃になると、“サシバ”と呼ばれる 保護動物に指定されている
タカ科の渡り鳥が台湾の方から 何千と渡ってきます。
昔の貧しかった時代はこの鳥を林に入り捕ってきては食べていたらしく、味が忘れられないと
未だに捕る人達がいて島ではこの時期になると保護活動が盛んになります。

小6のある日、私は叔父の家に呼ばれ夕飯をご馳走になりました。
夕飯のメニューは鍋焼きうどんでその中に入ってたお肉がすっごく美味しくて
2回もおかわりして食べました。食べ終わって叔父さんに「あれ、なんのお肉?すごくおいしーね」
と言うと叔父さんはニコニコしながら「物置をみればわかるよ」と一言。
意味が分からず物置を開けてみた。そこには“サシバ”が2匹 目をパチパチさせて私を見ていた。

私はその時 学校でサシバ保護のボランティア活動の真っ最中。
なのに「おいしい おいしい」と食べてしまった。おかわりもした。
そんな自分にすごい罪悪感を感じて泣きました。
叔父さんちの物置をみるとあのうどんを思い出す。


56 :名無しさん :2000/03/10(金) 16:51
卒業旅行で2月に遠野に旅したとき。農家のおばあさんに遠野の昔話を聞かせてもらった。
わずかだけどお礼を包んだ。目上の人に現金を差し上げるなんて初めてで、失礼な気がしてたまらなかった
けど、宿の人の薦めでそうした。おばあさんは、それを何度も額に当てるようにしてお礼をいってくれた。
帰りがけ、おばあさんが軒下につるしてあった白くて四角い何かをどっさりくれた。
乾いたのし餅みたいな形で、「食べ物かな?」とかじってみたらほのかに甘くてかみしめるたび香ばしい。
パイみたいにぽろぽろと層になってはがれてくるのを夢中で食べた。

・・・この食べ物に心当たりのあるかたいませんか。
東北出身の人に会うたび尋ねてるけどいまだわからないのです。
生で食べていいものかどうかも不明なんだけど・・(^_^;)

57 :>56 :2000/03/10(金) 17:37
その食べ物、気になりますね。
干し餅かなあ。
油で揚げたものしか食べたことがないから、生だと
どういう感じかわからないけど。

58 :>56 :2000/03/10(金) 17:59
たぶん、「あけがらす」だと思います。
中に胡桃はいってませんでした?

それにしても、涙腺きまくり

59 :名無しさん :2000/03/10(金) 18:06
ウチのおばあちゃんは、初任給もらったとき
長年の夢を実現すべく、市場へ走ったそうです
そして、あのウニが細い木のケース見たいのに入ったやつを買ってきて
あつあつのご飯を前に、1列全部箸ですくって
もりもり食べたそうです。
ばあちゃんはウニが好きで好きで、いつかそれをやるのが夢だったそうです

60 :明るい田中麗奈 :2000/03/10(金) 18:46
生前の祖母に聞かされた私の父の子供の頃の話。

そのころは食べるものがあまりなかったので、食欲旺盛な父は山で木になっているものを採ったり、野良犬を捕まえて皮を剥いで食べたりしていたそうです。

そんなある日、父の友だちが旅行のために飼っていた小鳥を預けに家にやってきたそうです。その子も父の性癖を充分知っていたのですが、他に頼めるところはなかったようで、父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ〜」と繰り返し念をおして帰ったそうです。祖母もその日から毎日父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ」と父の友だちと同じことを繰り返し言ったのでしたが、やはり父は食欲に勝てず、友だちが帰ってくる前の日、祖母の目を盗んで小鳥を焼いて食べてしまったそうです。次の日、やってきた友だちに父に代わってしどろもどろ謝ったのは祖母でした。

その話を「とみお〜、食べるんでねえぞ〜」のセリフをげらげら笑いながら再現して話してくれた祖母が亡くなってそろそろ十年がたちます。父は元気です。

61 :名無しさん :2000/03/10(金) 21:58
東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。
私が子供の頃、母と一緒に父の実家に遊びに行った時、
祖父が「帰りの電車の中で食べろ」と言って、わら半紙の紙袋からはみだしそうなぐらい、
たくさんお菓子をくれた。
どぎつい色のついたゼリーや、見たことがないような袋菓子がたくさん入っていた。
電車の中で、私が「おじいちゃんのお菓子食べようよ」とせがんでも、母は無言だった。
東京に着き、駅のホームで母は紙袋の中のものを見ながら、
「何よこんなもの」と言い、袋ごとゴミ箱に投げ捨てた。
それを見て、私は泣いた。母は「もっとおいしいお菓子買ってあげるから」と言った。
私は、お菓子が食べられなくて泣いていたのではない。
孫のために、一生懸命お菓子を選んでくれた祖父のことを思い出して
悲しくてたまらなかったのだ。
お菓子を手渡してくれた時の、うれしそうな祖父の顔。
あの祖父の顔を思い出すと、今でも泣けてきます。
いい話でも食事の話でもなくてごめんなさい。


62 :明るい田中麗奈 :2000/03/10(金) 22:05
>名無しさん 私にもよく似た体験があります。食べ物が出てこないので書けませんが。

63 :>60 :2000/03/10(金) 22:08
いい話というか何というか…(^-^;

64 :>明るい田中麗奈 :2000/03/10(金) 22:22
いい話と言うかなんと言うか、父が元気で何より。
生き物から命を貰って人間は生きているのです。動物でも、植物でも。

65 :明るい田中麗奈 :2000/03/10(金) 22:39
父(ご紹介が遅れましたが、富夫です)によれば犬は赤犬(?)が旨いそうです。茹でる前に皮を剥くのですが、途中で逃げたことがあって、ぼったら(追いかけたらという意味)縁の下に潜り込んで真っ暗なところから皮を剥がれた犬の眼が光っていたこともあったという話を3回くらい聞きました。

66 :>65 :2000/03/10(金) 23:19
赤U^ェ^Uo が美味いというには俗説で根拠が無い!と横でじいちゃんが
今怒っています。戦時中十数匹は食べて、自信があるそうです。
やっぱり、肥えて毛並みがよいのがいいと言っています.
毛色は関係無いそうです。そんなことではU^ェ^Uo に申し訳がたたん、
とまた怒り出しました。 (T_T) 画面切り替えます。失礼。


67 :名無しさん :2000/03/11(土) 01:06
いいスレッドだねぇ(ToT)

68 :僕が生まれたときの話 :2000/03/11(土) 02:07
母は出産のために入院していた。亭主関白の父はそれまで料理をしたことは一度も
なかったのだが、祖母が既に他界していたために子供(わたしの兄姉)のために食事
を作らなければならない。

そして父は一生懸命慣れない手つきで子供のために卵焼きを作った。
出来あがった卵焼きの味は、とても食べられないほどに辛かったが、
兄姉は我慢して食べたとか。今でもたまに家族が揃って食事をする
とこの話題がよくのぼります。

そんな父親も退職し、最近では料理をするようになりました。


69 :名無しさん :2000/03/11(土) 04:50
祖母の家では毎年お正月には餅屋に頼んだ餅でお雑煮をつくります。
いつもお正月には祖母の家に行ってそのお雑煮を食べていたんだけど
ある年「たまには家でお正月を過ごしたい」ってわがまま言って行かなかった年がありました。
家では母が祖母と同じようにお雑煮をつくってくれたんだけど
どこか味が違うような気がするんですね。
三が日が過ぎてから祖母の家に遊びに行ってこの事を話したら
私のために餅を残して置いたよ、と言ってお雑煮をつくってくれました。
「やっぱりおばあちゃんが作ったお雑煮が一番美味しい」と言ったときの祖母の笑顔が忘れられません。

あと何回一緒にお正月を過ごせるかわかりませんが、それ以来お正月は絶対に祖母の家に行くようにしています。
なるべく長い間、あのお雑煮を食べたいなあと思います。

70 :高卒後 :2000/03/11(土) 06:15
一人暮らしを始めたんだけど、親がよく米とか野菜送ってくるじゃん。
そういう荷物の中に、たらの芽が入ってたんだよ。
その日、母からの電話で「送ったたらの芽、天ぷらにすると良いよ」
なんて言われてさ。でもマンションの電化コンロじゃ天ぷらなんて出来ないから
「もうちょっと考えて送ってくれよー」なんて答えちゃって。

その2日後、用事があって実家に帰ったとき、母が手に絆創膏貼ってるのね。
最初見たときは「またなんかヘマしたんだろ」なんて思ってたんだけど、
妹から話を聞いたら、たらの芽を取りに行ったときに怪我したって。
知ってる人もいると思うけど、あれってトゲがあって採るときに刺さったりするんだよね。
それ聞いて、俺のためにわざわざ採ってくれたのかー、ってすごい罪悪感覚えた。

マンションに帰って、段ボールの中で痛みかけてたたらの芽を出して、
浅いフライパンで無理矢理に天ぷら作って食べた。
衣が生っぽかったのを今でも覚えてる。

71 :ごめんなさい :2000/03/11(土) 06:18
小学生か中学生の頃、母親と大喧嘩して
母親がそのまま家出してしまったことがあって
その翌日は、タイミングの悪いことにお弁当が必要で。
泣きながらどうしようと困っていたら
いつもは口も聞かない兄が早起きしてお弁当を作ってくれた。

甘い味の卵焼きを焼いてもらったら、焦げてて、見た目も悪くて
それがすっごくイヤで、また大泣きして。
いつもなら殴って怒鳴って終わり…な兄がもう一度丁寧に焼き直してくれた。

味なんて、もう忘れたし他のおかずが何だったのか忘れたけど
その失敗した卵焼きの苦さが忘れられないな……と。



72 :>61! :2000/03/11(土) 06:23
私にも同じ体験があります。
やはり母が、私への好意を踏みにじって・・。
母は、私にご飯を作ってくれたこともない。実の母なのに。
生まれて初めてまともに作ったご飯を、箸もつけず目の前で流しに
捨てられました。
だから今でも、私には楽しく食事することができません。
スレとずれていてごめんなさい。

73 :名無しさん :2000/03/11(土) 06:26
他板で紹介されていたので読んでみたが……泣けるじゃねーか。(T_T)

74 :名無しさん :2000/03/11(土) 08:43
前に付き合っていた彼氏の家で彼の好きなサンマを焼いた。
私は他の料理も作っていたので彼が先にサンマを食べ出した。
「おいしい、おいしい」と彼は言っていたけど、
私が口をつけたとき、そのサンマは生焼けだった事に気づいた。
彼に対する申し訳なさ、恥かしさから私は逆ギレし、
「なによ、まずかったら正直に言ってよーーー」と皿に乗っていた
サンマをそのまま生ゴミ入れにぶち込んでしまった。
振り返ったときに見た彼の悲しそうな顔が頭に焼き付いて、
あの時以来、サンマを焼く事が出来ないでいる。
本当にあの時はごめんなさい。

75 :名無しさん :2000/03/11(土) 10:00
3人組の仲良しがいた。
そのうちの一人はバターケーキが大嫌いだった。
ある日1人がケーキを買ってきたから食べようという。
箱をあけたらショートケーキが2つとバターケーキが1つ。
ケーキを買ってきた子はバターケーキが嫌いな子のことが
嫌いだった。
もちろん分かって買ってきたのだ。
バターケーキが嫌いな子はそれからショートケーキも嫌いになった。

76 :私の子供の頃はアイスが高級品だった。 :2000/03/11(土) 10:38
くだらない話なんですがひとつ・・・。

家は3人兄弟で、小さい頃はいつもお腹空かせてた記憶がある。
小さい頃のご馳走は母がたまーに買ってくれる
レディーボーデンのバニラアイス。大きなカップのアイスで
大好物だった。めったに食べられないものだった。

ある日母が、「これから夕飯なんだからアイス食べたら駄目だよ。
御飯が食べられなくなるんだから。もし食べたら捨てちゃうからね。」
と私達兄弟に言い聞かせて夕飯の買い物に出掛けた。
当然私達は我慢できなくて。「一人一口だけだったら大丈夫だよね。
捨てちゃうなんて脅しだよね。」
って、小さいスプーンでアイスをすくって一口だけ食べた。
買い物から帰ってきた母は冷凍庫のアイスの蓋をあけて
ねずみが齧ったような跡を見つけて激怒。
「あれだけ食べるなっていったでしょ!」
私達兄弟が涙目になっている横でアイスを流しに捨てた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
と泣き叫ぶ私達の前でレディーボーデンはみるみる溶けていった。

・・・こんな事なら一口とは言わずもっと食べておけば良かった・・・。
なつかしく恥ずかしい思い出です。



77 :名無しさん :2000/03/11(土) 13:58
あげます

78 :名無しさん :2000/03/11(土) 14:21
あたしの家は共働きで家に帰ったらいつも一人でした。
毎日、お菓子は台所に袋菓子を分けたものが姉の分と二つお皿に
置いてありました。今考えるとそれだけでも十分うれしかったはずなのに、
よその家では母親がケーキなど焼いてくれてるって思っていた私は、
作ってってわがままを言ってました。
休みの日、不器用でお菓子なんて作ってくれなかった母親が
クレープを作ってくれました。
焼いたクレープ生地にチョコレートシロップをみたいなものを
塗っただけのものでした。おいしいものではなかったけど、
それが初めて食べたクレープでした。クレープを見たら思い出します。
母親は今も元気で働いてます。帰ってきたら覚えてるか聞いてみようかな。


79 :名無しさん :2000/03/11(土) 14:22
小学校2年生の時の思い出です。

担任の先生は50だか60だかのおばちゃんで、
その年が教員生活最後の担任だった。
俺らの学校は1年生から2年生になるときはクラス替えがなかったから、
先生と俺らは2年目だった。
一番最後のお楽しみ会で、歌唄ったり、誰かの下手な手品見たりした後、
先生が「最後にみんなで食べよう!」と、なにかをみんなに配った。
「ミロ」(ココアみたいなお湯とか牛乳とかに溶かして飲む粉)だった。
当時「ミロ」が出だしたころで、テレビとかでコマーシャルガンガン
やってたから、先生も選んだんだと思う。
誰かが「先生、これ、このままじゃ食べれへんで」と言った。
先生は「そうなん」と言った。なにか他にも言ったかもしれないが
覚えてない。
結局、みんな「ミロ」をそのまま手ですくって食べた。
なんでか分からないがそういう雰囲気だった。

なんか間抜けな話なんだけど、今でもよく思い出します。

80 :>76 :2000/03/11(土) 18:20
もうーこどもってやつは、正直っていうんだか
純情っていうんだか(^_^)必死さ加減が好きだな〜。
(大きくなっちゃうとアイスは自分で買えばいいんだもんね)

81 :名無しさん :2000/03/11(土) 19:23
昔よくミロとかクリープとか粉のままスプーンで食ってたなぁ。うまかった。
思い出に残ってる一番じゃないけど。学級みんなでやるのはヘンかも(^_^;)

82 :>81 :2000/03/11(土) 21:02
79のは変とは言わんだろ。

83 :とうちゃん、ごめん! :2000/03/11(土) 22:30
小学生の頃、家の両親は共働きで凄く忙しそうにしていた。
いつも遠足とかに行く時,お弁当を持って行くんだけど、母は
仕事の関係なんかで,お弁当を作れない時がありました。
その時は,父がお弁当を作ってくれていたんですが、私は嫌な
子供で、どうしても父の作った,おにぎりが食べられないで、
いつも帰りに捨てていました。今だに、おにぎりは食べられない
けど、なんかここを,読んでたら思い出してしまいました。
なんか,悪いような、なんで親の作ったものが,食べられないのか
悲しいような,複雑な気持ちになりました。。。

84 :すいか :2000/03/12(日) 00:51
子供の頃からスイカが大好きで、ことあるごとにスイカへの愛を
語っていたら、高校3年の誕生日に仲のよかった子たちがお金を
出し合ってスイカをプレゼントしてくれました。
私の誕生日は2月で、そんな時期にスイカを食べられるなんて
嬉しくて、ホントに嬉しくて、冷蔵庫に大事にしまって毎日毎日
取り出してはながめて、幸せでした。
結局もったいなさ過ぎて食べるきっかけを失い、3月半ばのある日
異臭を放っているのを母に見付かり捨てられてしまいました。
あの時はとても悲しかった。
もらってすぐに食べればよかったと後悔しながら、腐って溶けた
みたいになったスイカの残骸をちょっとだけ食べました。
とってもまずくて吐きそうだったけど、友人にもスイカにも申し訳
なくてグッと堪えて呑み込みました。2度とスイカを腐らせて捨てたり
しない!とその時決めました。

今でもちょっと傷みかけのスイカに出会うとこの2月のスイカを
思い出します。
真夏の野菜室は結構腐りやすいのです。
でもちょっとくらいの腐りだったら食べちゃいます。
まだお腹をこわしたことはありません。
いい話のあとにこんな腐りネタでごめんなさい。

85 :カルボナーラ :2000/03/12(日) 02:00
遠い昔の中学生時代、つきあって間もない彼女とスパゲティを食べに行った。
しかし当時、うちのおかんのレパートリーといえば、ナポリタンとミートソースのみ、
彼女の前で気取りたい年頃だった俺は、そんなベタなものは頼めないと見栄を張り、
当時なんとなく聞いたことがあったような気がしたカルボナーラを注文した。
しかし俺の取り越し苦労をよそに、彼女の注文したのはミートソースであった。

それでも見栄っ張りな俺は「俺、スパゲティではカルボラーナが1番好きかなあ」と無駄口、
すると無垢な彼女は「私カルボナーラって食べたことない、何が入ってるの?」と尋ねてきた。
俺は「ヤバイ」と焦ったが、幸い彼女の後ろ、別の客のテーブルにウエイトレスが、
「カルボナーラと○○○○お待たせしました」と運んで来たのが見えた。
2つの皿のうち1つはトマトソースに貝やエビなどの魚介類が見て取れた、
今思えばペスカトーレだろう、もう1つの皿は白っぽいクリームソース状で、
その時確認できた具材はベーコンだけだった。

それを見た俺は、メニューの中に「ベーコンと何とかのスパゲティ」なる品名があったのを思い出し、
とっさに(あの白いのは「ベーコンと何とかのスパゲティ」だ、ということは
あっちの魚介類のトマトソースのスパゲティこそが、カルボナーラに違いない)と判断し、
「ナポリタンみたいなケチャップ味で、貝とかエビとかが入ってるやつだよ」と得意げに説明した。
さらに、「エビが丸ごと入ってるから好きなんだ」等と要らぬ付け足しを繰り返していた。

やがて運ばれてきたカルボナーラに「ここのカルボラーナはうちで作るのと違うなあ」などと
哀しい言い訳を繰り返すばかりの俺に、気まずさを察知して無口な彼女。
しかも何度も繰り返す「カルボ“ラーナ"」という言い間違いに気付くのは、その後何年も経ってからだった。

カルボナーラをセブンイレブンで買って食べると思い出す、でも店では未だに注文できない。

86 :名無しさん :2000/03/12(日) 02:08
文章長いけど、お前等いい奴ばかりだな。


87 :卵かけご飯 :2000/03/12(日) 04:40
高校の時、大学生だった先輩が田舎に帰るので、アパートの部屋を借りて
彼女と泊まり込み、猿のように覚えたてのセックスをしまくった。
途中お腹が減ったので何か食べようということになったが
服を着るのももどかしく、部屋にあるもので済ますことにした。
彼女は何の料理もできなくて、仕方ないのでご飯に生卵をかけて食った、
卵かけご飯を食ってはH、また腹が減っては卵かけご飯、そしてH・・・
若いということはああいうことなんだと思う。

品位ガタ落ちで失礼。

88 :>87 :2000/03/12(日) 04:57
あー、君にはペナルティだ。
10日以内にメッコール5本を飲んで
経過のレポートを提出する様に。

89 :バッカーです :2000/03/12(日) 05:01
いや、タマゴってところがいいじゃないか

90 :いいじゃん :2000/03/12(日) 06:14
元々「状況とともに思い出す食事」スレッドだったんだし(笑)
いつの間にか(最初からか?)泣かせる話ばかりになって、
他の話する人がなんとなく書き辛そうだし。
もちろん俺も泣かせる話にハマッてる1人なんだけど。
このスレッド、名作だね....

91 :名無しさん :2000/03/12(日) 07:58
ん、じゃ軽く一本行きまーす!

中学の時。土曜の放課後、隣のクラスの男の子が、教室でお弁当を
食べるのを、何故か真ん前で見ていたことがあります。
私はそのクラスの女の子と一緒に帰ろうと思って待ってたし、
顔は知ってるけど話したこともない男の子は、今から部活だったと思う。

で、黙って見ている私の前で、しゃかしゃかと弁当を食べ終えた彼は、
最後にその銀の弁当箱にこびりついてたごはんの一粒一粒をお箸で
ひょいひょい取って口に運び、きれいにおべんと箱をカラにして
フタを「ぱたん」としめました。

すっごいカッコ良かったんですよ〜、それが。
気持ちいいっつーか。食べっぷりも良かった。
別にそれでその子に惚れたりはしなかったんですが、
それ以後「ごはんをおいしくきちんと食べれる人」「お箸を
正しく扱える人」という、好きな人の条件が増えました。

92 :名無しさん :2000/03/12(日) 17:52
やっぱり初給食かなあ。
給食食べる前に「三角食い」ってのを教えられた。
パン→おかず→牛乳を繰り返す小学校給食特有の様式美なんだけど
(現在もあるのだろうか?)
俺はすっかり「パンを全部食べて、おかずを全部食べてから牛乳を全部飲む」
ことだと勘違いしてしまった。
ちょうどその時のパンは食パン2枚。
6歳の子供にはあまりにもハードルが高すぎた。
しかしその日のおかずはカレーシチュー。大好物だ。
何とかその桃源郷に辿り着こうと、必死に食パンを口に詰め込んだ。
牛乳という助けは借りられない(と思いこんでいた)、
頼みのマーガリンも1枚目で尽きた。昼休みも残り10分。
後半分で地獄の食パンを食い終える・・・という直前で
痺れを切らした担任が「あなた、カレー嫌いなのね? 嫌いなら食べなくてもいいのよ」
と、俺の目の前でカレーシチューをあのでっかいアルミの鍋にジャーと戻した。
俺はその午後泣き通しだった。

93 :名無しさん :2000/03/13(月) 03:15
同棲してた女が最後に作ってくれた食事、オムライス。
あれ食うとやっぱり、出て行ったあの女を思い出すな、昔の事だけど。

94 :名無しさん :2000/03/13(月) 03:29
給食でのこしたら、びんたされた、学校に不信感

95 :名無しさん :2000/03/13(月) 04:26
最近一人暮らしを初めて自炊しています。
何食べてもお母さんを思い出します、ホームシック状態(;_;)

96 :アステカ中毒 :2000/03/13(月) 06:39
学校の給食は偉大だった・・。豚肉のしょうが煮が食べたい・・

97 :名無しさん :2000/03/13(月) 07:07
おばあちゃんの話を見て思い出しました。
私には兄がいて、兄はおばあちゃんがつくるクリームシチューが大好きでした。
ホワイトソースも自分で作る本格的なもの。
実は私はそのおばあちゃんが苦手で、初孫だからといつも兄ばかりひいきして…
と、すこしひねくれていたんです。実際、私がきらいなものも食卓に
だしたりして、大泣きしたこともあったくらいで…。
そのおばあちゃんがなくなった時、涙もでませんでした。
嫌いというより苦手だったので、近寄りにくかったせいもあるんですが。

先日、自分でホワイトソースを作ってシチューを作ってみたのですが
なかなかおばあちゃんが作ってくれたような味にはならない。
結局、あまりまんぞくしないままそれを食べたのですが、こんなことなら
作り方を聞いておけば良かったと思いました。

今思えば、好き嫌いが激しかった私の為に、いろいろ作ってくれた
おばあちゃんの事を思い出し、当時の自分の行動を恥じました。
このスレッドを見て、おばあちゃんがなくなってから初めて泣きました。
今度、墓参りに行こうと思いました。
ここはいいスレッドですね。ありがとう。



98 :名無しさん :2000/03/13(月) 07:55
給食だけどさ
じゃがいもをオレンジジュースで煮たという
奇怪な代物がでて、それが極めてまずかった。
一体誰があんなまずいものをこの世に送り出せたのかと
長年思ってたが、こないだ知人が作った「芋のオレンジ煮」
なるものを食べたら、めちゃ美味かった
給食のやつとは全然違う。
なんでこんなに差が出たのかしらね〜と思ったよ

99 :若き日の過ち :2000/03/13(月) 08:52
二年前の誕生日、主人に嘘をついて恋人ととある山荘にいました。
浮気のつもりが本気になり、彼と一緒に死ぬつもりだったのです。
奇しくも、恋人が私の誕生日のために料理を作りはじめた時、
山荘の扉が開いて主人が現れました。言ったのはただ一言。
「帰ろう。」それだけ。私を詰るでもなく、私の恋人を殴るでも
なく。それから三時間、車に揺られて自宅まで戻りました。
無言の車内でしたが、どんなにショックをうけていても、空腹
にはなるものですね。ぐーぐー私のお腹が鳴っているのが聞こえた
のか主人は寂れた町に立ち寄り、ファーストフードのドライブ
スルーでハンバーガーとポテトフライを買ってくれました。
「食べなさい」とまたまた一言だけ。普段はファーストフード
なんて大嫌いな彼なのに。私はハンバーガーをかじりながら、
何がおかしくて自分の誕生日に、車の中でファーストフードの
ハンバーガーを食べなきゃいけないんだと考え、泣けて泣けて
仕方ありませんでした。
主人に謝ることが出来たのは、ハンバーガーを食べ終わって
やっと一息ついた頃。一緒に死のうとまで心に決めていた彼
とはそれ以来会うこともありませんでした。彼が作ってくれて
いたドイツ料理も、覚えているのは匂いだけです。
結局私は主人のもとに残り、十年経った今は何とか普通に
暮らしていますが、今でもあのハンバーガー・ショップ(チェーン
店)の看板を見かけると申し訳ない様な、切ない様な思いが胸一杯
に広がり、鼻の奥がつーんとして視界がぼやけてきてしまいます。

100 :>99 :2000/03/13(月) 11:33
真面目に読んでたのに最後の4行でハラかかえて笑っちゃったよ〜


101 :茶々 :2000/03/13(月) 12:24
彼氏が中古だけど車を買ったので、ドライブで海に行こう!
という事になりました。
車の中で食べようと、浜辺でつぶ貝の醤油たれの串焼きを買って
隣で彼氏が運転して、私は串焼きを食べていました。
串焼きはおいしくて夢中で食べてたら、片手でもっていたスチロール
のトレイが傾いて、座っているシートにもちょっとタレがこぼれて
しまいました。
しまった!と思いあわててウェットティッシュでふいても
染みは取れません。車内に甘辛いたれの匂いが広まっていって、
彼に申し訳なくて半泣き状態で謝ったら、突然彼は運転しながら
大笑いしはじめました。
「夢中で食べているから、いつかこぼすと思っていたんだよ」
「だったら、一言言ってくれれば良かったのに」
「車は中古なんだから別に気にしなくていいよ。
おいしそうに食べているから、邪魔したくなかったんだよ。」

うれしくて、申し訳なくて、心の中がじわーんと暖かくなったのを
覚えています。

102 :名無しさん :2000/03/13(月) 14:06
>茶々さん
ええ彼氏ですなぁ。大事にしてね。

103 :>99 :2000/03/13(月) 14:19
創作よろめき料理モノですな。
イイ線まで行ってたのに時空が・・・・
2年前と10年前統一してほしかった。

よって6点!

104 :nora :2000/03/13(月) 15:15
オレの叔母の作るカレーライス。
ウチは喫茶店なんだけど共働きなので、子供の頃は叔母の家に預けられてた。
その叔母の作るカレーが大好きで、20歳を過ぎた今でも近くに用があるたびに叔母に電話をかけ
「叔母ちゃんのカレー食いたいから遊びに行くよ」って、甘えます。
すでに子供も独立して、叔父も亡くなっているので1人暮らし状態の叔母は
遊びに行くといつも喜んでカレーを作ってくれます。
正直、喫茶店のウチのカレーよりも美味いんだな、これが。

叔母ちゃん、長生きしていつまでもカレー作ってくれよ。
また遊びに行くね。


105 :まんぼう :2000/03/13(月) 15:35
>103さま
103様が指摘してくれるまで、99の何がおかしいのか全然わかりませんでした。そういやそうですね。ちょっとは感動したのにな。

砂糖が貴重だと思っていたばあちゃん。
ばあちゃんの作る「イチジクの甘露煮」はきれいなワイン色だけど、歯が浮くほどの甘さ。
でも、私や弟が遊びに行くといつも出してくれるので、そのとき
だけは「やせなきゃ」ということを忘れて食べていました。

ばあちゃんは同居していた嫁の愚痴もこぼしたことも、他の
誰かの悪口を言うこともない、楽しみといえば年に一回
町内の老人会で温泉に行くことくらいの、控えめな人でした。

ある時、ばあちゃんと一緒に住んでいるいとこ、いとこの友達、
私とで遊んでいるとき、いとこの友達が遊びのルールについて
けちを付けたので、「そんなに文句があるなら、もう帰れば」
と言ったら、ほんとに帰ってしまった。
事情を知ったばあちゃんは私に、
「おめ、なんでそんげこと言った・・・。」とだけいった。
ばあちゃんに怒られたのはそれが最初で最後だった。

8年前、ばあちゃんが死んだとき、香典の中で、
誰も(ばあちゃんの子供、孫たち)知らない名前のものが
いくつかあった。おばさんは、
「きっと、ばあちゃんが作った野菜をもらってくれた人だろ」
といっていた。

どこかの庭で、もがれていないイチジクの実をみると、
地味だけど、暖かかったばあちゃんの存在と重なって、
イチジクの甘露煮の甘さと歯のうずきと、友達を追い返した
後悔が一緒になって思い出されます。




106 :ロールケーキが100円だった時代 :2000/03/13(月) 15:39
はじめてのお使いだと思う、母に朝のパンを買ってきて、と100円を渡された。
当時食パンが100円もしなかった時代だと思う。
100円を渡された俺は必死で100円の値札のついたパンを探した、
「お釣り」というシステムを知らなかったからだ。
やっとの事でジャスト100円の商品を見つけた、それはロールケーキだった。
それを買って帰ると、なんでケーキなんか買ってきたの、と思い切り叱られた。
お釣りとか引き算とか、まだ教えてもらってなかったのに...
トラウマ。

107 :名無しさん :2000/03/13(月) 15:59
せっかくいいスレッドなのに作り話しないでよー>99

108 :99です :2000/03/13(月) 16:05
・・・本当は10年も昔の話だったのですが、それじゃ年がばれる
と思い、2年と脚色したのに、やはり最後でぽろりと本音が・・・;。
せっかくいいツリーで、こちらも恥ずかしい話を(拙い文ながら)
書き込みしましたのに、意図しなかったこととは言え、テンション
落としちゃって申し訳ないと思っています。見栄をはった馬鹿(の上に
ばばあ)ではありますが、創作、ネタではありませんので、お許しいただきたいと
思います。m(_)m。

なんかでもこのツリーっていい人が多いみたいで嬉しいです
(他の掲示板だったら今頃叩かれまくりですよね)。いい年
して大泣きしながら読んでいますので、私の大ボケに構わず、これ
からもいいお話をどんどんよろしくお願いします。

109 :名無しさん :2000/03/13(月) 16:32
>107

創作でも楽しめればいいんじゃないの?


110 :遠野  :2000/03/13(月) 16:41
56>57,58 謎の食い物情報ありがとうございました。
アケガラス・・は市販されますか? もう少し詳しく知りたい。
胡桃ではなく節分の豆のようなのが混ぜてあったのもありました。
乾かした草で綺麗にいくつも結んであったので「飾りもの」の可能性も
捨てきれてなかったのです。・・・とりあえず食べ物でよかった(^_^;)
別スレたてたほうがいいかな。

111 :!WU? :2000/03/13(月) 17:41
ほんとにみんないい話ですね。
感動話もくすっと吹き出しちゃうのも、みんなみんな好きです。
毎日ここを見るのがとても楽しみです。
心があったかくなります。
「日本一あったかい食べ物の話」って本が出せそう。(^_^)


112 :明るい田中麗奈 :2000/03/13(月) 18:47
42の話を書いたとき、「あの頃なにかもっと重要な思い出があったはず」という思いが拭えませんでした。それを思い出したのでちょっと長いですがよかったら聞いて下さい。

小学校3、4年のころ私には同じクラスに親友が1人いました(42のカード仲間とは別)。毎日、学校にいるあいだはもちろん、家に帰ってきた後も空き地や空き家に入って基地づくりなどをして遊んでいました。私が住んでいた町は、その頃市街地の拡大の波が押し寄せていて、空き地や空き家が多かったのです。

空き地に捨てられた廃材を使って、いつになく大きな基地を作り上げたことがありました。基地は2人だけでつくったものでしたが、だいたい出来上がったころには興味を持った近所の子供も集まってきていました。私は完成した基地の中でまずなにをするかについて親友に提案しました。私がスーパーまで行って私のおごりでアイスを買ってくるから、そのあいだ基地を守ってくれ。親友は喜んで、「○○出撃せよ」と隙間だらけの基地の中に潜り込みました。

(つづく)

113 :明るい田中麗奈 :2000/03/13(月) 18:49
私がカップのバニラアイスを2つ買って帰ってくると、基地の中にいたのは中学生でした。親友は中学生に追い出されて私の帰りを待っていました。私にも中学生を相手に文句を言えるだけの勇気はなく、どうすることもできずに中学生を見ていました。中学生は私がアイスを持っているのに気づき、「お、くれるのか」と言いました。そのとき私は何を考えていたのでしょうか。どうしても思い出せないのですが(この思い出自体もしばらく忘れていたのです)、おそらく私は平静を装い続けたかったのでしょう。私は躊躇なく「あげるわ」と答えて大切なアイスをひとつ、へらもつけて中学生に渡してしまったのでした。残ったひとつをどうしようか、もともと俺が買ったアイスだし、早く食べないと溶けてしまうなどと考えているうちに親友はどこかへ行ってしまったので、私は基地のことを中学生に説明しながらそのアイスを食べてしまいました。

中学生が帰ったあと、親友が現れて、口にした言葉の音声がいまも耳に残っています。「食べ物のうらみは一番だからな」

私は小5になる前にその町から引っ越しました。その一件で疎遠になってしまった親友には中学生になってから一度だけ会いましたが、ほとんど話すことがありませんでした。あんなに毎日一緒に遊んだのに最初に思い出すのはバニラアイスのことでした。住宅地だったその町は現在では繁華街に吸収され、マンションやホテルや遊戯施設や飲み屋ばかりになってしまい、私の子供の頃の風景はもう残っていません。

114 :>110 :2000/03/13(月) 19:28
遠野の名産品を案内したサイトがあります。
明けがらすは、ここの「和菓子1」にありますよ。
http://www.shokokai.com/tohno/

115 :名無しさん :2000/03/13(月) 19:47
小さい時、うちは両親が共働きで、土曜日とかはおばあちゃんにあずけられていました。
「今日は休みだから遊べるよ」といった父にとても私は喜んでいました。
だけど、急に仕事が入り出勤することに。がっかりしていると
以前、料理番組でやっていたコロッケをつくって、私に持たせてくれました。
そのコロッケは普通のコロッケなんですけど、パセリの茎をさして
みかんのようにするものなの。
忙しい中、作ってくれた父に感謝。

116 :名無しさん :2000/03/13(月) 20:51
中学高校と体育会系だったのでいつも死ぬほど腹を減らしてた。
途中で間食もしていたが家に帰る頃には空腹でほとんど倒れかけになっていて、
風呂より着替えより何よりもまずメシ、という状態だった。
熱い汁物は喉を通らないので牛乳のリッターパックを片手にご飯を
掻き込み、定食屋換算で4人前くらいのおかずと4合の米(+牛乳1リットル)
を平らげた。母親は呆れて、いつも
「誰もとらないんだからもっとゆっくり食べなさい」
と言っていた。
父親は晩酌なんぞをしながらその姿を面白そうに眺めていて、
んで
「じゃ、俺も少し飯にしようかな」
かなんか言う頃には(四合炊きの釜なんで)飯は当然残ってない。
母親が申し訳無さそうにそう言うといつも決まって父は笑いながら
「いいよ、じゃあ蕎麦がきでも作ってくれ」
(*そば粉を丸めたもの)

腹が減っている間はヒトの事など構っている余裕はないが、
満腹になった頃に(ほぼ毎日のように)展開するこの光景を
どことなく心苦しく思っていた。

高校を出て家を離れ十年近く経ったいまは割と人並みの食事量になったが
蕎麦がきと言う言葉を聞くとなんとなく肩身が狭い感じがする。
(……いや、父親はまだ健在なんですけどね)

117 :名無しさん :2000/03/13(月) 23:26
しかし、あの頃の食べ盛りの時代の食欲って
我ながら凄かった。とにかく食べまくってたなぁ

ウチの両親は、俺が昔に比べて食べる量が減っていくのを
しきりに食卓の話題にしていたが
多分、俺の食事量が減っていくのが、俺が成長していってるってことで
嬉しかったのと、自分たちがそのぶんトシをとっていっているのを
再認識する材料になってたんだろうな、と思う。

118 :名無しさん :2000/03/14(火) 03:56
なんて気持ちのいいスレッドなんだ

119 :名無しさん :2000/03/14(火) 06:36
ってことで、あげ!!

120 :>117 :2000/03/14(火) 07:31
あと、昔の豪快な食事量がなつかしい、てのもあるでしょうね。
なんかいいご両親だねえ。大切になさってね。

121 :名無しさん :2000/03/14(火) 10:07
毎日一回ここを見て、爽やかな気持ちになります。
ささ、もっと続けてください。
次の方どうぞ。


122 :名無しさん :2000/03/14(火) 15:05
子供のころから唐あげが大好きだった。
ある日学校から帰り、急に食べたくなり、母にすごくせがんだ、いつもなら「明日ね」とあしらわれるのだが、その日はあまりのしつこさに「もう、わかった、わかった」とお皿にどっさり作ってくれた。
そして母は買い物に出かけていった。
その帰り母は事故にあった。買い物袋にはまだ
食べ盛りの子供に食べさせるためだろう、鶏肉と唐あげ粉が入っていた。もう二度と味わえないあの唐あげ。




123 :名無しさん :2000/03/14(火) 15:49
中学生の頃、悪さ仲間と家に溜まってた時友人が「お腹空いた」
と言うのであり合わせの材料でチャーハンを作ったんです。
そしたらみんな美味しいって平らげてくれて嬉しかった。
その後も数回家に来て「あんたのチャーハン美味いから食べたい」
って言われて、その度にぺろりと食べてくれた。

その頃の仲間とは仲違いしたり離れたりで誰一人として付き合い無いけど
たまに作るとその頃のこと思い出したりして懐かしい気分。

124 :名無しさん :2000/03/14(火) 16:35
唐あげと、「美味しい」っていう言葉で思い出しました。
子供の頃、友達の家に泊まりに行きました。晩御飯は私の大好物の唐あげでした。
その家のおばさんに「おばちゃんの唐あげとお母さんの唐あげと、どっちがおいしい?」
と聞かれました。私は躊躇なく「お母さんの唐あげ」と答えました。
おばさんは、ちょっと悲しそうな顔をしながら、何度も「本当?
お母さんの方がおいしいの?」と聞きましたが、その度に私は
「お母さんの方がおいしい」と答えました。
その後、おばさんが入院しました。お見舞いに行きましたが、
私は病室のドアの所までしか入れてもらえませんでした。
遠くの窓際のベッドでおばさんは横たわっていました。
おばさんは、びっくりするほど小さくなってしまった顔をこちらに向け、
泣きながら「○○ちゃん。元気でね」と私に向かって言いました。
あの時、おばちゃんの唐あげの方がおいしいって言えばよかった。
そんな嘘をついたからって、バチが当るわけでもないのに。
おばちゃん、私の大好物の唐あげを一生懸命作ってくれたのに、
悲しませてしまって、本当にごめんなさい。

125 :名無しさん :2000/03/14(火) 17:33
それは敗戦の時。夫はロシア兵に連れて行かれたまま帰らず、
やっとの思いで一人娘を連れて日本に帰り着いた。
頼りの姉は、家族で東京から疎開していて連絡が付かず、
すがる想いで故郷の親戚を訪ねていったら、おばさんは、良く帰ってきたねと白いご飯を炊いてくれた。
それを見たとき、ほかほかのご飯の香りで、ああ、日本だ。内地に帰ってきたんだと
今まででなかった涙がぼろぼろあふれてきた。
手を合わせてから、箸を付けた。何年かぶりの白いご飯は本当に美味しかった。
しかし、ふと気づくと娘は少し口を付けただけで食べようとしない。
国民学校にちょうど1年生で通い始めたところで敗戦を迎えたのだが、
3月生のせいか体が小さい。やっと帰ってこられたのに、
こんなにおいしいご飯を食べる力も無くしてしまったのかと思い、
ご飯を食べれば力も元気も出るから食べなさいというと、
「このご飯美味しくない。あたし、黄色い普通のおいしいご飯が食べたい。」といった。
娘は、満州生まれだからコーリャン飯の方が白飯よりもなじんでいたのだ。
その言葉を聞いたとたん、なんだかあれやこれや色々な思いが一時に胸にあふれてきて、
私はまた泣いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

漬け物だけで何倍もご飯をお代わりする私を見て、
「おまえは、あの子の娘なのに、ほんとうに白いご飯が好きだねぇ。」と、
この話を何度も何度もして、そのたびに泣いてた婆ちゃんも、もういない。

126 :独歩さん :2000/03/14(火) 17:38
さめざめ

127 :>124 :2000/03/14(火) 17:41
子供の時って正直過ぎる故の残酷さってあるよね。
大人になってからそれをとても感じる。
子供心にお世辞とかっていえないのかもしれないけど、後悔した時には
いうタイミングを失ってしまったり。せつないね。

128 :>122さん :2000/03/14(火) 18:17
号泣。(T_T)


129 :名無しさん :2000/03/14(火) 19:20
ばりばりのキャリアウーマン(のはしり)だった祖母は料理は全く駄目。
三度の食事はいつもお手伝いのおばさんの仕事でした。ところが祖父が
死の床に就いた頃、祖母は自ら台所に立ち、料理らしきものを作って祖父
のもとへ運んで食べさせてあげるようになりました。
私は当時五歳か六歳。祖父を見舞いに行ったら、ちょうど祖母が昼食の
用意をしているところに出くわしました。
「ああ、ちょうど良かった。加奈子も食べて行きなさい。」
祖母の手料理なんて食べたことがなかったので、期待と不安でいっぱい
でした。で、出された料理は、お味噌汁の中にご飯が入っていて、煮込んで
ある奴でした。しかも、まずい。
「おばあちゃん、これ、全然おいしくない」
一口だけ食べて投げ出してしまった私に謝りながら祖母は同じ食事を
祖父のもとに運んでいきました。お匙にその雑炊(もどき)をとって
祖父に食べさせてあげている姿を、私は黙って見つめていました。
「うん。うまい。うまいなぁ」
祖父はにこにこしながら与えられた食事をおいしそうに食べています。
子供心にびっくりしたのを覚えています。その後、こっそり居間に戻り、
冷たくなった残り物の雑炊(もどき)を食べてみたのですが、やっぱり
まずかった(笑)。
でも今でも、嬉しそうに「うまいなぁ」と言って妻の手料理を食べていた
祖父の姿と、誇らしげに食べ物を口に運んであげている祖母の姿が忘れ
られません。あの、煮過ぎで辛くなった雑炊(もどき)の味も・・・。

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0ch BBS 2004-10-30